小樽・籔半・蕎麦屋親爺の独り言

たかが蕎麦屋されど蕎麦屋の蕎麦屋親爺が綴る、血も涙もある無責任と、花も実もある自己顕示ブログ

蕎麦屋親爺がいく

【蕎麦屋親爺が行く】私どもの組合のブログがスタートしました。

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バナーも用意いたしました。↓

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 私ども道内の蕎麦屋・中華・飲食・スナック等の店主たちが加盟します、
 北海道麺類飲食業生活衛生同業組合
のブログがスタートしました。
 組合員向けの情報だけでなく、ソバ好き、蕎麦ファンに向けにもこれからどんどん情報発信をしていきます。
 よろしかったらアクセスしていただけると幸いです。
 

【蕎麦屋親爺の独り言】倶知安行・・・

羊蹄山

 知安の小川原脩記念美術館の運営をサポートされる「友の会」総会にお呼ばれして行ってきました。 
 なんと、蕎麦屋親爺から観た従兄弟叔父・画家・小川原脩を語るつもりで行ったら、
 「観光と美術館」
というテーマも与えられてしまっていて(^_^;)
 ま、そんな難しい話は、程ほどに(^^)。
 曇天、でも小川原脩美術館に行くと雲間から羊蹄山が顔を出してくれて。(^^) 
  「おい、暫くこなかったな!
と、羊蹄山が言ってきて、謝って。(^^)

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 今春、ボランティアの皆さんも加わって綺麗にして頂いた美術館のファサード!
 皆さんで、小川原脩記念美術館を大事にしていただいているのがたまらなく嬉しい。

garden

 1999年に開館し来年開館15周年を迎える、小川原脩記念美術館のガーデン。 
 いい感じに自然の汚れと古さが染みいって。
 木々にも存在感が! 

 あぁ・・・、時間を忘れ寝転んで、本でも読んで夕暮れを迎えたいです。

ポスター脩

 丁度、今小川原脩記念美術館で開催されている
  小川原脩・自伝風な展覧会・感動の場ー点
のポスター。 
 このポスターの原画「羊蹄山」の絵「孤峰」も展示されてます。 
 私のカメラで撮ったので、ポスターの色合いは原画と全然違います。 
 初めて見た絵です。
 何度羊蹄山を描いたか分からないほどの小川原脩、そのシュールな羊蹄山です・・・。

 私にすると、衒いと恥じらいの塊みたいな画家・小川原脩。 
 蕎麦屋親爺から観た画家・小川原脩を語って。
 さて、ご注文の「観光と美術館」については、さらりと躱した。(^_^;)

咸臨丸

 「観光と美術館」というテーマだなんて・・・、脂っこい話です(^_^;) 
 で、
  「では『観光って何だろう」
という話をさせていただいた。 
 そこで、黒板に久方ぶりの感触のチョークで観光の語源を書いた(^_^;) 
 が、もう我ながらあっぱれというほどの字、Windows PCのディスプレィフォントのようにミミズののたくった字で(^^)、恥ずかしい。 
 で、私のとりとめもない話を聴いて頂いた小川原脩記念美術館友の会の皆さんに、この場を借りて再録。 

 「観光」という言葉の初出は、幕末14代将軍家茂の時代に江戸幕府がオランダから洋式軍艦2隻を入手しようとし、一隻は購入、一隻はオランダ国王から寄贈された。
 長崎奉行の永井玄蕃が、その2隻を易経という古典から引用し、
 「観光丸」と「咸臨丸」
と命名した。
 咸臨丸は、勝海舟らが初めて渡米のため太平洋往復横断したことで有名なのは、言うまでもない。
 だが、
 「観光」と「咸臨」は、「1セット」だった。
・・・ことはあまり知られていない。
 その「観光」の語源は、
 観國之光 利用賓干王國の光を観るは、もって王に賓たるに用うるに利ろし
 そう、観光の「観」の意味は、seeじゃなくshowだった。        
 他国から訪れた王様を賓客としてもてなすには、我が国に在る光景をお観せするのが最良のもてなしになる。 今風に言うと我が町、わが地域に旅人として訪れてくれる人々をもてなす最良の方法は、我が町の良さを存分に味わってもらうこと、もてなすにはわがまちの「光」(産業・風景・文化・人情など)をお観せするのが最良のもてなしだ。 
 要は、観光は訪れて頂く人に誇れる「まちづくり」こそが目的と言う。 
 そして「咸臨」は、
 「咸臨貞吉 行志正也感じて臨めば貞にして吉なり、とは志正を行えばなり」  
 人を感動させながら事に臨むならば、その事業は必ず貞で吉となる、正しい志をもって事に当たる、さすればその姿は他者を感動させる。
 こちらは、要は「まちづくり」の進め方、姿勢を言う。
 つまり、「観光」はそもそも観光事業者専用の言葉ではなく
 「まちづくりをおし進める人々の言葉
なのだ、と。
 そして、美術館、博物館はその町の「光」、つまりその町の「品格・品性」

 その上で初めて、いわゆる観光とリンクする「文化」施設としての位置づけや運営を考える。
 倶知安・小川原脩記念美術館というより、わが町の文化施設のありようを語ってきた。(^^)

 懇親会では小川原脩記念美術館「友の会」の皆さんとご歓談を頂いて、トドメに友の会のお嬢様達お奨めのチョコレートパフェのお店に。
 これにやられてホテルでダウン!

 翌日、小川原脩美術館を訪ねて。
 幸い、矢吹前館長がおられて、脩叔父貴との濃厚な付き合いの秘話を逆に聴かせていただいて。

 
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 私が今まで見たことのない絵が展示されていいて。

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 同時開催されている、リトグラフの府川誠版画展・「いつか見た風景」。 
 カンバスを水平線で完全に切断しながらも、叙情詩的で、郷愁を誘う柔らかい色調は、凝り固まった肩の乳酸を溶かしてくれます。
 その府川さんが、倶知安の画家・徳丸滋さんのアトリエに連れて行ってくれると。
 伊藤前倶知安町長夫人が「一人で行っても見つけられないわ」と言われ、府川さんに甘えて車で画家・徳丸滋さんのアトリエ・ギャラリーST-Galleryにお邪魔して。

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 リーフレットを頂いてきました。
 私は、

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 氏のこの作品、赤の羊蹄山の絵が好きなんです。
 私の安価なカメラで、色合いは全く表現出来てないのはあしからず。

 額もなく、値段もなかったので、売る気はなく徳丸さんご自身のお気に入りなのでしょう。(^_^)
 
 私の尊敬する従兄弟叔父貴であり、画家の小川原脩
 その作品を大事にして頂く小川原脩記念美術館の皆さん
 そして、その美術館運営をサポートして頂く友の会の皆さんに、少しは恩返しをの積もりだったが、なったかどうか・・アブナイ(^_^;) 
 友の会の総会後は、これまで名士の講演が続いてきたのに、私でその品を汚したことは・・・間違いない。m(__)m
 

【蕎麦屋親爺がいく】お正月飾り2

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クリックするとフルスクリーンになります。

 もう、毎日のように降ってくれてます。
 昨日の土曜日はやっと晴れてくれて少しは街に人が行き交いました。
 ああ、春が待ち遠しい。

 かろうじて、蕎麦屋親爺の店の石蔵の前に咲く山形県・白鷹町の友人から送られてきた「敬翁桜」の花がほころび始め、柳の枝に咲く「餅花」と競ってます。
 餅花と敬翁桜に囲まれた石蔵の蔵戸前の席で、蕎麦屋酒を楽しまれるお客様に喜んでいただいております。

 山形県の観光まちづくり塾にお呼ばれして、観光現場の方々と交流が始まって、その縁で毎年この「敬翁桜」を送っていただきます。
 この山形・置賜の白鷹町は一〇〇〇年以上の樹齢を誇る「千年桜」が今も大事にされていて、その2世木のエドヒガンザクラが小樽に寄贈され、運河プラザと小樽市役所前ですくすく育ってます。

 東北と北海道が地域現場で結び合う、そんな時代に着実に入っています。
 新幹線延伸でうかれてばかりではやっていけないのは皆さんもう既にお考えです。
 何より大事なのは「人のネットワーク」だと思いたがっています。


【気分】正月2日、朝里川温泉スキー場で初日の出

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朝里川温泉スキー場頂上パープルコースの頭上に
元旦は寝正月の蕎麦屋親爺の初日の出。

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神々しい樹間の太陽

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普段の心がけの成果、晴れた石狩湾!

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暑寒別の山々まで見えました。

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この木々を見るのが初滑りスキーの楽しみ。

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朝里川温泉スキー場レッドコール頂上の樹木の前で女将と三女。

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朝里川温泉スキー場パープルコース最頂部で。
上から次女、長女(若女将)、三女、そして女将。

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 私が映ってるまともな写真を誰も撮ってくれなかった
 唯一これだけ・・・・(^^)

【蕎麦屋親爺の独り言】正月2日。

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一年十万食を茹がいてくれたそば釜土に供えられた鏡餅

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一年300日、そば粉と蕎麦打ち職人が語りあった・・・・
そば練り鉢に供えられた鏡餅

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活躍した生舟(折り箱)も暫しの休み

 正月2日。
 居間のソファでは、元旦に集まった家族親類で酒で沈没し唯一置いてけぼりをくった甥子が寝ている。

 元旦、あっちのTVもこっちのTVもお笑い番組ばかり。
 正月休みの残り少ない日を笑って過ごすのも悪いことじゃないが、いいかげんどうにも虚しくなって来て、居間の席をそっと離れ、年越し蕎麦で活躍してくれた
板場と蕎麦打ち室に身を置く。

 大晦日は、昨年に倍する「うどんすき」お持ち帰りセットをお客様にご予約頂き、朝から一人その盛りつけ作業に追われ、朝(深夜?)2時から出勤した蕎麦打ちスタッフが頑張る地下の蕎麦打ち室を一度も伺うこともできなかった。
 その活躍した練り鉢も生舟も麺機も暫しの休憩をとっている。

 ・・・
また年が還る。
 年が往くたびに思う。

 先代が逝った歳を、昨年越えた。
 先代は先代の人生で精一杯だったのだろう。

 そんな先代が、正月2日は母と食い盛りの息子3人を引き連れ、昨年解体されてしまった町内の大将と奥さんと弟子だけで商いする鮨屋に連れていってくれたものだった。
 まだ一万円札が出回るか出回らない時代だったか、と思う。
 スタッフに給料と賞与を払いもう一万円札も五千円札も全て出払い、千円札だけで恥ずかしそうに会計をする母に、鮨屋の親爺さんは、
 「
手の切れそうな万札や五千円札じゃなく、毎年あんたらの汗水がこもった千円札で会計してもらう、正月そうそうこちとらを嬉しくさせて頂くもんです。」
と。

 先代夫婦は、こうして年越し蕎麦戦争をクリアし年始を迎えるたびに、来年こそはもっとしっかり生きなくては、もっと頑張らなくてはと、くじけそうな自分の背中を毎年毎年無理矢理押していたのだろう。

 友人のFBにこうあった。
 近ごろ自分が年老いて来て、しきりにそんな親父の思いが想像されてならない。
 人一人生きるのは大変なことだ。
 自分一人の始末もつけられないのに、例え家族のこととはいえ顧みる余裕などない。
 でも、いつも気にかけている。
 心配でならない。
 親に出来ることなど、所詮それぐらいしかない。
 そうやって世代は交代していく。
 時代は移り変わっていく。
 そば釜土や練り鉢、生舟がそう語りかけてきた気がした正月2日、です。

蕎麦屋親爺の禁煙・禁酒・禁塩・1760kcal生活、第一週!

