創価学会・顕正会・正信会からの脱会を考える会

創価学会、顕正会、正信会からの脱会の相談に応じます。黒川和雄 090-9626-7585 当方大阪在住です。ワン切りOK,こちらからお電話を差し上げます。 大阪の方大歓迎(#^.^#)

恐れることはありません。勇気を出して脱会しましょう。

私の所属寺院は「日蓮正宗大阪南布教区妙輪寺支部法華講」。

お寺は天王寺から阪堺線(チンチン電車)で20分。姫松下車、進行方向へ100m。左側にございます。

妙輪寺住所
〒558-0054
大阪府大阪市住吉区帝塚山東1丁目12-14
脱会相談 黒川和雄 090-9626-7585
ワン切りOK,こちらからお電話を致します。

※このブログのコンテンツは一信徒の個人的なものであり、宗教法人日蓮正宗及び法華講連合会とは一切関係はありません。
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大石寺周辺の神社に関して

さて、さて、創価学会員様に於かれましては、未だに「大石寺周辺の神社に云々」と仰せでございますが、笑 笑。チト破折遊ばせ候。ww

当該動画
https://youtu.be/e9_urbVmwnI

創価員曰く、

>>[4] 黒川 和雄さん 
堆積痔の9世日有が、正依のはずの化儀抄で 「今の儀にあらず」 と天下一同の広布の日までは神社に本尊を祀ってはならない、としていることさえ知らないか!この詐欺師め!

=====破折↓========

>>[7] 麦原野流布意さん

ま、脳天が狂ってしまった阿呆は何回申しても、同じ疑難の繰り返しであろうが、少し遊んであげよう。以下、お前さんの狂った脳天を少しでも覚醒することを願いつつ、破折してあげよう。
=======================
①当方が動画に上げた文は創価学会の大幹部、中西治雄『教学と私』「地域広布の立場から大石寺周辺祠社の変革を考える」昭和48年発行。聖教新聞社を参考にしたものである。中西氏の論文を破折せよ!「随方毘尼」、これは中西氏が言っているのだよ!

以下、中西論文の一部を紹介する。

<祭礼は随方毘尼で風俗に随ったもの>
「現在、上野、白糸、富丘の3地区に亘り、大小種々の数少ない社祠が残されている。が、その中から、それを裏付けするような数多の事実を発見することができる。(中略)しかるに、前記、3地区に存在する数十の郷社、村社、鎮守社のうち少なくとも12社については、いわゆる堂内に祭祀してある御神体なるものが、じつに立派な、日蓮正宗の御本尊に取って代わられており、奉祀されているという事実である。これは何を物語るものであろうか。仏法に随方毘尼という法門がある。『月水御書』を拝すれば、

 「委細に経論を勘え見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり」
と。

随方とは、その地方の風俗習慣に随うということであり、毘尼とは、戒のことである。すなわち、物事の大綱や、その精神において仏教に違わない限り、その形式などは、その国情または地域のしきたりに随ってもよい、という意である。

この法門に則り、かつは代々の御法主上人の御慈教により、鎮守神の祭の習慣がそのまま残って部落の人々の願いは叶えられ、年1度の祭を心から祝い合ったことであろう。」(中略)熊久保の〝神社〟の場合も、堂内に「八幡宮」の額が掲げられてはいるものの、祀られている〝ご神体〟は御本尊であって、何の問題もない。

②・・・で、創価の公式ウエブのどこに「随方毘尼は、海外で広布を進める際の摂受の実践を認めたものである」と書いてあるんかい? 笑 創価ネットを破折せよ! 出来るかい?小童よ。www
 ↓
https://k-dic.sokanet.jp/%E9%9A%8F%E6%96%B9%E6%AF%98%E5%B0…/

③戸田城聖氏の指導を破折せよ。笑 ↓

「広宣流布の暁には、神社には御本尊様が御安置されます」

「神棚など、社はよいが、中身が悪いのです。『坊主憎けりゃけさまで憎い』などと、そんなことはしないでもらいたい。神棚はとっておけばよい。今まではへんちくりんな神さまがすわっていたのだが。本でも置けばよいし、おしめでも置けるし、便利このうえないものだから、棚はこわす必要はない。これだけは、ほんとうによく注意してください。」
(『戸田城聖全集』第4巻)

④「今の儀(ママ)にあらず」を読み間違えているようだ。大爆笑
原文↓
「日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり。内には本尊を懸けらるゝ・是は本門寺の朽木書云々、今の義にあらず。天下一同の法華宗信仰の時は・当宗の鎮守は八幡にて在すべし(中略)朽木書とは手本といふ意なり」
(富士宗学要集第一巻157p)

現代語訳
「朽木書きとは絵画の下書のこと、手本の意。二祖日興上人の時に重須(北山)に八幡の社(垂迹堂、今はなし)を建て、その中に本尊を懸けられたのであります。これは将来本門寺(=現在の大石寺)を建立した時の手本という意で現在の意義をもっているのではありません。広宣流布の暁には当家の守護神は八幡であると云う意であります。」
※御本尊の相貌には諸天善神として「八幡大菩薩」が書写されている。広宣流布の暁にはこの八幡大菩薩が本門寺(=大石寺)を護るのである。

kegishou


創価員、罰の現証 恐ろしい限りです。

【ミクシより転載】

表面上、いくら綺麗事を並べようとも、創価学会を眺めてみますと、聖教新聞の一面には、やれ池田大作がどこそこの国から栄誉称号をもらっただの、どこそこの大学から名誉博士号を送られただのという、"綺麗事"で埋め尽くされています。 
そこまで気づきながら、自分の立場や、長年にわたって学会で生きてきたことなどへの執着を捨てきれなかった私は、学会から抜ける決断がつかず、苦しみました。 
私は立場上、学会員の葬儀において、幾度も葬儀委員長を務めてきた中で"成仏の相"には、一度もお目にかかれなかったことに違和感を感じました。 
私の見聞きするだけでも、家族が病人だらけだったり、重機に挟まれて大ケガをするという事故を繰り返している人、手術が成功したと言っていた直後に急死してしまった人。 
そういう話があとを絶ちません。 
ところが、学会ではそういう話をひた隠しにし、隠しきれないとなると、「本当はもっとひどくなるところを、この程度のケガで済んだ」などと、あたかも功徳であるかのような話にすり替えているのです。

平成17年12月9日付の聖教新聞(地方版)に、「友が語る私の原点」と題する記事が掲載されている。 
同記事は、「困難にも打ち勝つ不屈の人には信頼と共感が集まる。池田名誉会長は『"原点"を忘れない人は強い』と語っている。広布の道を力強く歩み続ける友に"わが原点"を語ってもらった」として、2名の熱心な活動家のコメントを紹介しているのだが、そのうちの1人は首つり自殺をしている。

平成19年2月4日には、東京都の三宅島で、公明党・三宅村議の浅沼功一郎氏が、石碑の下敷きになり死亡した。

平成18年1月28日には、静岡県の創価学会員・Tさん宅が全焼し、焼け跡からTさんの妻の遺体が発見された。

新潟県の創価学会員・Tさんも、平成16年末に交通事故に遭い、両足切断という大怪我を負って、平成17年8月に亡くなりました。

横浜市のSさんは、平成17年6月、母親によって池田狂に洗脳され、38歳で自殺しました。

平成17年4月には、福島県いわき市内の磐越東線の踏切で、いわき発郡山行きの普通列車と乗用車が衝突する事故が起き、乗用車を運転していた創価学会員・Oさんは死亡。助手席に乗っていた妻も意識不明の重体となりました。

平成17年2月には、土浦市に住む創価学会員・Sさんが、自転車で道路を横断中、車にはねられて死亡しました。

平成16年8月には、長野県の創価学会員一家3人が焼死する痛ましい事件が発生しました。外部から侵入した形跡はなく、火災現場からガソリンの入った容器が複数発見されており、ダイニングにはガソリンがまかれた跡があることから、警察では無理心中したものとみています。

平成16年6月には、千葉県館山市で、足の不自由な創価学会員の女性が、海岸沿いに停めた車の中に1時間も放置され、熱中症で死亡するという痛ましい事件が発生しました。これは、無職の息子が、母親を車内に残したまま釣りに興じている間に熱中症で死亡させてしまったものです。

平成15年9月には、岩手県北上市の創価学会北上会館近くの市道で、横断歩道を渡っていた創価学会員・Kさんが、同じ市内に住む創価学会員・Oさんの車にはねられ、意識不明の重体となりました。

富山県の創価学会員・Yさん一家は、家族全員が熱心な学会員で、Yさんの家は大きく、学会の会合にも使用されていました。平成14年9月、Yさんのことが、聖教新聞に大々的に載りました。それは、創価学会の中で大功徳を受けた、という体験談記事でした。ところがYさんは、聖教新聞に取り上げられた翌日、仕事先でハシゴから落ち、数日間の治療の甲斐もなく亡くなってしまったのです。

平成13年9月には、福岡県京都郡で建築業を営む創価学会員・上田文昌さんが、自宅で息子に殴り殺されました。

平成13年7月には、中国自動車道で、女子中学生(創価学会員・Kさん)が手錠をはめられたまま死亡するというショッキングな事件が発生しました。死因は、頭部と足にできた大きな傷による失血死で、Kさんは走行中の自動車から高速道路上に出た後、別の車両にひかれたのが目撃されています。

平成12年12月には、愛知県武豊町に住む創価学会員・T(21)と、妻(21)が、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。2人は、自分たちの長女である依織ちゃん(3)を段ボール箱に入れて放置し、食事を与えず餓死させたもの。おむつもほとんど交換されていなかったといいます。

埼玉県の創価学会員・Yさんは、平成12年、昼時に火事を出して、家は丸焼け。ご主人は焼死し、奥さんは、大やけどで入院してしまいました。その奥さんは、退院後、「主人は家のことができない人だから、私が死ぬより主人が死んでよかった」と平然と言い切りました。

平成11年5月14日には、東京都立川市の立川平和会館で、創価学会職員の田代美恵子(女子部副本部長・当時)が、聖教新聞社職員のKさん(支部長・当時)を包丁で刺し、田代容疑者は現行犯逮捕されました。

平成10年11月には、東京・目黒区の創価学会員(支部婦人部長)のHさんが、娘の夫に襲われ、Hさんは逃げようとしてベランダから転落し死亡。娘さんも意識不明の重体になってしまいました。

新潟県三条市で創価学会の幹部を務めていたKさんは、平成10年4月頃からノイローゼ気味になり、同年11月、眠っていた妻の首を包丁で斬りつけて殺害しようとしました。妻は、助けを求めて外へ出ていったのですが、その間にKさんは、家に灯油をまいて焼身自殺を図り、自宅は全焼。その焼け跡から発見されたKさんの遺体は炭化していました。

平成8年10月には、新潟県柏崎市安田のJR信越本線安田駅付近で、貨物列車が脱線事故を起こし、信越本線は翌日の夕方まで不通に。これにより、本来、信越本線を走るべき青森発・大阪行きの寝台特急「日本海2号」が、信越本線と並行して走る越後線を使って迂回運転したところ、

翌日未明、この特急列車が酒に酔って線路に寝ていた創価学会員のAさんをはね、Aさんは即死してしまいました。

平成8年9月には、東京・墨田区の創価学会員の家が夜中に火事になり、5人家族のうち、祖父と妻、中学生の長女が焼死してしまいました。

平成8年6月には、東京・板橋区で、創価学会員の夫が、奥さんを包丁で刺し殺し、自らも後追い自殺をするという傷ましい事件が起きました。夫妻共に熱心な活動家であったといいます。

平成9年2月には、宮城県で一家4人が焼死する火災事故がありました。犠牲になったのは、創価学会員のUさん一家でした。

平成7年12月には、福岡県の創価学会員・Kさんの中学3年になる娘さんが、17歳の少年に包丁で刺されて死亡してしまいました。

平成7年4月28日には、福岡県の創価学会員・Sさんが、聖教新聞の配達中に、大型トラックにはねられて死亡してしまいました。

平成5年4月には、函館の創価学会員一家が、池田平和会館に行く途中、車同士が衝突し、夫婦は脳挫傷で死亡。運転していた息子さんも重傷を負ってしまいました。

平成4年4月には、福井県の圏書記長を務めていた創価学会員・Tさんが、池田文化会館からの帰り道、大型トラックと衝突。事故に巻き込まれた他の人々は軽傷で済んだのに、Tさん一人だけが頭の骨を折って死亡してしまいました。

平成4年2月には、長崎県の創価学会員(支部指導員)Bさんが、創価学会の会館のトイレの中で倒れて死亡しました。その葬儀(学会葬)で出棺の際、棺を降ろすリフトのワイヤーが切れ、自動停止装置も作動せず、リフトに乗っていた創価学会員6名が、棺と共に3階から落下し、重傷を負う惨事となりました。

平成3年12月には、創価学会員・Tさんが、不倫相手である男性の運転で走行中、大型トラックと正面衝突し、車は大型トラックの前輪に食い込んで大破。

2人とも死亡しました。解体作業は何十時間もかかり、遺体の損傷は激しく、Tさんは上半身、相手の男性は下半身しか見つからないほどの大事故でした。

平成3年7月、神奈川県の創価学会員(支部長)Hさんは、新橋駅ホームで、乗車しようと荷物を持ち上げた時に足元がふらつき、線路に転落。ちょうど入ってきた東海道線の通勤快速にはねられて死亡してしまいました。

シリーズ⑨-2日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!

>→それらの書に述べられる仏滅讃文も、全て「御伝土代」における文意と同じく「正像二千年間に未曾有の大曼荼羅」の意です。他意はありません。

もし、戒壇大御本尊のことを述べられるのなら、「全ての宗祖御図顕の曼荼羅のうちでも弘安二年の大曼荼羅は···」と述べられますよ。

また、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の他に「正像未弘之大曼荼羅」と示されたものもあり、まさに仏滅讚文の意味するところを示しています。日道上人の「御伝土代」における「仏滅後二千二百三十余年」もその趣旨を示されているに他なりません。

 

何度も言う通り、「日本語」ですよ?

日道も日順も日尊も、日眼も、板マンダラを宗祖出世の本懐として、唯一無二の本尊として給仕勤行していた人達ではないのですか?

その人達が、

日尊「銘に云く」日眼の「三十余年とある文永十一年のころよりの御筆の曼陀羅、猶以て肝心也」。

 

「そう書いてある曼荼羅だ」と言っているのですよ。

「二千二百二十余年」とある究極絶対の曼荼羅を目の前にして、なぜ上記のようなことを皆が口をそろえて言っているのですか?と聞いているのですよ。

「三十余年とある文永十一年のころよりの御筆の曼陀羅」と、あまりにも明確に書いているでしょうに。

 

適当な歪曲解釈で逃げるのはやめなさい。

いいですか?

大石寺のアナウンスであれば、板マンダラは宗祖筆、日法掘り下げ彫刻金箔入り、それが日興→日目→日道・・・と連綿と相承され、それを日寛は「究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」と言い、「一閻浮提総与」などという造語を作って、他の曼荼羅は枝葉のようなものだと言ってきたのでしょ?

それを、日道も日順も日尊も日眼も、みんな唯一無二として給仕勤行してきたのではないのですか?

その弟子ら全てが「三十余年」と「書いてる!」曼荼羅だとなぜ言うのですか?

「本門戒壇の大御本尊が肝心である」とでも言いいそうなもの、少なくともあなた達の主張からすれば、「二千二百二十余年とある曼荼羅」への帰依を記すべきではないのですか?

大石寺のアナウンスを鵜呑みにしているから日本語も読めなくなるのですよ。

 

それをあなたは、「二十余年」でも「三十余年」でも、宗祖の御魂だと。

では板マンダラでもなくてもいいということでしょうに。

それを今度は、「仏滅讃文が「二千二百二十余年」であれ「三十余年」であれ、曼荼羅御本尊はいずれも宗祖大聖人の御魂ですから、その違いによる取捨はなく、戒壇大御本尊とも何の矛盾もありません。」

などと言いだす。

 

では、日蓮宗所持の真筆も曼荼羅も当然捨てるものではないはずが、今度は

「総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない」などと、なんですかこのご都合主義は。

 

それも根拠を挙げなさいと言っているだけですよ。

少なくとも、宗祖が「墨に魂を染め流し」書かれた曼荼羅を、あなた方が所持をしていないからといって邪見にする。

根拠無き冒涜も度が過ぎますよ。

他の真筆曼荼羅を、板マンダラから離れてるから捨てるという根拠を示しなさい。

自分で言ったことへの責任ぐらいとりなさい。みっともない。宗祖への愚弄でしかありません。責任をとりなさい。

 

 ✲これらの僧侶は、「そう書いてる現物について」言っているのでしょう?

