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噴火湾パノラマパーク・ハーベスター八雲のベランダから

 潮祭り直前、25〜26日、黒松内町には後志南部四町村・桧山渡島北部四町村の「広域観光連携協議会」会議に行き、八雲町には八雲観光物産協会の運営と組織のあり方で、一泊二日の強行を敢行。

 車を運転しない蕎麦屋親爺は、JR室蘭本線周りで行くよりない。
 25日朝たっぷり余裕を見て小樽をJRで出たが、琴似駅での接触事故で現場検証中。 ナント、一つ手前の手稲駅で函館本線全列車ストップ。
 札幌発のJRスーパー北斗に間に合わない、てぇ事態に。
 手稲駅を飛び出しタクシーで「札幌駅まで大至急!」と飛び乗ったが、こういうときに限ってのんびりした運転手さん。
 こりゃだめだ、と札幌駅を飛ばし、もうひとつ先の新札幌駅に高速で間に合うかと判断し、「高速でJR新札幌駅まで飛ばして!」
 でも、インター出口の厚別からの一般道で赤信号につかまりまくり、発車2分前に到着。
 エスカレーターも駆け足で昇り、2階のJR改札口にビジネスバッグと観光協会リーフレットの入ったトートバッグを両腕に抱えて本人は突進しているつもりだが、乗降客は何をよたよた歩いているとしか見えてないことも自覚しながら、見苦しく。
 駅員さんは別に聞いてもいないのに、私の血相かえた表情に恐怖にかられたか、
 「あ、あの、札幌を8分遅れでスーパー北斗出ましたから、大丈夫、充分間に合います!」
 改札でしゃがみ込んで、全身汗びっしょり。
 ということで、何とかスーパー北斗に乗れました。
 が、問題はまだあるのです。
 数年前、夕方前から蕎麦関係組合幹部と会議が早く終わったと札幌で吞み、したたかに酩酊しながら珍しく18:00にJR札幌から小樽に向かい、完全に寝込み、「次は高砂」というアナウンスで目覚め、車窓は灯り一つない真っ暗闇、箱に私一人、時計は23:00過ぎ、5時間も電車に乗っていたのか、と。
 酔った頭で懸命に考える。 
 函館本線に「高砂」なんて駅はない。
 この目出度い名前からすると、いよいよ天国行きの銀河鉄道か、なんて考えたら、ちゃんとした駅の高砂駅に着き、大丈夫生きてた、と。(^^)
 電車はすぐ出発、次の駅の江別に着きあわてて下車、駅員さん、
 「お客さんよかったねぇ、これからこの列車稚内行きになる、目覚めたら稚内てぇことだったよ。戻る列車も最終があります。」
と、慌ててこれまた最終列車に飛び乗ると、なんと琴似駅停まり、万事休す。

 結局、琴似からタクシーで帰樽という、小樽・札幌間JR車中滞車時間5時間半という勲章の持ち主の蕎麦屋親爺なのです。
 そんな事態を琴似駅で出合い見てしまった方が、今回私を黒松内・八雲に招いた張本人。
 口の端をつり上げたかのように、しつこく何度も「乗り越さないように」と電話してきて。
 だから、函館まで行ってしまったら・・・笑えない。
 iphoneアラーム最大ボリュームにしてイアフォンして完全武装。 
 案の定、疲れで速攻で寝てしまって。
 しかし、無事(^^)、伊達で鳴ったアラームのお陰で長万部で下車、北海道宝島旅行者の鈴木宏一郎社長と合流。
 駅前のマンベ君を初めてナマで見て、黒松内・歌才自然の村の会議に。
 10年前、ここでしりべしiネットのiセンター研修会をやった懐かしい会場。
 こんなことあったからどうも話をしてもノリが悪く、呼んでくれた事務局に申し訳なし。
 南後志四町村桧山北部・渡島北部四町村3振興局という構成は、一時代前なら1振興局でも大変で、皆何言っているだと笑い逃げる、観光庁が言う本来の観光圏構想で、「大がかりな造り」だと思う。
 これには、飽くなく人と人が繋がることを追求しそれを楽しめる何人かのキーパーソンをこのエリアの民間人から作り出していく(異動のある役人はだめ)、そして八町村3振興局の関係調整機関としての事務局こそを黒子になる役人がする、つまり役人も結局人柄であり、民も官もそういう人材をこのエリアが生み出していくことに挑戦する。
 そこで、しりべしiネット10年、しりべしツーリズムサポート5年の苦杯を嘗めた経験談を披露したい。
 ・・・・中略。 
 新幹線延伸での八雲・長万部駅開業でこのエリアへの来客動機が拡大するという展望も大事だが、逆にこれまでこのエリアを来訪してくれた道内観光客が本州に流出するということへの危機感をも共有し、今から魅力あるエリアづくりをどう構築するか、それを身の丈でやることで持続性のある事業にしていく。
 しつこいようだが、そのためには官民関係なく「人と人の繋がり」をつくる。
 まずこの広大な道南北部・後志南部の8町村の「民民・官官」のコミュニケーションづくりの上に初めて「官民協働」が成立する。