 2012年9月3日、わが女将と近隣医療機関の謀議による大陰謀によって、小樽市立病院・オープン病棟に不当拉致監禁・単独房14日間「禁煙・禁酒・禁塩・1760kcal生活」に。
 朝から夕方まで、教育入院「特別講座」があり、運動療法は毎日理学療法士さんの監視付き(^^)、断ニコチン120時間クリアし、血糖値も大幅降下、体重1.5kgダウン。
 その前半をクリアしたのに、今日は強制的外泊で自宅で一泊。
 「煙草自由、飲酒自由、飲食自由の環境に放り込んでさてどうするかを本人に委ねる」
という嫌らしい手法!
 やってくれます。

 さて、ビルの谷間の厨房で暮らしてきた蕎麦屋親爺には、小高い丘の上の6Fの病室独り占めによる、病室の窓からの大パノラマの小樽の青空がめずらしくて。
 
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 9月5日の朝焼けの小樽港・フェリーターミナル。

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 9月5日の夕焼けと、赤岩山の無線中継アンテナ。

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 9月6日の朝焼けと左・フェリーターミナル。

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 9月7日の朝焼けと右・グランドパークホテルと平磯岬の銀鱗荘。

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 9月7日の夕焼けとカラマツ公園方向か?

 こんなしみじみわが町小樽の空を魅入った一週間はなかった。

【蕎麦屋親爺の独り言】「街」の楽しみ方って・・・

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 私の古い友人が、近間で「ビストロK」というお店を営んでいる。
 とある人にそのお店を紹介し、GW過ぎてその方がご来店され、お帰りに声掛けいただいた。 
 「ビストロKは如何でしたか?」、と伺うと、
 「いやぁ、良かったです。 私ブログやっていてその時の感想をアップしているので、いつか読んでみて下さい。」
と、ブログURLの入った個人名刺を頂き・・・アクセスしてみた。
 料理を色々誉めてくれていて安堵、だが最後に、
 「・・・味は良かった。 が、ビストロと紹介されたがパスタがあるのはイタリアン、自慢気にハヤシライスを奨めてくるのは、おいおい洋食屋かい? そもそもメニューがこんなバラバラなビストロなんて? 一体全体、この店は『何屋』とブログで紹介すればいいのか?」
と。

 街の店を情報誌のように「カテゴリー・ジャンル」分けしないと気が済まない人が現出する時代に、なっている。
 これらのブロガーは、自分が脚でかせいで店を訪れ食事をしリアリティある情報をアップしていると自負しながら、ちゃかり勝手な★のランク付けをし、結局如何に自身がカタログ情報誌的志向に陥っているのかを気づかない
(^^)

 私の30数年来の友人Sが昔言っていた言葉がある。
 「巡り歩く面白さがあるのが、この街なんだ。 街を楽しむとき予定をたてちゃ駄目なんだ、だって予想外の店やその界隈の出来事などに遭遇し、予定を台無ししてくれるほど面白さに溢れているのだから。」
と。

 柄にもなくネクタイたまに買うかと、札幌のデパートにいく。
 この種のものは結局家内が買って来てくれても気にいらない方が多く、結局お蔵入りしてしまうから面倒でも自分で選ばないとならない。
 デパートのエントランスには各階の案内版が目に入る。それを見逃したとしても、どう勝手に歩いてもたどりつくエスカレーター前にも各階案内版があり、それに従い売場フロアでエスカレーターを降りると目線の先にフロア案内版があり、それで迷わずネクタイ売場に辿り着く。
 再開発されたと評判の「街」をどぉ〜れと訪れ歩くと、このデパートのように行きたいところに着くようインフォメーションがシステム化され、それはそれでいいプランニングと評価されるのだろう。

 が、何となく想像できるよう配置された「街」って、何なんだろうと。
 ドキドキ感や意外感をくれない街って、理に適いすぎて面白さはない。
 なんだか、情報誌のようにその街がエリアごとに
  インデックスが付き、カテゴリー化されて
来ている。 だから、その街を歩く人も前述の人のように「カテゴリー・ジャンル分け」しないと気が済まない志向にさせていく。

 
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 冗談じゃないと。
 カタログ情報誌では、読者が「店」という名のページの「消費の現場」でろくに他のメニューも見ずにそれだけを「消費」する。
 しかし実際の街の店では、メニューは消費されても「店」は「消費されてたまるか」なのに。
 ましてや 店の並び方にはデパートのような整理はなく脈絡など全くない。
 だけれど巡り歩くにはきちんと手がかりになる雰囲気ある店構えや空気を醸し出していて、それがその人のランドマークとなり、案内版や標識がなくても歩くことが出来、でも結局いつも寄り道したくなり、予定していた用事や買い物ができない。
 そんな楽しみ方こそが「街の本来の楽しみ方」なのだ。

 街が「面白い」というのはその街全体を俯瞰でみるからこそそれを「面白い」と感じるのであって、街の「店」を点で抽出するのではないだろうと思う。
 だから、あるストリートにある、例えば「カフェやジーパン屋やぱんじゅう屋など雑多な個店の集積」を通じて、その街そのものの感覚やリアリティを肌で味わうことができる。 

 見ようとしない人には、見えないだけなのだ。

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 が、小樽には元気な店や通りがそう目立ちはしない・・・が、ある。
 奥沢エリアの旧岡川薬局の近辺に若者の姿が多くなった。
 北運河の旧渋沢倉庫の周りも行き交う若者の姿が目立つ。
 水天宮の海が見えるか外人坂を昇る姿が、増えた。
 元気のなかった祝津の前浜が、いまや5月から10月のシーズン人影が絶えない。
 銭函でも蠢いている人たちがいる。
 松ケ枝の洗心橋の山側エリアの店々に通う姿がある。
 そして、運河清掃をひたむきに続けている若者たちがいる。

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 大方が、いわゆるマージナルな、町の中心とは言い難い「街中の周辺部」で始めている。
 こういう姿を見ずに、街が寂れたとしその責任を行政や市内の主立った団体に求める人々がいる。
 が、堺町通りの北一ガラスも商家茶屋さかえ屋も、静屋通りの叫児楼も行政や小樽商工会議所や観光協会が始めたのではなく、「何かやろう」という思いの者達が始めたのだった。
 過去にもいわゆる新しい賑いを作り出した通りがあった。
 今、商店街をついに生んだ堺町通りもかつては寂れて子供一人では恐ろしくていけない「街中の周辺部」だった。
 いまや櫛のはがかけたような静屋通りは30年前逆に若者が跋扈していたが、静屋通り自体は都通り商店街から外れた「街中の周辺部」だった。
 それは、行政による再開発やはたまたショッピングモールやファッションビルなどが建ってそれが引き金となって賑わいが出来た、TVで紹介される街とは全くちがった仕方でできた。
 いわゆる、ディベロッパーだとか、都市計画家や街づくりプロデュサーのような人が動線計画をし、ランドマークをつくったりで「こしらえ、しつらえた街」では決してなかった。

 つまり、新しい賑わいが生まれていく直接のきっかけには、ひとつのパターンが、とってもシンプルだけれど、ひとつのパターンがある。
 それは、 
 「何かやろう
という人が、何のアナウンスも前触れもなく突然登場し、「自分で作った店」をだし、そこで、「自分の好きなメニューや作品」をつくったり、見つけたりしてきて、「自分で流行らせる」ことで始まっていった。
 当然、ロケーションを大事にし、街の中心部ではないマージナルな、相対的にも家賃が安価で、街中の人が意識すれば「近いところ」が、選ばれて始まる。
 だから、その「何かやろう」人はあらかじめ人の賑わうところに店を出そうとはせず、「売れそう」なものを並べるのでない。
 そう、今流行っている商品やブランドというアイテムやタグが陳列される前に、
 「何かやろう『人』がいる
・・のだ。
 それを僕らは「顔がみえる店」と呼んできた。
 店に並んでいるアイテムやグッズやメニューなどの以前に、
 「それを作ったり、見つけてきたり、選んだりする人の『顔』」
が見えたものだった。

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 かつて小樽では、北一ガラスが、さかえ家が、叫児楼、ウィンケルがそうだった。
 こういう「何かやろう」感覚の人の開業、つまり今までとは違う何かを表現する人の店の出現は、必ず同じ言語感覚を持った人を引きつけ、その店の客となり、あるいは常連となり、「俺も何かやろう」とその向こう三軒に「店」が並び始める。
 その最初の「何かやろう」の人も「店」とジャンルが違う店が建ち並ぶと、そこに「界隈性」が生まれ、「店から通り」へとなっていく。

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 この「何かやろう」人の「店」が軸になり、「店から通り」が更に重層していき「街」が面として出来上がっていく。
 こうなると、新しくできあがった街が広く知れ渡ると「商品を街の記号で売ろう」という商売人や「場所で数字を叩きだそう」という常套手段の商売人がやってくる。
 そして企業レベルでその街で「何かやる」ことがビジネスになることが認識されるとマーケッティングを駆使して大資本はやってき、その「街」のテイストが流行の流れの中で差異化され続ける限りは、まだまだ増殖するが、・・・やがて「臨界点」を迎える。

 行政や大資本による都市再開発、複合商業施設開発などという再開発とは無縁で、かつもともとあった街を浸食していき併呑してしまう「街」の形成のされ方。
 私たちまちづくり市民運動をやってきたものが常に言うところの
 「運動性やダイナミズム
こそ、小樽のユニークなところなはず。
 こういう「まちづくり」を私はこれからも期待していきたい。
 上記の小樽で頑張り始めた「個店」が、更に同じような思いの「何かやろう」人を引きつけ、それが「通り=ストリート」となり更に「街」になっていくことを、心底願っている。

 情報誌に汚染された見方で、「街」や「店」を「カテゴリー・ジャンル」分けをしないと気が済まない方々は、この「街と店の楽しみ方」と無縁の人といえる。

 *写真は蕎麦屋親爺が撮したのと各お店のウェブサイトから拝借しました。

【蕎麦屋親爺の独り言】この山々が求めている「地域情報誌」って?

