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【シリーズ⑥日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】

【メール六・法華講員からの破折】(平成二十九年九月二十四日送信) 
前略 
貴職の本性が丸出しになったような返信を拝見しました。 
何度も忠告申し上げているように、もっと心を落ち着かせて、熟慮して文を書かれた方がよいと思いますよ。 
まず、貴職は私の所論を「揚げ足取りばかりで答えになっていない」などと言っていますが、答えになっているか、いないかは、回を重ねる毎に明らかになっていると存じますし、貴職の独善的な思い込みの強さによって議論が噛み合わなくなっていることや、貴職が勝他の念から頑として自らの誤りを認めまいとしていること等が、客観的に明らかになっている、と確信します。 
個人対個人とはいえ、正式な法論であり、メールの文章を証拠として残している以上、いずれ、この内容は公の目に触れるでしょうから、自ずと審判は下ります。それをお互い楽しみに、法論を続けましょう。 
①最初に、法論の出発点となった「有師物語聴聞抄佳跡上」に関して、私が、これは日有上人の所談と、それに関する日因上人の注釈をまとめた書であり、貴職はその日因上人の注釈部分を日有上人のものと見誤っている、と指摘したことに対し、貴職はあくまでも、
「富士宗学要集目次 は『日有上人談 日因上人記  有師物語聴聞抄佳跡 上』こうなってませんか?これを有師の言としてきたのはだれであろう大石寺ですよ」 
「揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない」 
「私はこの書を見た時から、『日有の名を借りた、日因の創作書』だと思っていましたよ」 
などという妄説を主張しています。 
そこで、まず、文献の理解すらできなければ法論など進められませんから、その趣旨において、この文献についての位置付けをはっきりさせておきましょう。 
以下、日本語の理解に乏しい貴職のために、明らかな事実を示して、貴職の主張が誤っていることを証明します。 
「有師物語聴聞抄佳跡上」の文中、「本書に曰く」「日有上人の仰せに曰く」以下の文章ですが、これは、日有上人所談の聞書「御物語聴聞抄」からの引用であります。 
そして、その「御物語聴聞抄」の一節一節について日因上人が注釈を加えられたのが「有師物語聴聞抄佳跡上」なのです(ゆえに富士宗学要集の目次では、「有師物語聴聞抄佳跡上」の中に、日有上人談の部分と、日因上人記の部分があることを、併記して示しているのです)。 
ですから、もとより大石寺では「これ(有師物語聴聞抄佳跡上の注釈部分)を有師の言」だなどとしてはいません。 
また「私はこの書を見た時から、『日有の名を借りた、日因の創作書』だと思っていましたよ」などという貴職の主張も、邪心から出てくる妄想であります。 
ここまで説明すれば、わかりましたか?まず日有上人談「御物語聴聞抄」という書があり、それに日因上人が注釈を記された「有師物語聴聞抄佳跡上」があるのであり、これは理解の相違ではなく、厳然たる事実です。 
しかるに貴職は、「御物語聴聞抄」と「有師物語聴聞抄佳跡上」とがあることも知らず、日因上人の記述を日有上人のものであるかのように言ったり(これは前回指摘しましたね)、日有上人の所談をも日因上人が創作したかのごとく決めつける、という混乱を生じ、その上から謗言を恣にしているのです。 
こんな出鱈目な理解では(貴職は文献学云々と言っていますが)、貴職の主張は支離滅裂となり、まともな法論など進められようはずがありませんので、労を厭わず貴職の誤りを指摘した次第です。 
率直に自身の誤りを認めたらいかがですか。 
重ねて言いますが、貴職は文献の内容についての読解力が大きく欠如しています。その自覚もなく、強気で出鱈目な解釈を加えてこられますが、こんなレベルで法論をしようとは百年早い、というものです。 
②次に私が、貴職の 
「これが戒壇の大本尊の初出ですから、日蓮聖人の書にはおろか、日興さんも日目さんも、そこから八世まではどこにも出てこないわけですね。戒壇の大本尊ほどのもののことが。九世(日有上人)になって突然出てきたかと思えば、その日付が違っていると。これをどう思われますか」 
との言葉を挙げて、 
「この文のどこをどう読めば、日因上人の説だと思っていた、などと読めるのですか?少なくとも、戒壇大御本尊に触れた当該箇所について、貴職は、明確に日有上人のものとして批判をしているではないですか」 
と糾弾したことに対し、 
「揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない」 
などと逃げを打ってしまわれました。 
この言からすれば、貴職が戒壇大御本尊についての初出を日有上人談であると書いたのは、貴職の日本語能力が足らなかったに過ぎない、これをまともに取り上げて批判してくるのは揚げ足取りだ、そこを攻めるのは止めてほしい、ということですね。 
よくわかりました。 
でも自分の表現の間違いを、相手側に転嫁するのは、やめてくださいね。何か「言うだけ番長」みたいで、正直さが感じられませんから。こういう姿勢は、世の中の青少年にも、良い影響を与えないと思いますよ。 
③次に貴職は、私が、戒壇大御本尊の日付は前代の日寛上人も明らかに「十月十二日」と述べられており、これは宗内で広知の事実だった、したがって後代の日因上人が「十月十三日」と記されたのは臨時の御失錯と考える他ない、と述べたことについて、 
「三十一世だろうと、戒壇本尊を相承された唯受一人血脈者が、相承を受けた十七年後の書物で、宗祖の命日と戒壇本尊の造立年月日を書き間違えたと。あなたはそれで納得なのですね? 
あなたがそれで納得しているならばそれでいいのではないでしょうか。 
血脈相承が聞いてあきれますが」 
などと言ってこられました。 
これだから貴職は真面目な学究者ではない、というのです。 
そもそも貴職が私に問うたのは、戒壇大御本尊の日付が初出から不確かではないか、との疑難でしたよね? 
私が、その疑難は当たらない、その以前から「十月十二日」は宗内で広知だったからだ、と明らかにしたところ、それに対する貴職の答えが、日因上人への揶揄誹謗というわけですか。 
呆れて物が言えません。 
このことからも、貴職は、表面上は偏りのないフリをしながら、内心は大石寺に対する勝他の念と怨嫉で固まっていることが、よくわかります。 
いずれにせよ、本宗では、血脈相承を尊びますが、それは法主上人の凡身の無謬論ではありませんので、いくら貴職が揶揄したところで、当方の教義信条が揺らぐわけではなく、ただ貴職の命が濁り、悪業が刻まれるだけのことであります。 
④このことに関連して、貴職は 
「それで最初の質問です。戒壇本尊初出はなんという書物で、誰の著作ですか? 
これは前にも聞いてます」 
と、更なる質問をしてきています。 
質問は、当初の疑難が決着してからにしてください。さもないと、話題がどんどん拡散して、明確な結論が出なくなってしまいます。 
「これは前にも聞いてます」とも言っていますが、貴職がこの問いを出してきたのは途中からであり、当初の疑難の中には含まれていません(最初のメールを見直してご覧なさい)。 
いずれにしても、一つずつ回答し、決着を付けていきますから、慌てなさるな。次下の 
「で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? 」 
