2015年11月

2015年11月29日

石炭博物館はどうなるのか

今月25日の新聞で伝えられました。
加森観光は夕張の「石炭博物館」と「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」の指定管理を30日付けで取り消す、と。

「石炭博物館」は模擬坑道の老朽化で、市教委が来年度以降の全面改修を検討中。
施設の運営を行ってきた加森観光子会社・夕張リゾートは、「その間の営業は難しい」と指定管理返上を申し出ました。
今後については「1617年度は市教委が予約のあった団体客のみ受け入れる」そう。
「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」は、市が来年度以降の指定管理者を募集する方針だそうです。

夕張リゾートは、夕張市が財政破綻したことで
2007年から石炭博物館など多数の施設の指定管理を行ってきましたが、これまでも順次、管理を返上。
その中には新しい管理者が見付かったものもありますが、大半は閉鎖または休館となっています。
12月から夕張リゾートが管理するのは「マウントレースイスキー場」、「ホテルマウントレースイ」、「ホテルシューパロ」、「ファミリースクールひまわり」の4施設のみとなりますが、これらも2016年度末で管理期間が終了。
市は売却を考えているとのことです。

石炭博物館は、実際に炭鉱が使っていた坑道を持つ国内唯一の博物館。
貴重な資料・機械なども多数保存されていて、
炭鉱の歴史、夕張の歴史を語り継いでいくために必要な場です。
どうか永く継続されますように・・・。
 


116石炭博物館

★追記(2015124日):123日の北海道新聞によりますと、
石炭博物館は、これまで冬季休館中に行ってきた団体客受け入れを、今年度は取りやめることにしたそうです。
改修工事をする場合、期間は201617年度で、その間は原則、予約した団体客のみを受け入れる、とのこと。
夕張市教育委員会は、改修終了までは直営とする方針で検討中だそうです。



sorairocm at 00:20|PermalinkComments(0)夕張炭田 

2015年11月28日

北海道の鉄道の番組情報

鉄道ファンとして有名な俳優の六角精児さんが、
お酒や食べ物を楽しみながらその鉄路の魅力を伝える番組。
ついに北海道上陸です。今回はJR北海道が廃止を検討している
留萌本線(深川-増毛)。

NHK
BSプレミアム
『六角精児の呑み鉄本線・日本旅「秋・留萌本線を呑む!」』
2015125日(土)午後130から230



073真布駅

 077真布駅名標

JR留萌本線 真布駅 20129月)

 

035増毛駅

 JR留萌本線 増毛駅 2013 10月)



sorairocm at 13:33|PermalinkComments(0)メディア情報 | 鉄道

2015年11月27日

早川季良さんがご逝去

炭鉱画家の一人、早川季良(本名 清)さん。
去年から入院されていましたが、24日に逝去されました。77歳でした。
とても残念です。

私共は面識はありませんが、作品はいくつも拝見していますし、
札幌のギャラリー「北のモンパルナス」で開催されている
「早川季良 77年生命の歩み展」(28日まで)も見に行きました。
そこでは、炭鉱関連の絵はズリ山を描いたもの1枚だけでしたが、
風景や花、鳥などの絵40点程が展示されていました。
すべてこの展覧会のため、新たに描いものだそう。
どれもが力強く、色彩は鮮やかで、
とても病床にある方の作品とは思えないほどでした。
その日はコンサートと朗読の会もあるとの事で、
早川さんのお嬢様やお兄様も来られていました。
お兄様は仰っていました。
「(弟はこれらの作品に)命を懸けたのだな」と。
この日、朗読された文章からは、早川さんの炭鉱まちでの思い出や
じん肺に対峙する気持ちが伝わってきました。

奈井江、美唄、夕張、留萌、芦別、そして上砂川と炭鉱を渡り歩いた早川さん。
炭鉱マンとして北海道の、また日本の発展に貢献されました。
画家としては石炭を絵の具に混ぜたり、絵画に立体物をくっつけるなど
画期的な画法で多くの作品を残されました。
それら渾身の作品は、炭鉱の事を永く後世に語り継いで行くでしょう。

