2006年07月06日

スタンダード・プラクティス

カブールの北65kmに位置するアフガニスタン駐留米軍バグラム(Bagram)収容所で、2002年12月3日にムッラー・ハビブラ(Mullah Habibullah)氏(30)が、同月10日にはディラワル(Dilawar)氏(22)が、独房の中で死んでいるのが相次いで発見された。
ハビブラ氏の死は拘束から僅か数日後、ディラワル氏の死は拘束から5日後のことだった。

検死の結果、ハビブラ氏の死因は「肺塞栓症」で、それは「明らかに脚に加えられた鈍器による損傷によって形成された凝血塊によって引き起こされた」ものだった。ディラワル氏の死因も、「下肢に加えられた鈍器による損傷が冠動脈疾患を引き起こした」とされた。
人の死亡診断書は「自然、事故、自殺、殺人」の4つに分類されるが、これは「殺人」に分類されるものである。

さらに、医学専門家によれば、ディラワル氏の怪我は、たとえ生き延びたとしても両足の切断が必要となるほど厳しいものだったという。
検死を担当した病理医のエリザベス・ラウズ(Elizabeth Rouse)中佐は、ディラワル氏の腿の組織を「パルプ化されていた(pulpified)」と表現し、「それはバスに轢かれた人の傷に似ていました」と証言した。

2人の子どもの父親であるディラワル氏は、農業を営みパート・タイムでタクシーの運転手をしていたが、ロケット砲の攻撃を受けた米軍基地の外で拘束された。
「彼は、まずい時に間違った場所にいたというだけで逮捕されたと、ほとんどの尋問官は考えていた」と、1人の兵士は証言した。

4人の子どもを持つウィリー・ブランド(Willie Brand)上等兵(27)は当時24歳、シンシナティに本拠を置く予備役部隊の第377憲兵隊に所属し、バグラム収容所で任務に就いていた。

米軍基地の外で拘束されたディラワル氏と、タリバンの幹部だとしてCIAが連行してきたハビブラ氏の2人は、独房に入れられると、頭巾を被せられ、天井から吊された鎖に両手を繋がれた。
ブランド上等兵によれば、彼らの両手は眼の高さほどの位置で繋がれたが、それは彼らを眠らせないためで、披拘束者は2日間、絶え間なく吊されていたという。

ディラワル氏とハビブラ氏の2人は、独房内に吊された状態で死んでいるところを発見されたが、アフガニスタン駐留米軍の報道官は「自然死」と発表していた。
軍の調査が始まったのは、何ヵ月も経ってニューヨークタイムズ紙の記事が出て公になった後のことだ。

ブランド上等兵の上官で第377憲兵隊第3位のクリストファー・ベアリング大尉は、ジュネーブ条約の適用に関する大統領命令、「軍は引き続き、捕虜を人道的に扱うこと・・・しかし、ジュネーブ条約は軍が適切かつ必要と判断した範囲にのみ適用される」 は、現場に混乱を引き起こしたと言う。
「大佐だろうが将軍であろうが誰が視察に来ても、我々は手順を変えませんでした」と語るベアリング大尉は、天井から鎖で両手を繋いだ状態で尋問が行われていたことを上層部はもちろん知っていたと言う。

しかし、アフガニスタン駐留米軍司令官のダニエル・マクニール(Daniel McNeill)将軍は「捕虜を天井に鎖で繋ぐようなことはしていない」と言い、同じく駐留軍情報将校トップのセオドア・ニコラス(Theodore Nicholas)将軍は「頭より高い位置で腕を繋がれている捕虜は記憶にない」と言い、ロナルド・スターリングス(Ronald Stallings)中佐は「何も知らなかった」と言う。
これに対して、指揮系統から秘密にされていたとこはないと語るブランド上等兵は、マクニール将軍が来たかどうかは覚えていないが、ニコラス将軍とスターリングス中佐は現地にいたと言う。

また、披拘束者には、太股にある総腓骨神経を狙った膝蹴りが認められていたが、この部分を蹴られると披拘束者は脚の筋肉のコントロールを失って痛みのあまり倒れるという。
「他の者と同じでした。彼は大声で『アラー、アラー、アラー』と叫び、時にはがくっと脚が崩れ落ちました」と、ハビブラ氏に膝蹴りをしたときの様子をブランド上等兵は語る。

しかし、自分は軍が糾弾するような「狂暴な男」ではないとブランド上等兵は言う。
「私は、他の人全員が行ったことを行いました。それは自分の主義主張によってではなく、標準的な技法でした。そして、こうなりました」と弁明した。

陸軍の犯罪調査部(CID:Criminal Investigative Division)の秘密報告書によれば、確かにそれはブランド上等兵だけではなかった。
何十人もの兵士の虐待について、「壁やテーブルに叩きつける」「呼吸できなくなるまで、水を口に流し込む」「股間を蹴る」などのほか、「男性の捕虜に対して、レイプすると脅した兵士もいた」とあり、一部の兵士は「拷問の帝王」とか「死の膝蹴り人」とかのニックネームさえあったと記されている。

しかし、ベアリング大尉は、それらの行為は彼の命令でなく、膝蹴りも自衛のためだけに使われることになっていたと言う。
「言えるのは、何も目撃しなかったということだけです」と、大尉は言う。

軍による強制捜査は2003年冬まで続き、これまでに15人の兵士がバグラム収容所における虐待事件で起訴され、戒告から禁固5ヵ月までの刑を受けたが、大尉以上の階級の者は誰一人として起訴されなかった。

ブランド上等兵も暴行障害及び過失致死罪容疑で起訴され、16年を求刑された。
軍法会議で彼は、ディラワル氏に対しての30回を越える膝蹴りを行ったことを認め、暴行と障害で有罪判決を受けたが、兵士からなる陪審団は、2005年8月、彼に降格処分を課しただけでた釈放した。

ベアリング大尉は、職務怠慢の罪で起訴されたが後に訴えは取り下げられ、「監督不行き届きによって、虐待を可能にする環境が造られた」とする戒告処分を受けたが、大尉は戒告処分の撤回を上訴している。
振り返ってみて死んだ2人に対する同情する気持ちはあるかと記者に訊かれて、ベアリング大尉は「確かに私には若干同情する気持ちはあります。私は、彼らがアメリカ人として生まれていたら良かったのにと思います」と答えた。

以上、TBSで見たアメリカのCBSドキュメント「60Minutes」からペリー記者のリポートを元に他の報道から一部を補足しました。

この事件の後、天井から鎖で吊すことは禁止されたそうですが、当時100人を越える程度だった披拘束者は、現在、その5倍の約500人に増加し、弁護士も付かず、不服を申し立てることも出来ないという状況に変わりはないそうです。
「反多国籍軍・反政府勢力でないことがわかれば釈放する」と言われても、無実が証明されない限り予防措置的に拘束を続けるというのは、自国民でないからできることでしょうけど、虐待も含めて「命の重さ」にあからさまなダブル・スタンダードがあることを十分に認識しているらしい。それが恐ろしいところです。。。


【関連記事として】法律の専門家として・・(2005/12/16)こちらの数字も一週間で200以上だが・・・(2006/05/23)

soliton_xyz at 23:11│Comments(0)TrackBack(0)イラクと中東 

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