エスパー魔美』を読み返した。藤子先生の作品で育ったぼくにとって、中でもこのマンガは特別なものだ。なんせ準主人公の高畑くんは、勉強できるけどスポーツはからきしダメ、風采にも特筆すべき点はないのに、ヒロインのかわいい魔美ちゃんに好意を寄せられるのだ!この設定はぼくらに生きる希望を与えたものだった。

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そしてなんといっても魔美ちゃんのハダカだ。どれだけこれにドキドキしたことか。「エスパー魔美」は希望以外のなにかをもぼくらに与えたのだ。


■ハダカ全カウント

で、あらためて読み返したら、やっぱりハダカだ。すげーハダカ。隙あらば脱いでる感じ。全話で脱いでいるわけではないが、コンスタントに裸体を披露している(後半で大人のヌードモデルが登場し、魔美ちゃんが一時脱がなくなるが)。少年マンガでこれだけ全裸が登場する作品もめずらしいのではないか。ここはひとつ子供心に返って、魔美ちゃんのハダカを集めてみよう。

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↑魔美ちゃんの全ハダカ。圧巻。クリックすると大きくハダカをご覧いただけます。(小学館コロコロ文庫『エスパー魔美』1〜6巻より切り抜き・c藤子プロ・小学館)
全62話で193のハダカゴマが確認できた。ハダカになってるコマを並べたら面白いだろうな、と思ってやってみたら、思いのほか変態っぽい作業になって、自分でちょっと引いた。41歳、不惑である。

ちなみに、ちょくちょくパンツを見せるのも魔美くんのクセだ。

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↑まあこれはある程度納得の出来るパンツ見せだが(「スター志願の巻」より。5巻98ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑これなんかは完全に趣味ではないか(「いたずらの報酬の巻」より。6巻12ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑これはほんらいぜんぜんパンツ見せる必要がない(「生きがいの巻」より。5巻159ページ・(c)藤子プロ・小学館)

残念ながらパンツに関しては今回カウントしていない。この作業に関しては誰かに託したいと思う。

さて、魔美ちゃんはなぜハダカになるのかというと、ヌードモデルをやっているからである。

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(「カッときてグサ!!の巻」より。6巻35ページ・(c)藤子プロ・小学館)

ご存じのように、お父さんは画家。魔美ちゃんにとってお父さんは良き相談相手であり、作中重要な会話の多くが、モデルをやっている最中に交わされたものだ。魔美ちゃんはお父さんが大好き。

そう、魔美ちゃんはお父さんが大好き。で、はっと気がついたことがあった。それは「お父さんと一緒にお風呂に入ることをアピールするアイドルの問題」である。


■父風呂宣言とヌードモデル

わが盟友前川さんの「なぜアイドルは父親と未だにお風呂に入っていることをアピールするのか」によると、最近アイドルがそういうアピールをするケースが多いということだ。「アピール手法としての父風呂宣言はノーリスクで好感度を上げるチャンスである」という彼の分析はまさに慧眼。さすが。

つまり、アイドルとして根本的に避けて通れない武器としてのセクシャルな部分と、純粋無垢なイメージとを両立するぎりぎりのアピール方法が「父親の前でのハダカ」ということだ。裸体が性的な性質を帯びるかどうかは見る側の視線の問題だ。娘にとって、世の男の中で父親だけが「オトコ」ではない。だからOK。しかしそのエピソードから連想する、ぼくらが彼女らの父親の目を通して連想する彼女たちの裸体はきわめて微妙なものに映る。うまい。「父風呂宣言」、実に巧妙だ。

で、魔美ちゃんのハダカも同じ意味なのだね。「藤子・F・不二雄大全集」に収録されている『エスパー魔美 4』の巻末に永井豪が文章を寄せているらしいのだが(ぼくが持っているバージョンはこれではないので孫引き)、それがおもしろい。

当時のマンガ界は、私の『ハレンチ学園』がヒットした影響で、ハレンチ・マンガの人気が高くなり、多くのマンガ家が編集から、エロチックなマンガを描くように要求されたという。
 そうした風潮が、藤本先生にまでも及ぶこととなった。「少年マンガに女の子の色気は描きたくない」と仰る先生に対して、編集サイドが強引に迫ったのだと聞いた。
 要求を受けてかどうか真意は判らないが、藤本先生が描いたのは、ヌードモデルをする少女、魔美だった。
 魔美のヌードは、とても可愛いが、色っぽさとは無縁の、清潔感あるサッパリしたものだ。その清潔感は、「子供達にエロチシズムを与えたくない」とお考えになった、藤本先生の決め事だったのだと思う。

