「住宅都市整理公団」別棟

ここは団地マニアのためのウェブサイト「住宅都市整公団」の総裁のblogです。団地だけじゃなくて工場やジャンクションや高架下建築や。

現実は想像より強い — 2017年4月24日・団地団イベント


  • 次回の団地団(2017年4月24日 19:30〜 阿佐ヶ谷ロフトにて。詳しくは→こちら)でみんなでおしゃべりしようと思っている内容がてんこもりでして。稲田さんの新刊『ドラがたり — のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』、山内さんが短編小説を寄せている『団地のはなし — 彼女と団地の8つの物語』、うめさんの『おもたせしました』、これらについて。いずれも団地団メンバーです。いかにぼくだけ仕事してないかが分かるってものです。がんばらねば。

  • そしてゲストにはすばらしい団地マンガ『サザンウィンドウ・サザンドア』の作者である石山さやかさんをお迎えします! ちょうたのしみ。

  • で、もうひとつ。同じく団地団メンバー今井さん(今回は登壇されませんが、ぜったいどこかで見てるはず)の『アリスと蔵六』のアニメ化だ。これについて、イベントでお話ししようと思っていることを、以下に。

  • 物語中、ぼくがもっとも「おお!」と思ったのはこのシーン↓
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    「イメージって余計な情報に簡単に左右されますから 『自由な想像』を能力として使いこなすのってじつは難しいんです この現実の暴風雨に体力を奪われるのを五感で感じながら…… 『雨にまったく濡れていない自分』を想像できます?」
    「想像さえすればそれが現実になる」は万能に思えるけれど、実はその「想像」がけっこう困難である、というのはほんとうにその通りで、すごくおもしろい。これこそこの作品のテーマだとぼくは思っている。

  • なので他の能力者たちが「一種類のものしか現実化できない」というのも納得した。圧倒的な現実を前に安定して「想像」できるものって、一人の人間につきひとつぐらいのものかもしれない。ぼくは趣味でジャズピアノを弾くのだけれど、自由にインプロビゼーションというのはなかなかできなくて、ついつい手癖で「いつものフレーズ」を弾いてしまう。それとこの能力は似ている。

  • 以前「団地団」のイベントで作者の今井さんが「なんでもありに見える『不思議の国のアリス』だけれど、実は今のぼくらには簡単に想像できるのに、アリスには(ルイス・キャロルには)想像できなかったことがある。それは『空を飛ぶ』こと。アリスは空を飛ぶことだけはしない」と言っていたのを思い出す。
    『不思議の国のアリス』は1865年に出版された。ライト兄弟がはじめて有人飛行したのはずっとあとの1903年。現実は想像より強い。

  • ミリアム・C・タチバナが出現させられるのは、死んだ夫の腕(頭も体もなく腕だけ)というのも興味深い。彼女が安定して想像できるのは愛した夫の腕ということ。腕だけ。これってすごくグロテスクで、フェティッシュ。

  • そういう意味で一条雫が「術式」を唱えることによって、何種類も出現させられるのもすごく面白い。どうして魔法を使うときに「呪文」が必要なのかが分かった。つまり現実の圧倒的な情報によって想像力が攪乱されないようにするための、いわば瞑想なのだ。

  • あと「紗名はどうして子供なのか問題」があるな、と思う。ある時突然人間の形をして存在を始めた彼女は、どうして子供として出現したのか。大人でも幼児でもなく、子供として。

  • 「子供」という概念が「発見」されたのは17世紀とされているが、「子供服」が人類史に出現するのはヴィクトリア朝時代。なんと『不思議の国のアリス』の挿絵に描かれた服がその嚆矢だという。子供服は、その誕生からして「キャラクター商品」だったのだ。(『アリスの服が着たい — ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生』より)

  • コミックスにはなくて、アニメ化で追加されたものに、裸で逃げ出した紗名が、アリスのような子供服を出現させて自分に着せるシーンがある。以上のような「子供問題」を連想したので、あのシーンの追加はすごくいいな、と思った。