との問いにも、順を追って回答してあげますから、慌てずお待ちなさい。ただ、一つだけ言っておけば、戒壇大御本尊については、上古の時代から随所で触れられておりますが、貴職の勉強不足か、あるいは目が曇っているために、それらが見えないだけのことです。
⑤また貴職は、私が 
「どこからどう読んでも、『二千二百二十余年』とある御本尊と『三十余年』とある御本尊の対比ではないですか。 頭は大丈夫ですか? 」 
と述べたことに対し、 
「『図し給ふ御本尊に』をどう読んでるんですか?それこそ頭は大丈夫ですか?『そう書かれている本尊』以外の読み方があるのですか? 
『二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな』と、『日本語』で書いてるのが読めませんか? 
二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、『二千二百三十余年と書いてある』本尊に背くなと、どうしてなっているのかを聞いているのです」 
などと述べていますが、もはや貴職が何をもって反駁としているのか、意味不明です。全く議論が噛み合っていません。 
この箇所については、重ねて説明などしても無駄でしょうから、当方の文をよく読み直してから改めて反駁してください。 
⑥また、これに続けて貴職は、私が「本宗では、『二千二百二十余年』と『二千二百三十余年』のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している」と述べたことに対し、 
「え?あなたの文意では、別に『本門戒壇の大御本尊』でなくてもいいということになりますよ? 
歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか? 」 
「ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、『信仰の対象として認める』ということでよろしいですね? 」 
などと反駁されています。 
法論において、相手の論点を批判しようというときは、もう少し相手の教義を調べてからにした方がよいのではありませんか? 
貴職の主張は全くの的外れであり、反駁にも値しませんが、かといって放置すれば、どうせ貴職のことですから「反論に詰まって逃避した」と言うに決まっています。 
ゆえに、煩わしいことですが、本宗の教義信条の一端を教えておきます。 
本宗では、仏滅讃文が「二千二百二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂と拝しています。そして、その全ての御本尊の中心・本体にあたるのが、広宣流布の暁に本門戒壇に安置される弘安二年の大御本尊である、と拝しているのです(それは、本門戒壇は一閻浮提の衆生の参詣すべき道場ですから、そこに安置される御本尊は総体、それに対し、個々の信受する御本尊は別体にあたるからです)。 
しかして、この中心・総体の大御本尊から離れ背く人々は、いかに別体の御本尊を拝んだとしても、木の幹から切り離された枝に養分が行かないように、大御本尊からの血脈が切れ、何の功徳もないのです(現に、貴職の属する日蓮宗の寺々の僧侶方も、自分の宗旨には功徳などないと認めていましたよ)。 
また、総体の大御本尊に背く人々が、いかに宗祖の顕わされた曼荼羅本尊を護持していたとしても、そこには別体の意義が具わりませんから、我々はそこで礼拝したりしないのです。 
したがって、宗祖の顕わされた仏滅讃文が「二十余年」の御本尊も「三十余年」の御本尊も、いずれも宗祖大聖人の御魂ですが、総体の本門戒壇大御本尊から離れた曼荼羅は、信仰の対象とはできない、というのが本宗の教義信条であります。 
これだけ説明すれば、貴職の批判が全くの的外れであったことがわかりますよね。 
⑦次に、貴職が日達上人の所論を挙げて、 
「いったいどうなっているのですか? 細井さんに至っては、二十余年までも否定されている。 開帳できる貴殿は、ご覧になられた時にどう書いてありましたか?是非教えてください」 
などと述べたことについて、私は、それは貴職の読み間違えであり、日達上人は二千二百二十余年を否定したのではなく、讚文の位置が「下方の部ではない」と言われたのだ、ということを明らかにしました。 
すると、驚いたことに貴職は、 
「またすごいことを言いだしますね。 
では、どこに書かれているのですか? 写真を見た限り、主題の経の旁の下、宗祖花押の上、つまり下部に見えますが、どこの部に記されているのですか? 
まさか、下部ではなく、右下部であるとでも言いたいのですか? 
それを言う為に細井さんはあのようなコメントで批判したとか言うつもりではありませんよね? 」 
などと言い返してきました。 
大御本尊の下部には別な示し書がありますので、その上の花押の、更に上を「下部」とは言いませんよ。 
しかも、貴職が言いたかったのは、日達上人が二千二百二十余年を否定した、というのでしょう? 
それが貴職の読み間違えだった、ということを明らかにしたのですから、素直に認めたらいかがですか。 
こういうところにも、絶対に自らの誤りを認められない、貴職の見苦しさが現わわれています。 
ついでに言っておけば、大御本尊の仏滅讃文が二千二百二十余年であることは、本宗内では広知の事実であり、何も私が特別に見て知っているわけではありません(笑)。 
⑧次に、私は、日道上人の「御伝土代」の一節を論ずるのに「原殿御返事」を引いて日興上人の本尊観へと論点をずらしてはいけない、と述べておきましたが、それについて貴職は 
「何を言っているのでしょうか? 御伝土代のあの一説は、『日興上人御伝草案』ですよ?それをあなたが、あの一説を、『釈尊像を崇めることを批判されたもの』と言ったのでしょう? 
日興上人の書物をもって論証するのは当たり前でしょうに」 
などと弁明しています。 
しかし、この「御伝土代」が日興上人御伝の箇所であるにせよ、そこで述べられているのは、観心本尊抄の文意などを挙げられて、日道上人の立場から本尊観を示されたものです。 
その日道上人の述べられた文意について(といっても、文意を正しく理解できていないのですが)、貴職が疑難を投げかけてきたのですから、私は、あくまでも議論の土俵は、日道上人の文意についてでなくては、議論が拡散して収拾がつかなくなる、と言っているのです。 
こんな簡単な道理がわかりませんか? 本当にわからないのだとしたら、貴職はすでに頭破七分して意根が破壊されており、まともな議論などできなくなっている、としか言いようがありません。 
⑨最後に重ねて言いますが、まずは、最初のメールで貴職が提示した二つの疑難について決着させましょう。それが決着しないうちに、さらに論点を拡大させたり逸らせるような疑難をいくら出してきても、それには乗りませんよ。 
最初の二つについて決着させてから、当然、次は当方からの質問にお答えいただき、さらに貴職から出ている追加の疑難に私が答える、という進め方でなくては、公平な法論とは呼べないでしょう。それは誰が聞いてもわかりますよね。 
いずれにしても、これから法論を進めていく過程で、貴職が途中で持ち出してこられた日興上人の本尊観、「七箇之相承」中の讚文の事、熱原法難に関連する諸々、全て答えてあげますから、「逃げた」などと、とんでもない勘違いはしないことです。 
よろしいですか。 
以上、始めた法論はとことん行ないますので、急がなくても結構ですから、誠意ある返答をしてください。

