靴紐と執着心
日本人にはなくなってしまったのか。
批判を覚悟で、あえて言おう。
高橋。あれだけ頑張ったんだから、結果も欲しくないか。満足するのは止めてくれ。
上村。頑張ったのはすごかった。もういいと思う。ただ、今までの頑張りへのご褒美か、自分への慰めか知らないが、ブログで、この結果を美化するのはやめてくれ。もう頑張らなくていい。でも悔しいじゃないか。
織田。紐の感触?それは大事だが、大事なものを手に入れるためには、冷静なリスク判断は当然必要だろう。それは頭脳や知識から来るものではなく、手に入れるものへの強い執念からくるものだろう。自分の弱さに引きずられるのは、手に入れるものへの執着心がないからだ。それがあれば、自分の気持ちなどちっぽけなものになる。
誰だって緊張する。米国人ももちろんだ。ゴルフでも、最後のパットは手が震え、カップが見えなくなると言う。しかし、それを乗り越えるのは勝ちたいという気持ちだ。
これまで私がオリンピックで見たものは、その執着心が空回りして、というのではない。欲しいものをびくびくしながら欲しいと思い、頑張っているから神様が与えてくれるのではないか、危うい祈るような姿だけだ。
運はやってこない。掴み取るものだ。神様は、来るのを待つのではない。呼び寄せるのだ。
この原因は日本社会全体の問題だ。
あの2002年のワールドカップから何も変わっていない。
トルコにあんな無様な負け方をして、選手は中田以外は悔しがらず、観衆は感動をありがとう、とのたまう。
今度も高橋を絶賛する。素晴らしいと同時に残念で悔しくないのか。
選手をとにかく温かく迎える国民。いい人たちだ。確かに。
だから、日本人はいい人だし、彼ら、高橋も上村もみんなに好かれるだろう。
だが、お人よしは勝負に勝てない。
勝負に勝たなくてもいい、という生き方もある。私もそれは嫌いではない。しかし、それなら、あんなに頑張ってオリンピックに出ることはない。なんでそんなに出たかったんだ。金メダルを目指していたというのは、どこから出てきた言葉だったんだ?
きっと、自分のすべてを出せたのだからいい、仕方がない、精一杯やったから悔いはない、そういうことなのだろう。
それは潔さとも取れる。そして、その潔さが、勝利に結びつくことも多い。日本人にはそれが向く。このブログでも何度も言っているように、とことん自分に執着して、勝利をもぎ取るスタイルと、潔く、すべてを投げ出し、自分を消し去り、すべてのもののために感謝して勝負する、それで勝利をおびき寄せる生き方とある。そして、私は後者が好きだし、少なくとも、日本社会では、これが多数派だろう。
しかし、それと執着心がないのとは違う。潔くメダルなどという次元を超えて勝負に出る。ギャンブルに負ける。仕方がない。でも悔しいのが自然ではないか。あれだけ頑張ったんだから、その分悔しくなるではないか。
日本人から執着心は消えてしまったのか。
もちろん、これは人による。今回は、スピードスケートの加藤。彼のインタビューが一番しっくり来たし、感動した。後は、上村のすべりを見た後の皆川の表情。そうは言葉にはしなかったが、少し、上村と自分との違いに寂しさを感じていたのではないか。
そして、このブログにコメントしてくれた方がいたが、加藤に対して厳しい言葉で批判したかつてのチャンピオン清水。彼は執着心の塊ではなかったか。
まだ、浅田が残っている。彼女は、スケーターとしては、個人的には好みではないが、執着心という意味では期待できる。ヨナも同じタイプで、やはり勝負は執着心の争いにならないと意味がない。プルシェンコは醜かったが、やはり勝負師。執着心の塊だった。そして、執着心の争いで、それを誠実に準備し続けたライサチェクが勝った。
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私の親友も言っていたが、今回のオリンピックでは、主催者の不手際も目立つが、日本選手の、もっとも許しがたいミスも多い。織田もそうだし、シールを張り忘れたり、かつてのジャンプの原田もそうだし、やはり何かが足りない。おかしい。くどいが、織田は靴紐にこだわるなら、そしてはきこんだ靴にこだわるなら、最低3足は常に使い込んだものを準備しておくべきではないか。テニスはどんなプロでも、金がなくても1ダースのラケットを準備して、不測の事態に備える。
本人が本当に頑張っているだけに、頑張りを結果に結び付けられないことほど残念なことはない。
靴紐と執着心。
失って欲しくない。
Posted by sobata2005 at 09:57│
Comments(13)│
clip!
