創価学会・顕正会・正信会からの脱会を考える会

創価学会、顕正会、正信会からの脱会の相談に応じます。黒川和雄 090-9626-7585 当方大阪在住です。ワン切りOK,こちらからお電話を差し上げます。 大阪の方大歓迎(#^.^#)

戸田城聖

恐れることはありません。勇気を出して脱会しましょう。

私の所属寺院は「日蓮正宗大阪南布教区妙輪寺支部法華講」。

お寺は天王寺から阪堺線(チンチン電車)で20分。姫松下車、進行方向へ100m。左側にございます。

妙輪寺住所
〒558-0054
大阪府大阪市住吉区帝塚山東1丁目12-14
脱会相談 黒川和雄 090-9626-7585
ワン切りOK,こちらからお電話を致します。

※このブログのコンテンツは一信徒の個人的なものであり、宗教法人日蓮正宗及び法華講連合会とは一切関係はありません。
The contens of this blog are all by blogger's own opinions. Nothing related to Nichiren Shoshu or The United Federation of Hokkeko.

原田会長は「戒壇の大御本尊を受持しない」と言いましたが・・。

あなたの本尊は戒壇の大御本尊を書写したものではありませんか?


ニセ本尊
 

宿坊の掲示板 所感

しかしあれやね、宿坊君の掲示板を拝見いたしますとオモロ~、アホヤ~(笑)
という印象がぬぐえませんネ~

「これから悪と戦います!」
「創価に巣食う悪党との戦いを致します!」とかサッ!(笑)

一体、上意下達の創価組織に於いて、いかように戦って悪党どもを追い出すんかい?

所詮ネット上だけの戯言であろう。

組織を完全掌握した谷川派の連中を如何様にして追い出すんかい?

所詮、怪文書、でっち上げの個人攻撃、暴露合戦しか打つ手は無かろう。

お前さんたち、気が付きなさい!

君たちの組織をガタガタにしたのは、谷川でもなければ原田でも、秋谷でもない。

その悪の根源は本門戒壇の大御本尊を否定した「池田大作」、その人である!ということに

一日も早く気付きなさい!!

この人物こそが最大の悪党であり、戸田城聖会長の言葉・遺言を反故にした人物である。

今や創価に於いては「戸田会長の言葉、指導が最大の仏敵」であるということがまだ分からんか??

何? 分からん?? 相当マインド・コントロールされているではないか!!

これこそが邪教の証なのである。


創価学会設立の原則 

日蓮正宗の教義を守り、三宝を守り、各寺院に所属するというのが三原則であるということは、

昭和53年11月7日の大講堂大広間における創価学会創立48周年記念代表幹部会(通称「お詫び登山」)において、理事長の北条浩が、以下のように述べて認めているのである。


(以下引用)

「私は、21世紀への創価学会の新たなる船出にあたり、これまでの日蓮正宗と創価学会の関係について振り返りながら、今後の新しい基調について申し上げます。」

「創価学会は昭和27年、宗教法人として出発いたしました。」

「御宗門からはその設立にさいし

①折伏した人は信徒として各寺院に所属させること、
②当山の教義を守ること
③仏法僧の三宝を守ること、

の三原則を遵守するようお話があり、以来創価学会はこの三原則をふまえて御宗門の外護をつとめ広宣流布への歩みを始めたのであります。


(以上引用)

sangensoku
tokubetu

日本正学館 社主(戸田甚一)編集長(池田太作)