早川季良さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


上砂川町のブログ(?)に早川さんのプロフィールが掲載されています。
そこのお写真でほほ笑む早川さんはとてもダンディーで優しそうです。



637鎮魂

640

639鎮魂

2014
年夏、上砂川町で開催された「炭鉱の記憶・野外芸術祭」での
早川季良さん作品『鎮魂』。



2015年11月25日

絵葉書で見る夕張の情景

1121日(土)、夕張教会で第28回鹿ノ谷ゼミナールが行われました。
テーマは「夕張の絵葉書風景論(1)」。
夕張地域史研究資料調査室の青木さんが集めた多数の写真絵葉書から
主に戦前の夕張のものが取り上げられました。
教会堂の白い壁に投影されたのは、60枚余りでしょうか。
今はもう無くなってしまった北炭夕張炭鉱の施設とか、改築前の鹿ノ谷倶楽部とか。
ほかには残っていない石狩石炭の坑口の写真など、資料として貴重なものがたくさんありましたし、
往時の夕張を垣間見ることができました。


068絵葉書

いつものように、今回のお話を掻い摘んで掲載させて頂きます。

・絵葉書は明治
20年代以降に普及した。郵便事業の発展もあって、廉価で視覚的な情報・通信媒体として一般化。
・明治期、新聞に載る写真は画質が悪かった。そのため、画質の良い絵葉書が重宝がられた。
・絵葉書には「観光絵葉書」、「記念絵葉書」、「PR絵葉書」、「事件絵葉書」などの種類がある。また、カラー印刷が普及する前の時代、白黒写真に手で彩色した「手彩色絵葉書(しゅさいしき えはがき、てさいしょく えはがき)」というものがあった。
・絵葉書は多くが書店や文具店から発行された。夕張では本町・小林近江堂や鹿の谷・石川文具店など。
・夕張の絵葉書は、札幌や小樽、函館などの大都市以外では道内の他の市町村と比べて多く製作されていて、内容も豊か。
・夕張の絵葉書に多かったのは、炭鉱会社のPR絵葉書で、炭鉱の坑口や選炭場、発電所など。ほかに滝、街並み、冬の風景、鉄道車両の事故も。
・絵葉書を見ると、写っている産業施設・公共施設、街並みや人々の服装などから、その時代を知る事ができる。
・実際に使われた絵葉書の文やスタンプにも時代を写す情報が含まれている。
・絵葉書は地域資料としての役割も大きい。

そして青木さんは、「今の時代、写真はメールで送る事もできるし、プリンターを使って自分で絵葉書を作ることもできる。絵葉書の役割は希薄化したが、なおさら絵葉書の時代が懐かしくもある。『絵葉書』の価値と役割を改めて見直す必要がある」と結んでいらっしゃいます。

「夕張の絵葉書風景論(2)」もいずれ開催される予定です。その時は、「炭鉱」と「観光」の絵葉書などから、時代によって変化する絵葉書の対象を比較されるそう。楽しみです。

 



sorairocm at 23:45|PermalinkComments(0)夕張炭田 | 鹿ゼミ

2015年11月22日

12月の鹿ゼミのお知らせ

29回「鹿之谷ゼミナール」
日時: 20151219日(土) 13時から15時まで
テーマ: どうなる夕張支線 ―過去の歩みから未来を見つめる―
講師: 北海道新聞社夕張支局長 佐藤 元治 氏
場所: ゆうばり共生ファーム旧夕張小学校・夕張市本町5丁目)1階・視聴覚室

佐藤さんは今年から夕張支局長になられ、夕張市民になられました。
鉄道好きで、国内・道内の鉄道交通の歴史や事情に詳しいそうです。

12
月から3月までは会場が変わり、旧夕張小学校になります。
現在「一般社団法人らぷらす」の「ゆうばり共生ファーム」が入っていて、
大きな看板があります。映画祭の会場にもなっていましたね。
11時半から14時までは食事・喫茶を楽しむ事ができます。
バイキングが700円から! カレーの日もあり! ぜひランチは「らぷらす」で!
(「一般社団法人らぷらす」facebookもご覧ください。)

そして、今回は鹿ゼミと連携して写真展が開催されます。
同じく旧夕張小学校で。

29回鹿ノ谷ゼミナール連携写真展
『夕張支線 秋から冬へ』 by 空色コールマイン P&J
場所: ゆうばり共生ファーム(旧夕張小学校)1階・視聴覚室前廊下
日時: 2015123日(木)から1219日(土)まで。日曜はお休み
開館時間は基本的に9時から17時まで
最終日(鹿ゼミの日)は15時頃まで 
入館・閲覧 無料
・・・すみません・・・私共でございます(^^(^^
今月3日から14日まで札幌での合同写真展に出展していたものに、
少々プラスして展示させて頂きます。
お誘い合わせの上お越しください。


133鹿ノ谷駅rt
 
20151121日のJR石勝線夕張支線・鹿ノ谷駅。
この日、夕張にはまとまった雪が降り、すっかり冬景色となりました。)

 



sorairocm at 23:42|PermalinkComments(0)夕張炭田 | 鹿ゼミ

2015年11月20日

夕張の水神宮碑を発見!

