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 2008年(平成20年)10月2日、小樽市は観光都市宣言を市議会で採決し宣言しました。
 ご存じない?
 それは、小樽市HPにアップされている。
 が、確かに残念ながら市民認知を頂いてない。
 というか、市民にそれが届けられていないのだから、認知を望むのは無理(^^)
 それをナントか市民にとどけられないか、と今検討されているのです。
 
 実はこの宣言は、市長から委嘱された民間人11人が小樽市観光プロジェクト推進会議として自らの商売や活動のなか月二回ペースで論議し、15バージョンくらいも作られて、最終的に市議会に上程・採決された、小樽観光都市宣言でした。
 他都市にみられる観光都市宣言は、まちの特有の個性を喧伝し、それをもって観光施策を推進しようとします。

 ランダムに抽出すると、
  ●恵まれた”みどりと水”。ロマンからアクションへ
  ●夢つむぐ里。光の中でロマンを見る。
  ●豊かさとやすらぎ 共に創りあげる ときめきの
  ●心に響く21世紀。夢を力に、輝く未来へ
  ●大自然のシンフォニー、文化交流のまち
  ●世界にはばたく交流ネットワーク都市
  ●あたたかな心のぬくもりが伝わる
  ●歴史とロマン、ノスタルジック

 とにかく自然環境の良さを誇り、人間関係の濃厚さを誇り、概念的には「ふれあい」「ぬくもり」「やさしさ」「ロマン」「癒し」など、要は非日常のへの観光を誘おうとしているわけです。
 しかし、市町村名がなければどの町なのか。
 市町村名を削除し、別に市町村名だけをランダムに並べ、該当するフレーズはどの市町村かとクイズにしたら(^^)、百%正解はまずないだろう。
 そう、「癒し」「憩い」などがちりばめられたキャッチコピー的宣言など今さらながら必要ないと、小樽市観光プロジェクト推進会議の委員は考えたのです。
 そのような諸都市の観光宣言の流れに抗し、
   「今さらながら、小樽は観光都市宣言」
をするなら、小樽観光が問われている課題こそを盛り込む市民への宣言としよう、となったのです。

 たとえ、それが他都市の観光都市宣言と全く違うものになってもいい、
 観光のお客様を誘う前に、まずお客様を受け入れる小樽のまちと市民がどういう観光都市を目指すのかこそを宣言すべき・・・、
という各委員の意志と、それが挫けそうになる役所言葉との戦い(民間委員が起草するが小樽市が宣言するため)の末の宣言でした。

 なにせ、市長が宣言すれば手続き的に済むものを、敢えて市議会承認を経ての決定を選んだ。

 小樽市議諸氏も先頭で観光都市宣言を実践していただきたい、という意を込めたのです。

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 さて ↑ は、上記の観光都市宣言をした小樽の市民が、これからの観光都市づくりにむけ、とるべき行動指針案のひとつです。
 これを今、観光都市宣言を起草した小樽観光プロジェクト推進会議の第2期の委員が検討を開始しようとしています。
 

  ●恵まれた”みどりと水”。ロマンからアクションへ(愛知県足助町)
  ●夢つむぐ里。光の中でロマンを見る。(愛知県内子町)
  ●豊かさとやすらぎ 共に創りあげる ときめきの(山形県米沢市)
  ●心に響く21世紀。夢を力に、輝く未来へ(長野県小布施町)
  ●大自然のシンフォニー、文化交流のまち(富山県黒部市)
  ●世界にはばたく交流ネットワーク都市(京都府舞鶴市)
  ●あたたかな心のぬくもりが伝わる(北海道士別市)
  ●歴史とロマン、ノスタルジック(北海道小樽市)

 前述した色々な街の観光都市宣言やキャッチフレーズはどこの街かを、↑ 書いてみます。

 「まちの個性」とは何なのかをいぶかってしまう。
 30数年前、帰省した小樽にはかろうじて生き延びてきた小樽運河保存運動があった。
 1975年第一次石油ショック→急成長から安定成長期→進歩への懐疑→成長への反動からレトロ風潮→破壊しまくった成長への反省・反動→「まちづくり」の盛り上がりという社会の流れは、私にはあまりにも当然の歴史的流れだった。
 そして、オリジナリティなしの文化の発信がない、ただ歴史と社会の変質の流れに身を任せてのまちづくりなどまっぴらだ、と思いながら参加してきて今があります。

 どこの「まちづくり」であっても、歴史を作ろうととし、そこに意識を持とうとしなければ、つまり歴史の流れにただ従うだけではなくオリジナリティを主張することなしには、文化的にはもちろん、商業的にすら永続しない。
 「まちづくり」も歴史から自由でない。
 もっと悲惨のなことに「観光」にいたっては、「流行」からも自由ではない。
 そして流行にとりつかれた「まちづくり」は、典型的なのはNHK大河ドラマで一時勢いづく『まち』の大概がそうであるように、ドラマ終了とともにその『まち』の付和雷同型まちおこしは終焉し、歴史の中に消えていくしかない。

 小樽人とって、小樽は運河や堺町だけの『まち』ではない。
 旧国鉄手宮線や『まち』に点在する歴史的建造物や近代化産業遺産など、運河と同等かそれ以上の資源がある。
 そして、路地裏とそこにあるいぶし銀の小店を営々と営む「人々」こそが小樽の至福だ。

 そのような視点で、自分の『まち』の個性や特異性を見続けながら、それへの認知を一層たかめようとする。
 さらに小樽のまちの「個性の複数性」こそを追求していこうとする。
 これからの「観光まちづくり」主体はそれを背負う。

 小樽・ニセコなど20市町村の広域観光を10年やってきているが、どの『まち』を訪れても素晴らしい個性がよそ者の目には際だって見えてくる。 
 あまりにも個性豊かでありすぎて、的を絞りきれない、いわゆる贅沢な『まち』もある。
 そんな『まち』で懸命に観光まちづくりを頑張り、自らの『まち』の個性の再発見作業を懸命にし、そこで疲れて立ち止まる『まち』がなんと多いことか。

 いずれにしても、『まち』の個性の複数性を確認しながら、一つに収斂させる危険性に戸惑いながらもその作業をしていかなければならないところに、日本の猫の目農政や都市政策不在、効率性、費用対効果などで切り捨てられてきた地域の「まちづくり」の呻きと苦闘がある。