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(発行=18.04.09

 

今年も雨の中、大石寺で虫払い

叩きつける雨、「雷・強風・なだれ注意報」も

今のような法要は明治から、参加は少数

 

日顕が教学部長の頃、雪山坊の会議室で虫払い法要について「陽光うららか

な日に重宝に風入れをする」「お会式の時は『お練り』と言うが、お虫払いの

時は単なる『行列』と言う」と説明していた。ところが、今月六・七日の両日、

大石寺での虫払い法要は「陽光うららか」ではなく、大雨のため湿度九十六%

の日に〝風入れ〟をして、また宗門が中世の絵巻と自慢する「行列」も出来な

かった。

 

「こんな雨の日に重宝類に風入れしても逆効果だろう」と言う参加者もいた。

 

初日の六日午前、法華講員や坊主が相次ぎ着山。午後一時半に御開扉が始ま

ると雨が降り始め、御開扉を終えた登山者が宿坊に向かう頃には大雨になり、

強風も吹き始めた(写真参照)

 

 このところ、大石寺の虫払い法要と言えば決まって悪天候だ。平成二十五年

は急激に発達した爆弾低気圧による〝春の嵐〟が吹き荒れ、特に、富士宮一帯

に大雨・洪水・雷・強風注意報が出た。

 

  同二十六年は初日の六日、大石寺の周辺には物凄い稲妻が走り、雷鳴が轟く

中、大粒の雹(ヒョウ)が叩きつけるように降り、雹に直撃された登山者もい

た。

 

 同二十七年は二日目に冷たい雨の中、御真翰を御宝蔵から客殿に運び込んだ。

 

また、同二十八年も激しい雨が降り、昨二十九年も初日の午後一時半からの

御開扉が近づくと時折、雨が降り始め、夜の日如の御書講義が始まる頃には本

降りになり、二日目は「大雨注意報」が出て、早朝から昼過ぎまで断続的に雨

が降り続いた。

 

こうした現象からも大石寺の行事には諸天の加護が全くないことが分かる。

 

登山者は年々、減少

 

 さて、今年の虫払い法要の初日は、夕方五時頃から本格的に雨が降り始めて、

六時過ぎには雨脚・風ともに強まり、やがて叩きつけるような風雨で、富士宮

市全域に「雷・強風・なだれ注意報」が出たのだ。

 

二日目の七日、本山周辺の木々が大きく揺れるような強い風が吹くなか、登

山者は客殿での法要に向かっていた。皮肉なことに「ご真翰巻き返し」などの

行事が終わる頃、ようやく日の光が差し込んでいた。

 

 この虫払い法要に関する古い文献としては元亀四年(一五七三年)の第十四世

日主の頃の「霊宝虫払日記」があるだけで詳細は不明。天明元年(一七八一年)

の記録には「虫払は三歳に壱度也」とあり、三年に一度、行われていたようだ。

 

これが正式行事になったのは徳川時代末期の天保年間で四十八世日量の頃か

らで、現在のように四月六・七日に行うようになったのは明治以降からである。

この頃、参加者は少数だった。明治二十六年には東京から七人、埼玉から三人、

横浜から十数人、尾張から一人の参加だったが、それでも「最も盛大なる法會

にてありき」と記していた。

 

登山者は近年、減っているが、この虫払い法要の参加者も減少している。