【シリーズ⑤日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


【メール五・日蓮宗僧侶からの弁駁】(平成二十九年九月二十一日受信)
返信拝見しました。
携帯電話で長文では見にくいと思っての三通にしましたが、長文であろうとも一回で送ることとしましょう。
それにしても、揚げ足とりばかりで答えになってないのですが。
戒壇本尊が宗祖作である証拠があればこんな議論もいらないのですが、それがない。
それに加え、歴史上疑義に対する根拠ある反論もできずにきてしまった。
最後は苦しい言い逃れをするしかなくなる。本当に残念なことです。
宗祖と日興上人のお気持ちはいかばかりか。 
適当な揚げ足取りに終始されてしまっては、私も時間がもったいないので、明確な質問を数字を挙げて記しますので、それにお答えください。
①②③こんな揚げ足取りしてどんな意味があるのでしょうか。
富士宗学要集目次 
「日有上人談 日因上人記  有師物語聴聞抄佳跡 上」 
こうなってませんか?これを有師の言としてきたのはだれであろう大石寺ですよ。
そうなってはいながら、日因さんは最初に「おそらく」と書きはじめるわけでしょう?
だから私は「この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね?」と言ったじゃありませんか。
揚げ足とるのやめましょうよ。時間も機会ももったいない。 
私はこの書を見た時から、「日有の名を借りた、日因の創作書」だと思っていましたよ。
しかし、九世だろうと三十一世だろうと、唯受一人血脈相承などと言って、彼らの「書写曼荼羅」しか認めないほどの立場の者が、あんな重要箇所で間違えるという愚弄を問うているのですよ。
※質問一・・・それで最初の質問です。戒壇本尊初出はなんという書物で、誰の著作ですか? 
これは前にも聞いてます。
※質問二・・・で、その最古の書の執筆者の時代まで、宗祖はおろか日興上人も日目、日道もだれも戒壇本尊にふれていないのは何故ですか?なんとも思いませんか? 
これも前にも聞いてます。
だいたいからして、九世の間違いじゃなく、三十一世のミスだからいいのですか。
三十一世だろうと、戒壇本尊を相承された唯受一人血脈者が、相承を受けた十七年後の書物で、 宗祖の命日と戒壇本尊の造立年月日を書き間違えたと。あなたはそれで納得なのですね? 
あなたがそれで納得しているならばそれでいいのではないでしょうか。 
血脈相承が聞いてあきれますが。
④一信徒である貴殿が、血脈相承者のミスであったと認めた事実は確認しました。
⑤⑥>どこからどう読んでも、「二千二百二十余年」とある御本尊と「三十余年」とある御本尊の対比ではないですか。 
>頭は大丈夫ですか?
「図し給ふ御本尊に」をどう読んでるんですか?それこそ頭は大丈夫ですか?「そう書かれている本尊」以外の読み方があるのですか? 
「二千二百三十余年云々と書いてある本尊に背くな」と、「日本語」で書いてるのが読めませんか?
※質問三・・・二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、「二千二百三十余年と‘書いてある!」本尊に背くなと、どうしてなっているのかを聞いているのです。
もっと言えば、あなたの文意から言えば、戒壇本尊がすでに日道の時代にあったならば、 「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』ではなく、
※質問四・・・『本門戒壇の大御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』となるべきではないのですか? 
さらにあなたは 
>本宗では、「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝しており、「二十余年」と「三十余年」の御本尊が異なっているとは見ておりませんので 
え?あなたの文意では、別に「本門戒壇の大御本尊」でなくてもいいということになりますよ? 
歴史上、日蓮宗などが所持している宗祖曼荼羅さえ否定してきたのではないのですか?
※質問五・・・『「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」のいずれの仏滅讚文が示された御本尊も、皆、宗祖大聖人の御魂であると拝している』ということは、戒壇本尊以外の宗祖本尊(筆跡鑑定された百二十数遍)も、「信仰の対象として認める」ということでよろしいですね?
⑦>日達上人の仰せどおり、下方の部ではないところに「二千二百二十余年」とお認めですよ。「二十余年」についてではなく、その認められている位置について、なのです。 
またすごいことを言いだしますね。 
では、どこに書かれているのですか?
※質問六・・・写真を見た限り、主題の経の旁の下、宗祖花押の上、つまり下部に見えますが、どこの部に記されているのですか? 
まさか、下部ではなく、右下部であるとでも言いたいのですか? 
それを言う為に細井さんはあのようなコメントで批判したとか言うつもりではありませんよね? 
「下部ではなく右下部だ!」と? 
それにしても、貴殿はすごいお立場なのですね。 
大石寺をやめられたかなりの数の方々に伺いましたが、開帳は受けられるけど、近くまで行けないので小さな字までは読めなかったと誰もが口をそろえてました。 
貴殿は、二十と三十の区別がつくほどの位置まで行けるかたなのですね。 
色々ご教授頂けそうで、幸いです。
⑧原殿御返事を挙げて日興上人の本尊観にすり替えた? 
何を言っているのでしょうか? 
御伝土代のあの一説は、「日興上人御伝草案」ですよ? 
それをあなたが、あの一説を、「釈尊像を崇めることを批判されたもの」と言ったのでしょう? 
日興上人の書物をもって論証するのは当たり前でしょうに。 
「脇士のいない釈迦像」ではなく「『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊』への信をと書いてあると。 
しかし、同じ問ですが、二十余年とある戒壇本尊を相承されていながら、なぜ「二千二百三十余年と‘書いてある’!」本尊に背くなとなっているのかを聞いているのですよ。すべて日本語です。
⑨>ここで貴職が持ち出してきた、日興上人の本尊観や、後に出てくる「御本尊七箇之相承」における書写御本尊の讃文については、ここで決着させるべき貴職の二つの疑難から、また別な方向へ論点が逸れていくので、取り上げません。 
いえいえ、全て戒壇本尊に通じる内容ですので逃げずにお答えください。一日一通ですし。日興上人の本尊観は、当然「富士門」の戒壇本尊を論じる上でははずせないことですが、まあそれはおいおいとしましょうか。
質問七・・・本尊七箇相承の「三十余年」との矛盾について。
質問八・・・熱原法難の時の曼荼羅には「日興上人」と記されていることへの矛盾について
質問九・・・熱原法難と戒壇本尊がまったく無関係であることが分かる時系列の矛盾について。
質問十・・・一応伺うのですが、戒壇本尊を宗祖作とする証拠はお持ちですか?あるならば、それを出せば解決ではありませんかね。
以上、日因さんの「ミス」については、あなたがそれで納得しているということで理解しました。
大石寺の見解でないことも分かりました、一信徒であるあなたが、血脈相承者のミスであるということですね。了解です。
大石寺がしっかりとそれに対する見解を歴史上示すべきですよね。辛いですね。
ではその他の質問についても、よろしくお願い致します。揚げ足取りはやめましょうよ。せっかくの機会ですので。

【シリーズ③日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


【メール三・日蓮宗僧侶からの弁駁】(平成二十九年九月十九日受信)
ご返答ありがとうございます。

長くなるので、一日一度ではありますが、二回にわけてお送りします。ご了承ください。どうぞごゆっくり真実に向き合われてください。

クソ坊主!と罵詈雑言を浴びせて逃亡する過去の法論相手と違いますね。敬意を表します。まったくお答えになっていないので、反論ということになるのかどうかも分かりませんが。 確認なのですが、日蓮正宗は、唯受一人血脈相承として、連綿と大石寺住職にだけ相承される最たるものが戒壇本尊なのですよね?

つまり、大石寺住職は、日興上人依頼、連綿と戒壇本尊を相承され、秘蔵厳護してきた。大石寺のアナウンスはそれでいいのですよね?

では、

一、

「日因私に云く此の丁聞書誰人之を記するや未だ其の人を見聞せざるなり、然るに南条日住の聞記百二十一個有り之に准して之を思うに恐くは是南条日住の聞書なるべし或は亦日有上人の御直記なるか。」 ではじまるわけで、誰が書いたかも日因さん自身が分かっていないわけですから、「私の曰」と書かざるを得ないのでしょう。 私も日因さんのものだと思ってますよ、当然。

その日因さんは、その相承者でありながら、戒壇本尊の日付を間違えて書いたということですね? 
これは、大石寺の公式の見解ですか?初耳なので教えてください。

そして、その間違えた日付が、「十月十三日」、つまり宗祖の御命日と間違えたと? 
貴殿はそれで納得しているわけですね?そしてそれが、大石寺の公式見解なのですね?

日因さんは、戒壇本尊を直に見ていた唯受一人相承者なのではないのですか?その方が、「宗祖の命日」と、「戒壇本尊造立日」を間違えたと、そういうことでいいのですね?

もう一度聞きますが、それが大石寺の公式見解なのですね?

日因が相承されたというのが一七四〇年、当該書執筆が一七五七年。江戸中期。 
それが単なる「日因上人の臨時の御失錯」とは、これが大石寺公式見解だとすると、血脈相承の真偽が問われますよ、当然ですが。 
しかも、「臨時の」の意味が分かりません。

では、この戒壇本尊が出てきた最古の書物はなんですか?宗祖も日興上人も、上代では誰もどこにも残されていない。では、最古は誰ですか? 
私の知り限り、西暦一五〇〇年以降ですよ。宗祖滅三百年というところでしょうか。 
こんなものを宗祖作と主張し、人を勧誘し、他を批判する無責任を私は問いたいです。

いつも、この指摘にもだんまりばかりの法華講員とは違い、返答頂いたことに敬意を表しますが、血脈相承者の「ミス」だと言われたのは貴殿が初めてです。

もう一度聞きますが、これは大石寺の公式見解なのですね? 
そして、こんな重大ミスを犯す人が間に介している血脈相承とやらを信じきって、人を勧誘し、他を批判するわけですか? 
あまりにも無責任だと思いますが。

二、

あまり私見で適当なことを言わない方がいいと思いますよ。

まず、 
>もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。

そんなことを言っているのではありません。 
誰が対比などしていると解釈しているのでしょうか? 
また確認しますが、日道さんも、血脈相承を受けた人で、戒壇本尊を相承されている人なのですよね? 
その方が、「二千二百二十余年」と書いている戒壇本尊がありながら、なぜ「三十余年」と書いてるという曼荼羅に背くなと言っているのかを問うているのです。 
二十がいいか三十かなど言っているのではありません。なぜ書いてる通りに書いていないのかを言っているのです。

現に、直にそれを拝したはずの日道さんは、なぜ戒壇本尊と違う内容の曼荼羅への信仰を求めているのかと言っているのです。

ちなみに、昭和期に私と同様の指摘をした安永弁哲氏に、細井日達さんは下記のように言ってます。

「安永君は板御本尊の下方の部 に 仏滅後二千二百二十余年 未曾有の大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な 出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。 一度も拝せずして世情の与太議論の書を半齧 りして根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる。」

いったいどうなっているのですか?

細井さんに至っては、二十余年までも否定されている。 
開帳できる貴殿は、ご覧になられた時にどう書いてありましたか?是非教えてください。 
>「一、脇士なき一体仏を崇めるは謗法の事」

これは、日興上人、原殿御返事など見れば、日興上人のご見解でしょう。

しかし、どう解釈したら
>「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

こんな歪曲解釈になるのでしょう?