http://youtu.be/hDPiTm6UoUc
http://youtu.be/864MUyb4t7w

当初、『フェイク』は、『ルビー』の出版社は「大道書院」であって「日本正学館」ではなく、その編集者も「坊主になった矢島周平だった」と書いて、あたかも『ルビー』と創価学会や戸田・池田が無関係だったかのごとく装いました。
 これについて原島氏は、『ルビー』の編集部の所在地は当時の創価学会本部及び日本正学館と同じ場所であること、池田の『人間革命』の記述から見ても、日本正学館において『冒険少年』と『ルビー』が共に編集されていたことは間違いないこと、また『ルビー』には池田が編集長だったという『冒険少年(改め少年日本)』の広告が載(の)っていること等を挙げ、反証としました。
 もはや、この段階で勝負は明らかでしたが、まだ『フェイク』は同じような繰(く)り言を述べ、自らの誤りを認めようとしません。
 そこで1つ挙(あ)げてみたいと思うのですが、昭和50年2月16日付『聖教新聞』に載った「小説『人間革命』のふるさと=西神田旧本部」によると、創価学会の西神田旧本部の建物は、2階に3部屋あって、手前の狭い一室が編集室になっており、その同じ編集室で『ルビー』『少年日本』が編集されていたそうです。
 やはり、『ルビー』と『少年日本』は、別々な所で発行しているように見せながら、じつは同一の編集室において作られていたのです。
 同一の編集室であれば、編集室トップも同一のはずであり、奥付の表記のいかんに関わらず、もし『少年日本』の編集トップが池田大作(当時は太作か?)であったなら、『ルビー』の編集トップも池田大作であっただろうことは当然です(ちなみに、『ルビー』と同様、『少年日本』も、奥付では編集者は池田大作と表記されていません)。
 いくら後世になって、『ルビー』はポルノ雑誌だから関与していたと言ったら格好がつかない、と思って、「それは矢島が作っていたんだ」と池田が自ら強弁したところで、何のアリバイの証明にもならないと知るべきです。
 なお、『フェイク』は、原島氏が『ルビー』にはヌード写真が満載されていた、と少年時の記憶を述べたことに対し、あれは写真ではなく挿絵(さしえ)だ、訂正謝罪しろ、等と言っていますが、これで騙(だま)されるような学会員がいたとしたら馬鹿です。
 貴紙『慧妙』12月1日号に載った、『ルビー』掲載のいかがわしく写実的な挿絵は、少年時の原島氏が見たら「ヌード写真」と見えて当たり前のシロモノです。
 だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載ったカラー写真を「絵だ」と見間違えて、騒いだことがあったのではないですか。
 写実的な絵と写真とは見分けがつかないことも、しばしばある、という実例です。
 いずれにせよ、両者のやりとりは、もはや「勝負あった!」というのが、ほとんどの読者の感想でしょう。
 それでも、まだ見苦しい言い訳(偽装)を続けるのか、『フェイク』関係者の学会員は、少し冷静に現実を振り返ってみたらいかがでしょうか。

http://sudati.iinaa.net/netuzou/netuzou091201.html

戸田会長の長男、喬久氏が逝去

イク夫人と同様、葬儀は日蓮正宗で執行!
toda

教義の変節は、須らく邪宗の証しである 【破邪の欄室より転載】

『前に言っていた事と、今言っている事が違う宗教は邪宗である』

とは、応に恩師戸田先生による殊言である。

本より、宗教者として、否、仏法者として、其れまで堅持していた仏法義を悉(ことごと)く破棄し、
新たなる教義を造説するなどは、其れが如何なる理由であろうとも、許されるものではない。

日蓮大聖人が曰く『昔と今はかわるとも、法華経のことわり違(たが)うべからず』と。(新編 1183)

まして教義の変節が、宗門からの破門によって生じたとなれば、其れこそ宗門からの破門が無ければ、
其れら教義の変節は無かったという事になるのである。つまりは、そういういい加減な都合に依って、
お前らの変節は成り立っているのである。ったく、恥かしいとは思わんか。哀。

果たして、そういう主体性の無い変節漢にして、鉄面皮(恥知らず)な教団と申せば、お前らが其の功
績を讃えた彼の立正佼成会が有名であろう。

さても此の教団、庭野日敬などが霊友会から離反して創られたものであるが、何と此の教団の本尊は、
設立した昭和13年から昭和23年までの10年間に5回も変更(変節)され、其の後の昭和32年、
庭野日敬は『今までは方便の時代であり、今こそ、久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊を本尊とすべき』
などと宣言して、実に6回目の本尊変更を行ったのである。

おいおい、『今までの本尊は方便であった』『今までの教義は方便であった』つまりは、だから今は
用いない。果たして、此の言い訳、まったく、お前らと類似しているではないか。否。お前らなどは
『今までの教義は邪義であった』などと打ち捨てるのであるから、其の変節ぶりは立正佼成会よりも
酷(ひど)いと云う事である。ったく、情けないよのぉ。呆。

して、お前らは、我ら富士門信徒からの呵責に論窮すると、必ずと言っていいほど『其れは破門以前
の教学だから、今の我らには通用しない』などと、白を切るのである。呆笑。

ならば一体、破門以前のお前らは、邪教を信じていた謗法の徒輩であったのか!

