日本とアジア

2006年03月27日

新聞も嘘をつく

26日放送のテレビ東京「森達也の『ドキュメンタリーは嘘をつく』」は、ドキュメンタリーだと思っていた番組のエンドロールを観たら「キャスト」が出てくるというオチでしたが、虚実の境目が不明だったのは、吉田恵子役の水木ゆうなだけで、他の人はバレバレでした。
ある意味で女優というのはすごいと思いましたが、「人はカメラを向けると何らかの役を演じるようになる」という意味で言えば、「テレビ東京報道部の記者役」の人の「セリフ」も、興味深かったです。

その「記者役の人」は、堀江貴文元ライブドア社長の逮捕前の報道について、あたかも時代の寵児であるかのように報じていたと反省の弁を述べ、日々悩み考えているようなことを言ってました。
報道全体を総括できるはずもないので、事実に即して正確に言えば「かつては堀江氏を時代の寵児として持ち上げていた報道もあったが、今は皆無である」ということになるのでしょうが、私が気になったのは、「今の報道は歪んでいない」という認識が発言の背後に感じられたことです。

起訴事実を離れて人格攻撃やら文明批評の格好の題材にするような「今なら言いたい放題」的な報道は、「何が客観的か」という基準すらナンセンスに思われるぐらいの過剰報道であり、これに対する反省だって本当はあってしかるべきなのに、それは今のところ「セリフにならない」らしい。
本来は資産に入れるべきを売り上げに計上していたというライブドアの事件は、債務超過で総資産マイナスだったカネボウの事件に比べれば、同じ粉飾決算でも「微罪」に見えるほどですが、報道の過剰さは逆に上回っているように見えます。

「何を天下の一大事として大々的に取り上げるか」ということも、ある種の嘘だと言っていいでしょう。
25日付け朝日新聞夕刊から始まった一面トップ記事の集中連載について、この問題を考えてみました。
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2006年03月05日

巨悪は眠る

「1996年8月、佐賀市農協の副島勘三組合長(76)らが、組合員のスッポン養殖業者に約1億円の不正融資を行った」との告発を受けた佐賀地方検察庁は、佐賀県史上初と言われる検察庁による独自捜査を始めた。
長崎・福岡の両地検からの応援を含めた総勢80人規模の体制で進められた捜査は、2000年11月7日には佐賀市農協事務所や副島組合長宅の家宅捜索を経て、翌2001年2月には理事、部長ら農協幹部3人を逮捕するに至った。

そして、その10日後の2001年3月3日朝8時頃、副島組合長の自宅に捜査官がやってきた。
任意同行に応じた副島氏が検察庁に到着すると、身元確認もすまないままに、背任容疑で逮捕状が執行された。

それまで、副島氏に対する事情聴取は一回も行われていなかった。
また、検察はワゴン車12台分以上の資料を押収していたが、容疑を裏付ける物的証拠はなかった。
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2006年03月04日

14歳の決断

ランジット・ヤド(14)は、ニューデリー駅から1kmのところにあるハヌマン寺院(Hanuman Mandir)広場の裏にある「センター」で、7-15歳の仲間25人と共同生活をしている。
約400km離れた北インドのウッタル・プラデーシュ(Uttar Pradesh)州の農村から「家族に大きな家を建ててあげたくて都会に働きに来たんだ」というランジットは、そのとき10歳だった。彼は7歳のときから学校に行っていない。

しかし、首都デリーの食堂で朝から晩まで働いても日給は50ルピー(約120円)。
土地を借りてコメを作っていた彼の実家には5人の兄弟がいるが、思うように送金もできず、一度も帰っていない。

今では、手紙を送っても返事が来ない状態が続いている。
地方から出てきた子どもが働き口や住まいを転々とするうちに家族と連絡が取れなくなることは少なくないという。

14歳未満の働く少年は、インド全土に2000万人と言われている。
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2006年03月02日

武器と野菜の関係

フィリピン南部のミンダナオ島は、人口1,300万の8割がキリスト教徒である。
ここで30年近く独立を目指して戦ってきたイスラム武装勢力「モロ民族解放戦線(MNLF:Moro National Liberation Front)」も、1996年の停戦協定成立以降、戦闘を停止している。

