koizumi
 私の古い友人が、近間で「ビストロK」というお店を営んでいる。
 とある人にそのお店を紹介し、GW過ぎてその方がご来店され、お帰りに声掛けいただいた。 
 「ビストロKは如何でしたか?」、と伺うと、
 「いやぁ、良かったです。 私ブログやっていてその時の感想をアップしているので、いつか読んでみて下さい。」
と、ブログURLの入った個人名刺を頂き・・・アクセスしてみた。
 料理を色々誉めてくれていて安堵、だが最後に、
 「・・・味は良かった。 が、ビストロと紹介されたがパスタがあるのはイタリアン、自慢気にハヤシライスを奨めてくるのは、おいおい洋食屋かい? そもそもメニューがこんなバラバラなビストロなんて? 一体全体、この店は『何屋』とブログで紹介すればいいのか?」
と。

 街の店を情報誌のように「カテゴリー・ジャンル」分けしないと気が済まない人が現出する時代に、なっている。
 これらのブロガーは、自分が脚でかせいで店を訪れ食事をしリアリティある情報をアップしていると自負しながら、ちゃかり勝手な★のランク付けをし、結局如何に自身がカタログ情報誌的志向に陥っているのかを気づかない
(^^)

 私の30数年来の友人Sが昔言っていた言葉がある。
 「巡り歩く面白さがあるのが、この街なんだ。 街を楽しむとき予定をたてちゃ駄目なんだ、だって予想外の店やその界隈の出来事などに遭遇し、予定を台無ししてくれるほど面白さに溢れているのだから。」
と。

 柄にもなくネクタイたまに買うかと、札幌のデパートにいく。
 この種のものは結局家内が買って来てくれても気にいらない方が多く、結局お蔵入りしてしまうから面倒でも自分で選ばないとならない。
 デパートのエントランスには各階の案内版が目に入る。それを見逃したとしても、どう勝手に歩いてもたどりつくエスカレーター前にも各階案内版があり、それに従い売場フロアでエスカレーターを降りると目線の先にフロア案内版があり、それで迷わずネクタイ売場に辿り着く。
 再開発されたと評判の「街」をどぉ〜れと訪れ歩くと、このデパートのように行きたいところに着くようインフォメーションがシステム化され、それはそれでいいプランニングと評価されるのだろう。

 が、何となく想像できるよう配置された「街」って、何なんだろうと。
 ドキドキ感や意外感をくれない街って、理に適いすぎて面白さはない。
 なんだか、情報誌のようにその街がエリアごとに
  インデックスが付き、カテゴリー化されて
来ている。 だから、その街を歩く人も前述の人のように「カテゴリー・ジャンル分け」しないと気が済まない志向にさせていく。

 
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 冗談じゃないと。
 カタログ情報誌では、読者が「店」という名のページの「消費の現場」でろくに他のメニューも見ずにそれだけを「消費」する。
 しかし実際の街の店では、メニューは消費されても「店」は「消費されてたまるか」なのに。
 ましてや 店の並び方にはデパートのような整理はなく脈絡など全くない。
 だけれど巡り歩くにはきちんと手がかりになる雰囲気ある店構えや空気を醸し出していて、それがその人のランドマークとなり、案内版や標識がなくても歩くことが出来、でも結局いつも寄り道したくなり、予定していた用事や買い物ができない。
 そんな楽しみ方こそが「街の本来の楽しみ方」なのだ。

 街が「面白い」というのはその街全体を俯瞰でみるからこそそれを「面白い」と感じるのであって、街の「店」を点で抽出するのではないだろうと思う。
 だから、あるストリートにある、例えば「カフェやジーパン屋やぱんじゅう屋など雑多な個店の集積」を通じて、その街そのものの感覚やリアリティを肌で味わうことができる。 

 見ようとしない人には、見えないだけなのだ。

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 が、小樽には元気な店や通りがそう目立ちはしない・・・が、ある。
 奥沢エリアの旧岡川薬局の近辺に若者の姿が多くなった。
 北運河の旧渋沢倉庫の周りも行き交う若者の姿が目立つ。
 水天宮の海が見えるか外人坂を昇る姿が、増えた。
 元気のなかった祝津の前浜が、いまや5月から10月のシーズン人影が絶えない。
 銭函でも蠢いている人たちがいる。
 松ケ枝の洗心橋の山側エリアの店々に通う姿がある。
 そして、運河清掃をひたむきに続けている若者たちがいる。