と。 北海道宝島旅行者の鈴木宏一郎社長のフォローでなんとかクリアした。
 ぜひとも挑戦して欲しいものだ。

 歌才自然の村から「道の駅・トワヴェール2」に立ち寄る。
 今年から新発売の「ブルーチーズ」残2個しかないのを、「しりべしiネット」で知り合ったF君がキープしてくれていて(^^)入手。 それを横で欲しそうな目をする鈴木社長にエバって一個分けて、珍道中をしながら夕方の八雲町へ。
 途中、黒松内の5号線沿いのソバ畑、車を止めてもらい写真に。

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 素晴らしい光景、早蒔と遅蒔のソバ畑で色が違う。 
 こりゃ、黒松内に板長と二人でまた来なくちゃならんと、蕎麦屋モードに戻る。

 18:00、八雲町に到着し、八雲町観光物産協会さんの幹部と交流。
 こういう席は得意(^^)。
 酪農での牛乳集配会社から今では牧畜も手がける女性会長の肝の据わった語りに思いが伝わる。
 これに協会としてどう支え抜くチーム体制を作るのかが「鍵」、とお話を伺って勝手に拝察。

  「色々紹介される全国の成功例は概して開業年だけのもの。 
   で、2年後に行けば実は失敗例であることが大半。
   今春も成功事例の西日本の街に小樽から何人かで視察、イベント
   期間中なのに人影も見あたらないという始末。
   逆に少ない本物の成功例はその町の特有性があってこその成功で
   模倣は難しい。
   更に成功例の根っこにある思想の吸収・地言葉への翻訳に失敗す
   ると、その事業の寿命は短命、半年も続かないものになる。
   成功し花が咲くのに、成功した町は30年はかかっている。
   そういうスパンで考える。
   そのためなら小樽観光協会の失敗談や苦杯をなめた経験を披露し
   たい。」

と挨拶。

 いい壮年層がいて、会話は小気味いい。
 あまり話すと翌日話すネタがなくなる(^^)と、早めに2次会(^^)を終わらせ宿に。

 ・・・夜中、轟音に飛び起きる。
  「こ、今度は、なんだ!」
と布団の上で身構える。
 JR貨物の長い長い列車が結構な頻度で通過する、轟音の正体だった。
 これが北海道の大動脈なのだ。
 しかし、洞爺から八雲までのJR線路は噴火湾沿いの実に海面ぎりぎりを走る、津波と北海道大動脈が心配になる。

 翌日九時から役場の係長さんの運転で、八雲町市内を見て回って。
 といっても、八雲町は広い。
 住所は北海道二海郡というように、日本海と噴火湾・太平洋に面している。
 そんな町を一日で見て回るなど無理。
 限られたところしか見て回れないのが残念無念。


