創価学会・顕正会・正信会からの脱会を考える会

創価学会、顕正会、正信会からの脱会の相談に応じます。黒川和雄 090-9626-7585 当方大阪在住です。ワン切りOK,こちらからお電話を差し上げます。 大阪の方大歓迎(#^.^#)

恐れることはありません。勇気を出して脱会しましょう。

私の所属寺院は「日蓮正宗大阪南布教区妙輪寺支部法華講」。

お寺は天王寺から阪堺線(チンチン電車)で20分。姫松下車、進行方向へ100m。左側にございます。

妙輪寺住所
〒558-0054
大阪府大阪市住吉区帝塚山東1丁目12-14
脱会相談 黒川和雄 090-9626-7585
ワン切りOK,こちらからお電話を致します。

※このブログのコンテンツは一信徒の個人的なものであり、宗教法人日蓮正宗及び法華講連合会とは一切関係はありません。
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元念仏僧侶が綴る念仏の命と法華の命


「自分の生活を幸せにするためになくてはならないものってなんだい?」

【念仏の命】

それは人それぞれによって違うと思うけど、世の中を生き抜くためにどう論理的にも、道理にも合うような理論武装というのか、自分が生きるための処世術を身につけなければいけないよ!

浄土真宗?まあうちは浄土真宗のお寺に仏事は任せている。だからといって浄土真宗を信じているとか、親鸞に帰依しているとかいうわけではないよ。

親鸞は「自分を捨てよ」究極の自己反省みたいなことを言ってるけど親鸞の言った言葉や根っこにある哲学を自分のものにできるところはすればいい。

所詮、仏教は仏教哲学の域を超えるものはないし、自分の生き方を左右するようなものではなく、最終的には自分がどう生きるかだから、いろいろな仏教のよい部分を取り入れてひとではなく自分が納得する生き方ができたら最高なんだよ。

いかにこの一度しかない人生を楽しく有意義に生きるか、それがすべてだよ。

みんな口ではどうのこうのって言うけど、お金もある意味、社会的な地位も名誉も幸せになるためには必要なんだよ。生きるとはある意味、社会との闘いなんだよ!

【法華の命】

自分の生活の幸せ?僕の生活の真ん中にご本尊様がおられるように生きていくことかなあ。

真実の幸福と安穏な境涯は、僕にとって心でどのように幸せを受けとめるか、あるいは一時的な感情でどのように考えるか、というところにあるのではなく、正しい信仰、僕の場合は仏法をいかに信じきり、行動として何ができるのかが重要な課題となるよね。

自分が幸せな生活をしているかどうかは、社会的に指導的地位にあるとか、財をなしていること、学識豊かなことなどひとそれぞれだよね。

でも、名誉や地位はなくても毎日を正直にまじめに努力しながら過ごしていくこともよい生き方といえないかなあ。

僕はその生き方に正しい信仰があると思うんだ!

正しい信仰とは、成仏という人間にとって最高究極の境涯に到達することを大目的として修行精進することであり、その仏道を修行することによって、ひとりひとりが人間性を開発し、錬磨し、身に福徳を具わっていくんだ!

正しい信仰を持たずに、単に眼前の名誉や地位 、あるいは財産、学歴など、そのような表面 的な要件が備わっているからといっても真実の絶対的幸福が得られるわけではないよ。

人生は喜び、悲しみ、苦しみ、その繰り返しだよね。

でも正しい仏法を信心すればたとえ逆境の中にあっても、信仰の功徳によって、苦難にも勇敢に立ち向かい、諸難を乗り越えていけるんだ!

真実の宗教は、人間の意識を消極的にするものではなく、むしろ、信心の力によって不幸をも克服する強い生命力を発揮させ、積極的に生きる力を育んでいくんだよ。

いろいろな世間の様相を注視し、求道の心を開き、勇気を持って真実の正法に帰依することが真の人生のはつらとした生き甲斐を見い出せると確信しているよ!
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浄土真宗の教えは「罪悪重深(ざいあくじんじゅう)」とか、「罪」という言葉が多様に出てきます。

このことにより自分という確かなかけがえのない存在そのものがあることを『罪つくりの自分』『自分ではどうしようもできない自分』つまり究極にネガティブな自分を知れというのです。

そのどうしようもない自分でも阿弥陀が念仏で救うとしたのです。現に親鸞在世の時には、「悪いことをした人の方が救われる」と考えたり、「悪人でも救ってくれるのだから好きなように生きて良い」というふうに、自らの欲望や自我を肯定する論理として受け取ってしまう人が生まれていました。

現代の浄土真宗を歩む人でも、「私は悪人ですから」「私は凡夫ですから」と、ひらきなおるためや、自分を責任から遠ざけるために凡夫や悪人という言葉を使用する信者が多くいます。

この自分が悪人である自覚、絶対自分の力で善人にはなれないとする信仰志向が自ずと生まれていくのです。

 人は多かれ少なかれ、生まれ、成長する過程で様々な出来事に出会い、その中で罪悪感を抱えてしまう時があります。

大切な人との別れや、誰かを裏切ってしまった経験などです。自分が自分で許せない。自分では意識していなくても、知らず知らずにその「償い」をしようとしてしまう。そんな生き方をしている人もいます。

そんな自分を自分の力でよくすることは到底無理と親鸞は否定して阿弥陀を願えと言いました。

浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如は親鸞の教えを『御文』に記しています。

一心一向に阿弥陀如来たすけたまへとふかく心に疑なく信じて、わが身の罪のふかきことをばうちすて、仏にまかせまいらせて、一念の信心定まらん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべきこと、さらに疑なし。

つまり、親鸞のいう信とは、「自分を大事に生きてこなかったことを徹底して内省せよ」という自覚と完全なる自己否定の中に、阿弥陀という仏の智慧に出遇うことによって気づかされる生き方をせよとするのです。

親鸞の弟子である唯円は

わからんにつけても、いよいよ願力をあおぎまいらせば、自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。

『歎異抄』

と述べています。

私の凝り固まった思い(こだわり)が解かれることを、「柔和忍辱のこころ」と表現しているのでしょう。仏教を学ぶということは、自分を学ぶこと。そしてお念仏とは、あなたはあなた自身を大事にしなさいという仏様の願いを聴いてゆくことなのでしょう。

私自身もまだ自らが気づいてもいない「思い込み」に縛られているのかもしれません。自分で自分の事を見ることは出来ません。仏教とは「鏡」であり、自身を深く見つめていくことが「修行」です。修行して「どうにかしてやろう」と思うのはそもそもが間違っている。こう言いきるのです。

 浄土真宗では、自らの未熟さと傲慢さを認めて受け入れていくことを「臨終」と言います。

臨終とは死ぬことではなく、自我が「死ぬ」(受け入れる)ことを言うのです。つまり念仏の鎖につながれることが条件で、そこには自分のありとあらゆる行動や思考はいらないというのです。

そこに浄土が開けてくるといいます。浄土とは「あの世」の事ではなく「この世で阿弥陀に縛られて生きること」とされてきました。

 阿弥陀という偽りの仏を問いを深めていくことが仏道を歩むということだと言われてきたのです。

私が浄土真宗の僧侶、住職を真剣にやって悟ったことは

こういった悪人正機説を全面に信仰姿勢を貫くことは逆に阿弥陀への能動的な信仰姿勢の障害になるのではないかー

阿弥陀への念仏をというが、ひとつの念仏で救われる信心というのは具体的に自分がどう行動をして獲得していくのかー

人はお腹が空けば、食べたいと思うから、口へ食物を運ぶ!それは人が原点的に持つ能動的な行為であり、それを否定して、口だけを開けていても現実には何も入ってこない!

人はよりよい生き方を求めて生きていくのが普通だ!自分がする行動の全てを否定的に観ながら生きていくところに前向きな生き方がどうやってつくれるのか?

