今日はちょっと言葉による性的差別について考えて見たいと思う。言わずと知れた女性への差別のことである。断わっておくけど、フェミニストとかではない。誰かを糾弾しようという気がさらさらない。ただ言語生活に反映されている女性蔑視文化は、「女性解放」、「半辺天」と謳われ半世紀が過ぎた今でも実はまだまだ中国社会に深く根付いていることが事実であろう。

では、どういうものがあるのかを見てみよう。

「唯女子与小人為難養也」 (女と小人ほど扱いにくい者はない) 

二千年前の孔子の論語の一節で、これにはいろいろと解釈が違って、女の事を言っているのではないというのが研究者たちの共通の見解のようで、ようは後世が孔子の趣旨を歪曲して今に至っているというのである。しかし世間一般はそんな学者の説なんか知らない、今でも女性とうまく行かないとき、女性とトラぶっているときについ陰口を叩いてしまうことがある。「小人」とは身分が低く、無教養な人のことで、「君子」の対極にある。

「女人頭髪長、見識短」 (女は髪の毛が長いが、見識が低い)

だれでも一度は耳にしたことがある。確かに昔は女性は地位が低く、教育を受ける機会も与えられなくて、外の世界をよく知らないことから、こういう言い方が生まれたと思う。しかし今日でもどんな高い教育を受けた人でも、女性が仕事や家庭で失敗したりすると、「やっぱり女だから」ということになる。露骨な女性差別である。でもこれを活かして「女人頭髪可以長、見識不能短」(女性は髪は長くてもいいが、見識は高ければならない」という女性を励ますようなプラス思考の表現もある。しかし「女はあくまでも女だ」という根底にある女性軽視の文化が見え隠れもする。

「女子無才便是徳」 (女は無才であること自体が徳である)

「女は教育を受ける必要がない。受けないほうが家庭がうまく行く」という男の人のエゴそのものである。女は字を覚え、外の世界を知ってしまうと、男にとっては都合が悪かった時代の名残であろう。現代ではそういう極端な考えを持っている人はさすが少ないが、女はそこそこ賢ければいい、つまり賢すぎちゃ困るというのが殆どの男の人のホンネではなかろうか。

「兄弟如手足、女人如衣服」(兄弟の絆は手足の如く、女は衣服の如く」

男友達と女を天秤にかけるとき、男友達のほうがずっと大事、女は衣服のようにいつでも捨てることができるという意味である。

これはひどい表現である、つまり男友達をとるのか、女をとるのかという選択が迫られるとき、女性は選択外とはっきり言っている、「そんなのをさっさと捨てなさい」と物扱いだ。

中国では男友達の友情を重んじる伝統価値がある、女を裏切っても友情を裏切ってはいけない。三国志の劉備と張飛と関羽の桃園の義の話はあまりにも有名である、つまり愛より義をとることが真の男である。

まだまだあるが、ここまでにしておく。中国はここ百年ぐらい女性の地位が著しく向上し、男と肩をならべて活躍する姿がむしろ日常的になってきているが、上に書いているように、都合が悪くなると、女性という性別に矛先を向けることもけっして珍しいことではない、つまりまだまだ男性優位の社会であることに変わりがないのである。

洋の東西を問わず、どこの言語にも多少とも似たような表現があるかと思うが、例えば日本、イメージ的には中国より男女の不平等さが際だっているように見えるが、実際のところはどうだろう?女性差別に繋がるような表現がたくさんあるのだろうか?私がよく聞くのが「女のくせに」というのがある。でも「男のくせに」もあるから、あながち差別とも言えない。女性としては聞きたくないものではあるが、単純に言葉に興味があるから、なにか知っていたら教えてください。