昨年10月の「鹿ゼミ・エクスカーション」で夕張市北部の石碑や坑口跡を見に行きましたが、その時、馬頭観音の近くにあるはずの「水神」の碑が見当たらなかったんですよね。
その後、私達P&Jも気になって再度行ってみたんですけど、見付かりませんでした。
今年9月の「鹿ゼミ」で石碑の研究発表をされた林口さんも、「探したけど見付からない」と。
そこで林口さんが青木さんに働きかけて『水神捜索』をすることになり、私達もお誘い頂いて参加しました。

11
7日午前10時、丁未に集合したのは6人。
夕張の地域史を研究し「鹿ゼミ」を主宰する青木さん、
市の文化財保護委員で元丁未住人の小川さん、
市教育委員会・学芸員の高橋さん、
夕張の石碑などを研究する林口さんと一緒に、
行方知れずとなっている水の神様を探しに行きました。

その昔、メロンの通年栽培を試みた施設の跡地から、お地蔵さんの並ぶ道を行きます。5分ほど歩いた所に「水神宮碑参道」と書かれた黒い札が立っていました。この辺りなのですね。

009水神宮参道

笹やぶをかき分けて斜面を上って行くと、簡単な階段と金属製の手すりがありました。雪に押されて曲がってますけど。

さらに笹を「こいで」行きます。
書籍『ゆうばりシリーズ2 夕張の碑 ―石碑・石仏など― (平成元年、夕張市郷土資料保存研究会 発行)』によると、
「水神宮」は高さ104センチ、幅70センチ、厚さ9センチで、「水神宮」の文字が彫られているそう。
もう一つの「水神」は51×30×18センチで、「水神」の文字が刻まれている。福住の家政女学院校舎裏にあったそうです。

隣に碑を説明する立て札と、池と、屋根があるらしいのですが・・・。

出発から
20分ほど経った頃・・・・・・池と立て札がありました!

025水神宮立て札と池

027水神碑池

池は直径1メートル強でしょうか。中で堆積した草が黒くなり、泥炭になりかけていて・・・臭い。
山の斜面からビニール管が顔を出して、水がちょろちょろと池に注いでいます。
立て札は鉄筋コンクリート製らしく、折れて倒れていますが、起こしてみると「水神宮」と書かれていました。
近くには屋根の支柱 立て札のつっかえ棒だったと思われるパイプも転がっています。
間違いありませんね。「水神宮」碑がこの付近にあったのでしょう。
が、辺りを見回しても、それらしいものは見当たりません。

林口さんが池に入って、水底を足で探っていました。しばらくすると
「あ! 将棋の駒みたい!」という声。
もしかしたら水神宮碑!? 確かに、書籍の写真で見ると、碑のへりの角度が将棋の駒に似ています。
これは希望が持てます。

030水神宮

034水神宮

真っ黒な草と水をスコップで池の外に出してみます。それから足で形を探ると、
水底にあるものは、平べったい板のように感じられます。ますます石碑っぽい。
さらにスコップを動かし、水が少なくなってくると、本当に石碑の形が見えてきました。
その下にスコップの先を入れ、4人で持ち上げると・・・

048水神宮発見

052水神宮

057水神宮発見

057水神宮発見t

文字が見えました! はっきり「水神宮」と読めます!!
池から出しましょう! これは重いー!


069水神宮t

072水神宮発見


やったー!!!!!! ついに発見しました!!
池から草と水を掻き出すこと約10分。「水神宮碑」を発掘しました!
全員が総力を結集して、行方不明だった夕張の大切な石碑を一つ、救出する事ができました!
Jは撮影しかしてませんが。)

もう一つの「水神」碑は見付かりませんでしたけど、
小春日和の日差しの中、6人は達成感と安堵感を味わいました。頑張った甲斐がありましたー!