私は悩みました。

これは浄土真宗の信仰をしている人々の全てについて言えると思うのですが、浄土真宗は浄土真宗への信仰をも自虐的に否定して「阿弥陀に任せる」という非常に曖昧な生き方で自分の生き方の中心を失っていたのです。

つまり、自分を自分で「信じられない」自分がいたのです。

阿弥陀どころか毎日の生活そのものに支柱をなくして生きるという非常に無責任な生き方を選んできました。

これによって家庭不和、仏事の職業化等ーー
極端にいうと手を合わすことですらビクビクしている自分の命があったのです。

それが日蓮大聖人の大法である日蓮正宗に帰依させていただき、人生が一変しました。

それは地涌の流類として能動的に日蓮大聖人のお振る舞いのそのままを行動として具体的にやっていくというポジティブ、前向きな生き方が目の前に輝きとして開かれたのです。

それは勤行であり、唱題であり、折伏であります。
歴然と自分のやらなければならないことが目の前に現れて具体的な能動的な信心としての行動ができるようになったのです。

浄土真宗の命の時は、困難に突き当たったら、その困難立ち向かうことできなかったし、阿弥陀からもらった宿命=あたわりとして粛々とそれを受けとめ、耐えていこうとするのですが、完全否定された自己の中には阿弥陀へのこの世での救いがみえず、浄土真宗僧侶でありながらその困難とは自分が向き合えず、自己の混乱のうちに他に楽しみを求めて本題に向かって自分が闘うことがなかったのです。

つまり阿弥陀への信仰の曖昧さが自分自身の精神的支柱を失っていく、自律的生命力を蝕むような命になります。

また、そういったいやなことを他に転化するような生き方や諦めの生き方がむくむくとわき出すのでした。

それに比べて法華の命はこれとは逆に自分が自分の力で堂々と生き抜く確固たる生命力が宿っていき、精神的支柱が正しいご本尊となり、他に動じないまっすぐな生き方が生まれてきたのです。

他に動じない生き方でまっすぐ生きていく正しい宗教を自分の人生の中心に据えて生きれるようになったのです。

正しい宗教を持つこととは、一人ひとりの人間の生命の救済、つまり、生・老・病・死の四苦や、経済的な苦しみや対人関係の悩みなどを含む、人のいかなる苦悩にも打ち勝つ活力がみなぎり、すべての人々に真実の幸福を築かせ、尊い人生を全うするための生き方を教えるという使命観が自分に備わるのです。

日蓮大聖人は
  「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」(四条金吾殿御返事・新編一一一七)
と仰せです。

財産(利)や名誉(誉)、地位(称)、悦楽(楽)などによって喜んだり、落胆したりすることは世の常ですが、これらは世間の一時 的な八風であって、この八風に侵されない人生を送るためには、より高い理想と教え、すなわち身心に強い信仰を体して仏道修行を志す以外にないと示唆されておられるのです。

  この八風に動じない人生をつくることこそ生き方に正しい智慧を持ち生命の奥底から浄化し活力がわいてくることを命で悟らせていただきました。

正しい仏道修行とは、勤行、唱題、折伏を具体的に毎日、自分の習慣にすることであり、これは自分の生活がこの大宇宙と直結していることを喜びを持って体感していく人生になりました。
太陽があがるだけで幸せを感じる命になれたのです。

真の仏道修行で得た力は具体的に、世界中の一切の人々を、真に幸せな即身成仏の境界に導くことができるようになりますし、強盛な信仰を通して、御本尊に託する願いや希望を成就し、また、悩みや苦しみに打ち勝つ金剛心を育てることができるようになります。

また、御本尊にそなわる題目の功徳によって、父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ、また、未来の子孫をも救済する福徳を得ることができるのです。

これが妙法と生きるということなのです。

日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、

  「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(聖愚問答抄・新編四〇六) と教えられています。

真に幸福な生活とは、私は今、目の前にいらっしゃる縁をした方に妙法を伝え、共に幸せの境涯を味わって生きるという人生を一歩ずつ着実に進めることだと悟らせていただきましたです。

僧侶の妻帯に関する創価学会員の疑難を破す。

いまだに創価員が「僧侶が妻帯するのは、仏法の戒律に違背している。日蓮正宗の僧侶も上代の法主は妻帯していなかった・・・云々」とイチャモンを付けているようなので、これを簡単に破折する。

最蓮房御返事(別名祈祷経送状 新編御書642)
一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云。権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。正法の大俗は破戒なりと雖も成仏疑い無き故なり。 但今の御身は念仏等の権教を捨てて正法に帰し給う故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。
(通釈)
貴殿の御状に「十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず等云云」と言われている。権教(法華経以外の教え)を信じる大謗法の時、いかなる持戒の修行者といえども、法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗(俗人)よりも百千万倍劣るのである。彼の謗法の比丘(僧侶)は持戒なりと雖も無間地獄に堕ちる。正法を信ずる大俗は破戒なりと雖も成仏することは間違いがない。あなたの身は念仏等の権教を捨て、正法に帰依されたゆえに、まことの持戒のなかの清浄な聖人である。
宜しいか、創価諸君。貴殿らが如何様に日蓮正宗を妻帯を以て貶めんとしようが、無駄である。

末法の今時、小乗・権教の戒律を以て攻めようとも、既にお前らは大聖人の教えに違背・敗北しているのである。少なくとも現在の創価学会は、大聖人の仏法からは大きく乖離した小乗・権教混乱した邪教集団に堕したのである。

さてこういうと貴様らは『「正法の大俗」の「大俗」とは僧侶のことではなく、在家のことである』と反論するであろう。これは大聖人が俗人の立場から破折されているのである。現にこの御書は「最蓮房」と称する僧侶に対しての疑問に回答されていることからも分かるではないか。

では聞くが、「彼の謗法の比丘は持戒なりと雖も無間に墜す。」
比丘とは僧侶のことである。

大聖人曰く、
「法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣り候なり。」
この文はお前らの信じるタサク大先生及び創価職業幹部は、平学会員よりも百千万倍罪が深く、堕地獄は間違いないということである。現にタサク名誉会長は7年間も平会員の前に姿を現しておらず地獄の日々をお過ごしではないか!

次に補足ではあるが、佐渡に於いて大聖人に帰依された「阿仏房」は妻帯していなかったのかね?
千日尼とは誰の妻かね?
以上

【関東方面で創価学会・顕正会・他門流からの脱会・日蓮正宗へのご復帰を考えている方へ朗報】

【関東方面で創価学会・顕正会・他門流からの脱会・日蓮正宗へのご復帰を考えている方へ朗報】

東京在住・妙輪寺(大阪市・住吉区)の方(男性)がお世話を致します。

関東方面の方で日蓮正宗へのご復帰を真面目に考えている方は、ご連絡ください。

非通知電話には一切応じません。
実名、県名をお知らせ下さい。

連絡先:黒川和雄(大阪在住) 090-9626-7585

元・浄土真宗僧侶が語る浄土真宗の間違い。その①

音声一部訂正 吉田氏のお住まい。岐阜県 × 滋賀県 〇 ===================== 吉田正信 滋賀県在住。元・浄土真宗僧侶・現・日蓮正宗 090-9048-7248 黒川和雄 音声のみ。日蓮正宗信徒 大阪在住。 090-9626-7585 非通知には一切応じません。 日蓮正宗公式動画 宝物殿 ======================