日興上人、原殿御返事
「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候・・・・・御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし」
簡単に記しましょう。
「脇士のいる立派な仏像を造りなさい。それが叶うまでは、宗祖の曼荼羅を安置しなさい」と。

どこをどう解釈して「「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」が「釈尊像を崇めることを批判」となるのですか?

後世、日興上人は、脇士ありの仏像肯定から曼荼羅正意にかわります。しかし、それでも、釈尊否定の書はありません。あるならば提示されてください。むしろ賛美です。

言い換えるならば、「脇士なしの釈迦像」を否定しますが、「脇士ありの釋尊像」を否定している書はありません。むしろ肯定です。
富士一跡門徒存知事でも、日興日順口授と言われる五人所破抄でもそうです。


あなたの主張は、宗祖、日興上人を貶める主張です。冷静に事実に向き合われてください。

古文とは言え、日本語です。二十余年と書いてる究極の戒壇本尊がありながら、三十余年と書かれているわけで、そう解釈したい気持ちも分かりますが、私は何度も言う通り、「戒壇本尊が宗祖作であることが証明されれば、すぐさま大石寺に入信」しますが、貴殿は別段やめないでもいいですから、もう少し冷静に、事実を探究されてください。
真実の日蓮聖人への信仰は持ってほしいと心から願うばかりです。

ごめんさない。
三つになってしまいました。

貴殿の解釈論では、多忙の貴殿の時間も大変でしょうから、もう一つ挙げておきます。

「御本尊七箇相承」
「仏滅度後と書く可しと云う事如何、師の曰く、仏滅度後二千二百三十余年の間、 一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるる儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり」 
「私が書いたままに書写しなさい」とある中に、これまた「二千二百三十余」とあります。この書の偽書説は、法論を進める中でどこかででるとは思いますが、当然この書は大石寺圏では重要書でありますよね? 
「私が書いているまま」書写しなさい。では、戒壇本尊はどう書いているのですかというのが、もう昭和期から言われてきた疑義です。 
どちらかが偽か、それとも両者か。少なくとも両者が真であることは、この事実からはあり得ません。

私が挙げている文章は、富士宗学要集からのものであり、「解釈論」うんぬんの内容ではありません。


さらに、貴殿の時間を考慮して、同じ三師御伝土代には、
「その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず・・・」
熱原法難の時に書かれた本尊には、「日興上人」と書かれたとあります。これまた戒壇本尊と矛盾します。

再確認ですが、戒壇本尊は、熱原法難の法華講三人の斬首が契機というのが大石寺のアナウンスですよね?
それがつまり、上記の「その時に、大聖人御感有て・・・」のその時ですよね?
熱原法難で法華講の人が斬首されたのが十月十五日、その方が宗祖に届いたのが十七日。これは富士年表で明確です。
つまり、熱原法難と戒壇本尊はまったく無関係です。当然ご存知ですよね?

こうした「事実」を受け止めてしまえば、「それは謗法だ」などと扇動されて、そうした冷静な判断さえ奪われてきてしまっていませんか?

あなたの解釈はおいといて、貴殿はいたって真面目な探究者であろうと拝察しております。
なんども言いますが、私が挙げているのは解釈論で語る内容ではありません。書かれている「事実」です。

>この文意は、心静かに本文を読めば、誰にでも理解できるでありましょう。

まさに、貴殿の云われる通りであります。誰にでも「矛盾」として理解できるのではありませんか?

シリーズ②日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!

前略
貴職が投げかけてこられた、戒壇の大御本尊についての二つの疑難に答えます。

①まず貴職の読み間違えから正しておきます。

「有師物語聴聞抄佳跡 上」は、大石寺第九世日有上人の述べられた本文に、第三十一世日因上人が自らの釈を書き加えられたもの(日因私に云く、と断わった上で書付をなさったもの)であり、貴職の引かれた文は、まさに、その日因上人が「私に云く」として書かれた部分です。
つまり、これは日有上人の述べられた文ではなく、三十一世日因上人が書かれた文であり、貴職は明らかに読み間違えをされています。

次に、貴職が騒いでおられる戒壇の大御本尊建立の日付が「十月十三日」になっている、という件ですが、結論を申し上げれば、これは日因上人の臨時の御失錯でありましょう。
すなわち、戒壇の大御本尊建立の日付については、第二十六世日寛上人の「観心本尊抄文段上」等にも
「弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕して」
と示されているとおり、弘安二年十月十二日であることが、すでに大石寺門流では広知の事実でした。
それを、ずっと後代の日因上人の御筆記に「十月十三日」と書かれている、ということは、凡身であるが故の、臨時の御失錯による書き間違いに他なりません。

かかる写し間違い、単純な記憶違い等は、時に宗祖大聖人の御抄にも拝せられるところであり、これについては門家として冷静に斟酌し、特に問題にすべきことでないのは当然です。

以上、日因上人のお書きになった文を日有上人のものと読み間違え、戒壇本尊の初出の建立日付からして矛盾がある、などと決めつけた貴職の疑難は、まことに迂闊で恥ずべきものと思いますが、いかがですか。

いずれにしても、貴職の投げかけられた第一の疑難は、貴職の誤りであったことが誰の目にも明らかです。
それを確認した上で、次に進むことにします。

②第二の疑難については、ひとえに貴職の解釈が誤っています。

貴職の引かれた第四世日道上人の「御伝土代」に
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」
とある文は、もとより「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の御本尊を対比して「二千二百三十余年」の御本尊を簡ぶ、という文意ではありません。
貴職も御承知のとおり、宗祖大聖人御図顕の曼荼羅御本尊の仏滅讚文には「二千二百二十余年」と「二千二百三十余年」の両様がありますが、そのうちの「二千二百三十余年」の御本尊を取って「二千二百二十余年」の御本尊を捨てる(本尊として崇めない)、などという義が、本宗には片鱗すらないことからも、明らかです。

この「御伝土代」の文は、すでに、その項目の表題に
「一、脇士なき一体仏を崇めるは謗法の事」
とあることからも明らかなように、「釈尊像を本尊として崇め、正像二千年間に未曾有(すなわち末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊に背けば、無間地獄に堕ちる」との趣旨で、釈尊像を崇めることを批判されたものに他なりません。

そのことは、表題のみならず、本文の前後を読んでみても明らかです。すなわち、小乗の釈迦・権大乗および迹門の釈迦・本門の釈迦といった、正像二千年間に立てられた本尊を挙げて、本尊にも階級があることを示し、脇士なき一体の釈迦はその中でも最も低下の釈迦であること、そして末法においては、正像二千年に未曾有の曼荼羅御本尊のみが崇める対象となることを示されています。

つまり、ここで「二千二百三十余年に未曾有」と言われた文意は、あくまでも「正像二千年間に未曾有(末法に初めて出現)の曼荼羅御本尊」という意味であって、それ以外の意味は全くありません。

この文意は、心静かに本文を読めば、誰にでも理解できるでありましょう。

したがって、この文を挙げて「日道上人が、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになり、矛盾している」などという貴職の解釈は、早とちりで文意を見誤ったか、邪心による曲解であります。

以上、貴職の上げた二つの疑難が、いずれも初歩的な誤りを犯していることを指摘しました。

率直に誤りを認められるもよし、反論をされるもよし、いずれにしても、この二つに決着を付けた上で、今度はこちらから貴職の宗旨について質問させてください。

シリーズ①日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す! 

戒壇本尊への質問を、少しさせて頂いて、それにお答え頂くことが最優先だと思いますが、いかがでしょうか?そちらの根幹の問題ですので。
特に、富士門流の根幹、自称日蓮聖人作本門戒壇の大本尊については、冷静な研究が必要だろうと思います。

最初の質問です。

戒壇の大本尊に匹敵する根幹の質問、お待ちしております。貴殿も、是非まずはこの二つにお答えを頂ければ幸いです。

貴殿は、唯一無二の宗教を自認し、それゆえに他を非難し、人を勧誘するわけですから、当然、信仰の対象への指摘には誠意をもってお調べ頂けるものと期待しております。
一、 (有師物語聴聞抄佳跡上・・・富士宗学要集第一・二五一頁)の矛盾
  この世に初めて出て来たと、大石寺第三十一世日因言うところの「有師物語聴聞抄佳跡上」には『次に本門戒壇の御本尊の寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分・・・御首題御勧請皆金薄なり、仏滅後二千二百廿余年等と云々、御端書、右為現当二世造立件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白、法華講衆等、弘安二年 十月十三日 云々』
とあります。

もちろん、この書も三十一世になって突然出てきたので、文献学では日有の書かも疑義がだされてきたものですが、大石寺では、これが初出とするわけですね。
本門戒壇の大御本尊にある日付は、「 十月十二日 」です。
この矛盾をどう思われますか?