日本語だとそう読む以外に解釈できませんが。

 

>→それは貴職が恣意的に読むからですよ。諸師は、正像に未曾有の大曼荼羅を信ずる、と言われているのであり、特に数多の曼荼羅中のこの曼荼羅を信ずる(他の曼荼羅は信じない)等と言われているのではありません。

 

上に記した通りです。

 

>✲最後はまた日寛の「二十余年」を出しますか?

 

>→何のことですか?

私が日寛上人の文から挙げたのは「十月十二日」の建立日付ですよ。いよいよ錯乱してきましたか?

 

また逃げるでしょうけれど、上代の歴代やその弟子らは、「二千二百三十余年」とある曼荼羅を挙げている。

では、最初に「板マンダラに二十余年とある」ことを記したのは誰で、なんという書物ですか?

逃げずに答えなさい。

 

 

 

>✲なぜ、上代の弟子よりも、宗祖滅五百年の歴代が優先されるのですかね。

全て日本語ですよ。

上記の書にも、当然御伝土代とも、戒壇本尊とは無関係であると明確だと言っているのですよ。

 

>→誰も貴職の挙げた文が、戒壇大御本尊のことを述べている文だ、などと言っていませんよ。それなのに「無関係であると明確だと言っている」と、力んでどうするのですか?

本当に頭は大丈夫でしょうか?

 

頭大丈夫ですか?

戒壇本尊のことを述べている文だとは言っていないのですか?

分かっているじゃないですか。

そうですよ。

あなた方が板マンダラに給仕勤行していたと思っている弟子らは、板マンダラがありながら、そのことに一切触れていないですよ。

自分で理解しているじゃないですか。

 

では、弟子らが「三十余年と書いてる」と断言する曼荼羅は、どの曼荼羅を指しているのですか?

 

 

 

 

 

✲⑥捏造に捏造を重ねてきた日蓮正宗の義など証明になるわけないでしょうに。

>その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊である、

質問三 ・・・その根拠を挙げてください。宗祖筆の証拠もない。疑念だらけ。

よくもまあこんなでたらめを言えますね。是非根拠を示されてください。

 

→貴職は、宗祖大聖人の御金言もまともに拝さず、ただ日蓮正宗への怨嫉の謗言を並べる大莫迦者です。

「三大秘法抄」における本門戒壇に関する御教示と、大御本尊の示し書に認められた「本門戒壇」の文字、それをよくよくお考えなさい。それでも、わからなければ、それは貴職の能力不足である、としか言いようがありません。

 

 

おいおい。三大秘法抄と板マンダラの「本門戒壇」だけで根拠としているわけではないでしょうね?

 

 右為現当 二世造立件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆等」

これだけを見ても、板マンダラ作ったのは「弥四郎国重」と書いてる。

しかも、弥四郎国重とやらは、「戒壇」の願主であって、「戒壇本尊」の願主ではない。

三大秘法抄には、「国主」と断定されているにもかかわらず、弥四郎国重なる所在不明で、大石寺の歴代までもその人物の説明が二転三転するような願主が、「国主」だとでも言うのですか?

 

 予年来雖秘己心此法門を書付て留置ずんば、門家の遺弟等定可加 無慈悲讒言。其後は何と悔とも叶まじきと存間對貴辺書送り候 

三大秘法のことは、しっかりと書き残しておかなければ、自分を無慈悲の人と思ってしまうだろうから、しっかりと残しておくと言われた宗祖が、

戒壇の願主はもちろん、戒壇本尊とやらにもふれない。

あんなものが根拠であるなら、宗祖は本当に無慈悲な詐欺坊主でしょうね。自分達が宗祖を貶めていることに気づきなさい。

 

あなたはそこの箇所に金箔が施されているとのことですので、是非その筆跡が宗祖のものであるのか見てきてください。

ご教授期待しております。

 

 

>✲質問四・・・弘安二年十月著作の宗祖曼荼羅だけでも三遍現存。なぜ弘安二年の曼荼羅なのか?そして、それが戒壇本尊だと言えるのかの根拠を示してください。

 

>→自分の文章をよく読み直してください。日本語として意味不明ですよ。

あえて貴職の意味不明の文章を、親切に読解してあげることはいたしません。

 

だから、都合の悪いことから逃亡するのはやめなさい。

あなたが、「その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊」だと言ったのでしょう?

なんですべての中心の本尊が「弘安二年の本尊」と言えるのですか?なぜそれが、あの板マンダラだと言えるのですか?と聞いているだけでしょうに。

根拠もないのに適当なことを言うからおかしくなるのですよ。大石寺の歴史そのものでもありますが。

 

だから、もしも弘安二年だと言うなら、他にも三遍の真筆がありますよと。その中で、なぜあの板彫刻が本体だなどと言えるのか、その根拠を示しなさい。

 

出せないからといって、逃げるのはやめなさい。あなたも過去の法華講員とかわらなくなりますよ?

なんですべての中心の本尊が「弘安二年の本尊」と言えるのですか?なぜそれが、あの板マンダラだと言えるのですか?

自分で言ったことへの責任ぐらいとりなさい。

 

 

>✲ちなみに、弘安二年以降の宗祖筆曼荼羅はおよそ六十遍。宗祖は、出世の本懐ほどの曼荼羅を図じした後、信仰の対象とできない枝葉の曼荼羅を六十遍も書かれたのですか?これを信じてしまうことに、疑念を抱かないですか?

 

>→だから、戒壇大御本尊以外の曼荼羅御本尊は信仰の対象にできない、などと、誰も言っていないではないですか。人の主張はよく読め、と言っておきます。

 

はい?では、板マンダラも他の曼荼羅も同じということでしょう?なにが「すべての本体」ですか。

都合が悪くなると、他の曼荼羅も信仰の対象、しかし本体は板マンダラ。どっちなんですか?

しかも、六十遍の中には日蓮宗所持の曼荼羅も多くありますよ?それらはどうなるんですか?どうせ「戒壇本尊と離れている」から対象ではないとなりますか?

まったく・・・。

 

離れているってなんなんでしょう?上にも記したのでもういいでしょう。溜息が出ます。

 

 

>✲>したがって、宗祖の顕わされた仏滅讃文が「二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない、というのが本宗の教義信条であります。

質問五・・・ご自分で書かれていて、なんの疑念も抱かないのでしょうか?上記の根拠を挙げてください。日蓮正宗の教義信条などなんの答えにも根拠にもなりません。

 

>→この愚問についても、先程の、全ての御本尊の中心・本体に当たるのが戒壇大御本尊、というところで示した回答で充分です。

 

 

「いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない」の根拠はないのですか?

宗祖の魂を染め流した曼荼羅を、貶める醜態を自覚なさい。

 

 

 

 

>✲>これだけ説明すれば、貴職の批判が全くの的外れであったことがわかりますよね。

 

長文を挙げられたのはいいですが、なんですかこの根拠なき希望的解釈は。

 

>→先程は、あえて根拠を教えてあげましたが、本当は、根拠を示す必要すらないのです。

何故ならば、これは、貴職が、日蓮正宗の信条について

 

あなたの文意では、別に「本門戒壇の大御本尊」でなくてもいいということになりますよ?

歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか?

いずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している、ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、「信仰の対象として認める」ということでよろしいですね?

と問うてきたので、当方の信条を説明してあげたのです。したがって、この回答に根拠まで示す必要はない(そこまで求められてはいない)わけです。違いますか?

 

 

根拠を示す必要がないではなく、根拠を示せないと言いなさい。見苦しい。捏造に捏造を重ねて、都合よく歪曲してきたあなた方の教義信条など、根拠になるわけないでしょうに。

 

 

 

>✲⑦>大御本尊の下部には別な示し書がありますので、その上の花押の、更に上を「下部」とは言いませんよ。

質問六・・・では、あの位置を何部というのですか?

 

>→ほら、こうやって、すぐ別な方向へと脱線する。後の方でも、繰り返し日達上人を謗りながら、論点を逸らそうとしていますよね。

そもそもは貴職が、日達上人の文意を読み間違え、日達上人が「二千二百二十余年」を否定している、などと騒いだが故に、私がそれを破折したんじゃありませんか。それが議論の主旨でしょう?

そこでの私の言葉尻を捉えて、では讚文の認められている位置を何部と呼ぶか、なんて方向へ脱線させて誤魔化すような真似は止めなさい!恥ずかしいかぎりだ、まったく。

自分の明らかな間違い(日達上人が二千二百二十余年を否定したという主張)は、間違いであったと認めなさいよ。後から読む人達が呆れますよ(すでに私は呆れ返っていますが)

 

あなたに破折などされたことありませんけど。脱線はあなたでしょうに。

細井さんの文を、「あれは場所を否定した文」だと言ったのはあなたでしょうに。

では、あの讃文は「どこの部」だと大石寺はあなた方信徒に説明しているのですか?

 

通常、花押の下にさらに造立理由など書かれている曼荼羅はありませんからね。仏滅後などの文は、「下方の部」に属しますが?

 >✲「右為現當二世 造立如件・・・・」という、字体も宗祖のものでもなく、金箔もなぜかそこだけ無いというところですよね?それ故に、写真でも見ることが困難な箇所ですよね?

「御首題御勧請皆金薄入りなり」ですので、勧請ではないから金箔はほどこされていないという言い訳を、もう散々聞いてきましたが・・・。

 

>→金箔が施されていない!? 何か夢でも見ているのではありませんか?そんなことはない、とだけ言っておきましょう。

 

おや、そういえば、過去の写真では見えませんが、最近の写真では金箔があるようですね。最近いれたんでしょうか。

 

では、その部分が宗祖筆かどうか、確認しやすいですね。ご教授お待ちしております。

 

 

 

>✲ 「右」と言いながら、なぜ花押の下にあるのか、不思議に思いませんか?

 

>→これも日本語力が無いための珍説ですね。御本尊を認められて、その最後に(すなわち下部に)、これは現当二世のために造立・・・という意味で「右 現当二世の為に造立件の如し」と記されたわけです。普通の表現ではないですか。

不思議といえば、貴職の頭の構造こそが不思議であります。

 

最下部にあるのですから、「右」ではなく「上」ですけどね。

何度も言いますが、花押の下に授与者やら造立理由が書かれているのは、大石寺歴代の曼荼羅を含めて板マンダラだけですがね。まったく不可思議な彫刻です。

 

 

 

>✲>何も私が特別に見て知っているわけではありません (  ) 

 

見えないものを信じて大石寺のアナウンスを鵜呑みにして、それを信じてしまっていることはよく分かりました。人を誘うにはあまりに無責任ですね。

実物を見たこともない顕正会員となんら変わりませんよ。

いちいち「(笑)」など使わないほうがよろしいかと思いますよ。子供のケンカではないのですから。

 

>→やはり日本語がわからないのですね。

私が何も特別な距離で拝して知っているわけではない、と言ったことに対しての反論()がこれですか?

ああ言えばこう言う、単なる反発のための反発を口先で言っているだけで、これではオウムの広報部長(当時)と変わりがありません。

また、私を特別な位置まで行ける立場だなどと、ふざけたことを書いてこられたから、笑ったのです。法義のことでは一度も笑っていませんよ。

笑われて腹か立ったなら、ああいう、人を持ち上げるかのようにして下げる、ふざけた文は書かないことです。

 

では、宗祖筆かどうか、お調べになられてください。

今では写真鑑定でパッチワークされていることまで分かっているのですから、どうぞお近くで調べてきてください。

人を誘うのですから、それが責任というものでしょうに。

 

 

 

>✲上代は皆「三十余年」、後世は「二十余」。そんな矛盾が理解できませんかね。

 

>→もはや何を言っているのか、意味不明です。自分の頭の中でわかっているだけでは、他人と議論などできませんよ。もう少し自分の書いた文章の意味を考えてみたらどうですか?

 

これの意味が分からなことが意味不明です。

上に記してますから、ゆっくり読んでください。

上代の弟子らが、板マンダラを見ていながら皆「三十余年」と書いてる曼荼羅にこだわるのはなぜなんですか?

単純明快でしょ?

都合の悪いことから逃げる癖を直した方がいいですよ。それこそ他人と議論などできませんよ。

 

 

 

>✲⑧>私は、あくまでも議論の土俵は、日道上人の文意についてでなくては、議論が拡散して収拾がつかなくなる、と言っているのです。

 

溜息が出ますが、日道さんは日興上人からの系譜の人で、それをまとめたものが三師御伝土代ではないのですか?

それを、「三十余年」と戒壇本尊の矛盾について、「釈尊像を崇めるなという意味」だと言ったのはあなたでしょう?

では日興上人に「釈尊像を崇めるな」というお考えがあったのかを調べるのは当たり前でしょうに。

こんな簡単な道理が分かりませんか?

 

>→全然わかりませんね。日道上人の書かれた文意が何か、を論じている時に、日道上人は日興上人の系譜だといって、日興上人の本尊観へと論点を移す、こういうのを議論の拡大というのです。

それを何回説明してもわからない、溜息が出ているのはこちらの方です。

 

はい?では日道さんと日興上人の本尊観は異なるのですか?

 

 

>以上、貴職の反論の悉くを破しました。もはや、貴職が出してきた当初の二つの疑難についても、自ずと決着は明らかになっていると思います。

 

 

どこが?

 

>すなわち、戒壇大御本尊の初出の建立日付からして違っている、との貴職の疑難は、何ら大御本尊を疑うに足るものではありませんでした。

 

はい?それはあなたが大石寺のアナウンスを鵜呑みにし、ちゃんと調べないからだけでしょう?

あなたにとって疑うに足るものがないのであれば、私にとっては戒壇本尊が宗祖筆だとする根拠など微塵もありませんが?

むしろ、宗祖を貶める捏造として、許しがたい宗祖批判であるとしか思えません。

 

>また、日道上人が、仏滅後二千二百三十余年の御本尊に背けば堕地獄、と言われていることは、戒壇本尊より別な曼荼羅への信仰を求めていることになる、との疑難は、全く貴職の意味の取り違えであります。

 

 

取り違えはあなたでしょうに。古文とはいえ日本語です。上代の書にはどこにも「戒壇本尊」の存在をしめすものが無いどころか、まったく違う曼荼羅を挙げているのが明らかなだけですね。

 

では、上代の書から、戒壇本尊の存在を示すものを挙げるのが、あなた達の責任でしょうに。それが無いから逃げるしかないのは分かりますが。

 

>以上のとおり決着は明らかだと思いますが、どうですか?

 

何を勝手に終わらせているのでしょうか?まったく明らかじゃありませんが。適当な逃げ口上で言いくるめようとするのは、あなた達の常套手段ですね。

 

 

>貴職がこれに異を称えなければ、次は貴職に対する当方からの質問(まさに宗旨の根幹に関わる疑難)を出させてもらおうと思います。

>今回は長くなってしまったので、改めて数日中に送りますので、心してお答えください。以上

 

ええ、しっかりあなたが結論をだされたら楽しみにしていますよ。

以上、終わり

 


シリーズ⑨-1日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!

【メール九・日蓮宗僧侶からの抗弁】(平成二十九年十月二日受信)

 

数日ぶりに帰還しましたら、またひどい根拠なき理由付けで逃亡しますね。

 

なぜ大石寺系の人は、顕正会もふくめて徐々に人間批判になっていくのですかね。

そんなことが何になるのでしょう?

それもあなた達の現証ですね、そうなってしまうのも。

 

一度、「戒壇の大本尊、唯受一人血脈相承は絶対だ!絶対正しい!」という固定概念を捨ててみてはいかがでしょうか?

そうでないと、日本語すら誤解釈してしまうのではないですか。

 

あなたのような逃げ口実もあるのですね。

答えられないなら答えられない、答えたくないなら答えたくない、知らないなら知らないと、正直に言えばいいのではないのですか?

ごまかしているだけで、答えもなければ根拠もない。

 

ちなみに、パソコンは持ち合わせていないのでしょうか?字数に制限がかかるのですが。

全文届いているのかも判断できないので、最後には「以上、終わり」といれますので、それが無い場合は全文ではないものと承知してください。最後までの文を請求してください。

 

一日一通という縛りがあるので、できれば一回で送りたいところですがね。全文挙げられなかった場合の二通は、あーだこーだと難癖をつけませんように。

 

 

質問一・・・戒壇本尊が宗祖筆である確たる証拠は持ちあわせていないということは自覚されているのですよね?証拠は無いけど、戒壇本尊に纏わる大石寺のアナウンスを信じておられるということでよろしいですね?

 

>→誰がこんなことを言いましたか?勝手な思い込みは止めてください。

>まだ論争は始まったばかりですよ。

 

宗祖筆である明確な根拠を示してくだされば、他の議論はいらないでしょう?どうぞ出されてください。それが根拠となりうるなら、すぐさま日蓮宗を除籍し、大石寺門下に帰依致しますよ。

すべて認めて末端会員から始めますよ。

なぜ出せないのでしょうか?

