今回は魔法少女まどか☆マギカの設定とマギアレコードのの設定を比較し、イブについてくわしく見ていきます。
後半はイブとドッペルの話を進めると同時に今まで調べてきたドッペルの考察をこのページに移植します。そのため、以前までドッペルの考察を公開し続けていた


ドッペルの考察 マギウスを信じるな
http://blog.livedoor.jp/sora_dq102-free_online_kousatu/archives/23313741.html


での更新は終了させ、このページにドッペルの考察を追記していきます。
それでは、まずはマギアレコードとまどマギの設定から振り返っていきます。
1.まどマギとマギレコ 設定を有効活用した結晶体「神浜」

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魔法少女まどか☆マギカには様々な設定が用意されていました。その中でも重要な役割を果たしている設定が、魔法少女とエネルギーです。


1.1.1 キュゥべえの目的とエントロピー

キュゥべえが人類から感情エネルギーを手に入れている目的は、エントロピーが上昇している宇宙を救済することです。
エントロピーという言葉は様々な分野で用いられる言葉です。それぞれの分野で使われるとはいえ、共通している理解の方法は「エントロピー≒不規則な度合い」です。
不規則であればあるほど散らかっている、ばらばらであることを意味し、規則正しく並んでいる銀河系も円軌道など関係なしにばらばらな状態となってしまいます。
つまりエントロピーが高くなってしまうということは、「宇宙」という形を維持できないことになるのです。
宇宙はエネルギーを消費するだけでエネルギーの供給元がない状態です。

エネルギーは有限です。いつかは枯渇し、無くなってしまう時が来ます。その瞬間、宇宙は死を迎えてしまうのです。
宇宙の死は、エントロピーが最大値まで高まった状態です。
キュゥべえは感情エネルギーを集め、「宇宙」という形を維持するエネルギーへと変換し、放出しているのです。

キュゥべえが目を付けた感情エネルギーというものは画期的なエネルギーではありましたが、その収集方法に問題がありました。


1.1.2 感情エネルギーと魔法少女

感情エネルギー自体は一般人からも収集しようと思えばできます。しかし、その量は微々たるものであり、キュゥべえが求めるほどの爆発力は秘めていません。
そんな中でも、こどもと大人の間に位置する第二次成長期の女性が最も感情エネルギーを多く放出します。
キュゥべえは感情エネルギーが多く手に入る方法「希望と絶望の相転移」に目を付けました。
希望から絶望に代わる瞬間は、実際の生活の中でも感情に大きな振れ幅があります。しかしそんな状況は意図的でなければ訪れない場合がほとんどです。
そこでキュゥべえは、願いを叶え、希望が実現した先にある絶望を意図的に起こしてしまう「魔法少女と魔女のサイクル」を生み出します。


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”少女から女性になる君たちは、いずれ魔法少女から魔女になる”


魔法少女になった第二次成長期の少女は願いが叶ったことによって感情は頂点まで高ぶります。そこに摩訶不思議な化け物「魔女」との戦いが待っていて常に刺激を受けている状態となります。
しかし、世の中というものはいつもうまくいくわけではありません。幸があればあれば不幸も訪れます。
最終的に人は負の感情を抱き、感情の底へと堕ちてしまう場合があります。感情の底へ着いてしまったとき、魔法少女は魔女となってしまうのです。

また、魔法少女の魔力というものは使えば使うほど負の感情を溜め込むシステムとなっています。いくら感情の浮き沈みが穏やかな魔法少女でも、いずれは魔力を使い果たします。それは、感情の底へとたどり着いてしまうことと同義です。

感情が頂点から底まで沈み切るとソウルジェムはエネルギーを放出し、その抜け殻は負の感情を吸い取る種として生まれ変わります。それをグリーフシードと呼んでいます。
グリーフシードとなった魔法少女の魂は一般人の負の感情を吸い込み、魔女となってより多くの負の感情を収集していきます。それを新たな魔法少女が倒し、グリーフシードを回収しては魔法少女のソウルジェムを浄化し、限界を迎えそうになったグリーフシードはキュゥべえのもとへと渡り、エネルギー回収を完了します。

ここまでに

・魔法少女から魔女になる際に放出した相転移エネルギー

・グリーフシードから魔女が生まれる際に放出されたエネルギー

・負の感情を集めたグリーフシードに込められたエネルギー(ここで一般人から感情エネルギーを集めている)


といった三段階でキュゥべえは一人の少女から相転移エネルギーを効率的に集めるシステムを開発していたのです。
エネルギーの集め方としては抜け目がありません。
しかし、このシステムによって多くの人間が不幸になり、死を迎えています。

1人の少女から得られる相転移エネルギーは因果律に比例するらしく、多くの因果を背負う少女ほど多くの感情エネルギーを放出するのです。大抵因果というものは生まれたときから決まっているものです。しかし、何らかの干渉を受けて因果律が大きくなる時があります。

因果律を高めた例では、いくつもの並行世界を1人の少女を中心としてつなげたことがあります。







次に見る設定は、干渉遮断フィールドと結界です。



1.2.1 魔女の結界と干渉遮断フィールド

魔女は独自の結界を設けています。その結界は一般人には感じ取ることができず、魔法少女も魔力パターンを感知しない限り発見することは困難です。これは、魔女の結界が外界からの干渉を拒む仕組みとなっているからです。
魔女の結界は内側から持ってきたい者や物を結界内へ招き入れ、ひたすら拒みたいものは遮断しようとします。

魔女の結界と似た性質を持つ干渉遮断フィールドの仕組みは叛逆の物語で詳しく語られていました。干渉遮断フィールドは外部からの干渉を一方的にカットする性質を持っています。叛逆の物語ではその遮断フィールドの制御をキュゥべえが行い、魔女になる寸前のほむらが結界内へ招き入れたい人物を使い魔に連れて来させるということを行っていました。干渉遮断フィールドによって円環の理の干渉は拒まれ、救済を受けられないという状態になっていました。

魔女の結界は魔女がいなくなれば消えてしまいます。遮断フィールドもまた、作った主がいなくなれば消えてしまいます。



次は叛逆の物語で起きた魔法少女なのに魔法少女ではない状態についてです。


1.3.1 魔法少女ではない魔法少女「半魔女」

叛逆の物語では魔女になる寸前のソウルジェムの中に魔女の結界が出来上がるという不思議な状態が出来上がってしまった時がありました。

通常であればソウルジェムが割れて魔女が生まれてから結界が出来上がるという仕組みのはずが、魔女にはならず、ソウルジェムの中に結界が出来上がっていました。
これは、キュゥべえが干渉遮断フィールドによってほむらを隔離させ、魔女化する瞬間に発生する円環の理を観測するために起きた異例の事態です。
つまり、暁美ほむらがソウルジェムの中に結界を作っている間は「魔法少女ではなくても魔法少女なモノ」というおかしな存在となっていたのです。言い換えれば半分は魔女の状態「半魔女」となっていたのです。実際、設定資料集にはソウルジェムの中で魔女化したほむらに対して「半熟魔女」という表現がされています。