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 5月25日、残雪が残るニセコ、イワオヌプリ。

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 同じく、5・25の残雪のニセコアンヌプリとイワオヌプリ。
 
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 こちらは同じ5・25の、実に端正な姿の後方羊蹄山=羊蹄山。

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 だが、やっぱり私はこのイワオヌプリの無骨な威容が好きだ。(^^)
 当たり前の話だが、端正な羊蹄山だけでなく無骨な山々も渾然一体となって、初めてニセコ山系がなりたつ。
 地域、リージョナル(地域の、地方の、地帯の)な世界も同じ。

 このニセコ連山の山々が、このエリアの観光をどう眺めてきたのか。
 後志・リージョナル・インタビューマガジン「BYWAY後志」がやっと第10号発刊となって、これからの継続出版をついつい考え、小樽へ帰る道すがら車窓に流れる後志の山々を魅入り考えてしまう。

 勿論、観光で本州から来道される後志ビギナーのお客様には、今書店に溢れるように平積みされる「観光情報誌」で後志のエッセンスを理解してもらうのも必要だ。
 しかし、地元後志の人や近隣の道央圏の週末や休日に遊びに来て頂く方々に、
 「そうだ、そうだったよなぁ。」
 「そう、この街のこの店を掲載するとは、仲々だな」
 「へぇ、この町って、そしてこの街のこの店って、そうだったのか。」
と、相づちを頂く「しりべし」でいたかった。

 観光情報誌のように、ただ「情報を消費」して頂くのではない後志を、と。
 後志・ニセコにもっと早くペンションをオープンさせたK氏や黒松内で環境・人材育成に活躍するT氏が、
 「色々目新しい事業を立ち上げるのは、いかがなものか。
  本当の後志をまだまだわかって頂いてない中で、それを何とかするのが
  最も大事じゃないか、
  後志の今に、本当に何が必要かこそを集まり会議してきたんじゃないの
  か?」
とぶたれた。(^^)
 広域後志の戦略的事業はなにかを話し合う会議を2年つづけて、
 「後志地域がもつ《奥行き》と《発見の可能性》を発信する活字と品質の
  いい写真の紙メディアの発行」
が最優先事項にあげられた
 幸い、ニセコには来られる前、出版編集経験をもつM女史がおられた。
 そして、「はまなす財団」がサポート役をかって出てくれた。
 5年間で、後志在住の執筆陣は三〇人を越えるまでになった。
 その仲間達が、二代目編集長M2女史が経営されるニセコ駅中の茶房に集まっては、編集談義に花を咲かせる。
 そして5年間1号〜10号を購入し支えて頂いた購読者の皆さんのおかげで、今がある。

 敢えて言わせてもらえば、「消費にアクセスする情報だけ」になってしまい、いわゆるカテゴリー分けや飲む・食う・寝る・遊ぶってジャンルわけしてインデックをつけて、そこに個店・個別施設情報コンテンツがぶら下がっているような観光情報誌の目白押し状態でいいのか、と普段から思っていた私もいつの間にか巻き込まれていた。(^^)
 雑誌編集発行は、道楽ではできないとわかっていたのに。(^^)
 派手ではない、どちらかと言えば地味な事業だが、「後志・リージョナル・インタビューマガジン「BYWAY後志」」を、5年前に発刊したわけだった。

 巷に溢れる観光情報誌でわが後志を知ったかのような、観光情報誌がつくる「虚像の後志」の錯覚を排し、観光情報誌を通じて「地域は消費などされんのだ」とし、モザイク模様のあるがままの何層も堆積してきた「実態の後志」こそを知って頂きたいと、
 「北海道・しりべしの奥行きに出会う旅と、
  自分のしりべしを発見することで自らを磨き上げるのを、
  サジェストするインタビュー・マガジン」
と志を高くした。
 まちづくり仲間や観光事業仲間にその計画を打ち明けた。
 「今、文字ものの雑誌など誰が手にするか、インターネットだろうが」
 「火傷するするぞ。」
 大方がしかめっ面をしてくれた。
 「逆だろう、読む価値のない情報誌が蔓延しそれに慣らされてきている今を、この後志から壊すべや。」
 「もう、行こう行こうって観光情報誌に飽き飽きしてないかい」
 「観光ってそんな安っぽいものじゃないしょや!」
 「俺たち自身が、観光を安っぽいものししてしまい、意図と反してどこでもあるような金太郎飴みたい観光をやってきているんじゃないのかい」
 いつの間にか、そう叫んでいる私がいた。

 先鞭を切っておられた道東・リージョナル・ブック「East Side」が先輩だったが、こちらも財政的には悩んでおられ、そして昨年ついに廃刊となってしまった。
 北海道で目を引くリージョナル・ブックは、帯広の「スロウ」とわが「BYWAY後志」だけになってしまった。
 スロウも発刊を続け、帯広エリアだけでは限界で全道展開をされている。
 しかし、わが後志はまだまだネタの宝庫、そんな簡単にネタ切れになる枯れたエリアなんかじゃない。
 
 そんな、後志各地に在住する発刊委員会のコアメンバー皆の思いで、ついに10号まできた「BYWAY後志」の第充(10)号です。

 どうぞお買い上げ下さい。
 弊店でもバンクナンバーを取りそろえお待ちしております。
 この後志から他地域に移られたご親類やご友人に是非粋なプレゼントに如何でしょうか?

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012年5月28日北海道新聞道央版

 に残されてきたを忘れず、
 に向かってを高く、
 BYWAY後志はこれからも発刊されていきます。

小樽・蕎麦屋・籔半は、安心な電気で蕎麦屋をやり続けたい。

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 2012/05/05
 年ごとに味わい、味わい続けて、
 またの年を希求できる幸いをもたらせる桜花。
 そう、・・・小樽・蕎麦屋・籔半は、安心な電気でこれからも蕎麦屋を続けたい。

 それだけ・・・・です。

【蕎麦屋親爺がいく】小樽・朝里海岸の春の海、群青色と浅葱色と雑誌”BYWAY後志”


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 札幌に向かう電車の窓から、小樽の朝里の海を撮る。

 夏の群青色の前の浅葱色の海とでもいうか。
 見慣れているはずの空と海の色は、
 季節、場所、天候、時間によって
 移ろい続ける取り留めのないない色の塊だ。

 少し前の冬の鉛色のとは全く違う
 小樽の朝里の海の青さは千変万化。
 海の色は深さや天気や光の加減で変化する。
 深みは青色の坩堝。
 青の群れ集まりが「群青色」。
 波打ち際は、、岩や小石、砂の色加減でも変わってくれるて「浅葱色」。
 
 いつかどこかで見た海の青。
 見る人それぞれの記憶の引き出しにある海の青は、
 それぞれ人の数だけの青がある。
 移ろい続ける 取り留めのないない青色・・・

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 海なら、移ろい続ける取り留めのないない青色でもいい。
 が、事業はそうはいかない(^^)

 札幌へは、蕎麦屋組合の会合と、後志のインタビューマガジン「BYWAY 後志」の発刊委員会会議でいってきた。 
 ディープな後志エリアの奥行きと出会う旅を、後志の20の町の人々のインタビューに基づいて提案してきたのが、後志のインタビューマガジン「BYWAY 後志」。
 それまで北海道14支庁で観光入り込みトップを誇った後志だったが、様々なメディアはその後志の表面を撫でるだけの情報発信にとどまっている、と後志各地から声があがった。
 後志の深層をもっと知ってもらい、それで訪れてもらいたい、と。

 今、タイヤメーカーの赤いガイド本が話題になっている。
 その赤いガイド本で過去最多の9〜10星を持つシェフとして知られている、「アラン・デュカス」氏は、こういう。
 「その土地土地の代替不可能な気候や地勢、土壌、風土、人びとの気質…といったもののうえに、その土地の人々に愛されてきた料理素材があり、伝承され支持されてきた調理法がある」
 「・・・日本の文化についてじぶんが感じてるのは・・・『地方にある』ということです。『地方にある』ことによって、歴史が深く保たれてて、動かない。 人間がいて、歴史があって、ストーリーがあって、言い伝えがあって、習慣がある。 そういった中で、料理は生まれてくるものだと思います。」
 それは、エリア観光でも同じだ。 
 この文章をホンの数語言葉を入れ変えてみる、
 「その土地土地の代替不可能な気候や地勢、土壌、風土、人びとの気質…といったもののうえに、その土地の人々に愛されてきた『まち』があり、伝承され支持されてきた『生き方』がある」
 「日本の文化についてじぶんが感じてるのは・・・『地方にある』ということです。
 『地方にある』ことによって、歴史が深く保たれてて、動かない。
 人間がいて、歴史があって、ストーリーがあって、言い伝えがあって、習慣がある。
  その地方を誇り、それらこそを観せるのが『観光』の意味だと思います。
 そういう観光でありたい、と。
 言い出しっぺで発刊委員長という役が回って来、以来一年に2冊を発刊し五年、第十号発刊直前まできた。
 今では、後志の住人から記事原稿が多数届いて、編集者は嬉しい悲鳴。

 が、出版の常、販売数が固定化して来ている、
 一号分の発刊総経費をどう捻出していくのかが、鍵。
 歴代編集長らが集い検討して、あと三〇万円/号をキープできれば安定した発刊が出来る、となった。
 委員の皆は、それぞれ様々な事業を抱え担っていて、BYWAY後志発刊だけに集中できないのも苦しい。
 第十号をどれだけ購入してもらえるか。
 今後の発刊体制を抜本的に考えなければならない。

【蕎麦屋親爺がいく】2日、蕎麦屋親爺ファミリー新年恒例初スベリでございます。

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 蕎麦屋親爺ファミリー新年恒例初スベリに朝里川温泉スキー場に行ってきました。
 幸い1/2は曇天で、スキー場も頂上はガスがかかっていましたが、それ以外のゲレンデは降雪もなく爽やかで。 気のせいか昨年よりスキー客が多く、何か嬉しい気分です。

 弟一家の甥子二人も参加。 小学生になってスキーを教えた叔父としては、大学生と高校生になってもファミリーと付き合う甥子らは可愛い。 
 ご褒美に元旦の夜に、ビリヤード、それもポケットローテーションではなく、四つ玉を教えて(^^)

 スキー場では、三女と甥2がボード、蕎麦屋親爺夫婦と甥1がスキー!

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 分厚い雲の下、真っ青な石狩湾を挟んで浜益方面がくっきりと見える。
 これを正月2日に見る。
 良い気分。

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 小樽湾の海も群青と淡青がくっきりと。
 後ろのリフトに女将が(^^)

続きを読む

【蕎麦屋親爺がいく】倶知安行


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 昨日、後志広域総合情報発信サイト・しりべしiネットの納会会議で倶知安に。
 さすがに小樽とちがい雪が多い。

 写真はJR小樽から倶知安への途中、小沢駅を過ぎたあたりで、電車の先頭車両の窓から撮った羊蹄山の冬化粧。
 子供のようにアラウンド還暦の蕎麦屋親爺が撮影ポイントを求め車内を動き、乗客や運転手さんに笑われて。(^^)
 でも、この羊蹄山は電車の車窓からでないと。

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 私の好きなイワオヌプリの山影。
 何とも言えない岩塊の容姿がいい。

 この日の朝の倶知安は−9℃だったという、澄み切った青空に冬化粧した羊蹄山の姿が清々しい。

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 3時からの会議で4時半休憩。
 
 後志合同庁舎からの夕方の倶知安の空。
 羊蹄の裾野の赤が上手く撮れないのが残念(^^)

 薄暮に映える羊蹄山と月代(つきしろ)の上弦の月。
 清冽、澄明・・・
 何とも言えない蒼がいい。

 今年何度目かの倶知安行、こんな晴れ上がった姿は初めてだった。
 

【産業観光】もう観光は、「お里を知る」=アイデンティティ観光じゃないか

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↑ 蕎麦屋親爺の子供の頃・昭和30年〜40年代まであったが、その後撤去された小樽・石炭搬出施設・トランスポーター、

 行きたくても仲々行けなかった北海道・空知(そらち)地域の三笠市(旧幌内)に、先日行ってきた。
 三笠市はその昔「幌内太」と呼ばれ、北海道で初めての鉄道である「北海道幌内鉄道」(現在のJR函館本線)で繋がる、南端・小樽と北端・三笠という関係だ。
 数年前から空知・幌内炭鉱遺構を訪れたくて仕方なかった。
 念願の幌内行だった。