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 鈴木社長は早朝ランニングで町をすでに見回っておられて、若さを鼻にかけ(^^)得意そうにし、八雲の町の見てきたことをさりげなく教えてくれて(^^)。 
 「ランニング?、散歩なら付き合ったのに」と、自分は63歳と言い聞かして悔しさを紛らわす。
 まず、八雲町郷土資料館、ここで八雲の歴史をたたき込まれる粋な計らい。 柴田学芸員係長さんの木訥とした中に誇りと自慢の入り交じる町を愛する語りが、耳に心地よい。
 尾張徳川家が明治初期入植、その果たした役割の大きさに圧倒される。
 農閑期の農家の副業にスイスから土産に持ち寄った「ヒグマ」彫刻を奨励し、それが全道に広まった話、当時としては信じられない4間住居を移植者に提供し、函館トラピスト修道院土産のバター飴は実は八雲町から始まったものであり、豊穣な大地は縄文の世界から続いていて、擦紋土器の本物をナマで見させていただいて大感激。
 故・小樽運河を守る会会長・峯山冨美氏のご主人故・峯山巌氏が、
 「擦紋土器を発掘した際に、底にソバの実があったことくらい蕎麦屋として知っておけ。 
  縄文は単純に狩猟文化といわれるがソバ栽培していたという豊かさを知れ」
と薫陶頂いたことを思い出す。 
 東北・白河が最北の関所などちゃんちゃらおかしい、日本最北の松前藩の関所・山越を見せてもらい、3.11津波で大被害を受けた帆立栽培漁業の拠点・八雲漁港を見る。

 祝津漁協の帆立新造船の倍のサイズの船が並んでいるのに度肝を抜かれる。

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 成貝を扱う八雲港の漁船と稚貝を扱う祝津港の漁船の違いは、船のサイズも倍になるのを知る。
 港湾設備も素晴らしい。
 が、3.11津波で大被害にあったホタテ漁の使い物にならない網などがいまだ処理されず、積まれていた。 そこからの復興に挑戦しているが、漁業の被害は街の商業にも大きく影響していると。
 唸る。
 車は、噴火湾パノラマパークへ向かい、「ハーベスター八雲」での会議に。
 会議前にベランダから見た景色がこれです。

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 噴火湾全体を覆い尽くす雲海を背に、八雲町の主産業の酪農・牧畜の典型の風景。
 牧草の緑が、身体に溜まった澱を吐き出してくれる。
 圧倒される大パノラマ。
 これが年間50万人弱の人にしか楽しまれていない、という。

 11:00、会議がはじまる。
 景色をもっと楽しみたい、ここでの夕日、落日はと後ろ髪ひかれながら席に。
 
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 皆、真剣。
 今日も老荘青の幹部の皆さん。
 昨晩、2回交流会(^^)やったので、いきなり小樽観光協会の過去・現在・未来を、現場の泥臭い失敗例や苦杯を嘗めた経験を語る。
 1時間報告し、ランチミーティングに。

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 ”ハーベスター八雲”はケンタッキーを誘致して、その開業が始まる。
 今は、この地の魅力にケンタッキー社長個人が施設を購入し、ジェーシー・コムサの経営。
 ハーブ鶏は普通は出荷直前にハーブを与えるが、ここのハーブ鶏は生まれたときから食べさせる、と中野スーパーバイザー氏が自慢気に。 
 豊富な地元生野菜のサラダ、色々な野菜の名前が出てくるが覚えられない(^^)蕎麦屋親爺。
 ピザが秀逸、珈琲をセルフで取りに行き店内を見回す。 
 夏休みで全席満員、これをどう通年化するか。

 席に戻る。
 シビアな会話が続く。

 スマートインターの話が出る。
 本来双方向性のインターチェンジが1方向のインター口である悩みが口々に。
 日本の道路行政の中途半端さ。 
 高速道路は社会資本なのに、片方向インター(スマートインターという呆れたネーミング)で、双方向インターにしたけりゃインターのある自治体が費用負担せよ、という。
 片肺インターは、そもそもインターチェンジじゃないだろうが、と。