U-tubeで配信しています。 僕が浄土真宗の僧侶をしていた頃、人の死即葬儀執行ということのほかに亡くなった方がどうなっていくのかは真剣に考えていく命ではなかったと言えます。 浄土真宗では死んだ人には拝みません。 また浄土真宗にはまともな仏教的な生死観が存在していませんでした。人は先祖から命をつないで今世を生きて来世を生きていくはずなのに、浄土真宗ではこの三世の理法を認めませんでした。 浄土真宗では浄土に往くという教えです。 浄土真宗では極楽浄土に往き、この世の生きている我々の為に活動(還相回向=げんそうえこう)をされているという考え方をしています。 つまり、死後は浄土に阿弥陀がおり、その極楽浄土に往くという教えです。 他の仏様を信仰している者はそのお浄土に往くというように解釈していました。 例えば大日如来が本尊であれば大日如来の浄土ということになります。つまり、一つの仏に対して一つの浄土があるとします。 親鸞の著した教行信証の行巻の『正信偈』に 次のようなものがあります。 「如衆水入海一味」(にょしゅう・しにゆかい・いちみ) 「海」は海に流れていたものをすべて受け入れます。 すなわち、きれいなものや汚いものを区別することなくすべてを受け入るからです。 つまり、煩悩にまみれた人間も、すべて受け入れる存在。それが阿弥陀の浄土としています。そしてどのようにすればお浄土に往けるのかというとただ阿弥陀に任せさえすればいいという思想でした。人の行為や信仰、布教、信心そのものも否定しきります。 結局のところ無力を悟れということでした。何も出来ません。煩悩にまみれた私たち人間(凡夫)では、 浄土に往くのに役に立つことは何ひとつ力や能力がないという発想です。 そんな人間(凡夫)こそを救おうとするのが阿弥陀なのだというのでした。そしてどんな悪事をした人でも、善い事をした人でも平等に救われるという摩訶不思議な教えでした。現実、僧侶をしていた私は浄土真宗の法式規範(ほっしききはん)に応じた枕経から通夜、葬儀、火屋勤行(ひやごんぎょう)、還骨勤行(がんこつごんぎょう)等執行していたのですが、名号と言われる南無阿弥陀仏の文字の書いた紙や位牌を置いてそこに向けてお経をあげるだけであり、肝心の亡くなった方に向けては一切拝んだり、心を込めて念仏を唱えることはしないことになっていました。 それは、死と同時に阿弥陀がその人を浄土に迎えにきて一切生きている残された者には何もできないとして扱いますから、愛おしい人が亡くなっても、それを機縁にして生きている者のために、死者を偲びつつ、阿弥陀の光に照らされていることを慶ぶといったものでした。 つまり、僧侶も親族も参拝者も亡くなった人の追善供養ができないものとしますし、追善供養をしない命はどこにいくのか、まあーーさまよっておられるのではないかと今ならおもうのですが、浄土真宗の僧侶の頃は死んだ方がほったらかしでした。 要するに生命の過去・現在・未来の三世の理法を認めず、仏教の道理である因果応報の理念も認めないのです。 つまり善因善果、悪因悪果の道理を無視して皆が阿弥陀の国に生まれ幸せになるという無謀なことを平気で言っていました。 阿弥陀の世界へいった命をいわばなくなったものとしてみていくという非常におかしな教えを堂々と説いていたのです。 そして法華の命ー日蓮大聖人の大法に帰依して大きく変わったのは、空の世界観です。 空とは一言で言えば『万物・森羅万象は固定的な体を持たない』という“万象の性質”であり数学のゼロの概念(≠無)だと思います。つまりゼロはゼロという存在として何もないのではないとみるのです。 この宇宙・銀河系・太陽系には無数の星々があり、更に地球という天体の上にはデボン記・カンブリア記~現代に至るまで多種多様な生命在り、しかし、これら『この宇宙に像を結び形を為している全てのもの』は因縁により仮に和合された一過性の結果として存在しているだけで、常に変化に変化を重ね、移ろい往く為に『これ』という決定的な本体を持たない、この万物普遍の特性を空と呼ぶのです。 例えば氷。 氷は個体としての形を持つ、しかしバーナーで炙れば水になりやがては蒸発して水蒸気に。氷を構成していた分子達は大気中の分子と混ざり合い最早どの分子が元・氷のものでどの分子が元々その空間に在ったものなのか見分けがつかない。 しかし氷は『無くなった』訳ではなく、大気中の水素分子と酸素分子という『因』が1気圧以下に於いて零度以下になると言う『縁』に応じて水の分子が結合し再び氷として形を為す。因と縁が仮に和合して氷と言う『一過性の現象』を出現させる訳ですね。 科学でいう「質量不変の法則」です。 この宇宙に存在する全ての形あるもの達はすべからくこの空の特性を秘めているのです。 しかし、空と言うのも中には『空は数学のゼロの概念ではない』とする方もいるでしょう。何故この様な現象が起きるかと言えば釈尊の説いた華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃などの一代聖教は教えの内容で蔵・通・別・円の四教に大別されますが、この四教各々で微妙に空の定義が変わっている為にどの経典をベースとして回答するかで差異が生じます。 しかし道理からいって理論上、真意は法華経で説かれる『円融の三諦』(えんゆうのさんたい)に在ります。 これは空仮中の三諦がお互い相互リンクした状態であります。 例えば一輪のタンポポ。 偏にタンポポと言えど A、種の状態 B、芽が吹いた状態 C、花が咲いた状態 D、枯れた状態 とあり、A~Dへ一分一秒休む事なく変わり続ける。このA~Dの内、どれか1つを取ってタンポポと言い切る事は出来ない。何故なら他の状態も他ならぬタンポポだからですね。 このA~Dのそれぞれが仮諦(けたい)、A~Dへ絶えず変化し続ける性質が空諦(くうたい)、そこにタンポポという存在が在る事自体が中諦(ちゅうたい)。 仮諦といってもその正体は空諦という連続体のワンシーンを切り取った静止画の様なものであり空諦無くして仮諦は有り得ない、逆に空諦もその正体は仮諦という静止画の連続である動画の様なもので結局は仮諦無くして空諦も有り得ない、そしてそもそもそこにタンポポという実在が無ければ空も仮も発生し得ない。 つまり中諦とはアイデンティティの様なもの。存在とはそういうアイデンティティを仏教では重視します。 空仮中は互いにリンクし組み込まれている、どれか1つを抜き取る事は本来出来ない不可分な概念、これが円融の三諦でありこの宇宙に存在する全ての形あるもの達はマクロなものは惑星・衛星・恒星からミクロなものは分子・原子・素粒子に至るまで、全てはこの円融の三諦というメカニズムで成立している。 これが本来の空の在り方であり、法華経以前の教えではこの空という概念を人々に知らしめる為に本来抜き取る事は出来ない筈の空を敢えて抜き取り、それ単体にフォーカスを当て空だけをフィーチャーした教えで、これを『但空の理』(たんくうのり)と言います。 この但空の理は円融の三諦に先駆けて空という概念を宣伝する為に先行リリースとして説かれた、謂わばデチューンした空の説明であって名はあれど、該当する概念は自然界に存在しません。 空とは仮諦・中諦とリンクしている以上、理論上、空を悟れば必然的に仮諦も中諦も同時に悟る構図になっているのです。 ちょっと話が難しくなりましたが、空が理解できれば、観ー俯瞰(ふかん)してみるといったことが劇的に変わります。 観とは価値観、恋愛観、認識観、そして人生観、あらゆるものの見方が、自身の命を含む人生、世界、時間の概念、全てを俯瞰するアルゴリズム(認識観、ものの見方)が劇的に変化します。 つまり、日蓮大聖人の大法では人の死は一つの通過点として捉えています。生まれ代わり、死にかわりしていく生命の全ては過去現在未来に繋がっているという仏教的な見地から生命活動の連続性の中に壮大な宇宙の真理を感じずにはいられません。 結論として、死んで浄土にいくという往生の理は物事の因果の道理に反していますし、お釈迦様はこの世の成仏を説きました。 我々はいつか死にます。 死ぬこととは実は改めて生きることなのだと思います。なくなった方には、拝む手もなければ、出す声もないのですから、私たち生きているものが手を合わせ声を出しお題目に生きることは共になくなった方と生きていくといってよいのではないでしょうか? 仏教は科学ではなく信じるということを一義とする世界です。 私は本当の仏教に出会い人として命を生き抜くことの素晴らしさを今、御先祖様と共に命で感じているのです。