して、其の無智なる棟梁が、恩師戸田先生であり、そして、池田太作であった、と云うのか!

ったく、馬鹿な事を云うものではない!

果たして昨今、お前らが発行せし仏教哲学大辞典をして『一体、いつのモノですか?』などととぼけ
ておるが、云うまでも無く、初版(三版も含)までの仏哲に記(しる)されている仏法義の解説を今更に
否定する事は、須らく恩師戸田先生の教学指導を否定する事であり、其れこそは恩師の存在そのもの
を否定するものである!

本より、上版に記されている仏法義は、お前らが興門正統の断絶と大騒ぎした日顕上人御相承以前の
日達上人当時の教説であり、今は其れを邪義として使用しない、などと云うは、応に後付による自己
撞着の言い訳であり,日興門流として通用するものではない。大体、教団設立当時から堅持していた
仏法義を、破門されたという理由で、其の根本教義を根底から破棄するは、其れまでの折伏内容を自
らが完全に否定するものであり、其の折伏によって入信した幾百万会員の信心を謀(たばか)った事に
なる! そんな都合の良い変節教学を以て、我らが持する本来からの立義に反論する事自体が論外な
のであり、そういう変節を以て、己(おのれ)の主張を宣べるは、これ応に『言い繕い』の類(たぐい)
であり、仏法者としてあるまじき、撞着(どうちゃく)の恥態である!

先ずは第一、初版から三版までの仏哲に記されていた仏法義が、今にして邪義となった法義的根拠を、
其れこそ恩師の教学指導から、其れを証明してみせよ。よろしいか。

ったく、戸田先生をして『恩師』とは、如何なる事を以って称するか。お前らは解かっておるのか!

よいか! 戸田先生をして『恩師』と呼ぶは、実に大檀那として正法正義を我々に説いて下さった、
其の大恩と尊敬の念をもって呼ぶのである! 爾(しか)らば、其の正法教学を説いて下さった恩師
戸田先生の御指導からして、上版仏哲の富士門教学に於ける内容が邪義でない事は、火を見るより
明らかではないか!!

大体、其の当時の仏哲に記された教学が、今に成って邪義と云うのであれば、其の当時の創価学会は
一体全体、どの様な集団であったのか。つまりは、恩師戸田先生は、誤謬教義を信奉する棟梁であっ
たと云う事か。云うまでも無く、即身成仏義などは、組織破門の理由によって変節する内容ではない。
本からして、不変の教義である。仍って、此の即身成仏義に於ける対論に於て、仏哲に示された文証
を今にして白を切るは、此れ論敗の証しと成るのである。

●日蓮(大聖人)は末法の本仏ではない
●戒壇の大御本尊は後世の創作だ
●二箇相承の鑑定書を出せ
●本因妙抄は偽書だ
●百六箇抄は要法寺の相伝書だ
●産湯相承書は捏造書だ
●御義口伝は無名者の創作文だ
●日有(上人)が本仏論の張本人だ
●日寛(上人)は謗法甘受の邪師だ

よいか。これすべて、お前ら創価学会員の言い分である。

何とも情けないものよのぉ。呆(あき)れてモノも云えんぞ。呆。

鼻笑。

よくもまぁ、其の様な体たらく(主体性の無さ)で、我ら富士門の教学を突くものよ。呆笑。

ったく、お前らは『馬鹿』である。『馬』を見て『鹿だ』と言い張る『馬鹿』である。哀。

池田太作に云く、

『僕が言うのは、法律的届けの問題は一夫一婦制になっている、ということ。ただし、ただしですよ、
もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠
外の行為でも、私は男性として認めます』(『月刊宝石』昭和45年)1月号)

果たして、此れは何なのだ。

して、此の桂冠詩人の不貞容認論は、今のお前らからして『変節』はせんのか。鼻笑。

ったく、御隠尊猊下の『かまし』どころではない。

お前らは、本当にどうしようもない連中である。

お前らは、本当に恥を知るべきではないのか。哀。

何とか申せ!

