2006年06月

2006年06月29日

『山と渓谷』2006年7月号

『山と渓谷』は、2006年6月中旬時点では、編集部見解を、まだ、明示していない。

『岳人』7月号の「大日岳遭難事故裁判とはなんだったのか」は、原告側の視点に立ってこの裁判の意味を伝えよう (両論併記の形式を維持しつつも)、という意図の元に、構成された特集記事という印象を受けました。

一方、『山と渓谷』7月号の記事は、「少なくとも今回は、客観的報道の範囲に留めよう」という意図の元に、作成された特集記事という印象を受けています。

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2006年06月28日

「誤摩化しの利かない時代を向かえて」(投稿)

Okoshi Hisayoshi(2006)「『誤摩化しの利かない時代を向かえて』(大日岳事故およびその裁判からの教示として)」

本blogの2006年6月24日付のぼくの日記「『岳人』2006年7月号への疑問(その3-B)」について、Okoshi Hisayoshiから以下の論考をご投稿いただきました。

ここに、掲載します。
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2006年06月27日

「岳人」と「山と渓谷」の7月号へのBlogの反応

Blogでは『岳人』記事を絶賛する声が多いようだ。

Yahoo!のBlog検索で「大日岳」をキーワードに、『岳人』7月号と『山と渓谷』7月号の大日岳遭難事故裁判に関する記事にコメントしているBlogを検索してみました。

まず、もっともコメント数が多いのはBlog『いつか晴れた日に』でした。

『いつか晴れた日に』の評価をまとめると、『岳人』≫『山と渓谷』です。また、『岳人』の「まとめ」への評価は、ぼくの「まとめ」への評価とは正反対で、簡に要としています。

以下に3点引用します。

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2006年06月24日

『岳人』2006年7月号への疑問(その3-B)

「事故があっても国が責任をとってくれる」と楽観していけない。

前回の続き。つまり。「大日岳遭難事故裁判とはなんだったのか」の「まとめ」に対するコメントの残りです。

「関係者が事故調査報告書や裁判の前段階で、過失を受け入れる発言をしていれば、このような巨大訴訟に発展することはなかっただろう。」

事故後の国の対応 (事故調査のあり方も含む) とそれについてのご家族の心証が、今の状況に至った原因であるという点には異論はありません。ただし、講習会中のミスについては講師の中には認めている方もいたのではないしょうか。また、そのミスが法的過失に相当するミスかどうかは、講師の方には判断が困難と思います。

「他者が介入するほどの遭難事故が起こってしまった場合は、パーティには関係者に事故の全容を説明する責任が生じる。」

遭難事故について、パーティには事故の全容を説明する道義的責任が生じる、という意見なのであれば、ぼくも賛成です。しかし、道義的責任に基づいて説明を強制することはできませんから、重大事故について、必ず、「パーティには関係者に事故の全容を説明する」法的責任を生じさせるためには、なんらかの法的な措置の裏付けが必要と思います。

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2006年06月23日

『岳人』7月号の記事への疑問(その3-A)

判決は積雪期登山の実情と乖離した見解となった。(考慮すべき事情があるけれども)

『岳人』2006年7月号の「大日岳遭難事故裁判とはなんだったのか」の「まとめ」は以下のように始まっています。

「結論から言えば、判決はバランスの取れた常識的な見解で、登山も充分理解しているといえるだろう。」

ぼくはこの意見には反対です。ぼくはこう思います。

結論から言うと、酌むべき事情があるとはいえ、判決は積雪期登山の実状と乖離した見解となった。この歪みは今後の引率型積雪期登山にマイナスとなることが予測される。

判決が積雪期登山の実情と乖離した内容となった原因は主に3つあるように思います。(真因は、国家賠償法の立法趣旨が被害の救済であるのに無過失責任主義を採用しきれなかった点と思いますけど・・・)

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2006年06月22日

『岳人』7月号の記事への疑問 (その2-B)

判決は、国の雪庇回避の方法論自体は「是」と判断した・・・

今回は、前回の『岳人』7月号の記事への疑問 (その2-A)の続きです。

 「判決概要」中の以下の記載についての異論をもうひとつ述べます。p.147の上から2-3段目です。


「国は『雪庇先端からの距離で雪庇を回避し、登高ルートを選ぶ』という方法論を主張し、ルート取りに間違いはなかったとした。判決はその方法論の是非には触れず、25m程度の雪庇ができていることは予見できたことから、講師が見かけの先端から25m離れてルートを取らずに、個人的な経験則を元に雪庇の大きさを判断した人為的なミスが事故の原因としている。」