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↑ 第二次大戦中空襲標的になると解体撤去された石炭搬出用の小樽・手宮高架桟橋、 S19空襲目標になると撤去

 幌内をはじめとする空知の各産炭地から幌内鉄道で輸送された石炭は、↑ 小樽港手宮にあった幅約20m、長さ250mの巨大な木造高架桟橋の桟橋上部まで石炭積載貨車で運ばれ、同桟橋は同時に6000トン級の石炭運搬船4隻が係留でき、積載貨車の石炭は待ち構える石炭運搬船の船艙に投下され積み出された。
 最盛期、昭和11年には年間114万トンの石炭を幌内→小樽港から京浜工業地帯に積み出した。

 北海道では積丹半島の西海岸の付け根・泊村の茅沼炭田が江戸時代函館開港と同時も一番最初に開発され採掘された。
 が、石炭の質や埋蔵量等需要に間にあわず、北海道開拓使は新炭田を探索調査し、膨大な埋蔵量の良質な炭田が幌内太で発見され、あの榎本武揚が奔走しその 開発を決定、その採炭された石炭を本州に積み出す港を小樽と決め(後に室蘭港も)、その搬出のために幌内鉄道が建設された。
 そして、幌内鉄道建設を指導した土木技術者が、弊店前の通り「静屋通り」の由来の「静屋(せいおく)」の号を持つ第4代北海道庁長官・北垣国道の娘婿・田辺朔郎だった。
 であることから、この幌内炭田遺構と幌内鉄道は、小樽港・北防波堤・高架桟橋・トンスポーター・奥沢水源地等との関係は、「北海道の基礎の産業基盤を築いた」産業遺産同士の関係といえる。

 当時の基幹エネルギーの石炭からみれば、幌内が実家で、嫁ぎ先は京浜工業地帯、その仲人が中継基地・小樽と室蘭という関係であり、共に北海道産業の「お里」=アイデンティティなのだ、と思わずにはいられない。

 その実家・幌内(現・三笠)に向かう。
 到着後、幌内炭鉱遺構を1時間かけて巡り、旧三笠駅から幾春別に向かう。

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↑ 幌内(現・三笠市)の幾春別の、旧住友奔別炭鉱立坑櫓
 
 幾春別の町中に入り、商店街を進むといきなり民家の屋根越しに見えてくるのが、旧住友奔別炭鉱の高さ51mの立坑櫓。
 ランドマークなんて軽いカタカナ言葉など通じない超弩級産業遺構!
 見上げれば身を仰け反らさざるをえない、巨大さ。
 ここに行かずして、これを今まで見ずして、「産業観光だ、産業遺産観光だ」と言ってきた自らの言動が恥ずかしくなるほどの圧倒感。
 帰樽し観光まちづくり仲間にいうと、しょっちゅう富良野に行く途中の道路から遠くに見えるが、近づいて観たことなかった、今度車だから行って見ると。
 是非、立ち寄って見てほしい。
 
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 表側から見上げる旧住友奔別炭鉱・立て坑櫓。

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 裏側から見え上げる同遺構。
 高さ51m、採炭深度1100mを上下するエレベーターの立て坑櫓だ。
 そのエレベーターの1100mの鉄鋼ロープの「巻き上げ機」が納まるのが、左右の三階建てに見えるコンクリートの建物だ。
 現在の超高層ビルの高速エレベーター技術の原点はここにあった。

 閉山になって炭坑からのガスでの爆発があり、立坑櫓を囲う鋼板が吹き飛び、周囲100mに商店街があるため残った鋼板が風雨で吹き飛んで事故が発生したらと、旧・炭坑従事者が自主撤去し、立て坑櫓は骨組み姿になった、という。

 
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↑ クリックすると拡大画像がひらきます。

 この立て坑櫓に驚くだけではまだ足りない。
 広大な敷地にあった炭鉱建造物は今はほぼ撤去されている。
 が、広大なコンクリート基礎が散逸する撤去跡の敷地を挟んだ向かいに、・・↑の建造物がある。

 歩いて近づく。
 一目では見られない巨大さだ。
 コンクリート2階建てに鋼材とトタン板の上屋があり、目視で幅150mはある。
 「原炭ポケット」と言うのだそうな。
 先ほどの立て坑から採炭された原炭には不純物も混ざり、選別された石炭がこの2階のホッパー(貯蔵庫)に溜められ、1階に列車で石炭積載貨車が進入し、2階から投下される石炭を満載し、即幌内鉄道で小樽に向かうというシステムだ。
 その「原炭ポケット」とよばれる巨大な遺構の右側に近づく。
 3つの巨大な開口部が並んである。
 近づくとその3つの開口部にレール跡がそれぞれある。
 とんでもない巨大さ、これまた超弩級サイズだ。

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 3つの並列する開口部の入口まで近づく。
 今も住友の所有物、中に許可なく入れない(と、いっても敷地にはもう入っている(^^))。
 巨大な開口部で、これなら現在の貨車も難無く進入できる。
 
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 開口部から反対側の覗く。
 デジカメのズーム機能でなんとか反対側の開口部をみれる。
 上部の天井に2階の石炭ホッパー(貯蔵庫)から下で待ち受ける石炭積載用貨車に石炭を投下する穴が空いている。

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 デジカメのズーム機能を最大限にする。三脚があればと後悔。
 なんとかストラップでデジカメを固定し撮す。

 反対側の開口部の鉄扉がみ見える。
 その反対側部分の「張り」は、実に丁寧な作りで美しいカーブの連続を描いていて、惚れ惚れする。
 が、手前側部分の「張り」は三分の一くらいの位置から直線的張りになっている。
 この「原炭ポケット」は最初反対側三分の一が建設され、採炭量が増加し生産体制が整い、一層石炭需要が高まって急いで残り三分の二が増設されて、「張り」の丁寧で美しいカーブの連続など気にかけない工事となったと推測できる。

 兎に角、何から何まで圧倒される巨大炭鉱遺構だ。
 この3列の開口部に三石炭積載貨車編成列車が同時に原炭ポケットに進入し、石炭を満載し、三列車が同時に出入りし、ヘルメット姿の荒くれ炭鉱夫が24時間一番方から三番方までフル操業で蠢き作業するシーンを想像する。
 it's Cool,It's Sexy だったろう。
 明治国家の近代化、産業に切っては切れないエネルギー・石炭を京浜工業地帯に供給する現在でいうと石油コンビナートの役割を果たした、のだから。

 幾春別の町中をそぞろ歩いたわけではないが、見る限り旧住友奔別炭鉱遺構それ以外には何もない。
 が、安っぽい派手さだけの土産屋などあったら、逆に興ざめだ。
 明治近代国家を形成し北海道の産業基礎を築いたそんな炭鉱遺構には、品のない買物土産観光など無縁だ。
 3.11FUKUSHIMAでエネルギー問題が国民レベルで論議される時代になった。
 大歓迎だ。
 だったら、かつて明治・大正・昭和の日本の屋台骨を支えた石炭エネギーへの認識を新たにすることは、遅くはないし、大事な作業だ。
 ましてや、北海道に住み小樽や室蘭に住む北海道人は、その国のエネルギーを支えた北海道の炭鉱遺産を巡る旅こそをし、自らの「お里」=アイデンティティの再発見・再確認をする知的探求の旅に出ることをお奨めする。

 机の上で教科書で教えるくらいなら、教育旅行にこの炭鉱遺産コースをつくるべきだ。
 それを、アナウンスする地場発信のツアーを造成することが問われている。
 可能性は十分あるし、実証されている。
 札幌・小樽から旭山動物園まで距離を克服し足を伸ばす観光が現に成立しているのだから。
 富良野観光の途中の道路沿いに、幌内・幾春別の炭鉱遺産は存在している。
 小樽・祝津のニシン番屋に教育旅行で訪れるくらい、生徒自らがコースをプログラムする時代なのだ。
 朝、ホテルから幌内(三笠)にバスで向かい、午前中で幌内炭鉱遺構を十分周遊出来、それから幌内鉄道沿いに小樽に向かい港湾遺構や総合博物館を見学し、最後は近所の祝津のニシン番屋で地場の漁協婦人部に手伝ってもらい生徒自らがつくる浜料理を食べ、古老の話を聞いてもうひとつの北海道を支えたニシン漁・漁業の産業遺産を再認識し、北海道の基礎を築いた両産業こそを再認識をする。
 
 英語教育に狂走し韓国や沖縄やハワイに教育旅行や修学旅行にいく時代だ。
 が、自らの「お里」=アイデンティティを知らずしては、海外に通じる文化性豊かな国際人としての日本人を育てることにはならない。
 知的探求ツアー需要は十分ある。
 定年退職を迎えた世代のそのニーズは十分ある。
 廃墟マニアという名の、産業遺産の価値を認識し巡る旅をする旅人がいる。

 ・・・一体、観光ってなんだ、その土地の食や商品や気質を知り、その国の(産業・自然・歴史・風土)をる・・、それが「観光」ではなかったか。

 観光=産業観光である時代に来ている、と遅まきながら再確認する幌内行だった。

 空知の炭鉱遺構ツアーへのお問い合わせは、
 NPO炭鉱(やま)の記憶推進事業団・そらち炭鉱(やま)の記憶マネジメントセンター
で。
 

【蕎麦屋親爺がいく】朝霧にけむる深秋の士別行

 先日、長引く風邪の病み上がりで体調は最悪でしたが、北海道は上川の士別市に行ってきました。
 風邪で店にでていなかった蕎麦屋親爺が、治ったとなったら店を空けるのか、とスタッフの目線が鋭く背中に突き刺さる。(^^)
 小樽から電車を乗り継いで4時間半で、なんとか士別市に到着。


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 秋晴れで空気が澄明。

 天塩川と剣淵川が合流する名寄盆地の南端、真っ平らな地形の向こうに緩やかな丘陵が連なり、空がどこまでも広い。
 士別は屯田兵制度最後となる兵村としてスタートし、農業の集散地と交通の要衝として発展し、今はビート精糖やサフォーク羊の牧畜に力を入れている。
 その士別市博物館学芸員となったM氏から、士別で開催されるフォーラムのパネラーに来てくれと依頼された。
 三年前、小樽市博物館で臨時職員として頑張り、昨年社会人採用で士別市職員になった若者。
 小樽繋がりの若者がかわいがられている士別のまちづくりであるならば、そういう若者から頼まれればいやと言えなくて。
 

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 初日のフォーラムも済んだ翌朝、わざわざ見送りに来てくれたM氏がお気に入りのポイントを案内してくれるという。
 しかし、その日の朝は、士別でもあまりないという朝霧が。
 もうもうと沸き立つように流れ、家屋も丘も雑木林もすっぽり覆い尽くす朝霧の世界。
 町をすっぽり覆い尽くした朝霧のなか、市民が星空を見にいく丘に向かうのだそうな。


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 刈ったあとの広大で波打つ地形の牧草地か、サフォーク羊の放牧地か、霞む濃い朝霧の幻想的な世界を進みます。
 波打つ丘陵地の沢からもうもうと朝霧が沸き立つ。

 

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 朝霧に煙る利休鼠の空と朝霧越しに輝くおおきな太陽とそして地平線・・、それしかない。
 まあるい地平線のような丘の頂きが現れてはまた現れて、ひたすら登る。
 やっと頂きに。
 ・・・何か不思議な気分。

 この七ヶ月、奥底に居座るFUKUSHIMAのシコリとそれを抱える病み上がりの気だるい身体が、早朝の冷気でびりびり引き締まる。
 周囲の利休鼠の空に澄明さが湛えられてはらわたの隅々まで染み入ってくる。

 脂肪のよどみや蛋白の濁りと居座るシコリが、全身から雲散霧消していく気がしてくる。 
 朝靄とおぼろな雑木林と鈍い輝きの太陽のなかで、時が止まったような感覚になる。

 電車の時間が迫り、我に返る。 


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 後ろ髪を引かれながら駅に向かおうとすると、昇る太陽の熱に朝霧が負けはじめ広大な丘陵が恥ずかしそうに姿を現す。
 晴れわたる景色も当然素晴らしいのだろう。
 見たかったらまた来いや、といっている。
 が、貴重な朝霧の世界を楽しませてもらった士別行でした。

【もうひとつの観光】5/21~22小樽祝津にしん祭り開催!