もう一度聞きますが、宗祖筆の根拠はない。大石寺のアナウンスを信じているということでよろしいですね?YESかNOかでしょうに。

 

 

>✲①②③日有だろうが日因だろうが、血脈相承者であるにもかかわらす、誰が言った書いたを拘る意味が分かりませんが、では、日有=日因=他歴代大石寺住職が言えなくなるのではないのですか?

 

>→本当に「意味がわかりません」か?貴職が、日有上人による初出からして建立日付がおかしい、と言うから、それは日因上人の文であり、その前代の日寛上人は「十月十二日」と書かれていて、初出からして違っているとの貴職の疑難は当たらない、と教えてあげたのではないですか。

自分が投げかけた疑難を忘れたわけですね。貴職は都合の悪い場面ではしばしば健忘症になるようです。

 

まったく・・・どこを焦点にしてるんですか。大石寺も、過去の法華講員も、あれを日有が初出であることを否定しないので、「あれが初出ですね?」と確認してるでしょうに。

 

日因の注釈、えてして該当箇所は日因が勝手に言い出したことなど、我々の間では常識です。

なんなら、今までの法華講員が日有言とした返答をここに載せましょうか?IPアドレスでも載せて。

今までそれを否定も肯定もせず、逃げるなり言い訳するなりばかりの大石寺信徒でしたから、あなたにも確認してるでしょうに。

 万が一、私があれを全て日有筆だと勘違いしていたとして、それがなんなのですか?まあそんな勘違いはしませんが。

日有だろうが日因だろうが、あなた方が信じてやまない唯受一人血脈相承とやらがいかに曖昧な相承かを表していると言っているのですよ。

 

それを、一信徒であるあなたが、「ミス」ということで納得してるということで了解したと言っているじゃありませんか。

焦点をはぐらかすのはやめなさい。みっともない。

 

まあ、そんなことを言った信徒はあなたが初めてですがね。

 

 

>✲大石寺が売りに出された時代の方ですからね。曖昧になるのもうなずけます。戒壇本尊がありながら大石寺を売りに出されてしまうというのも、「それはどうしてだろう」と冷静に探究されるのが道理というものだと思いますが、それができない。ただただ大石寺のアナウンスを鵜呑みにしてしまう。

本当に残念なことですね。

日有さんとすれば二十貫で買い戻して頑張ったのでしょう。大石寺の存続の為に右往左往なさったのでしょうね。

 

>→こういう、新たな疑難(というか悪口)を次々と出すのを止めろ、と言っているのです。

だから貴職は真面目な学究者ではない、都合の悪いときには、新たな悪口を出して議論をウヤムヤにしてしまう、と指摘しているのです。わかりませんか?

 

法華講員がよく使う逃げ口実ですね。

答えられないなら答えられないと、知らないなら知らないと言えばいい話ですよ。

売りに出されたのは事実なんですから。

ウヤムヤニしてしまうと言いながら、答えられるところは答えてるじゃないですか。いつも根拠はありませんが。

都合が悪いとウヤムヤ、答えられそうなところは適当に。

 

何度も言ってますが、あなた方の信仰の対象、教義の根幹に対する話をしているのですよ?

何度も言う通り、戒壇本尊(以後、板マンダラ)が宗祖筆だと確認されたら、私はすぐに大石寺門下に入ると言っているのです。

あなたは大石寺の矛盾だらけのアナウンスを信じ、宗祖筆を信じて、他宗を非難し、人を勧誘するんじゃないのですか?

なんの権限でしてるんだか知りませんが、板マンダラが宗祖筆である前提で、「調査に行っただけ」などといって、わざわざ僧侶をつかまえて「批判」をしに行ったのはではないのですか?

誰かを非難するなら、ではあなた達はどうなんですか?と言われるのは当たり前でしょうに。

 

しかも、あなた方の「折伏」は、板マンダラに入信させる為にやっているのでしょう?

疑念に答えずして、人を勧誘するな、他を批判するな、あまりに無責任だと言っているのですよ。

都合の悪いことから逃げるのは、大石寺信徒のお家芸ですが、あなたもそうかと残念でなりません。

 

 

 

>✲あたなの文意であると、日有に至っては、「戒壇本尊についてはまったく触れていない」ということを認めていることになりますが、それでいいのですね?

 

>→こんな議論はそもそもしていません。どこが私の「文意であると」ですか。中学校の国語から勉強し直してください。

 

はい?なぜ都合が悪くなると逃げるのですか?

 

私が「日有が初出ですね?」と聞いたら、「違う」と言ったのはあなたですよ。

では、そのまま日有は戒壇本尊に触れていないということでしょう?あなたの答えへの確認をしたまでですよ。

関連項目でしょうに。

議論をしていないなどと逃げるのはやめなさい。

 

だから、一番分かりやすく、「では日有でないなら初出は誰なのですか?」と聞いているだけでしょうに。

 

なぜ答えないのですか?それは最初の議論内容ではないと言いながら、答えられるところは答えてるじゃないですか。

 

 

>✲ですから何度も聞いている通り、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?なぜ答えないのか理解できません。関連項目ですよ。

 

>→だから、これは順に答えてあげる、と言っているでしょう。まずは、貴職が最初に出した二つの疑難からですよ。

 

これもなぜ逃げるのですか?知らないのですか?都合が悪いのですか?

全て関連項目でしょうに。

あなたの返答に根拠がないから、一つ一つ確認しているだけでしょうに。

 

 

 

>✲せめて日有くらいの時代にでも初出があればまだいくつかの疑念には対応できそうなものですが、

もしも初出が日寛なら、宗祖滅後およそ五百年、日因ならさらに後。五百年ですよ?五百年。

日有ならおそよ宗祖滅二百年でしたがね。

 

>→もはや、独り言のレベルですね。これはツィッターではないのですよ。貴職は他人ときちんと対論ができない人なのですね。自分の世界の中で、勝手につぶやいていなさい。

 

で、板マンダラの初出は。誰のなんという書物ですか?

宗祖はおろか、日興上人からどこにも、何も触れられもしない板を、宗祖筆だと言い続けて人を勧誘しているのですよ。

では初出は誰なんですか?と聞いているだけでしょうに。

大石寺が公式に言ったことを私は知らないので、あなたが教えてください。

 

 

✲だから私は

「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と聞きましたでしょ?

それをあなたが違うという。

 

>→「文献学」が聞いて呆れます。二つの異なる書を混同して決めつけてくる貴職の誤りを教えてあげたのに、それも素直に認めずに自説を繰り返す、こんな態度の御仁が全国の青少年を育成できるのですか?貴職に育成される青少年が哀れです。

なおまた、日因上人の書が戒壇大御本尊の初出だなどということは、もとより大石寺では言っていないので、そう申し上げているまでです。

 

で、板マンダラの初出は。誰のなんという書物ですか?

大石寺も、過去の法論相手もみんな濁してばかりなので、そこまでいうあなたがご教授ください。

 

またでましたね、人間否定が。私の活動をあなたにとやかく言われる筋合いはありません。

少なくとも、あなた方のように誰彼構わず入信させようなどという活動ではありませんので誤解なきように。

 

 

 

>✲であるならば、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?

なぜ答えないのでしょうか?逃げずに答えましょう。

 

→だから、貴職の最初の二つの疑難を片付けてから、当方の質問に答えていただき、それから答えてあげる、と言っているでしょうが。日本語が理解できないだけでなく、目も見えませんか?

 

で、誰なんですか?知らないのですか?全て関連項目でしょうに。適当な言い逃れは見苦しいだけですよ。

 

 

 

>✲次に、「高橋智遍」『創価学会が真実ならば私は日蓮聖人の信仰をやめる』という書を読んだことはありますか?

その十一頁

【二】日蓮聖人滅後二〇〇年ごろ、はじめて出てきた「板マンダラ」

という項で、日浄の『日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊これを彫刻す』という一説を挙げて、

日有が突然言い出したと説明しています。

これに対して、「日蓮正宗創価学会批判を破す」の中で、ご丁寧に高橋氏の項目をつくってなんと反論したか。

日浄の批判に終始し、何も触れずですよ。あなたと同じように「戒壇本尊初出」についても触れない。

 

>→だから何なんですか?貴職も本化妙宗の高橋智遍と同じ考えだ、と言いたいのですか?それとも高橋に対する創価学会の反論に、大御本尊の初出が書いてない、と言いたいのですか?

いずれにしても、こうやって他宗の本まで無批判に持ち出し、論点の拡大を図る貴職の態度は、真面目に法論をしようという者のそれではありません。だから呆論だというのです。

こんな態度は、日蓮宗においても支持されないと思いますよ。

 

 

また焦点ぼかしですか。私と彼とでは、教義に対する理念、解釈その他は相反するところばかりですが、少なくとも、高橋氏の板マンダラに対する指摘はおおよそ賛同できますね。

そして、それに対して日蓮正宗がまったく答えていないことも歴史的事実ですね。悪口だけの罵詈雑言でしたよ。みっともない。

 

正々堂々と世に公開でもすれば、あらゆる鑑定で宗祖筆か否かはいとも簡単に判別できるのですがね、「本尊様を鑑定するなどもってのほかだ」などと

訳のわからない言い訳で鑑定も受けないのですから、大石寺僧侶達は「偽造」を知っているのでしょうね。

広宣流布などと言いながら、秘蔵してるのですから、世界の人々を救済するなどと思ってもいないでしょうね。

こんな矛盾だらけの板彫刻、鑑定でもしない限り、または騙されない限り、入信なんか誰もしないでしょう。つまりまあ、皆さん騙されているというわけですね。

それでも鑑定はしない、させない。

それほどの曼荼羅ならば、むしろ鑑定して宗祖筆を証明したほうが、よほど世界の人々の為になると思いませんかね。

 

 

 

>✲さらに、日因は「日法伝」として「家中抄」を引用して、戒壇本尊の詳細を言うのではないのですか?

さらに御書を挙げて「一躰ならず三躰まで作る」と言ったかと思えば、

「此御書は世間希なる間今具に之を書くなり、然に此の中に一体に非ず三尊まで造ると者当山の最初仏重須正御影なり、一躰は岡宮に之有りと云へり、又七面の明神者本来之有るか、七面の池之有り此池水に浮ひ出たる楠木なり、此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。」と。

『此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。』だそうですよ。

 

>→「おいおい💦」と、思わず口に出てしまいました。貴職が引いた、富士宗学要集の「有師物語聴聞抄佳跡上」のページの上に、何と書いてありますか?

これを編纂された五十九世日亨上人が、わざわざ「此書全く偽書なり。因師少縁を以て引用するとも信用すること勿れ」と注記されているではありませんか。

すなわち日因上人が、あまり知られていない珍しい御書であるから、と紹介されたけれども(つまり日因上人の時代には真偽を判ずることができなかった書であるけれども)、これは完全な偽書であることが判明したから、信用して用いてはならない、と念を押されているのです。

また、真偽未決の時とはいえ、偽書であったからこそ日因上人も、その内容について「測り難き者なり」すなわち「理解できない」と疑問を呈されていたのでしょう。しごく当然のことであります。

しかるに貴職は、「全く偽書なり」との注記があるのに、それに頬かむりを決め込み、なんと日因上人が御書を挙げて所論を述べたとして、この偽書と、偽書についての日因上人お言葉を利用し、妄説を突き付けてきました。

要するに、私を引っ掛けようとしたわけですね。

貴職は、最低のペテン師です。小野寺日了と変わるところがありません。

 

 

おいおい。またでましたね。後世の歴代優先が。いったい唯受一人歴代相承とはなんなんですか?

一七四〇年相承を受けた人が引用した書を、一九二六年相承を受けた人が「偽書」だと。

それで後者が優先されるのですか。血脈相承が聞いてあきれますね。ペテンはあなた方でしょうに。

 

後世優先はいいですね。上代の言で都合が悪いことは全て後世の言で変えてしまえばいいんですから。

 

 

 

>✲で、宗祖滅五百年の日因が、「戒壇本尊のことは略されたのかどうか分からない」と。

そりゃそうですよね、宗祖滅五百年の人が分かるわけありません。

 

>→自分の出鱈目な文献引用に基づいて、何を勝手な解釈を述べているんだか。前提が嘘だから、全てが崩壊している、と断じます。

 

では日因も嘘を書に残したのですから、日因も崩壊していますね。日因が崩壊しているということは、日因以降の歴代への相承も崩壊していますね。

上代の歴代の矛盾を、後世が都合よく歪曲している。あなた方の歴代の書はそれを如実に顕している。ただそれだけのことです。

唯受一人血脈相承とはなんなのですかね。上代の言よりも、後世の言が優先される。わけわかりませんね。

伝言ゲームのほうがまだまともですよ。

 

 

 

>✲もしも日蓮宗の僧侶で、宗祖滅後五百年の人が、あなた方と同じように「日蓮宗にだけ伝わるこの曼荼羅が正当な曼荼羅だ!」などと主張したら、

あなたはなんと言うのでしょうか?

少なくとも、そんな固有の曼荼羅を取り上げて、これこそ宗祖出世の本懐で、その他の曼荼羅は枝葉のようなものだなどという主張をするのは、大石寺と保田の万年救護本尊と、小野寺さんくらいでしょうか。

 

>→宗祖滅後五百年に初めて出てきた、などというのが、そもそも貴職の勝手な思い込みです。当方は、そんなことは一言も言っておりません。

勝手な思い込みから、悪口を並べていますが、ペテン師の小野寺某と変わらないのは、偽書を御書だと謀る貴職の方です。

 

では誰が最初に言い出したのですか?日有ではないなら誰なのですか?

「そんなことは一言も言ってない」「でも、それが誰だかは答えない」

なんですかこれは。答えればいい話でしょうに。

もしも日寛であるならば、宗祖滅およそ五百年だと言っているのですよ。違うと言うなら誰なのか言えばいいでしょうに。

私の調べた限りでは、誰だか知ってはいますが、それも詳細無きたったの数文字ですから、日寛「究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」が聞いてあきれます。

 

 

✲鬼の首を取ったようにあれは「あれは日因著作」だと言いますが、それこそ日有の時代には戒壇本尊がなかった証拠でしょうに。

 

>→べつに、鬼の首を取ったようになど言っていませんよ。貴職が、二書あることを知らずに混乱した批判を繰り返しているので、教えてあげただけのことです。

では、その自らの初歩的な間違いについては認めたのですね?

自分が間違っていたら、素直に間違いを認めなさいと、貴職は青少年に指導していませんか?子供達に指導する前に、自分が実行したらいかがですか。

しかも、「それこそ日有の時代には戒壇本尊がなかった証拠でしょうに」などと述べていますが、貴職には論理性が全く欠如しています。どうして「証拠」になるというのか、貴職の頭の中で勝手に思い込んだ論理()は全く世の中には通用しません。

 

ですから、あなた方が誇らしげに「尊びて」いる唯受一人血脈相承者同士がまったく違うことを言っていることに疑念を持たないのですか?

都合のよいことを遺してくれた歴代をたてて、その人よりも前の相承者を批判するわけですか。

こんなことになるから釈尊も宗祖も「依法不依人」を言うのですよ。人から人の相承だと教えが壊れますからね。

まんまと教えをあちらこちらで歪曲してきたことを信じてしまっているあなたに、私の活動のことをとやかく言われる筋合いはありませんね。

人間否定をしていないで、冷静に事実に向き合ったらどうですかね。

 

 

>✲あなたは日寛が言ったので間違いないと言いたいでしょうけれど、日因は日寛の後、たったの十四年後の相承者ですよ。

それがこのあり様です。こんな適当な相承を信じることが、はたして宗祖の本意であるのかどうか、冷静にお調べになられてはいかがでしょうか。

 

>→前半部分は、何を言いたいのか意味不明です。

後半については、日因上人が私的に書き留められて公刊されなかった「物語聴聞抄佳跡上」の中に、たまたま日付の誤記があったからといって、「このあり様」だとか「こんな適当な相承」云々などと言って揶揄するわけですね。まるで自分を凡夫にあらざる完全無欠の人、と思い込んでいる者の言葉であり、その心根の醜さに反吐が出そうです。

文献を取り違え、それを正式な法論中で強弁し続け、さんざん支離滅裂な主張を繰り返し、あげく素知らぬ顔で偽書まで利用しようとした御仁が、偉そうなことを言うのはお止めなさい。

 

>✲日付まで宗祖の命日と間違える始末。

なぜこれを問題にしないのですか?冷静に探究されてみてはいかがでしょうか。

こんな矛盾だらけの本尊やら血脈やらを信じて、結果人を騙している可能性すらありますよ、このままでは。

 

>→人を騙そうとしたのは貴職の方でしょう。何を惚けたことを言っているんですか。

いわんや、単純な日付の誤記を取り上げ、それこそ鬼の首でも取ったかのごとく「矛盾だらけの本尊や血脈」などと声高に罵っていますが、本当の「矛盾だらけの本尊」というのは貴職の寺における本尊雑乱のことでしょう。それは、これから明らかにして差し上げますから、今は触れないでおきます。

 

 

おいおい。信仰の対象であり、相承される最上のものであり、それを唯一無二の本尊といい、このマンダラから離れたマンダラは信仰の対象ではないといい、なによりも宗祖出世の本懐のものの、建立年月日を間違えてるんですよ?そのまま「このありさま」でしょうに。

大石寺歴代は、もっともまじかでこの板マンダラに給仕してきたはずではないのですかね。それが宗祖の命日と間違えたと。適当な相承でしょうに。

 

で、一信徒であるあなたが、三十一世のミスだと言ったというだけの話ですね。

 

六十世日開の書写ミスの時は大騒ぎでしたがね。もっとも、「二十余」と「三十余」の誤写でしたが。

 

 

>✲よくもこんな曖昧な相承を尊びて、無責任にも人を勧誘できるなと、事実を知らず入信する人達が哀れで仕方ありません。

 

>→これも、単純な誤記を取り上げて、「よくもこんな曖昧な相承」などと並べ立てた悪口ですが、こんなことまで言って、自分で恥ずかしくなりませんか?