当然これが戒壇の大本尊の初出ですから、日蓮聖人の書にはおろか、日興さんも日目さんも、そこから八世まではどこにも出てこないわけですね、戒壇の大本尊ほどのもののこと
九世になって突然出てきたかと思えば、その日付が違っていると。
これをどう思われますか?

二、(三師御伝土代・・・富士宗学要集第五・一二頁)との矛盾 。
  大石寺三世日道の三師御伝土代には、
  『仏滅後 二千二百三十余年 が間、一閻浮提の内、未曽有の大曼荼羅
なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云々』とあります。
本門戒壇の大御本尊には、「 二千二百二十余年 」とあります。

日道は、当然本門戒壇の大御本尊を相承された唯受一人血脈相承の人であり、戒壇本尊を相承されていながら、別の曼荼羅への信仰を求めていることになります。
この矛盾はどう思われますか?

私は過去に、法華講員、妙観講員、顕正会員など富士系の信徒一二〇〇名と会ってきましたが、最初の段階でのこの二つの問に、しっかりとお答えを頂いたことがありません。
指摘事項はまだまだ大量にあります。
是非ともご見解を頂ければ幸いです。
皆さん最後には答えず逃亡してしまうのですが、その時の逃げ口実は「信じればいいんだ!」です。

その程度なら他を非難し、人を勧誘する権利を有さないと存じます。
誠意あるご対応を切にお願い申し上げます。

再 拝
 日蓮宗 鎌倉 薬王寺 住職
 全日本青少年育成協会長 理事長
 大埜 慈誠 拝

創価学会の簡単勤行では成仏は出来ないですよ!

当方がこの動画をアップし「創価学会の簡単勤行では成仏は出来ないですよ!」と破折し、また御書を示したのが相当頭に来たのであろう。

月水御書

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」

https://youtu.be/7FHLRfmBnjw

すると、創価莫迦曰く、

【『方便品の長行』とは!日蓮正宗の勤行要典に『方便品の長行』があるのか!】と抜かしよったではないか。 爆笑

この人物は長行とは【長】の字がついていることから、十如是の後に続くあの長~い残りの経文のことだと錯覚したようである。これは長行ではなく「世雄偈」というのであり、日蓮正宗ではこれは読経しないのである。創価学会もそうであろう!呆

日蓮正宗の勤行の化儀では方便品の長行とは「爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。」から「諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。」までを長行とするのである。

それとも創価学会ではあの長~い世雄偈も朝夕読経しているんかの~? 笑

すると今度はこう言い出したのである。何としても今の寿量品の長行なしのサボリ勤行を正当化したい意図らしい。

莫迦曰く、

「方便品の長行書進せ候、先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし」(曽谷入道殿御返事)

この文に寿量品と無いことからサボリ勤行を正当化したいらしい。

しかし、この御書は大聖人が曾谷入道殿に「方便品の長行を書きましたよ。先にお渡ししている自我偈と合わせて読経しなさい」と言われているだけのことである。ここに寿量品という文字がないから寿量品の長行を飛ばし読みしてもいいということでは決してあるまい。

現代と異なり勤行要典は無い時代であり、また簡単に経典を閲覧できるような時代ではなかったのである。従って大聖人は方便品の長行を曾谷入道殿に書いて差し上げたということだ。

繰り返すが、

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ」(月水御書)

上の御文が日蓮大聖人の勤行の化儀であることは誰の目から見ても明らかである。更に付け加えれば、日蓮大聖人の仏法に於いては、どこまで行っても正行は南無妙法蓮華経の唱題にあり、読経は助行である。

以上

【序章・日蓮宗鎌倉薬王寺住職・大埜慈誠の邪義を破す!】


「読後の評価をお送りください」

はじめに
理境坊所属の法華講である妙観講では、本年(平成二十九年)の夏季合宿において、日蓮大聖人御生誕の地である千葉県下の日蓮宗寺院の実態について、研究発表を行なうことになりました。

そして、千葉県を担当する妙観講・第五支部の有志が、訪問及び電話により、県下の全日蓮宗寺院に調査を実施したのです。

その結果、日蓮宗では本尊が雑乱しており、釈尊像、日蓮大聖人像、曼荼羅(宗祖御真筆のコピー、住職が勝手に書いたもの等)、鬼子母神、稲荷等、まさに何でもあり、という状態であることが確認されました。

中には「恥ずかしい話だが、自分は本尊に迷っている」という僧侶もいて、まさに「諸宗は本尊にまどえり」(御書五五四頁)という状態そのものでした。

他宗に対する考え方についても、「他の宗教と併せて信仰しても構わない」「神棚を祀ってもいいし、キリスト教、イスラム教等も、その人の生き方だから構わない」という寺院がほとんどで、謗法厳戒の精神など欠片もない(宗教的信念が全くない)ことがわかりました。

また、「御題目を唱えても悩みなんか解決しないよ」「おまじないじゃないんだから」「御題目を唱えても病気は治らない。治したいなら病院に行きなさい」等、自宗に力がないことを語る僧侶が多かったのにも、驚きました。

そして、この調査結果は、九月十日の合宿において発表され、大いに参加者の刺激となったのです。

さて、この時の調査の過程で、日蓮宗清澄寺を訪問した田畑幸男氏らは、そこにいた僧侶二名と話をしました。そのうちの一人、荻野氏は自宗の本尊の誤りを率直に認め、以来、田畑氏とのやり取りが始まったのです。
ところが、田畑氏が何度も清澄寺に連絡するうちに、他の僧侶達もさすがに「まずい」と思ったのか、荻野氏を電話口に出さなくなり、そのまま連絡を遮断してしまったのです。

その後、田畑氏の携帯電話に清澄寺から連絡があり、「今後は鎌倉の薬王寺が対応します」と、突然、鎌倉市にある薬王寺に振られてしまいました。

こうして、薬王寺住職の大埜慈誠氏が登場してきたのですが、大埜氏は、自信満々で法論を挑んできました。

そして、「私は過去に、法華講員、妙観講員、顕正会員など富士系の信徒千二百名と会ってきましたが、最初の段階で、この二つの問いに、しっかりとお答えを頂いたことがありません」といって、戒壇の大御本尊に対する二つの疑難を一方的に送ってきたのです。

田畑氏サイドでは、せっかくの機会なので、薬王寺対妙観講の正式法論として実行できればベストと考え、講中内部で調整に入りました。

するとその直後、大埜氏は「個人で法論する」とか、「やはり法人で法論する」とか、思いつくたびに、矢継ぎ早にメール送信してきました。

結局、大埜氏は「あなたが負けた場合は、在家の身ですので、仕事まで失うリスクを負わないわけですよね?そんなあなたが私に『寺を背負え』というのはフェアじゃありません」と、出家の本義も忘れ、住職を職業と考えていることを吐露したのです。

これには大いに呆れましたが、この大埜氏の要望を田畑氏側が受け容れ、法論はあくまでも個人対個人で行なうものとし、大埜氏と田畑氏との間でメールを交換する形で進めることになりました。

また、この際、大埜氏が思い付くまま何通ものメールを送ってくる傾向が見られたため、法論の取り決めとして、互いに一日一回までの送信にする、というルールを決めました。

かくして、法華講員VS日蓮宗住職のWeb法論が始まったのです。
内容は、後に載せるメールを読んでいただけたらわかると思いますが、互いに五回のやり取りを繰り返す中で、完全に膠着状態に陥りました。

大埜氏は、いくら破折されても絶対に自らの主張の誤りを認めません。それは教義上の解釈どころか、明らかな文献の取り違え、日本語の誤読、さらには偽書を御書と偽ったこと等々についても、絶対に自らの誤りを認めようとしないのです。

そればかりか、それを逆手に取って、日蓮正宗の御先師上人方を揶揄し、誹謗し続けるのです。そして同時に、関連質問と称して、次々に新しい疑難を持ち出し、論点を拡げていくといった、不誠実・不正直な態度に終始しました。