後日、青木さんから書籍『わが夕張 知られざる炭鉱(ヤマ)の歴史』(昭和
52年発行、夕張 働く者の歴史を記録する会 著)を見せて頂いたんですけど、それによると、「水神宮」は
・大正5年、(この本発行当時の)丁未一区集会所前辺りに建立された。
・付近にあった沢をせき止め、水の汲み取り場が作られた。
・水神を祭るのは東北地方から渡って来た人々にとって当然の事なので、水神宮碑が建立された。
・大正6年、丁未水源地が竣工され、長屋にも水道が普及したため水汲み場は使用されなくなっていった。が、祭りは毎年行われた。
・この沢の水源は丁未小学校グラウンドの上にあった。昭和10年頃、その近くに丁未神社が建てられたのを機に水神宮碑はそこに移された。
・昭和44年、夕張-万字間道路開通工事のため丁未神社が廃止。すでに水神宮碑建立ゆかりの人達もいなく、存在も忘れかけられ放置状態に。
・丁未の人々の話によると「水神様をこのまま粗末にしていると災いのもとになる」と神のお告げがあり、丁未の人々が、同じ水源の沢ということで丁未遊園地の中央部に移設した。
・水神の祭りは山神祭の後に行われていた。
・この水神宮碑は丁未の歴史を偲ばせる貴重な遺産である。
・転々と移ったが、丁未の人々はささやかながら祭礼を行い、水への感謝を忘れてはいない。

もう一つの「水神」碑については
・明治35年建立の水神碑が、昭和45年に福住一区で、なかば土中に埋もれているところを発見された。
・丁未の人達は水神との結びつきが強かったが、福住の住人は炭鉱マンが多く流動性があるため、対照的。

とあります。

また、『夕張の碑』の「水神(一)」の頁にはこの日見付かった水神宮碑の写真、
「水神(二)」の頁には別の石碑の写真と、福住一区にあるという事が書かれていて、
『わが夕張』にある「水神宮」の事と「水神」の事が(一)の方に書かれています。ごちゃ混ぜです。
今回碑が見付かった場所に倒れていた立て札にはこう書かれています。

         水神宮            
 水神・水神宮は、主に山腹の湧水のある
水場に祭られ、毎年祭礼を行って信仰を 
深めていました。               
 当時、生活用水を得ることは非常な  
重労働であり、山腹の湧水は天が与えて
くれた恵みの水であった訳です。     
 しかし、上水道が普及するにつれ水場 
は顧みられなくなり、この水神の碑も   
昭和四十五年半ば、地中に埋もれて発見
され、その後、三度移設され現在に至って
おります。                   

023水神宮立て札


これは『夕張の碑』の記述から引用したのでしょう。ですので、こちらもごちゃ混ぜです。
おそらく、先に発行された『わが夕張』の方が正しいのだろうと思います。

「水神宮碑」がいつ頃この場所に移されたのか、もう一つの「水神」はどこに行ったのかなどは不明です。
なぜ池の中でうつ伏せに倒れていたのかは、青木さんの見解では、
この上の道路(丁未-万字)に積もった雪が(除雪車によって)こちらに捨てられるので、碑も立て札も倒れたり押し流されたりしたのだろう、との事です。

行方不明だったこの「水神宮」碑が見付かった事は、北海道新聞の
1117日朝刊地方版に載りました。
かつて丁未にお住まいだったある方は、水神宮碑が見付かった事をとても喜んでいらっしゃるそう。
今後は適切な場所で大切に守られ、夕張の歴史が間違いのない形で伝えられるよう、良い方法が見付かれば、と願います。



sorairocm at 20:43|PermalinkComments(4)夕張炭田 | 探訪記

2015年11月15日

萩原氏の写真展、延長

炭鉱や鉱山を30年以上撮り続けている写真家・萩原義弘さんの写真展は
今月15日までの予定でしたが、22日(日)まで延長されました。
16日は通常の休館日、17から19日までは臨時休館となっています。
写真展が開催されていますマンモスホールは入場無料です。




私達もお世話になっています釧路市立博物館の学芸員・石川さんが
9月にご結婚されました。おめでとうございます。お幸せに!


