白川総裁は、今回の措置を、包括緩和と呼んだが、この包括的な影響は、あまりに危険だ。
それは、一線を越えてしまったことにある。
明示的な量的緩和に踏み切り、基金を創設した。今後中身をつめる時に、歯止めの機能を持たせようとするだろうが、FRBが今後も緩和を加速する見込みである以上、ドルで見た円高が続くと予想され、その場合には、政治サイドの日銀批判、日銀介入に表面的な正当性を与えることになるだろう。
となると、理屈や日銀の以降を越えて、メディア、世論は、さらなる緩和一色になり、資産買い入れに歯止めが利かなくなり、国債も大量に買うことになるだろう。なぜなら、不動産の買い入れでは、いかにも不動産保有者に有利であり、減税のための財源確保、保育所のための財源確保、子供手当てのための財源確保、それなら国債発行も正当化され、それが問題なら日銀に引き受けさせろ、マネーを刷れ、不動産も株も買い込んでいて、国債が悪いはずがない、国民の生活のため、社会のため、という論理で押し込まれるだろう。
これに対して、うまく政治的に立ち回ることができれば、出口もないわけではないが、これまでの日銀の欠点は政治的立ち回りにあるので、それが急に改善されるはずもなく、最悪のシナリオの可能性もある。
逆に言うと、今回の政策の包括的なプラスの効果は、日銀への圧力に対して、すべて先回りして屈することにより、屈する中では、極めて理論的には最終手段としては取る価値のある政策を採ることができた、ということだろう。
日銀の気持ちとしては、これで、玉は政府の側に移り、日銀はやれることはすべてやった、あとは政府が頑張ってくれ、という政治的な弱さを前提にした、弱者の戦略に出たということだろう。
しかし、日本の政治、メディア、そして金融業界はおろか極まりなく、際限なく、金融市場と経済を分かっている人なら理不尽と思うようなことを要求し続けてくるだろう。その誤りと罪に気づかないのだから、始末が悪く、理屈が割っている人と、理屈が判っていない人との勝負では常に後者が勝つという定理からすると、日銀はとことんまで、責め続けられるだろう。
かたぎとすじの闘いのようなものだ。
つまり、勝負は既についてしまった。これで。