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 かつてニシン漁で栄えた小樽市祝津エリアに賑わいを取り戻そう、ごてごて着飾った作り物観光から、身の丈で燻し銀の普段着観光にシフトしよう、と3年前に始まった小樽のツーリズム・ニューのひとつ「祝津・にしん祭り」の第3回が、5/21〜22の両日祝津前浜で開催されます。

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 ↑ 過去2回で大好評を得た、
 「鰊丸焼き1000匹無料提供」
 「祝津・鰊番屋巡りツアー(要予約・080-4505-2424 詳細はチラシに)」
は勿論、

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 祝津エリアの各店が、ニシン、ウニ、ホタテ、タコなど前浜の新鮮素材で工夫こらしたメニューにし、
 「祝津の幸を新料理でお迎え」
する企画は、期間を18日間にして5/14~5/31までの開催です。

 そして蕎麦屋親爺も関わった修復なったニシン漁場建築「茨木家中出張番屋」では、
 「鰊番屋でにしん群来蕎麦を楽しもう」
企画が今年は新登場。
 修復なった茨木家中出張番屋で「小樽手打ち蕎麦群来の会」が提供する「鰊群来蕎麦」をはじめ、ニシン炉端焼きなどニシンの小料理を振る舞います。(¥2500、5/21 PM18:00 から、要予約・080-4505-2424 詳細はチラシ参照)

 さあ、今週末は小樽・祝津にお越し下さい。
 で、
 小樽・蕎麦屋・薮半も、第3回祝津にしん祭りに連携します。
 普段の営業では、前日予約の弊店メニュー

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 「小樽・蕎麦屋・籔半の鰊群来蕎麦」を、にしん祭り期間の2日間、提供いたします。

 小樽運河や堺町も楽しいですが、ディープな小樽をお楽しみください。

今年もどうぞ宜しく

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 小樽朝里川温泉スキー場のレッドコース頂上から望む小樽の港と街.
 わが小樽の高島岬,祝津が望める.
 若女将が小学校に上がり,スキー授業があるということで,国体に複合選手で出場した先代の孫達にスキーをマスターさせねば先代に申し訳が立たぬ,と蕎麦屋親爺も一念発起.
 既に時代は,ワンタッチ着脱スキー金具になっていたのに.ラグリーメンという革紐で縛り付けるスキー金具で高校以来スキー場に再登場.
 リフトのお兄さんが私のスキー板を見て,
 「いやぁー,立派なスキーですねぇ.それで滑られるんですか」
と,感心されて,
 「スキーは金具で滑るんじゃネェだろうが」
と返し,爾来?十年.

 わが娘三人,甥子二人にスキーを叩き込んできた.(^^)
 今年は,三女が卒業研究で帰省できないと言って来て.
 来なくても良いのに,「彼氏を紹介するためならたった三日間でも帰省した」のに,なんだ正月のファミリスキーには帰れんってか,と蕎麦屋親爺は少々オカンムリ.(^^)

 還暦が近くなった頃から天狗山スキー場は遠慮し(^^),朝里川温泉スキー場のこのレッドコース頂上で,ファミリーの写真を撮る.

 28〜31日の蕎麦屋で一杯のお客様の嵐のような御来店で精根尽き果てた蕎麦屋親爺が,腰が曲がり呻いてばかりいるのを見て,若女将が,
 「もう今年の正月のスキーは,身体と相談した方がいい」
と挑発的なことをいい,それにつられて女将までも,
 「そうよ,腰曲げて歩くのもツライのにスキーだけは違うなんて,若い衆に言い訳できませんよ,
  スキーで脚を骨折などしたらどう言い訳すますぅ.」
と宣ってくれて・・・
 「フン.
  腰が痛くて前屈する姿勢が丁度スキーをやるにはいいスタイルなんだわ.」
と,鼻で笑って朝里川温泉スキー場に行ってきました.

 但し,初めてレンタルスキーに切り替えました.
 一年に一回だけのスキーです.
 やれスキーだ,ストックだ,スキー靴だ,板にワックスかけにゃならん,という煩雑さだけで疲れてしまうのを避け,立派なシニアになったのだから,手ぶらで行く「気軽さ」を経験してみようと.
 スキー一式¥3000円であとは身体だけ.
 この気軽さ,最高でした.

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 しかし,いかんせん,シニアでございます.
 朝里パープルコース2回,グリーンコース1回,イエローコース1回で,ゲレンデのどんなコブをも吸収するサスペンション役のわが膝は弾性疲労,太腿は痙攣してき(^^)
 脚がもつれて転倒2回.
 ヤッケの胸に納めたカメラを守るために回転しながら転ぶように心がけ,カメラは無事.(^^)
 毎日ホールで軽く1万歩以上を動き回る女将・若女将は平然.
 東京から帰省した次女が,
 「最近デスクワークが多くなったのか,情けない.」
と私同様にいい,スキー場ではこれという生ビールとラーメンで締めて,残念無念新年滑り初めは終了.

 おかげで今朝は,筋肉がバリバリ悲鳴をあげ,私が出来ることは呻くだけ(^^).

 北緯43度11分27秒、東経140度59分40秒にある,わが街・小樽.
 夏は街から10分で海水浴・マリンレジャーができ,
 冬も街から10分でスキー・スノボが楽しめ,
 歴史的建造物や近代化土木遺産巡りで町歩きが出来,
 ちょっと都会を楽しみたけりゃ,車や電車で30分の札幌があり,
 もっと自然を満喫したけりゃ後志に自由往来できる.
 こんな街が日本いや世界中のどこにある,

と再確認する新年滑り初めでした.

 生きることを楽しめる,こんな街あるかい?

2011年 明けましておめでとうございます。

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 2011年、平成23年 謹賀新年。
 本年もどうぞ宜しくご愛顧のほどお願いします。

 
新年の営業は1月4日からでございます。
続きを読む

気分:年甲斐もなく嬉しい

芹沢_風 わが国染色界の重鎮、芹沢銈介(せりざわけいすけ)の作品をを知ったのは、確か新婚旅行にかこつけて倉敷のアイビースクエァに行ったときだった。

 30有余年前、小樽運河保存運動が少数派運動に転落した頃に帰省した。
 小樽運河に林立する、200坪は優にある石造倉庫群を保存するためにはその活用策がなければ、と思っていた。 どう再活用するのかを提案しないでただ「残せ」とだけしか言えない保存運動は敗北するしかない、と思っていた。
 そこに、建築雑誌で倉敷市で倉敷紡績の煉瓦工場が若者向け宿泊施設・アイビースクエァに生まれ変わったと知り、是非体験してみたいとなって。

 一応新婚旅行なので、倉敷川の歴史的景観地区を散策し大原美術館に。 民芸の作品コーナーにそ「芹沢銈介」コーナーがあった。
 沖縄ビンガタの型染めに似たその素朴さとそれが現代感覚にマッチしたデザインとに強く惹かれた。
 それが「芹沢銈介」との出会いだった。

 そしてその年、フランスのパリで芹沢展が開催され「風」のポスターがパリの街角に貼られた写真を雑誌で知った。

 以来、芹沢全集を清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入し、爾来、弊店待合には芹沢カレンダーを置いてきた。
 そんな蕎麦屋親爺に、静岡在住のどうやっても還暦には全く見えない同期嬢から、帰省の貴重な時間を縫って芹沢銈介グッズをお土産に頂いた。

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 静岡には「静岡市立芹沢銈介美術館」があり、是非一度と声掛け頂いてきたが果たせず、逆に焦られたか、最高のお土産を。
 嬉しい限り。

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 そのフランス・パリでの芹沢展のポスターにも採用された「風」と「喜」のコースター、滅多にないが女将の機嫌取り(^^)の団欒に使わせてもらおう。
 

日本そば専門誌・蕎麦春秋9月号Vol.14で弊店が紹介

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 日本そば専門誌・蕎麦春秋9月号Vol.14 の「匠の流儀」コーナーで弊店を紹介いただきました。
 日本の蕎麦屋約6万軒、そんな中で弊店を紹介頂く、光栄の限りです。
 詳細はこちら

蕎麦屋親爺・女将、クルーズ客船「飛鳥2」初試乗!

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 潮祭り最終日7/25、潮祭りメーン会場の小樽港・第三埠頭にクルーズ客船「飛鳥2」がam11:00に接岸し、初めて蕎麦屋親爺と女将はそこに。
 実は、この飛鳥2には大学時代の友人御夫婦と親御さんと姉妹が横浜から乗船され、来樽されるのでお迎えに。

 駅前から第三埠頭に一直線の中央通りからその飛鳥2の美しい容姿が見える。
 JR小樽駅から改札を出て駅舎の玄関に立って真っ正面に「飛鳥2」を見るお客様はその圧倒する大きさに驚かれる。
 駅前の歩道橋が撤去されて、小樽が港町なんだということを一番アピールできる最高のシーンだ。
 ここまで来るのに色々な問題があった(^^)が、それは別の機会に。

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 潮祭りメーン会場の提灯やぐらと「飛鳥2」。

 メーン会場ではゴーレンジャーショーが開催中、でも大人はみなこの飛鳥2に目線が行ってしまうくらいの圧倒感。

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 飛鳥2のデッキには横浜からやっと陸に上陸するのを待ちかねた乗船客が、接岸風景見学で鈴なり? いや、潮祭り会場を見下ろされているのか?

