自分が子供の時分には、まだ地上波TV放送でもって「演芸番組」と云うのが結構有った。

NHKだと三國一郎が司会で、トリはだいたい落語だった。

1970年代に成って来ると、浪曲や講談が家庭内から縁遠くなってしまい、長唄や詩吟に到っては、そういうことを「なさる」方でないと解らないように成ってしまった。

ただ、まだ「演芸」「話芸」の最高峰は「落語」と云うのが、東京では残っていた。

それが1980年代のいわゆる「漫才ブーム」で覆る(くつがえる)。

そもそも「落語」と云うのは、まだるっこしいのである。

全部が全部、初めから終わりまで全て「笑わせよう」と仕組んで構成された「話芸」ではないのだ。

時にはしんみりさせたり、考えさせたり、一つの「噺(はなし)」の中に様々な紆余曲折が有って、最後の最後の「オチ」(「下げ」と云う)でもって締めくくる。

その「オチ」が、駄洒落だったりする訳で、それが現在の「ギャグ」ということに受け止められているのであろう。

だいたい、桂三木助師匠の「十八番」(おはこ)だった「芝濱」(しばはま)は、人情噺である。

現在の我々の「落語」と云うジャンルの受け止め方は、多分「滑稽噺だけ」ということなのだろう。

まあ、「雑俳」(ざっぱい)だとかが下らない上に他愛無いから、「滑稽噺」の具体例としては良いだろうか?

しかし、それが「頭山」(あたまやま)まで行ってしまうと、まさに「超現実主義(シュールレアリズム)」へ突き抜けてしまう。

しかし、落語と云うのは「話芸」としてはなかなか味わい深く、凄まじい。

「人前で話す」ということを「意識」したならば、大なり小なり、「落語」と云うのは極めて有効なテキストと成る。

現に自分は、外回りの仕事が多かった上に、会議を仕切ったり、プレゼンテーションなども数多くやらせてもらった。

その際の「手本」と成ったのは、「落語」の「話芸」であったのである。

だから、ボーッとしている時に、いきなりマイクを渡されて、「取り敢えず、ひとことご挨拶を」と振られても、あまり動じない。

「ああ、よござんすよ」とばかりに、「何も考えずに」wwwひとことふたこと話したり出来るのである。

勿論、こちとら「話芸の巧者」である訳が無いので、かんだり、詰まったり、どもったりする。

当たり前である。

自分は、アナウンサーのような「話しの専門家」ではないからである。

この「専門家ではない」と云うのは、実は卑怯な「逃げ」なのであるがwwwこのように開き直ったところから、人前で話すことが恐ろしく無くなった。

とにかく、実は、自分の「スピーチ」の「手本」は落語家(噺家)さんである。

それも、三遊亭圓生師匠や桂文楽師匠といった「大師匠」ではない。

ああ云う「折り目正しい」話し方と云うのは、相当な修練とこだわりが無いと到達出来ない。

しかし、自分は生来の粗忽者で、ドジ、間抜けなのである。

「お、今日は巧く出来そうだな」と思った次の瞬間、必ず、ズッコケるのであるwww

だから自分は「完璧」は無理である、と。

粗相や間違いの発生は免れがたい。

そう、覚悟するしか無くなった訳である。

で、あるならば、どうしても粗相や間違いが不可避な自分が人前に立って話をするにあたってどうしたら良いのだろうか?

粗相や間違いでもって、聞いて下さる「相手」が不快に感じなければ良い、と。

つまり、粗相や間違いが「愛嬌」として感じられるようになれば、粗相や間違いはネガティブなものから反転してポジティブな「味わい」に変わるのである。

その格好の「手本」は、初代・林家三平師匠である。

三平師匠は、噺家として売り出した時、その評価は散々だった。

噺が覚えられない上に、「きちんと」噺が出来ない。

だから、周囲から馬鹿にされたし、ご本人も相当劣等感に苛(さいな)まれた、と云う。

ただ、三平師匠は声が良かった。

声の「二枚目」である。

で、その「声の二枚目」がズッコケるから、余計に無様に感じられたのである。

ところが、三平師匠は一生懸命、全身全霊でもってとにかく頑張った。

自分なりに研究もし、脚本家やシナリオライターなども「ブレーン」として幾人も抱えて努力した。

そして、その結果が「昭和の爆笑王」という評判である。

三平師匠の圧巻さは、「客いじり」である。

三平師匠が高座に上がり、噺を始めていても、客席の方に絶えず「引っ張られて」しまっている。

お客が先に「オチ」を叫んでも、憮然とせずに照れ笑いで進めてしまう。

さらに、お客が遅れて入って来ても、「どうも、お待ちしておりました。まだ、噺の枕のところでございまして」などと、云わなくても良いことを口にしてしまう。

何故なのか?

それは、三平師匠の溢れんばかりのお客様に対する「愛情」の現れなのである。

三平師匠にとって、自分の話芸の巧拙は重要ではないのである。

それよりも、目の前のお客様に対して、とにかく楽しんで笑ってもらいたい。

少しでも喜んでもらいたい。

そのひたむきな「愛情」こそが、三平師匠が何をしでかしても「笑い」へ昇華出来得た理由である。

その証拠に、出囃子が鳴り、三平師匠が高座に上がる時点で、既に客席には「笑い」が充満して来ているのである。

もう、三平師匠の「空気」が出来あがっている訳である。

だから、噺の途中で「下げ」を云ってしまっても、その「しでかし」は、和やかな「笑い」に昇華されてしまうのである。

これは或る面「話芸」とは云えない。

古今亭志ん生師匠と同じく、「キャラクター商売」wwwである。

だから、自分も人前でお話しする際には、「巧くやろう」とは考えない。

勿論、「巧くやりたい」という願望と欲求は存在している。

だが、その「気持ち」でもって勝負しないのである。

それよりも、自分が「いただいた場と時間」に対して、聴いて下さる方々が喜んで欲しい、楽しんで欲しい。

ただ、それだけのことなのである。

自分は学者でも研究者でもない。

ただの「お節介なおっさん」に過ぎないwww

そんな「ただのおっさん」の話しをわざわざお聞き下さる訳だから、少しでもご不快な思いにならないように。

よしんば、楽しんで喜んでもらえるように。

ただ、それだけのことのみを考慮して、自分の「話し」を構築している。

それは、万人にとっての「手本」と成るかどうかは、甚だ疑問ではある。

また、「どうせ、粗相や間違いが出るから、何とかそれを愛嬌で糊塗しよう」という「厭らしさ」は底流として存在する。

しかし、そういった「あざとさ」をもひっくるめて納得してもらえるような、そういう「話し」が出来たら幸いである、と考えている。

愛と云おうか、菩提心と云おうか、ただそれだけのことなのである。