「路線図アーティスト」、エセックス大学のMax Roberts博士による東京の地下鉄路線図デザインが話題になっていた。これ↓
出典のぼくが読んだ元記事はこちら
博士は認知心理学の観点から路線図のデザインを手がけておられるとのこと。でもこれ、見やすいんだろうか。いや、見やすいと思う方もいらっしゃるだろうし、地図って既存の形式への慣れが大きくものを言うし、この手の話題って議論を呼びやすいのであまりうかつなことは言えないんですけれども。とにかく、ぼくは見づらいなあと思った。で、なんで見やすくないのかを考えたら、おもしろいことがわかったのでそれについて書こう。
博士による他の都市の地下鉄路線図を見てみよう。
出典のぼくが読んだ元記事はこちら
博士は認知心理学の観点から路線図のデザインを手がけておられるとのこと。でもこれ、見やすいんだろうか。いや、見やすいと思う方もいらっしゃるだろうし、地図って既存の形式への慣れが大きくものを言うし、この手の話題って議論を呼びやすいのであまりうかつなことは言えないんですけれども。とにかく、ぼくは見づらいなあと思った。で、なんで見やすくないのかを考えたら、おもしろいことがわかったのでそれについて書こう。
博士による他の都市の地下鉄路線図を見てみよう。
地下鉄路線図デザインの老舗・ロンドン↓
パリ↓
ニューヨーク↓
いずれも同心円と放射状の組み合わせで駅を配置している。けどニューヨークだけひよってる。円環じゃない。なんかずるい。
この形式の特徴は「中心が発生しちゃう」ってことだ。おそらく利点はそこにあるのだろう。都市には中心地があって、各街はそこからどれだけ離れているかでとらえた方がわかりやすいのではないか、と。それでいうと、東京の地下鉄における中心が大手町になっているのは頷ける。
ところが、ニューヨークはそうはいかなかったようだ。ガバナーズアイランドかリバティーアイランドだかが中心になっている。
さて、この「中心はどこか」という認識に関連してさらに。これら路線図を見て東京にだけ他の都市と違う点があることにお気づきだろうか。
そう、川が描かれてないのだ。
ただ、これは博士の地図特有の問題ではなく、既存の路線図がすでに東京だけへんなのよ。見てみよう。
ロンドン↓
"http://www.tfl.gov.uk"より
パリ↓
"http://www.aparisguide.com/maps/metro.htm"より
そしてニューヨーク↓
"http://blog.lib.umn.edu/densx003/architecture/2008/02/movement_and_mapping_within_th.html"より
一方、東京は!
東京メトロの路線図ページより
都営地下鉄でも同じく河川が描かれていない。
都の路線図ページより
河川がないかわりに何が描かれているか。もうおわかりだろう。皇居だ。
実はほかの多くの都市でも地下鉄路線図には川が描かれている。
上海↓
"http://home.wangjianshuo.com/archives/20031104_shanghai_metro_map_and_timetable.htm"より
ソウル↓
"http://www.mydestination.com/seoul/usefulinfo/6179769/public-transportation"より
これ、実はすごく興味深い。だって、地下鉄に乗ってたら川越えたかどうかなんてわからない。位置を把握するために描かれたとしても、車窓からそれが確認できるわけではない。なのに、河川は描かれがちだ。ここに人間の都市交通の把握のしかたが現れていると思うのだ(ちなみに、大阪も名古屋もベルリンも川が描かれてない。大阪の場合はなくても大丈夫だな、ってなんとなくわかるんだけど、ベルリンはどうしてないんだろう。でかい川が流れてるのに)。
上にあるような、ダイアグラム的な地下鉄路線図は、1931年にHarry Beckによってロンドンの地下鉄でデザインされたのが最初。それまでは、いわゆる地図に路線を重ねて表示していた。
Harry Beckの発明以前、1908年の地下鉄路線図↓
Wikipedia「ロンドン地下鉄路線図」より
これは大発明だ。ぼくは「3.11の帰宅困難から東京を読む 」で
と書いた。つまりぼくらは鉄道や自動車で移動すると(もしかしたら徒歩であっても)地理的な方向距離を無視して、スタート地点と目的地、その途中で意識される中継地とを直線で結ぶクセがあるのだろう。これに関してはすばらしくおもしろい本『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』に詳しい
(この本、ほんとにおもしろいよ!タイトルが発行当時2010年のはやりの言葉を使っちゃってて大失敗だけど。もったいない。元のタイトルは "YOU ARE HERE --- Why We Can Find Our Way to the Moon, but Get Lost in Mall" という小気味の良いものなのに。このアレな邦題に惑わされず、ぜひ読んでいただきたい!)
