2016年12月07日

続・ましけラストラン

124日、留萌・増毛間の最後の日。

増毛駅だけでなく、となりの箸別駅にも行きました。

小さな待合所と、ホームが1面だけの無人駅です。

そこを通過していく臨時列車。

赤い車両も付いて3両編成です。たくさんの乗客が乗っていました。

 
IMG_2687箸別

IMG_2698箸別駅


ところで、白い駅待合所の下に、古い木造の小屋がありますよね?

IMG_2706駅舎じゃないってさ

待合所より少し大きい小屋。でも戸はズレてるし、中には植物が生え放題で、長い間使われてないようです。

もしかして、これ、古い駅待合所なんでしょうか?

箸別駅の最後の日を見に来られた地元の方に、聞いてみました。

これはゲートボール場の休憩所として持って来られたもので、

駅とはまったく無関係だそうです。

結局は使われないまま放置されている、とのことでした。

 

 
IMG_2719箸別

駅のすぐそば、箸別川に架かる箸別橋から、緑色の短い鉄橋を渡る列車を。

 

箸別川の名の由来は、「石炭川」だとか「石炭の如し」だとか「消炭」だとか、いろいろ説があるようです。

 
IMG_2708



再び増毛駅。

IMG_2768増毛

駅前には映画「駅 STATION」の顔ハメ看板。普段は国稀酒造の米蔵ギャラリーに展示されているものですね。
ヘッドマークもあって、訪れる人々を楽しませていました。

陽が傾きかけたころ、花束贈呈式が行われました。増毛駅を管理する留萌駅の駅長さんと、列車の運転士さんに、一日駅長・マーシー君が花束を渡し、感謝の気持ちを伝えました。「95年間ありがとう」。

セレモニーが終わると、ホームから人々が降りて行きます。

その足元に静かに佇むものが一つ。

IMG_2817増毛水飲み場

水飲み場です。

今は使われていませんが。

貝殻があしらわれていて、海の町・増毛らしいですね。

これが好きなんです。

 

もう少し分かり易い写真も、参考までに。(20158月撮影)

 055増毛駅水飲み場

 

北海道新聞の留萌・宗谷版では先月から「忘れじの増毛線」と題して連載特集を組んでいます。「どうしん電子版」で1週間、見ることが出来ます。

先日121日、この水飲み場を作った方のことが載っていました。

1942年に国鉄に入って増毛駅に配属され、車内の清掃や転車台の操作などを行う「駅手」というお仕事をされた方。

71年まで増毛駅に勤められました。

この水飲み場を作ったのは1940年代だそう。

同僚と共に、ヒヨリ貝やアワビの貝殻を飾り付けた、ということです。

 

増毛駅の駅舎は廃止後、町に無償譲渡されて観光に活用されるそう。

ホームはどうなるんでしょう?

できればホームと一緒にこの水飲み場も残して欲しい、と思うところです。

 

(増毛とこの水飲み場の記事はJのもうひとつのブログ「緋色すたじお」の2015852016127にもあります。一部、同じこと書いてます。)



sorairocm at 09:10|PermalinkComments(0)鉄道 | 探訪記

2016年12月05日

ましけラストラン

JR北海道・留萌線の留萌・増毛間は、昨日2016124日を最後に廃線となりました。

まちの皆さんが企画したお別れセレモニーがあるという増毛駅に、行ってきました。

港に設けられた臨時駐車場には、すでに車がたくさん停まっていました。観光バスも4台ほど。

そこから駅に行くと、駅周辺には予想以上の人々がいて、びっくり。

ホームにはこれから汽車に乗る人たち、ホームの周りには汽車を見に、または撮りに来た人たち、

駅の前にはテントが6つくらい張られて町内の特産品や鉄道グッズが販売されていました。

もちろんそこにも人が大勢。この日の増毛駅には2000人以上もの人々が集まったそうです。


IMG_2643増毛駅

BlogPaint

IMG_2650増毛駅

IMG_2656マーシー


マーシーは一日駅長として大活躍!


