ラノベとかアニメとか日常

アニメの感想だったり哲学気取ってみたり大学のこと書いたりしてます

2014年03月


毎回毎回ネタバレがあるということを事前に知らせるのが面倒なので、これからはそれがあることを前提に感想を書いていこうと思います。以後、ご了承ください。


はい、また桜庭一樹です。実は最近この作家さんの本を四冊くらいまとめて買ったので、次に書く感想もこの人の本になると思います。さて、この小説は、とにかく人並み外れて美しい七竈という十七歳の少女とその周りの大人たちを描いた物語なのですが、この本を読んで桜庭一樹は色々な書き方が出来る非常に筆力のある作家なのだと、改めて実感しました。舞台は平成の世の中、つまりは現代ですが、文章の雰囲気はどことなく昭和を感じさせます(と言ってもぼくは平成生まれですが……)。特に主人公の七竈の喋り口調は戦前戦後の時代の女性と言った感じで、普段見るアニメや漫画のキャラクターとは異なり新鮮味を感じました。そういえば教科書の文学作品に出てくる女性もこんな感じだなー、とか思い出しました。


読み終えて感じたのですが、この作家さんは本来ライトノベルを書くような人ではない気がしました。やはりこのように地力のある作家さんは純文学の世界でこそ生きると思います(と、文学をあまり読まない奴が偉そうに言ってみる)。どこかのインタビュー記事に書かれていたのですが、桜庭一樹さんの中では「GOSICK」とそれ以外の小説、という風に仕事が分かれているそうです。微妙に違うことを言っていたかもしれませんが、GOSICKは純粋なエンターテイメントとして書いているそうで、そのジャンルだと人の感情の深い部分を書き貫くことが難しい、とのことです。確かにそう言われてみると、GOSICKは分かりやすく”ライトノベル”と言った感じで、登場人物も、『人』というよりは『キャラクター』と表現した方がしっくりきます。中高生が対象のライトノベルでは、読者が読みやすいようにキャラクターもある程度分かりやすく描写する必要があり、そう言った点から、キャラクターの心情を深く複雑に書くことはやはり困難になるのでしょう。つまり、桜庭一樹という小説家のことを本当に知るためにはGOSICK以外の小説も手に取る必要があるということです。というわけで皆さん、桜庭先生の著作をぜひよろしくお願いします!(なぜ宣伝をしているのだろう)


話が逸れました。作品の話に戻ります。僕が感じたこの小説のテーマは、大人になるということの意味、でした。主人公の七竈は十七歳の少女でとても美しいのですが、彼女の周りには年をとって醜くなったという女の人が数多く登場します。そしてその中には、若かった頃は彼女と同じように綺麗だった女性もいます。年齢を重ねるにつれてその美貌を失っていき、そして同時に心も廃れていった彼女たちの姿がこの作品では過剰なまでに描かれていると感じました。女性の人物だけに限らず、この小説には他にも年をとって衰えていった人々が多く登場します。七竈の親友に、雪風という七竈を男にしたようなこれまた人並み外れた美少年がいます。そしてこの少年の父親もやはり若い頃は雪風のような美貌をもっていました。ですが、結婚し年をとった彼はかつての美しさを失い、妻からは役立たずの馬鹿呼ばわりされる有様です。この作品では、このような大人たちを七竈や雪風といった若く異常なまでに美しい人物と対比させることによって、年をとることの残酷さを強調しています。


というかぼくってあんまり長い文章書けないですね。まだ書くことはあるような気がするのですが、正直もうこれ以上考えられないです。まあでも細かい部分に手を出すとキリがない、というのもありますよね。ほら、なにせ桜庭先生の小説だし。とてもとてもすべてを書き表すなんて……すいません、言い訳です。


しかしながら最後にもう一つだけ書かせてもらうと、七竈という女の子は僕の中でかなりポイント高かったです。残念な趣味を持つ美少女、という今となっては王道になってしまった萌えの設定がしっかりと生きていましたね。七竈の趣味は鉄道なのです。鉄道を馬鹿にされてむきになる七竈はとても可愛いですよ。先述した通り、七竈は昭和風の女の子ですからね。そのアンバランスさがなんとも言えない味わいを醸し出しています。七竈を愛でたい、と思った皆さんはぜひこの作品手に取ってみてくださいね!


……なんだこの締めくくり方。


今日、桜庭一樹のタイトルにある小説を読みました。これまで桜庭一樹の初期作品はライトノベルに属するジャンルだと思っていたので、内容はなかなか衝撃的なものでした。なんせ主人公の友達の女の子が父親にバラバラにされて殺されちゃうんです。ネタバレだと思う人もいるかもしれませんが、これは一番最初のページに明かされることで、小説を読んだ時に抱く感情にはあまり影響しないと思われます。


小説の解説にも書かれていることですが、いずれ殺されると分かっている女の子の死に読者が悲しみを覚えるのはなぜでしょうか。これも解説からの解答ですが、大抵は逆なのです。つまり、分かっているのに悲しい、ではなく分かっているからこそ悲しいのです。読者は海野藻屑という女の子が最終的に殺される運命にあると理解しているのですが、登場人物であるこの少女は当然ながらその事を知る由もありません。


ここからネタバレです。


海野藻屑は父親から虐待を受けています。にも関わらず藻屑はそんな酷い親に憎しみを覚えることもなく、むしろ愛情さえ抱いています。それは普通の子どもが親に抱く愛よりもよほど深く、それ故に児童相談所の人に虐待について尋ねられても親を庇う行動をとります。作中ではこれは「ストックホルム症候群」の一種であると説明されています。監禁されるなどして長時間に渡り犯人と時間を共にしている被害者が、犯人に対して好意的な感情を抱いてしまう現象も、これによるものです。つまりは藻屑と父親の関係性が、監禁している犯人と被害者の関係に類似している、ということなのです。藻屑は日常的に虐待を受けていますが、いつかは父親が自分に愛情を注いでくれると信じています。だからこそ父親がどこかへ連れていかれることを拒むのです。しかし結末は残酷なもので、主人公に誘われて家を出ようとした藻屑は、父親に鉈でバラバラにされて殺されてしまいます。


藻屑を殺した父親ですが、主人公のなぎさは娘を殺した直後のその父親が泣いている姿を目撃しています。お前が自分で殺したんだろう、と矛盾を感じる場面ではありますが、やはり父親は娘に対して、歪んではいますが愛情を抱いていたということなのでしょう。普段から自分の娘を罵倒したり殴ったりする酷い父親ではありましたが、最後には娘を失って悲しむ姿が作中で描写されています。このあたりの感情は複雑で完全には理解できませんが、子どもを愛さない親はいない、ということでしょうか。そう結論付けておいた方が綺麗な気がするので、ぼくはそう思うことにしています。


ネタバレ終了。


まだ他にも書きたいことはありますが、かなり長くなってしまいそうなのでこの辺にしておきます。作者の「私の男」という小説を読んで既に感じていたことですが、やはり桜庭一樹はただのラノベ作家という器には収まらない人です。まあそもそもぼくが勝手に考えていたその括りが間違っていたという見方もできますが……とりあえず、皆さんも是非読んでみてください。あまりこの表現は好きではないのですが、色々と考えさせられる作品です。ゴシックしか読んだことがないという人で、桜庭一樹に対してその印象が根付いている人はきっと衝撃を受けることでしょう。「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は、十分に読む価値のある作品です。



あ、ちなみに短編ですが一応小説を完結させました。ライトノベルです。電撃大賞に応募しようと思っているので、もし一次選考とか通ったりしたら報告しようと思います。

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