これは以前イベントマッピングナイトで石川初さんに教えてもらったことなのだが、ロンドンの地下鉄路線図の変遷では、一度テムズ川がなくなったことがあるのだそうだ。
しかし、そのテムズ川の省略された路線地図は不評だったそうだ。で、その次のバージョンからは川が復活し、今に至るまでとうとうと流れている。
つまりたしかにぼくらは移動を単純化してしまうが、都市の把握には川が欠くべからざるものなのだ。たとえ地下でも。人間はすべてをダイアグラム的に把握しているわけではなく、地理的把握との折衷案がぼくらの頭の中にある都市のイメージなのだろうと思う。Harry Beckの偉大なところは、むしろダイアグラムに徹底せずに、この折衷的な余地を残した点にあるのではないか。
だから博士によるニューヨークのものは同心円をまっとうできなかったのだろう。マンハッタン島という地理的なイメージが強すぎるから。
だけど、一方、東京のものにはそもそも河川が描かれていない。多摩川や隅田川や荒川や江戸川があってもいいはずなのに、ない。そのかわり中心に皇居がある。たぶんぼくらは東京をもともとから中心のある同心円で把握しているからだと思う。こと移動の際の足がかりとしては決して東京の中心は空虚ではないのだ。
たぶん、中心を大手町駅にせずに皇居を描いていれば、博士の地図はどの都市のものよりもしっくりきたのではないか。
そういう意味ではこれ↓は秀逸だ
"http://zeroperzero.com/crs/tokyo-.html"より
ちゃんと中心は皇居だ。しかも「日本の国旗『日の丸』を彷彿とさせる」っていう解説もあって、もうなんだかすばらしい!
パリ↓
ニューヨーク↓
いずれも同心円と放射状の組み合わせで駅を配置している。けどニューヨークだけひよってる。円環じゃない。なんかずるい。
この形式の特徴は「中心が発生しちゃう」ってことだ。おそらく利点はそこにあるのだろう。都市には中心地があって、各街はそこからどれだけ離れているかでとらえた方がわかりやすいのではないか、と。それでいうと、東京の地下鉄における中心が大手町になっているのは頷ける。
ところが、ニューヨークはそうはいかなかったようだ。ガバナーズアイランドかリバティーアイランドだかが中心になっている。
さて、この「中心はどこか」という認識に関連してさらに。これら路線図を見て東京にだけ他の都市と違う点があることにお気づきだろうか。
そう、川が描かれてないのだ。
ただ、これは博士の地図特有の問題ではなく、既存の路線図がすでに東京だけへんなのよ。見てみよう。
ロンドン↓
"http://www.tfl.gov.uk"より
パリ↓
"http://www.aparisguide.com/maps/metro.htm"より
そしてニューヨーク↓
"http://blog.lib.umn.edu/densx003/architecture/2008/02/movement_and_mapping_within_th.html"より
一方、東京は!