IMG_2661増毛駅

BlogPaint

IMG_2927終列車

増毛発の最後の列車は、ペンライトを振って見送りました。

ペンライトを青にしたのは、海の色をイメージして、だそうです。

IMG_2945増毛駅

昼の便も含めて、乗降客が多いことと、

最後のサービスなのかゆっくり走っていたことで

かなり遅延がありましたが、

なんとか無事に、95年続いた役割を終えました。

鉄路がなくなった増毛町。これを機に一層まちづくりに力を入れていくのでしょう。

駅舎は今後も保存されるようです。グレードアップもあるとか・・・?

これからも、まちの歴史を、鉄道の記憶を語り継いでほしいと思います。



sorairocm at 22:03|PermalinkComments(0)鉄道 | 探訪記

2016年12月03日

廃止になる8駅(最終回)かねはな

8駅の中でこの駅だけは廃止前に行ってなかったような気がしてたけど、行ってました。

2003年7月


金華2003-7-1

金華2003-7-2

金華?2003-7-3

近くに自販機コーナーがあったんですね。今は無いかも。



2016年5月中旬

金華駅から金華信号場となり、駅名標もとっくに無くなった5月の写真です。

 
077金華信号場

窓から内部も撮らせていただきました。

067金華信号場

095金華信号場

141金華信号場

147金華信号場

1914(大正3)年、奔無加(ぽんむか)駅として開業。1951(昭和26)年に金華駅という名前になりました。

金華は昔、周辺に鉄道官舎もあってにぎやかな集落だったようですが、今、人がお住いの家は数軒しかないみたいです。

ここから8kmほどでしょうか、北に行くと、常紋信号場があります。そちらにも行きました。

055常紋信号場

059常紋信号場

056常紋信号場

国道を離れて細い道を進むと、ゲートが。閉まっています。

木立の向こうに信号場のスノーシェルターが見えますが、これ以上近付くことは出来なさそうです。

さらに北には常紋トンネルがあるんですよね・・・。

山の中での難工事は3年かかったとか。

後に、タコ部屋労働で非人道的な扱いをされた人々の骨が多数発見され、

トンネルの壁の中には立ったままの人骨もあったそう。

過酷な労働を強いられて亡くなった方々の霊を慰めるため、1980(昭和55)年、金華の丘の上に碑が建てられました。

360追悼碑2

353追悼碑

「常紋トンネル工事殉職者追悼碑」です。

 

常紋トンネルだけではなく、北海道には囚人労働やタコ部屋労働によって作られたものがたくさんあります。

道路、橋、堤防、鉄道、発電所、軍事基地・・・。炭鉱や鉱山も。

北海道の開拓・発展は、名もない人々の血と汗と涙で成り立ってきました。

そのことを心に刻み込んでおかなければ、と思います。

どうか安らかにお眠りください・・・。

 

 

碑が建っているのは金華小学校の跡地なので、そばに学校の碑もあります。

少し離れたところには、もう誰も訪れていなさそうな神社がぽつりと・・・。

 
363碑

350碑

375神社

金華信号場の方に目を向けると、キハが通過するのが見えます。

春まだ浅い、金華でした。

 
379金華

 

今年3月の8駅廃止でJR北海道の合理化が一段落した訳ではなく、廃止か存続かの問題は今も新聞やニュース番組などで毎日取り沙汰されています。北海道の交通網はまさに今、分岐点です。

そして、明日124日を最後に留萌線の留萌・増毛間が廃止となります。




sorairocm at 23:55|PermalinkComments(0)鉄道 | 探訪記

廃止になった8駅(7)しもしらたき

もうお忘れの方も多いかと思いますが、自分としては忘れていた訳でも、なおざりにしていた訳でもないんですよ(^^

お伝えしたいことがたくさんあったので今頃になってしまいましたが、再開です。シリーズ「廃止になった8駅」。

今年325日を最後に廃止になったJR北海道の8駅。それらを訪れた時のことを掲載しています。

石勝線の十三里駅と東追分駅、函館本線の鷲ノ巣駅、根室本線は花咲駅、そして石北本線は一度に4駅が廃止となりました。上白滝駅、旧白滝はすでに掲載し、残すは下白滝、金華の2駅です。まず下白滝駅を。



