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(速水さんにサインねだったら「ラーメンポエム」書いてくれた!)


■大量生産だいすき!

ぼくはクルマの免許を持っていない。「ジャンクション」なんて本を出しておいて、持っていない。クルマに興味がないのだ。なんて言うと「いまどきの若い子」みたいだが、もう若くない。先日11月3日に誕生日を迎え39歳になった。そろそろ肩に違和感が。

なんの話だっけ。

でも、工業製品としてのクルマにはすごく興味がある。「クルマはかくして作られる―いかにして自動車の部品は設計され生産されているのか」という本があるのだが、これがすばらしい。いわゆるサプライヤーと呼ばれるクルマの部品を収める会社がなにをどうやっているのか、というのを、たくさんの現場の写真を撮り、そこで働いている人の話をきいてまとめたものだ。これがほんとうに面白い。

ぼくは大学でデザインを勉強していたが、その学科は工学部にあった。そこで学んだことは形の美しさではなく、大量生産されることの難しさとすばらしさだ。ぼくら当たり前だと思っているけど、たくさん同じものを作るというのはすばらしいことなのだ。ぼくが工業製品としてのクルマにひかれるのは、いわばこの製品が大量生産される民生品の究極だからだ。内燃機関を持ったものが、人命を預かって、高速で移動する。それが大量に作られる。しかもデザイン的にはバリエーションに富み、マーケティング的にも在庫管理的にも先端を行っている。

よく時計が「精密」であることに魅力があるとか語られるけど、クルマに比べればたいしたことはない。クルマぐらいの質量があって、あれだけの加速が加わると、部品は変形する。それを見越して設計し、同じものを大量に生産しなければならないのだ。考えただけでくらくらする。だいたい「精密」ってどういうことか。この本にも「公差と精度の違いが分かってるか?」って書いてある。

この「クルマはかくして作られる」のレビューをいくつか見ると「職人技がすごい」とか言われているけど、じつは本質はそこじゃないのだ。たしかに職人技が語られ、それはすごいんだけどそれは大量生産のための職人技だからすごいのだ。よくテレビとかで、たとえば陶芸の素晴らしさを安易に「量産品にはない手作りの一点一点異なる味わいが良い」みたいな言い方で褒めるのを耳にするが、おまえちょっとそこへ座れと。ラインにおける製品のばらつきと歩留まりと、一方ほんとの職人が持ってる、量産品では実現できない全く同じものを作る技術のすごさ知ってんのかと。ほんとの手作りのすごさはむしろ「まったく同じものを作れる」ってところにある。


で、この「ラーメンと愛国」だ。この本がおもしろいのは、ラーメンという「大量生産品」を通して戦後から高度成長、そして現在までの日本の有り様の一端を語っている点にある。戦後日本を語るために食べ物を経由して、というだけであればおよそそれが何であっても可能だと思う。でも、そう、たとえばここで寿司ではなくてラーメンなのは、それが工業製品だからだ。この本はしょっぱな安藤百福(日清食品の創業者)が工業製品としてインスタントラーメン(チキンラーメン)を作るところからはじまる。おそらく、著者の速水さんは大量生産品が大好きなんだと思う(だからいっしょに団地団をやっているのだ。団地はわかりやすい大量生産品住宅だから。この話始めると長くなるので、またこんど)。

帯のイラストにいまどきのいかにもなラーメン屋の描写---作務衣を着て頭にバンダナ。なぜか腕組みですごむ---があって、「なぜラーメン職人は作務衣を着るのか」という魅力的な問いも書かれているが(実際、後半で行われる「ラーメンポエム」と作務衣についての語りは笑っちゃうぐらいおもしろいのだけど)、やはり主眼は大量生産だ。とちゅう、いきいきとT型フォードやデミングについて語られ、なんの本読んでるんだっけ?って気分になるかもしれないが、これがみごとにラーメンの話につながっていく。
ぼくらはなんとなく大量生産品の食事を見下しているところがある。それが単に味の問題からだけだったらしょうがないかな、とも思うんだけどそれだけじゃないような気がする。そこには「手作り信仰」のようなものがあると思う。前述の「職人すごい」っていうのと一緒だ。本書ではアメリカの生産技術と日本の「ものづくり思想」の文化的違いとしてこのことを語っている。


■アメリカ人は何を食べてきたか

それで思い出したのが、かつてヒストリーチャンネルで放送していた「アメリカ人は何を食べてきたか」という番組だ。これがめっぽう面白かった。ぼくの印象に残っているのは「スナック」の回で、ポテトチップスが1853年ニューヨーク州サラトガのとあるレストランで生まれ(ポテトフライが厚ぼったすぎる、と文句を言った客に対し、料理人が怒っていやがらせでちょう薄くしたのがはじまりだという。)、それが「工業製品」として大量生産されるに至ったかが描かれていた。これがエキサイティングなのだ。

レストランにおけるれっきとした食事から、食料品として量り売りされるスナックとなり、その後包装の技術革新(袋詰めになることでデザインが生まれた)、連続式フライヤーという大量生産革命、そしてリプトンが発明した「ディップ」(日本ではあまりポピュラーじゃないけど、サワークリームとかサルサソースにつけて食べるよね。例の波打ってるぎざぎざのチップスは、ディップ付けるときに折れないようにするための工夫なのだった!)…

この番組はスナックだけじゃなくて、ピザ、液体調味料、缶詰、ホットドッグ、アイスクリーム、炭酸飲料水、クッキー、シリアル(ケロッグ博士の非常に興味深い話は「ラーメンと愛国」の中でも触れられている)など徹頭徹尾「大量生産食品」を取り上げている。皮肉も混じっているとは思うけど、これらをまとめて「アメリカ人が食べてきたもの」と自ら言うところがすばらしい。さすがフォードの国だ。(→この番組、シリーズごとニコ動にあがっていた!