読み返してみても、言葉だけは本当に大仰でご立派ですね、何の中身もありませんが。

 

歴代同士で言ってることも矛盾だらけ、後世の歴代が自分よりも前の歴代を否定、寺は売りにだされ、時には本尊まで仏像に替えたなんていう血脈相承ですからね。

曖昧などという軽々しい言葉では表現しきれないほどのものでしょうね。

なぜこれを信じれるのか理解はできませんが、ちゃんと過去の事実を知らないのではありませんか?あなたが。

事実を知れば、まったく信じられる代物ではありませんがね。

 

 

 

>✲全て関連質問ですよ。

なぜ答えないのでしょうか。初出の書は、大石寺の正式な見解ではなんという書物なのかを聞いているだけですよ。

 

>→答えないのではない、一つずつやりましょう、と言っているのです。 日本語のわからない人ですね。

貴職の「で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか?

との問いにも、順を追って回答してあげますから、慌てずお待ちなさい、と言っているでしょうが。

それとも、関連する質問と称して次々と疑難を投げかけ、それに答え続けさせていないと、都合が悪いのですか?

こちらに、質問の機会を与えては困るのですか?

それが、貴職の法論(呆論)のテクニックなのですね。もうミエミエですよ。

>✲これも関連質問ですよ。

九世が初めて世に言い出したという疑念にはそれを否定せずここまできておいて、では誰なんですか?

それは宗祖滅何年ですか?と聞いているだけですよ。

⑤都合の悪いことは答えないのですね、やはり。

 

>→ほらほら、同じ趣旨の繰り返しでしょう?

順を追って答えてあげますよ。関連質問とやらを何度も繰り返さずとも。

 

 

はい、またですか。知らないなら知らないと言えばいいでしょう?それ以上は聞きませんから是非ご教授ください。

大石寺が公式に発表でもしていれば、あなたも苦労しないで済むのですが、哀れですね。同情します、本当に。

 

 

>✲「対比」などと言ってますが、『二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな』と書かれている以上、 二十余年とある戒壇本尊は、御伝土代から言えばまったく該当しない矛盾を言っているのですよ。

こんな分かりやすい指摘を意味不明とは、それこそ意味不明です。

 

>→そういう意味なのでしたら、すでに回答済みです。以下に再掲しておきますから、よくお読みなさい(これに対する貴職の反論は、自説の強弁だけで、全く反論の体をなしていません)

貴職の引かれた第四世日道上人の「御伝土代」に

「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」

とある文は、もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。

貴職も御承知のとおり、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の両様がありますが、そのうちの「二千二百三十余年」の御本尊を取って「二千二百二十余年」の御本尊を捨てる(本尊として崇めない)、などという義が、本宗には片鱗すらないことからも、明らかです。

この「御伝土代」の文は、()「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

つまり、ここで「二千二百三十余年に未曾有」と言われた文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、それ以外の意味は全くありません。

 

 

 

だから、なんですかその希望的解釈は。

下で再度指摘しますかね。

 

 

>✲日順「本門心底抄」

日尊「日尊実録」

日眼「五人所破抄見聞」

これらの「三十余年」は、以前挙げた「本尊七箇相承」とは合致し、戒壇本尊とは合致しない。

これが矛盾でなくてなんなのですか?

また違う書だ!と言って逃げますか?全て御伝土代と同様の「三十余年と書いてる!」という書ですよ。

 


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敬台院

シリーズ⑧日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!

【メール八・法華講員からの破折】(平成二十九年九月二十八日送信)

貴職の返信を拝見しました。

日本語能力の欠如に加えて、不正直で、支離滅裂な文面を見て、呆れて開いた口が塞がらない思いです。

一言だけ申し上げれば、これは法論などと呼べるレベルではなく「呆論」です。

それならそれに応じた対応をさせていただきますので、了承ください。以下、貴職の言を引いて、その後にコメントしていきます(✲の後に貴職の言を挙げ、その後の→以下に私のコメントを述べます)

 

 ✲なかなかご都合の悪いところにはお答えを頂けないようですので、ちょっとここまでのやりとりで、決定されたことを一つ確認させてください。

質問一・・・戒壇本尊が宗祖筆である確たる証拠は持ちあわせていないということは自覚されているのですよね?証拠は無いけど、戒壇本尊に纏わる大石寺のアナウンスを信じておられるということでよろしいですね?

 

→誰がこんなことを言いましたか?勝手な思い込みは止めてください。

まだ論争は始まったばかりですよ。

 

 ✲①②③日有だろうが日因だろうが、血脈相承者であるにもかかわらす、誰が言った書いたを拘る意味が分かりませんが、では、日有=日因=他歴代大石寺住職が言えなくなるのではないのですか?

 

→本当に「意味がわかりません」か?貴職が、日有上人による初出からして建立日付がおかしい、と言うから、それは日因上人の文であり、その前代の日寛上人は「十月十二日」と書かれていて、初出からして違っているとの貴職の疑難は当たらない、と教えてあげたのではないですか。

自分が投げかけた疑難を忘れたわけですね。貴職は都合の悪い場面ではしばしば健忘症になるようです。

 

✲大石寺が売りに出された時代の方ですからね。曖昧になるのもうなずけます。戒壇本尊がありながら大石寺を売りに出されてしまうというのも、「それはどうしてだろう」と冷静に探究されるのが道理というものだと思いますが、それができない。ただただ大石寺のアナウンスを鵜呑みにしてしまう。

本当に残念なことですね。

日有さんとすれば二十貫で買い戻して頑張ったのでしょう。大石寺の存続の為に右往左往なさったのでしょうね。

 

→こういう、新たな疑難(というか悪口)を次々と出すのを止めろ、と言っているのです。

だから貴職は真面目な学究者ではない、都合の悪いときには、新たな悪口を出して議論をウヤムヤにしてしまう、と指摘しているのです。わかりませんか?

 

✲あたなの文意であると、日有に至っては、「戒壇本尊についてはまったく触れていない」ということを認めていることになりますが、それでいいのですね?

 

→こんな議論はそもそもしていません。どこが私の「文意であると」ですか。中学校の国語から勉強し直してください。

 

 ✲ですから何度も聞いている通り、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?なぜ答えないのか理解できません。関連項目ですよ。

 

→だから、これは順に答えてあげる、と言っているでしょう。まずは、貴職が最初に出した二つの疑難からですよ。


✲せめて日有くらいの時代にでも初出があればまだいくつかの疑念には対応できそうなものですが、

もしも初出が日寛なら、宗祖滅後およそ五百年、日因ならさらに後。五百年ですよ?五百年。

日有ならおそよ宗祖滅二百年でしたがね。

 

→もはや、独り言のレベルですね。これはツィッターではないのですよ。貴職は他人ときちんと対論ができない人なのですね。自分の世界の中で、勝手につぶやいていなさい。

 

✲だから私は

「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と聞きましたでしょ?

それをあなたが違うという。

 

→「文献学」が聞いて呆れます。二つの異なる書を混同して決めつけてくる貴職の誤りを教えてあげたのに、それも素直に認めずに自説を繰り返す、こんな態度の御仁が全国の青少年を育成できるのですか?貴職に育成される青少年が哀れです。

なおまた、日因上人の書が戒壇大御本尊の初出だなどということは、もとより大石寺では言っていないので、そう申し上げているまでです。

 

✲であるならば、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?

なぜ答えないのでしょうか?逃げずに答えましょう。

 

→だから、貴職の最初の二つの疑難を片付けてから、当方の質問に答えていただき、それから答えてあげる、と言っているでしょうが。日本語が理解できないだけでなく、目も見えませんか?

 

✲次に、「高橋智遍」『創価学会が真実ならば私は日蓮聖人の信仰をやめる』という書を読んだことはありますか?

その十一頁

【二】日蓮聖人滅後二〇〇年ごろ、はじめて出てきた「板マンダラ」

という項で、日浄の『日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊これを彫刻す』という一説を挙げて、日有が突然言い出したと説明しています。

これに対して、「日蓮正宗創価学会批判を破す」の中で、ご丁寧に高橋氏の項目をつくってなんと反論したか。

日浄の批判に終始し、何も触れずですよ。あなたと同じように「戒壇本尊初出」についても触れない。

 

→だから何なんですか?貴職も本化妙宗の高橋智遍と同じ考えだ、と言いたいのですか?それとも高橋に対する創価学会の反論に、大御本尊の初出が書いてない、と言いたいのですか?

いずれにしても、こうやって他宗の本まで無批判に持ち出し、論点の拡大を図る貴職の態度は、真面目に法論をしようという者のそれではありません。だから呆論だというのです。

こんな態度は、日蓮宗においても支持されないと思いますよ。

 

✲さらに、日因は「日法伝」として「家中抄」を引用して、戒壇本尊の詳細を言うのではないのですか?

さらに御書を挙げて「一躰ならず三躰まで作る」と言ったかと思えば、

「此御書は世間希なる間今具に之を書くなり、然に此の中に一体に非ず三尊まで造ると者当山の最初仏重須正御影なり、一躰は岡宮に之有りと云へり、又七面の明神者本来之有るか、七面の池之有り此池水に浮ひ出たる楠木なり、此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。」と。

『此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。』だそうですよ。

 

→「おいおい💦」と、思わず口に出てしまいました。貴職が引いた、富士宗学要集の「有師物語聴聞抄佳跡上」のページの上に、何と書いてありますか?

これを編纂された五十九世日亨上人が、わざわざ「此書全く偽書なり。因師少縁を以て引用するとも信用すること勿れ」と注記されているではありませんか。

すなわち日因上人が、あまり知られていない珍しい御書であるから、と紹介されたけれども(つまり日因上人の時代には真偽を判ずることができなかった書であるけれども)、これは完全な偽書であることが判明したから、信用して用いてはならない、と念を押されているのです。

また、真偽未決の時とはいえ、偽書であったからこそ日因上人も、その内容について「測り難き者なり」すなわち「理解できない」と疑問を呈されていたのでしょう。しごく当然のことであります。

しかるに貴職は、「全く偽書なり」との注記があるのに、それに頬かむりを決め込み、なんと日因上人が御書を挙げて所論を述べたとして、この偽書と、偽書についての日因上人お言葉を利用し、妄説を突き付けてきました。

要するに、私を引っ掛けようとしたわけですね。

貴職は、最低のペテン師です。小野寺日了と変わるところがありません。

 

✲で、宗祖滅五百年の日因が、「戒壇本尊のことは略されたのかどうか分からない」と。そりゃそうですよね、宗祖滅五百年の人が分かるわけありません。

 

→自分の出鱈目な文献引用に基づいて、何を勝手な解釈を述べているんだか。前提が嘘だから、全てが崩壊している、と断じます。

 

✲もしも日蓮宗の僧侶で、宗祖滅後五百年の人が、あなた方と同じように「日蓮宗にだけ伝わるこの曼荼羅が正当な曼荼羅だ!」などと主張したら、あなたはなんと言うのでしょうか?


少なくとも、そんな固有の曼荼羅を取り上げて、これこそ宗祖出世の本懐で、その他の曼荼羅は枝葉のようなものだなどという主張をするのは、 大石寺と保田の万年救護本尊と、小野寺さんくらいでしょうか。

 

→宗祖滅後五百年に初めて出てきた、などというのが、そもそも貴職の勝手な思い込みです。当方は、そんなことは一言も言っておりません。

勝手な思い込みから、悪口を並べていますが、ペテン師の小野寺某と変わらないのは、偽書を御書だと謀る貴職の方です。

 

✲鬼の首を取ったようにあれは「あれは日因著作」だと言いますが、それこそ日有の時代には戒壇本尊がなかった証拠でしょうに。

 

→べつに、鬼の首を取ったようになど言っていませんよ。貴職が、二書あることを知らずに混乱した批判を繰り返しているので、教えてあげただけのことです。

では、その自らの初歩的な間違いについては認めたのですね?

自分が間違っていたら、素直に間違いを認めなさいと、貴職は青少年に指導していませんか?子供達に指導する前に、自分が実行したらいかがですか。

しかも、「それこそ日有の時代には戒壇本尊がなかった証拠でしょうに」などと述べていますが、貴職には論理性が全く欠如しています。どうして「証拠」になるというのか、貴職の頭の中で勝手に思い込んだ論理()は全く世の中には通用しません。

 

✲あなたは日寛が言ったので間違いないと言いたいでしょうけれど、日因は日寛の後、たったの十四年後の相承者ですよ。

それがこのあり様です。こんな適当な相承を信じることが、はたして宗祖の本意であるのかどうか、冷静にお調べになられてはいかがでしょうか。

 

→前半部分は、何を言いたいのか意味不明です。

後半については、日因上人が私的に書き留められて公刊されなかった「物語聴聞抄佳跡上」の中に、たまたま日付の誤記があったからといって、「このあり様」だとか「こんな適当な相承」云々などと言って揶揄するわけですね。まるで自分を凡夫にあらざる完全無欠の人、と思い込んでいる者の言葉であり、その心根の醜さに反吐が出そうです。

文献を取り違え、それを正式な法論中で強弁し続け、さんざん支離滅裂な主張を繰り返し、あげく素知らぬ顔で偽書まで利用しようとした御仁が、偉そうなことを言うのはお止めなさい。

 

✲日付まで宗祖の命日と間違える始末。

なぜこれを問題にしないのですか?冷静に探究されてみてはいかがでしょうか。

こんな矛盾だらけの本尊やら血脈やらを信じて、結果人を騙している可能性すらありますよ、このままでは。

 

→人を騙そうとしたのは貴職の方でしょう。何を惚けたことを言っているんですか。

いわんや、単純な日付の誤記を取り上げ、それこそ鬼の首でも取ったかのごとく「矛盾だらけの本尊や血脈」などと声高に罵っていますが、本当の「矛盾だらけの本尊」というのは貴職の寺における本尊雑乱のことでしょう。それは、これから明らかにして差し上げますから、今は触れないでおきます。

 

✲よくもこんな曖昧な相承を尊びて、無責任にも人を勧誘できるなと、事実を知らず入信する人達が哀れで仕方ありません。

 

→これも、単純な誤記を取り上げて、「よくもこんな曖昧な相承」などと並べ立てた悪口ですが、こんなことまで言って、自分で恥ずかしくなりませんか?

読み返してみても、言葉だけは本当に大仰でご立派ですね、何の中身もありませんが。

 

✲全て関連質問ですよ。


なぜ答えないのでしょうか。初出の書は、大石寺の正式な見解ではなんという書物なのかを聞いているだけですよ。

 

→答えないのではない、一つずつやりましょう、と言っているのです。 日本語のわからない人ですね。

貴職の「で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? との問いにも、順を追って回答してあげますから、慌てずお待ちなさい、と言っているでしょうが。

それとも、関連する質問と称して次々と疑難を投げかけ、それに答え続けさせていないと、都合が悪いのですか?

こちらに、質問の機会を与えては困るのですか?

それが、貴職の法論(呆論)のテクニックなのですね。もうミエミエですよ。

 

✲これも関連質問ですよ。

九世が初めて世に言い出したという疑念にはそれを否定せずここまできておいて、では誰なんですか?

それは宗祖滅何年ですか?と聞いているだけですよ。

⑤都合の悪いことは答えないのですね、やはり。

 

→ほらほら、同じ趣旨の繰り返しでしょう?