バトゥメロ(Batomelong)村は、人口5千人のうち3,500人がイスラム教徒で、500人は元兵士だが、全員が元MNLF大隊長ブランド・オスマン氏(51)の部下だった。
停戦協定締結後、村に戻ってきたオスマン氏たちは、民間組織「ミンダナオ開発プロジェクト(GEM:Growth with Equity in Mindanao Program)」が行っている野菜プロジェクトに参加している。

GEMは、就労経験がほとんどないイスラムの元兵士たちに農業・漁業技術の指導を行って彼らの生活を支援しているが、その資金はアメリカ政府が負担している。
アメリカ政府は、GEMを通じて、ミンダナオ島西部の123村約7千人を対象とする生活支援や道路や橋などのインフラ整備に、総額1億ドルの予算を投じている。
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2006年02月12日

続・塀の中で暮らす子どもの話

イギリス・ITVのクリス・ロジャーズ(Chris Rogers)記者は、フィリピンで投獄された子どもたちが超過密状態の刑務所に大人と一緒に収容されている様子を半年前にリポートした。
そのリポートは世界中で大きな反響を巻き起こし、フリピン政府は早急な改善を約束したが、半年後の現在も、状況はさほど変わっていない。

Philippines's Prison_3子どもたちは大人の収容者からは分離されたが、小さな監房に詰め込まれ、3段の棚の上に家畜のように積み重ねられている。普通に立ったり座ったりできるような広さもないので、小さくうずくまっているしかない。
隠しカメラで刑務所内を撮影すると、前に取材した13才のエドウィン君と一緒にいた子どもたちのうち数人が今まだそこにいた。

昨年、慈善団体は、エドウィン君のような100人を越える子どもたちの監護権を勝ち取った。
救出されたエドウィン君の裁判はまだ続いているが、保護施設「プラダ・ケアセンター」(the Preda Care Centre)で、彼は、13年の人生で初めて読み書きし、コンピューター
が使えるようになった。

Edwin半年経って、エドウィン君は刑務所での生活を思い出しても泣くことがなくなった。
「ある晩、僕はトイレに連れていかれて、セックスを要求されたんだ。そいつはナイフを持っていたと思う、それが脇腹に突き立てられたのを感じたから。嫌だって言ったら、そいつは僕にバケツの中のウンコを拾わせた。そして『やらせないなら、お前を殺す』と言ったんだ」

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2006年01月30日

「不快感」の代償、官僚機構が自ら仕事を造り出す時

2004年2月27日早朝、ドンドンとすごいノックをする人がいる。
覗き穴を覗いたら「立川署の者だ」と。「ここを開けろ、開けなきゃ壊して入るぞ」とか言って。ガンガンガンって。

ドアのチェーンを切って刑事が部屋に入ってきた。
『住居侵入罪』とかいう家宅捜索令状をかざして

「ひとの住居に侵入した覚えはないなあ」とか思って。
「何か嫌がらせみたいな感じで、家宅捜索したら帰ってくれるのかな」と思ってましたね。

ぼうぜんと家宅捜索を見ていたら、突然、逮捕令状を突きつけられた。
「や、びっくりしましたよ」

「ひえー」って言っちゃったもん。
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2006年01月28日

「ビンラディン」という存在の耐えられない軽さと重さについて

アフガニスタンとの国境に近いパキスタン北西部のワジリスタン(Waziristan)は、2万6千平方kmにおよぶ山岳地帯である。
世界中で最も有名な逃亡者が、この地域のどこに隠れていてもおかしくない。

ビンラディンを探し出すことが、そんなに重要なんでしょうか?
例え捕まえることができたとしても、あの連中のイデオロギーが消えてしまうということではありません。ビンラディンを重要視する必要はないと思うのですが。

もし捕まったらどうなると思いますか。残党は、さらに卑劣な手を打ってくるかもしれません。
しかも、イデオロギーはそのまま受け継がれていきます。その流れを止めることは、できません。