2015年11月12日

早川季良さんの展覧会開催中

道内各地の炭鉱で働き、炭鉱をテーマとした絵を多数描いていらっしゃる
早川季良(きよし)さん。喜寿を記念する展覧会が、札幌市で開かれています。

早川さんはじん肺のため
43歳で炭鉱を退職した後、炭鉱などを題材に絵を描き、
いわゆる「炭鉱画家」としても知られています。
30年前に石炭の粉や灰を絵の具に混ぜて描く
「コールレリーフ(石炭画)」を確立。
現在は入院されていますが、
その苦しみをおして描いた景勝地などの作品38点が、
現在、札幌のギャラリー「北のモンパルナス」で展示されています。
入場・観覧無料。
今回、炭鉱の絵はあまり展示されてないようですけど、
1114日(土)はピアノのコンサートがあり、
その中で早川さんの文章が朗読されます。参加費500円。

炭鉱で命を落とした仲間への思い、生きる希望を
感じる事ができるのではないでしょうか。

【早川季良 
77年生命の歩み展】
日時:2015114日(水)から1128日(土) 11時から18時まで
場所:ギャラリー 北のモンパルナス
 札幌市西区二十四軒43丁目3-15 清水マンション105
定休日:日曜、月曜、祝日
「森井聖子ピアノ弾き歌いコンサート」
 1114日(土)14時から
 参加費500


612上砂川早川氏

 2014
年に上砂川で行われた早川さんの野外作品展



2015年11月11日

煙突は何を見つめるのか・・・

今年も1111日・煙突の日がやってきました。
こちらは夕張市、「夕鹿の湯」の前にある大煙突。(春の写真です)
以前も何度か掲載していますけど、
ここはコークスなどを作っていた北炭化成工業所の跡です。

068夕鹿と煙突

「夕鹿の湯」は今年の2月、設備が故障して休館。
当初は2か月程で再開するはずだったけれど、修理にかかる費用が大きく
なかなか再開できず。
この施設を運営する小樽の産業廃棄物処理業・テクノは
とうとう再開を断念し、
この11月中に指定管理を市に返上する、と発表しました。
同社が運営している「夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)」も、
今年は12月から冬季休館し、4月に再開するとのことです。




sorairocm at 10:18|PermalinkComments(0)夕張炭田 

2015年11月10日

鹿ゼミ・エクスカーションで鹿島と南部

117日に行われた鹿ゼミ・エクスカーションのレポです。
今回のテーマは「リベンジ! 鹿島・南部で街歩き+石碑探訪」。先月の予定でしたが悪天候でできなかったので、今月になりました。

午後1時に南大夕張駅跡の駐車場に集合。この駅跡には三菱大夕張鉄道のラッセル車や客車、石炭輸送用の無蓋車などが保存・展示されています。
その客車の中で、青木さんから南部地区・鹿島地区における炭鉱や鉄道についての説明を受け、それから出発です。
これが今日の切符。

145切符

いえいえ、汽車での移動はしません。通ってませんから。この切符は既に廃止された三菱大夕張鉄道のもの。青木さんが参加者全員にくださいました。
清水沢からここまで、子供料金が30円だったんでしょうか。

149南大夕張駅跡2

駅舎はこの上の高い所にありました。その横の坂を歩いて上がります。
左側に神社があるのを確認し、元「そば天国村」前を通過。「そば天国村」は今年の初めだったか、夕張国道を挟んで反対側に移転しました。
(以前おそばを頂いた時の記事はこちら2011515日。)

150そば天国村


さらに上がると、南部小学校(
1911-1990)のあった所。去年5月のエクスカでもここは来ました。
「南部健児よ飛躍あれ 開校70周年記念」と書かれた札、その上には「夕張市立南部小学校閉校記念碑」と「希望にあける我等の学びや」と書かれた札があります。
とても大きな学校だったんですよね。

153南部健児

157南部小跡


来た坂を下って、南大夕張神社へ。
大きな鳥居、灯篭、狛犬。けど社殿はこぢんまりとしています。
正面の扉が・・・あまり神社らしくない・・・。

161南大夕張神社

駐車場に戻る途中、この近所にお住いの方が偶然いらしたのでお話を伺いました。
こちらの神社、大夕張炭鉱がこの近辺にあった時、ここに建てられましたが、炭鉱が北東部(のちの鹿島地区)に移ると一緒に移転。その後、再びこちら(南部地区)に南大夕張炭鉱が開発されると現在の場所に戻された、という事です。もともとは炭鉱の神社だったのですね。