順を追って答えてあげますよ。関連質問とやらを何度も繰り返さずとも。

 

✲「対比」などと言ってますが、『二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな』と書かれている以上、 二十余年とある戒壇本尊は、御伝土代から言えばまったく該当しない矛盾を言っているのですよ。

こんな分かりやすい指摘を意味不明とは、それこそ意味不明です。

 

→そういう意味なのでしたら、すでに回答済みです。以下に再掲しておきますから、よくお読みなさい(これに対する貴職の反論は、自説の強弁だけで、全く反論の体をなしていません)

 

貴職の引かれた第四世日道上人の「御伝土代」に

「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」

とある文は、もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。

貴職も御承知のとおり、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の両様がありますが、そのうちの「二千二百三十余年」の御本尊を取って「二千二百二十余年」の御本尊を捨てる(本尊として崇めない)、などという義が、本宗には片鱗すらないことからも、明らかです。

この「御伝土代」の文は、()「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

つまり、ここで「二千二百三十余年に未曾有」と言われた文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、それ以外の意味は全くありません。

 

✲日順「本門心底抄」

日尊「日尊実録」

日眼「五人所破抄見聞」

これらの「三十余年」は、以前挙げた「本尊七箇相承」とは合致し、戒壇本尊とは合致しない。

これが矛盾でなくてなんなのですか?

また違う書だ!と言って逃げますか?全て御伝土代と同様の「三十余年と書いてる!」という書ですよ。

 

→それらの書に述べられる仏滅讃文も、全て「御伝土代」における文意と同じく「正像二千年間に未曾有の大曼荼羅」の意です。他意はありません。

もし、戒壇大御本尊のことを述べられるのなら、「全ての宗祖御図顕の曼荼羅のうちでも弘安二年の大曼荼羅は···」と述べられますよ。

また、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の他に「正像未弘之大曼荼羅」と示されたものもあり、まさに仏滅讚文の意味するところを示しています。日道上人の「御伝土代」における「仏滅後二千二百三十余年」もその趣旨を示されているに他なりません。

 

✲この中でも日尊「銘に云く」日眼の「三十余年とある文永十一年のころよりの御筆の曼陀羅、猶以て肝心也」。

こんな明確な言がありながら、「対比」ですか?「釈尊像を崇めるな」ということですか?

 

→私は「対比」ではない、と言っているのです。それが逆に読めるというのは、日本語がわかりませんか?

 

✲これらの僧侶は、「そう書いてる現物について」言っているのでしょう?

日本語だとそう読む以外に解釈できませんが。

 

→それは貴職が恣意的に読むからですよ。諸師は、正像に未曾有の大曼荼羅を信ずる、と言われているのであり、特に数多の曼荼羅中のこの曼荼羅を信ずる(他の曼荼羅は信じない)等と言われているのではありません。

 

✲最後はまた日寛の「二十余年」を出しますか?

 

→何のことですか? 私が日寛上人の文から挙げたのは「十月十二日」の建立日付ですよ。いよいよ錯乱してきましたか?

 

✲なぜ、上代の弟子よりも、宗祖滅五百年の歴代が優先されるのですかね。

全て日本語ですよ。

上記の書にも、当然御伝土代とも、戒壇本尊とは無関係であると明確だと言っているのですよ。

 

→誰も貴職の挙げた文が、戒壇大御本尊のことを述べている文だ、などと言っていませんよ。それなのに「無関係であると明確だと言っている」と、力んでどうするのですか?

本当に頭は大丈夫でしょうか?

 

✲何が意味不明なのでしょう?

三十余年と戒壇本尊の矛盾に関する関連書物です。

逃げずに向き合ってください。

 

→貴職の言には意味不明の箇所が多すぎる!それは、後日この双方のやり取りを読む人の、誰もが気付くことでしょう。

また、すでに説明したことですが、仏滅讃文が「二千二百二十余年」であれ「三十余年」であれ、曼荼羅御本尊はいずれも宗祖大聖人の御魂ですから、その違いによる取捨はなく、戒壇大御本尊とも何の矛盾もありません。

したがって、誰も逃げたりしていませんよ。

 

✲⑥捏造に捏造を重ねてきた日蓮正宗の義など証明になるわけないでしょうに。

>その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊である、

質問 ・・・その根拠を挙げてください。宗祖筆の証拠もない。疑念だらけ。

よくもまあこんなでたらめを言えますね。是非根拠を示されてください。

→貴職は、宗祖大聖人の御金言もまともに拝さず、ただ日蓮正宗への怨嫉の謗言を並べる大莫迦者です。

「三大秘法抄」における本門戒壇に関する御教示と、大御本尊の示し書に認められた「本門戒壇」の文字、それをよくよくお考えなさい。それでも、わからなければ、それは貴職の能力不足である、としか言いようがありません。

 

✲質問四・・・弘安二年十月著作の宗祖曼荼羅だけでも三遍現存。なぜ弘安二年の曼荼羅なのか?そして、それが戒壇本尊だと言えるのかの根拠を示してください。

 

→自分の文章をよく読み直してください。日本語として意味不明ですよ。

あえて貴職の意味不明の文章を、親切に読解してあげることはいたしません。

 

✲ちなみに、弘安二年以降の宗祖筆曼荼羅はおよそ六十遍。宗祖は、出世の本懐ほどの曼荼羅を図じした後、信仰の対象とできない枝葉の曼荼羅を六十遍も書かれたのですか?

これを信じてしまうことに、疑念を抱かないですか?

 

→だから、戒壇大御本尊以外の曼荼羅御本尊は信仰の対象にできない、などと、誰も言っていないではないですか。人の主張はよく読め、と言っておきます。

 

✲>したがって、宗祖の顕わされた仏滅讃文が「二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない、というのが本宗の教義信条であります。

質問五 ・・・ご自分で書かれていて、なんの疑念も抱かないのでしょうか?上記の根拠を挙げてください。日蓮正宗の教義信条などなんの答えにも根拠にもなりません。

 

→この愚問についても、先程の、全ての御本尊の中心・本体に当たるのが戒壇大御本尊、というところで示した回答で充分です。

 

✲>これだけ説明すれば、貴職の批判が全くの的外れであったことがわかりますよね。

 

長文を挙げられたのはいいですが、なんですかこの根拠なき希望的解釈は。

 

→先程は、あえて根拠を教えてあげましたが、本当は、根拠を示す必要すらないのです。

何故ならば、これは、貴職が、日蓮正宗の信条について

 

あなたの文意では、別に「本門戒壇の大御本尊」でなくてもいいということになりますよ?歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか?

いずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している、ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、「信仰の対象として認める」ということでよろしいですね?

 

と問うてきたので、当方の信条を説明してあげたのです。したがって、この回答に根拠まで示す必要はない(そこまで求められてはいない)わけです。違いますか?

 

✲⑦>大御本尊の下部には別な示し書がありますので、その上の花押の、更に上を「下部」とは言いませんよ。

質問六・・・では、あの位置を何部というのですか?

 

→ほら、こうやって、すぐ別な方向へと脱線する。後の方でも、繰り返し日達上人を謗りながら、論点を逸らそうとしていますよね。

そもそもは貴職が、日達上人の文意を読み間違え、日達上人が「二千二百二十余年」を否定している、などと騒いだが故に、私がそれを破折したんじゃありませんか。それが議論の主旨でしょう?

そこでの私の言葉尻を捉えて、では讚文の認められている位置を何部と呼ぶか、なんて方向へ脱線させて誤魔化すような真似は止めなさい!恥ずかしいかぎりだ、まったく。

自分の明らかな間違い(日達上人が二千二百二十余年を否定したという主張)は、間違いであったと認めなさいよ。後から読む人達が呆れますよ(すでに私は呆れ返っていますが)

 

✲「右為現當二世 造立如件・・・・」という、字体も宗祖のものでもなく、金箔もなぜかそこだけ無いというところですよね?それ故に、写真でも見ることが困難な箇所ですよね?

「御首題御勧請皆金薄入りなり」ですので、勧請ではないから金箔はほどこされていないという言い訳を、もう散々聞いてきましたが・・・。

 

→金箔が施されていない!? 何か夢でも見ているのではありませんか?そんなことはない、とだけ言っておきましょう。

 

「右」と言いながら、なぜ花押の下にあるのか、不思議に思いませんか?

 

→これも日本語力が無いための珍説ですね。御本尊を認められて、その最後に(すなわち下部に)、これは現当二世のために造立・・・という意味で「右 現当二世の為に造立件の如し」と記されたわけです。普通の表現ではないですか。

不思議といえば、貴職の頭の構造こそが不思議であります。

 

✲>何も私が特別に見て知っているわけではありません ( )

 

見えないものを信じて大石寺のアナウンスを鵜呑みにして、それを信じてしまっていることはよく分かりました。人を誘うにはあまりに無責任ですね。

実物を見たこともない顕正会員となんら変わりませんよ。

いちいち「(笑)」など使わないほうがよろしいかと思いますよ。子供のケンカではないのですから。

 

→やはり日本語がわからないのですね。

私が何も特別な距離で拝して知っているわけではない、と言ったことに対しての反論()がこれですか?

ああ言えばこう言う、単なる反発のための反発を口先で言っているだけで、これではオウムの広報部長(当時)と変わりがありません。

また、私を特別な位置まで行ける立場だなどと、ふざけたことを書いてこられたから、笑ったのです。法義のことでは一度も笑っていませんよ。

笑われて腹か立ったなら、ああいう、人を持ち上げるかのようにして下げる、ふざけた文は書かないことです。

 

✲上代は皆「三十余年」、後世は「二十余」。そんな矛盾が理解できませんかね。

 

→もはや何を言っているのか、意味不明です。自分の頭の中でわかっているだけでは、他人と議論などできませんよ。もう少し自分の書いた文章の意味を考えてみたらどうですか?

 

✲⑧>私は、あくまでも議論の土俵は、日道上人の文意についてでなくては、議論が拡散して収拾がつかなくなる、と言っているのです。

 

溜息が出ますが、日道さんは日興上人からの系譜の人で、それをまとめたものが三師御伝土代ではないのですか?

それを、「三十余年」と戒壇本尊の矛盾について、「釈尊像を崇めるなという意味」だと言ったのはあなたでしょう?

では日興上人に「釈尊像を崇めるな」というお考えがあったのかを調べるのは当たり前でしょうに。

こんな簡単な道理が分かりませんか?

 

→全然わかりませんね。日道上人の書かれた文意が何か、を論じている時に、日道上人は日興上人の系譜だといって、日興上人の本尊観へと論点を移す、こういうのを議論の拡大というのです。

それを何回説明してもわからない、溜息が出ているのはこちらの方です。

 

 

以上、貴職の反論の悉くを破しました。もはや、貴職が出してきた当初の二つの疑難についても、自ずと決着は明らかになっていると思います。

 

すなわち、戒壇大御本尊の初出の建立日付からして違っている、との貴職の疑難は、何ら大御本尊を疑うに足るものではありませんでした。

 

また、日道上人が、仏滅後二千二百三十余年の御本尊に背けば堕地獄、と言われていることは、戒壇本尊より別な曼荼羅への信仰を求めていることになる、との疑難は、全く貴職の意味の取り違えであります。

 

以上のとおり決着は明らかだと思いますが、どうですか?

貴職がこれに異を称えなければ、次は貴職に対する当方からの質問(まさに宗旨の根幹に関わる疑難)を出させてもらおうと思います。

今回は長くなってしまったので、改めて数日中に送りますので、心してお答えください。以上



シリーズ⑦日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!


【メール七・日蓮宗僧侶からの抗弁】(平成二十九年九月二十七日受信)

さて、返信遅くなりました。

彼岸、また今日は御嶽山の噴火犠牲者の慰霊に行っていたので遅くなりました。

なかなかご都合の悪いところにはお答えを頂けないようですので、ちょっとここまでのやりとりで、決定されたことを一つ確認させてください。

質問 一 ・・・戒壇本尊が宗祖筆である確たる証拠は持ちあわせていないということは自覚されているのですよね?証拠は無いけど、戒壇本尊に纏わる大石寺のアナウンスを信じておられるということでよろしいですね?

では、答えていきましょう。 
もちろん、審判が下るまでやりましょう。人類の幸福の為に、または誰かが詐欺的宗教に騙される可能性がなくなることですのでね。

①②③日有だろうが日因だろうが、血脈相承者であるにもかかわらす、誰が言った書いたを拘る意味が分かりませんが、では、日有=日因=他歴代大石寺住職が言えなくなるのではないのですか?

まあ、それを一信徒であるあなたがお認めなことはすでに確認しましたのでいいでしょう。

大石寺が売りに出された時代の方ですからね。曖昧になるのもうなずけます。戒壇本尊がありながら大石寺を売りに出されてしまうというのも、「それはどうしてだろう」と冷静に探究されるのが道理というものだと思いますが、それができない。ただただ大石寺のアナウンスを鵜呑みにしてしまう。

本当に残念なことですね。 
日有さんとすれば二十貫で買い戻して頑張ったのでしょう。大石寺の存続の為に右往左往なさったのでしょうね。

さてまず、あたなの文意であると、日有に至っては、「戒壇本尊についてはまったく触れていない」ということを認めていることになりますが、それでいいのですね? 
ですから何度も聞いている通り、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?なぜ答えないのか理解できません。関連項目ですよ。

せめて日有くらいの時代にでも初出があればまだいくつかの疑念には対応できそうなものですが、もしも初出が日寛なら、宗祖滅後およそ五百年、日因ならさらに後。五百年ですよ?五百年。日有ならおそよ宗祖滅二百年でしたがね。

だから私は「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と聞きましたでしょ?それをあなたが違うという。 
であるならば、

質問二・・・戒壇本尊の初出は、誰のなんという書物ですか?

なぜ答えないのでしょうか?逃げずに答えましょう。 
次に、「高橋智遍」『創価学会が真実ならば私は日蓮聖人の信仰をやめる』という書を読んだことはありますか?

その十一頁. 
【二】日蓮聖人滅後二〇〇年ごろ、はじめて出てきた「板マンダラ」 
という項で、日浄の『日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊これを彫刻す』という一説を挙げて、日有が突然言い出したと説明しています。

これに対して、「日蓮正宗創価学会批判を破す」の中で、ご丁寧に高橋氏の項目をつくってなんと反論したか。 
日浄の批判に終始し、何も触れずですよ。あなたと同じように「戒壇本尊初出」についても触れない。

さらに、日因は「日法伝」として「家中抄」を引用して、戒壇本尊の詳細を言うのではないのですか?

さらに御書を挙げて「一躰ならず三躰まで作る」と言ったかと思えば、「此御書は世間希なる間今具に之を書くなり、然に此の中に一体に非ず三尊まで造ると者当山の最初仏重須正御影なり、一躰は岡宮に之有りと云へり、又七面の明神者本来之有るか、七面の池之有り此池水に浮ひ出たる楠木なり、此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。」と。

『此板御本尊倶に三尊と遊されたるか、亦板御本尊の事をは略し遊されたるか測り難き者なり。』だそうですよ。

つまり、時系列で言えば、日法、日有、日因。日有は、日法彫刻も戒壇本尊の詳細も、どこにも触れずにこの世を去ったということですよ。

で、宗祖滅五百年の日因が、「戒壇本尊のことは略されたのかどうか分からない」と。

そりゃそうですよね、宗祖滅五百年の人が分かるわけありません。

もしも日蓮宗の僧侶で、宗祖滅後五百年の人が、あなた方と同じように「日蓮宗にだけ伝わるこの曼荼羅が正当な曼荼羅だ!」などと主張したら、あなたはなんと言うのでしょうか? 
少なくとも、そんな固有の曼荼羅を取り上げて、これこそ宗祖出世の本懐で、その他の曼荼羅は枝葉のようなものだなどという主張をするのは、大石寺と保田の万年救護本尊と、小野寺さんくらいでしょうか。

鬼の首を取ったようにあれは「あれは日因著作」だと言いますが、それこそ日有の時代には戒壇本尊がなかった証拠でしょうに。

あなたは日寛が言ったので間違いないと言いたいでしょうけれど、日因は日寛の後、たったの十四年後の相承者ですよ。

それがこのあり様です。こんな適当な相承を信じることが、はたして宗祖の本意であるのかどうか、冷静にお調べになられてはいかがでしょうか。

では、初出は誰がなんという書で残したのですか?宗祖滅何年の書ですか?

加えて日付まで宗祖の命日と間違える始末。

なぜこれを問題にしないのですか?冷静に探究されてみてはいかがでしょうか。

こんな矛盾だらけの本尊やら血脈やらを信じて、結果人を騙している可能性すらありますよ、このままでは。

>いずれにせよ、本宗では、血脈相承を尊びますが、 
よくもこんな曖昧な相承を尊びて、無責任にも人を勧誘できるなと、事実を知らず入信する人達が哀れで仕方ありません。

>質問は、当初の疑難が決着してからにしてください。さもないと、話題がどんどん拡散して、明確な結論が出なくなってしまいます。

全て関連質問ですよ。 
なぜ答えないのでしょうか。初出の書は、大石寺の正式な見解ではなんという書物なのかを聞いているだけですよ。

>「で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? 」との問いにも、順を追って回答してあげますから、慌てずお待ちなさい。

これも関連質問ですよ。 
九世が初めて世に言い出したという疑念にはそれを否定せずここまできておいて、では誰なんですか?