2013年10月中旬

2003-10-13下白滝駅舎2

2003-10-13下白滝牛小屋と犬

2003-10-13下白滝駅と犬

1929(昭和4)年に開業した下白滝駅。木造の駅舎はその時のものです。確か。

入口(改札の反対側)には、以前、せり出した屋根が付いていたのでしょう。痕跡が見られます。

駅前には牛を育てているお宅があって、子牛の小屋がたくさん。

そこの番犬君でしょうか。お出迎えしてくれました。


20163月中旬
あと10日ほどで廃止になるという時。
駅舎内には、旧白滝駅・上白滝駅と同様に寄せ書き用の紙が貼られていました。

255しもしら201603中

248しもしら201603中

270しもしら201603中

272しもしら201603中

構内踏切を渡って向かいのホームへ。

293しもしら201603中

297

295しもしら201603中



2016325日、駅として最後の日


212しもしら20160325

213しもしら20160325

214しもしら20160325

225しもしら20160325

228しもしら20160325

233下白滝

241しもしら20160325



2016年5月中旬
下白滝は3月26日から下白滝信号場となりました。駅舎は今もあると思います。


377しもしら201605中

一緒に廃止となった駅はその後・・・・・・
上白滝駅の駅舎は、6月に解体されました。

旧白滝のあの小さな木造駅舎は、地元の方々が保存の意思を強くお持ちでしたが、予想以上に資金が必要だと分かり、6月下旬、保存を断念されたそう。今はホームの基礎がわずかに残っているのみです。

花咲駅の車両改造駅は撤去され、駅の土地所有者だった牧場の方に寄贈されました。

十三里駅と東追分駅は信号場になりましたが、ホームも待合所兼跨線橋も、もう残っていません。

金華駅と鷲ノ巣駅も信号場として新たな任務についています。確認できませんが、駅舎は現存していると思います。


次回はいよいよシリーズ最終回、金華駅です。

 



sorairocm at 17:37|PermalinkComments(0)鉄道 | 探訪記

2016年11月30日

夕張の財政破綻表明から10年

去る1119日、夕張教会にて「第40回鹿之谷ゼミナール」が行われました。

テーマは「財政破綻から10年を迎えて―夕張の今とこれからを考える―」。

 
IMG_1492鹿ゼミ

2006年に夕張が財政破綻を表明してから10年が経ちました。

2007年、「財政再建団体」となり、市の財政は国の管理下に置かれることになります。353億円の赤字を18年間で解消するため、支出を少なくし、収入を増やさなければなりません。「鉛筆1本買うにも国の許可が必要」という状態。

2010年、法改正により「財政再生団体」に移行。赤字解消の期限が2年延長され2026年までとなります。

市役所職員の数は半減、給料もカット。市民には「最高の負担、最低のサービス」が強いられました。

軽自動車税は引き上げられ、下水道料金や保育料、行政手続き手数料などが値上げ。公共施設の廃止、小中学校は各1校に統合・・・。生死に直接関わらないものへの出費は制限されます。暮らし辛さを強く感じた市民は夕張を去り、人口が急速に減りました。

計画通り赤字が解消されたとしても、住む人が居ないとか、居ても住民が自分のまちに誇りや希望を持てないようでは意味がない。人口流出に歯止めをかけ、もっと住み良いまちにしなければ。

市は、財政再生計画の抜本的見直しを国に伝えることにしました。国を説得させるためには「市外の人からの客観的な意見」が必要。そこで2015年、総務省からの信頼が厚い小西氏(関西学院大学教授)を座長に、各方面から有識者を集め、第三者委員会である「夕張の再生方策に関する検討委員会」を設置します。

 

 

この日の鹿ゼミ講師は、その委員会のメンバーでいらっしゃるお二方、

西村氏(北海学園大学准教授)と橋場氏(夕張飲食店連合会事務局長)です。

 

