旧遠藤邸








2006年の幕開け
相変わらず戸惑うばかりのスケジュール
これにかまけてしまうと小樽の街が壊れていく

昨年は運河保存運動終焉以降20年のツケがまわり、
運河プラザ裏の2棟の分譲マンションが景観条例強化前の駆け込み建設や
いかんともしがたいセンスのない運河界隈の集客施設による土足の占拠や
そして小樽を一望する水天宮に分譲マンションをというたくらみ
など、一体小樽の街をどこまで壊せばいいのかという、臍を噛む想いの一年だった。

昨年暮れ、とある会。
スピーチを頼まれ、その会が運河保存運動以来続いていることをスピーチのマクラに語ったら、話し終わって席に着くと「今更、運河保存やポートフェスティバルの話の時代じゃないのでは」と同じスクラムを組んだ友人からコメントを頂き、20年たつとこうも人間丸くなるかとため息。
運河保存運動が意味した質と記憶が風化。
更に、人間が風化してきている。

私も57。
角が取れ、流れに竿をさすばかりじゃない、と少しは分別のある年齢になった、と本人としては自覚しないではない。
が、妙に角の取れた、丸まった人間になるなどまっぴらゴメン。
勿論、ただ反対の立場表明だけの化石のようなスタンスなど取るつもりは毛頭ないが、「怒り」を忘れるような無様な生き方だけはしたくない。

昨年は旧遠藤邸が所有者の意向でかろうじて現況のまま保存されることが決まり、唯一の光明だった。
その再生プランを請け負ったart craft planning design office 小村 進氏友人のブログで小樽の街の変わりようを鋭く指摘していただいている。

全く同じ想いの嬉しさと地元・小樽人としての悔しさと両の想い。
今年こそ、小樽人はこうやっている、やっていこうとしている、と胸を張れる年にしたいものだ。

画像はs.fujino氏のブログ「あの夏の、絵日記の続きを書こう…」から、転載させていただいた。