それは宗祖滅何年ですか?と聞いているだけですよ。 
⑤都合の悪いことは答えないのですね、やはり。

「対比」などと言ってますが、『二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな』と書かれている以上、二十余年とある戒壇本尊は、御伝土代から言えばまったく該当しない矛盾を言っているのですよ。

こんな分かりやすい指摘を意味不明とは、それこそ意味不明です。

また難癖で言い逃れをされるのでしょうけれど、 
日順「本門心底抄」 
『仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内未曽有の大漫荼羅なり、朝には低頭合掌し・夕には端坐思惟し・謹んで末法弘通の大御本尊の功徳を勘ふるに』

日尊「日尊実録」 
『本尊の銘に云く仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大曼荼羅也』

日眼「五人所破抄見聞」 
『仏滅後二千二百三十余年の間一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅と遊ばす也、所仏・菩薩・諸天等は衆生利益を肝要とせり、三十余年とある文永十一年のころよりの御筆の曼陀羅、猶以て肝心也』

これらの「三十余年」は、以前挙げた「本尊七箇相承」とは合致し、戒壇本尊とは合致しない。 
これが矛盾でなくてなんなのですか?

また違う書だ!と言って逃げますか?全て御伝土代と同様の「三十余年と書いてる!」という書ですよ。


この中でも日尊「銘に云く」日眼の「三十余年とある文永十一年のころよりの御筆の曼陀羅、猶以て肝心也」。 
こんな明確な言がありながら、「対比」ですか?「釈尊像を崇めるな」ということですか?それのほうが意味不明です。 
これらの僧侶は、「そう書いてる現物について」言っているのでしょう? 
日本語だとそう読む以外に解釈できませんが。

最後はまた日寛の「二十余年」を出しますか? 
なぜ、上代の弟子よりも、宗祖滅五百年の歴代が優先されるのですかね。

全て日本語ですよ。 
上記の書にも、当然御伝土代とも戒壇本尊とは無関係であると明確だと言っているのですよ。 
何が意味不明なのでしょう?

三十余年と戒壇本尊の矛盾に関する関連書物です。

逃げずに向き合ってください。

⑥捏造に捏造を重ねてきた日蓮正宗の義など証明になるわけないでしょうに。

>その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊である、

質問 三 ・・・その根拠を挙げてください。宗祖筆の証拠もない。疑念だらけ。 
よくもまあこんなでたらめを言えますね。是非根拠を示されてください。


質問四・・・弘安二年十月著作の宗祖曼荼羅だけでも三遍現存。なぜ弘安二年の曼荼羅なのか?そして、それが戒壇本尊だと言えるのかの根拠を示してください。

ちなみに、弘安二年以降の宗祖筆曼荼羅はおよそ六十遍。宗祖は、出世の本懐ほどの曼荼羅を図じした後、信仰の対象とできない枝葉の曼荼羅を六十遍も書かれたのですか? 
これを信じてしまうことに、疑念を抱かないですか?

>したがって、宗祖の顕わされた仏滅讃文が「二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない、というのが本宗の教義信条であります。

質問五 ・・・ご自分で書かれていて、なんの疑念も抱かないのでしょうか?上記の根拠を挙げてください。日蓮正宗の教義信条などなんの答えにも根拠にもなりません。

>これだけ説明すれば、貴職の批判が全くの的外れであったことがわかりますよね。

長文を挙げられたのはいいですが、なんですかこの根拠なき希望的解釈は 
⑦>大御本尊の下部には別な示し書がありますので、その上の花押の、更に上を「下部」とは言いませんよ。

質問六・・・では、あの位置を何部というのですか?

もちろん、知ってますよ。 
「右為現當二世 造立如件・・・・」という、字体も宗祖のものでもなく、金箔もなぜかそこだけ無いというところですよね?それ故に、写真でも見ることが困難な箇所ですよね?

「御首題御勧請皆金薄入りなり」ですので、勧請ではないから金箔はほどこされていないという言い訳を、もう散々聞いてきましたが・・・。 
「右」と言いながら、なぜ花押の下にあるのか、不思議に思いませんか? 
少なくともあの箇所が、後世にとって付けたパッチワークだと言われる所以ですね。 
ちなみに、花押の下に授与者やら造立理由が書かれている宗祖筆曼荼羅も日興上人筆曼荼羅も私は見たことありませんね。 
開帳の時、どうぞお近くに行かれて、はたして宗祖の筆かどうか御確認されてはいかがでしょうか。

ご教授お待ちしております。

>貴職が言いたかったのは、日達上人が二千二百二十余年を否定した、というのでしょう?

「下方の部ではない」と言いたいが為に、「 安永君は板御本尊の下方の部に仏滅後二千二百二十余年 未曾有の大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。一度も拝せずして世情の与太議論の書を半齧りして根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる」と言ったのですか?細井さんは。

では、あそこは「下方の部」ではなくて、なんという箇所であると、大石寺ではされてきたのですか?ご教授ください。

ちなみに、ここでは参考程度にしますが、細井さんが昭和四十一年一月一日書写した曼荼羅は、最下部に「仏滅後・・・・」とあり、そこには「二千二百三十余年」とありますね。 
統一性のかけらもない歴代の書写ですね。

>何も私が特別に見て知っているわけではありません ( 笑 ) 。

見えないものを信じて大石寺のアナウンスを鵜呑みにして、それを信じてしまっていることはよく分かりました。人を誘うにはあまりに無責任ですね。 
実物を見たこともない顕正会員となんら変わりませんよ。

いちいち「(笑)」など使わないほうがよろしいかと思いますよ。子供のケンカではないのですから。

>大御本尊の仏滅讃文が二千二百二十余年であることは、本宗内では広知の事実

ええ、ですから、それが大きな矛盾をきたしていることを言っているのですよ。 
上代は皆「三十余年」、後世は「二十余」。そんな矛盾が理解できませんかね。 
本宗の広知の事実などなんの答えにも根拠にもなりません。 
都合よく捏造してしまえば、広知の事実になりますからね、当然。 
しかしそんなものは通用しません。根拠を示してから人を勧誘すべきですね。詐欺の加担になりかねませんよ。

⑧>私は、あくまでも議論の土俵は、日道上人の文意についてでなくては、議論が拡散して収拾がつかなくなる、と言っているのです。

溜息が出ますが、日道さんは日興上人からの系譜の人で、それをまとめたものが三師御伝土代ではないのですか? 
それを、「三十余年」と戒壇本尊の矛盾について、「釈尊像を崇めるなという意味」だと言ったのはあなたでしょう? 
では日興上人に「釈尊像を崇めるな」というお考えがあったのかを調べるのは当たり前でしょうに。 
こんな簡単な道理が分かりませんか? 
それとも、また日興上人よりも後世の言を優先しないと都合が悪いですか?


⑨全て戒壇本尊に纏わる疑念ですからね、答えず逃げることはないでしょうから、お待ちしておりますよ。

大変申し訳ないのですが、大石寺やら日蓮正宗の主張など、なんの根拠にもなりませんよ。宗祖、日興上人、上代の弟子の言っていることと矛盾しているのですから。 
なぜ上代の書よりも後世の歴代を優先するんですかね、大石寺の皆さんは。 
まあ、そうでないと矛盾が解消しないのは分かりますが、宗祖に対する実直な探究とは到底言えませんね。

【シリーズ⑥日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】

【メール六・法華講員からの破折】(平成二十九年九月二十四日送信) 
前略 
貴職の本性が丸出しになったような返信を拝見しました。 
何度も忠告申し上げているように、もっと心を落ち着かせて、熟慮して文を書かれた方がよいと思いますよ。 
まず、貴職は私の所論を「揚げ足取りばかりで答えになっていない」などと言っていますが、答えになっているか、いないかは、回を重ねる毎に明らかになっていると存じますし、貴職の独善的な思い込みの強さによって議論が噛み合わなくなっていることや、貴職が勝他の念から頑として自らの誤りを認めまいとしていること等が、客観的に明らかになっている、と確信します。 
個人対個人とはいえ、正式な法論であり、メールの文章を証拠として残している以上、いずれ、この内容は公の目に触れるでしょうから、自ずと審判は下ります。それをお互い楽しみに、法論を続けましょう。 
①最初に、法論の出発点となった「有師物語聴聞抄佳跡上」に関して、私が、これは日有上人の所談と、それに関する日因上人の注釈をまとめた書であり、貴職はその日因上人の注釈部分を日有上人のものと見誤っている、と指摘したことに対し、貴職はあくまでも、
「富士宗学要集目次 は『日有上人談 日因上人記  有師物語聴聞抄佳跡 上』こうなってませんか?これを有師の言としてきたのはだれであろう大石寺ですよ」 
「揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない」 
「私はこの書を見た時から、『日有の名を借りた、日因の創作書』だと思っていましたよ」 
などという妄説を主張しています。 
そこで、まず、文献の理解すらできなければ法論など進められませんから、その趣旨において、この文献についての位置付けをはっきりさせておきましょう。 
以下、日本語の理解に乏しい貴職のために、明らかな事実を示して、貴職の主張が誤っていることを証明します。 
「有師物語聴聞抄佳跡上」の文中、「本書に曰く」「日有上人の仰せに曰く」以下の文章ですが、これは、日有上人所談の聞書「御物語聴聞抄」からの引用であります。 
そして、その「御物語聴聞抄」の一節一節について日因上人が注釈を加えられたのが「有師物語聴聞抄佳跡上」なのです(ゆえに富士宗学要集の目次では、「有師物語聴聞抄佳跡上」の中に、日有上人談の部分と、日因上人記の部分があることを、併記して示しているのです)。 
ですから、もとより大石寺では「これ(有師物語聴聞抄佳跡上の注釈部分)を有師の言」だなどとしてはいません。 
また「私はこの書を見た時から、『日有の名を借りた、日因の創作書』だと思っていましたよ」などという貴職の主張も、邪心から出てくる妄想であります。 
ここまで説明すれば、わかりましたか?まず日有上人談「御物語聴聞抄」という書があり、それに日因上人が注釈を記された「有師物語聴聞抄佳跡上」があるのであり、これは理解の相違ではなく、厳然たる事実です。 
しかるに貴職は、「御物語聴聞抄」と「有師物語聴聞抄佳跡上」とがあることも知らず、日因上人の記述を日有上人のものであるかのように言ったり(これは前回指摘しましたね)、日有上人の所談をも日因上人が創作したかのごとく決めつける、という混乱を生じ、その上から謗言を恣にしているのです。 
こんな出鱈目な理解では(貴職は文献学云々と言っていますが)、貴職の主張は支離滅裂となり、まともな法論など進められようはずがありませんので、労を厭わず貴職の誤りを指摘した次第です。 
率直に自身の誤りを認めたらいかがですか。 
重ねて言いますが、貴職は文献の内容についての読解力が大きく欠如しています。その自覚もなく、強気で出鱈目な解釈を加えてこられますが、こんなレベルで法論をしようとは百年早い、というものです。 
②次に私が、貴職の 
「これが戒壇の大本尊の初出ですから、日蓮聖人の書にはおろか、日興さんも日目さんも、そこから八世まではどこにも出てこないわけですね。戒壇の大本尊ほどのもののことが。九世(日有上人)になって突然出てきたかと思えば、その日付が違っていると。これをどう思われますか」 
との言葉を挙げて、 
「この文のどこをどう読めば、日因上人の説だと思っていた、などと読めるのですか?少なくとも、戒壇大御本尊に触れた当該箇所について、貴職は、明確に日有上人のものとして批判をしているではないですか」 
と糾弾したことに対し、 
「揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない」 
などと逃げを打ってしまわれました。 
この言からすれば、貴職が戒壇大御本尊についての初出を日有上人談であると書いたのは、貴職の日本語能力が足らなかったに過ぎない、これをまともに取り上げて批判してくるのは揚げ足取りだ、そこを攻めるのは止めてほしい、ということですね。 
よくわかりました。 
でも自分の表現の間違いを、相手側に転嫁するのは、やめてくださいね。何か「言うだけ番長」みたいで、正直さが感じられませんから。こういう姿勢は、世の中の青少年にも、良い影響を与えないと思いますよ。 
③次に貴職は、私が、戒壇大御本尊の日付は前代の日寛上人も明らかに「十月十二日」と述べられており、これは宗内で広知の事実だった、したがって後代の日因上人が「十月十三日」と記されたのは臨時の御失錯と考える他ない、と述べたことについて、 
「三十一世だろうと、戒壇本尊を相承された唯受一人血脈者が、相承を受けた十七年後の書物で、宗祖の命日と戒壇本尊の造立年月日を書き間違えたと。あなたはそれで納得なのですね? 
あなたがそれで納得しているならばそれでいいのではないでしょうか。 
血脈相承が聞いてあきれますが」 
などと言ってこられました。 
これだから貴職は真面目な学究者ではない、というのです。 
そもそも貴職が私に問うたのは、戒壇大御本尊の日付が初出から不確かではないか、との疑難でしたよね? 
私が、その疑難は当たらない、その以前から「十月十二日」は宗内で広知だったからだ、と明らかにしたところ、それに対する貴職の答えが、日因上人への揶揄誹謗というわけですか。 
呆れて物が言えません。 
このことからも、貴職は、表面上は偏りのないフリをしながら、内心は大石寺に対する勝他の念と怨嫉で固まっていることが、よくわかります。 
いずれにせよ、本宗では、血脈相承を尊びますが、それは法主上人の凡身の無謬論ではありませんので、いくら貴職が揶揄したところで、当方の教義信条が揺らぐわけではなく、ただ貴職の命が濁り、悪業が刻まれるだけのことであります。 
④このことに関連して、貴職は 
「それで最初の質問です。戒壇本尊初出はなんという書物で、誰の著作ですか? 
これは前にも聞いてます」 
と、更なる質問をしてきています。 
質問は、当初の疑難が決着してからにしてください。さもないと、話題がどんどん拡散して、明確な結論が出なくなってしまいます。 
「これは前にも聞いてます」とも言っていますが、貴職がこの問いを出してきたのは途中からであり、当初の疑難の中には含まれていません(最初のメールを見直してご覧なさい)。 
いずれにしても、一つずつ回答し、決着を付けていきますから、慌てなさるな。次下の 
「で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? 」 
との問いにも、順を追って回答してあげますから、慌てずお待ちなさい。ただ、一つだけ言っておけば、戒壇大御本尊については、上古の時代から随所で触れられておりますが、貴職の勉強不足か、あるいは目が曇っているために、それらが見えないだけのことです。
⑤また貴職は、私が 
「どこからどう読んでも、『二千二百二十余年』とある御本尊と『三十余年』とある御本尊の対比ではないですか。 頭は大丈夫ですか? 」 
と述べたことに対し、 
「『図し給ふ御本尊に』をどう読んでるんですか?それこそ頭は大丈夫ですか?『そう書かれている本尊』以外の読み方があるのですか? 
『二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな』と、『日本語』で書いてるのが読めませんか? 
二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、『二千二百三十余年と書いてある』本尊に背くなと、どうしてなっているのかを聞いているのです」 
などと述べていますが、もはや貴職が何をもって反駁としているのか、意味不明です。全く議論が噛み合っていません。 
この箇所については、重ねて説明などしても無駄でしょうから、当方の文をよく読み直してから改めて反駁してください。 
⑥また、これに続けて貴職は、私が「本宗では、『二千二百二十余年』と『二千二百三十余年』のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している」と述べたことに対し、 
「え?あなたの文意では、別に『本門戒壇の大御本尊』でなくてもいいということになりますよ? 
歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか? 」 
「ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、『信仰の対象として認める』ということでよろしいですね? 」 
などと反駁されています。 
法論において、相手の論点を批判しようというときは、もう少し相手の教義を調べてからにした方がよいのではありませんか? 
貴職の主張は全くの的外れであり、反駁にも値しませんが、かといって放置すれば、どうせ貴職のことですから「反論に詰まって逃避した」と言うに決まっています。 
ゆえに、煩わしいことですが、本宗の教義信条の一端を教えておきます。 
本宗では、仏滅讃文が「二千二百二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂と拝しています。そして、その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊である、と拝しているのです(それは、本門戒壇は一閻浮提の衆生の参詣すべき道場ですから、そこに安置される御本尊は総体、それに対し、個々の信受する御本尊は別体にあたるからです)。 
しかして、この中心・総体の大御本尊から離れ背く人々は、いかに別体の御本尊を拝んだとしても、木の幹から切り離された枝に養分が行かないように、大御本尊からの血脈が切れ、何の功徳もないのです(現に、貴職の属する日蓮宗の寺々の僧侶方も、自分の宗旨には功徳などないと認めていましたよ)。 
また、総体の大御本尊に背く人々が、いかに宗祖の顕わされた曼荼羅本尊を護持していたとしても、そこには別体の意義が具わりませんから、我々はそこで礼拝したりしないのです。 
したがって、宗祖の顕わされた仏滅讃文が「二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない、というのが本宗の教義信条であります。 
これだけ説明すれば、貴職の批判が全くの的外れであったことがわかりますよね。 
⑦次に、貴職が日達上人の所論を挙げて、 
「いったいどうなっているのですか? 細井さんに至っては、二十余年までも否定されている。 開帳できる貴殿は、ご覧になられた時にどう書いてありましたか?是非教えてください」 
などと述べたことについて、私は、それは貴職の読み間違えであり、日達上人は二千二百二十余年を否定したのではなく、讚文の位置が「下方の部ではない」と言われたのだ、ということを明らかにしました。 
すると、驚いたことに貴職は、 
「またすごいことを言いだしますね。 
では、どこに書かれているのですか? 写真を見た限り、主題の経の旁の下、宗祖花押の上、つまり下部に見えますが、どこの部に記されているのですか? 
まさか、下部ではなく、右下部であるとでも言いたいのですか? 
それを言う為に細井さんはあのようなコメントで批判したとか言うつもりではありませんよね? 」 
などと言い返してきました。 
大御本尊の下部には別な示し書がありますので、その上の花押の、更に上を「下部」とは言いませんよ。 
しかも、貴職が言いたかったのは、日達上人が二千二百二十余年を否定した、というのでしょう? 
それが貴職の読み間違えだった、ということを明らかにしたのですから、素直に認めたらいかがですか。 
こういうところにも、絶対に自らの誤りを認められない、貴職の見苦しさが現わわれています。 
ついでに言っておけば、大御本尊の仏滅讃文が二千二百二十余年であることは、本宗内では広知の事実であり、何も私が特別に見て知っているわけではありません(笑)。 
⑧次に、私は、日道上人の「御伝土代」の一節を論ずるのに「原殿御返事」を引いて日興上人の本尊観へと論点をずらしてはいけない、と述べておきましたが、それについて貴職は 
「何を言っているのでしょうか? 御伝土代のあの一説は、『日興上人御伝草案』ですよ?それをあなたが、あの一説を、『釈尊像を崇めることを批判されたもの』と言ったのでしょう? 
日興上人の書物をもって論証するのは当たり前でしょうに」 
などと弁明しています。 
しかし、この「御伝土代」が日興上人御伝の箇所であるにせよ、そこで述べられているのは、観心本尊抄の文意などを挙げられて、日道上人の立場から本尊観を示されたものです。 
その日道上人の述べられた文意について(といっても、文意を正しく理解できていないのですが)、貴職が疑難を投げかけてきたのですから、私は、あくまでも議論の土俵は、日道上人の文意についてでなくては、議論が拡散して収拾がつかなくなる、と言っているのです。 
こんな簡単な道理がわかりませんか? 本当にわからないのだとしたら、貴職はすでに頭破七分して意根が破壊されており、まともな議論などできなくなっている、としか言いようがありません。 
⑨最後に重ねて言いますが、まずは、最初のメールで貴職が提示した二つの疑難について決着させましょう。それが決着しないうちに、さらに論点を拡大させたり逸らせるような疑難をいくら出してきても、それには乗りませんよ。 
最初の二つについて決着させてから、当然、次は当方からの質問にお答えいただき、さらに貴職から出ている追加の疑難に私が答える、という進め方でなくては、公平な法論とは呼べないでしょう。それは誰が聞いてもわかりますよね。 
いずれにしても、これから法論を進めていく過程で、貴職が途中で持ち出してこられた日興上人の本尊観、「七箇之相承」中の讚文の事、熱原法難に関連する諸々、全て答えてあげますから、「逃げた」などと、とんでもない勘違いはしないことです。 
よろしいですか。 
以上、始めた法論はとことん行ないますので、急がなくても結構ですから、誠意ある返答をしてください。