と語るのは、ワジリスタンでアルカイダの掃討作戦を指揮しているパキスタン軍のザフダー・フセイン中将だ。
フセイン中将は、ビンラディンはもはや指揮系統を断たれており、追跡する意味が無くなったと考えている。
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2006年01月23日

北京の民営小学校

北京には、地方からの出稼ぎ労働者とその家族、約450万人が暮らしている。
その数は、市の総人口の1/4にもなるが、戸籍の移動が厳しく制限されているために北京市には戸籍がなく、高額の寄付金をしなければ子どもを公立小学校に通わせることはできない。

Private elementary school in Beijing 1河南市出身の李素海氏(44)は、北京に出てきた親類の子どもの勉強をみたことをきっかけとして学校を作ろうと思い立ち、夫の易本耀氏(43)とともに、出稼ぎ労働者の子どもたちのための民営小学校「打工子弟小学」を開設した。
妻が校長、夫が理事長を務める小学校は「行知実験学校」と名を改め、1994年の開設時9人だった生徒は、現在965人。卒業生は1,060人になった。

今では6台の通学バスが北京市内を回って北京市郊外の学校まで生徒を運んでいる。
全校17クラスで、1クラスの平均人数は60人。どの教室もすし詰めの状態だ。
生徒たちの出身地は24省にまたがり、7つの民族で構成されている。

Private elementary school in Beijing 2給食は1食3元(約40円)で、スープにおかずが2品、主食はご飯か蒸しパンを選ぶ。
英語が得意で将来は外交官になりたいという何孝明さん(12)は、売店で1元のサンドイッチを買い、親からもらう給食費を毎日2元づつ貯金している。彼女は1年で700元ほどを貯金したが、このことはお父さんには「心配させたくないから」内緒になっている。
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2006年01月22日

続報・厳冬の被災地(TBSの場合)

The camp in Muzaffarabadパキスタン北部のムザファラバード郊外、被災者が暮らす河川敷のアルマルヘッド・キャンプは、少し増水すれば流されてしまいそうだ。
1月10日、この日の気温は摂氏1度。肺炎で死んだ女の子の遺体の周りに大勢の人が集まっていた。パキスタン医学協会のブルカニ・ラヒ医師は、キャンプに設置された診療用テント内は「ほとんど肺炎の患者です。子どもが増えています」と言う。

1月11日に訪れた標高1800mのリシェン村でも、地震でほとんどの家が被害を受け、人々は貧弱な夏用のテントで暮らしていたが、そのテントも雪の重みで35張りくらいが壊れてしまったという。
村の有力者であるビルサダン・ジェラルディーン氏のところでは、かろうじて倒壊を免れた部屋に親戚19人が集まって暮らしている。しかし、「毎日余震があるので怖い」というジェラルディーン氏は、逃げ遅れやすい小さな子どもたちを、夜は屋外のテントで寝かせている。この時期の最低気温はマイナス10度に達する。
Quake survivors in flimsy tents 1
雨の降る日は、水浸しのテントで寝るしかない。


Quake survivors in flimsy tents 2
あまりの寒さに、援助物資として受け取った衣類を燃やして暖をとる人も少なくない。




1月15日、再びリシェン村を訪ねようとしたが、土砂崩れで道路は通行不能になっていた。
しかし、ジェラルディーン氏の一族は土砂崩れの前に山を下り、親戚の家に身を寄せていた。彼は、「食糧の配給もある町のキャンプに入りたいが、どこも空きがない」と言う。

タンドリ(Tandali)には、日本のNGOが開設した昨年末に開設した冬季用テントのキャンプがあったが、多くの被災者に援助物資は届いていない。
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2006年01月13日

・・・と、NHKは伝えていました。(29秒)

earthquake survivors_1去年10月の地震で大きな被害が出たパキスタン北部のカシミール地方。
雪の中、裸足で歩く人がいます。長い道のり、救援物資を受け取りに行くのは大変な苦労です。


earthquake survivors_2雪の重みでテントもつぶれ、感染症や肺炎で死ぬ人も出ています。
夜になると氷点下10度の冷え込みに、毎晩が生き残るための戦いだとBBCは伝えています。
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