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 接岸した飛鳥2・・・ただただ・・・大きい。

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 埠頭に近寄る、その圧倒感は遠くから見ていたのとは比較にならない。(クリックすると拡大画像に)

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 海に浮かぶホテルだ。
 出迎えに潮祭り会場から来たミス潮も圧倒されて怯んでおられて(^^)
 市長や、ボランティア歓迎隊も出迎えに来られていて、まず船長以下幹部が下船し、小樽到着歓迎レセプションの臨む。
 乗客はまだ下船できずデッキから歓迎レセプションを見下ろす。
 港湾関係・倉庫関係の出迎え姿は見られない(^^)

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 さて、友人一家はそのデッキのどこにおられるか?
 もう、12階建ての横幅のあるマンションのベランダに出てる人を探すのと同じで、ごま粒みたいな人影を懸命に探します。
 やっとデッキで手を振る友人一家を見つけて!(^^)
 後で伺ったら11Fの部屋のバルコニーからなんだそうです。

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 市内観光や札幌観光に出かけられるお客様が下船したあとに、私ども夫婦は、乗って来られた友人の奥様に飛鳥2に招き入れられ船内見学に。
 9.11テロから一層実施が厳しくなったソーラス条約の履行のため、あらかじめ届け出し身分証明書を提示しないと乗船できない。

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 やっと、友人御夫婦家族と出会え、船内見学。
 飛鳥2の最上階甲板(11F)の船首のデッキで記念撮影。

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 この高さから小樽市内を見るのは還暦過ぎた蕎麦屋親爺も女将も初体験。(クリックすると拡大画像に)
 潮祭り会場越しに見えるJR小樽駅の小さいこと!
 新日本海フェリーも毎月曜日だけはこの第三埠頭に接岸する。
 フェリー客やクルーズ客船乗船客しか、こんなシーンを見ないのは勿体ない。 
 というか、小樽市民にこういう光景を体験させる仕組みをもっと工夫しないと・・・ただ、フェリーや飛鳥2試乗体験してみませんかじゃ、アピールが弱く勧誘できない。

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 船内のエレベーター前、飛鳥2の巨大さに圧倒された女将(^^)

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 pm16:30には利尻礼文島に向け、出港するので見学もそこそこに籔半での昼食にと下船する。
 飛鳥2でのディナーは仏蘭西料理が主で、和食を食べたいと。
 お寿司屋が船内にはあるが、別料金なので小樽に着くまで和食は我慢したと(^^)
 
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 籔半に向かう車中から飛鳥2の左舷を。(クリックすると拡大画像に)
 女将が、
 「何時になったらこの飛鳥2で旅行できる?」
と。
 これがおっかない。(^^)

 「横浜から北海道一周し又横浜にという航海一〇日間、毎日仏蘭西料理我慢できるか?」
 「和食料理は少ないらしい」
 「船内で病院あるが保険きかないんだぜ」
 「ロイヤルスウィートクラスでないと、部屋はホテルと同じサイズだぞ」
と、懸命に蕎麦屋女将的マイナスを(^^)
 「・・・小樽から利尻礼文までの乗船でもいいから・・・」

 ・・・テキも仲々考えてる。

今年の籔半のおたる潮祭り祭はお仕舞いです。

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 25日PM21:55、看板し暖簾を入れる。
 しかし、潮祭り用仕込みは完全に消化。
 明日の仕込みでスタッフはまだまだ。

 pm22:50、小樽・蕎麦屋・籔半の潮祭りは無事終了し、一日中立ちっぱなしのスタッフは疲れから口数も少なく、帰宅致しました。(^^)

 初日は、一日中雨に降られお客様はそれまでの平日よりも悪く・・・
 しかし、潮祭り実行委の皆さんのずぶ濡れになっての頑張りのお陰か、二日目潮練り込みはついに雨は落ちず、そして今日三日目最終日は雲一つないピーカンの好天!
 弊店もお客様の出足は早く暖簾を出した途端行列が!
 昨年は雨に当たられ放しの潮祭りでしたが、今年は初日は残念でしたが終わってみれば女将さんは大満足。
 しかし、年齢か、女将・蕎麦屋親爺とも脚は攣り腰は曲がっております。

 さあ、後はお盆が待っています。
 小樽・蕎麦屋・薮半のウェブサイト、
 「小樽・蕎麦屋・薮半 麺遊倶楽部」
のトップページ、
 「今月のお奨めのお蕎麦
と、
 「今月のお奨め酒肴
を更新いたしました。

冊子「うみスロウ」で、にしん群来蕎麦が紹介されました

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 平成21年度地方の元気再生事業に選定された「小樽うみ元気プロジェクト」によって、
 小樽の海をもっと楽しむためのチビマガジン
 「Northen Style うみスロウ小樽」↑
が出版され、運河プラザや市内観光ポイントで無料配布されている。

 小樽の町の特徴は・・・と問われて、なんと言ってもいの一番に挙げるのは「海」、それを小樽の人自身が忘れかけている。
 どののまちでもそんな傾向があるが、例えば農家の子供さんが土いじりをしなくなり、漁師の子供さんが磯遊びをおっかながる、そんな時代にになってしまって。
 もう一度海を知ることから、海の町小樽を再発見し、海を楽しめる町にして元気になろうと・・・いうのが「うみ元気プロジェクト」
 
 その「うみスロウ」に・・・・

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 「市民が始めた鰊群来蕎麦プロジェクト
   どんぶりに描く 群来の記憶」
と題して「にしん群来蕎麦」の紹介ページがあり、Sobaya Oyajiも無理矢理登場させられている。(^^)

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 市内に勤務する一介のサラリーマンが街中を駆け巡ってプロジェクトに仕掛けた、大仰な「ブランド戦略」なんて言葉が恥ずかしくなる、身の丈の小樽・特産品プロジェクト、皆さん読んでみて下さい。

 あ、そうだ・・
 明日から始まる5/22〜23第二回おたる祝津にしん祭に協賛し、弊店は、「にしん群来蕎麦」を5/23までメニューに復活致します!
 「にしん群来蕎麦」にかんしてはこちらを!


 お問い合わせ:
  小樽うみ元気プロジェクト・海辺の情報サロン
  電話:0134-33-2339
  Mail:info@otaru-umi.net
  ホームページ:http://www.otaru-umi.net/
  〒047-0008
  北海道小樽市築港11番 「ウィングベイ小樽」内
  1番街2F SE-B No.2

第2回おたる祝津にしん祭、5/22〜23開催

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 昨年、一昨年と小樽の海岸にニシンの群が大量に押し寄せ産卵する群来(くき)が、姿を消した昭和29年以降初めて3年連続で続きました。
 そのニシン群来が再来したことを祝し、ニシン漁の一大拠点だった祝津の人々が町を挙げてオール祝津で開催したのが、昨年第一回おたる祝津にしん祭で、今年は5月22〜23日の両日、祝津番屋通りで開催されます。

 メニューは画像チラシで参照下さい。
 画像をクリックすると拡大します。

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【蕎麦屋親爺の独り言】 酒なくてなんのおのれが桜かな

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 花咲いて呑み散っては呑み、鳥や虫が鳴いて呑み、気象や季節の移ろいを誉めて呑み、荒天を憂いて呑み、出会って呑み、門出に呑み、別れに呑み、笑って呑み、泣いて呑み、黙ってもの呑む・・・

 酒は百薬の長
 たいていは酒は延命長寿の薬と解されてきたでしょうが。
 が、これには続きがあり、
 百薬とはいれど万の病は酒よりこそ起これ
が結論で、百薬どころか万毒というわけ。

 江戸の頃、
 世の中に下戸の建てたる蔵はなし
と、いかにも酒ぐらい呑めるようでなければ商売成功の見込みはない、と解される言い回しが流行った。
 もう、呑んべい万々歳、実に目出度い世ではあった。
 が、これには下の句があって・・・
 上戸の蔵も立ちはせねども
で、オチとなる。(^^)
 結局、呑もうと呑むまいと蔵を建てるほどの大金持ちには誰でもなれるわけじゃなし、こちとら凡人、どうせ建てられっこねぇなら呑んだ方がましてぇ、開き直ってやってきたわけで。

 古今東西、上戸、酒豪は数知れず、わかっちゃいるけど、ほどほどに。

2010小樽雪あかりの路vol.12開幕

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 2010.2.5小樽雪あかりの路vol.12がいよいよ開幕。
 オープニング数分前、小樽運河浅草橋街園広場の温度計は、マイナス9.5℃。
 昨日は、マイナス13℃。

 私が子供の頃の冬のシバレだ。
 雪が髪に振りそそいでも、払えば落ちるほど寒気でさらさら。
 東京で降る雪のようなべたつく雪ではない。
 昔の雪はこうだった。
 このシバレで漬かるニシン漬けは氷が張ってそれは旨いのですが、残念、年末で全部出てしまって。

 今日来樽された観光のお客様はそれを体験できただけ幸せ・・・、シバレは我慢(^^)

 
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手作り器

三女陶芸:器01

 東京の大学で楽しんでいる三女が陶芸クラブでつくってくれた器類。
 《彼氏にはもっといい出来のものをプレゼントしているのか!》
とつぶやいたら、女将と若女将から、
 《あたりまえのこんこんちき!》
と、笑われて。

 ま、そうだろうなぁ。

 

雪あかりの路期間中、弊店も時間延長4

雪あかりの路期間中2/6-15閉店時間延長

 堺町通りの67施設が、雪あかりの路に来場されるお客様を夜暖かくお迎えし、堺町通りの夜の賑わいをもっとつくろうと今年初めて統一行動をされます。
 ワックスボックスを店頭に飾るお店は、大半が夜7時から9時まで御来店のお客様にそれぞれのお店が工夫されたメニュー・プレゼントを用意して。
 堺町通りに本当の「雪あかりの路」が実現します。

 そうしたら、都通り商店街の若者達も、それに負けじと新企画を!
 皆さんでつくるスノーキャンドルと店の灯りが映えるように、アーケード街の照明を暗くするテストもやるそうです。
 いいですねぇ!
 
 弊店もこの堺町通りの皆さんに連帯して、雪あかりの路の開催期間、雪あかりの路終了までの午後9時までラストオーダー時間を延長して頑張ります。
 

タチカマ、ニシン漬けあともう少しです。

母作成タペストリー

 今年になってまだ更新が・・・・
 
 弊店蔵横コーナーに大女将の作成したタペストリーを。
 大女将が、三人の孫娘、とりわけ末孫娘に着せたいと言っていた着物。
 が、ついに孫娘達が袖を通すことなく、タペストリーに化けてしまった。

 金の帯を地にして、黒の子供用紋付き振袖。
 黒が映える。
 だから振袖の裾にあしらった花柄が生きる。
 華々しさだけが、粋なのではない。

 華々しいカジノ誘致などに目を奪われることなく、身の丈にあった着実な観光施策こそが必要だ・・・とこの黒の振袖が教えてくれる。

 まあ、お正月らしいタペストリーだ。

 まだまだ、弊店はお正月気分。
 散々お客様にがっかりさせてきた、岩内のタチカマもやっと入荷しましたよ。
 でも、スケトウダラ漁は不漁、また入荷が滞るかもしれませんから、お早めに。

 そうそう、弊店自慢大好評の「ニシン漬け」も、もう最後の一樽に手が付きました。
 御来店されても、「ニシン漬け」はもうお仕舞いです、とホールスタッフに言わせないよう、お早めに。

 

2009.1.2 朝里スキー場の蕎麦屋親爺と女将5

朝里スキー場の蕎麦屋親爺と女将

 毎年恒例、家族で朝里スキー場に。
 レッドコースからグリーンコースに向かう途中、正月スキーで初めて石狩湾が綺麗に晴れて見え、カメラを構える蕎麦屋親爺と影のように寄り添う女将(^^)。

重く垂れ込める雲間に晴れた石狩湾が
 重く垂れ込める雲間に、鮮やかな青い石狩湾の海が。
 こんな景色、30数回のお正月スキーで初めて。

朝里スキー場から新年の小樽港を
 暗雲垂れ込める雲間の切れ目から差し込む日差しに浮き上がる小樽の町んの、小樽港と赤防波堤。
 色鮮やか。
 これは新年を象徴するのか、はやく晴れ間が全天に広がるのを祈りたい。
 

北麺飲青年連合会・研修交流会で旭川に

 9/16,今日も朝から猛スケジュール.

