tobe1006
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■先日同じ内容で行ったカルチャーカルチャーでの様子はこちらのレポートで。
→1回目:好きでもなんでもないもを撮るとどうなる?
→2回目:とにかく同じ時刻に撮るってのを1ヶ月続けるとどうなる?
→3回目:他人になりすまして撮るとどうなる?

■第3回目の「他人になりすまして撮る」はUST中継しました↓


この中継を見てくださった方々のつぶやきのまとめ↓


ほんと、主催するぼくがだれよりびっくりするとてもエキサイティングなワークショップになっています。
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さて、このワークショップをやろうと思ったきっかけと、その内容を。

スーザン・ソンタグの『良心の領界』という本の序文「若い読者へのアドバイス」にこういう一説がある。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。

この序文がぼくはだいすきで、ときどき読み返す。本文のほうを読んだのはいちどきりだけど。

で、また写真のワークショップをやります。今回は思い切ってこう題してみた「2ヶ月間ですごい写真を撮るワークショップ」。「すごい」ってべんりな言葉。

上の写真では、いきおいで工場の写真使ってみたけど、工場は撮りません。たぶん。すまん。なにをやるかというと「自分と写真をできるだけ遠ざける」というもの。

たとえば「趣味なんですか?」ってきかれて、「写真撮ったりしてますねえ」ってこたえると、「そうなんだー。みせて?」ってなるよね。でもなんだか怖くて見せられなくないですか?そんなことない?ぼくは怖い。「へー、こういうの撮る人なんだ」「へー、写真うまいですね」とかいわれると、なんかやだよねえ。なんか自分が品定めされるようで。写真集まで出しておいてなんですが。

つまり、なんか、写真がいつのまにか撮り手の個性や能力を表現する作品のように思われている。ぼくはそれは幻想だと思う。写真はべつにそういうことはなにも表さない。というか、なにも表さないことが写真の本質だとすら思ってる。

(いや、もちろん厳密にはそんなことないんだけど。まあ、そこらへんのことはそれこそソンタグの『写真論』とか読んでくださいな)

そういうわけで「自分と写真をできるだけ遠ざける」っていうのをやってみよう、と。そういうことです。ぼくがカメラ雑誌なんかでよく目にする文章で気に入らないのは、「自分だけの写真」とか「あなたらしさを大事に」とかいう、あれ。これ、要するに"自分探し"だ。なんでわざわざカメラ抱えて自分探ししなきゃならんのよ。そんなこというから写真撮れなくなっちゃうし、見せられなくなっちゃう。

自分自身について、考えないこと。とソンダクはいった。ぼくらはほっとくと自分のことを考えちゃう。せめて写真を撮っている間は、「自分自身を脱却できる場所により深く入り込んで」みようじゃないですか、と、そういうワークショップです。いわゆる写真技術のことはなにひとつお話ししません。そういうこと、ぼくしらないし。というか、これがほんとうにワークショップというものなのかどうかもあやしい。

とかいう説明をするとなにやら理屈っぽい感じだけど、そんなことはない。すごく楽しいはず。

具体的には

1.自分の好みと関係なく、好きでもなんでもない物を街中探してひたすら撮る
2.自分の意志と関係なく、毎日同じ時間に(あるいは場所で)写真を撮る
3.自分ではなく、他の人になりきって写真を撮る


というのをやります。なので今回は全3回のセット。ぼくにとってもチャレンジ。

1回目はこれまでやってきた内容と同じ。街に出て、みんなで散歩しながらひとつの物をただひたすら撮るっていうもの。詳しくはこちら

なんだかんだでこの内容のワークショップ、7回もやったけど、ひとりとして"すごく"ない写真を撮った人はいなかった。はじめる前はそんな物に興味なく、しぶしぶやっていたはずなのにしまいには「この室外機はかわいいんですよー!」とか語り出す。すばらしい。

2回目は、宿題の発表。1回目と2回目のあいだは1ヶ月あける予定なんだけど、そのあいだに毎日写真を撮ってもらう。だたし、1日1枚だけでいい。それが宿題。

毎日同じ時間になったらシャッターを切る。それがどこであってもかまわない。なんなら目を閉じて撮ってもいい。あるいは、毎日同じ場所で撮るか。自分地の玄関出たところで、とか。

いずれにせよ、自分の意志ではなくて単純なルールに従ってシャッターを切る。それだけ。でも30日分並べてみんなで見たらおもしろいと思うんだよね。たぶん。

そして3回目は、いちばんの冒険。これも宿題。2回目とこの3回目のあいだも1ヶ月ぐらいあける予定。どういう宿題かというと、自分以外の参加者になりきって1ヶ月毎日一枚写真を撮ってきてもらう。その人の撮りそうな写真を撮る。

で、楽しみなのは、これの発表。3回目にその「なりきった相手」に30日分の写真をさも自分が撮ったかのように解説してもらう!

こうやって撮ったこれらの写真は、いったい誰が撮ったものといえるのか?

いやまあ、シャッター切った人のものなんでしょうけど。でも、だとするとそれはようするに写真に最後に残るのは「その時間にそこにいた」っていうことだけ、っていうことなのかもね。それはすごいことのような気もするしたいしたことじゃない気もする。それを確かめてみたい。

あと、これまでワークショップを開催してよくいわれたのが「発表するのがいやなので、参加したいんだけど、やめときます」というもの。

よくわかる。わかるよ。いやだよねえ、みんなのまえで発表なんて。でも、なんでいやなんでしょうか?それはたぶん「つまんないって思われたらどうしよう」とか「うまく喋れなかったらどうしよう」って思うからですよね。もしそうなってしまったらすかさず、ぼくに向かってこう言いましょう「だってあんたが撮れっていったんじゃない!」と。

そう、これらのシャッターを切ったみなさんはまったくこんな写真撮りたくて撮ったわけじゃないんだから。だから人のせいにすればいい。ぼくはこういう"表現"における自己責任というのがきらいでして。もっと人のせいにして撮ればいいと思う。

と、まあ、なんか安手のセミナーみたいな内容に見えちゃう感じだけど、ぼくとしてはこれまでのように「アロエばっかり撮ってアロエマニアになっちゃう人」とか「コンセントばっかり撮ってコンセントマニアになっちゃった人」とか、そういうゆかいなことを目撃したい、っていうだけです。みなさん、お気軽にぜひ。

東急セミナーBE 【申し込み受付始まりました!】: 
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