東京メトロの路線図ページより
都営地下鉄でも同じく河川が描かれていない。
都の路線図ページより
河川がないかわりに何が描かれているか。もうおわかりだろう。皇居だ。
実はほかの多くの都市でも地下鉄路線図には川が描かれている。
上海↓
"http://home.wangjianshuo.com/archives/20031104_shanghai_metro_map_and_timetable.htm"より
ソウル↓
"http://www.mydestination.com/seoul/usefulinfo/6179769/public-transportation"より
これ、実はすごく興味深い。だって、地下鉄に乗ってたら川越えたかどうかなんてわからない。位置を把握するために描かれたとしても、車窓からそれが確認できるわけではない。なのに、河川は描かれがちだ。ここに人間の都市交通の把握のしかたが現れていると思うのだ(ちなみに、大阪も名古屋もベルリンも川が描かれてない。大阪の場合はなくても大丈夫だな、ってなんとなくわかるんだけど、ベルリンはどうしてないんだろう。でかい川が流れてるのに)。
上にあるような、ダイアグラム的な地下鉄路線図は、1931年にHarry Beckによってロンドンの地下鉄でデザインされたのが最初。それまでは、いわゆる地図に路線を重ねて表示していた。
Harry Beckの発明以前、1908年の地下鉄路線図↓
Wikipedia「ロンドン地下鉄路線図」より
ベックは地下鉄の従業員であったが、地下鉄はほとんど地下を走るため、ある駅から別の駅への行き方(鉄道路線のトポロジーだけ)を知りたいと思っている利用者にとって駅の物理的な位置は意味がない、ということに気付いていた。(同じくWikipedia「ロンドン地下鉄路線図」より)
これは大発明だ。ぼくは「3.11の帰宅困難から東京を読む 」で
ぼくらは東京を「距離」「方角」ではなく「吊革につかまる時間」で把握している
と書いた。つまりぼくらは鉄道や自動車で移動すると(もしかしたら徒歩であっても)地理的な方向距離を無視して、スタート地点と目的地、その途中で意識される中継地とを直線で結ぶクセがあるのだろう。これに関してはすばらしくおもしろい本『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』に詳しい
ほとんどのドライバーは、自分がどこから来てどこに行くのかはわかっていたが、休憩所に入る直前、どちらの方角に向かっていたかを答えられる人はほとんどいなかった。彼らは道路のカーブを頭の中ですべてまっすぐ伸ばしていたのだ。(同書123ページ)
(この本、ほんとにおもしろいよ!タイトルが発行当時2010年のはやりの言葉を使っちゃってて大失敗だけど。もったいない。元のタイトルは "YOU ARE HERE --- Why We Can Find Our Way to the Moon, but Get Lost in Mall" という小気味の良いものなのに。このアレな邦題に惑わされず、ぜひ読んでいただきたい!)
これは以前イベントマッピングナイトで石川初さんに教えてもらったことなのだが、ロンドンの地下鉄路線図の変遷では、一度テムズ川がなくなったことがあるのだそうだ。
しかし、そのテムズ川の省略された路線地図は不評だったそうだ。で、その次のバージョンからは川が復活し、今に至るまでとうとうと流れている。
つまりたしかにぼくらは移動を単純化してしまうが、都市の把握には川が欠くべからざるものなのだ。たとえ地下でも。人間はすべてをダイアグラム的に把握しているわけではなく、地理的把握との折衷案がぼくらの頭の中にある都市のイメージなのだろうと思う。Harry Beckの偉大なところは、むしろダイアグラムに徹底せずに、この折衷的な余地を残した点にあるのではないか。
だから博士によるニューヨークのものは同心円をまっとうできなかったのだろう。マンハッタン島という地理的なイメージが強すぎるから。
だけど、一方、東京のものにはそもそも河川が描かれていない。多摩川や隅田川や荒川や江戸川があってもいいはずなのに、ない。そのかわり中心に皇居がある。たぶんぼくらは東京をもともとから中心のある同心円で把握しているからだと思う。こと移動の際の足がかりとしては決して東京の中心は空虚ではないのだ。
たぶん、中心を大手町駅にせずに皇居を描いていれば、博士の地図はどの都市のものよりもしっくりきたのではないか。
そういう意味ではこれ↓は秀逸だ
"http://zeroperzero.com/crs/tokyo-.html"より
ちゃんと中心は皇居だ。しかも「日本の国旗『日の丸』を彷彿とさせる」っていう解説もあって、もうなんだかすばらしい!