創価のゴマカシ堕地獄勤行「方便品・自我偈だけ」の大僻見 を破す。【完全破折保存版】

動画で配信しております。
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既に破折済みのURLです。時間があればご覧ください。 「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」 (月水御書) 第三部 創価員曰く「時代に応じていろいろ変わる」のは正しいのか??  ========================= ①頓珍漢な創価公式ウエブ↓ 方便品と自我偈の意味は? 日蓮大聖人は、「寿量品・方便品を読めば、自然と他の法華経の品は読まなくとも、その意味も備わっている」(御書1202ページ趣意)と仰せになっています。これは、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」の二つの品が、法華経の中でも、もっとも大事な法理が説かれていて、そのほかの法華経の品の意義も備わっているという意味です。 中でも自我偈は、寿量品の要約であり、法華経二十八品の魂であり、仏法の真髄です。大聖人は自我偈に説かれている永遠の仏の生命を御自身の生命に悟り、「南無妙法蓮華経」として顕されました。 したがって、勤行では、「方便品」と「寿量品の自我偈」を読誦します。 ② 池田大作曰く、 「日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないかなどというのは懈怠(けたい)です」 (会長講演集第六巻 219) ③戸田会長曰く、 「自分の家ですわっていて、朝たった三十分間のお勤めですむのです。汽車賃も、電車賃もいらないのです。(中略)私がいうように、朝五座、晩三座の信心をきちんとして、断じて御本尊様を疑わないで、信心してごらんなさい。疑ったらだめです。」(戸田城聖全集第4巻330p) ④青木理事長発言 「座談会などは、限られた時間でもあるし、お年寄りや未来部員も参加する。方便品・自我偈の勤行の方が価値的だと思う。」(聖教新聞 平成16年8月11日) 弓谷男子部長発言 「近所迷惑になったら、かえって法を下げてしまいますから」(同) 「五座は大変だった。それで信心をやめてしまった人もいます」 (聖教新聞 平成16年9月24日) ⑤大聖人撰時抄に曰く、 「されば機に随って法を説くと申すは大なる僻見 ( びゃっけん ) なり」 ⑥日寛上人曰く、 「若し堪えたらん人は本山の如く相(あい)勤(つと)むべし。若し爾(しか)らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式(かくしき)相守るべし」 (報福原式治状) ⑦第五九世日亨上人、有師化儀抄註解第三八条に曰く、 「布教の急なる為に講学の忙がしき為に・事務の劇なる為により、報恩給仕読経拈花(ねんげ)の行体を等閑(なおざり)に付せんとする事あり・慎まざるべけんや。」(冨士宗学要集一巻121p) ⑧⇒「寿量品の要約であり、法華経二十八品の魂であり、仏法の真髄です。大聖人は自我偈に説かれている永遠の仏の生命を御自身の生命に悟り、「南無妙法蓮華経」として顕されました。」 ⑨創価発行「仏教哲学大辞典」(第三版 373p)に曰く、 自我偈とは「経典の中で詩句の形式を用いて、仏の徳を讃嘆したり、法理を説いたもの。(中略)長行で説いたものを重ねて韻文で衆生の心に焼き付けることを説いたり」云々。 ============================ ①創価学会の邪説⇒【新・教宣ハンドブック72p】 「自我偈とは自受用身なり」と仰せのように、大聖人は自我偈に説かれている永遠の仏の生命ご自身の生命に悟り、妙法として顕されたのです。そうしたことからも創価学会の「方便品・寿量品の読誦と唱題」には、大聖人の仏法に於ける勤行の本義と目的がすべて具わっているのです」 破折⇒日蓮大聖人は『御義口伝』に、  「自とは始めなり、速成就仏身の身とは終はりなり、始終自身なり。中の文字は受用なり。仍(よ)って自我偈は自受用身なり。法界を自身と開き、法界自受用身なれば自我偈に非ずと云ふ事無し。自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり。伝教の云はく、一念三千即自受用身、自受用身とは尊形を出でたる仏と。出尊形仏(しゅっそんぎょうぶつ)とは無作の三身と云ふ事なり云云。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者是なり云云」(宗門御書1772p) ※これは「法体」のことを仰せなのである。法体とはすなわち本門戒壇の大御本尊、大聖人様の御出世の本懐である弘安二年十月十二日の大御本尊のことである。我々の日々の勤行の意味ではない! 創価執行部は「法体を勤行という修業に意図的にすり替え、学会員を騙しているということだ。 ②創価学会の邪説⇒【新・教宣ハンドブック72p】 会館や行事での勤行は、新たに制定された方式で行いますが、個人においては自由です。従来と同じように五座三座をそのまま続けたいという方は、長行を読誦してもかまいません。また、葬儀などの儀式においては、葬家の要望により、寿量品の長行を読誦することがあっても結構です。 南無妙法蓮華経だけにしたらどうか? 破折⇒これは会員の動揺を避けるために「逃げ道」を意図的に作っているのです。当然オカシイと思う会員が出てくるのを見越して言い訳をしているのであります。騙されてはいけません!! 一方では「自我偈だけでよい」とし、また一方では「長行を読誦しても良い」?? どっちなんだ??と幹部を追求しましょう!! 創価はいっそうのこと、勤行要典を廃止して、「南無妙法蓮華経」だけでよいのではありませんか????

「☆気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆」の愚論を笑う。その①

この人物は現在創価学会の活動から非活ということであるが、その脳内は過去の創価組織に於いて蓄積された日蓮正宗誹謗がそのまま集積されている。しかもその邪難というものを読み進めると、既に過去、幾多の宗門及び法華講員から完璧に破折された内容そのものであることが容易に読み取れる。

従ってこの人物の邪難は自分の頭脳で考えたことではない。他の莫迦者どもの二番・三番煎じのオンパレードであることが容易に読み取れるということだ。実に哀れだ。まさに十四誹謗の「計我」「浅識」その他全般に渡る一闡提人であることは間違いあるまい。

さて本論に入るが、項目別、簡単に破折しておこう。

日蓮本仏説は後世の創作に過ぎない。
日蓮本仏論について
釈尊を本仏とする文証 ←最高傑作の愚論・珍論である。
この御仁は日蓮大聖人が末法における本仏であることを全く理解していない。創価は非活であるという
が、バリ活、日蓮正宗誹謗の創価員とそれほど変わりはない。これは脳が池田大作という天魔により破壊された頭破作七分の姿と言っても過言ではあるまい。

傑作なのは、この御仁の結論では大聖人は身延派と同じという結論になる。即ち結論として到達するのは「日蓮大菩薩」である。「
釈迦を本仏としていたのは五老僧ではなくて、日蓮本人です。」とは開いた口が塞がらない。思わず吹き出したくなるほどの最高傑作だ。御仁よ、創価を正式に脱会され、身延山・久遠寺に参詣されたらいかがかな? そこが御仁の一番居心地が良い場所であろうと想像する。

宜しいか、大聖人が「釈迦仏」「釈迦如来」「釈尊」と言われるときには、次のような意味がある。
即ち、小乗、大乗、権教、実教、法華経迹門、法華経本門、そして方便より仏身へ、さらに文上より文底の釈尊となるのである。

御仁よ「答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」(報恩抄 1036p)の言葉通り、自宅に釈尊立像を建立し、朝夕御祈祷されたら如何どうだね? 爆笑

日蓮本仏説の萌芽
「(『有師化儀抄』富士宗学要集第1巻64(ママ)ページ)」云々と書いてあるが【65ページ】であると指摘しておこう。

さて本題にゆく。

御仁は「日有には宗祖日蓮を「本尊」とみなす思想があったことがわかります。同時に日蓮を本尊としながらもまだ日蓮が本仏であるという明確な主張はここには見られません。ですから私は大石寺9世日有の頃にはまだ明確な日蓮本仏説は存在しなかったと考えています。」
「つまり日蓮本仏説は大石寺よりもむしろ保田妙本寺が先行していまして、大石寺日有の日蓮本尊説、また日精の御影本尊などが結びついて日寛の日蓮本仏説という教義となったと考えられます。」

↓更にこのような莫迦なことを言っているので指摘しておこう。

大石寺
日興(1246〜1333):釈迦本仏
日目(1260〜1333):釈迦本仏
日道(1283〜1341):釈迦本仏、御伝土代
日有(1402〜1482):日蓮本尊説、化儀抄
日精(1600〜1683):御影堂建立
日寛(1665〜1726):日蓮本仏

【妙本寺】
日我(1508〜1586):末法の釈迦は日蓮
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これが御仁の結論であるらしい。要するにこの莫迦者は「日蓮本仏論」が登場してきたのは日有上人以後だと主張しているのであるが、習い損ないも甚だしい。また「妙本寺の日我は『日我の釈迦とは日蓮なり』としています。つまり日蓮本仏説は大石寺よりもむしろ他山の保田妙本寺の方で先行していた教義と考えられます。」との戯言を恥ずかしげもなくご披露しているではないか。

日我師は富士門流であり、大石寺とも通用があり非常に学績があった人物だ。多くの貴重な文献を残している。当然、「日蓮大聖人が末法の本仏である」ということは知っていたのであろう。それを「日我師の方が先だ」「日有上人のほうが後だ」等々、何をか言わんである。どちらが先に書こうが後に書こうが、そのようなことはどっちでもよいことである。このような屁理屈を「文証至上主義」というのです。

御仁のような「文証至上主義者」のことを大聖人は次のように諌めておられる。肝に命じて拝読されよ!

日蓮大聖人、女人往生抄に曰く、

「内外典の詮を承るに道理には過ぎず。されば天台釈して云はく「明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る」文。釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会せられて侍べり。」女人往生抄 341p)

【通解】
「仏法・外道を見るにこれらは道理・真理を説いたものです。天台はそれを『明者はその道理をと貴び、貴殿のような習い損ないの莫迦者は『ここに書いてある。あそこに書いてある。こっちが先だ、あっちは後だ』と文証のみに囚われる。」と仰せなのである。それを大聖人は「釈の心はあきらかなる者は道理をたっとび、くらき者は文をまもると会せられて侍べり。」と仰せなのだ。まさにお前さんにピッタリの御書である。

さて、では日蓮本仏論」は誰が、いつ初めて言われたのか? それは「日蓮大聖人」である!と言っておこう。

大聖人曰く
①「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり」(当体義抄695p)

②「問ふ、劫初より已来、何人か当体の蓮華を証得せしや。答ふ、釈尊五百塵点劫の当初、此の妙法の当体蓮華を証得して、世々番々に成道を唱へ、能証所証の本理を顕はし給へり」(当体義抄696p)

③「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟りを開きたまひき」(総勘文抄1419p)

④「
弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」(聖人御難事1396p)

以上①~④は全て「末法の本仏は日蓮であると宣言された文証」である。薄脳よ、分かるか? 上の諸御書の「義」を? 末法の御本仏であるからこそ、その根源を仰せ遊ばられたのである。

御仁に問う。非活でありながら今だ未練がましく創価組織にへばり付いているその頭脳で、上に挙げた御書の「義」は理解できるか?「釈迦を本仏とする文証」と主張するその薄脳で上記の御書が理解できるか? 如何?
回答されよ。

本尊の奉安様式
御仁曰く、「なんで大石寺はこの3種類の奉安形式を統一するってことをしないのでしょうね。
つまり教義に一貫性がないんです」、「だいたい大石寺の敷地内だけでも御影堂と客殿とで奉安形式が異なっているわけでしょう?「一体どっちなのさ?」ってツッコまれたら何て答えるんですかね」

