マスコミ評論雑誌「創(つくる)」の最新号、平成31年3月号の特集は「新聞社の研究」である。

自分は、毎年、この「新聞社の研究」特集に関しては、まめに目を通して来た。

この「創」は、明確に左翼的論調のスタンスである。

だが、マスコミ業界内に関しての紙面づくりには定評が有った。

今年の「新聞社の研究」特集を一言で説明すると、「ついに電子版に舵を切らざるを得なくなった」という「現実」である。

既に、数年前から、各新聞社の取り組みとして電子版への取り組みが為されていることが、報じられていた。

ただ問題は、紙媒体に比べて電子版は「儲からない」という厳しい現実であった。

しかしながら、ついに時代の趨勢は、最早「新聞はスマホで読む」状況に落ち着きつつある。

かの読売新聞の「主筆」であり、「首領」(ドン)である渡邊恒雄(ナベツネ)は、「新聞はあくまで紙で」というこだわりを持っていた。

だが、さすがのナベツネも齢90歳を超えて、電子化への「待った」が弛んできたのかもしれない。

読売新聞もおっとり刀で、電子版への態勢固めに乗り出しているという。

新聞が「紙」から「スマホ」に「表示媒体」が変化した場合、新聞という「商品」「コンテンツ」としてのありかたそのものが根源的に変容せざるを得なくなるであろう。

まず、印刷、配送、排紙といった「物品」に関する業務が軽減されていく。

紙もインクも要らなくなるし、いちいち宅配までしなくて良い。

そうなると、新聞販売店への「押し紙」や販促費といったことがらも存在意義を失う。

紙の新聞宅配ならば、「一家に一紙」であったのだが、今後の電子版の価格設定によっては、「一人で複数以上の新聞購読」という読み方が多数派に成るかもしれない。

そうなると、大新聞による「報道しない自由」というエゴが通用しなくなるかもしれない。

かつて、朝日新聞がけたたましく書き立てると、それによって国民世論全体が左右されることがたびたび起こった。

閣僚の首や法案が幾つも飛ばされたのである。

また、ネット上で「読む」場合、新聞も雑誌も「土俵」は同じに成る。

だから、記事の内容如何によっては、部数そのものは少ない雑誌が、大新聞よりも大きな国民世論形成に影響力を与えられる事態も出て来るかもしれない。

ただ、現時点で、雑誌と大新聞の決定的な違いは、その「取材記者」の人数である。

雑誌は、やはり外部のフリーライターに依存する体質であろう。

その点、現時点では自社正社員の記者を多く抱えているのは大新聞社である。

この「人数」「組織」という数の力は、大規模で長期間の調査取材に於いててきめんに物を云う。

やはり「組織力」が無ければ、調査報道と云うのは成り立たないのである。

だが、今後、大新聞社が組織の軽量化をはかっていくようになっていくと、最終的には大規模な調査報道に取り組めるのはNHKしか存在しなくなる可能性が出て来よう。

なお、アメリカでは、ニューヨークタイムズ紙が電子版で利益を生み出せるように成って来た、と云う。

強烈なドナルド・トランプ大統領の出現により、「アンチ・トランプ」の層がニューヨークタイムズ紙に結集したためのようである。

そのため、アメリカに於いて、既存の新聞社の電子版で「好調」だという報道は、このニューヨークタイムズ紙のみである。

そして、世界的に見て、他紙の電子版が従来の紙媒体に代わり得るだけの「新聞社のビジネスモデル」として成果を上げているのは、まだ、存在していないようである。

(日本経済新聞社が、かろうじて、成功しているかも)

だから、もし、アメリカ大統領が、また、リベラル色に戻った場合、現在のニューヨークタイムズ紙の好調が維持されるかどうかは、何とも予想が出来ない。

やはり、ネットの情報や映像などは、「無料」である、という「前提」が出来上がってしまったことが、いわゆる「知的コンテンツ」供給者にとって厳しい状況に成って来ているように感じる。

しかし、「情報や知識は無料」と云う「前提」は、非常に危うい。

なお、今後は、あまりに増加し過ぎたネット上の情報や知識を「先導」する、コンシェルジエのようなサービス業が成り立つかもしれない。

まだまだ、ネット検索には使い勝手が不充分なところが有るからである。