 通過されるだけです、という八雲の方々に小樽観光も通過型で、ひどいツアーは1時間半の滞在時間しかないある意味「ゴミ捨てとトイレタイムの観光都市」というと、平野会長から八雲は「15分だ」と悔しげに。 
 気さくで、素敵で、可愛い女性会長で、・・・惚れた。

 観光組織のあり方がテーマになっていく。
 「やる気のある若者がいない
という、定番の嘆きが口々に。

 こういう話題は、根性入れて踏ん張って語るよりなくなる。
 「平成12年に観光協会理事になり、12年後の今、小樽観光協会が大転換できたのは、壮年・青年層会員が理事や委員になって、組織づくりに挑戦してくれたから、初めて可能となった。
  私自身が彼等のエネルギーを浴び、うかうか出来ないで、突き動かされている。
  40代の世代に責任と決定権を預けたからこそ、彼等も30代の若者に声掛けが出来、今四委員会四会議、総員六〇名近い委員が蠢いてくれている。
  権限も与えずでは人は動かないし、そもそも『やれ』という上から目線で、求める人材や壮年・青年など獲得できない。
  『町に有能な若者がいない』とよくどの町でもいわれる。
  違う、『・・・だけれど実践してくれる人材がいない』のではなく、『そういう発想だから見つけられない』し、『そもそも見えない』だけ。
  『・・だ、けれど』上手く行かないはやめて、『・・だから』こうしよう、から始める。
  壮年・青年世代の理事・委員にそう突き上げられている。
  私がかろうじて出来ることは「わかった、やってくれ、ケツは俺が拭く」という姿勢の必死の堅持しかない。(^^)
 
  その壮・青世代のエネルギーとダイナミズムが、小樽観光協会の転換を完遂させようとし、全体の体質を変換してくれている。
  既存の組織の大転換のために使われる労力は大変なもの。
  執行部がそれで頭を切り換えることが、要求される。
  その壮・青世代に承認される執行部への挑戦が始まっている。
  会長です、副会長ですとのんびり椅子に座っていたら、飲み屋で痛い目に出くわし包囲される。(^^)
  会員拡大などはその好例。 会長・副会長自らが町に打って出て会員勧誘に汗を流す、と、町が小樽観光協会に注目し始める、『変わろうとしている』と認知し始める。
  そうなると、正副会長も反応があるのでエンジンが回っていく。
  「会員拡大は大事だけれど、公職が多くて」じゃなく、「公職が多いのだから、互いに日程調整して正副会長二人で一軒一軒回るべぇ」となってきている。 
  だから、申し訳ないけれどアテ職理事ではだめで、現場でその壮・青世代と一緒に汗をかかないと信頼を得られない、魚は目玉から腐る、組織もトップから意識が変わらないと『だから』身も腐る。

  どの町にもそういう壮・青世代はいないのではない、必ずいる。
  ただ、本当に求めないと「見えてこない」、人間って求めないから「見えない」ものなのです。 
  八雲観光物産協会は「本当に」壮年・青年世代を求めていますか?
  執行部は会長を支え抜く、会長と執行部は一体となって責任は取ると理事に決定権を委ね、理事はそれでもって街に打って出る、それを見せつければ壮年・青年世代は観光物産協会は面白そうと自ずから登場してくる、観光物産協会はそんな若者を見つけることが出来るんです。」