ではお望み通り、お答えしよう。
御仁は
「本尊義」と「化儀」を混同して論じているから、このような珍論・愚論が生じるのである。
日蓮正宗の本尊義
は大聖人より御当代日如上人に至るまで一貫して「末法の御本仏は日蓮大聖人」であり、大聖人御図顕の弘安二年十月十二日の「本門戒壇の大御本尊」である。

御仁は「教義に一貫性がないんです」と莫迦なことを披露しているが、
化儀は本尊義ではないと言っておく。化儀とは「本尊義を根本としたあらゆる属性を化儀」と称するのである。・・・そこには750年の歴史に於いて整えられた「僧俗の在り方、勤行次第、仏具、華香、樒、給仕、冠婚葬祭、その他の形式」が存在する。その化儀を「化儀抄」として残されたのが日有上人の「化儀抄」だ。御仁のいう「御影像の安置様式」も歴史から生まれた化儀である。これは何も日蓮正宗だけではなかろう。他宗の伝統仏教においても宗祖滅後、独自の化儀が存在する。当たり前の話である。あまり莫迦なことを抜かすものではない。しかし御仁がいまだにへばり付いている創価の化儀はほぼ毎年変わるようだね。(爆笑)

参考までに言っておくが、日蓮正宗においては大聖人や日興上人の御影像を御安置申し上げるのは、大聖人こそが末法下種の仏宝であり、日興上人以下御歴代が僧宝である、ということを顕し示さんがためである、と拝するのである。第二十六世日寛上人は「三宝抄」に、「仏宝を右の上座に安置し、僧宝を左の下座に安置す」(研究教学書十巻165p)と仰せられていることからも明らかである。

尚、信仰礼拝の対象は、あくまでも曼荼羅御本尊であるから、御本尊を離れて
御影像を単体で拝むということは無い。それ故、総本山の御影像や客殿、あるいは古くからの正宗寺院等、大聖人や日興上人の御影像を安置しているところでは、御影像は御本尊の脇、もしくは前に御安置されており、御本尊を御安置した上で、併せて御影像を安置する形となっている。そして御影像の体内にも、必ず曼荼羅本尊が蔵されているのである。

以上「その①」
次回は↓からゆこうではないか。

日蓮正宗の三宝

怪文書「フェイク」のお虫払法要のでっち上げ記事を笑う!

動画配信をしております。            

(発行=18.04.09

 

今年も雨の中、大石寺で虫払い

叩きつける雨、「雷・強風・なだれ注意報」も

今のような法要は明治から、参加は少数

 

日顕が教学部長の頃、雪山坊の会議室で虫払い法要について「陽光うららか

な日に重宝に風入れをする」「お会式の時は『お練り』と言うが、お虫払いの

時は単なる『行列』と言う」と説明していた。ところが、今月六・七日の両日、

大石寺での虫払い法要は「陽光うららか」ではなく、大雨のため湿度九十六%

の日に〝風入れ〟をして、また宗門が中世の絵巻と自慢する「行列」も出来な

かった。

 

「こんな雨の日に重宝類に風入れしても逆効果だろう」と言う参加者もいた。

 

初日の六日午前、法華講員や坊主が相次ぎ着山。午後一時半に御開扉が始ま

ると雨が降り始め、御開扉を終えた登山者が宿坊に向かう頃には大雨になり、

強風も吹き始めた(写真参照)

 

 このところ、大石寺の虫払い法要と言えば決まって悪天候だ。平成二十五年

は急激に発達した爆弾低気圧による〝春の嵐〟が吹き荒れ、特に、富士宮一帯

に大雨・洪水・雷・強風注意報が出た。

 

  同二十六年は初日の六日、大石寺の周辺には物凄い稲妻が走り、雷鳴が轟く

中、大粒の雹(ヒョウ)が叩きつけるように降り、雹に直撃された登山者もい

た。

 

 同二十七年は二日目に冷たい雨の中、御真翰を御宝蔵から客殿に運び込んだ。

 

また、同二十八年も激しい雨が降り、昨二十九年も初日の午後一時半からの

御開扉が近づくと時折、雨が降り始め、夜の日如の御書講義が始まる頃には本

降りになり、二日目は「大雨注意報」が出て、早朝から昼過ぎまで断続的に雨

が降り続いた。

 

こうした現象からも大石寺の行事には諸天の加護が全くないことが分かる。

 

登山者は年々、減少

 

 さて、今年の虫払い法要の初日は、夕方五時頃から本格的に雨が降り始めて、

六時過ぎには雨脚・風ともに強まり、やがて叩きつけるような風雨で、富士宮

市全域に「雷・強風・なだれ注意報」が出たのだ。

 

二日目の七日、本山周辺の木々が大きく揺れるような強い風が吹くなか、登

山者は客殿での法要に向かっていた。皮肉なことに「ご真翰巻き返し」などの

行事が終わる頃、ようやく日の光が差し込んでいた。

 

 この虫払い法要に関する古い文献としては元亀四年(一五七三年)の第十四世

日主の頃の「霊宝虫払日記」があるだけで詳細は不明。天明元年(一七八一年)

の記録には「虫払は三歳に壱度也」とあり、三年に一度、行われていたようだ。

 

これが正式行事になったのは徳川時代末期の天保年間で四十八世日量の頃か

らで、現在のように四月六・七日に行うようになったのは明治以降からである。

この頃、参加者は少数だった。明治二十六年には東京から七人、埼玉から三人、

横浜から十数人、尾張から一人の参加だったが、それでも「最も盛大なる法會

にてありき」と記していた。

 

登山者は近年、減っているが、この虫払い法要の参加者も減少している。

 

破門後の今も配布されているニセ御秘符


創価員、三重県の狂人・宿坊なる土井 庸禎が投稿したものは、他でもない、創価のニセ御秘符の説明である。これは下に説明の通りであるが、破門された現在大石寺の紙も手に入らず便所紙を専ら会員に配っているという噂である。

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阿呆曰く、

日蓮滅後数百年後に創作された彫刻本尊を、年1回煤払いをしてこの時に拭き取りに使った紙を小さく切ったもの。

拭き掃除に使った紙くずで一儲け、人の信仰心につけ込んだ、とんでもない悪徳商売をしているのが日蓮正宗なのです。

オウム真理教でのイニシエーションと称して、麻原が入った風呂の水を飲む行為と同じで、

日顕のマコモ風呂の水をありがたがって、飲んだのと同じ事になりましょう。

このような非科学的なまやかし信仰を、受け入れている法華講ってよほど無知なのでしょう。

◆◆◆◆◆◆◆慧妙最新号より転載◆◆◆◆◆◆

ショック!護符もデッチ上げだった!?

大石寺の御秘符を真似て池田が贋造

「創価学会は紙を飲む宗教」!?

創価学会員の多くが、〝護符〟の存在を知っていると思います。約四ミリ四方の紙片で、昔の病院で出ていた粉薬のように包装されていて、病気の時に飲めば効(き)く、とされてきたアレです。

 多くの方々が、座談会で〝護符〟の話を聞いたり、会館において会員達に配るのを見たり、あるいは自分自身も飲んだことがある――等の経験をしているのではないでしょうか。

 かつて池田大作会長(当時)も、大幹部に対する指導の中で

 「肺病を直すのは護符をいただき、夫婦生活をやめて、十一時以内に寝る、これをやれば直る」(昭和四十四年二月十九日・第二十一回社長会)

と述べていたように、学会では、病気になった時には〝護符〟を戴(いただ)く、ということが広く浸透していました。

 では、この〝護符〟とは何なのか、ということですが、学会内で口コミで伝えられていたところ(昭和四十年代以降)によると、「総本山大石寺の御虫払大法会で、御法主猊下が本門戒壇の大御本尊を和紙で塵(ちり)払いされる。その大御本尊に直(じか)に触れた和紙を、会長・池田先生が猊下から頂戴(ちょうだい)してきて、御本尊の前で祈念して小さく切ったもので、病気の時に飲めば効き目がある」とされていました。

 これを信じて、数多(あまた)の会員が〝護符〟を飲み、それを見た世間の人達からは「創価学会は紙を飲む宗教だ」といって気味悪がられたものです(笑)。

 しかし、この〝護符〟なるモノ、ちょっと考えてみれば、おかしな点ばかりでした。

 まず、御虫払の際に使われた和紙を頂戴してきて切った、というのですが、実際に大御本尊の塵払いを御開扉で目(ま)の当たりにした人はお分かりのように、そこで用いられる和紙は数枚です。これをいかに小さく切ったとしても、全国千ヶ所以上の学会の会館で度々(たびたび)配布するには、あまりにも原紙が少なすぎて間に合いません。

