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「さっき『写真家です』って言ったじゃない。あれ、すごくよかったよ」

石井正則さんが写真集『13(サーティーン)——ハンセン病療養所からの言葉』を出版した。あの石井さんである。俳優・タレントの。お笑いコンビ「アリtoキリギリス」の。

この本は全国に残るハンセン病療養所を石井さんがプライベートで訪ねた記録だ。「13」とは療養所の数である。驚いたことにその撮影は「8×10」(エイト・バイ・テン。略して「バイテン」と呼ばれる)、すなわち8インチ×10インチ(約20cm×25cm)という大判フィルムのカメラで行われている。35mmすらもはやめずらしくなった昨今、このフィルムで撮るとは。
なぜ石井さんはハンセン病療養所を訪れ写真を撮ったのか。それ以前に、なぜあの石井さんが写真を撮るのか、と思うかもしれない。しかも8×10などという高価でやっかい、いまや不便極まりないフォーマットで。

実は石井さんは昔から大のフィルムカメラ好きで、『駄カメラ大百科』と題して往年の銀塩カメラを中古で手に入れまくった解説本も出しているほどの人なのだ。自宅には暗室もあるそうで、この銀塩への情熱が高じてバイテンに至ったということだろう。

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先日『新写真論』を出して、そこで「スマホこそカメラの正統進化である」という趣旨を論じたぼくと、石井さんのフィルムへのこだわりは水と油のようだが、何を隠そう、ぼくの団地写真は4×5(シノゴ。4インチ×5インチの中判フィルム)で撮影したものだ。1996年頃から撮り始めたものだが、すでに当時このようなカメラは古くさくなり始めていた。そういうアナクロ/アナログな写真撮影が、ぼくの写真家人生の最初なのだ。だから大判のフィルムで撮る快感はよく分かる。

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さて、冒頭に掲げた「さっき『写真家です』って言ったじゃない。あれ、すごくよかったよ」とは何か。これ、石井さんがぼくに言った言葉だ。もう十年以上も前のことになる。まだサラリーマンだった当時、NHK BSで放送されていた『熱中時間』という番組にぼくはレギュラー出演していた。今だから言うが、会社の人事には黙っていた。副業禁止だったので。ちなみに辞めるとき面談で「実は……」って告白したら「知ってましたよ」と言われた。そりゃそうだよね。すみませんでした。

その番組で狂言回しの役目を演じていたのが石井さんだった。同い年ということもあり、親しくさせてもらって、収録後よく飲みに行った。番組が終わってからはあまり会わなくなってしまったが、ぼくにとってたいせつな人である。その証拠に冒頭の言葉をいまでもよく覚えている。言われた場所も覚えている。渋谷駅のそばだった。

これは、サラリーマンやりながら写真集出して、テレビやラジオに呼ばれて、今思えばちょっと「調子に乗ってた」ぼくに対して石井さんが忠告してくれたのだと思う。いつもの収録後の飲みで、聞かれたのだ。結局、大山くんは何をやる人なの? と。これに対する答えが「写真家です」だった。あまり深く考えずに(酔っていたと思うし)反射的に答えたのだが、自分でもこの回答にはびっくりした。そうなんだ、ぼくって写真家なのか! って。

で、石井さんが別れ際に言ったのだ。「さっき『写真家です』って言ったじゃない。あれ、すごくよかったよ」。

新写真論』の「おわりに」で、ぼくはこう書いた。

(写真家の定義を問われて)ぼくは「『写真とは何なのか』を言語化できるのが写真家」と答えた。自分が撮った写真について、そしてそもそも写真とは何なのかをちゃんと自分の言葉で語れるかどうか。というわけで、本書はぼくのあらためての「写真家宣言」である。

実はこれ「よかったよ」と言ってくれた石井さんへのアンサーでもある。

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さて、すっかり自分語りになってしまった。『13(サーティーン)——ハンセン病療養所からの言葉』である。「なぜハンセン病療養所を撮ったのか」に関して。石井さんは、テレビのドキュメンタリー番組を観て「あ、これは撮らないといけないと感じたんです」とインタビューで答えている(→Yahoo!ニュース 特集『俳優・石井正則、「差別の記憶」を撮る――ハンセン病療養所を巡って』)。

ぼくにとって興味深いのはこの後の

それは記録に残す使命感のようなものかと問うと、石井さんは「使命感はむしろ撮り始めてからですね」と言い、首をひねった。


というくだりだ。

そうなのだ。写真ってそうなのだ。きっかけはささいなこと。撮っていくうちに使命感とか、そういうものが出てくる。石井さんの場合はなおさらだろう。なぜならバイテンは撮るのが本当に手間だから。あの重くて大きい機材を背負って、セッティングして、ピント合わせるのも一苦労で、そもそもフィルムも現像もコストがかかって……という手間は「儀式」のようなものだ。あれを繰り返すということには、そういう効用があると思う。カメラと場所が人間に使命を負わせる。

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ご存じのように、我が国のハンセン病には悲しく許されざる歴史がある。今回あらためて何があったのかを調べ直した。病原菌の発見という科学的な成果が、皮肉にも非科学的な差別と抑圧、市民・国家ぐるみの犯罪行為につながってしまう。ぼくら人間はあっけなくこういう過ちを犯してしまう。「人にうつる」という事実(実際にはごく限られた条件下でのみうつる、きわめて感染力の低い病気だったのだが)、目に見えない恐怖というものは、たやすく人間集団を悪魔のようにしてしまう。

現在、日本ではハンセン病にかかる人はほとんどいないが、ハンセン病の問題は病気の問題ではない(もちろんたいへんな病だが)。人から人にうつる病気に対する、ぼくらの反応それ自体がたいへんな「病」であるということだろう。こういうことを言うと石井さんは嫌がるかもしれないが、新コロナウイルス騒動の現在、この本が出たことには大きな意味があると思う。繰り返して書くが、ぼくら人間はあっけなくこういう過ちを犯してしまう。そしてすぐ忘れてしまう(この写真集の100ページ目を見てほしい。衝撃的である)。だから何度でも「記念する」必要がある。石井さんは「土地の記憶」という方法で、13の場所に行き、写真によって記念を行ったのだ。すばらしいとしか言いようがない。

誰がなんと言おうと、石井さんは「写真家」だ。もう長いこと会っていないが、こんどはぼくが、こころを込めて「あれ、すごくよかったよ」と言いたい。
 
 
*東京都東村山市の「国立ハンセン病資料館」で『13』の写真展が企画されていますが、コロナのため開催延期とのこと。再会を心待ちにしてます。