  • また思いついたら追記していきますー。みなさんぜひお越しください。

  • あ、あと「マンションポエムの最終形態」ともいえる物件があったので、それについてもプレゼンテーションします。

「盛られた」顔がほんとうの顔

『特に若い女性の間で写真アプリ依存というか、現実との乖離が進行してるように思う。以前、どんな風に撮れているのか見せて欲しいと言われたので、デジカメ背面モニターで見せたところ、「違う!これは私の顔じゃない!写真撮るの下手ですね」と不機嫌さを露わにされた』
というカメラマンの方のtweetがあった(→こちら

この話、ものすごくおもしろい。というのも19世紀中頃にナダールは肖像写真館を開くが、その時のことを「人は撮られた写真をはじめて見るとかならず失望する」と語っているからだ。ほとんどが怒りに燃えて写真館を後にした、と。(『新聞報道と顔写真』より)肖像画はもともと「盛る」ものであり、ほんらい「顔」とはそういうものだった。

おそらく写真の出現によってはじめてわれわれがいま「ほんとうの自分の姿」だと思われているものが発明された。だから、アプリが「現実から乖離」した像をつくっているのではない。これまでの写真が見せる像が「現実」とはほど遠い異様なものなのだ。(念のため言っておくが、上記カメラマンの方のことを云々するものではない。tweetされている内容はほんとうに困ったことだと思う。お察しします)

肉眼で見る恋人の顔は、写真で撮られる像とはまったく異なる。鏡にうつった自分もそうだ。これは脳内にあるその人のイメージによって「補正」されるというだけでなく、写真がある一瞬の顔の筋肉の動きをとらえてしまうという原理的な「不具合」にもよっている。「顔」には時間が含まれている。一瞬の表情が「ほんとうの自分の姿」なわけがない。

つまり自撮りアプリの「盛り」はほんらいあるべき自分像に寄せてくれるものであり、ようやく写真は肖像に適したものになった、ということだ。黎明期からその分野に挑み、200年弱たってようやく。

こうした「写真は現実を写すもの」という19世紀に発明された感覚を最もよく表しているのは『ボヘミアの醜聞』だろう。この話の中でホームズは、筆跡も便せんも封蝋も女性との親密な交際の証拠にはならないとしているのに「一緒に写った写真」ばかりは証拠として致命的だ、と言っている。

ちなみにこの話の最後で、その女性は「証拠写真」とは別の自分の写真を残して逃げる。そしてホームズは大金の報酬を断り、かわりにこの写真をもらう。その後、彼女のことをときおり思い出し "the woman"「あのひと」と呼ぶのであった。

ただ一点気になるのは盛って実現しようとする「本来あるべき自分の顔」のイメージはどこからやってくるのか? ということ。これについては別途じっくり考えよう。
 
 

桜色の底の青

花見や花火といえばブルーシート。安くて丈夫な建設資材であるシートがたまたまブルーなため桜の下が青くなるわけだが、ブルーシートがなぜ青いかというと「見た目爽やかだから」らしい。そういう理由がまわりまわって風景を決めちゃうのおもしろい。

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さらに面白いのは、ホームレスの家が青くなるのは、置かれていったシートをふたたび"建設資材"として再利用するからだそう。上野公園や隅田川に青が目立った(最近あまりいらっしゃらないけど)のは花見と花火があるからだという。これは以前ホームレスの家の観察をしたとき隅田川のホームレスの方にきいた。

風景の色が何で決まったか、でいうと、香港の古い団地の色あいはなぜ赤が多いのか、という記事を現地の新聞コラムで読んだことがあってそれも面白かった。それによると、赤系塗料の値段が安かったから、だそうだ。曰く、あの赤の成分は錆の色で、最も安価につくることができる、と。

青といえばクロマキー合成のブルーバックも、おおもとをたどるとモノクロフィルムの時代のフィルムの特性に由来するという(後にも使われ続けたのは肌の色との兼ね合いだろうけど)。ブルーシートほどではないが色それ自体に理由がないのおもしろい。