半魔女の状態であればソウルジェムが割れて魔女化してしまうまでの間に叛逆の物語で行われたような何らかの救済処置が施されてしまえば、ソウルジェムが割れて魔女化することはありません。
つまり、半魔女の状態であれば魔女化しないで救済される可能性はあり得るということを叛逆の物語では示しているのです。




ここまでの設定が、実は神浜とそこで起きた出来事に色濃く反映されているのです。


1.4.1 マギウスが張った遮断フィールド

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マギウスはキュゥべえを神浜へ干渉させないようにするための被膜を張りました。この被膜は、叛逆の物語でキュゥべえが操作していた干渉遮断フィールドとよく似た性質を持っています。
それはそのはずであり、マギウスはかつてキュゥべえの知識を根こそぎ奪おうとした機会があったらしく、その際に手に入れた知識の一つに干渉遮断フィールドがあったのでしょう。
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遮断フィールドは魔法少女ではないキュゥべえでも構成できる仕組みであり、その仕組みさえ知っていれば誰でも作り出すことができます。
マギウスが作り出した神浜に張った被膜は、キュゥべえを限定して遮断しているだけであり、他の干渉は拒みません。
ここまでしてキュゥべえによる干渉を避けたいのかというと、キュゥべえによる干渉が可能になった場合、イブに与えるはずの感情エネルギーがキュゥべえに渡ってしまう可能性があるからです。マギウスの考えでは「キュゥべえからの独立」も視野に入っているため、キュゥべえは邪魔な存在となってしまうのです。そのための被膜です。

最終的にこの被膜は世界へと広げる予定になっています。なぜ神浜限定で被膜が作られているのかというと、計画の根幹であるドッペルシステムが神浜までしか反映されないからです。




1.4.2 マギウスが行うエネルギーの回収方法

マギウスはキュゥべえからの独立とその成り代わりを目的としています。
現在マギウスの一人である里見灯花はエネルギーの変換を行うことができます。これは、あらゆるエネルギーを魔力に、あるエネルギーを別の種類のエネルギーへというようにエネルギーに関わる変換を得意としています。
もう一人のマギウスである柊ねむは創作した物語が現実になる能力を持っています。これによってウワサを創り上げ、ウワサで発生した負の感情を灯花がエネルギーに変換するというサイクルが出来上がっています。

しかし、これでは二人のソウルジェムが濁りきるのは容易なことです。
そこに現れたのがイブです。イブによってもたらされたドッペルというシステムは魔法少女が魔女になるときに発生する相転移エネルギーは放出するものの、魔女になることはないということを可能とさせています。それだけではなく、イブはドッペルなどによって発生した相転移エネルギーを吸収し、宇宙に返すということもできるのです。
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ここまでに

・ウワサによって集めた一般人や魔法少女の感情エネルギーを変換し、イブへ与える

・ドッペル発動時に放出されるエネルギーをイブが回収する

・魔女をイブへ食らわせることで魔女に込められた感情エネルギーを与える


といったイブを中心としたシステムでマギウスはエネルギーの回収を行っているのです。
マギウスは、「マギウスがキュゥべえに成り代わる」といっていますが、正確にいうと「イブという存在がキュゥべえに成り代わる」と表現したほうが正しいのです。
イブがいればマギウスが魔女になることはなく、システムの破綻も招くことがありません。唯一破綻する場合というのは、イブの消滅以外ありえないのです。

マギウスが行うエネルギーの回収方法は、人類が犠牲になる代わりに魔法少女は救われるというものです。キュゥべえが考えたシステムよりも救われる数が増えてはいるものの、非人道的であることに変わりはありません。

では、マギウスの計画を支える重要な存在イブとはどのようなものなのかを見ていきます。


1.5.1 イブとは
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イブという単語は様々な宗教で登場する人類誕生について関わる重要な存在です。名前は呼吸をする、生きるという意味の言葉から来ています。
イブは人類の母であると同時に人類に罰がもたらされる原因を作った存在でもあります。イブは蛇にそそのかされ、神の命令に背き、知恵の樹に成る果実を食べてしまったことで真実を知ってしまいます。その後は果実を一緒に食べたアダムとともに楽園を追放されてしまいます。
ここまでの内容は様々な宗教に反映されています。

さて、マギアレコードに登場するイブですが、モチーフが宗教を語る際に登場する人類の母のことを指しているのであれば、マギウスが呼ぶイブという存在は魔法少女の母という位置づけになります。


イブは感情エネルギーを吸収する能力を持っていて、そのエネルギーを宇宙へ放出する性質を持っています。その過程でドッペルシステムがもたらされ、このシステムはマギウスにとって必要不可欠なものとなっています。
このドッペルシステムですが、現在は神浜の範囲でしか反映されません。これは、イブが「半魔女」の状態だからです。
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半魔女ということは、イブと呼ばれる存在は魔法少女である誰かとなります。

イブが置かれている状況は叛逆の物語での暁美ほむらと同じ状況です。イブの外では被膜が張られ、その内側では魔法少女が願う楽園が形作られています。

叛逆の物語では暁美ほむらが魔法少女と魔女の狭間でさまよっている状態でした。そのさまよっている間はまるで夢を見ているかのような時間でした。
暁美ほむらがソウルジェムの中に生み出した世界はナイトメアという存在しないはずの敵と戦い、ソウルジェムの浄化は実際の魔法少女システムとは違い、すぐに浄化され、みんなが幸せになるという世界でした。

しかし察しのよいほむらは自分で自分が作り出した理想郷の真実を知り、自ら魔女となってしまいます。

つまり、半魔女の状態である魔法少女は、外で時間が流れている間は長い夢の中にいる状態といえるのです。
イブはどうなのかというと、叛逆の物語でのほむら同様、半魔女の状態でさまよっている状態です。



ではイブと呼ばれている魔法少女は誰なのかというと、

環ういです。
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イブがういであるという根拠は、ストーリーの中で示されていました。

万年桜のウワサの木は、いろは、灯花、ねむ、ういの4人がそろったときに満開の花を付けます。
その木の枝が、いろはがイブにつかまった際に花をつけたのです。これは、イブがういであることを示す大きな証拠となります。
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↑万年桜のウワサの枝


また、燕のような使い魔の鳴き声からも、イブはういであるという可能性を示していました。

メインストーリー6章
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ホビャビャチュビャーン → おねーちゃーーん
ホベーミャンビョコゥ → おねーちゃんどこぅ



メインストーリー9章
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ホベーミャン! → おねーちゃん!
ニャンヨミャエミャメ! → やっとあえたね!