ぼくの理解では、判決は国の方法論の是非を検討し、方法論自体はこれを「是」と判断してます。確かに、はっきり、例えば「国の方法論自体は妥当だった」と明記したわけではありませんけど・・・。

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2006年06月20日

『岳人』7月号の記事への疑問 (その2-A)

「裁判では原告の主張をほぼ認め」 た、とは言えない。

「大日岳遭難事故裁判とはなんだったのか」 (『岳人』2006年7月号)のリード文は以下のようになっていました (数字は算用数字に改変)。


富山県の北アルプス・大日岳 (2501m)で、2000年3月、文部科学省(当時・文部省)登山研修所の冬山登山研修に参加し、雪庇の崩落で遭難死した大学生の遺族が、引率講師の過失が原因として、国会 (ママ) 賠償法に基づき、国に損害賠償を求めた訴訟の判決が4月26日富山地裁であった。裁判では原告の主張をほぼ認め、国に1億6700万円の支払いを命じた。・・・・


上記のリード文に、ぼくは以下のように反論します (ただし、文中の誤植は「国会賠償法」だけであると言う前提に基づいてですけど) 。

リード文は「裁判では原告の主張をほぼ認め、国に1億6700万円の支払いを命じた。」としている。しかしながら、判決は、原告主張をほぼ認めたとは言えない。なぜなら、原告主張のうち、かなりの数の主張を富山地裁は棄却しているからである。

にもかかわらず、「原告の主張をほぼ認め」と書いてしまうと、判決文を読んでいない読者の間に、あたかも、原告の主張のほとんどが認められたかのごとき誤解が生まれてしまう可能性を否定できないと思われる。

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2006年06月19日

『岳人』7月号の記事への疑問 (その1)

『岳人』記事は編集部見解か?、それともそうではないのか?

6月15日発売の『山と渓谷』と『岳人』の大日岳遭難事故裁判に関する記事を読みました。

読んでみたら、コメントしなければならないことがありすぎて、かなり困惑してしまいました。しかし、気を取り直し、少しずつ、報告してゆきたいと思います。

まず、『山と渓谷』は、編集部見解の明示を今回は見送ったようです。一方、『岳人』が編集部見解を明示したのかそうではないのか、は「どうも判別しにくいなあ」と思いました。

その理由を以下に書きます。

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2006年06月14日

Noblesse Oblige

高い地位にある方々には、それにふさわしい社会的役割が期待される

明日、6月15日は、『岳人』と『山と渓谷』の発売日です。両誌には、大日岳遭難事故についての一審判決に関する記事が掲載されているはずです。ご注目ください。

『山と渓谷』と『岳人』は、我が国の登山界を代表するメディアです。したがって、登山専門誌の編集部である両編集部は「風下側雪地形に内在する危険性の程度に対する事故当時の積雪期登山者や山岳ガイドの平均的知見がどうなっていたか」についての客観的なデータが集積されている場所、あるいは、集積させることが可能な場所であるはずです。

このことは、両編集部は、編集部内に蓄積されたデータや編集部に繋がる人的資源を利用することで、「今回の一審判決の示した吹き溜まりの危険についての判断が妥当なものだったか、それとも、そうでなかったのか」を、精確に判断できる位置にあるということを意味しています。

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2006年06月13日

冬山登山期間中飲酒禁止説(比喩)

わが会では10月1日から5月連休終了までは禁酒。一切の例外なし。

登山中飲酒禁止説を唱えるAさんが代表を務める、とある社会人山岳会に所属するあなたは、九月初めに、冬山合宿の第一回準備会に出席します。Aさんから今シーズンの冬山登山に向けての重大な発表があるということでした。

Aさん(日本酒学会会員)のお話はこんな感じでした。

多くの登山者が登山中にアルコールを摂取し続けている。特に、夕食時のピールや寝酒などにはまったく無頓着で、大宴会を行う者さえいる。しかし、私は、夕食時のビール350ml缶一本といえども、次の日の行動に深刻な影響を与えることをすでにあきらかにしてきた。

今回は、ここ十年の私の研究によって、雪山登山の準備段階における飲酒が低温に対する抵抗力を奪うことを報告したい。例えば、ビール350ml缶1本中のアルコールは低体温症になる可能性を増加させ、さらに。その影響は最低3ヶ月持続することがあきらかになった。わかりやすく言うと、秋にビール1本飲んだだけで、冬山から生還できない可能性が増加する、ということだ。詳しくは私のテキストを見てほしい。
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宗宮誠祐

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