ここまでくると、もはや、まともな法論という次元ではありません。この人は、本尊雑乱の果報によって頭破七分しており、これ以上やり取りを継続しても無意味であろう、と判断せざるを得なくました。

そこで、この膠着状態を打開して、大埜氏に反省を促すために、双方のメールのやり取りの全文を公開し、一般の方々からの判断もいただこう、ということになった次第です。

以上、ここに至った背景と事情について、申し述べました。皆様には、次ページから始まる法論の記録をお読みいただき、その評価・感想をお送りくださいますよう、お願い申し上げます。

絶対に入ってはいけない宗教ー創価学会ー

大変な教団です。カルトです。
脱会の御相談に応じます。
当方、大阪在住です。気楽にお電話ください。
090-9626-7585

創価学会からの脱会の御相談に応じます。

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「創価学会はオカシイな?」「脱会したいな~」と思われる方の御相談に応じます。

当方は大阪市内住吉区在住。名前は黒川(実名)です。気楽のお電話ください。

090-9626-7585 非通知電話はお断りです。

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【撰時抄】羅什三蔵の舌焼けず。日蓮大聖人の御生骨(御肉牙)に関する邪難を粉砕する

「総じて月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人々も誤らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に誤多き上、誑惑の心顕り。
疑つて云はく、何をもつて知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土・日本にわたる一切の訳者を用いざるかいかん。答えて云はく、此の事は余が第一の秘事なり。委細には向って問ふべし。但しすこし申すべし。
羅什三蔵の云はく、我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕すべき。但し一の大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼けるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。
上一人より下万民にいたるまで願じて云はく、願くは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給う後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生(お)ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。
さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にやすやすとひろまり候ひしか。
疑って云はく、羅什已前はしかるべし。已後の善無畏・不空等は如何。答えて云はく、已後なりとも訳者の舌の焼けるをば誤りあリけりとしるべし。されば日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。
涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我が仏法は月支より他国へわたらんの時、多くの謬誤(みょうご)出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候。されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り何ぞ聖旨に関(かかはらん」とこそあそばされて候へ。
今の人々いかに経のまゝに後世をねがうとも、あやまれる経々のままにねがはば得道もあるべからず。しかればとて仏の御とがにはあらじとかゝれて候。仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてをく、これこそ第一の大事にては候らめ」
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【御生骨に関する参考資料】
第三十七世日琫(にっぽう・王扁に奉)上人様は御生骨説法として

「御生骨、是れは御肉づきの御歯とも云い、宗祖大聖人より当山の開基日興上人へ一期の弘法残る処なく御付嘱これあり、血脈付法の証拠として、御歯に少し肉の付きたるをぬきて賜わりしなり。それより御肉次第に増え、五百年来の事ゆえ、此の頃にてはあらまし御肉と成り、御歯は少し見ゆるなり。金言に云く、広宣 流布の時光明を放つべしとなり。信心の人々拝見の上、疑いを晴らし信心を増すべし。但し代替りの虫払でなかれば開帳なし」(御法蔵御説法本)

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創価学会、顕正会、正信会からの脱会の御相談に応じます。
気楽にご相談ください。
090-9626-7585 黒川(実名です。非通知電話には応じません)

創価学会は既に某身延系寺院から大聖人の真筆本尊の版権を買ったそうだ!

その理由は学会の現在のニセ本尊には「奉書写之」(之を書写し奉る)の文字が入っているからである。この「奉書写之」がある限り本門戒壇の大御本尊から完全に離れることが出来ない。従って「奉書写之」の無い邪宗身延系から本尊の版権を購入したということである。いずれ、「日蓮大菩薩」となることは想像できる。

脱会相談に応じます。気楽にお電話ください。(^_-)
090-9626-7585 黒川(大阪在住)

【でっち上げの記事を書いておった、離脱僧 宮川雄法、創価離脱 笑 笑】


かつて日顕上人がステテコ姿で御本尊を書いていたと嘘ぶいていた、山口県・大栄寺の元住職・宮川雄法は、創価の待遇に不満を募らせ、とうとう爆発して離反し(又は追放されて)、今では保田妙本寺の能化に成っているということです。
ま、保田妙本寺も大変ですナ!・・・信徒も坊主もカスのオン・パレードです。

第三十七世日琫上人・御生骨説法 御肉牙に関して

第三十七世日琫(にっぽう・王扁に奉)上人様は御生骨説法として

「御生骨、是れは御肉づきの御歯とも云い、宗祖大聖人より当山の開基日興上人へ一期の弘法残る処なく御付嘱これあり、血脈付法の証拠として、御歯に少し肉の付きたるをぬきて賜わりしなり。それより御肉次第に増え、五百年来の事ゆえ、此の頃にてはあらまし御肉と成り、御歯は少し見ゆるなり。金言に云く、広宣 流布の時光明を放つべしとなり。信心の人々拝見の上、疑いを晴らし信心を増すべし。但し代替りの虫払でなかれば開帳なし」(御法蔵御説法本)

守護国界主陀羅尼経(守護国界経)臨終の姿(無間地獄の死相)

阿闍世王が釈尊に質問をしたというのです。「仏様、あなたの言われるとおりなら、悪衆生は死後、地獄に堕ちるわけですが、どうして、それを知ることができるのでしょうか。誰か、見てきた人でもいるのでしょうか。また、死後に餓鬼界や畜生界に堕ちる、あるいは人界や天界の衆生として生ずる、ということを、どうして知ることができるのでしょうか。誰か、見てきた人がいるのでしょうか」と。

これは今日においても、世間の謗法の人々を折伏した時に、往々にして出る質問であります。「死んだ後のことなど、どうして分かるのか」「死んで帰ってきた人はいない、誰が見てきたのか」等という質問がそれです。

これに対し、釈尊は「よく聞きなさい。わかるように説明してあげるから」と言われて、臨終の相に差別があることを説かれています。

すなわち、「人が命を終えて地獄に堕ちた場合には、15種類の相が顕われる。餓鬼界には8種類、畜生界には5種類、人界・天界にはそれぞれ10種類の相がある。だから、臨終において、15種類の地獄の相が顕われたなら、その人は地獄に堕ちたのである」と仰せられたのです。

何故、このように臨終の相に違いが顕われるのか、といいますと、生と死の境である臨終は、一生の総決算であるとともに、死へのスタートです。それ故、臨終の相には、その人が生前、どういう生き方をしてきたのか、死後、その生命がどうなってしまうのか、ということが如実に顕われるのであります。

もし臨終において、皆、同じ相になって差別がなかったなら、死後に成仏や堕地獄という差別がある、といっても信じられないかもしれません。ところが、臨終の相には厳然たる違いがあって、正法を信仰して成仏した人は成仏の相、謗法を犯した人は地獄の相になって、亡くなるのです。

つまり、死後の命に差別があるからこそ、その違いが臨終の相に顕われてくるのである、と釈尊は示されたのです。

では、地獄に堕ちた場合の15の相とはどのようなものか、一つずつ見ていきましょう。

「一には、自らの夫妻・男女・眷属において悪眼をもって瞻視す」ーー集まってきた家族などを険しい目つきで見上げる。臨終の時には、すでに地獄の苦しみが始まっていますので、恐怖と苦しみのあまり、黒目が上を向いて、険しい目つきとなってしまうのです。

「二には、その両手を挙げて虚空を捫す」ーー悶絶して、手で空を掴む。

「三には、善知識の教に相い随順せず」ーー臨終に至ってなお、成仏の法に従おうとしない。周囲でお題目を唱えるように言っても、嫌だといって従わない、という姿です。

「四には、非号啼泣嗚咽して涙を流す」ーー狂乱して泣き叫び、嗚咽して、涙を流す。

「五には、大小便利を覚せず知ぜず」ーー本人の意志と関係なく、大小便が垂れ流しになる。

「六には、目を閉じて開かず」ーー苦しみのあまり、固く目を閉じてしまう。

「七には、常に頭面を覆う」ーー苦しみのあまり、手で顔面をかきむしったり覆ったりする。

「八には、側に臥して飲す」ーー倒れたまま飲み食らう。本当に、喉が渇いたり、お腹が空いたというのでなく、神経に異常をきたして、手あたり次第に飲み食いする、という状態です。

