2006年06月14日

私は彼と目が合いました。彼はすぐに私を撃ちました。

オレンジ色のスパークが見えて、大きなバンという音がしました。私の身体は壁に吹き飛び、(階段の)床に滑り落ちました。
右の胸から血が出ていました。胸に穴が開いていました。そのとき、私は撃たれたのだとわかりました。

私は、「お願いだ。動くことが出来ないんだ」と懇願しました。
すると彼は、私の顔を蹴り、「だまれ」と叫んだのです。

母が連れ出されるのを聞きました。母は泣き叫んでいました。
一人づつ殺されるのだ、と私は思いました。

私は左の脚を掴まれ、階段を引き摺り降ろされました。そのとき、私の頭がバンバンと階段に当たりました。
玄関を出ると、彼らは私を歩道に投げました。そして、一人が私の胸にティッシュペーパーを当てると、上から押さえたのです。

6月2日午前4時頃、イースト・ロンドンのフォレストゲート(Forest Gate)地区ランズダウン通り(Lansdowne Road)にあるテラスハウスで、捜査員250名以上を動員して行われた大がかりな家宅捜索の際、マホンマド・アブドゥル・カハール(Mohammed Abdul Kahar)氏(23)は自宅内で警察官に撃たれ、弟のアブル・コヤル(Abul Koyair)氏(20)とともにテロを計画した容疑で逮捕された。

しかし、数日間かけて行われた家宅捜索では何も見つからず、1週間以上拘留された後に釈放された兄弟は、13日に記者会見を行った。

「家に侵入した強盗によって殺されると思った」と言うカハール氏は、家の外で護送車を見た時に、彼らが警察官だとわかったと語った。
ロンドン警視庁から「警告が与えられた」との表明はなく、公式発表は「23歳の人が銃創を負った」と単に述べていただけだった。

事件当日、パジャマ姿のカハール氏は階段を下りてきたところを、捜査官に正面近距離から撃たれたが、そのとき弟のコヤル氏は彼の後ろ、階段の上の方にいた。

階段を引き摺り降ろされました。彼らは私を殴っていました。そして、「だまれ」と叫んだのです。
私を外に連れていき、手錠を掛け、跪かせました。

と、コヤル氏は言う。
撃たれたカハール氏は、王立ロンドン病院で治療を受けた後、パディントン・グリーン警察署で拘留され、尋問を受けた。


警察は、10から20の名前を上げました。どれも知らない名前ばかりでした。「アルカイダ」という名前も中にはありました。
私は、これらの名前のうち、どれを知っているか、どれを聞いたことがあるかと訊かれました。私は、「テレビで『アルカイダ』という名前を聞いたことがあるだけです」と答えました。

他方、6月2日の捜索の前には、MI5が数週間にわたって2人の兄弟と自宅を監視していた。
2人は尾行され、Eメールや電話は盗聴されただけでなく、MI5の秘密の人的情報収集部門が活動し、監視対象の人間に情報提供者を接近させて情報収集を行っていたのは確実だと言われている。


そして、「特定の情報」を得た結果、化学装置と自家製の有毒物質を探す2日早朝の家宅捜索が始まった。
その4時間前には周辺上空は飛行禁止となり、捜索にはMI5のほか保健保護局が参加し、ロンドン警視庁からはテロ対策班(SO13)、重火器班(CO19)、公安部門(CO11)、技術支援グループ(TSG)が動員され、一部の捜査官は化学兵器・放射性物質・生物兵器防護服を着用した。

しかし、同日午後になっても何も見つからなかった。
容疑者を負傷させたために警察苦情処理独立委員会(IPCC:Independent Police Complaints Commission) は即日現場で調査を行ったが、匿名のロンドン警視庁幹部は「IPCCの調査で6時間を無駄にした」と苛立ちを隠さなかった。

最初、数日で終わると見られていた捜索は、一帯を封鎖したまま、翌週の週末まで延長された。
5日、ブレア首相は、警察当局を「101%信頼している」と表明したが、何も出ないまま捜索は9日午後にうち切られた。


ロンドン警視庁は、同日夜に幹部会議を開催し、拘留延長を申し立てるだけの証拠がないことを認めて、翌10日昼に予定されていた裁判所の審問の前に2人を釈放することを決定した。
9日午後8時30分頃、2人の兄弟は警察の「任意の」判断に基づいて釈放され、パディントン・グリーン警察署を出た。

13日に行われた2人の兄弟の記者会見から数時間後、ロンドン警視庁のアンディー・ハイマン(Andy Hayman)警視総監補は、負傷させたことについて謝罪したが、「特定の情報」を得たたために捜索は必要だったとして、「素早く応戦できる強健な処置を講じる以外なかった」と述べた。

以上、NHK・BS1で見たイギリス・BBCニュースでした。

教訓とすべきは、Eメールや電話を盗聴し、「スパイ」を使っても、本当のことは不明のままだということでしょうか。
もっとも、空振りに終わったとはいえ捜索の必要性までは否定できませんが、一方で、捜査官の過剰な暴力は気になります。

2005年7月22日に地下鉄車内で至近距離から頭部を撃たれて亡くなったブラジル人男性の事件にくらべれば不幸中の幸いで、IPCCも発砲が1回だけだったことは確認しているようですが、負傷後の状況も第一報で伝えられていた「担架で運びだした」という説明とは違って相当に荒っぽいようです。

その原因として考えられるのは、事前に捜査官に与えられていた「容疑者に関する情報」にあるように思いました。
というのは、何の情報もなければ、捜査官も丸腰の人間をいきなり撃ったりはしないと思われるからで、「憎むべきテロリスト」というイメージを持つに十分なだけの情報を事前に受け取っていたため、過剰な暴力に及んだのではないかと思われます。

「特定の情報」を直接自分で分析した捜査官であれば、当然、その情報の不確実性も認識していたはずですが、他の捜査官には、そうした情報の否定的な側面までは伝えなかったのかもしれません。
あるいは、大勢で検討したであろう事を考えると、情報の否定的な側面を述べる人が少なかったか、そういう人がいたとしても「消極的な意見」は無視されていたのかもしれません。

撃たれたカハール氏は、警察当局を「101%信頼している」と述べたブレア首相を非難して、「私は彼の息子と同じ年です。私は彼の息子と同じくらい無罪です」と述べ、自分のしたことは「長い髭を蓄えたアジア人(バングラディシュ系)だっただけだ」と言いました。
なにもブレア氏の子息でなくても、彼がイスラム教徒でなければ、「もっと慎重に情報を検討すべきだ」といった意見が捜査当局の内部から出ていたかもしれない、という感じは拭えないでしょうね。


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