自分は現在、しがない「派遣労務者」である。

「お前の代わりなんぞ、いくらでも居る」と云われている。

こう云われて、自分は今、ホッとしている。

もし、「余人を以て代え難い」などと云われてしまったならば、おちおち風邪をひくことも出来ない。

「天才は量産する」し、「頼みごとは忙しい人に頼め」と云われる。

なまじ「能力に秀で」「意欲的で」「仕事が出来る」人だと、それこそ、「仕事が後から後から湧いて出る」ような惨状に陥る。

で、責任感や自負心が強ければ強い程、「仕事を抱え込む」ことと成る。

これは、「美談」ではあるが、それはあくまで「本人にとって」の「美談」である。

こと「組織の運営」という観点から見るならば、駄目である。

と云うよりも、その「組織」にとって「危険要因」(リスク)である、と云って良い。

そもそも人間と云うのは「生身」(なまみ)である。

好調、不調、感覚の冴えと鈍り、バイオリズムの上下が必ず起きる。

例えば、オリンピックのゴールドメダリストのようなスーパーアスリートであったとしても、必ず時系列でもって戦略的な行程表を構成している。

つまり、のべつまくなしに、オリンピックの「正念場」を設定していないのである。

4年に1度、その競技の「決勝」に関わる「試合」の「時期」から逆算するかたちで、ベストコンディションが形成されるように戦略的な行程表を組んでいる。

だが、「後から後から湧いて出る」ようなかたちでミッション(任務)が課せられた場合、自分にとっての実力を最高に発揮出来得る瞬間を設定することは不可能に成って来る。

そうなれば、或る程度、抑制的に、心身に無理が生じない程度のレベルまで下げたかたちでの「処理」をこなしていくことと成る。

これは、良い悪いといった問題ではなく、不可避な必然である。

そうしなければ、どこかで破綻をきたすからである。

だから、或る「業務」を一身に任せてしまっている「能吏」がいたとするならば、出来得れば、彼から無理やりでも「業務」の一部を引き剥がして、「チーム」でもって「業務」を行うようにするべきであろう。

もし、その一身に「業務」を背負ってしまった担当者が、何らかのかたちで欠けたり、機能しなく成ったりした場合、その穴埋めフォローはとても大変なことと成ろう。

よく有りがちなのは、事務方で他の追随を許さない程圧倒的に「仕事が出来る」担当者が、その能力と成果が評価されて「昇進」してしまった場合、途端に「組織」や「業務」に支障をきたす、という事例である。

だから、あまりにも「その部署で卓越した仕事ぶりを発揮する」担当者が居ると、いつまで経っても人事を「動かせない」ことに成る。

本当なら本社の営業本部長を任せたいのだが、大阪支店長から移動させると「大阪支店」が破綻してしまう、という事例である。

そこで、仕方が無いので「本社営業本部長兼大阪支店長」などと云う、無茶苦茶な人事に陥ったりするのである。

だが、それは土台「無理」なのである。

個人としての仕事の量が心身の限界を超えてしまいかねないし、もしくは、本来は別個人で担当すべき役職を同一人物で運営させることによって生じる頽廃である。

時と場合によっては、本社営業本部長と大阪支店長は、「相剋関係」に成ることも有る訳である。

それをむりやり同一人物が兼任した場合、その人物の言動の論理的整合性が揺らいでしまいかねない。

そこから頽廃が生まれるのである。

やはり、「無理」はいけないのである。

組織の業務に於いては、互換性が無ければいけない。

だから、或る特定人物が、その業務を担当している場合は機能していても、その人物が欠けたり、機能しなく成ったりした途端、回らなくなるのは、その業務が既に属人的と化してしまったのである。

属人的というのは、その特定個人のキャラクターに決定的に附属したかたちに成ってしまったことである。

例えば、明石家さんま師匠が司会のTV番組で、他のキャラクターが司会を代行しようとしても、それは事実上「代行」に成らない。

明石家さんま師匠の「代わり」は、他に存在しないからである。

明石家さんま師匠のような存在は、「カリスマ」や「名人」と云われるもので、こういう特定個人の参与が前提で結成された組織は、自分から見るととてもではないが「組織」とは云えない。

「組織」と云うのは、その構成人員同士が、担当役職に於いて互換性が無ければいけない。

そうしなければ、「組織」の永続性が担保出来ないからである。

だから、「余人を以て代え難い」と云われて鼻の下を伸ばして悦に入っていてはいけないのである。

それは「ヨイショ」であるから、真に受けない方が身のためである。

逆に、それが本心から云われていたとするならば、危機意識を持って早急に対策を講じなければいけないだろう。

 

そう考えると、現在の「派遣労務者」という身分は気楽で良い。

確かにどうしようもない程薄給であるし、将来に於いて先行きは不安である。

ただ、「一寸先は闇」なのは、万民誰しもが同様である。

「もうちょっと重責を担うべきだ」という叱責もされるのであるが、今のところ自分の「出番」が無さそうなので、淡々と今、出来得ることを行っていくことにしている。