少々読み方に癖があるという点を意識すると、燕の姿をした使い魔は鳴き声の内容を見たところイブの使い魔だったことになります。そしてうい自身に意識は残っていて、いろはのこともしっかりと覚えていることがわかります。

ほむらが半魔女だった時も結界内で使い魔が自由に動き回っていたところを見ると、ういの置かれた状況は、叛逆の物語のほむらとよく似ていることがわかります。

ういの置かれている状況の設定は、叛逆の物語の設定を有効活用した結果なのです。


このように、マギアレコードの舞台「神浜」は魔法少女まどか☆マギカの設定がふんだんに使われた、設定を有効活用した結晶体として存在しているのです。



それでは、イブの考察を行っていきます。





2.イブの考察

イブは今後どうなるのかというと、「環ういの姿に戻り、ワルプルギスの夜とともに対消滅」します。
これを仮説という位置づけにして、この考え方が正しいと証明していきます。
今回も仮説に対して否定していく流れで進めていきます。



2.1 環ういが魔法少女ならば、ドッペルシステムの影響を受けないとおかしい

ドッペルシステムは、「神浜にいる魔法少女すべてに適用されるシステム」です。たとえ神浜市外にいた魔法少女でも、神浜の中で穢れが満ちればドッペルとして放出し、魔女となることはありません。
魔法少女であれば、ドッペルシステムの恩恵を受けていないとおかしいのです。

しかし、イブこと半魔女状態のういはマギウスによると魔女になってしまうとのことです。これは疑問に思うべき点です。

魔法少女まどか☆マギカではすべての世界と宇宙、すべての魔女を生まれる前に消し去るというまどかの願いは、最終的にまどか自身も救済しています。このことから、願いは自分にも影響を与えることがすでに証明されています。

それにもかかわらず、マギウスの話ではイブへはドッペルシステムが反映されないとのことです。
それもそのはずです。なぜなら、マギウスはイブを被膜で覆ってしまっているからです。

何を言っているのかというと、願いによって神浜の範囲でのみ魔法少女の法則が塗り替えられました。この時にその願いを願った存在「環うい」がドッペルシステムの影響を受ける前に捕獲されてしまい、被膜に覆われてしまったのです。
これによってういは半魔女状態となってしまい、ドッペルシステムだけが欲しいマギウスによってただのシステムとして利用される立場になってしまったのです。
実はこの時、ういは悪魔ほむらが行ったような、概念から特定のものを抜き取るということを成し遂げられてしまっています。マギウスにとって必要なのはういが願った末に生まれたドッペルというシステムであり、環ういという記録は外へ投げて捨てられてしまったのです。

この結果生まれたのが、環ういとしての記録をいろはのもとへと届けた「小さなキュゥべえ」です。
環ういという記録が概念から抜かれてしまったことにより、世界に「環ういが存在しなかった」状態となってしまいます。

しかし、物語の中では「イブの中にあるソウルジェム」という表現しかされておらず、被膜が張られているという証拠はありません。叛逆の物語ではほむらが望んでソウルジェムの中で魔女化しましたが、本来ならば被膜が張られていてもソウルジェムを割って魔女化するのが普通のようです。

そうです。魔女化するのであれば、「ソウルジェムが割れてグリーフシードになる」という過程を踏まなければ魔女化した姿を外部へ表すこともないはずなのです。
それなのにイブという魔女のような姿は外部へ姿を現していて、ソウルジェムは割れてません。

つまり、イブの姿はういが魔女となるはずの姿ではないのです。
ならばイブという姿は何なのかということになります。イブはういのソウルジェムをドッペルシステムから隔離するための被膜なのです。アリナがベストアートワークといっていたので、イブの姿はアリナが考えた姿だと考えられます。

物語の中で語られた「イブの中にあるソウルジェム」という表現は、イブが被膜であることを表していたのです。

魔法少女まどか☆マギカで杏子が語っていた理想論が現実になるかもしれません。
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「あの魔女をまっぷたつにしてやったらさ、中からグリフシードの代わりにさやかのソウルジェムがポロッと落ちてくるとかさ。そういうもんじゃん?最後に愛と勇気が勝つストーリーってのは」




よって、ういがドッペルシステムの影響を受けないのは、イブという被膜によってシステムから隔離されてしまったからです。その副産物が、小さなキュゥべえです。そして小さなキュゥべえは、環ういの記録です。



2.2 環ういが魔法少女として姿を取り戻す余地はない

システムと記録が分離してしまった状態で、果たして修正可能であるかどうかという話ですが、可能性はあります。
叛逆の物語では、人としての記録でしかないはずの鹿目まどかが概念としての役割を思い出そうとする瞬間がありました。その際にほむらによって止められてしまったため、元に戻ることはかないませんでした。しかし、マギアレコードでは導き手が存在します。
それは、姉であるいろはです。
ういという記録がなくなってしまった神浜で唯一記録を持っているいろはは、ういの記録である小さなキュゥべえをイブの中にあるういのソウルジェムのもとへと届けることができれば、環ういという魔法少女として姿を取り戻すはずです。
しかし、たどり着くだけでは問題は解決しません。叛逆の物語同様、遮断フィールドを破壊しなければ環ういの記録を概念へと導くことはできないでしょう。

よって、いろはと小さなキュゥべえが健在であれば、環ういが魔法少女としての姿を取り戻す余地があるものの、遮断フィールドを破壊しない限り元に戻ることはありません



2.3 ワルプルギスの夜は環ういと対消滅なんてしない

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ワルプルギスの夜を倒す方法ですが、魔法少女まどか☆マギカでは魔女を消し去ることを願ったまどかによって消滅させることに成功します。
マギアレコードでは狂暴化したワルプルギスの夜に立ち向かう手段が用意されていません。おそらくただ神浜にいる魔法少女が束になって挑んだとしてもかなう敵ではありません。

そこで目を付けるべきなのは、ういが魔女化した際に発生する相転移エネルギーです。ういが魔女化する際に放つエネルギーは、被膜を世界中へ広げることが容易になるほど強大な力を持っているとのことです。
ういが魔法少女の姿に戻りドッペルを発動させた場合、世界を破壊できるほど大きな力でワルプルギスの夜を攻撃できることになります。街一つを容易に破壊するほどの力しかないワルプルギスの夜はすぐに倒されてしまうでしょう。
現在考えられるワルプルギスの夜を倒す手段はこの方法しかありません。
ワルプルギスの夜を倒した後、ういは願いによって神浜限定の概念となってしまったため最終的には消滅して一般人には認識されなくなってしまいます。