更に降りて来ると、最近建立された石碑があります。
この地域では有名な助産師さんの、川柳の碑でした。

176句碑


商店街を通って駐車場に戻り、車で国道を東に向かいます。
長いトンネルを抜けて、昔、東高校があった辺りに造成された広場。
夕張シューパロダムができて鹿島地区が水没するので、その前に撤去された石碑などがこの広場に設置されました。
「道路開通碑」、「鹿島東小学校閉校記念碑」、「ふる里大夕張の碑(親子の像)」、「北海道立夕張東高等学校記念塔」、「夕張市立鹿島中学校閉校記念碑」、「夕張市立鹿島小学校閉校記念碑」、どこかの学校の卒業制作と思われる「友情のシンボル」、「馬頭観世音」、「皇后宮御歌碑」、「戦没者慰霊碑」、と。

242広場

198碑と人と夕張岳

239親子の像、東高の碑、夕張岳

197東高碑と夕張岳

碑の背後にはとんがり山の前岳、雪をまとった夕張岳。雲一つない青空に映えます。
夕張岳登山道に向かう新しい白銀橋は冬季閉鎖中。対岸には「奥鹿島分校ゆかりの碑」と「白金望郷之碑」があるんですけど、今回は行けません。
白銀橋と木立の向こうに旭沢橋梁と明石橋が少し見えます。
そして、蕩々たるダム湖。その水面から突き出ている木々は、いずれ倒れてしまうのでしょう。

203橋


次は、この景色をつくった夕張シューパロダムへ。

251シューパロダム2

三弦橋があった場所などを確認して、ダム管理事務所に入ります。(三弦橋についてはこちらに記事がたくさんあります。)
展示されている昔の写真や地図から鹿島地区の往時を偲ぶ事ができました。

ダム管理事務所の前にある2基の石碑。
大夕張ダム建設に携わって水難に遭い亡くなった方々を慰霊する「大夕張ダム慰霊碑」と、「夕張川総合開発記念碑」です。

267ダム慰霊碑、記念碑


最後にシューパロダム堤頂を歩きます。

堤頂の向こうに見える三角の山には昔、南部と鹿島を結ぶ道があって、やたらダニが多いので「ダニ峠」と呼ばれていたそうです。

270ダムの上

279ダムの上から湖

「ダムを境に上流がシューパロ川、下流が夕張川」と青木さん。
そうなんだー!それは気付きませんでした。
上流(上の写真)には大きな人造湖・シューパロ湖。水の中には大夕張ダムが沈んでいます。右には三弦橋が、左の山肌の下には三菱大夕張鉄道の覆道も水の中です。
下流(下の写真)はダムから発電用の水が流れ出る程度で、割と細い川。こちらの川の幅はダムができる前からほとんど変わってないそうです。
川の左の白くて四角い建物が水力発電所。そのそばの橋が「出合い橋」。一般の人が渡る事はできません。
(出合い橋一般解放とシューパロダム吐水の記事はこちら20141114日。)
川の右にある平らな土地に、かつて三菱南大夕張炭鉱の施設があったのだそうです。

275ダムの上から

ダム堤頂で解散。今年のエクスカはこれで終了です。
鹿ゼミ・エクスカーションでは今年も夕張のいろいろな所を歩いて、いろいろな事を教えて頂きました。三笠の新幌内にも行きましたね。
次は来年の春。どんな所を歩き学ぶ事ができるか、今から楽しみです。


(「南大夕張炭鉱 殉職者慰霊碑」はすでにビニールシートで冬囲いされているので、見に行きませんでした。)



sorairocm at 19:47|PermalinkComments(0)夕張炭田 | 鹿ゼミ

2015年11月09日

大夕張のつばめ電器とリリーズさん情報

今年1月の写真です。

夕張シューパロダムに行く時、夕張川に架かる橋を渡ったら、
右の奥に赤い看板を掲げた建物が見えます。空き家ですが。

162大夕張つばめ電器

看板の真ん中には大きくビクターのロゴ、
そして右下に「つばめ電器」の文字の形跡が見受けられます。

162大夕張つばめ電器2

「つばめ電器」は清水沢にもありました。そちらは
双子の歌手・リリーズのお二人の生家です。
大夕張のこちらのお店は、お二人のおじ様が営んでいらしたのだそう。
ラジオ番組「リリーズのキャプテンズ・レディオ」でご本人が仰っていました。
リスナーさんからのメールでこのお店の画像をご覧になったようで、その時、
「懐かしい! いとこもいたから小さい頃よく遊びに行ってた」と。