戸田城聖指導 「観念の遊戯」 昭和二十七年十二月二十五日

信仰は生活であって、観念の遊戯ではない。また信仰の目的は、心の慰め程度のものであってもならぬ。ゆえに、もし信ずる本尊を間違えたならば、生活の根本が狂うのであるゆえ、生活も乱れ、幸福になるわけがない。されば、信仰の対象である本尊が問題になるのである。しかるに、さいわいにも、われら日蓮正宗の信者は、絶対にして最高の本尊をちょうだいして生活するのであるから、こんな幸福なことはない。
 われら信者は、御本尊を信ずること、それ自体が生活の全部でなくてはならぬ。何をするにも、根本に御本尊をおいて行動しなくてはならない。
 しこうして、御本尊を拝むことだけでことたりるとは考えられぬ。なにゆえならば、われらの生涯は決して幸福なものではなく、常にいろいろな問題がおこってくる。そのたびごとに、御本尊へお願いしなければならなくなってくるのは理の当然である。金がない、商売が繁盛しない、医者にも見放された等々の打開の願いを、御本尊にお願いするのである。この悩みは、だれに頼んでも解決のつくものではない。それを御本尊にお願いして救われようとするのであるから、御本尊のご用をたさなくてはならないことは、いうまでもないことである。
 こういうわけであるから、お金をください、商売を繁盛させてください、難病を治してください等と、まるで御本尊様がそうしなくては悪いような、あたかも御本尊様に貸しでもあるように、また御本尊様にその義務があって、われわれに権利があるように考えては、あいすまぬではないか。
 しかし、もちろん御本尊は広大無比の慈悲と、たとえようのない功徳とをお持ちではあるけれども、われらとしては、御本尊のご用をたしてこそ、その功徳と慈悲に甘えられる資格ができるのである。御本尊様のご用をたすとは、すなわち折伏であって、折伏をする者ほど、御本尊様が愛されるのは当然である。そして、その折伏は、歓喜から生ずるものであって、慈悲の行為であらねばならぬ。歓喜に燃えて、御本尊様を拝し、歓喜に燃えて折伏する者こそ、ほんとうの信心の者といえるのである。かかる人こそ、願わずとも、御本尊様は無上の宝、すなわち強い生命力と、福徳とをくださるのである。功徳なき者は、この歓喜と折伏がないからであることを十分知らなくてはならぬ。
 自我偈に、仏には遇い難しとおおせられている通り、歓喜は御本尊様が最高唯一であって、よくもわれらごとき凡愚がお目にかかれたものだ、遇い難きに遇ったという思いが、心に満ちあふれるならば、自然に歓喜があふれてくるのである。
 (昭和二十七年十二月二十五日)

創価学会の信者など在る訳がない

抑も、創価学会員に於いて、我が日蓮正宗の法義に対して文句する元手は、その殆どが日蓮正宗の
上代、又は中代に於ける、枝葉末節の例外部分であり、後は該当する事項が御書に載っているか、
いないか、延いては、其のものズバリの文章が書かれているのか、いないのかを理由にして文句する
しかないのである。それはどういう事か、つまりは、其の元からして創価学会には『教義』というも
のが無いからであり、其の流布する処(ところ)は、須らく日蓮正宗の教義だったからである。

本より、御書に記(しる)されていない事目などは、多々在るのであって、抑も、大聖人の御本懐たる
御本尊の御図顕からして、其の一々などは御書に記(しる)されてはいないのである。

仍って『御書根本』などと云う謳い文句は、其の記(しる)されていない化儀化法に対しては、全くに
して無力なのである。さても『御書根本』などとは言っておるが、其の釈論は一体、どういう相伝を
以って示されるのか。

つまりは、本からして無教義の信者組織が、其の破門後に於いて、俄(にわか)に作成された教義教学、
つまりは、其の不相伝の教学を以って、示された諸御書の一文を解釈するしかないのであろう。

仍って、二箇相承の鑑定書を持って来い、と駄駄を捏ねる学会員や、御義口伝は二の次資料なとど疑
う学会員や、本因妙抄・百六箇抄をして偽書だ、と断定する学会員や、遂には日蓮大聖人は御本仏で
はない、などと云う創価大学の教授などが、ボロボロと出でくるのである。

して、これも皆、相伝の無い新興組織の証拠たる、鵺(ヌエ)現象なのである。哀。

恩師の肉声に云く『創価学会の信者なんてある訳がねーじゃねーか。みんな日蓮正宗の信者だよ。
創価学会に君らに信心してもらうものなんか何もねーよ!』と。

さても、記(しる)されていない化儀、又は、其の周知をして記(しる)す必要のない化儀、そして敢えて
記さなかった化儀。そして又、年代を重ねて行くごとに荘厳される化儀。