このように、ワルプルギスの夜はういによって倒され、倒したういもまた概念となって消滅してしまいます。

よって、対消滅という表現は正しくはなく、ワルプルギスの夜はういのドッペルによって倒されるという表現が正しいといえます。



ここまでに導かれた結論は、

ういがドッペルシステムの影響を受けないのは、被膜によってシステムから隔離されてしまったから

環ういが魔法少女に戻る余地はあるものの、ういの表面に張られた遮断フィールドを破壊する必要がある

ワルプルギスの夜はういのドッペルによって倒され、そのあとういは概念となって消滅する

となっています。

したがって、イブは「環ういのソウルジェムを覆うドッペルシステムから隔離するための被膜である」そして環ういは「ワルプルギスの夜を倒した後、概念として存在するようになる」という結論が導き出されました。

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マギアレコードのOPにあるこのシーンは、ういが概念となって消える瞬間を表していたのです。









では、ここからはドッペルの考察を綴っていきます。
ドッペルの考察はわたしのドッペル開放のスピードに左右されてしまうため、随時追加していく形となります。ご了承ください。
追加された際にはツイッターで報告します。


・新約 ドッペルまとめ・

七海やちよ

ドッペル名:CAMPANELLA

モギリのドッペル その姿は、切符鋏


モギリ


説明
この感情の主はやがては自分も今まで見送った友を追って旅に出る日のことを夢想する。
尾の先にぶら下げられたランタンに灯した火で様々な幻影を呼び出す他、尾のハサミで傷をつけられた者は遠くない未来に必ず大きな災いが訪れるという。
長く魔法少女として生きてきた者、年齢の高い者のドッペルは正負の感情幅が少なくなってしまうことにより、このドッペルのように本体から分離しきれず一体化した姿となる場合がある。

ドッペルに変化した部分
両手、左足

ドッペル発動時のセリフ
「おいで」


モギリは、入場券の半券を切り取ることを指します。また、切符鋏は現代ではあまりなじみはありませんが、列車の搭乗券の確認済みという印をつけるハサミのことを指します。
やちよのドッペルを開放するときにかかわったストーリーを見るとわかりますが、やちよの願った「生き残りたい」という願いのために仲間の命を生き残るための切符として使用しています。おそらくこの事が彼女の絶望につながったため、ドッペルの姿では切符鋏が強調されているのでしょう。

ドッペルとして変化したのは両手と左足というほとんど一体化したような状態です。ドッペルの説明文にもある通り、やちよは魔法少女歴が長いことからほとんどドッペルが体から離れていない状態となっています。

なぜ蠍の姿なのか、というと「銀河鉄道の夜」という作品の中にある”やけてしんださそりの火”からきています。
このエピソードに登場する蠍は、いくつもの命を奪って生きてきたことを井戸で溺れながら後悔します。このことがやちよの絶望、後悔によく似ています。そのことから、蠍に似た見た目となっているのです。また、ドッペルの攻撃方法は、ランタンの灯で相手に溺れる幻影を見せています。攻撃方法も、蠍の火のエピソードからきているのです。

ドッペル発動時のセリフからはドッペルを受け入れ、呼び出しているかのようです。やちよはドッペル自体は悪いものではないと判断したのでしょう。

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由比鶴乃

ドッペル名:YUHONG

団欒のドッペル その姿は、金華



金華


説明
この感情の主はこのドッペルの容姿に関してかなり不満を抱いている。
また、主の奉仕によって偉業を成し遂げたいという思いとは異なり、無限の富を生み出すことで身内の欲望を際限なく叶え仮初の団欒だけを守ろうとするこのドッペルの性格に対しても不信感を持つ。
主はこのドッペルが自身の崇高な目的の真逆にあると考え、その俗悪な姿を誰にも知られたくないと思っているが、仮初であろうとも団欒の崩壊を防ぐためにはいつかこのドッペルの力に頼らざるを得ない日が来るだろう。


ドッペルに変化した部分
体とつながっている部分はなく、ドッペルにつるされているような姿

ドッペル発動時のセリフ
「暴れて」



団欒は、親しい人たちが楽しく過ごすことを意味します。つまり、由比家が楽しく暮らし続ける事をこのドッペルは叶えてくれるというのです。金華には贅を尽くした飾りという意味もあります。由比家の偉業だけは自分の力で成し遂げたいと考えた末に破綻寸前の家を元に戻す、団欒を維持するという思いから鶴乃は魔法少女になりました。このドッペルにはこの願いが反映されているのです。

このドッペルの名前がなぜYU HONGなのかというと、シルクロードで発見された石棺からきていると考えられます。ここでいう石棺は、サルコファガスという上流階級用の棺のことです。サルコファガスには豪華な装飾が施され、棺に納める死体本人のことだけではなく、願いや夢、恐怖が描かれたそうです。YU HONGが納められていたサルコファガスは中国の文化の影響を受けていたらしく、中華の店を営んでいる由比家とも一致します。
つまり、このドッペルはサルコファガスであり、鶴乃の願いが描かれているのです。
ドッペルに豚があるのは金華という言葉が金華ハムとして利用されていることから、豚が贅を尽くした飾りとして用いられたのでしょう。

ドッペルとはほとんどつながっていない姿を見ると、鶴乃の感情の正負の差はかなり大きなものであると想像できます。また、ドッペルを受け入れられない思いがありながら、攻撃手段としてしっかりと利用している様子がセリフからうかがえます。

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深月フェリシア

ドッペル名:BEATRICE

攪拌のドッペル その姿は、瞼


ふぇりどっぺる




説明
この感情の主はこのドッペルが現れている間、深い眠りに落ち、このドッペルが知り得ることを主が目にすることはない。
このドッペルは主が寝ているうち、虚ろな瞳から流れ出る泥涙ですべての不都合を覆い隠し塗り替えてしまう。
現実を踏み砕くちからを必要としたとき、この写しは目を覚ますだろう。


ドッペルとつながる部分
内臓(へその上あたり)


ドッペル発動時のセリフ
「ク、クゥゥゥ・・・(苦しそうな声)」



攪拌にはかき回すという意味があります。フェリシアの願いは、自分のせいで両親を失った事実をなかったことにしてほしいというものでした。しかし、その願いは事実とは異なった記憶に塗り替えることで叶ってしまいました。現実に偽りの記憶が混ざってしまったという意味から、攪拌という言葉が充てられたと考えられます。

瞼はフェリシアにしろドッペルにしろ、瞼はほぼ閉じた状態です。現実を受け入れない、受け入れられないという意思が現れています。事実、ドッペルとの対話の際にも現実にはまだ触れないと語っていました。今後も、フェリシアの瞼は重いままです。

BEATRICEはイタリア語圏の女性名です。
イタリアの詩人ダンテが作った作品「神曲」に登場する実在した人物をモデルとした人物の名前もベアトリーチェであり、ダンテの心の支えになった人物です。24歳でこの世を去ったベアトリーチェに捧げた作品が神曲とされていて、愛の象徴として描かれています。
このドッペルの名前がベアトリーチェである理由は、このドッペルがフェリシアにとっての心の支えになっているからです。事実を覆い隠し、塗り替えてくれたのは願いから生まれたこのドッペルであり、もし事実を知ったフェリシアは一瞬で絶望してしまうでしょう。
魔女を倒すという決意と、魔法少女を続ける理由はすべて事実を覆い隠された結果から生まれたものです。まさに、ダンテにとってベアトリーチェが心の支えであったように、フェリシアもまた、ベアトリーチェを心の支えとしているのです。