 これに対応するためだったのか、途中から〝護符〟には白色の紙の他に桃色の紙も使われるようになり、今度は「総本山の御大会式で飾られた桜の造花を頂戴し……」という説明が付け加わりました。しかし、そうだとすると、最初の「大御本尊に触れた和紙」という意義とは全く違ってしまい、疑いが深まるばかりです。

 いったい、〝護符〟なるモノの正体は何なのでしょうか。

 じつは、これは、日蓮大聖人以来、代々の御法主上人にのみ伝わってきた日蓮正宗秘伝の〝御秘符〟を、その名称だけ盗み取り、さもそれらしく池田大作が作り上げた、全くデタラメな代物だったのです。

 と言われれば、驚き、「そんなバカな」と思う学会員も多いかもしれません。

「御秘符」と「護符」は全く別物

そこで、本来の〝御秘符〟について、学会の昔の指導を見てみましょう。

 「護秘符(※御秘符)は大聖人様の時代からあったもので、歴代の御相承の中に入っているものと承(うけたまわ)っています。御書にも大聖人様は四条金吾殿の女房の懐胎(かいたい)について護秘符を賜(たまわ)り『それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰(えら)み出だして候・能(よ)く能く信心あるべく候、たと(例)へば秘薬なりとも毒を入りぬれば薬の用すくなし』と、又『とくとく(疾疾)こそ・うまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり』と仰せられています。

 すなわち護秘符は私達信者が大病したり、又出産等の場合に頂ける日蓮正宗の秘中のものです。」(『聖教』昭和三十一年八月五日号)

 「皆さんに一つの不思議を申しておく。それは本山に護秘符というものがある。大聖人がお母様が病気ときいて伊豆から帰られた時、すでに亡くなったお母様にさし上げて、それから息をふき返し、四年間命を保ったもの。これは大聖人様以外御法主猊下でなければつくることは出来ない秘法になっておる。」(戸田会長指導『聖教』昭和三十一年十一月四日号)

 「この護秘符は猊下が忙しいから我々が代理に作って上げようと言うわけにはいかぬ。もったいなくも大聖人様以来の秘伝で法主猊下以外には作れぬ。」(戸田会長指導『聖教』昭和三十年七月二十四日号)

 「ちょっと病気をしたからと何でも彼でも護秘符護秘符というのでなく、これは生命にかかわる時いただくもの。」(『聖教』昭和三十一年九月二十三日号)

 「護秘符の頂き方は(中略)水を半分位入れた湯飲み茶わんに入れ、御本尊様にお供えし、方便品、寿量品を上げ御題目を数多く唱えて勤行し、(中略)護秘符の表面の紅様のものをこすって水にとき、落としてその水を頂くのである。使った護秘符の台紙は焼却する。」(『聖教』昭和二十九年七月十一日号)

 「護秘符は御本尊と同じ扱いにするようにとは、会長池田先生のお言葉である。(中略)護秘符はただの薬ではないこと、大御本尊に猊下が平癒(へいゆ)を御祈念あそばすこと、願主の強い信心が大切であること。」(『前進』昭和三十八年九月号)

 これらを見れば明白なように、戸田会長時代、そして池田会長の代になってからも途中までは、会長が作った〝護符〟ではなく、総本山大石寺から下附された〝御秘符〟を戴いていたのです。

 しかも、その御秘符とは、

①御書にも出てくるとおり、日蓮大聖人以来の相伝によって作られる秘法である

②御秘符は、大聖人から相伝を受けられた代々の御法主上人以外、何びとも作ることができない

③御秘符は、信徒の懐妊、もしくは命に関わる重病などの際に戴くことができ、下附に伴(ともな)い、御法主上人が願主への加護を御祈念くださる

④御秘符の形状は、紙片などではなく、台紙に塗られた食紅であり、これを清水に溶いて服用する

⑤御秘符は御本尊に準ずるもので、強い信心をもって服することが大切である

等というもので、いわゆる〝護符〟とは全く異なることが誰にでもわかるでしょう。

池田が嫉妬から「護符」を贋造

これが、いつの頃から、どうして〝護符〟などという代ろ物にスリカエられたのか、といえば、前に引用してきた資料の日付から見ると、昭和三十八年以降、昭和四十四年までの間にスリカエられたことが明らかで、それは、学会の巨大化に伴って増長した池田会長(当時)が、〝唯授一人の御法主上人だけに伝わる秘法〟ということに嫉妬(しっと)して、自ら作って下附するようになった、としか言いようがありません。

 それも当初は、大御本尊に触れた和紙から始まったのでしょうが、ついには、大御本尊とも日蓮正宗とも何の関係もなく、天魔と化した池田大作が恣(ほしいまま)に乱造して会員に下附するようになった、といえましょう。その証拠に、日蓮正宗から破門され、大御本尊に近寄ることすらできなくなった以降においても、池田から

 「関西の皆様の健康のため、集まった全員に」(平成十七年一月)

 「風邪を引かないように」(平成十九年十月)

等のメッセージと共に、広く〝護符〟がバラ撒(ま)かれているのです。

 これで何の疑いも抱かないとしたら、あまりに迂闊(うかつ)であり、騙(だま)す方も悪いでしょうが、騙される方も愚(おろ)かすぎます。

 ともあれ、ニセ本尊を造った池田は、当然のごとくニセの御秘符=護符も作っていた、という次第で、食の安全性や健康問題が叫ばれる今日、こんな得体の知れない代ろ物(しかも池田の邪念の込められた魔符)を飲まされている会員こそ哀(あわ)れであります。

顕正会 昔と今。「御開扉は宗門の金儲けの道具」?

音声動画で配信中です。

日寛上人著 寿量品 談義 寿量品 談義(冨士宗学要集第10巻131p) 「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇之れ無しと雖も、既に本門の戒壇の御本尊存する上は其の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)は本門の題目なり。志有らん人は登山して【※拝したまへ】」 ※何を拝していたのでしょうか? 本門戒壇の大御本尊であります。 即ち御開扉は江戸時代から法華講衆には内拝が許されていたという証明です。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 1726年4月17日 加賀慈雲寺僧 了妙が富士門に改宗。(金沢法難発端) 同年5月26日、日寛上人、法を日詳上人に相承。 同年8月19日、日寛上人寂 顕正会からの脱会の御相談に応じます。気楽にお電話ください。 090-9626-7585(黒川=実名です。大阪在住) 非通知には一切応じません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 参考資料 「大石寺の名を詐称する顕正会の悪義を破す」暁鐘編集室

「仏教は後世の弟子たちが作り上げたものだ?」は正しいか?

音声配信しております。

「結集(けつじゅう)とは釈尊の死後、弟子たちが集まり、それそれが聞いて記憶してきた内容を語り、確認したこと。 =========================== 日蓮正宗の信仰に興味がある方は、遠慮なくご連絡ください。(^_-) 携帯 090-9626-7585(黒川。実名です。大阪市在住) 非通知には一切応じません。

三文占い師・顕正会・浅井 昭衛氏の大予言は全てはずれた!

Utubeにて朗読しております。


御書(宗門御書) 「未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり」(三沢抄1203p) 「時に当たりて我が為国の為大事なる事を、少しも勘がへ違(たが)へざるが智者にては候なり」(蒙古使御書 909p) 「弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設(たと)ひふりたりともなんの不思議かあるべき」(種々御振舞御書 1069p) ============================ 貴殿たちは浅井 昭衛という俗物の言うことを信じているのです。「依法不依人」という言葉があります。「法によって人によらざれ」ということです。一日も早く脱会し、日蓮正宗のご信徒となり本門戒壇の大御本尊を信じ奉り、正しい血脈の下、正しい御本尊の下、一生成仏の人生を歩まれんことを切にお祈り申し上げます。 連絡 090-9626-7585 (黒川 実名です。大阪在住) 尚、非通知には一切応じません。

御供養の本義 創価では財務を沢山すると表彰されるって~?(@_@;)

参考資料:(動画で配信しております)
「御供養の本義」暁鐘編集室編

 

「仏は真に尊くして物によらず。昔の得勝童子は沙の餅を仏に供

養し奉りて、阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき。貧女の我がかしらをおろして油と成せしが、須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず」(王日殿御書 宗門御書1545

 

「善根と申すは大なるによらず、又ちいさきにもよらず、国により、人により、時により、やうやうにかわりて候。」

(窪尼御前御返事 宗門御書1581 学会御書1485

 

創価脱会の御相談に応じます。気楽にお電話ください(^_-)

090-9626-7585 黒川(実名です。大阪市在住)

尚、非通知には一切応対致しません。

千日尼御前御返事に学ぶ登山精神

千日尼御前御返事に学ぶ登山の精神】

この御書を拝読いたしますと、何と!阿仏房は御歳91歳に至るまで大聖人様にお目通りしたく、三度身延の沢まで行かれていたのですね!

