今日、桜庭一樹のタイトルにある小説を読みました。これまで桜庭一樹の初期作品はライトノベルに属するジャンルだと思っていたので、内容はなかなか衝撃的なものでした。なんせ主人公の友達の女の子が父親にバラバラにされて殺されちゃうんです。ネタバレだと思う人もいるかもしれませんが、これは一番最初のページに明かされることで、小説を読んだ時に抱く感情にはあまり影響しないと思われます。


小説の解説にも書かれていることですが、いずれ殺されると分かっている女の子の死に読者が悲しみを覚えるのはなぜでしょうか。これも解説からの解答ですが、大抵は逆なのです。つまり、分かっているのに悲しい、ではなく分かっているからこそ悲しいのです。読者は海野藻屑という女の子が最終的に殺される運命にあると理解しているのですが、登場人物であるこの少女は当然ながらその事を知る由もありません。


ここからネタバレです。


海野藻屑は父親から虐待を受けています。にも関わらず藻屑はそんな酷い親に憎しみを覚えることもなく、むしろ愛情さえ抱いています。それは普通の子どもが親に抱く愛よりもよほど深く、それ故に児童相談所の人に虐待について尋ねられても親を庇う行動をとります。作中ではこれは「ストックホルム症候群」の一種であると説明されています。監禁されるなどして長時間に渡り犯人と時間を共にしている被害者が、犯人に対して好意的な感情を抱いてしまう現象も、これによるものです。つまりは藻屑と父親の関係性が、監禁している犯人と被害者の関係に類似している、ということなのです。藻屑は日常的に虐待を受けていますが、いつかは父親が自分に愛情を注いでくれると信じています。だからこそ父親がどこかへ連れていかれることを拒むのです。しかし結末は残酷なもので、主人公に誘われて家を出ようとした藻屑は、父親に鉈でバラバラにされて殺されてしまいます。


藻屑を殺した父親ですが、主人公のなぎさは娘を殺した直後のその父親が泣いている姿を目撃しています。お前が自分で殺したんだろう、と矛盾を感じる場面ではありますが、やはり父親は娘に対して、歪んではいますが愛情を抱いていたということなのでしょう。普段から自分の娘を罵倒したり殴ったりする酷い父親ではありましたが、最後には娘を失って悲しむ姿が作中で描写されています。このあたりの感情は複雑で完全には理解できませんが、子どもを愛さない親はいない、ということでしょうか。そう結論付けておいた方が綺麗な気がするので、ぼくはそう思うことにしています。


ネタバレ終了。


まだ他にも書きたいことはありますが、かなり長くなってしまいそうなのでこの辺にしておきます。作者の「私の男」という小説を読んで既に感じていたことですが、やはり桜庭一樹はただのラノベ作家という器には収まらない人です。まあそもそもぼくが勝手に考えていたその括りが間違っていたという見方もできますが……とりあえず、皆さんも是非読んでみてください。あまりこの表現は好きではないのですが、色々と考えさせられる作品です。ゴシックしか読んだことがないという人で、桜庭一樹に対してその印象が根付いている人はきっと衝撃を受けることでしょう。「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」は、十分に読む価値のある作品です。



あ、ちなみに短編ですが一応小説を完結させました。ライトノベルです。電撃大賞に応募しようと思っているので、もし一次選考とか通ったりしたら報告しようと思います。