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水波レナ

ドッペル名:CENDRILLON

変身のドッペル その姿は、ガラス靴



れなどっぺる

説明
この感情の主はその力を自身のため余すことなく行使する。
このドッペルは主が持つ変身能力を何倍にも跳ね上げ、一定時間完全に自分を自分以外の誰か、本人よりも本人らしい理想の他者へと変質させることが出来る。
しかしあまりに完璧なこの変身を多用すれば、やがて本来の自己の姿を見失ってしまうだろう。
尚、このドッペルは主を主の理想とする他者へと変身させるため、それが元来の他者と多少違って見えてしまうことも間々ある。


ドッペルとつながる部分
水波レナの影


ドッペル発動時のセリフ
「水波レナはこれで勝つ!」



変身はレナの願った結果得た変身能力から来ています。願いが反映されたドッペルと素直にわかりやすくなっています。

CENDRILLONはサンドリオンと読み、灰かぶり姫を意味します。つまり、シンデレラです。
シンデレラの話は登場人物や時代背景が変えられてさまざまなバリエーションが存在します。しかし、話の構成はどれも違いがありません。
主人公である女性はよくいじめられる人物でした。その後、過程はどうであれ、王子様の探す靴の持ち主がこの主人公であり、最終的には王子様と結婚することになります。
このドッペルの姿にあるガラスの靴もシンデレラのバリエーションのうちの一つです。
シンデレラは普段の汚い姿から、魔法使いの力によって理想のきれいな姿へと変身します。これをきっかけに幸せになるという部分から、このドッペルは理想の姿へと変身したいと願ったレナの想いが反映されているのです。

ちなみに、ドッペルに足が片方しかないのは、幸せになるきっかけが片方の靴にぴったりな足だからです。


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秋野かえで

ドッペル名:ZOLA

陣取りのドッペル その姿は、敷地


ふゆうどっぺる

説明
この感情の主はドッペルに自らの生活圏が侵食されることを恐れ、呼び出す場所はよくよく選ぶようにしている。
このドッペルは、主の意思とは関係なく出現した途端、その周囲を腐り苔で覆いつくし自らの陣地とするうえに、その陣地を拡張することのみを目的としているからだ。
誤った場所で呼び出せば大事な場所でさえも腐り苔で覆い尽くされ元の姿を保ってはいられないだろう。
このドッペルはその陣地内において絶大な力を行使することができる。


ドッペルとつながる部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)


ドッペル発動時のセリフ
「どんくさくっても頑張るの」



陣取りには敷地を自分の目的のために占拠、使用するという意味があります。観葉植物や動物たちのために不都合を生じさせるマンションの敷地を願いによって「日光を取り入れるための場所」として使用するようになってしまいました。まさに、陣取りというかえでの願いの結果があらわされています。

ZOLAは自然主義文学の先駆者 エミール・ゾラから来ています。かえではよく美化した言葉を使わずにありのままの意味の言葉を相手に放ちます。ゾラもまた、社会や人間の矛盾を鋭く突く作品を作っていて、いい意味で「素直に」物事を見る部分が共通します。
このドッペルはまさにかえでの性格の写しであり、主にとって都合の良い生き方を勧めてきました。自然のまま、わがままに、つまり、自由に生きることをドッペルは勧めてきているのです。かえでの願いがわがままから生まれた願いであったように。
ゆえに、このドッペルの名前がゾラである理由は、かえでの性格が素直に写された存在であることを表しています。


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アリナ・グレイ

ドッペル名:OLD DOROTHY

熱病のドッペル その姿は、チューブ



チューブ


説明
この感情の主は自身のドッペルの美しさに見惚れているが、このドッペルの真の姿が隠されていることをまだ知らない。主の背中側にあるドッペル本体から流れ出る病原テンペラと呼ばれる絵の具を固めて偽りの巨大な容姿を作り上げ相手を攻撃する。その際に人間体は絵の具の中に埋もれて完全に表からは見えなくなるため、ドッペルでありながら魔女のような出で立ちを誇る。主はドッペルの外観を確認できないものの、曰く”内側から見ても素晴らしい”らしい。


ドッペルとつながる部分
背中


ドッペル発動時のセリフ
「キター、アリナの美しいドッペル」




熱病が強調されているのは、ドッペルから流しだされる病原テンペラからきていると考えられます。テンペラとは、乳化作用を用いた絵画技法や絵の具をさし、混ぜ合わせるという意味があります。アリナにとっては生と死の表現にこだわっていたため、生と死が混ぜ合わさったものがこの病原テンペラなのです。チューブは、このドッペルの本体であるアリナの背中にいるヤツを示しています。モチーフは絵の具のチューブです。


OLD DOROTHYとは、おそらくオールド・ドロシー・クラッターバックのことを指していると考えられます。オールド・ドロシー・クラッターバックはジェラルド・ガードナーという魔女宗を広めるきっかけを作る人物を魔女の世界へ導きました。ドロシー本人はというと、魔女の中で一番洞察力があり、秘密主義者であるとされています。

マギアレコードでいう魔女宗はまさに「マギウスの翼」です。マギウスの翼を広めるきっかけがこのドッペルだとするとアリナにとってこのドッペルという存在自体がオールド・ドロシーの役割を果たしたのです。



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御園かりん

ドッペル名:MCDOUGAL

枕探しのドッペル その姿は、モートセーフ

かりんどっぺる

説明
この感情の主は臆病であるがためにこのような頑強なドッペルを生み出した。失うことを恐れ、得ることに執着する。このドッペルは主同様手癖が悪くあらゆるものをかすめ取る。その対象は自身の仲間にすら及ぶだろう。一度手に入れたものは決して離さないがめつさを持ち非常に欲深い。


ドッペルとつながる部分
右手


ドッペル発動時のセリフ
「これぞ我本質」



枕探しとは、就寝中の人がいる部屋に忍び込み、枕元にある金品を盗む行為のことです。つまり、盗む力を持っていることを意味します。かりんの固有魔法も相手の持ち物を奪うことから、その力が反映されたと考えることができます。
モートセーフとは、死体泥棒から墓を守るために作られた鉄柵のことです。このドッペル自体がモートセーフの見た目をしていることから、盗んだもの、自分のものは死んでも失いたくないという考えがうかがえます。


