毎回の更新が楽しみだった、石山さやかさん( @shiya07 )のすばらしい団地マンガ「サザンウィンドウ・サザンドア」 が一冊になりました。すごくうれしい。

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祥伝社 FEEL FREE で連載していた作品。本になってあらためて読み返して、ますますすきになった。ほんとうにすてきな作品。

タイトルの「サザン」は "southern" ではなく "thousand" 。従って「サザンウィンドウ」は団地の「南面平行配置」のことではありません。残念。いや、残念がるところではない。

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↑カバーをとったら、タイトルのとおりたくさんの団地の窓が並んでいる装丁で、これまたすてきだなあ、と思った。
各話読み切りの短編集で、全12話+書き下ろしのあとがきが1話。どれも団地の住民が主人公。ぼくが特に好きなのは「ズボンとスカート」と「夜を歩く」。「ババアは」もいいな。「りんちゃんの雪、パパの雪」もいい。あと「わたしの団地」もすごくいい。まあ、つまり、どれもいい。

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↑「夜を歩く」は「帰宅ログ」を思い出す。3.11の夜のことを。


■団地のスケール感がいい

特に「夜を歩く」を単行本で読みたいと思っていた。それは、ストーリーももちろんいいんだけど、この見開きの絵が見たかったから↓

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この回は今でもwebで読むことができるので、見ていただきたいんだけど、webだと見開きにならないのね。石山さんの絵ってふんわりした雰囲気なので攪乱されがちだけど、スケール感がすごいなと思っていまして。団地のマンガけっこう読んだけど、あのスケール感を感じる絵ってあんまりなくて。その点でもこの作品はすばらしくて、団地マニアとしてはまずそこを最大限に評価したいわけです。そんな評価する人ほかにいないと思うけど。

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↑このサザンウィンドウな絵もすごくいい

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↑団地内でストリートダンスを「ババア」に披露するこの絵とか


■どこの団地?

さて、団地マニアとしては作中に描かれている団地がどこのものかが気になるわけですが、この作品の場合すぐにわかります。

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↑われら団地マニアはほんの1ページ目のこの最初のカットで「ははーん」と思うわけです

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↑これですよね(c2017 Google, Data SIO, NOAA, U.S. Navy, NGA, GEBCO, Landsat / Copernicus)

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↑さきほど好きな話としてあげた「ズボンとスカート」のこのカットでいやがおうでも分かる。この特徴的な遊具。スカートの暗喩だろうか、このくらげ。

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↑このスターハウスとかな!

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↑そのスターハウスの中の階段とかな! いいよな! この階段!

さよう、ご存じ赤羽台団地なわけです

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↑おとなりの都営桐ヶ丘の給水塔いいよねー、とか


■ノスタルジーじゃないのがいい

で、こういうふうに並べると「いかにも団地」な風景をノスタルジックに描いているかのように思えるかもしれませんが、それがぜんぜん違っておりまして。

ご存じのように、この団地界の雄である赤羽台団地はいま建て替えの真っ最中。以前取り壊し寸前の単身棟の中と屋上(!)を見せてもらったことがあります(→『友達さそって屋上へ —大人たちの団地探検—』)。

本作にはその建て替え後の同団地風景もふつうに多く登場します。

さっきのストリートダンスの場所はあきらかに新しい棟のスペースだし、

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↑最終話「わたしの団地」は団地の建て替え自体がテーマ

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↑「団地建て替えあるある」が描かれたはじめてのマンガではないだろうか

ぼくが『サザンウィンドウ・サザンドア』をすばらしいと思う最大の理由は、これがノスタルジックでもなくぼくのようにマニアックでもなく、さりとて批判的でも礼賛でもなく、きわめて平熱で「現在そこにある団地」を描いているから。

その「現在の団地」に欠かせないのは建て替えというテーマ。それを、団地を出て行った娘と残った父親の対話のストーリーと重ね合わせて、感動的な話に仕上げている。すばらしい。

ぼくは「団地マニア」なんて名乗りつつ、団地の建て替えに反対を表明したことはない。むしろ建て替えられて住みやすくなるのならどんどんしたらいいと思っている。ノスタルジー嫌い。ぼくが団地に惹かれる理由はそういうものではない。

団地は面的なインフラであって、それがすごいと思っている。昔の棟のデザインもいいけど、それはいまや団地の本質ではなくて、建築の風景はなくなってもあるまとまった面積を持った場所がそこに社会資本として存続していることに対して興味がある。

建て替えは「団地の現役としての2周目」の証だと思う。そして「わたしの団地」では父親の「2周目」がそれに重ねられていると思った。ほんとうにすてきだと思う。


■記録としての『サザンウィンドウ・サザンドア』

以前、大友克洋の『童夢』から岡崎京子の『リバーズ・エッジ』、今井哲也さんの『ぼくらのよあけ』まで、団地が舞台のマンガを読み、各時代における団地のイメージ変遷について書いたことがある(→『団地のイメージと世代』)。

団地のイメージを利用せず、団地という場所とストーリーの結びつきが必然性を持って描かれている「サザンウィンドウ・サザンドア」は団地マンガの歴史に新しい展開をもたらしたと思う。団地は物語のインフラとしても成熟したのだ。

そうそう、「りんちゃんの雪、パパの雪」のこのシーン↓

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これで思い出したのが、団地マンガの傑作、小野まゆら『カポネ・カポネち』だ。

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↑1995年の作品。埼玉の霞ヶ丘団地に住んでいた漫画家小野まゆらさんの自伝ストーリー。

2004年に『幸せを運んだブルドッグ』と改題されて再版されたことからもわかるように一般的には犬マンガとして認識されているが、これは団地マンガだ。

で、この作品にこういう場面がある。

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↑雪の日の団地で行われる同じ行為。

霞ヶ丘団地はすっかり建て替えられて、この作品に描かれているテラスハウスが並ぶ風景はなくなってしまった。作者はあとがきで、団地の建て替えに伴って規則も厳しくなってもうペットを飼う人も少なくなるだろう、と書いている。結果的に、当時の団地での生活とペット事情を記録した貴重な本になった。

以前の霞ヶ丘団地は赤羽台団地と同じようにスターハウスが特徴的な団地だった。フィクションではあるが、きっと『サザンウィンドウ・サザンドア』も新旧の団地が混ざっている建て替え進行中の現在の赤羽台団地の様子を平熱で記録した貴重な作品として残るだろうと思う。

なんか団地に興味持ってないと楽しめないかのようなレビューになってしまったけど、ぜんぜんそんなことはないです。ぼくがうがちすぎなだけで。お勧めです。ぜひ読んでみて。

石山さんにはほかの団地でも描いてほしいな、と思いました。ぜひ。