【シリーズ⑤日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


【メール五・日蓮宗僧侶からの弁駁】(平成二十九年九月二十一日受信)
返信拝見しました。
携帯電話で長文では見にくいと思っての三通にしましたが、長文であろうとも一回で送ることとしましょう。
それにしても、揚げ足とりばかりで答えになってないのですが。
戒壇本尊が宗祖作である証拠があればこんな議論もいらないのですが、それがない。
それに加え、歴史上疑義に対する根拠ある反論もできずにきてしまった。
最後は苦しい言い逃れをするしかなくなる。本当に残念なことです。
宗祖と日興上人のお気持ちはいかばかりか。 
適当な揚げ足取りに終始されてしまっては、私も時間がもったいないので、明確な質問を数字を挙げて記しますので、それにお答えください。
①②③こんな揚げ足取りしてどんな意味があるのでしょうか。
富士宗学要集目次 
「日有上人談 日因上人記  有師物語聴聞抄佳跡 上」 
こうなってませんか?これを有師の言としてきたのはだれであろう大石寺ですよ。
そうなってはいながら、日因さんは最初に「おそらく」と書きはじめるわけでしょう?
だから私は「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と言ったじゃありませんか。
揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない。 
私はこの書を見た時から、「日有の名を借りた、日因の創作書」だと思っていましたよ。
しかし、九世だろうと三十一世だろうと、唯受一人血脈相承などと言って、彼らの「書写曼荼羅」しか認めないほどの立場の者が、あんな重要箇所で間違えるという愚弄を問うているのですよ。
※質問一・・・それで最初の質問です。戒壇本尊初出はなんという書物で、誰の著作ですか? 
これは前にも聞いてます。
※質問二・・・で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? 
これも前にも聞いてます。
だいたいからして、九世の間違いじゃなく、三十一世のミスだからいいのですか。
三十一世だろうと、戒壇本尊を相承された唯受一人血脈者が、相承を受けた十七年後の書物で、 宗祖の命日と戒壇本尊の造立年月日を書き間違えたと。あなたはそれで納得なのですね? 
あなたがそれで納得しているならばそれでいいのではないでしょうか。 
血脈相承が聞いてあきれますが。
④一信徒である貴殿が、血脈相承者のミスであったと認めた事実は確認しました。
⑤⑥>どこからどう読んでも、「二千二百二十余年」とある御本尊と「三十余年」とある御本尊の対比ではないですか。 
>頭は大丈夫ですか?
「図し給ふ御本尊に」をどう読んでるんですか?それこそ頭は大丈夫ですか?「そう書かれている本尊」以外の読み方があるのですか? 
「二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな」と、「日本語」で書いてるのが読めませんか?
※質問三・・・二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、「二千二百三十余年と‘書いてある!」本尊に背くなと、どうしてなっているのかを聞いているのです。
もっと言えば、あなたの文意から言えば、戒壇本尊がすでに日道の時代にあったならば、 「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』ではなく、
※質問四・・・『本門戒壇の大御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』となるべきではないのですか? 
さらにあなたは 
>本宗では、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝しており、「二十余年」と「三十余年」の御本尊が異なっているとは見ておりませんので 
え?あなたの文意では、別に「本門戒壇の大御本尊」でなくてもいいということになりますよ? 
歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか?
※質問五・・・『「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している』ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、「信仰の対象として認める」ということでよろしいですね?
⑦>日達上人の仰せどおり、下方の部ではないところに「二千二百二十余年」とお認めですよ。「二十余年」についてではなく、その認められている位置について、なのです。 
またすごいことを言いだしますね。 
では、どこに書かれているのですか?
※質問六・・・写真を見た限り、主題の経の旁の下、宗祖花押の上、つまり下部に見えますが、どこの部に記されているのですか? 
まさか、下部ではなく、右下部であるとでも言いたいのですか? 
それを言う為に細井さんはあのようなコメントで批判したとか言うつもりではありませんよね? 
「下部ではなく右下部だ!」と? 
それにしても、貴殿はすごいお立場なのですね。 
大石寺をやめられたかなりの数の方々に伺いましたが、開帳は受けられるけど、近くまで行けないので小さな字までは読めなかったと誰もが口をそろえてました。 
貴殿は、二十と三十の区別がつくほどの位置まで行けるかたなのですね。 
色々ご教授頂けそうで、幸いです。
⑧原殿御返事を挙げて日興上人の本尊観にすり替えた? 
何を言っているのでしょうか? 
御伝土代のあの一説は、「日興上人御伝草案」ですよ? 
それをあなたが、あの一説を、「釈尊像を崇めることを批判されたもの」と言ったのでしょう? 
日興上人の書物をもって論証するのは当たり前でしょうに。 
「脇士のいない釈迦像」ではなく「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊』への信をと書いてあると。 
しかし、同じ問ですが、二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、なぜ「二千二百三十余年と‘書いてある’!」本尊に背くなとなっているのかを聞いているのですよ。すべて日本語です。
⑨>ここで貴職が持ち出してきた、日興上人の本尊観や、後に出てくる「御本尊七箇之相承」における書写御本尊の讃文については、ここで決着させるべき貴職の二つの疑難から、また別な方向へ論点が逸れていくので、取り上げません。 
いえいえ、全て戒壇本尊に通じる内容ですので逃げずにお答えください。一日一通ですし。日興上人の本尊観は、当然「富士門」の戒壇本尊を論じる上でははずせないことですが、まあそれはおいおいとしましょうか。
質問七・・・本尊七箇相承の「三十余年」との矛盾について。
質問八・・・熱原法難の時の曼荼羅には「日興上人」と記されていることへの矛盾について
質問九・・・熱原法難と戒壇本尊がまったく無関係であることが分かる時系列の矛盾について。
質問十・・・一応伺うのですが、戒壇本尊を宗祖作とする証拠はお持ちですか?あるならば、それを出せば解決ではありませんかね。
以上、日因さんの「ミス」については、あなたがそれで納得しているということで理解しました。
大石寺の見解でないことも分かりました、一信徒であるあなたが、血脈相承者のミスであるということですね。了解です。
大石寺がしっかりとそれに対する見解を歴史上示すべきですよね。辛いですね。
ではその他の質問についても、よろしくお願い致します。揚げ足取りはやめましょうよ。せっかくの機会ですので。

【シリーズ③日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


【メール三・日蓮宗僧侶からの弁駁】(平成二十九年九月十九日受信)
ご返答ありがとうございます。

長くなるので、一日一度ではありますが、二回にわけてお送りします。ご了承ください。どうぞごゆっくり真実に向き合われてください。

クソ坊主!と罵詈雑言を浴びせて逃亡する過去の法論相手と違いますね。敬意を表します。まったくお答えになっていないので、反論ということになるのかどうかも分かりませんが。 確認なのですが、日蓮正宗は、唯受一人血脈相承として、連綿と大石寺住職にだけ相承される最たるものが戒壇本尊なのですよね?

つまり、大石寺住職は、日興上人依頼、連綿と戒壇本尊を相承され、秘蔵厳護してきた。大石寺のアナウンスはそれでいいのですよね?

では、

一、

「日因私に云く此の丁聞書誰人之を記するや未だ其の人を見聞せざるなり、然るに南条日住の聞記百二十一個有り之に准して之を思うに恐くは是南条日住の聞書なるべし或は亦日有上人の御直記なるか。」 ではじまるわけで、誰が書いたかも日因さん自身が分かっていないわけですから、「私の曰」と書かざるを得ないのでしょう。 私も日因さんのものだと思ってますよ、当然。

その日因さんは、その相承者でありながら、戒壇本尊の日付を間違えて書いたということですね? 
これは、大石寺の公式の見解ですか?初耳なので教えてください。

そして、その間違えた日付が、「十月十三日」、つまり宗祖の御命日と間違えたと? 
貴殿はそれで納得しているわけですね?そしてそれが、大石寺の公式見解なのですね?

日因さんは、戒壇本尊を直に見ていた唯受一人相承者なのではないのですか?その方が、「宗祖の命日」と、「戒壇本尊造立日」を間違えたと、そういうことでいいのですね?

もう一度聞きますが、それが大石寺の公式見解なのですね?

日因が相承されたというのが一七四〇年、当該書執筆が一七五七年。江戸中期。 
それが単なる「日因上人の臨時の御失錯」とは、これが大石寺公式見解だとすると、血脈相承の真偽が問われますよ、当然ですが。 
しかも、「臨時の」の意味が分かりません。

では、この戒壇本尊が出てきた最古の書物はなんですか?宗祖も日興上人も、上代では誰もどこにも残されていない。では、最古は誰ですか? 
私の知り限り、西暦一五〇〇年以降ですよ。宗祖滅三百年というところでしょうか。 
こんなものを宗祖作と主張し、人を勧誘し、他を批判する無責任を私は問いたいです。

いつも、この指摘にもだんまりばかりの法華講員とは違い、返答頂いたことに敬意を表しますが、血脈相承者の「ミス」だと言われたのは貴殿が初めてです。

もう一度聞きますが、これは大石寺の公式見解なのですね? 
そして、こんな重大ミスを犯す人が間に介している血脈相承とやらを信じきって、人を勧誘し、他を批判するわけですか? 
あまりにも無責任だと思いますが。

二、

あまり私見で適当なことを言わない方がいいと思いますよ。

まず、 
>もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。

そんなことを言っているのではありません。 
誰が対比などしていると解釈しているのでしょうか? 
また確認しますが、日道さんも、血脈相承を受けた人で、戒壇本尊を相承されている人なのですよね? 
その方が、「二千二百二十余年」と書いている戒壇本尊がありながら、なぜ「三十余年」と書いてるという曼荼羅に背くなと言っているのかを問うているのです。 
二十がいいか三十かなど言っているのではありません。なぜ書いてる通りに書いていないのかを言っているのです。

現に、直にそれを拝したはずの日道さんは、なぜ戒壇本尊と違う内容の曼荼羅への信仰を求めているのかと言っているのです。

ちなみに、昭和期に私と同様の指摘をした安永弁哲氏に、細井日達さんは下記のように言ってます。

「安永君は板御本尊の下方の部 に 仏滅後二千二百二十余年 未曾有の大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な 出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。 一度も拝せずして世情の与太議論の書を半齧 りして根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる。」

いったいどうなっているのですか?

細井さんに至っては、二十余年までも否定されている。 
開帳できる貴殿は、ご覧になられた時にどう書いてありましたか?是非教えてください。 
>「一、脇士なき一体仏を崇めるは謗法の事」

これは、日興上人、原殿御返事など見れば、日興上人のご見解でしょう。

しかし、どう解釈したら
>「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

こんな歪曲解釈になるのでしょう?

日興上人、原殿御返事
「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候・・・・・御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし」
簡単に記しましょう。
「脇士のいる立派な仏像を造りなさい。それが叶うまでは、宗祖の曼荼羅を安置しなさい」と。

どこをどう解釈して「「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」が「釈尊像を崇めることを批判」となるのですか?

後世、日興上人は、脇士ありの仏像肯定から曼荼羅正意にかわります。しかし、それでも、釈尊否定の書はありません。あるならば提示されてください。むしろ賛美です。

言い換えるならば、「脇士なしの釈迦像」を否定しますが、「脇士ありの釋尊像」を否定している書はありません。むしろ肯定です。
富士一跡門徒存知事でも、日興日順口授と言われる五人所破抄でもそうです。


あなたの主張は、宗祖、日興上人を貶める主張です。冷静に事実に向き合われてください。

古文とは言え、日本語です。二十余年と書いてる究極の戒壇本尊がありながら、三十余年と書かれているわけで、そう解釈したい気持ちも分かりますが、私は何度も言う通り、「戒壇本尊が宗祖作であることが証明されれば、すぐさま大石寺に入信」しますが、貴殿は別段やめないでもいいですから、もう少し冷静に、事実を探究されてください。
真実の日蓮聖人への信仰は持ってほしいと心から願うばかりです。

ごめんさない。
三つになってしまいました。

貴殿の解釈論では、多忙の貴殿の時間も大変でしょうから、もう一つ挙げておきます。

「御本尊七箇相承」
「仏滅度後と書く可しと云う事如何、師の曰く、仏滅度後二千二百三十余年の間、 一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」 
「私が書いたままに書写しなさい」とある中に、これまた「二千二百三十余」とあります。この書の偽書説は、法論を進める中でどこかででるとは思いますが、当然この書は大石寺圏では重要書でありますよね? 
「私が書いているまま」書写しなさい。では、戒壇本尊はどう書いているのですかというのが、もう昭和期から言われてきた疑義です。 
どちらかが偽か、それとも両者か。少なくとも両者が真であることは、この事実からはあり得ません。

私が挙げている文章は、富士宗学要集からのものであり、「解釈論」うんぬんの内容ではありません。


さらに、貴殿の時間を考慮して、同じ三師御伝土代には、
「その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず・・・」
熱原法難の時に書かれた本尊には、「日興上人」と書かれたとあります。これまた戒壇本尊と矛盾します。

再確認ですが、戒壇本尊は、熱原法難の法華講三人の斬首が契機というのが大石寺のアナウンスですよね?
それがつまり、上記の「その時に、大聖人御感有て・・・」のその時ですよね?
熱原法難で法華講の人が斬首されたのが十月十五日、その方が宗祖に届いたのが十七日。これは富士年表で明確です。
つまり、熱原法難と戒壇本尊はまったく無関係です。当然ご存知ですよね?