---はてなブログ「さて次の企画は」・「永井豪が、エスパー魔美について思うこと」より

父親目線だからこそ「色っぽさとは無縁の、清潔感あるサッパリしたもの」になると藤本先生は考えていた(と、永井豪は考えた)と。まさにこれは「父風呂宣言」と同じ構図である。

いやー、でもなあ、F先生の他の作品見ると幼少のぼくのドキドキのツボを的確に突いた表現がたくさんあって、ほんとに色っぽさと無縁にしたかったのか?と疑いたくなるんだけれども。

でもまあ、本気であってもエクスキューズであったとしても「父親の前でハダカ」によってドキドキと魔美ちゃんの無垢さアピールを両立させたのはすばらしい。


■高畑くん思春期

さて、魔美ちゃんはアイドルではないのでセクシャルな面と両立する必要はなく、徹頭徹尾純真無垢である。というか、天然というか鈍感だ。

で、魔美ちゃんは高畑くんに好意を寄せている。

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↑ふうつに結婚する気満々である(「恋人コレクターの巻」より。4巻59ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑ほぼプロポーズ(「恐怖のサンドイッチの巻」より。4巻168ページ・(c)藤子プロ・小学館)

で、高畑くんも魔美ちゃんが好きだ。

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↑まあ、好きになるよねえ魔美ちゃんのこと(「友情はクシャミで消えたの巻」より。1巻128ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑高畑くんが感情を爆発させた珍しいケース(「マミを贈りますの巻」より。6巻79ページ・(c)藤子プロ・小学館)

うらやましいことに両思いのお二人さんだが、一点、ちょいと食い違う点がある。それは、高畑くんが魔美ちゃんに「オンナ」を見始めているのだが、魔美ちゃんのほうはあっけらかんとしたもので(というか、高畑くんの自分への好意に気づいているかどうかも怪しい)、自分の身体が性的にアピールしてしまうことにまだ気がついていないという点だ。魔美、思春期以前。

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↑そりゃこだわるだろ(「エスパーはだれ?の巻」より。1巻21ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑魔美ちゃん、鈍感すぎる(「ヤミに光る目の巻」より。3巻119ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑かまいます(「恋人コレクターの巻」より。4巻53ページ・(c)藤子プロ・小学館)

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↑せっかくの超能力なんだから自分のハダカだということに気づきなさい(「わが友・コンポコの巻」より。2巻44〜45ページ・(c)藤子プロ・小学館)

このような魔美ちゃんの未思春期ぶりを表すシーンは枚挙にいとまがない。がんばれ高畑くん。



■魔美とマミ

で、この点に関して連想したのが、別の「マミ」だ。

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↑そう、クリィミーマミです((c)ぴえろ)

魔法少女ものの名作、クリィミーマミ。ちなみに、エスパー魔美のマンガでの連載最終回は1983年で、ちょうど入れ替わるように同年からクリィミーマミは放送開始している。

主人公の森沢優は10歳で、1年間限定の魔法の力で17歳に変身できる。それがクリィミーマミ。優は4歳年上の幼なじみ俊夫に恋をしているが、その俊夫は優を子供扱いし、マミに夢中。変身した自分が自分のライバルというややこしい三角関係の発明がこの作品の優れた点だと思う。

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↑自分の思いに気がつかない俊夫に、優がいらだつシーンがよくある。((c)ぴえろ)

優は俊夫のマミに向ける「オンナへの視線」に気がついている。面白いのは、気づいてはいるが"生身"の優はその身体をまだ持っていないという点だ。深読みすれば、優とマミの関係は思春期特有の「恋」と「性的な身体」の折り合いがついていない分裂した状態の比喩だ。あちこちでで指摘されていると思うが、この「変身」とは少女からオンナへの移行を意味している。

魔美より年下の優のほうがおませさんというわけだ。

さらに象徴的なのは、最終回で俊夫はついに優とマミが同一人物であることに気づき、同時に自分の中にある優への思いにも気づくわけだが、そこでもう魔法は使えなくなる。つまり物語的にはもう変身の必要がなくなったわけだ。男性は童貞のままでいると魔法が使えるようになるらしいですが、女性は恋が成就すると魔法が使えなくなるんですね。