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 大方が、いわゆるマージナルな、町の中心とは言い難い「街中の周辺部」で始めている。
 こういう姿を見ずに、街が寂れたとしその責任を行政や市内の主立った団体に求める人々がいる。
 が、堺町通りの北一ガラスも商家茶屋さかえ屋も、静屋通りの叫児楼も行政や小樽商工会議所や観光協会が始めたのではなく、「何かやろう」という思いの者達が始めたのだった。
 過去にもいわゆる新しい賑いを作り出した通りがあった。
 今、商店街をついに生んだ堺町通りもかつては寂れて子供一人では恐ろしくていけない「街中の周辺部」だった。
 いまや櫛のはがかけたような静屋通りは30年前逆に若者が跋扈していたが、静屋通り自体は都通り商店街から外れた「街中の周辺部」だった。
 それは、行政による再開発やはたまたショッピングモールやファッションビルなどが建ってそれが引き金となって賑わいが出来た、TVで紹介される街とは全くちがった仕方でできた。
 いわゆる、ディベロッパーだとか、都市計画家や街づくりプロデュサーのような人が動線計画をし、ランドマークをつくったりで「こしらえ、しつらえた街」では決してなかった。

 つまり、新しい賑わいが生まれていく直接のきっかけには、ひとつのパターンが、とってもシンプルだけれど、ひとつのパターンがある。
 それは、 
 「何かやろう
という人が、何のアナウンスも前触れもなく突然登場し、「自分で作った店」をだし、そこで、「自分の好きなメニューや作品」をつくったり、見つけたりしてきて、「自分で流行らせる」ことで始まっていった。
 当然、ロケーションを大事にし、街の中心部ではないマージナルな、相対的にも家賃が安価で、街中の人が意識すれば「近いところ」が、選ばれて始まる。
 だから、その「何かやろう」人はあらかじめ人の賑わうところに店を出そうとはせず、「売れそう」なものを並べるのでない。
 そう、今流行っている商品やブランドというアイテムやタグが陳列される前に、
 「何かやろう『人』がいる
・・のだ。
 それを僕らは「顔がみえる店」と呼んできた。
 店に並んでいるアイテムやグッズやメニューなどの以前に、
 「それを作ったり、見つけてきたり、選んだりする人の『顔』」
が見えたものだった。

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 かつて小樽では、北一ガラスが、さかえ家が、叫児楼、ウィンケルがそうだった。
 こういう「何かやろう」感覚の人の開業、つまり今までとは違う何かを表現する人の店の出現は、必ず同じ言語感覚を持った人を引きつけ、その店の客となり、あるいは常連となり、「俺も何かやろう」とその向こう三軒に「店」が並び始める。
 その最初の「何かやろう」の人も「店」とジャンルが違う店が建ち並ぶと、そこに「界隈性」が生まれ、「店から通り」へとなっていく。

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 この「何かやろう」人の「店」が軸になり、「店から通り」が更に重層していき「街」が面として出来上がっていく。
 こうなると、新しくできあがった街が広く知れ渡ると「商品を街の記号で売ろう」という商売人や「場所で数字を叩きだそう」という常套手段の商売人がやってくる。
 そして企業レベルでその街で「何かやる」ことがビジネスになることが認識されるとマーケッティングを駆使して大資本はやってき、その「街」のテイストが流行の流れの中で差異化され続ける限りは、まだまだ増殖するが、・・・やがて「臨界点」を迎える。

 行政や大資本による都市再開発、複合商業施設開発などという再開発とは無縁で、かつもともとあった街を浸食していき併呑してしまう「街」の形成のされ方。
 私たちまちづくり市民運動をやってきたものが常に言うところの
 「運動性やダイナミズム
こそ、小樽のユニークなところなはず。
 こういう「まちづくり」を私はこれからも期待していきたい。
 上記の小樽で頑張り始めた「個店」が、更に同じような思いの「何かやろう」人を引きつけ、それが「通り=ストリート」となり更に「街」になっていくことを、心底願っている。

 情報誌に汚染された見方で、「街」や「店」を「カテゴリー・ジャンル」分けをしないと気が済まない方々は、この「街と店の楽しみ方」と無縁の人といえる。

 *写真は蕎麦屋親爺が撮したのと各お店のウェブサイトから拝借しました。