MCDOUGALはつづりが少し異なりますが、ウィリアム・マクドゥーガルを指していると考えられます。ウィリアム・マクドゥーガルは本能論心理学というものを提唱した人物です。人間の行動の原因は学習ではなく本能だという考えが本能論心理学です。
世間ではどんな行動も本能が原因だというならば、無数の本能があるではないかと批判的な見方をされてしまっています。
本能論では、本能が行動を起こす推進力になっているということを主張しています。

かりんは願いの原因となった祖母と血縁関係にあります。しかしかりんの祖母は手癖が悪く、それが原因で捕まった経歴を持っています。かりんは祖母が大好きで、過去に起こしたことを気にはしているものの嫌いになることはありません。祖母の手癖の悪さがもし本能だとしたならば、かりんの盗む力もまた、祖母から受け継がれた本能です。本能が働いて人を困らせてしまった祖母に代わり、かりんはその本能を利用して人を助ける存在になりたいと願いました。
盗んでしまう行動を本能と決めつけ、本能に従い、人を助ける。このドッペルには、かりんについての本能論心理学が反映されているのです。



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和泉十七夜

ドッペル名:CATACOBM

解体のドッペル その姿は、竈獅子

かなぎどっぺる



説明
この感情の主がもつ冷静さとは裏腹に、このドッペルは底知れぬ怒りに燃えて全てを噛み砕き寸断する獅子の姿を持ち、一切の不当を許さず、すべての不合理を解体する。その性格は苛烈そのもので、特に神浜在住というだけで即解体対象となってしまうため、発動時は味方を巻き込まないよう注意が必要となる。このドッペルを使い続ければ、些細な不平等も許せなくなってゆくだろう。主はこのちからを持て余しているが、獅子に半分同感している。



ドッペルとつながる部分
顔、手


ドッペル発動時のセリフ
「これ以上の不条理は許さん」



このドッペルの指す解体は「第三者の手によって人間集団を解散させること」を意味します。十七夜の考えている神浜の破壊とは、東へ偏見をもたらした神浜という都市の人間集団をめちゃくちゃにし、再編を目指すという狙いがあります。
ストーリーでは破壊と表現してはいますが、神浜市そのものを無きものとしたいわけではありません。

竈獅子は”かまじし”と読み、宮沢賢治の作品「猫の事務所」に登場した存在であり、役所を解体するという役割を持っています。猫の事務所とは、猫たちによって構成された役所を舞台としていて、その中の一匹であるかま猫は他の猫たちからいじめられていました。しかし、かま猫は役所を支えるために一生懸命働きます。しかし、仕事を風邪で休んでしまったかま猫はそれだけが原因で仕事を取り上げられてしまいます。この様子を見ていた獅子がこの役所を解体してしまいます。
この解体した獅子が竈獅子と呼ばれているのです。神浜のかま猫的立場にある東側の人々が西側の人間によって仕事を取り上げられてしまったとき、十七夜はこの竈獅子のように神浜という集団を解体するのでしょう

また、竈獅子は竈神を表しているとされていて、竈神は二つの領域の媒介、秩序の更新を行う役割を担っているとされています。


CATACOBMはカタコンベと読み、地下にある墓地のことです。昔、ローマで大量の遺体を埋めたくても土壌汚染の問題が起きてしまうことが問題となりました。そこで考えられたのが、地下にもともと存在した空洞を墓所として扱い、何百人という死者の遺体を洞窟の壁へロッカールームのように積み重ねていくことでした。その結果生まれたのがカタコンベです。
カタコンベは古代キリスト教徒の礼拝場という役割を持っていた時期があります。このころの古代キリスト教徒はローマ帝国で迫害されていました。

神浜で虐げられている東側の魔法少女達にとって、十七夜という存在は心のよりどころでした。また、本人も東側の魔法少女たちを背負っていると考えています。このドッペルは、東側の魔法少女にとってのカタコンベでもあるのです。

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八雲みたま

ドッペル名:TOTENTANZ

メメントモリのドッペル その姿は、花弁

みたまどっぺる


説明
この感情の主は、自分の環境を恨み、すべてを滅ぼそうとする。このドッペルは万物に等しく訪れる死を忘れず、舞い散る花弁全てを覆い隠し、白い手袋で少女たちを優雅にエスコートする。主と同様に直接的な攻撃方法を持たないが、万物の最期と共にあるその力はあまり恐ろしく、花弁で覆い隠したすべての魔力は朽ち果て、後には何も残らない。このドッペルを求めれば求めるほど、主の左腕はやがて完全に一体化するだろう。



ドッペルとつながる部分
左腕


ドッペル発動時のセリフ
「見たことを反省なさい」



メメントモリとは、ラテン語で「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という意味を持つ言葉です。神浜を滅ぼす存在になりたいというみたまの願いは死に関わる力をみたまへ与えました。
花弁は散華を意味しています。花弁はいつかすべて散ってしまい、散華の状態となります。散華は死を意味し、花弁が散ることは死に近づくことを意味します。



TOTENTANZはトーテンタンズと読み、死の舞踏を意味します。死の舞踏は、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるというフランス詩が起源とされています。その内容は、死は貧富の差、身分、人種、性別などあらゆる区別に関係なく訪れ、最終的にすべては無に統合されるというものです。

みたまがマギアを放つ時に発する一緒に溶け込むという言葉には、皆同じ状態「無」へと変わるために溶けてしまおうという意味があります。溶けると原型がなくなり、区別がなくなります。すべてが同じ、すべてが自分であり、すべてが皆である。複数の個体が一つの意識を共有する状態がみたまにとって望ましいことなのです。
簡単に言えば、キュゥべえと同じ状態になるか、円環の理に導かれるかのどちらかです。神浜には円環の理が作用しないため、みたまの力は最終的に神浜の人々をキュゥべえと同じ状態にしてしまうのでしょう。


みたまは、神浜という集合体を「無」に統合する存在となったのです。


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鹿目まどか

ドッペル名:KRIEMHILD GRETCHEN

慈悲のドッペル その姿は、救済



慈悲


説明
この感情の主は、万物を救おうと試みる。
浮遊する巨大なソウルジェムに見えるこのドッペルが現れた時、周囲のものは全てこのドッペルが生み出したものの体内に取り込まれ、体の自由を奪われる。
その後、このドッペルが大きく浮遊して光り輝くと、周囲一帯は光の矢に包まれることになる。
その最中、感情の主は巨大なソウルジェムの中で眠り続けている。

ドッペルに変化した部分
ソウルジェム(魂)?