一方魔美ちゃんのほうはどうかというと、最終回の一番最後のコマがこの有様だ。

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↑いまだ父離れできず。高畑くんの苦労はいっとき続きそう(「パパの絵、最高!!の巻」より。6巻270ページ・(c)藤子プロ・小学館)

優とちがって、最後まで魔美は「少女」のままであった。


■コントロールできない身体

さてさて、さらに連想と深読み。

あらためて「エスパー魔美」を読み返してみて思ったのは「ほんとに仁丹がないとテレポーテーションできないのかな?」という疑問だった。

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↑それにしても仁丹というセレクトが渋すぎる(「くたばれ評論家の巻」より。1巻141ページ・(c)藤子プロ・小学館)

ご存じのように、魔美は自分に向かって何かものが飛んでくる状況でないと瞬間移動(テレポーテーション)能力が発揮できない。そこでわれらが高畑くんが害にならない仁丹を自分に向けて飛ばすことができるブローチを作製し、魔美ちゃんにプレゼントしたのだ。

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↑そのガジェットに頼り切ってしまって、べつに仁丹じゃなくてもいいんだということを忘れてしまった魔美ちゃん。いかにも魔美ちゃんらしい(「わが友・コンポコの巻」より。2巻54〜55ページ・(c)藤子プロ・小学館)

思うに、この「何かが飛んでこないと能力が発揮できない」って、魔美ちゃんの思い込みにすぎないんじゃないかと思うのだ。魔美ちゃんちょっと天然だし、そう思い込んでいるだけなんじゃないかと。現に他の能力、たとえばテレキネシス能力の発揮には特に条件はない。

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↑しかも作中「テレキネシスとテレポーテーションは能力としては同じひとつのもの」という解説まである(「友情はクシャミで消えたの巻」より。1巻121ページ・(c)藤子プロ・小学館)

きっと魔美ちゃんは仁丹なしでできる子。そしてこのコントロールできていない感じは、前述の自分の身体が性的な魅力を放っているのに気がついていないことと、どこかで結びついているような気がするのだった。

さて、これと似たような超能力発揮条件どこかで見たような…と思って気がついたのがこれだった↓

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↑ご存じ時かけ。細田守監督の2006年公開の映画。

この「時をかける少女」の主人公・真琴はちょうジャンプしないとタイムリープできないのだった。

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↑なので、作中、やたら飛びます。

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↑そして激突します。

ぼく、これ見たときも「エスパー魔美」と同様「ほんとにジャンプしないとだめなのかな?」と思ったのだった。だってほら、作中もう一人タイムリープしてるあの人がそのたびにジャンプしてるとは思えないじゃない?(ネタバレ含むのであいまいな言い方をしました)

魔美ちゃんの恋と超能力発揮の不器用さと共通して、真琴もまた恋に不器用。というか、恋愛を回避するためにタイムリープ無駄にするし。

ただ、「お互いの思いとの折り合いをつけることができたと同時に能力が使えなくなる」という点ではクリィミーマミと時をかける少女は共通している。魔法少女の鉄則である「能力を知られたらおしまい」というのは、やはり「少女の終わり」を意味しているのだと思う。

それでいうとこれ↓すごいよな!

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↑ご存じスプーンおばさん!

なにがすごいって、スプーンおばさんって、特殊能力を旦那さんに知られちゃう回があるんだけど、それで終わらずに回が続いていくんだもの。あれはびっくりした。終わらないんだー!って。これが結婚というものか。

秘密が知られても日常は続いていく。つまりこれこそが「少女」でも「オンナ」でもない「おばさん」の強さなのだと思う。なにこの結論。
 
 
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以上のような話を、先日大好評だった「あだち去」と一緒に、次回2014年2月28日19時からの「団地団〜あだち充と藤子不二雄」でしゃべろうと思います。って、ほとんどネタ書いちゃったけど。いやでも、この論を物語の本職である佐藤大さんや久保寺さん、山内さんに加え、漫画家である今井さんにぶつけてみたら面白いとおもうんだ!うん、ぜったい面白いと思うので、みなさんぜひお越しください。詳しくは→こちら
 
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↑「エスパー魔美」には何回か郊外の団地が登場するしな!(「エスパーもさらわれる?の巻」より。5巻178ページ・(c)藤子プロ・小学館)