こうした「事実」を受け止めてしまえば、「それは謗法だ」などと扇動されて、そうした冷静な判断さえ奪われてきてしまっていませんか?

あなたの解釈はおいといて、貴殿はいたって真面目な探究者であろうと拝察しております。
なんども言いますが、私が挙げているのは解釈論で語る内容ではありません。書かれている「事実」です。

>この文意は、心静かに本文を読めば、誰にでも理解できるでありましょう。

まさに、貴殿の云われる通りであります。誰にでも「矛盾」として理解できるのではありませんか?

シリーズ②日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!

前略
貴職が投げかけてこられた、戒壇の大御本尊についての二つの疑難に答えます。

①まず貴職の読み間違えから正しておきます。

「有師物語聴聞抄佳跡 上」は、大石寺第九世日有上人の述べられた本文に、第三十一世日因上人が自らの釈を書き加えられたもの(日因私に云く、と断わった上で書付をなさったもの)であり、貴職の引かれた文は、まさに、その日因上人が「私に云く」として書かれた部分です。
つまり、これは日有上人の述べられた文ではなく、三十一世日因上人が書かれた文であり、貴職は明らかに読み間違えをされています。

次に、貴職が騒いでおられる戒壇の大御本尊建立の日付が「十月十三日」になっている、という件ですが、結論を申し上げれば、これは日因上人の臨時の御失錯でありましょう。
すなわち、戒壇の大御本尊建立の日付については、第二十六世日寛上人の「観心本尊抄文段上」等にも
「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して」
と示されているとおり、弘安二年十月十二日であることが、すでに大石寺門流では広知の事実でした。
それを、ずっと後代の日因上人の御筆記に「十月十三日」と書かれている、ということは、凡身であるが故の、臨時の御失錯による書き間違いに他なりません。

かかる写し間違い、単純な記憶違い等は、時に宗祖大聖人の御抄にも拝せられるところであり、これについては門家として冷静に斟酌し、特に問題にすべきことでないのは当然です。

以上、日因上人のお書きになった文を日有上人のものと読み間違え、戒壇本尊の初出の建立日付からして矛盾がある、などと決めつけた貴職の疑難は、まことに迂闊で恥ずべきものと思いますが、いかがですか。

いずれにしても、貴職の投げかけられた第一の疑難は、貴職の誤りであったことが誰の目にも明らかです。
それを確認した上で、次に進むことにします。

②第二の疑難については、ひとえに貴職の解釈が誤っています。

貴職の引かれた第四世日道上人の「御伝土代」に
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」
とある文は、もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。
貴職も御承知のとおり、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の両様がありますが、そのうちの「二千二百三十余年」の御本尊を取って「二千二百二十余年」の御本尊を捨てる(本尊として崇めない)、などという義が、本宗には片鱗すらないことからも、明らかです。

この「御伝土代」の文は、すでに、その項目の表題に
「一、脇士なき一体仏を崇めるは謗法の事」
とあることからも明らかなように、「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

そのことは、表題のみならず、本文の前後を読んでみても明らかです。すなわち、小乗の釈迦・権大乗および迹門の釈迦・本門の釈迦といった、正像二千年間に立てられた本尊を挙げて、本尊にも階級があることを示し、脇士なき一体の釈迦はその中でも最も低下の釈迦であること、そして末法においては、正像二千年に未曾有の曼荼羅御本尊のみが崇める対象となることを示されています。

つまり、ここで「二千二百三十余年に未曾有」と言われた文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、それ以外の意味は全くありません。

この文意は、心静かに本文を読めば、誰にでも理解できるでありましょう。

したがって、この文を挙げて「日道上人が、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになり、矛盾している」などという貴職の解釈は、早とちりで文意を見誤ったか、邪心による曲解であります。

以上、貴職の上げた二つの疑難が、いずれも初歩的な誤りを犯していることを指摘しました。

率直に誤りを認められるもよし、反論をされるもよし、いずれにしても、この二つに決着を付けた上で、今度はこちらから貴職の宗旨について質問させてください。

シリーズ①日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す! 

戒壇本尊への質問を、少しさせて頂いて、それにお答え頂くことが最優先だと思いますが、いかがでしょうか?そちらの根幹の問題ですので。
特に、富士門流の根幹、自称日蓮聖人作本門戒壇の大本尊については、冷静な研究が必要だろうと思います。

最初の質問です。

戒壇の大本尊に匹敵する根幹の質問、お待ちしております。貴殿も、是非まずはこの二つにお答えを頂ければ幸いです。

貴殿は、唯一無二の宗教を自認し、それゆえに他を非難し、人を勧誘するわけですから、当然、信仰の対象への指摘には誠意をもってお調べ頂けるものと期待しております。
一、 (有師物語聴聞抄佳跡上・・・富士宗学要集第一・二五一頁)の矛盾
  この世に初めて出て来たと、大石寺第三十一世日因言うところの「有師物語聴聞抄佳跡上」には『次に本門戒壇の御本尊の寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分・・・御首題御勧請皆金薄なり、仏滅後二千二百廿余年等と云々、御端書、右為現当二世造立件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆等、弘安二年 十月十三日 云々』
とあります。

もちろん、この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね。
本門戒壇の大御本尊にある日付は、「 十月十二日 」です。
この矛盾をどう思われますか?

当然これが戒壇の大本尊の初出ですから、日蓮聖人の書にはおろか、日興さんも日目さんも、そこから八世まではどこにも出てこないわけですね、戒壇の大本尊ほどのもののこと
九世になって突然出てきたかと思えば、その日付が違っていると。
これをどう思われますか?

二、(三師御伝土代・・・富士宗学要集第五・一二頁)との矛盾 。
  大石寺三世日道の三師御伝土代には、
  『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅
なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』とあります。
本門戒壇の大御本尊には、「 二千二百二十余年 」とあります。

日道は、当然本門戒壇の大御本尊を相承された唯受一人血脈相承の人であり、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになります。
この矛盾はどう思われますか?

私は過去に、法華講員、妙観講員、顕正会員など富士系の信徒一二〇〇名と会ってきましたが、最初の段階でのこの二つの問に、しっかりとお答えを頂いたことがありません。
指摘事項はまだまだ大量にあります。
是非ともご見解を頂ければ幸いです。
皆さん最後には答えず逃亡してしまうのですが、その時の逃げ口実は「信じればいいんだ!」です。

その程度なら他を非難し、人を勧誘する権利を有さないと存じます。
誠意あるご対応を切にお願い申し上げます。

再 拝
 日蓮宗 鎌倉 薬王寺 住職
 全日本青少年育成協会長 理事長
 大埜 慈誠 拝

創価学会の簡単勤行では成仏は出来ないですよ!

当方がこの動画をアップし「創価学会の簡単勤行では成仏は出来ないですよ!」と破折し、また御書を示したのが相当頭に来たのであろう。

月水御書

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」

https://youtu.be/7FHLRfmBnjw

すると、創価莫迦曰く、

【『方便品の長行』とは!日蓮正宗の勤行要典に『方便品の長行』があるのか!】と抜かしよったではないか。 爆笑

この人物は長行とは【長】の字がついていることから、十如是の後に続くあの長~い残りの経文のことだと錯覚したようである。これは長行ではなく「世雄偈」というのであり、日蓮正宗ではこれは読経しないのである。創価学会もそうであろう!呆

日蓮正宗の勤行の化儀では方便品の長行とは「爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。」から「諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」までを長行とするのである。

それとも創価学会ではあの長~い世雄偈も朝夕読経しているんかの~? 笑

すると今度はこう言い出したのである。何としても今の寿量品の長行なしのサボリ勤行を正当化したい意図らしい。

莫迦曰く、

「方便品の長行書進せ候、先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし」(曽谷入道殿御返事)

この文に寿量品と無いことからサボリ勤行を正当化したいらしい。

しかし、この御書は大聖人が曾谷入道殿に「方便品の長行を書きましたよ。先にお渡ししている自我偈と合わせて読経しなさい」と言われているだけのことである。ここに寿量品という文字がないから寿量品の長行を飛ばし読みしてもいいということでは決してあるまい。

現代と異なり勤行要典は無い時代であり、また簡単に経典を閲覧できるような時代ではなかったのである。従って大聖人は方便品の長行を曾谷入道殿に書いて差し上げたということだ。

繰り返すが、

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」(月水御書)

上の御文が日蓮大聖人の勤行の化儀であることは誰の目から見ても明らかである。更に付け加えれば、日蓮大聖人の仏法に於いては、どこまで行っても正行は南無妙法蓮華経の唱題にあり、読経は助行である。

以上

【序章・日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


「読後の評価をお送りください」

はじめに
理境坊所属の法華講である妙観講では、本年(平成二十九年)の夏季合宿において、日蓮大聖人御生誕の地である千葉県下の日蓮宗寺院の実態について、研究発表を行なうことになりました。

そして、千葉県を担当する妙観講・第五支部の有志が、訪問及び電話により、県下の全日蓮宗寺院に調査を実施したのです。

その結果、日蓮宗では本尊が雑乱しており、釈尊像、日蓮大聖人像、曼荼羅(宗祖御真筆のコピー、住職が勝手に書いたもの等)、鬼子母神、稲荷等、まさに何でもあり、という状態であることが確認されました。

中には「恥ずかしい話だが、自分は本尊に迷っている」という僧侶もいて、まさに「諸宗は本尊にまどえり」(御書五五四頁)という状態そのものでした。

他宗に対する考え方についても、「他の宗教と併せて信仰しても構わない」「神棚を祀ってもいいし、キリスト教、イスラム教等も、その人の生き方だから構わない」という寺院がほとんどで、謗法厳戒の精神など欠片もない(宗教的信念が全くない)ことがわかりました。

また、「御題目を唱えても悩みなんか解決しないよ」「おまじないじゃないんだから」「御題目を唱えても病気は治らない。治したいなら病院に行きなさい」等、自宗に力がないことを語る僧侶が多かったのにも、驚きました。

そして、この調査結果は、九月十日の合宿において発表され、大いに参加者の刺激となったのです。

さて、この時の調査の過程で、日蓮宗清澄寺を訪問した田畑幸男氏らは、そこにいた僧侶二名と話をしました。そのうちの一人、荻野氏は自宗の本尊の誤りを率直に認め、以来、田畑氏とのやり取りが始まったのです。
ところが、田畑氏が何度も清澄寺に連絡するうちに、他の僧侶達もさすがに「まずい」と思ったのか、荻野氏を電話口に出さなくなり、そのまま連絡を遮断してしまったのです。

その後、田畑氏の携帯電話に清澄寺から連絡があり、「今後は鎌倉の薬王寺が対応します」と、突然、鎌倉市にある薬王寺に振られてしまいました。

こうして、薬王寺住職の大埜慈誠氏が登場してきたのですが、大埜氏は、自信満々で法論を挑んできました。

そして、「私は過去に、法華講員、妙観講員、顕正会員など富士系の信徒千二百名と会ってきましたが、最初の段階で、この二つの問いに、しっかりとお答えを頂いたことがありません」といって、戒壇の大御本尊に対する二つの疑難を一方的に送ってきたのです。

田畑氏サイドでは、せっかくの機会なので、薬王寺対妙観講の正式法論として実行できればベストと考え、講中内部で調整に入りました。

するとその直後、大埜氏は「個人で法論する」とか、「やはり法人で法論する」とか、思いつくたびに、矢継ぎ早にメール送信してきました。

結局、大埜氏は「あなたが負けた場合は、在家の身ですので、仕事まで失うリスクを負わないわけですよね?そんなあなたが私に『寺を背負え』というのはフェアじゃありません」と、出家の本義も忘れ、住職を職業と考えていることを吐露したのです。

これには大いに呆れましたが、この大埜氏の要望を田畑氏側が受け容れ、法論はあくまでも個人対個人で行なうものとし、大埜氏と田畑氏との間でメールを交換する形で進めることになりました。

また、この際、大埜氏が思い付くまま何通ものメールを送ってくる傾向が見られたため、法論の取り決めとして、互いに一日一回までの送信にする、というルールを決めました。

かくして、法華講員VS日蓮宗住職のWeb法論が始まったのです。
内容は、後に載せるメールを読んでいただけたらわかると思いますが、互いに五回のやり取りを繰り返す中で、完全に膠着状態に陥りました。

大埜氏は、いくら破折されても絶対に自らの主張の誤りを認めません。それは教義上の解釈どころか、明らかな文献の取り違え、日本語の誤読、さらには偽書を御書と偽ったこと等々についても、絶対に自らの誤りを認めようとしないのです。

そればかりか、それを逆手に取って、日蓮正宗の御先師上人方を揶揄し、誹謗し続けるのです。そして同時に、関連質問と称して、次々に新しい疑難を持ち出し、論点を拡げていくといった、不誠実・不正直な態度に終始しました。

ここまでくると、もはや、まともな法論という次元ではありません。この人は、本尊雑乱の果報によって頭破七分しており、これ以上やり取りを継続しても無意味であろう、と判断せざるを得なくました。

そこで、この膠着状態を打開して、大埜氏に反省を促すために、双方のメールのやり取りの全文を公開し、一般の方々からの判断もいただこう、ということになった次第です。

以上、ここに至った背景と事情について、申し述べました。皆様には、次ページから始まる法論の記録をお読みいただき、その評価・感想をお送りくださいますよう、お願い申し上げます。

絶対に入ってはいけない宗教ー創価学会ー

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【撰時抄】羅什三蔵の舌焼けず。日蓮大聖人の御生骨(御肉牙)に関する邪難を粉砕する

「総じて月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人々も誤らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に誤多き上、誑惑の心顕り。
疑つて云はく、何をもつて知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土・日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん。答えて云はく、此の事は余が第一の秘事なり。委細には向って問ふべし。但しすこし申すべし。
羅什三蔵の云はく、我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕すべき。但し一の大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼けるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。
上一人より下万民にいたるまで願じて云はく、願くは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給う後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生(お)ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。
さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり候ひしか。
疑って云はく、羅什已前はしかるべし。已後の善無畏・不空等は如何。答えて云はく、已後なりとも訳者の舌の焼けるをば誤りあリけりとしるべし。されば日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。
涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我が仏法は月支より他国へわたらんの時、多くの謬誤(みょうご)出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候。されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り何ぞ聖旨に関(かかはらん」とこそあそばされて候へ。
今の人々いかに経のまゝに後世をねがうとも、あやまれる経々のままにねがはば得道もあるべからず。しかればとて仏の御とがにはあらじとかゝれて候。仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをく、これこそ第一の大事にては候らめ」
==========================
【御生骨に関する参考資料】
第三十七世日琫(にっぽう・王扁に奉)上人様は御生骨説法として

「御生骨、是れは御肉づきの御歯とも云い、宗祖大聖人より当山の開基日興上人へ一期の弘法残る処なく御付嘱これあり、血脈付法の証拠として、御歯に少し肉の付きたるをぬきて賜わりしなり。それより御肉次第に増え、五百年来の事ゆえ、此の頃にてはあらまし御肉と成り、御歯は少し見ゆるなり。金言に云く、広宣 流布の時光明を放つべしとなり。信心の人々拝見の上、疑いを晴らし信心を増すべし。但し代替りの虫払でなかれば開帳なし」(御法蔵御説法本)

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創価学会、顕正会、正信会からの脱会の御相談に応じます。
気楽にご相談ください。
090-9626-7585 黒川(実名です。非通知電話には応じません)

創価学会は既に某身延系寺院から大聖人の真筆本尊の版権を買ったそうだ!

その理由は学会の現在のニセ本尊には「奉書写之」(之を書写し奉る)の文字が入っているからである。この「奉書写之」がある限り本門戒壇の大御本尊から完全に離れることが出来ない。従って「奉書写之」の無い邪宗身延系から本尊の版権を購入したということである。いずれ、「日蓮大菩薩」となることは想像できる。

脱会相談に応じます。気楽にお電話ください。(^_-)
090-9626-7585 黒川(大阪在住)

【でっち上げの記事を書いておった、離脱僧 宮川雄法、創価離脱 笑 笑】


かつて日顕上人がステテコ姿で御本尊を書いていたと嘘ぶいていた、山口県・大栄寺の元住職・宮川雄法は、創価の待遇に不満を募らせ、とうとう爆発して離反し(又は追放されて)、今では保田妙本寺の能化に成っているということです。
ま、保田妙本寺も大変ですナ!・・・信徒も坊主もカスのオン・パレードです。

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