91歳ですよ!!!

千日尼御前御返事に大聖人は、このように仰せです。

「去ぬる文永十一年(1274年)より今年弘安元年(1278年)まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ、大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。」(宗門御書 1253p)

とお褒め遊ばされておられます。

阿仏房の誕生は1189年(文治三年)で、大聖人が御誕生遊ばされる前に遡ります。そして1279年(弘安二年三月二一日逝去)九一歳

この千日尼御前御返事は弘安二年七月二七日に千日尼に与えられた御書であります。

旧暦及び数え年を考慮すれば91歳まで身延の沢に行かれたことは間違いない史実であります。

数々の御供養物を背負い、海・山・谷を老齢にも係わらず三度も大聖人様にお会いしたい一心で身延に登られた精神を我々法華講員は忘れてはいけないと思います。

従って「登山の精神は阿仏房に学べ!」と言われる所以がここにあるということではないでしょうか。

創価学会公式ウエブ「彼岸会」を笑う。珍論ここに極まれり!

Utubeをご覧ください。


合わせて御覧下さい。
(彼岸会の意義) =========================== 【創価公式ウエブの珍説】 春分・秋分の日の日に行われた先祖供養や農耕の儀式といった、日本独特の風習が定着 「彼岸」は「成仏の境涯」のことをいい、「先祖供養」の意味はありません。春・秋の「彼岸会」は、仏教本来の伝統ではなく、あくまでも、日本独特の風習です。春分・秋分の日は、太陽がほぼ真東から昇り、真西に沈みます。それが、古くからの先祖供養や農耕の儀式と結び付き、「彼岸会」として定着していったともいわれています。特に、彼岸に合わせて墓参りする習慣は、江戸時代以降、根付いたと考えられています。彼岸の本義に立ち返れば、今日、用いられている先祖供養の意味とは、無関係なものなのです。 【破門5年後の池田大作氏の言葉】 秋期彼岸勤行法要(2008年9月23日 聖教新聞より) ■ 一、きょうは、ありがとう!  自分のため、地域のため、そして広宣流布の勝利のための尊い行動、毎日、本当にご苦労さまです!  「彼岸」にあたり、ここ師弟会館に御安置されている創価学会の常住御本尊に、彼岸法要の勤行・唱題を行わせていただいた。  全人類の宿命転換のために、勇み戦っておられる、全国、そして世界192カ国・地域の尊き同志に届けと、私は一心不乱に題目を送り続けている。 真の追善は創価の和合僧の中に  一、戸田先生は、よく語られた。  「広宣流布のために、日夜活躍している子どもの信心の功徳によって、必ず親も成仏していけるのである」 ”坊主に拝んでもらわなければ成仏できない”などとは、御書のどこにも記されていない。大聖人は、親孝行の真心を尽くした女性の弟子に対して、”亡くなった、優しかったお父さまは、娘のあなたの題目の声を聞かれて仏になられるのです”と励ましておられる ========================== 【戸田会長指導】 創価学会第2代会長戸田城聖氏は、質問会において、 「塔婆は形式にすぎないのではありませんか」との質問に対し、 「形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。」(戸田城聖全集2巻176頁) ============================ 創価脱会の御相談に応じます。気楽にお電話下さい。 090-9626-7585 (黒川 実名です。大阪在住) ============================ 参考御書 「生死の大海には爾前の経は或は筏(いかだ)或は小船なり。生死の此の岸より生死の彼の岸には付くと雖も、生死の大海を渡り極楽の彼岸にはとつきがたし」 (宗門御書 薬王品得意抄 350p) 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ(中略)あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」(同 経王殿御返事 685p) 「六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う」(同 日妙聖人御書 605p) 「丈六の卒塔婆(そとば)を建てゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゝみをうてばひゝきのあるがごとしとをぼしめし候へ」 (同 中興入道御返事 1434p)

創価ニセ本尊の恐怖 なっなんとネコちゃんの顔面に癌が発症

ペットの癌

彼岸会の意義

生死の大海には爾前の経は或は筏(いかだ)或は小船なり。生死の此の岸より生死の彼の岸には付くと雖も、生死の大海を渡り極楽の彼岸にはとつきがたし」
(宗門御書 薬王品得意抄 350p)

「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ(中略)あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ」(同 経王殿御返事 685p)

六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う」(同 日妙聖人御書 605p)

丈六の卒塔婆(そとば)を建てゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゝみをうてばひゝきのあるがごとしとをぼしめし候へ」
(同 中興入道御返事 1434p)


創価学会「3・11 世界青年部総会」、失敗にて終了。笑 笑

原田会長を中心に世界同時の世界広宣流布を誓う勤行唱題。
この時、御大池田氏も同時に勤行唱題しているはずですが、特に言及も映像もありませんでした。
終了と同時に、池田氏から伝言「みんなありがとう」「くれぐれもよろしく」とのこと。
最後に原田会長がSGIメンバーに(サンキュー・ソー・マッチ)と言ってSGIメンバーが喜ぶ。
====================================
一日も早く脱会しましょう。
気楽にお電話ください。
090-9626-7585 (黒川 実名です。大阪在住)


平成30年3月11日 創価学会「世界青年部総会」を笑う

U-tubeをご覧ください。

一日も早く脱会されることをお祈り申し上げます。



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大石寺周辺の神社に関して

さて、さて、創価学会員様に於かれましては、未だに「大石寺周辺の神社に云々」と仰せでございますが、笑 笑。チト破折遊ばせ候。ww

当該動画
https://youtu.be/e9_urbVmwnI

創価員曰く、

>>[4] 黒川 和雄さん 
堆積痔の9世日有が、正依のはずの化儀抄で 「今の儀にあらず」 と天下一同の広布の日までは神社に本尊を祀ってはならない、としていることさえ知らないか!この詐欺師め!

=====破折↓========

>>[7] 麦原野流布意さん

ま、脳天が狂ってしまった阿呆は何回申しても、同じ疑難の繰り返しであろうが、少し遊んであげよう。以下、お前さんの狂った脳天を少しでも覚醒することを願いつつ、破折してあげよう。
=======================
①当方が動画に上げた文は創価学会の大幹部、中西治雄『教学と私』「地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える」昭和48年発行。聖教新聞社を参考にしたものである。中西氏の論文を破折せよ!「随方毘尼」、これは中西氏が言っているのだよ!

以下、中西論文の一部を紹介する。

<祭礼は随方毘尼で風俗に随ったもの>
「現在、上野、白糸、富丘の3地区に亘り、大小種々の数少ない社祠が残されている。が、その中から、それを裏付けするような数多の事実を発見することができる。(中略)しかるに、前記、3地区に存在する数十の郷社、村社、鎮守社のうち少なくとも12社については、いわゆる堂内に祭祀してある御神体なるものが、じつに立派な、日蓮正宗の御本尊に取って代わられており、奉祀されているという事実である。これは何を物語るものであろうか。仏法に随方毘尼という法門がある。『月水御書』を拝すれば、

 「委細に経論を勘え見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」
と。

随方とは、その地方の風俗習慣に随うということであり、毘尼とは、戒のことである。すなわち、物事の大綱や、その精神において仏教に違わない限り、その形式などは、その国情または地域のしきたりに随ってもよい、という意である。

この法門に則り、かつは代々の御法主上人の御慈教により、鎮守神の祭の習慣がそのまま残って部落の人々の願いは叶えられ、年1度の祭を心から祝い合ったことであろう。」(中略)熊久保の〝神社〟の場合も、堂内に「八幡宮」の額が掲げられてはいるものの、祀られている〝ご神体〟は御本尊であって、何の問題もない。

②・・・で、創価の公式ウエブのどこに「随方毘尼は、海外で広布を進める際の摂受の実践を認めたものである」と書いてあるんかい? 笑 創価ネットを破折せよ! 出来るかい?小童よ。www
 ↓
https://k-dic.sokanet.jp/%E9%9A%8F%E6%96%B9%E6%AF%98%E5%B0…/

③戸田城聖氏の指導を破折せよ。笑 ↓

「広宣流布の暁には、神社には御本尊様が御安置されます」

「神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。『坊主憎けりゃけさまで憎い』などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。」
(『戸田城聖全集』第4巻)

④「今の儀(ママ)にあらず」を読み間違えているようだ。大爆笑
原文↓
「日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり。内には本尊を懸けらるゝ・是は本門寺の朽木書云々、今の義にあらず。天下一同の法華宗信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在すべし(中略)朽木書とは手本といふ意なり」
(富士宗学要集第一巻157p)