まず西村氏から、第三者委員会について。

委員会は4回行われ、そのほかに市民懇談会も開催されました。

1回は20151029日。市の概況、これまでの財政再建の取り組み、人口・経済の変化などの説明、意見交換がされました。

2回は1127日に開催。市職員のほか商工会の方、ゆうばりファンタの方などからヒアリング、意見交換。主に子育てやまちづくりについて。

3回は1228日。夕張市地方版総合戦略の叩き台を説明、意見交換。

2016117日に市民懇談会を実施。予想をはるかに上回る200人が参加し、2時間に亘って様々な意見が交わされました。

4回の2016219日では報告書(案)の説明、意見交換。

 

夕張市ホームページ「市政・議会報告」「夕張市の再生方策に関する検討委員会」

第三者委員会の名簿、会議の内容、配布資料、報告書などを閲覧することが出来ます。(第4回分は今日現在で作成中)

 

10年前は小泉政権で「自己責任」・「緊縮財政優先」の時代でした。今は安倍政権のアベノミクスで「行き過ぎた緊縮(デフレ)志向からの脱却」・「地方創生を通じての経済再生」が重視されていて、国は「頑張る地方」を応援する立場。そういった時代の変化も追い風となったとのこと。

委員会の報告書は34日、鈴木市長に手渡されました。市長はそれを国(総務省)に提出し、同意を得ます。また、道も支援・協力をする方針です。

2017年度から夕張は本格的に、新たな財政再生に取り組みます。

緊縮財政一辺倒ではなく、地域の再生や経済の活性化にも力を入れ、住民の負担を軽くし、市職員の待遇も見直し、中止していたサービスを復活させるなど、市民生活に配慮したものに。

「ふるさと納税」「企業版ふるさと納税」での収入も増えているそう。

「応援の輪が広がっているので市民も前を向いて歩んでいけるようになるだろう」と

西村氏は結びました。

 

(この日配布された資料に、西村氏がお書きになった論文がありますが、夕張市のこの10年のことがとても分かりやすく解説されています。


自治体問題研究所が発行する月刊誌「住民と自治」の201611月号に掲載されたもの。HPでも閲覧できます。)

 

 

次に、もうお一方の講師、橋場氏から。旭川市ご出身で、ゆうばり屋台村で飲食店を経営するようになってから飲食店連合会を立ち上げたそう。親御さんの会社を含めて3回の倒産を経験したというお話の後で、

・夕張が財政破綻した当時は「自己責任」と言われたが、最近は「応援しよう」との声も増えている。それは今まで頑張ってきたから。

・「誰かがやってくれる」という気持ちではなく「自分で何かしなきゃ」。今年3月、JR夕張支線の列車が減便されてから屋台村の売り上げが3分の1に減った。こんなに影響が出るとは思ってなかった。「誰かが何か言うだろう」と何の行動もしなかった自分を恥じた。

・市内の飲食店が減っていく中で協力し合う体制が必要だと思った。人からは、夕張のまちをひとつにまとめるのは、地理的条件もあって無理だと言われた。Eメールを使わない方も居るなど予想外のこともあったが、だんだんまとまってきた。

・夕張出身ではない「よそ者」だからこそできることがある。

・やらなきゃ何も始まらない。自分に出来ることを誰かと一緒にやる。それを継続するのが大事。ひとつひとつ解決していけば自信につながり、それが誇りになっていく。

・・・というようなお話をされました。

 

お二方のお話を聞いて、夕張に明るい光が差し始めたのを感じることが出来ました。

今後10年間、毎年26億円の借金を返済しなきゃいけないのは、変わらないと思いますが。

 

 

国や道が夕張の支援をするということは、夕張以外の人が納めた税金を使うということです。

夕張の財政破綻を「自己責任」と考える人も居るかも知れませんが、それは違うと思います。

この国の発展は長い間、夕張などが生産した石炭に支えられていたのですから。

 

それから、市役所の方には、収入のためだからと言って歴史を伝える品物を簡単に売り飛ばしたり、

負の遺産と決めつけて炭鉱や鉄道の遺構をあっさり解体・撤去するようなことは、しないで頂きたいと思います。

それらも、市民を元気付ける力を持った、立派な財産です。




sorairocm at 23:58|PermalinkComments(0)夕張炭田 

2016年11月26日

旭川で夕張の演劇を見ました

19日の鹿ゼミについても書きたいところですが、資料を読むのにもう少し時間がかかりそうなので、先に20日に観た演劇について。

 