ドッペル発動時のセリフ
「私の中から出てきて」



そもそもまどかのドッペルの名前はまどマギ本編中に出てくるまどかの魔女の名前と同じです。
魔女の際の説明文はこのようになっています。

救済の魔女。その性質は慈悲。
この星の全ての生命を強制的に吸い上げ彼女の作った新しい天国(結界)へと導いていく。 この魔女を倒したくば世界中の不幸を取り除く以外に方法は無い。 もし世界中から悲しみがなくなれば魔女はここが天国であると錯覚するだろう。


ここで注目したいのは、ドッペルの名前は魔女のときの性質であり、ドッペルの姿は魔女の名前であることです。
このように、ドッペルはその魔法少女が魔女になった時の姿を鏡に写したような存在だとここからも知ることができます。
さらに、ドッペルが与える影響は攻撃対象だけでなく周囲に無差別に作用するということです。慈悲のドッペルは仲間を、守りたい人々をドッペルに閉じ込めてそれ以外を光の矢で無慈悲に攻撃するという仕組みです。そのため、仲間にはダメージカットの効果がつくとも考えられます。

KRIEMHILD GRETCHENという人物は存在せず、KRIEMHILDとGRETCHENという二人の人物の特徴からとった魔女の名前だと考えられます。
KRIEMHILDはジークフリートの妻を指しています。KRIEMHILDはジークフリートの死後、長い間ジークフリートの死を悲しみ続けたということから慈悲の意味を持っています。
GRETCHENはファウストの妻であり、子殺しの罪で死刑となっています。しかし、天に贖罪と罪を求め続けた結果、GRETCHENは天に導かれたのです。その後、GRETCHENは聖母マリアと共にファウストを救済しようとします。つまり、救済を意味する部分です。
このドッペルの名前は、慈悲と救済からできているのです。それはまさにまどかの願いと思いからできたものでもあります。


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美樹さやか

ドッペル名:OKTVIA VON SECKENDORFF

恋慕のドッペル その姿は、人魚



人魚


説明
この感情の主は年相応の恋に悩み、一人では背負いきれぬほど過酷な運命を選択した。
そしてそのドッペルもまた恋を夢見ながら空中を自在に泳ぎ回り、主の為にがらんどうの体から音を奏でる。
自身が発する音波にのせることで数多の剣を飛ばし操り攻撃できもするが、胸に秘めたわだかまりから逃れることはできないだろう。

ドッペルとつながる部分
ほぼなし(主がドッペルに捕まっている状態)

ドッペル発動時のセリフ
「後悔なんて、あるわけない」




ドッペルの中では珍しく、主自身がドッペルに掴まるような姿をしています。これはさやかの感情の正負の差がとてつもなく大きいことを指しています。
さやかも同様で、まどマギ本編で登場した魔女の性質と名前が逆の状態でドッペルに反映されています。

OKTVIA VON SECKENDORFFという人物は存在しません。
OKTVIAは音楽用語の「オクターヴ」を意味していて、VON SECKENDORFFは騎士を意味していると考えられます。SECKENDORFFは実在した貴族名ではありますが、VONは騎士を意味することもあるらしく、騎士のような姿をしていたさやかにマッチした名前です。オクターブの騎士と捉えることができます。
ちなみに、姿が人魚なのは、このドッペルが人魚姫をモチーフとしていることが関係しているからです。
人魚姫は溺れ死にそうだった王子を助け、恋に落ちます。しかし、王子は助けてくれたのが人魚姫だとは知りません。人魚姫は王子と結婚するために魔女と契約を交わし、声と引き換えに人間となることができました。声を出せないため、王子と共にいられても真実を語れない、不慣れな体で痛みを伴うという日々を送ります。さらには王子が隣国の姫君を妃に迎えることになります。
人魚姫は人魚に戻る方法がありましたが、それは王子の命を奪う方法であり、それはできないと考えて自ら死を選んだのです。
まさに、まどマギでさやかが歩んだ運命の顛末に一致します。



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ホーリーマミ

ドッペル名:CANDELORO

礼拝のドッペル その姿は、光輪




礼拝


説明
この感情の主は絶望の夜の果てで差し伸べられた救いにしがみつき、抱えきれぬ恐怖と不安を乗り越えるための新たな奇跡を手に入れた。また、その姿は主の精神面の変化によって従来とは違ったものへと変異し、この哀れなドッペルもまた主を救えるつもりでいる。
ティロ・セントドッペリオンとは心折れた少女達へ新たな希望を与える祝砲である。

ドッペルとつながる部分


ドッペル発動時のセリフ
「お願い、フローレンス」

実はこのドッペル名、ドッペルの名前と姿は変わっても、かつてのドッペル(ご招待のドッペル)と同じドッペル名なのです。ここからわかることは、たとえ魔法少女自身の心情が変わっても魔法少女となるために願った内容にドッペルの本来の姿は左右されるということです。また、完全にドッペルの姿が変わったわけではないということもこのドッペルから知ることができます。
本編中でもマミはホーリーマミになる前の巴マミとの間で葛藤していました。どこかにマギウスがもたらす救済への不信感があるということです。
つまり、ホーリーマミとかわっても、彼女はただの巴マミから変わってはいないということです。



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都ひなの

ドッペル名:CYAN

軽忽のドッペル その姿は、スモッグ



シアン


説明
この感情の主は長くなった脚にご満悦。
その長い右足は内部を沸騰させ、左足は凝結による化学反応でそれぞれ上半身を構成する新たなガスを製造している。またガスで出来た体は物理攻撃にも強い耐性を誇るが、溢れるその毒性で周囲を巻き込んでしまうのがたまにキズ。
ひとたびこのドッペルが現れると、その周囲は敵味方問わず、強烈な毒に侵されてしまい主といえどもガスマスクの着用なくしては耐えきれないだろう。また、このドッペルは好奇心が強く、珍しい魔女や魔物には目がない。

ドッペルとつながる部分
足、頭

ドッペル発動時のセリフ
「だれがチビだ」



軽忽とは、「軽々しく」という意味を持っています。これは、軽い気持ちでやるべきではない実験をやってしまったひなのを意味しています。軽々しく危ない実験を行ったことも魔法少女になったきっかけであり、また、身長が伸びる薬の開発も、軽い気持ちでやる事ではありません。
スモッグはドッペル発動後に周囲を毒素で満たすことからきていると考えられます。このドッペルはまどかのドッペル同様、無差別に周囲を巻き込むドッペルだということです。ちなみに実際に周囲が危ない状況になることが、みたまの特訓のストーリーで語られています。

CYANは化学物質のシアン(ジシアン)を指していると考えられます。シアンは還元を行うことでシアン化水素を生じ、ジシアンを吸収すると頭痛や痙攣をおこし、死に至るとされています。
化学反応と死に至らせる有害物質ということから、ドッペル名として使用されたのでしょう。
ちなみにシアンには身長を伸ばす効果はありません。



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五十鈴れん

ドッペル名:RENATA

電令のドッペル その姿は心電図



電令


説明
この感情の主は、強力な電気信号を駆使し相手の悪意を人格もろとも焼き尽くすこのドッペルの能力に恐怖を覚える一方で、これが殺害以外の方法で人間の悪意を根絶させることができる唯一の方法ではないかという誘惑に悩む。
またこのドッペルは生死を司る力を持ち、その姿を現す時に主は一時的に精神が肉体と分離した幽体離脱状態となる。

