自分は、いわゆる「失われた世代」に対して、行政や企業が全面的に救済すべきであるとは思わない。

やはり、自助努力はしなければいけない。

だが、いわゆる「自己責任論」でもって、今迄、あまりに行政や企業が現実逃避をして放置し過ぎていた。

だから、敢えて救済論に偏るかたちで書いている。

ただ、「弱者」というのは、「情報弱者」であることがほとんど。

例え、努力して頑張っても、それが間違っていたり不充分であったりすれば、やはり成果は上がらないのだ。

どうも日本人は、「正誤」や「善悪」の二元論で断じることが多過ぎる。

「正しい」か「正しくない」か、という座標軸の他に、「巧拙」という座標軸が存在すると自分は感じるのだ。

だから、悪戦苦闘している人に対して、「お前は駄目だ」「お前は正しくない」という批判ばかりを叩きつけると、反発したり、意気消沈してしまったりする。

場合によっては、「正しいけれど、下手くそなんだ」「間違っていないけれど、不充分なんだ」という指摘をしなければいけない、と思う。

話しは戻るが、「失われた世代」を、全部丸ごと救済することは不可能であるし、行うべきでもない、と思う。

ただ、ピンポイントで効果的なアシストは絶対に行わないと駄目だと思う。

「失われた世代」は、日本の社会に於いて、それなりの割合と規模を有する。

自分が危惧しているのは、「失われた世代」が50歳代や60歳代にまで年齢が上昇した時、循環器系などの重篤な成人病を発症することである。

現在は、かろうじて自活出来ていても、脳梗塞や心疾患などで半身不随の状況に陥り、さらに初期治療が為されずに不可逆的な症状が重くなってしまえば、最早、社会福祉として面倒をみなければいけない状況に成るだろう。

現在、貧困ゆえに食生活が偏り、住居や衣服に関しても不充分な環境にあれば、風邪といった病気も医師に診てもらうことを断念し、薬店の販売薬さえ購入せずに我慢するしかない人もいるだろう。

そして、どんどん病状が悪化し、或る時突然、昏倒して病院に担ぎこまれるような事態に成るかもしれない。

そうなってからでは遅過ぎるのである。

成人病を予防するような方向へもっていかなくてはいけない。

ただ、健康と云うのは、将来に対しての希望が持てなければ意識を持てないと思う。

半ば自暴自棄の絶望的な状況に有った時、飲酒や煙草といったストレスを紛らわせる対象に依存したくなってしまうであろう。

だから、「酒や煙草に溺れるような奴は馬鹿だ」と断じたところで、何の解決にもならないのである。

「もっと美味しいお酒が飲めるように成りましょう」

「もっと美味しい煙草が吸えるようにしていきましょう」

といった切り口から、生活の見直し、人生の立て直しをはかっていかないといけないと思う。

「失われた世代」だけでも2百万人は下らないだろう。

その大群が、一気に要介護5といった重篤な障害を発症するような状況に陥ったら、日本の国家は内側から支えきれずに崩れ落ちてしまうであろう。

緊迫する安全保障問題対策も重要であるし、少子化対策だって軽視してはいけない。

だが、最早、中高年に突入してしまった「失われた世代」をピンポイントで補助していなければ、日本の国家、社会の底が抜け落ちてしまうと思う。

ただ、いわゆる「希望者を全員、正社員にすべき」や「最低賃金を高額にせよ」というのは不可能であると思う。

日本の企業や社会の「組織」のあり方そのものが、今、激変しようとしている訳で、1960年代に確率されたような「正社員」像は、最早、維持出来ないだろう。

自分は、ただの派遣労務者だから、具体的な改善策を提示することは出来ない。

だが、強いて上げるとするならば、せめて「居住」に関しての補助であろう。

一つは、「家賃補助」であり、公共による寮の整備である。

とにかく、ネットカフェや貸しコンテナ倉庫を「住居」にするしかないような状況下の人は、早晩、路上生活者に堕ちてしまう。

ただでさえ、人手不足が深刻化するにもかかわらず、一方で「働けない」人が出てしまうのは、情けないことである。

まずは、心身の健康を損なわない程度の最低限の救済を早急に整備しておくべきだと愚考する。