収穫祭ミニポスターw145dpi後志収穫祭チラシを市内ホテルフロントに置いてもらうために,お願いしに.
 快く引き受けてもらい,もう感謝. 
 あとでデータがとれるようにチラシに各ホテルの判子を押しておくようにする,とまで後から電話頂いて.
 こうも協力頂くと,たまらなる,嬉しい限り.

 その帰り,保健所に同じく後志収穫祭の販売臨時営業申請に.
 臨時営業許可申請が昨年度と変わって,いくら出店経費がかかるかと心配しながらお邪魔したが,ここでも申請を受けつけるスタッフの親切なこと.
 感謝.

 とって返し,散髪に.
 向こう三軒両隣って近くに床屋さんがあるのに,もう遠くて(^^)仲々いけず.
 床屋のスタッフ,私の顔を見て,
 「6月以来だわ,うち,遠いからねぇ.天パだからいいけどそうでなかったら,わやな髪になってるわ」
と(^^)
 髪をちょされ,いい心持ち,爆睡.

 そして,旭川での蕎麦屋や飲食店の2代目で構成される北麺飲青年連合会研修会があり,本部からの参加せねばならず,JRで一路,旭川に.
 岩見沢→美唄→砂川→滝川→深川→旭川.
空知の秋の空
 岡田喜子著「北海道浪漫鉄道」を読みながら,車窓から流れる実りの秋の景色に見ほれる.
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新婚夫婦が来樽、プレゼントはネーム入りラベルの焼酎

ネーム入り焼酎
 4年前、コンサルタント会社に就職して以来の付き合いの若い元気活発な子が結婚して、新郎新婦とも互いに忙しく、この3連休に出会いの街・小樽に新婚旅行にきてくれた。
 生憎こちらも仕事で来樽できない仲間が気を利かして、新婚夫婦のネーム入りラベルの焼酎を送ってきてくれた。
 旨い。

 仲良い官民恊働夫婦になって欲しい。
 

山形へ・・・3

JR小樽駅ホーム
 2008/06/17 JR小樽駅の 古いレールを使用してのホームの屋根.
 いつか この古いレールの刻印を 全部調べたい.
 とんでもない 古いドイツクルップ社製のレールなんかが 使われていたりして.

 と いうこととは 全く関係なく 小樽を立つ.
 珍しく 今回の旅立ちには連れがいて・・・ わが女将と.
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U2と遠出

ipodと遠出

 ・・・疲れている
 が 今日は(も)倶知安
 所属する業界組合の倶知安の大先輩に ちょっと組合運営の相談に.

 出発寸前 小樽の観光関連会議とブッキングしているのが判明 平謝りでそちらは欠席.
 それが終わったら 倶知安の《しりべしツーリズムサポート》の事務所で打ち合わせも.

 倶知安から到着の折り返し電車を JR小樽駅ホームで待つ 
 さて小樽駅長が札幌駅長に近々栄転 そんな人事70年ぶりらしい
 随分現小樽駅長に 観光小樽はお世話になり そして助けて頂いた
 感謝 m(__)m
 と、
 シーニックバイウェイ・ニセコ千歳ルート代表F氏が 到着した電車の降車客の最後尾に
 氏も忙しく 札幌行の電車に乗り換えらしく 
 話さなければならないこと沢山あるのだが 何とか互いに握手 数語しか交わせない
 二人とも 相変わらず忙しい

 ガラナを買い 4人掛け席に 
 乗客がほぼ乗車 通勤通学時間がすぎているからか 幸いボックスを一人で占領できる
 シートは固いが、窓が開けられる旧型車両が嬉しい
 座席につき、弊店スタッフが作成した棚卸し用紙を取り出し
 倶知安までの車内で 弊店決算棚卸しの最終入力を

 作業に集中したくて 普段はスケジューラーとメーラーとしか使用しないのだが
 浅草手染め手ぬぐい・ふじ屋製の「煙草入れ」を代用した袋から
 iPod Touchを取り出し U2のJoshua Treeを

 益々その濃さを深める 車窓から流れる しりべしの緑の景色も楽しめない
 無粋な旅

純米吟醸・八海山が 薮半に登場

八海山


 蕎麦屋親爺なのか、雪あかりの路のイベント屋なのか(^^)
 本人がわかならなくなってくるほど、「雪あかりの路ネタ」が続いた。
 少し、レシプロエンジンの回転をさげ 月初めでもあり、商売にもどる(^^)


 この1月末、弊店の日本酒ラインアップに加えたのが、今や普通の酒になってしまった「八海山」(^^)
 だが、この「八海山」の《純米吟醸》は、バランスという日本酒の大事な要素を思い出させてくれる。
 それで、
    純米吟醸 八海山
 を、 酒商・たかのさんが、小樽近隣では初めて八海山醸造と代理店契約を取った記念に、弊店のラインアップにした。

 つくり手の意志に強く裏うちされた《覇気》が伝わってくる酒がある。
 この純米吟醸・八海山もそういう酒。
 冷や(常温)でもバランスがあるし、燗にすると旨味とまろやかさが一層際立つ。
 吟醸酒を「燗」で楽しむ、それをしてもバランスが崩れない、そんな贅沢を味わえる酒として、ラインアップさせてもらった。

 アルコール度 15.5% 日本酒度 +5.0 酸度 1.2 アミノ酸度 1.1
 使用米 :山田錦(麹米・掛米) 美山錦他(掛米)精米歩合50% 使用酵母 協会 9号

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雪あかりの路実行委、2/4 中国・台湾観光客受け入れ接寓研修会開催

中国旅行受け入れ準備


 すでに顕著になってきている 中国本土からの訪日観光客!
 これから来日、来道、来後志、来樽の可能性はきわめて高い。
 人口の1%が来日したと想定しても、今の訪日海外観光客総数の3倍なのだから。

 中国の国家官僚のステータスは 来日して東京や京都に行ったことではなく 北海道に行ったかどうかだという。 小泉前首相との会談をドタキャンした中国高官が 来日してすぐ来道されそのまま東京に立ち寄ることなく帰国したことを思い出し、なるほどと。(^^)
 
 そしてピークを迎えた 台湾からの訪日観光客。
 もうマスツーリズムで来られるのではなく グループ化してこられるわけだから、多様でグレードの高い観光メニューを 受け入れ側の観光地は用意しなければ、捨て去られる。
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ハマッタ

映画・グッドナイト&グッドラック

 映画「グッドナイト&グッドラック」を昨夜。

 このマロー役の デヴィッド・ストラザーンの煙草の持ち方と語りのシブサ!
 いきなり本作の冒頭シーン、講演会場で 舞台のそでで待機し 司会が紹介を終えマローに登壇をうながすと 一杯に煙草を吸い灰皿で煙草をもみ消し 演壇のマイクの前で 鼻から煙草の煙をはくシーンに 唸る(^^)
 私も一度でいい やってみたい(^^)
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少雪こもごも

雪が積もっています

 東京では初雪が観測されたが 記録的少雪の小樽なんです
 昨夜はだいぶ積もり、写真のような深さに。

 1/16の画像と見比べてきてくださいな。↓

小樽積雪

 ↑これが、前日までの積雪、厨房用短靴でも平気なほどの 積雪しかない

籔半夜の雪化粧

 やっと 冬らしい 雪化粧をまとった 夜の弊店
 今日も 雪あかりの路や後志広域観光や小樽観光での 来客の方が 2階座敷で熱っぽく論議をされて
 お蕎麦のお客様より 多いか (^^;)
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やっと少し雪が

小樽積雪

 やっと寒気団が入って来て 小樽にも雪が
 今日のシバレは 結構なものだった

 蕎麦屋としては 暖かい陽気でお客様が町に繰り出して欲しい
 が 雪あかりの路としては もう少し降り積もって欲しい
 切り裂かれるわけでございます。

 山形県赤倉温泉で 全山形の観光実務者が集い学び交流する 「やまがた観光まちづくり塾」が昨日まで開催されている
 参加したいが いつもこの時期は雪あかりの路の企画の最終で 出来ないのが残念
 メールがその参加者から来る
 猛吹雪で 車ではとても進めず 塾の参加を断念した と連絡が入るは 雪あかりの路期間中開催する 観光まちづくりシンポジウムに招聘した 月山志津温泉の友人のメール署名の最後には、「現在、月山志津温泉の積雪は2m50、明後日には80まで積もりそうです」と
 う うらやましい 雪の量だ(^^)

「おたるなつかし写真帖」から、今の小樽を、もう一度みなおしたい

おたるなつかし写真帖

 北海道新聞小樽支社発行の「おたるなつかし写真帖」が、1/10発売になり、その日のうちに完売した という
 そりゃ そうだろう
 これだけ 珍しく 貴重な写真集だ
 いまや 古さが新しい時代
 若者があたし物好きで 年寄りが古い物好きなどという概念が 崩れた昨今
 古さの中にこそ 新しさを発見する時代なのだから
 編集スタッフの皆さんの努力に敬意を表したい
 こんな素晴しい写真帖を ありがとう

 丁度、高校の同期会の幹事会が弊店であり 
 その発刊されたばかりの「小樽なつかし写真帖」を 運良く購入した仲間が 持って来てくれて

 その宴では とある 薬問屋の 古いが鮮明な外国人の映っている一枚の写真から 話は ロシア革命 ポーランド ロシア赤軍侵攻 亡命ポーランド人 そして尼湊事件と どんどん発展して・・・
 同期会の 新年幹事会の宴席が そんな話で 盛り上がる
 小樽の歴史の深さ 文化の濃さを つくづく。
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2年振りの正月スキー

朝里スキー場パープルコース

 23年前 小学校に入学した長女にスキーを教えねばと 高校卒業以来していなかったスキーを復活
 そして 23年間 我が娘3人と 甥っ子2人も含め 5人の子供が スキーに親しむよう 毎正月 朝里川温泉スキー場や天狗山スキー場 キロロスキー場にいくのが 習慣になって
 しかし 昨年は 三女の大学受験で 縁起をかつぎ 正月スキーはなしだったので 本年は2年ぶりの正月スキー
 で 年齢 体力 椎間板ヘルニア腰を考え コースが短い朝里スキー場に(^^) 
 
 椎間板ヘルニアで 腰を曲げて 切なそうに歩く 蕎麦屋親爺が スキーなどとは と スタッフや周囲から呆れられる 
 が 無理をしなければ いいわけだし

 でも スキーから帰宅すると どうしようもない腰のけだるさと 両脚の張りと凝りに呻きに呻く
 入浴後 夜一人 腰痛に呻く(^^)

 それでも やめられない 
 身体全身を使った 心地よいけだるさは 一年で唯一3日連続お休みの正月だからこそ いいわけだし
 そぼ降る雪と 太陽と 朝里の山々の冷気が 昨年一年間全身に浴びせられ汚れを吹き払ってくれ 清々しい気持ちにさせてくれるのが たまらない
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柿泥棒からの縁 山形県置賜(おきたま)の啓翁桜