16日の北海道新聞夕刊で知ったのが18日の夜で、このブログでは19日朝、ギリギリでお伝えしましたが、

旭川市民文化会館で開催された「第66回全道高校演劇発表大会」で、20日、夕張での炭鉱事故を題材にした演劇が上演されました。

伊達緑丘高等学校演劇部による「炭鉱(ヤマ)は生きている」という劇です。

素晴らしかったです。感動しました。高校生が書いたとは思えないくらいしっかりとした内容で、

事故が起きた直後の、家族の無事を祈る人や救護隊員の気持ち、炭鉱会社に対する感情や、坑道が崩落した様子など、細かい事までよく表現されていました。

 

事故に巻き込まれた炭鉱マンの家族の苦悩は、それは複雑なものでした。

炭鉱会社の保安体制への不満・怒りがあっても、それを声に出したら仕事を失うかもしれない・・・。

結局は炭鉱で生きていくしかない・・・。

実際に経験した人でなければ分からない心情を知ることが出来ました。

緑丘高等学校演劇部の皆さんはこの秋、夕張の石炭博物館などを見学し、理解を深めたそうです。

 

この劇の脚本を書いたのは、夕張南高校演劇部の部員・松宮さん。51年前の事です。

1965(昭和40)年222日に北炭夕張鉱1砿で起きたガス爆発事故の事を、

「高校生の視点で残し、伝えなければ。命の大切さを訴えなければ」という強い思いでお書きになったそう。

何人もの方からお話を聞き、何度も書き直しました。同年、夕張で開かれる南空知大会での上演を目指していましたが、校長から「原因がわかっていない中で炭鉱会社を責めるようなものは上演できない」と告げられ、お蔵入り。

それから47年後の2012年、北海道文学館監事の方が、釧路市教委から取り寄せた資料の中から脚本を見つけ、「北海道高校演劇の足跡をたどる」という小冊子にまとめて札幌芸術賞祝賀会で配布。

それを伊達緑丘高等学校演劇部部員が、顧問の先生を通して知り、「やらなければならない劇」と。

そういうわけで永い歳月を経てようやく今回の上演となったわけです。

 

この日、私共は旭川の会場で、松宮さんにお話を聞くことが出来ました。

「今の高校生には炭鉱は馴染みがないだろうけど、緑丘高演劇部員の皆はとても頑張って演じてくれている。

脚本は、部員が少ないので少し変えたが、ほとんど元のまま。」

劇を見終えて、51年前の思いが、彼らの迫真の演技に呼び覚まされたのでしょう。大変感激していらっしゃいました。

松宮さんは今も夕張で、まちを元気にする活動に関わっていらっしゃいます。



5-2

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1965222日、ガス爆発事故で62名の死者を出したのは北炭夕張鉱1砿・最上坑。この辺りなのでしょうか。

20095月撮影)
 



2016年11月25日

12月の鹿ゼミは映像を

例年にないほどの早さでやって来た冬の寒さ。そこに日頃の運動不足や様々な要因が重なって関節を痛めてしまったJです。パソコンのキーを打つこともままならなかったのですが、湿布と温泉の効果でなんとか快方に向かっています。

北海道以外でも雪が降るなど、かなり寒くなっているようですね。皆様、お気を付けください。

さて、次回「鹿ゼミ」のお知らせです。

 

201612月・第41回「鹿之谷ゼミナール」

日 時:1217日(土)1300から1500

テーマ:「放送番組と地域アーカイブの連携―夕張のケースから考える―」

場 所:ゆうばり共生型ファーム(旧夕張小学校・夕張市本町51F視聴覚室

  ※夏季と冬季で会場が異なります。

講 師:水島久光氏(東海大学文学部教授)

内 容:これまでも鹿之谷ゼミナールや夕張映画祭内「ゆうばりアーカイブ」において、夕張の「風景」映像資料は上映されてきましたが、今回は「放送番組に取り上げられてきた夕張」にスポットを当て、それらを撮影された地域でアーカイブ化し地域の現代史資料として活用することの意味を考えます。

