学者の妻
久々の登場である。
彼女は、社交ダンスの発表会に出かけた。
昔は一緒に行き、娘の運動会さながらにヴィデオを撮ったものだが、いきさつがあって(過去のブログ参照)、今では、一緒には行かず、ここぞチャンスとばかり大音量でノーチラス805を聴いている。
妻が帰ってきたのが遅かったので、翌日、あまちゃんを見ながらの朝食で、報告を聞くことになった。
***
妻は、しみじみと。
「月日は流れるのね。」
「どうした?」
少し不安げに僕は問い返す。
「昨日ね、フリーで一緒に踊っていたプロのダンサーに 「モデルさんだったんですか」 と言われたの。」
ロマンスの予感に僕の期待は膨らむ。
「で?}
「5年前もね。同じようなことがあったの。」
「同じ人?」
胸は高鳴る。
「ううん。違うんだけど……。
そのときは、「モデルさんですか?」 と聞かれたの。」
「…」
少しの失望とともに、僕は彼女の頭を撫でた。
Posted by sobata2005 at 11:31│
Comments(6)│
clip!
小幡氏の文体は都会の匂いを漂わせながら、ありそうな非現実をちりばめた作風の昭和の作家、片岡義男の世界を感じます。
経済や政治の分野を人の心から読み解く小幡氏の手法は
極めて他者とは異なるとともにリフレ反対者というような
立ち位置で注目を浴びているようで実はあふれ出る人間の
魅力で人々の心をひきつけるのだと分析しています。
当然、リフレ派の立場を肯定する立場もとれるわけで万能です。自分の考えを主張するだけでなく、相手がどう攻めてくるか心底相手の立場で考察した結果で言動・行動されているので相手も小幡氏を嫌わないでしょう。
片岡氏の小説にはそのバックに他者にまねできない旋律があり、同様に小幡氏にもそのようなオリジナリティーを感じます。
その根源は感性と他者への鋭い観察と感じてます。
教育界への提言をどんどんお願いします。
そこは同一人物じゃないと
大変なことを言われてしまいました。
ほめごろしならぬ、ほめ言葉ガバナンスですね。
精進しないといけません。頑張ります。
けーしーさん、とてもいいコメントですね。
小幡先生は素晴らしいですね・・・昨今、私が経済関係で常にウォッチしている数少ない一人で、信頼しています。
興味深い記事だ
過去形と比較系は女性の前では注意深く使わないといけない.
女の人に会ったら美人と言っておけば.
人に会ったら,ありがとうと言っておけば.
間違いない.
石田純一ではないが,「痩せた?」で女性の心をつかんで始まる会話.
私としては,もしも事実なら,こんなところで公表してもいいのだろうかと心配になるのですが.