プロフィール

December 28, 2005

私のプロフィール(機材遍歴つき)

1969年:岡山県真庭市(現在)生まれ。
 物心つく頃までに撮られた写真は白黒・カラーの混合。
 家にあったミノルタHi-Matic9というRF機でよく撮られていた。
 最初に使ったカメラがRF機であるため、今でもRF機使うことあり。
 母方の伯父はキヤノンAE-1使いだったので、それでもよく撮られていた。
1985〜88年:岡山県立落合高等学校に在学・・・写真部に所属していた。
 当時の顧問、畑克介先生(2年間)、小島謙先生(3年間)の指導を受ける。
 一年上の先輩たちの使用機は、ニコンF2やキャノンA-1とかミノルタX700だった。
 同期での使用機は、ミノルタX7とかキヤノンAE-1とかであった。
 入学した年には、初の本格的AF機ミノルタα-7000が発売された。
 2・3年時にはポートレート作品を文化祭に出品し、話題(笑い?)となる。
 前後の学年では女の子写真を撮った人で割と覚えられているはず?

 入部後、Hi-Matic9をしばらく使っていたが、一眼レフの必要を痛感させられた。
 (遠くのものを撮れない。近寄って大きく撮ろうにも限界がある。)
 85年8月下旬頃、津山市の中古カメラ店(質屋かも?)で初の自分用機材を購入。
 (Yashica FRに28mm付きで1万7千円だった。これが一番安かった一眼だった。)
 Hi-Maticより広い範囲が写る28ミリに悩まされ、運動会などのイベントでは困った。
 12月末 CarlZeiss Tessar 45mmF2.8を、86年8月末にはTefnon 75-300mmを購入。
 (このヤシカセット、途中手放したりしたけど、同等のセットは手元にある。)

1988〜1992年:関西学院大学文学部史学科に在学
 学科は歴史関係であるため、そんなに写真を撮る機会はなかった。
 せいぜい、ゼミ合宿で古文書をマイクロフィルムで撮影した。
 あと視聴覚教育の授業でスライド作成のために作品撮影をしたくらいだった。
 新聞総部や生協組織部やミニコミ紙で写真撮ったり記事書いたりしていた。
 まるでフリーライター状態だったな。個人的に撮影はちょこちょこ続けていた。
 機材は、神戸でTamronのテレコンを1万円、YasicaML135mmを3千円で買ったくらい。
 帰省時には、商品配達の手伝いのついでに、あちこちの風景を撮影していた。

1992〜現在:(高松市立)高松第一高等学校 地歴・公民科教諭として勤務
 担当科目は、日本史・世界史を担当。(他に現代社会・倫理の授業もあった。)
 今まで担当してきた部活動・・・新聞部、ヨット部、水泳部、地歴部、柔道部。
 意外と写真を撮る機会の多い仕事で、新聞部では顔写真撮影をよく撮影した。
 たまに、NHK高松放送局の6時台のニュースのお天気写真に投稿している。 

 1992年夏に、コンタックス167MT(中古品)を市内カメラ店で購入。
 1997年以降、しばらくクラシックカメラブームに乗り、古典的機材を色々購入。
 2005年夏:長く使っていたヤシカ・コンタックスがカメラ生産から撤退した。
 主力機材をキヤノンEOSシリーズに変更。(EOS-1NとEOS10D)
 コンタックスクラブは、四国に支部がなかったため、入れずじまいに終わる。

 現在、高松第一高等学校 地歴公民科教諭、写真部と柔道部の正顧問。
 2006年度以降、全日本写真連盟に加入するかどうか検討中。

 なぜ、今頃になってプロフィールを書くことにしたのかというと、やはりどんな人物が書いているのかは、文章の中身を理解する上で必要かなと思ったからである。しばらく考えてもロクな内容になりそうもなかったんだが、今日は私の誕生日だったので、一念発起して書いてしまった。ま、面白くなかったら、「この程度のヤツが書いてるんだから、しょうがないな」と思って理解して欲しい。

sonnarwiz at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) mixiチェック