本より、お主ら新興宗教の輩(ともがら)に、理解出来る門義ではないのである。

日蓮大聖人に曰く『此の経は相伝に有らざれば知り難し』と。

加えて中興・日寛上人が曰く『口伝にあらざれば知り難し、師資相承故あるかな』と。

結句は創価、我ら、正統・富士門流に責められて、

『日蓮大聖人の仏法に、別してもへったくれもないんだよ!!』と、其の椅子を蹴飛ばして立ち去る
しかないてのある。哀。

『創価学会に信心してもらうものなんか何もねーよ』

応に此の一言が、創価学会の会長にして、まこと足し引きのない、恩師の偽らざる御指導なのである。

小笑。

『破門されたから、我らの教義を作りました。以後よろしく』

鼻笑。まこと、お目出度い連中である。
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/44155

アホでも読める「大白蓮華」

昨日の「大白蓮華」の表紙を紐解くと「目次」が当然あります。

被洗脳創価員の皆さん、目次をご覧ください。今の大白とどこが違いますか?

そうです、昔の大白は学会教学研鑽の機関誌だったのです。そこには日蓮正宗の深い教義を研鑽するページが目白押しでありました。

今の大白はいかがでしょうか? 内容ゼロ、池田の勲章のこと…ばかりです。

折伏教典しかり、大衆に迎合し「文章がきつすぎる」という理由で、柔軟され、とうとうこの本の発刊は無くなったのです。

今発刊されている創価の出版物、内容のある書はありますか? ないでしょう!

全てが池田さんを「ヨイショ!」する書物ばかりですね。・・要するに創価学会の現在は「アホでも読めば内容が分かる」幸福の科学の大川隆法のレベルに堕ちたということです。

大川隆法の書籍=阿呆でも読めば内容が分かります。
学会書籍=阿呆でも読めば分かり、その内容は大川隆法以下の池田ヨイショ!のみであります。

斜め読みをすれば聖教新聞で10分、大白でも20分で十分です? 座談会でハッパを掛けられB長さんあたりは見栄で書籍を買わされていますね。

聖教新聞! 読んでいませんね! ポイ捨てでしょう!

もうこんな教団にはうんざりしませんか?

邪教になり下がったのですよ!

一日も早く脱会し、正しい信仰に戻りましょう。

最寄りの日蓮正宗寺院の門を叩きましょう。
mokujihenshuzumi


昭和30年代の「大白蓮華」

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若い創価員は知らないであろうが、これは30年代の「大白蓮華」である。

ここには猊下甚深の御講義が全ページに渡り毎月認められていた。そして新会員は地区座、一般講義に出向き、猊下の言葉を更に分かりやすく講義していた、昭和30年代、高度成長の前だ。「きょうもまた~ あすもまた~~ が~っかいの~~」

威風堂々の歌を毎夜合唱し、「広宣流布は我らの手で!」とのプライドを持ち、日蓮正宗の布教に邁進していたのである。私を育てて下さった部隊長は大阪の零細旋盤工であった、またブロック長は、堺の散髪屋で修行の身であった。(注:倒産した創価の阿部日ケ~ン(院政)ではありません)

仕事が終わり、拠点に来る、部隊長は「新来者はいないのか? ばか者~~! 今から新来者を連れてこ~い!」

幼い私は非常に怖かった。一般座談会と異なり、男子部の座談会とはこのような状況だった。しかし誰もクレームを出す会員はいなかった。それどころかみんな信心に燃えていたのだ!!

今の大白蓮華を見よ、代作高揚、勲章の話、・・・・等々。

阿呆でも読める月刊誌になり下がったのだ。

分かりやす~い文章で、アホでも理解できる内容ゼロの月刊誌になり下がったのだ!

日蓮正宗の「大日蓮」を見よ、猊下様の御講義が昔も今も変わらず掲載されている。何回も読み、辞書を調べ、じっくりと読んでいる。今の創価にそれはない。邪教となり下がった証左だ。

創価諸君、一日も早く脱会すべきである!

創価学会の原点、それはエロ雑誌の発行だった!

http://www.youtube.com/watch?v=864MUyb4t7w

よくご覧あれ
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