つまり、インスタントラーメンは「日本人は何を食べてきたか?」ということなのだ。しかし、このような大量生産のおもしろさだけだったら「ラーメンと愛国」はこの番組や、前述の「クルマはかくして作られる」のラーメン版というだけだろう。しかし話はその先へ進む。大量生産の裏側にある思惑についてだ。それは戦後国内需要だけではさばききれなくなった、アメリカの小麦生産にある。アメリカは昔から、そしていまでも政治に対する農家の力がとても大きい。戦後の日本の食糧難に対する「援助」の形をとって、アメリカの小麦がいかに日本の食卓を侵略してきたかが書かれている。その使い道のひとつとしてラーメンが普及したのではないか、と論じている。これがとても面白かった。

ぼくはおなじ他国起源(とされている)の食べ物で同じような位置づけにありながらどうしてラーメンは「国民食」になったのにカレーはそうはならなかったのか不思議だったのだが、これで分かった。ラーメンは小麦だが、カレーはコメだからだ。


■大量生産の背後にある思惑


このアメリカの農家の圧力に関して思い出したのが雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史という本だ。この本もちょう面白い!(下巻もある)これによると、小麦だけでなく、コーンもまた大量の消費先を探していた。

あの手この手でコーンの消費を促そうと、コーンからいろいろなものを作り出してきたが、そのひとつがバーボンやコーン・ウィスキーなどのお酒だという。19世紀前半当時のアメリカ国民一人当たりウィスキー消費量を見ると、全アメリカ国民(赤ちゃんなんかも含む)が毎日50CCのウィスキーを飲んでいたことになるという!なんと会社でも11時に「the elevenses」と称して会社からウイスキーが支給されていたという。この反動が、禁酒法時代を迎える原因になったとか。

で、その後19世紀末にポップコーンが生まれ、戦後に掛けて大流行。「アメリカ人は何を食べてきたか」でもその様子が描かれている。1945年、アメリカ産トウモロコシの半数近くがポップコーン製造にまわされたという。

その後1960年代に、トウモロコシ農家にとっての福音「コーンシロップ」が発明される。いまやあらゆる清涼飲料水に含まれ、アメリカのあのスーパーサイズなコカコーラなどは、コーンの消費を高める戦略の一環だとか。おもしろいのは、このコーンシロップを効率的に作り出す酵素を発見したのは日本人だったそうで、渡辺千賀さんは「その後のアメリカ人の肥満ぶりをみれば、どんな戦争を仕掛けるよりこの酵素発見がアメリカにダメージを与えたかも」とおっしゃっていて、なるほどと思った。

さらに。「大量生産の背後にある思惑」を描いただけでは、「ラーメンと愛国」は「雑食動物のジレンマ」ラーメン版というだけだろう。さらに、さらに話はその先へ行く。それが「愛国」の部分だ。さきほどの「作務衣」の話はこれだ。


■やっぱりグフじゃなくてザク

昨今のナショナリズムが旧来のものと違って正統性がなくてもオッケーであることと、ラーメン屋店主の作務衣、店内に貼られた謎の人生訓(「ラーメンポエム」)などとの結びつきの話がとても面白い。面白いんだけど、そういう「ラーメン道」的ラーメン屋については大量生産の話ではないので、読んでて正直ちょっと興味を失ったんだけど、最後の最後でがぜん面白くなった。それはラーメン二郎という「信仰」の話だ。

チキンラーメンという工業製品から、田中角栄と「ご当地ラーメン」の広がり。そしてラーメン二郎。大量生産がネットコミュニティを得て、行き着く先がゲーム的消費と「信仰」。考えてみれば、ぼくのような「マニア」やオタクたちが見つけた夢中になれるものは、大量生産品だ。一点ものの工芸品に夢中になる人をそうは呼ばない。前述した大量生産品であるという理由だけでどこか見下す態度って違和感があって、やっぱりグフじゃなくてザクにぐっときてこそだと思うのだ。

同じものがたくさん作られることがなにかを損なったりはしないことをぼくらは知っている。というか、だからこそ面白い。それがラーメンという食の世界でも起こり始めているということなのではないかと。この「大量生産ネクストステージ」を描いた場面は、これまで挙げた本にはなかった。「ラーメンと愛国」のすごさはここにあると思う。

ラーメンの味についてはなにひとつ語られない名著。ぜひ読んでみて!