以前も似たような拙文を書いたことが有るが、また、ここで書かせてもらう。

 

これから、「いわゆる保守派」の活動や運動へ参入しようとされる人への「忠告」である。

まあ、或る面、「いわゆる左翼」にも通じるのであるが、とりわけ「いわゆる保守派」に於いて顕著である。

 

まず、最初に、「政治思想」並びに「政治運動」としての「保守」それ自体が「虚妄」であるということではない、ということをしっかりと明記しておきたい。

ただ、ここ最近、跳梁跋扈している「いわゆる保守派」の惨状を目にした結果を踏まえた上での「忠告」である。

 

もし、何らかの契機でもって、自分が「いわゆる保守派」の活動や運動へ参入しようと思ったならば、とにかく「有名人」に成ることである。

「いわゆる保守派」は、「ミーハー」である。

別に、「本物」の「有名人」に成る必要はない。

「いわゆる保守派」の「閉ざされた言語空間」内で「有名人」に成れば良い話しである。

一番、簡単な方法は、身近な友人たちと集まって、数人規模の小さなもので良いのだが「保守系市民団体」を結成してしまうことである。

そして、そこの「代表」を名乗ることだ。

そうなれば、「小」成りと云えども、「一軍の将」として、「待遇」してくれる。

後は、本を出版することだ。

「いわゆる保守派」は、オヤジどもが多いので、出来得れば電子書籍ではなく、紙媒体の本を出版することである。

「自分はこんな“言論活動”しています!」とPRすれば、それで、一応は「文化人」扱いとなる。

後は、「肩書」を持つこと。

大学の「教員」(非常勤でも“効力”有り)、

「評論家」(これは本の出版が一番の証明となる)、

「議員」(区市町村議会でも、ちゃんと一目置いてくれる)

「経営者」(個人事業主でも、ちゃんと一目置いてくれる)

「管理職」(大企業や著名な団体職員、もしくは非営利の組織でも有名ならば“効力”有り)、

「宗教者」、(お寺の住職、神社の神主など)

以上である。

これらの「肩書」を保有する者は、「いわゆる保守派」内に於いて、「先生」と呼ばれ、云わば「客分」「軍師」「指南役」という「待遇」に成る。

だが、それ以外、つまり、単なる平凡な「一個人」であるならば、どんなにひたむきに活動しようとも、単なる「足軽」「陣笠」「雑兵」でしかない。

なお、学生の場合だと、そこに在籍する学校の「偏差値」が大きく影響する。

東京大学やら早稲田・慶応義塾などの「六大学」の学生ならば、諸手を挙げて歓待してくれる。

だが、「日東駒専」「大東亜帝国」といった私立大学生に成ると、「何だ。バカ学生か。」と内心は露骨に見下している。

けれども、例え「バカ学生」と思っていても、何処かの「団体」の「青年部」の肩書を持っていれば、一気に高い評価に成る。

下手をすれば「一軍の将」、「幹部候補生」として、瞬時に「上位」へ引き上げられる。

ただ、得てして、著名な「団体」の「青年部」の「幹部」は、それなりの「高偏差値」の学校の学生が成ることが多い。

日本共産党系の「民青」のトップは、かつては東大生が多かったのと同じである。

あとは、「出自」であろう。

例えば、祖父が「保守」の「業界」で「功績」が有った、とか。

また、いかにも「保守」という「家柄」(例えば、有名な神社の神主の家)の子孫である、とか。

逆に、NGなのは「左翼転向組」。

所詮、「裏切り者」であり、「志操堅固にあらず」と見なされ、内心は侮蔑され、不信感を抱かれている。

だから、かつては左翼思想にシンパシーが有った、とか、実は創価学会会員の子弟だった、とか、そういう「プライバシー」を明かすと、その「一点」を以て「人格」や「言動」が「全否定」される「瞬間」を迎える。

だから、むやみやたらに自分の「プライバシー」を明かさないことである。

だいたい、「いわゆる保守派」は、「同志だ!」「仲間だ!」「戦友だ!」などと云い合い、「共に戦い、共に死のう!」と安直に誓い合う。

ところが、それから間も無く、例え出会っても視線も合わさない、そういう「不倶戴天の敵」と変じる。

まあ、或る面、「共に戦い、共に死ぬ」という「関係性」は維持される訳であるがwww

だから、何の用意も準備もしないで、「いわゆる保守派」の活動や運動へ、純情でもって身を投じると、直(じき)に辛い思いをすることに成る。

もし、「いわゆる保守派」の活動や運動へ参入するのならば、自分の「人間関係」を「いわゆる保守派」だけに絞り込まないことである。

他に、趣味や娯楽や地域などの、全く別の「人間関係」を必ず温存、維持しておくことである。

「いわゆる保守派、有る有る」で、或る瞬間、突如、「いわゆる保守派」内の「人間関係」から「絶交」される場合が有る。

まあ、それは「何気無いひとこと」であることが多い。

「失言」と云えば、誠にそうなのだが、そのたった一言の不用意な軽口が、「いわゆる保守派」内での「全て」を喪失させる可能性が結構な割合で存在するのである。

だから、「いわゆる保守派」内の「一個人」は、極力発言をしないことである。

そもそも、「いわゆる保守派」内では、「一軍の将」でもなければ「先生」でもない、単なる「一個人」からの「発言」など望んでいない。

無名な「一個人」は、「有名人」たる「一軍の将」や「先生」方の「御高説」を褒め称え、

「そうだ、そうだ!」

「異議無し、異議無し!」

「マンセー、マンセー!」

と絶叫していれば、それで良いのである。

この、「有名人」や「肩書」が大好き、異論は認めない、という傾向は、韓国人とまるっきり同じである。

韓国人も「肩書」が付いていないと露骨に侮蔑するので、日本国内では単なる「平社員」であっても、韓国人向けの特別な「名刺」には、「営業部長補佐」などと「日本国内では存在しない肩書」が明記されると云う。

かつての「保守派」は、韓国は、同じ「反共」ということで「仲間意識」が有った。

だが、ここ数年は、韓国人に対して蛇蝎のように忌避する。

多分、「似た者同士」の「近親憎悪」の感情から起因しているせいだろう。

 

何度も書いているのだが、自分は、自称・真正保守という御仁から「お前なんか保守じゃない!在日の創価信者だ!」と「認定」されて、めでたく「保守」でなくなった。

だから、現在、自分は「保守」だとか、「左翼」だとか、そういうことを意識せずに、その時その状況に於いて、自分の感じたこと、分析したことを率直に表現出来るように成った。

本当に有り難い限りである。

但し、「敵からの転向者」というものは、「実戦」に於いては、極めて「有用」であると思うのだが。

そう、かの「銀河英雄伝説」のメルカッツ提督を見れば、容易にご理解出来ると思う。

(勿論、自分なんぞは、メルカッツ提督の足元にも及ばない愚昧の徒であるのだがwww)