「九には、身口臭穢なり」ーー身体が腐って、口や皮膚の毛穴から腐敗臭が出てくる。これは、医療に従事している人からよく聞く話です。たとえば、癌の患者が亡くなる時などは、生きているうちから凄まじい臭いが出て、病室の前を通っただけで、身体に臭いが移ってしまうことさえあるそうです。

また生前に限らず、臨終の後においても、腐敗臭を放つのは地獄に堕ちた相です。現代では、遺体をドライアイスで凍らせた上、棺に消臭剤を入れたりして、腐敗臭を防いでいますが、この経典の説かれた3千年前には、ドライアイスも消臭剤もありません。ですから、そのような処置は取らない、遺体を自然のままにしておく、ということを前提にして、腐敗臭が出てくるのは地獄に堕ちた姿だというのです。

「十には、脚膝戦掉す」ーー恐怖のために、足や膝が震えてしまう。臨終は生と死の境ですから、臨終が近付いてくると、死後の恐ろしい地獄の苦を感じ始めるため、恐怖して震えだすのです。

「十一には、鼻梁欹側す」ーー鼻筋が曲がって、生前と全く人相が変わり悪相となってしまう。まるで般若の面でも被せたような相に変貌してしまうこともあります。

「十二には、左眼動す」ーー黒目が完全に横にいって、白目がむき出しになってしまう。

「十三には、両目変じて赤し」ーー両目が真っ赤に血走ってしまう。

「十四には、面を仆して臥す」ーー苦しみのあまり、顔を枕に臥して悶絶し息絶える。

「十五には、身を屈めて左の脇を地に著けて臥す」ーー苦しみのあまり、身体をエビのように屈め、横になったまま息を引き取る。

釈尊は、この15の相を挙げて、「もし臨終に臨んで、これに該当する姿が顕われたなら、その人は間違いなく無間地獄に堕ちたものと知りなさい」と説かれました。

守護国界主陀羅尼経参考資料

【創価婦人部員の生の声】これが現在の創価学会の現実の姿です。 学会員諸君、一日も早く脱会しましょう。


①離脱僧・工藤玄栄のこと。離脱僧が学会を離れたことを全く知らされていない。

②金原明彦氏が創価から除名されたことも末端会員に知らされていない。都合の悪い情報は全て隠す。聞いても答えない幹部。

③座談会で本心は話せない雰囲気だが、みんな、内心「オカシイ」と思っている。(村十分になる)
今、学会員に現証が出ています。

④聖教新聞の多部数購読は「ノルマ達成の数字合わせ」で、購読数を維持するために「マイ・聖教」となって自腹を切る。年金暮らしの高齢者で一人住まいの方は年間8万円も「マイ・聖教」

⑤長老は「マイ・聖教」、若い人材が不足しており、若いのは役職が4段も飛び級し「ヨイショ!」され組織から離れるのを防ぐ。

⑥ニセ本尊に取り換えるよう、何百回も強要された。自分は日達上人の御本尊を護りぬきました。

⑦教宣部が法華講員にイヤガラセ行為をしていることを、全く知らされていない等々

⑧東村山市の市会議員・朝木さんの自殺はおかしな話であり、学会側を疑う。

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離脱僧が制作とされていた 「学会授与の御本尊正当性パンフ」は 学会が作ったと離脱僧が暴露!

離脱僧が制作とされていた
学会授与の御本尊正当性パンフ」は
学会が作ったと離脱僧が暴露!

 これは本紙の読者が、離脱僧グループ(青年僧侶改革同盟)発行の『創価学会の御本尊授与の正当性について』なるパンフレットを破折した本紙記事(二月一日号)を読み、改革同盟の中心者であった工藤玄英(東京都立川市。平成四年に宗門を離脱して学会側に付いた) に電話をしたことから、明らかになったもの。

 工藤といえば、昭和五十二年路線( 学会の第一次教義逸脱問題)以前からの、筋金入りの親学会派僧侶で、当時の御法主・第六十六世日達上人をして「『池田会長に衣(ころも)を着せれば即大聖 人様だ』などという僧侶がいる。私はびっくりしました。(中略)さらに『自分は、会長が袈裟(けさ)・衣を着けたらそのまま大聖人であるから、もしも学会 と宗門が手を切ったならば私は学会の方につきます』と言明しているそうです。全く私は情けないと思います。(中略) そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります」(日達上人全集第二輯七二九頁)
 と嘆(なげ)かせた程の池田本仏論者である。ゆえに、平成三年以降、宗門を離脱して学会に付いた離脱僧の中でも、いわば別格的な存在であったのだが、その工藤も、今般、崇(あが)めてきた池田大作が無残にも頭破七分してしまったことにより、ついに学会離れを起こしたようだ。

以下、本紙読者に工藤が語った内容を紹介する。
 まず工藤は、

「青年僧侶改革同盟」の名で発行されたパンフ『創価学会の御本尊授与の正当性について』に関し、「これ(※パンフ)はね、我々が書いたってされてますけども、全部、学会なんです!学会の一部のね、人間の考え方をそのまま書いた。早く言えば!」



 さらに、ニセ本尊を正当化しようとするパンフレットの内容については、

「私は、そんなものは相手にしてません!私自身、原稿も見ていないし、タッチしていませんけど、できあがったパンフレットをちょっと見せてもらった。だけど、こんなことを書いて何だっ!これが私の結論なんです」

と、自身が作成関わっていないことを重ねて述べた上で、その内容をキッパリと否定したのである。


 そして、その理由として、

「御本尊のことは、こんなふうに簡単に書けるもんじゃないです!やっぱりね、本山も知らない、大御本尊も見た ことがない、こういう若者がただ『日蓮正宗は邪教だ、自分達がやっていることが正しい』という前捉で書くものだから、正しい理論なんて生まれるわけがないです! 」

と、日蓮正宗における伝統的な御本尊の取り扱いを否定して自前のニセ本尊を正当化しようとする、学会の姿勢を指弾した。 以上のことから明らかなように、学会ではニセ本尊作成の当初から離脱僧の名を利用し、あたかもニセ本尊が日蓮正宗の御本尊と変わりかないかのように装って きたが、当の離脱僧(それも長く僧籍にあった工藤玄英など)は、こうした学会の主張が誤っていることを承知しているのである。

 さらに工藤は、パンフレットについて、重ねて 「学会のやっていることが全て正しい、ということをペースに書かれているものだから、これを読んで納得する方が、どれだけいるのかな、と思います」 と切って捨てた上で、学会の在(あ)り方についても



「学会の素晴らしさも否定しませんけどもね、学会が全て正しくて本山を邪宗と称してやっているわけでしょう。でも私こ言わせると、(学会から) 言われたとおりにね、そんなに簡単に間違っているわけなんか、ないですよ」  「とにかく、こういう状況がずっと続いていましてね、大聖人も泣いているんだよ」


と批判した。  もっとも、大聖人の御意を推(すい)し奉(たてまつ)るならば、袈裟・衣を着けた工藤らが大聖人の正続宗門に背(そむ)いて学会に加担( かたん)したことこそ、宗祖の末弟にあるまじき醜態(しゅうたい)と、お嘆(なげ)きになられていることであろう。
 ともあれ、こうして、離脱僧を利用した学会のニセ本尊正当化や、日蓮正宗誹謗の論調を批判した工藤は、


 「私もね、(学会に付いて)二十年経ちましたけど、最初はこうじゃなかった。だんだん変わってきちゃったの。こういう形では、残念ながらね、僕個人としてはやっていられない」 と、自らの学会離れの心情を吐露(とろ)した上で、  「やっぱり大聖人の 仏法に照して、こっち(学会)が正しくて向こう(本山)が間違っているなどと、我々の立場で言えるもんじゃないでしょ」
 「真実が伝えられていない、これが現状ですね。聖教新聞なんて(学会の)良いことばかりしか言わない。機関紙だから、悪いことを載(の)せる必要はないけど。でも学会員の中にも、疑問を持っている方はたくさんいて、皆さん、何も納得していない」


 「考え方を変えないと、いろいろな意味で大聖人の仏法がおかしくなっちゃう。ある意味、死にかかっている。だからといって、今すぐ、こうだ、というわけにもいかないんですよ」
 等々と、日蓮正宗を謗じてきた学会の誤りや、真実を報じない大本営発表的な学会報道の欺瞞(ぎまん) 、学会には正法が死滅しはじめていること(実際は、日蓮正宗と離れた時点から、すでに学会には正法は存在していない。それを今、ようやく感じ始めた、とい うこと)について語っ たのである。

 まさに、離脱僧の学会離れであるが、学会離れを起こしているのは工藤ら離脱僧だけではない。工藤の言葉の端々からは、学会離れを起こした会員達か密(ひそ)かに離脱寺院の門を叩いていることが窺(うかが)われた。  それもこれも、すべては池田大作の頭破七分によって、学会の求心力が著しく低下し続けているためである。  秋谷グループ、離脱僧、一般会員達ーーよいよ、創価学会の大崩壊時代が始まった。

(『慧妙』平成24年3月1日号)

なんや、創価学会仏ってヤッパリ池田タサクが自分ででっち上げてるんやわ!