青でさらに思い出したのはブルースクリーンだ。あれ、なぜ青なんだろう。ブルーバックと同じように、初期のディスプレイの性能がおおもとにあって、それが解消された今でも受け継がれているのではないかと予想するんだけど。

さらに思い出した。そういえば青焼きってなんで青いのか。同じく青いサノアタイプ(いわゆる「青写真」)が紫外線によって還元された鉄イオンとだけ反応する塩で現像するため、と習ったけど。

いずれにせよ人間が青を選んだわけではないっていうの、やっぱりおもしろい。
 
 

『東京大改造マップ2017-2020』がほぼ写真集

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東京の再開発動向をまとめたムック『東京大改造マップ2017-2020』にぼくの写真が載っています。これがもはや写真集っぽい!

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↑A4版判型見開きでどーんと!続きを読む

物語のインフラとしての団地・『サザンウィンドウ・サザンドア』がすばらしい

毎回の更新が楽しみだった、石山さやかさん( @shiya07 )のすばらしい団地マンガ「サザンウィンドウ・サザンドア」 が一冊になりました。すごくうれしい。

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祥伝社 FEEL FREE で連載していた作品。本になってあらためて読み返して、ますますすきになった。ほんとうにすてきな作品。

タイトルの「サザン」は "southern" ではなく "thousand" 。従って「サザンウィンドウ」は団地の「南面平行配置」のことではありません。残念。いや、残念がるところではない。

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↑カバーをとったら、タイトルのとおりたくさんの団地の窓が並んでいる装丁で、これまたすてきだなあ、と思った。続きを読む

2016年冬コミで写真集『チェルノブイリ』リリース



2016年冬のコミケで新作写真集リリースします。『チェルノブイリ』。その名の通りチェルノブイリとその周辺の写真集。

  • 平成28年12月30日(金) ビッグサイト 東7ホール 「i13a」にて

  • ほったらけの旅」さんのスペースにおじゃまして出展します(ぼくは抽選落ちたので)

過日チェルノブイリに行った時に見た構造物・光景を収めました。A5サイズ38ページ、1,000円。今のところコミケ以外での販売は予定がないので、確実に入手したいという方はビッグサイトへぜひ。コミケ行ったことない、って人はこれを機会に遊びにいってはいかがでしょうか。おもしろいよ、コミケ。

チェルノブイリ紀行の詳しいレポートは下記

ほったらけの旅」さんとは、コミケで知り合って、チェルノブイリに一緒に行った仲です。あちらもどうやらチェルノブイリ写真集とグッズを持っていくみたいなので、あわせてぜひ。ぼくも楽しみ。

で、ぼくの写真集、本日印刷所から届きまして。けっこう良い出来で満足。冒頭の写真が表紙。以下、


↑事故を起こした4号機の威容続きを読む

「ルール決めて10年撮れば作品になる」PHaT PHOTO vol.94『同じ被写体を集めて見えてくること』

 
雑誌『PHaT PHOTO vol.94 2016 7-8月号』に写真評論家のタカザワケンジさんとぼくの対談が8ページにわたって載っております。

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『同じ被写体を集めて見えてくること』という特集。まさにぼくがやってることなわけです。続きを読む

九龍城と「きみは撮り続けなければならない」

きたる2016年5月20日(金)〜7月4日(月)、品川のキャノンギャラリーで宮本隆司さんの写真展『九龍城砦』がありますよ! これは必見だ。

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いわずと知れた、かつて香港にあった九龍城。ぼくが興味を持ったときにはすでに取り壊しが始まっており、ついに訪れることができなかった。晴海高層アパートとならんで「見ることができなくてものすごく残念物件」だ。ほんとうに残念。

宮本隆司さんの写真集『九龍城砦』は学生時代何度も見返した。今回プリントを見ることができるのがとても楽しみ。

実は20年前、研究室に宮本さんをお招きしたことがあって、そのとき下の製鉄所の写真を見てもらったことがある。続きを読む
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カモ
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ぼくが出した本たち↓
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名団地たちをペーパークラフトにしました。
門外不出の旧公団による古い団地写真も多数!
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