  ※どなたでも自由に参加できます。


IMG_1517鹿の谷

 夕張市鹿の谷の風景(2016年11月)

 



2016年11月19日

がんばる夕張(番組情報)

今日は夕張教会で鹿之谷ゼミナールに出席しました。

夕張市は財政破綻の表明から10年を経た今、新たな財政再生計画に・・・

というお話でした。それについては改めて後日。

その前に番組情報です。

今年827日の再放送。

その新たな財政再生計画の一環で子育て支援の場を作ることなどに取り組む、

市民や市職員の姿が映し出されています。

 

NHK総合『NEXT 未来のために 「子どもたちに希望を “破綻のまち”夕張の挑戦」』

20161122日(火)午前=21日(月)深夜 130から200

ほぼ全国放送です。



明日、夕張の炭鉱事故の演劇

1965(昭和40)年2月に夕張炭鉱で起きたガス爆発事故を題材とした演劇が、

旭川で1118日から行われている

「全道高校演劇発表大会」で上演されます。

演じるのは伊達緑丘高等学校の演劇部。

旭川市民文化会館で明日1120日、同校は午前950から。

入場は無料です。

 

51年前、夕張南高校演劇部の女子部員が

「炭鉱で起きた悲しい出来事を形にして残しておかなければ」との

思いで書いた脚本が、ようやく日の目を見ます。



2016年11月18日

余計なお世話でしたら御免なさい

11月初めの夕張。以前から気になっていた竹駒稲荷神社を訪れました。

紅葉山の工業地帯そばの高台へ上って行きます。

 

神社の手前で、かつてホタルを飼育していたと聞きましたが、この辺りでしょうか?

 IMG_0629

 

やがて堅牢なゲート見えてきました。車両通行止めだけど、徒歩だから大丈夫。

くぐって進んで行くと、やがて赤い鳥居が見えました。

IMG_0604

金属製。その足元には扁額が落ちていました。文字はまったく分かりません。

IMG_0612竹駒

IMG_0610竹駒

さらに進んで行くと、小さな祠が。

IMG_0616竹駒

祠の扉は開いていて、中にあるものは倒れたり、汚れたり・・・。

枯れ葉や虫の卵のような物も入り込んでいました。

 

中には丸い鏡。御神体なのでしょう。

そして三対のお狐様・・・あら? 五柱しかいらっしゃいません。

もう一柱はどこへ・・・?

ほかに御神酒徳利が一つと、ラップの付いたお皿(盃?)が一枚。

お皿には稲穂のような印、裏には「竹駒神社」と名が入っています。

 
IMG_0619竹駒

IMG_0618竹駒

この祠が建立されたのはいつ頃なのでしょう?

1930(昭和5)年頃までは竹駒稲荷神社の場所に紅葉山神社があった、と、

1981(昭和56)年発行の「夕張市史」に書かれているので、

1930年から1981年の間に勧請されたのでしょう。

さほど古くもないと思われます。

 

どなたが?

同じ「竹駒稲荷神社」という名前の神社が宮城県岩沼市にあります。

842(承和9)年から続く由緒ある神社。

伊達家との関りも深いそうです。

宮城県から夕張に移り住んだ方が、故郷の神様の分霊を祀ったのでしょうか。

それとも伊達家と縁のある方が?

いずれにしても、この紅葉山に住む方でしょう。

 

きっと現在も守っている方がいらっしゃるでしょうから、

我々ごときが余計なお世話をするのはどうなのか、

差し出がましいのではないか、と思いましたが、

祠の中のゴミを取り除き、鏡やお狐様を軍手で拭いて、

少ししか出来ませんでしたが綺麗にして、並べ直しました。

けれども扉が合わず閉められないので、

今頃はまた風雪にさらされ、荒らされているかも知れません。

 
IMG_0621竹駒

草木以外は何もなさそうな山腹に、ひっそり佇む竹駒稲荷神社ですが、

きっと末永く夕張の人々の営みを見守ってくださることでしょう。

IMG_0624竹駒


IMG_0626竹駒



sorairocm at 20:34|PermalinkComments(0)夕張炭田 | 探訪記