 ・・・言ってしまった。
 ・・・整理した話を蕎麦屋親爺は出来ない(^^)。
 二日間、バラバラに言ってきたが、言いたかったことは以上。

 延々と会議は話題が出まくり、止まるところを知らない。
 鈴木社長は必死で発言のエキスをメモしまくっている。
 が、電車の時間が迫ってくる。
 会議は和気藹々のうちに終了。
 と、ハーベスター八雲・中野氏が
「着地型観光を小樽も挑戦している? 私どもも苦労しているのです」
と寄って来て質問される。
 クールで論理的な印象そのものの人物で、根性入れて応えなきゃならん。
 「大手エージェンシーが発地型で、着地型観光を取り組まないのは何故か、と考える必要がある。
  そもそも着地型観光というのはそのツアーメニュウ自身で儲けを出す構造にはない。 
  着地型観光が言われて数年、持てはやされはするもののそれ自体で儲けたという話を私は聞かない。 
  大手エージェンシーの取り組みが少ないのも、それ自体ではなかなか利益を生み出さないのを物語っている(^^) 
  ということは、着地型観光を推進して、町やエリア全体のお客様の来訪頻度を高め、町やエリアの観光ポイントを巡り歩いて頂き、お買い物や飲食をされ、『結果としてエリア全体で儲ける』と思うべき。
  着地型観光をツアーメニュウの1商品としてみてしまう危険性が、そこにある。
  金太郎飴みたいな何処にでもある観光ではなく、『観光まちづくり』思考で考 えないとおかしくなる。 広域観光も同じ。 個々の施設の利益がどうこうではなく全体で利益を追求するという志向性がないと成立しない。利益追求は当然だ が、しかし利益至上主義のハウツー思考で模倣しようとするから儲からないとなって敗北し、累々と失敗事例の山が出来る。 
  小樽観光協会もそれに挑戦するが、それを頭に入れながら、私益ではなく「共益」を追求しないとならない。」


と意見をいい(^
^)、鈴木宝島旅行者社長も名フォロー。
 皆さん、真剣。


 帰り際、又ベランダに出る。
 電車の時間が迫り、事務方はイライラ(^^)
 だけど、この景色を目に焼き付けたい。
 
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 噴火湾全体を覆っていた雲海が引いていき、海が見え始めている。
 雲海の消える様を見たかった。

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 対岸の雲間に羊蹄山が顔をだして!
 その羊蹄山の裏にわが街・小樽があるのだ。
 やっと、自分の頭の中にある地図と噴火湾全体の地理が一致し始める。

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 この景色の右端が室蘭。
 噴火湾のなんという壮大さ。
 そして、雲海が消えた噴火湾の海にホタテ漁の船影が見え隠れする。
 八雲町のホタテ漁業、酪農牧畜という2大産業がこの風景に溶け込んでいる。
 唸って魅入る。

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 やっと八雲町の市街地と八雲港が見えて。
 ここから長万部に繋がっていくわけだ。

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 噴火湾パノラマパークから5号線にでるアプローチ道路。
 白樺の並木が美しい。
 車でなく歩きたいと言ったら怒られそう。
 評判のソフトクリームを買う時間もなく、一路八雲駅にばく進。
 ソフトクリーム購入が出来なく機嫌悪くなった蕎麦屋親爺に、ドライバー役をしてくれた八雲町役場商工観光係長から、3.11以降の街の状況が報告され、ソフトクリームどころでなくなって(^^)。
 こんな木訥ながらガッツのある係長が八雲町役場にいる。
 そこに着実穏和な課長といいコンビ。
 そこに百戦錬磨のたくらみ担当参事、いい組み合わせ。(^^)

 八雲町も猛暑。
 駅のかんかん照りのホームで列車を待って。
 汗でぐたぐたで乗車。
 2つ前の席でPCに向かっていた鈴木社長の頭も、揺れはじめ次第に斜めになっていくのがわかる(^^)
 一応Macを出すが、私も数秒で爆睡。

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 乗降者の動きで目を醒まし車窓を見る。
 登別駅だった。 
 樽前山の独特の姿と牧草刈りのおわった牧草地の、北海道ならではの風景が車窓を流れる。

 そして・・

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 小樽に帰ってきた。
 夕日が小樽の市街地を照らし染めている。
 身体がその何度もみてきた景色に安心したか、疲れがどっと出て座席に埋もれてしまいたい、眠たい。

 なんとか、黒松内・八雲行脚は無事終了。
 八雲町さん始め皆さんの問題意識にかみ合う話を出来たかどうか。
 でも私自身が大変勉強になった。感謝。