現代語訳
「朽木書きとは絵画の下書のこと、手本の意。二祖日興上人の時に重須(北山)に八幡の社(垂迹堂、今はなし)を建て、その中に本尊を懸けられたのであります。これは将来本門寺(=現在の大石寺)を建立した時の手本という意で現在の意義をもっているのではありません。広宣流布の暁には当家の守護神は八幡であると云う意であります。」
※御本尊の相貌には諸天善神として「八幡大菩薩」が書写されている。広宣流布の暁にはこの八幡大菩薩が本門寺(=大石寺)を護るのである。

kegishou


創価員、罰の現証 恐ろしい限りです。

【ミクシより転載】

表面上、いくら綺麗事を並べようとも、創価学会を眺めてみますと、聖教新聞の一面には、やれ池田大作がどこそこの国から栄誉称号をもらっただの、どこそこの大学から名誉博士号を送られただのという、"綺麗事"で埋め尽くされています。 
そこまで気づきながら、自分の立場や、長年にわたって学会で生きてきたことなどへの執着を捨てきれなかった私は、学会から抜ける決断がつかず、苦しみました。 
私は立場上、学会員の葬儀において、幾度も葬儀委員長を務めてきた中で"成仏の相"には、一度もお目にかかれなかったことに違和感を感じました。 
私の見聞きするだけでも、家族が病人だらけだったり、重機に挟まれて大ケガをするという事故を繰り返している人、手術が成功したと言っていた直後に急死してしまった人。 
そういう話があとを絶ちません。 
ところが、学会ではそういう話をひた隠しにし、隠しきれないとなると、「本当はもっとひどくなるところを、この程度のケガで済んだ」などと、あたかも功徳であるかのような話にすり替えているのです。

平成17年12月9日付の聖教新聞(地方版)に、「友が語る私の原点」と題する記事が掲載されている。 
同記事は、「困難にも打ち勝つ不屈の人には信頼と共感が集まる。池田名誉会長は『"原点"を忘れない人は強い』と語っている。広布の道を力強く歩み続ける友に"わが原点"を語ってもらった」として、2名の熱心な活動家のコメントを紹介しているのだが、そのうちの1人は首つり自殺をしている。

平成19年2月4日には、東京都の三宅島で、公明党・三宅村議の浅沼功一郎氏が、石碑の下敷きになり死亡した。

平成18年1月28日には、静岡県の創価学会員・Tさん宅が全焼し、焼け跡からTさんの妻の遺体が発見された。

新潟県の創価学会員・Tさんも、平成16年末に交通事故に遭い、両足切断という大怪我を負って、平成17年8月に亡くなりました。

横浜市のSさんは、平成17年6月、母親によって池田狂に洗脳され、38歳で自殺しました。

平成17年4月には、福島県いわき市内の磐越東線の踏切で、いわき発郡山行きの普通列車と乗用車が衝突する事故が起き、乗用車を運転していた創価学会員・Oさんは死亡。助手席に乗っていた妻も意識不明の重体となりました。

平成17年2月には、土浦市に住む創価学会員・Sさんが、自転車で道路を横断中、車にはねられて死亡しました。

平成16年8月には、長野県の創価学会員一家3人が焼死する痛ましい事件が発生しました。外部から侵入した形跡はなく、火災現場からガソリンの入った容器が複数発見されており、ダイニングにはガソリンがまかれた跡があることから、警察では無理心中したものとみています。

平成16年6月には、千葉県館山市で、足の不自由な創価学会員の女性が、海岸沿いに停めた車の中に1時間も放置され、熱中症で死亡するという痛ましい事件が発生しました。これは、無職の息子が、母親を車内に残したまま釣りに興じている間に熱中症で死亡させてしまったものです。

平成15年9月には、岩手県北上市の創価学会北上会館近くの市道で、横断歩道を渡っていた創価学会員・Kさんが、同じ市内に住む創価学会員・Oさんの車にはねられ、意識不明の重体となりました。

富山県の創価学会員・Yさん一家は、家族全員が熱心な学会員で、Yさんの家は大きく、学会の会合にも使用されていました。平成14年9月、Yさんのことが、聖教新聞に大々的に載りました。それは、創価学会の中で大功徳を受けた、という体験談記事でした。ところがYさんは、聖教新聞に取り上げられた翌日、仕事先でハシゴから落ち、数日間の治療の甲斐もなく亡くなってしまったのです。

平成13年9月には、福岡県京都郡で建築業を営む創価学会員・上田文昌さんが、自宅で息子に殴り殺されました。

平成13年7月には、中国自動車道で、女子中学生(創価学会員・Kさん)が手錠をはめられたまま死亡するというショッキングな事件が発生しました。死因は、頭部と足にできた大きな傷による失血死で、Kさんは走行中の自動車から高速道路上に出た後、別の車両にひかれたのが目撃されています。

平成12年12月には、愛知県武豊町に住む創価学会員・T(21)と、妻(21)が、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。2人は、自分たちの長女である依織ちゃん(3)を段ボール箱に入れて放置し、食事を与えず餓死させたもの。おむつもほとんど交換されていなかったといいます。

埼玉県の創価学会員・Yさんは、平成12年、昼時に火事を出して、家は丸焼け。ご主人は焼死し、奥さんは、大やけどで入院してしまいました。その奥さんは、退院後、「主人は家のことができない人だから、私が死ぬより主人が死んでよかった」と平然と言い切りました。

平成11年5月14日には、東京都立川市の立川平和会館で、創価学会職員の田代美恵子(女子部副本部長・当時)が、聖教新聞社職員のKさん(支部長・当時)を包丁で刺し、田代容疑者は現行犯逮捕されました。

平成10年11月には、東京・目黒区の創価学会員(支部婦人部長)のHさんが、娘の夫に襲われ、Hさんは逃げようとしてベランダから転落し死亡。娘さんも意識不明の重体になってしまいました。

新潟県三条市で創価学会の幹部を務めていたKさんは、平成10年4月頃からノイローゼ気味になり、同年11月、眠っていた妻の首を包丁で斬りつけて殺害しようとしました。妻は、助けを求めて外へ出ていったのですが、その間にKさんは、家に灯油をまいて焼身自殺を図り、自宅は全焼。その焼け跡から発見されたKさんの遺体は炭化していました。

平成8年10月には、新潟県柏崎市安田のJR信越本線安田駅付近で、貨物列車が脱線事故を起こし、信越本線は翌日の夕方まで不通に。これにより、本来、信越本線を走るべき青森発・大阪行きの寝台特急「日本海2号」が、信越本線と並行して走る越後線を使って迂回運転したところ、

翌日未明、この特急列車が酒に酔って線路に寝ていた創価学会員のAさんをはね、Aさんは即死してしまいました。

平成8年9月には、東京・墨田区の創価学会員の家が夜中に火事になり、5人家族のうち、祖父と妻、中学生の長女が焼死してしまいました。

平成8年6月には、東京・板橋区で、創価学会員の夫が、奥さんを包丁で刺し殺し、自らも後追い自殺をするという傷ましい事件が起きました。夫妻共に熱心な活動家であったといいます。

平成9年2月には、宮城県で一家4人が焼死する火災事故がありました。犠牲になったのは、創価学会員のUさん一家でした。

平成7年12月には、福岡県の創価学会員・Kさんの中学3年になる娘さんが、17歳の少年に包丁で刺されて死亡してしまいました。

平成7年4月28日には、福岡県の創価学会員・Sさんが、聖教新聞の配達中に、大型トラックにはねられて死亡してしまいました。

平成5年4月には、函館の創価学会員一家が、池田平和会館に行く途中、車同士が衝突し、夫婦は脳挫傷で死亡。運転していた息子さんも重傷を負ってしまいました。

平成4年4月には、福井県の圏書記長を務めていた創価学会員・Tさんが、池田文化会館からの帰り道、大型トラックと衝突。事故に巻き込まれた他の人々は軽傷で済んだのに、Tさん一人だけが頭の骨を折って死亡してしまいました。

平成4年2月には、長崎県の創価学会員(支部指導員)Bさんが、創価学会の会館のトイレの中で倒れて死亡しました。その葬儀(学会葬)で出棺の際、棺を降ろすリフトのワイヤーが切れ、自動停止装置も作動せず、リフトに乗っていた創価学会員6名が、棺と共に3階から落下し、重傷を負う惨事となりました。

平成3年12月には、創価学会員・Tさんが、不倫相手である男性の運転で走行中、大型トラックと正面衝突し、車は大型トラックの前輪に食い込んで大破。

2人とも死亡しました。解体作業は何十時間もかかり、遺体の損傷は激しく、Tさんは上半身、相手の男性は下半身しか見つからないほどの大事故でした。

平成3年7月、神奈川県の創価学会員(支部長)Hさんは、新橋駅ホームで、乗車しようと荷物を持ち上げた時に足元がふらつき、線路に転落。ちょうど入ってきた東海道線の通勤快速にはねられて死亡してしまいました。

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