本日は池田先生の真心からのご配慮により、お守り御本尊が皆様に授与されることになり、誠におめでとうございます。
皆さんがすでにご存知の通り、このお守り御本尊は、ただ身に付けているだけで、守られるというような、他宗のお守りやお札とは、根本的に意義が異なります。即ち、大聖人の仏法では、私たち自身が、生涯にわたって御本尊を持ち続け、真剣に守り通すという、強い信心の力によって、諸天善神の守護により、我が身が安全に護られ、自身も一家も幸せになるという、受持即観心の意義の上からの、お守り御本尊であります。
 池田先生はスピーチのなかで、「大聖人は『法華経をよく持つ人は、仏身を持つ』と仰せである。大事なのは『よく持つ』ことである。
すなわち、何があっても御本尊をはなさない。まっすぐに『広宣流布』の世界に生き抜く。戦い続ける。自行化他の両方に励んで行く。
そこに信心の『心』が固まって行くのである。その鍛え上げられた『信心』にこそ、『仏界』がある。鍛えられていない人、慢心の人は、何かあると、すぐに心が揺れ動く。紛動される。『心』が定まらないのでは、一生成仏という、幸福の軌道をまっすぐに進むことはできない」と指導して下さっております。
したがいまして、本日のお守り御本尊の授与を契機として、さらに広宣流布のため、自行化他の実践に励み、模範の学会員として、御本尊の偉大な功徳を、現実生活の上に、また地域に職場に社会にと示しきっていくことを、決意してまいりたいと念願するものであります。
経王殿御返事に、「先日のまほ(守)り暫時も身を・はなさずたもち給え」「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも・またたけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただおな(同)じき事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く『師子奮迅之力』とは是なり」(御書1124㌻)とありますように、大聖人ご自身が、お守り御本尊をおしたためになり、信心の強盛な信徒に与えられたことが明らかであります。
大聖人は、全力を込めて、仏の生命を御本尊として御図顕されました。御本尊を拝して勤行・唱題するということは、わが生命の中に仏界の生命を涌現させるということです。
このお守り御本尊は、ケースも鎖も完備していますので、常に身につけて頂いても結構ですし、あるいは日常的にはご家庭の仏壇に供え、長期の出張や旅行をする場合には、所持して勤行・唱題の際にお開きして拝むことにしていただいても結構です。ケースはプラスチック製ですので、空港等での所持品検査を受けても心配はありません。
細かいことまで申し上げましたが、形は小さくても、御本尊にはまったく変わりはありません。御書に「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用いることなれ、鬼に金棒たるべし」と仰せの通り、あくまでも御本尊を持つ私たち自身の信心によって功徳も決まることを銘記して、本日からまた新たな決意で、池田先生と共に、広布に邁進していこうではありませんか。本日は誠におめでとうございます。
以 上