山形・白鷹町・甘柿

 昨日 山形県白鷹町の 桜名人から大きな細長い箱が送られて来た
 包装をとくと
 《みちのく初桜 啓翁桜》

 丁度1年前 山形県置賜・白鷹町で開催された《やまがた観光まちづくり塾》にお呼ばれした 
 白鷹町に着くと どの家々にも柿の実がなっている
 それなのに 何故取らんのと 白鷹町観光協会事務局長に問い 
   《あれは全部渋柿なんです 甘柿はもう・・》
と 首をひねり ニコリと笑った事務局長の機転が 素晴しい
 早速 公認で甘柿を取らせて頂いたのが 《金田聖夫・桜名人》
の庭の唯一の甘柿の木
 その公認柿泥棒がきっかけで 樹齢1000年を越える《千年桜》の苗木3本を頂き 運河プラザ前庭で4月植樹式をおこない、小樽運河公園と小樽市役所前庭とあわせて 3本がすくすく育っている。

 その金田名人からの 粋な贈り物 うれしい
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富山県黒部から 帰ってきました

立山連峰


 11/25 到着した富山空港は もうつるべ落としで夜
 そして 翌日 富山県は黒部市から望む 立山連峰
 町から いきなり標高3000m級の立山連邦が こんなに見える町が 黒部市。

 そんな黒部市に なぜ蕎麦屋親爺が・・・

 話は、三年前にもどります。
 2004年 第6回小樽・雪あかりの路で開催さえれた《都市観光を考える》シンポジウム
 その前夜 北一ガラス3号館・北一ホールで ソアレ(夜会)が開催された
 そのソアレに 大挙16人も参加頂いたのが NPO黒部まちづくり協議会の《くろべ観光まちづくり塾》の皆さんだった

 この3年前の雪あかりの路ソアレの際 富山空港は大雪で 札幌便の離発着が不可能となり 黒部の皆さんは 普通なら北海道・小樽行きを断念するところを 急遽 東京・羽田まで電車で行き 羽田で待ち構えたお仲間が エアと掛け合い離陸を10分も遅らせ それで千歳に出発でき 小樽・雪あかりの路での 夜会・ソアレ終了間際に かろうじて小樽に到着。
 ソアレを楽しまれていた皆さんから ヤンヤの拍手で迎えられるという 離れ業を演じられた。

 その黒部からのお声掛けでは 行かないわけにはいかない。
 こんな苦労をされて小樽・雪あかりの路に着て頂いた《NPO黒部まちづくり協議会》の皆さんが開催される《くろべ観光まちづくり塾》への恩返しをしなければ と お邪魔して来た。

 《大自然のシンフォニー 文化・交流のまち 黒部》が この町の将来の都市像。
 そこで 平成9年設立され観光まちづくりを進めるのが、《NPO黒部まちづくり協議会》で、その定期的セミナーが「くろべ観光まちづくり塾」という。
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こういうご時世ですから・・・、籔半分煙

分煙にご協力をお願いします


 こういうご時世ですから・・・、籔半・・・、分煙に・・・・。(._.)

 一階テーブル席と蔵戸前座卓席は、禁煙コーナーです。
 石蔵座敷と蔵横座敷は、喫煙コーナーです。
 このため 蔵横座敷はテーブル席に致しました。

 嫌煙のお客様で、座布団席ご希望の方は蔵戸前席、椅子席をご希望の方はホール・テーブル席で。
 愛煙家のお客様で、座布団席ご希望の方は石蔵座敷、椅子席をご希望の方は蔵横座敷で。
 皆様ご協力をお願い致します。

東京蕎麦屋巡りから帰樽いたしました m(__)m

銭函の早朝の海と山々


 ↑ 東京へ出発した日の朝の銭函海岸の海を列車の窓から。

銭函の海が見送ってくれる


 ↑ 海が見える最後の銭函海岸からの石狩湾 朝焼けが 山と海が私たちを見送ってくれる
  と 座席のスタッフは皆 朝5時起きで もう眠りこけていて(^^)
  感傷とは 無縁らしい
 
 ということで 全員無事 東京蕎麦屋巡りから 帰還いたしました。
 二日間休業させて頂き有り難うございます。
 お客様にはご迷惑をおかけ致しましたが 大変勉強になる 東京行でした。

 スタッフは昨日の最終便で帰樽し 私は一人寂しく残り、千代田区観光協会の声掛けで「観光小樽の挑戦」と題して話をし、皆さんと神田の居酒屋で交歓をし、今朝帰樽いたしました。
 都内を巡るのに地下鉄が便利 
 が、延々と連続する一駅分は歩くべぇという連絡路と 地球新深度に降りていくような階段また階段と その上り下りで、椎間板ヘルニア腰と短脚は パンパン

 小樽駅に到着したら、観測事情最も遅い初雪が 帰って来たなと歓迎・・・

小樽駅初雪


 初雪の鑑賞に浸る間もなく、帰店してへたり込んで15分、珈琲も呑む時間もなく、迎えに来てくれた仲間の車に拉致され 市役所で小樽観光関係の会議で座長役。
 夕方5時 やっと拉致から解放されて・・・
 椎間板ヘルニア腰と短脚がパンパンに トドメは萎縮した前頭葉が とけてしまって。 

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深秋にひた走る小樽 貳

庭紅葉


 深秋にひた走る小樽
 どこからか
 風に運ばれて 紅葉がふきだまって

 赤福が 比内鳥が 吉兆が そしてボロボロと 偽装表示も噴き溜まる
 そんな 人間のあわれな所作を 横目に 秋は深まる

ゼロ歳に戻るお祝いに粋な手ぬぐいを

粋な手ぬぐい

 蕎麦屋親爺が敬愛する ライターであり ブロガーの MORIHANA嬢が
    還暦って数え歳でしょう
と 悪戯っぽい笑みを浮かべ さらに追い打ちで 
    赤いちゃんちゃんこでは様にならないでしょう
と 粋な朱の柄の手ぬぐいを プレゼントに わざわざご来店頂いた
 お客様から・・・
 もう 蕎麦屋冥利に尽きる想い
 もう 何年になるか
 とある企業の広報誌に 弊店を紹介頂いてからのご縁で 爾来ご愛顧を頂いている
 というか このMORIHANA嬢の目線と観察眼・力 そしてそれを さりげないが確固とした文章にまとめあげる その力に 当方が 惚れ込んできた
 蕎麦屋親爺も 店も こういうお客様にご来店頂き育てられて 今がある

 絶対つとまらないだろうが 私が一介のサラリーマンであったなら MORIHANA嬢と出会うことなどなかった
 蕎麦屋稼業だからこそ お客様にご来店頂く商売だからこそ 幸いにして 多くのヒトとの出会いがある と 思っている
 蕎麦屋親爺であったからこそ 多くのお客様との出会いに恵まれ今がある

 そして 30有余年を経て
 ・・・ゼロ歳に戻る 
 まだ血気盛んな20代の頃 「ナンデ 50−60歳まで 生きているのか」と 悪ぶって叫んだものだったが・・・ その年齢になってしまった

 まだまだ お客様に勉強させて頂き続けて 行く
 ありがたい

小樽の街中にこんな空間が延々手宮まで、旧国鉄手宮線

旧国鉄手宮線


 数日前の会議からの帰りの 秋の旧国鉄手宮線
 750万人の来訪者のある観光の町のど真ん中に こんな静寂が・・
 観光バスで数時間の来樽時間しかない 来訪のお客様は気の毒だが 味わえない

 レールと枕木の間に生えた緑が 目に優しい
 こんな空間が 町中のど真ん中にある わが街・小樽

test6


 秋の山紫水明を味わいに出かけるなど 所詮出来ない相談
 旧国鉄手宮線を ほんの僅かな時間通り過ぎた だけだが
 次々と会議と事業に追いまくられ 凝り固まり ささくれ立つ神経を 解きほぐしてくれる

 この手宮まで続く旧国鉄手宮線空間を もっと磨こうと数ヶ月検討した企画が・・
 梯子を外されてしまって・・
 来訪するお客様の滞在時間を伸ばす
 地場経済に波及効果をあげる 
 時間消費型観光の キーワードは 《文化だ》 と論議しているのに こうなってしまう
 かつて 小樽運河保存運動のとき 小樽運河埋め立て促進派が
   《文化ではメシは喰えない》
と叫んだが 今は 文化でこそメシが食える 文化こそが《儲かる観光》に結びつく という時代になったのに
 要は 小樽観光の現状認識の 根底にあるこの数年の危機意識が 言葉だけに 負ける
 気持ちが萎え失せる
 空を見上げると・・・

旧国鉄手宮線のななかまど


 ナナカマドの 枝という枝に 赤を益々深めていく実がなっている

 枝に積もった真っ白い雪に このナナカマドの赤の実が映えるのも もうすぐだ

しりべしツーリズムサポート誕生4

道新10・1


 ついに、後志エリアの広域観光事業を展開する、自立した地域法人、有限責任中間法人・しりべしツーリズムサポートが誕生します。
 10.01 倶知安法務局に設立届けを提出いたしました。
 事務所も後志エリアの真ん中、倶知安町のJR倶知安駅構内の空店舗を借りてスタートします。
 
 是非、皆さんご支援を。
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October.1.2007 59'th Birthday

枯れ木


 06:00amー09:00am 弊店ホームページのCSS化でMacと格闘
 10:00amー12:00pm D新聞社T記者と
            ウィングベィでの収穫祭の意義と5年間のしりべしiネット
            の到達段階を語る
 13:00pmー14:00pm しりべしツーリズムサポート法務局登記の確認作業
 14:30pmー16:00pm 女将に怒られ3Fで弊店社会保険関係書類作成
 16:00pmー16:30pm 産クラ余市・F氏とSorbetto試食と見積もり談義
 18:00pmー20:00pm X氏来店 中期計画と地域連携で論議
 20:00pmー21:00pm irdi H・Y両氏来店 地域づくりで論議
            H氏3度目の来店でやっと会話できる。
 21:00pmー00:00am 道青連小樽・全道交流会なおらい 於:マンジャーレTAKINAMI

 板場滞在時間 2時間半

 これが 私の 59th BirthDay・・・
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・・・あれから1年 思う秋

秋の海の夕暮れ


  思う秋 
  謙虚に そして気迫の 深秋
  見わたしても 花のない 深い静かな時節

  日々が 遅滞なく進行しやすい 好機
  土に稔る 作物に等しく
  年の始めより 心にかけた作業が 仕事が 
  形となり 色を増して姿を見せる
  収穫の時を むかえる

  もとより 事のすべてが 唯一人で成就するものでない
  されど 周囲の一人一人が 動き 作意し 吟味しての 豊穰にほかならぬ
  やりとげた事 思いのみで至らなかった事 そして成すべき事
  一人静かに 秋の気を呼吸する 深思の時を大切にしたい
  そして一日の終わりに 掌中に 我が酒
  謙虚と気迫の輝きで 語り尽くし 疲れ干涸びた唇を濡らす 喜び
  
  乾杯!
籔半・営業日
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記事検索
はまれば泥濘的籔半
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今の時季のお奨め
粋に鯔背に蕎麦屋酒
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蕎麦・うどんメニュー
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    定価¥1,050 弊店で販売中。
    極みのローカルグルメ旅 柏井壽著

    弊店をご紹介頂きました。

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    ・・・最初にお断りしておきたいのは・・・〈食〉をランクづけしたり、星の数で評価しようとなさる向きにはお役にたてないだろうことを、あらかじめお断りしておく。
    (「はじめに」より抜粋)

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