ドッペルに変化する部分
精神

ドッペル発動時のセリフ
「心を殺さないで」



電令とは、電報の命令という意味です。この場合の電報は、相手の悪意を焼き尽くすという電気信号のことでしょう。このドッペルの攻撃手段です。
姿が心電図なのは、人の生死の判断は、脈を図る心電図が一番正確だからです。れんが何度も世界が嫌になり、死のうとしている過去がある事から、生死を司るこのドッペルは主が死のうとしたらすぐに蘇生できるよう、常に心電図を備えているのです。そして心電図で「死」と判断された場合はすぐに蘇生のために電流を発し、主を蘇生させ、主を死に導いた悪意を電波で焼き尽くします。
まさに、自殺間際に「生きたい」と願ったれんの願いが反映されているドッペルです。

RENATAはオランダ、ドイツ語の女性名で「再生させる者」を意味します。死から再生させるこのドッペルにぴったりな名前です。


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リズ・ホークウッド

ドッペル名:OBSCURITE

忘執のドッペル その姿は、黒影



影


説明
この感情の主は、苦境に立たされても、他人を思う情の深さを持っている。
光あるところに影があるのは、まさしく摂理といえるが、影に置かれた立場としては、決して光をその身に受けることができないのもまた摂理。
このドッペルは、眩いばかりの光に浴する英雄の傍らにあって、常に寄り添う影であり、本質を決してつかませない闇そのものといえる。
しかし、だからこそ光の存在は、より一層際立っている。
両者は、摂理が結びついた切っても切れない関係にある。

ドッペルに変化する部分
髪の毛

ドッペル発動時のセリフ
「たとえ影が滅びようとも」




忘執とは、ある特定の考えに囚われていることを意味します。リズの場合は、「私はタルトの影として存在しないといけない」という考えに囚われています。
ドッペルの姿は黒い影であり、どれほどリズが影にこだわっていたかがこのドッペルには現れています。
また、本来は神浜市ではないにもかかわらずドッペルが誕生しています。夢のイタリアが若干神浜の法則を孕んだ世界だと考えればあり得る話ではありますが、本来リズはドッペルの誕生を目にすることができません。

OBSCURITEはフランス語でを意味します。ドッペルの名前、姿、性質何から何まで闇や影にこだわったものとなっているのがわかります。




さて、ドッペルについての情報をまとめていきます。

まずはドッペルは感情の写しという考えで間違いはないか、という点について調べてみます。

ドッペルには主の感情が映し出されているとのことですが、大抵は魔法少女になるために願った内容に関する感情の写しがドッペルに反映されています。「○○のドッペル」と表現される際の○○が大抵は魔法少女のになる際に願った時の感情が記されています。やちよはモギリ、鶴乃は金華、まどかは慈悲といった感じです。その場の感情の写しがドッペルと捉えてしまうと、大抵が相手を倒したいということに関連したドッペルを呼び覚ますことになります。そうではないということは、その場の感情ではなく、願った願いに対する感情が、ドッペルに反映されるのです。主の感情が反映されているだけあり、ホーリーマミのようにドッペル自体は変化しなくても姿が変わってしまうという例も存在します。
よってドッペルが感情の写しである、という点は事実だとはっきりします。

しかし、注目してほしい点は、原作組の魔法少女のドッペルです。
まどマギに出てきた魔女とドッペルの名は同じです。
そして「○○のドッペル」と表現される際の○○は魔女の場合は性質であり、姿は「○○の魔女」と表現される際の○○に入る表現に一致します。
つまり、まどマギに出てきた魔法少女に注目するとドッペルは「魔女の写し」というとらえ方もできるのです。
せつめい1

魔女の特徴は、魔法少女が希望を与える存在だと考えると世に絶望を振りまく存在です。魔女それぞれには独自の結界が存在し、その中にいれば魔女は思う存分自分のやりたいこと、欲を満たすことができます。その結界を維持するために魔女は世界に呪いをもたらし、人々を犠牲にしていきます。

ドッペルが「魔女の写し」と考えるとどう思うでしょうか?
結界にいないと力を発揮できないという点からも、ドッペルにとって神浜市自体が結界だと考えることができます。
マギウスは、ドッペルが解放の証だと主張していますが、これでは魔法少女でありながら魔女となった証とも考えられます。

したがって、ドッペルが感情の写しであるという考えは間違いであり、正確には魔女の写しだということがわかりました。



さて、ドッペルつながりといえば、マギアレコードのテーマ曲である「かかわり」の二番以降の歌詞はこのようになっています。

”ヨワクナイ ヨワクナイ 君は弱くないよ
貰ってばかりの私じゃないから

最初から最初まで何もなかったなんて
言わせないよ絶対

これが物語だった君を
この勇気だけで 容易く
救えるのに

いつかは…追い抜いて振り向いて止まって
何回も何回も名前叫んで自慢げにいよう
傷ついて今を見れなくて
夢の中閉じこもり眠る 私に向けて
信じあって目合って 笑おう

剥がせない気持ち
食べて生まれた
裏表の本音を
すべて受け入れ包もう
          ”




「ヨワクナイ ヨワクナイ 君は弱くないよ
貰ってばかりの私じゃないから

最初から最初まで何もなかったなんて
言わせないよ絶対」

この部分はいろはがういへの想いを描いています。すぐにでも命の火が消えそうなういは最初からいなかったかのように弱い存在です。
そんなことはないといろはは否定しています。最初すらなかった、つまりいなかったかのような存在にはさせたくないと強く思っているのです。


「これが物語だった君を
この勇気だけで 容易く
救えるのに」

この部分でいろはは奇跡を求めていることがわかります。



「いつかは…追い抜いて振り向いて止まって
何回も何回も名前叫んで自慢げにいよう
傷ついて今を見れなくて
夢の中閉じこもり眠る 私に向けて
信じあって目合って 笑おう」


この部分は魔法少女となった少女が、弱かったころの自分を追い抜いて「自分はこんなに精神面、考え方が強くなったんだよ」と傷ついて今を見れなくて夢の中閉じこもり眠る私、つまりは魔女になるはずの自分「感情の写し」へ話しかけている様子を描いています。
この時点で少女はドッペルの誘惑に負けることなく、強く生きていくことを決心しています。


「剥がせない気持ち
食べて生まれた
裏表の本音を
すべて受け入れ包もう」


ここでは負の感情を溜めて生まれたドッペル発動の瞬間を描いています。


このように「かかわり」の歌詞の中にはドッペルについて描写されている部分が存在したのです。






冒頭部分でも書きました通り、ドッペルの考察はわたしのドッペル開放のスピードに左右されてしまうため、随時追加していく形となります。ご了承ください。
追加された際にはツイッターで報告します。