なんや、創価学会仏ってヤッパリ池田タサクが自分ででっち上げてるんやわ!
アホクサっ! 笑笑
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<創価学会仏とは>

アメリカの著名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏は、こう述べられておられた。
「歴史的に見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。理屈を超えて、人の心から心に伝わっていく。
創価学会を研究してきて、おそらく500年、1000年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教であると確信します」
深く、鋭く見てくださっています。
戸田先生はこう語られたことがあります。
「法華経には、威音王仏(いおんのうぶつ)という仏が登場する。
二万億もの仏が、みな同じ威音王仏という名前で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。この威音王という名も、優れた仏の名であったかもしれないし、また、そういう教団があったとも考えることができる。
同じように、“創価学会”という教団は、必ず未来の経典に金文字で記される。
“一閻浮提(いちえんぶだい)広宣流布”という未来記を実現した創価学会仏として、永劫に仰がれゆく」 
(以上、主要部分の抜粋)
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池田大作及び学会執行部への質問
①戸田会長が「創価学会仏」といった音源を出しなさい。
②音源が無ければ戸田会長が言ったとされる「原本」をだしなさい。

創価諸君
このようなインチキ教団から一日も早く脱会しましょう。
お電話ください。090-9626-7585 黒川 大阪在住 

aho1
 

今、池田先生に伝えたいこと。

私は一人の非活動の創価学会員に過ぎません。

そんな私もかつてバリバリに活動をして、けっこうな幹部でした。ま、大したものでもなんでもありません。ちょっと活動すれば誰でも上から持ち上げられてそれくらいの役職にはなります。
しかし本質は単なる無名の学会員だったということです。



ただ私は中央幹部たちの実態をよく見てきました。最近の幹部に見られる傾向ですけど、大して教学も学ばずにただ創価大学卒とか本部職員とかいうだけで、全国幹部として活躍していた、その実態を見ています。
彼らには内実がありません。ろくな教学もろくな体験もありません。どうせ折伏したって先日の本幹で体験発表していた元暴走族のT君に足元も及ばないでしょう。彼は個人で23世帯の折伏をしています。私は彼のこともよく知っています。



私の父はかつての大幹部でした。父と一緒に戦っていた石田幸四郎さん、渡部一郎さん、有島重武さんたちのことは、私は小さい頃からよく聞いて知っています。同時に父は池田会長の側近の一人でした。父は本門の弟子の一人でもあったはずです。私は当時の幹部たちのことを父から聞いてよく知っています。原島宏治さんや柏原ヤスさん、小泉隆さん、和泉覚さん、辻武久さん、竜年光さん、渡部一郎(城克)さん、秋谷栄之助(城栄)さん、竹入義勝さん、矢野絢也さんたちのこともよく知っています。柏原先生とか辻先生の指導とかおもしろかったことが子ども心に記憶にあります。



父も母もそうでしたが、私と私の家族は創価学会に尽くしに尽くし抜いてきました。そして池田会長にどれほど奉仕してきたか、計り知れません。
私はその中で、父を通じて池田氏という人物を知るようになりました。



父もそうでしたが、私もまた池田名誉会長から直接に薫陶も受けてきました。私は首都圏の代表の一人として池田名誉会長より直接に激励も受け、指導を受けてきました。その恩も忘れてはいません。



だからこそ思うのですが、今こそ池田名誉会長は自身の実像を会員に晒すべきだと考えます。
今こそ真実を語るべきです。
小説人間革命も篠原善太郎氏による代筆であり、対談集も他人に書いてもらっていましたよね。『御義口伝講義』等は原島嵩さんに書いてもらったものではありませんか。
トインビー対談だって、側近の方が書いたものではありませんか。嘘だというなら対談全編の録音音源を公開してご覧なさい。できないではありませんか。結局、池田氏は対談などしておらず、ほとんど弟子たちの作成による代筆だったのです。
私の父も多くの学会員さんの信心のためにと何も言わないできました。



しかし実像が、もはやごまかせない状況になってきたではありませんか。
いつまでこんな欺瞞を続けるのですか。
池田名誉会長のスピーチを聞いても、池田先生はご自身でスピーチの原稿なんて書いていないではありませんか。
それをあたかも自分のスピーチであるかのように偽装しただけではないですか。
ほとんど第一庶務と国際部で上手に虚像を作っただけですよね。
池田先生の思想には日寛教学と現世利益の信心くらいしか内実はなかったんですよ。


若い頃の池田氏は教学において原島宏治先生に何も言えなかったではありませんか(ま、だから後にご子息の原島嵩さんを重用したというのは容易に推測がつきますが)。石田次男さんにも教学的に何も言えなかったではありませんか。
「次の会長」についての戸田会長の遺言は「皆で相談して決めろ。みんなで仲良くやっていけ」だったではありませんか。
戸田さんは池田先生を唯一の後継者に指名したことなどなかったのです。エレベーターの相承も「追撃の手を緩めるな」もみーんな作り話ですよ。だいたい入信の際に即興詩なんて読んではいないでしょ。
池田先生が当時、昭倫寺でご授戒を受けた際に最後まで御本尊を頂くことを拒んだことは有名な話です。堀米日淳さんも困っていたではありませんか。
私は父によく聴いて知ってます。
池田先生、いつまでも嘘をつかないでください。



池田先生、あなたはあなたを大切に信じてきた弟子たちを一方的に全て切ってきたではありませんか。
原島嵩さん、竹入義勝さん、福島源次郎さん、矢野絢也さん、みんな反逆などしていません。みんな池田氏が切って捨てたのです。私の父は竹入さんのこともよく知っていますよ。そんな反逆なんてことをする方ではありません。
恩知らずは実は池田先生の方なのではありませんか? 例えば原島嵩さんがどれほど池田先生のことを守ったのか、忘れてしまったのですか? 全部原島さんがかばって池田先生を守ってきたではありませんか。



どれほどごまかして嘘をついても真実は一つしかありません。
私と私の父を否定しても構いませんけど、真実は一つしかありません。
新宿では当時、石田幸四郎さんから私の父に部隊長が変わったので、その時の記念植樹を池田先生は父に提案してくださいましたよね? 私は父からの遺言で全部聴いてます。牧口記念庭園の敷地内に私の父と石田幸四郎さんを記念する木が植えられているはずです。敷地が広すぎてどこにあるのかわかんないんですけどね(笑)。
私の父のことをたくさん池田先生は激励してくださいました。そのことに感謝しています。
私は3歳からすでに五座三座の勤行をしていました。寝る前には必ず池田先生の写真に手を合わせて「池田先生、おやすみなさい」と言って寝るのが日課でした。そんなことを幼稚園に入る前からやっていました。
母からの教えでしたけど、信心だけは純粋になりなさいと教わりました。その通りにやってきたのです。
だから今まで言うべきでないことは黙ってきたんです。



でももう沈黙してはいられません。
私は、池田先生の信心は純粋な現世利益だったのだと思っていますよ。
でもそれ以上はなかったんですよね。
それ以上のものが何もないので、必死に"池田先生神話"を創作してきたんですよね。



青年時代の池田先生が病気で苦しんだことは事実です。経済苦に苦しんだことも事実です。
だからこそ、それらが信仰で改善されていった時に先生が確信をつかんだことは理解できます。
しかしそれ以上の思想は池田先生には何もなかったんですよ。
だから自分たちの信仰の無謬性と絶対性を肥大化させて、虚像を作り上げてしまったんです。
総括して反省するなら今しかありません。
どうするんですか? 池田先生?
だんまり決め込んで老残の醜を晒しますか?
もう引き返すことができないくらいまで、虚像は膨れ上がってしまいましたけど。


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