こんにちは、はじめてコメントさせてもらいます。
僕も高橋が銅と聞き、新聞やテレビで絶賛してて、彼自身も喜んでいるのをみて、あれ?と思いました。悔しがらないのかな、と。でも、テレビ見ているうちに、接戦だったからそれでも嬉しいんだろう、と納得しかけていました…。
僕は大学を米国に留学していましたが、アメリカ人は勿論、中国人、インド人、シンガポール人、インドネシア人、タイ人、皆、いい意味も含めて、図々しくて図太いと感じました。逞しかったと思います。人にものを頼むときとか、大勢の中で自分の発言するときとか、「空気を読む」ことなど全くしませんでした。皆、常に、自分(の成功)への執着心がメインにあった、というかそれしかない、という感じでした。
日本に帰ってくると、周りが自分に対して何を期待しているのか、意識しなくてはならないことが多いと思います。その周囲をtoo muchに意識することで、自分への執着心が磨り減るのではないでしょうか。周りのことなど全然気にせず、まっすぐ前を向いていた中国人・インドネシアの友人のように、僕も図々しく、自分に執着して生きなきゃと思うのです。
選手は対外的に口にする目標と、
個人的・現実的な目標の二つを持っていて、
現実的な目標を達成したら満足してるのでは。
つまり、口で言う目標も現実的な目標も金だったのは
今のところ加藤だけだったと。
織田は また泣いたようですね。
いい加減にしなさい。
数十年前のオリンピックで千葉スズさんが「オリンピックのレースを楽しんできたい」と言ったころには日本の競技者というか、日本人がこうなっていましたね。
ゴジラ松井にもこのあたりの意見を聞いてみたいような気がします。
それより何より、競馬の予想のほうも早くお願いします。
執着心を持っていようが、満足感を得ようが、
それは結果を残した選手たちだけに感じたものなのであって、
私たちには感動する自由しかないのではないだろうか。
観ている方の悔しさを選手に押し付けても、
それはあまりにも勝手な言い分だろう。
悔しいということは選手が一番よく分かっているのに、
取材もせずましてや会場にも行ったことのない外野の連中から、
4年に1回プレッシャーをかけられて叩かれる方が、
選手は悔しく感じるような気がしてならない。
何人かの野球選手にそういう心意気を感じないでもないが、そうでもないと生き残れない世界なのだろう。女子フィギュアは、うまくすればそういう闘いになるかもしれません。
ともあれ、今回のエントリは根が深い。先生にはそうした観点からの日本経済、日本社会論も展開していただきたい。
オリンピックの出場あるいはメダルを目標にし、マスコミや国民に叩かれる中、日々精進しているアスリートに対して、温かく迎えてもよいのではないでしょうか。
織田くんの件は、トップアスリートの感覚があり、使い込みのプロセスがあり、私たちには想像できないような事情があると思います。
勝敗への執着心から国民性についてまで考察されていて今回もとても興味深く読ませていただきました。
今回のオリンピックはプロ意識というか何かが欠けてる、という印象は、ド素人の私でもちょっと感じました。結構みんな薄々思ってることかも。
でも、頑張ってる姿を見ているときに感じる気持ちよさは、そういった理屈や印象を超えて、良いものだと思わされました。
高橋選手は、男子シングルで日本人初めてのメダルだし、快挙だと私は思いました!
高橋
執着云々より、本人も周りも銅がが実力通りと思ってるのでしょう。期待値がその程度だから悔しさもその程度ということ。頑張りより期待値の方に悔しさは比例する。頑張りをいうならスケルトンの越智の方が上かもよ。でも悔しさはというと?
上村
古典的日本人。今までの日本のスポーツで幾度となくみてきた典型である。前年までが良く、本番はダメ。この反対は北島くらいだ。
織田
コメントに同感。頭も筋肉かと思ってしまう。スポーツ以前の問題。
日本はいつも通りなので何とも思わないが、今回は韓国の勝負強さに驚いてます。
日本人ってどいつもこいつもストイックさに欠ける
人間が増えてきている気がします。
それは仕事に於いてもそうだし、スポーツにおいて
もそうだし。。。居酒屋の中国人店員見ていても、
パッションとか姿勢は日本人のそれとは大違い。
それでいてストイックでない選手が、日本人のお決
まりの「グレーなコメント」を言いやがるから、さ
っぱりやる気があるのか、向上心があるのか理解出
来なくなります。精神的な問題なんでしょうね。
「ナンバーワンにならなくても良い。オンリーワンに」
ってメッセージが溢れてますからね、今の日本は。
ゆとり国家の現状ですかね
日本人の質的な劣化かなと思います。
島国ということもあって、猛烈に追いかけられている姿を見れないことも原因の一つでしょう。
一石二鳥なんて、まずありえないのに世間一般に流布している日本ですから(笑)←自嘲気味
自分の実力を正確に捉えていれば、問題無いと思います。
特に高橋選手の場合、ジュベールやランビエールが本調子であれば、
フィギュアファンの間でも、4位or5位というのが予想の趨勢でしたから、
3位獲得は快挙です。
1位を望むのは自由ですが、実力が伴わず、また正確な状況把握が出来ずに玉砕するのは、
大日本帝国からの遺伝でしょうか。