リリーズのお二人は現在、「 同窓会コンサート」で北海道にいらしています。
9日は北見、11日は札幌、 12日は岩見沢、13日は苫小牧。
再来週の25日に帯広、そして26日が釧路 。
お近くの方は是非。
詳しくは「同窓会コンサート 2015年11月北海道公演スケジュール」 でご確認ください。
夕張公演がないのは残念ですけど、
いずれまた夕張にはいらっしゃると思います。 

2015年11月06日

鹿ゼミで石炭について学びました

去る1024日、夕張教会にて行われた第27回鹿之谷ゼミナールに出席しました。
この日の講師は夕張市教育委員会の学芸員・高橋氏。
とても分かり易いお話で、石炭のもととなった植物「メタセコイア」について改めて勉強する事ができました。

まず初めに、石炭や炭鉱について解説する映画を観ました。
昭和4年の、小学校5年生用教材フィルムです。
石炭が燃料として利用されるほか、コークスやドライアイスなど様々なものに加工されることを解説。
坑内で働くの人達の様子も収められていました。

その後、高橋氏から石炭についてのお話。たとえば、
・夕張の炭鉱で掘っていたのは石狩層群の「夕張層」と「登川層」
・北海道・九州の主要炭鉱の石炭層は4千万年から5千万年前、新生代古第三紀の地層。それに対して山口県の美祢(みね)炭田は約2億年前、ヨーロッパ・北米などは約3億年前のもの。
・夕張で掘られた石炭は瀝青炭(れきせいたん)と呼ばれる種類。強粘結性で高カロリー。
・石炭の原料となった植物は、北海道・九州ではメタセコイアなどの針葉樹で、外国では巨大なシダ植物が多い。
・夕張の石炭の主な原料はメタセコイアであると言われている。
・石炭は、温暖な気候で、大量の植物遺体が入り江や河口の湿地帯に速い速度で堆積し、そこに火山活動による地熱・地圧が加わるとできる。
・登川、楓、岩見沢の炭鉱からよく産出され工芸品にもなった「目無し炭」は、地下で多方向から力が加わったことにより節理(割れ目)がなくなった。
・メタセコイアはスギ科の高木。針葉樹には珍しく秋になると葉が落ちる。「生きている化石」と言われている。
・メタセコイアの化石は1939年に三木茂博士が発見し、1941年に発表された。
・メタセコイアは絶滅した植物とされていたが、1941年に中国湖北省で発見された現生の個体がメタセコイアの原種であると、1946年、明らかとなる。
・その後、中国湖北省から日本にメタセコイアが送られ、その子孫が日本各地に植えられた。
・昭和36年、清水沢炭鉱から出た植物化石について秋田大学の藤岡一男教授が論文を発表。同炭鉱に勤めていた小林政雄氏(瀝青会、道展会員)が植物化石の絵を描いて添えた。

など。

また、珪化木(けいかぼく)についても。
・木に二酸化ケイ素が入った化石が珪化木。非常に硬い。
・北海道では「木石(もくせき)」とも言う。九州では「松岩(まついわ)」とも呼ばれる。
・石炭層から出て来る事がよくある。メタセコイアと似ている。

そして、今も石炭は発電や製鉄、セメント製造などに利用されているので必要なものである、と。
最後に、三池炭鉱跡を訪問した際の写真を見せてくださり、
「貴重な炭鉱遺産がすばらしい状態で保存されている」と仰っていました。

高橋氏は「最近の子供達は石炭の事をほとんど知らない。大人でも石炭を知らない世代が増えている」とも。
私共は学校でストーブに石炭をくべていた世代ですので、子供の頃から石炭は身近なものでしたし、
炭鉱の本を読むと石炭についても知る事ができますけど、
今回は改めて石炭の事を詳しく学ぶ良い機会でした。
炭鉱の歴史を後世に伝えるためには、石炭についても一緒に伝える事が重要ですね。
もっとこのような講演があっても良いのかも、と思いました。



石炭博物館の前に立つメタセコイアの木と葉

068メタセコイア

057メタセコイア

070たぶんメタセコイア

054たぶんメタセコイア



こちらはたぶん珪化木

064たぶん珪化木



sorairocm at 00:17|PermalinkComments(0)夕張炭田 | 鹿ゼミ

2015年11月05日

大夕張の資料、長沼から夕張に

917日の記事でお伝えした大夕張の炭鉱に関する資料は、
長沼町から夕張市内のある閉校した学校の校舎に移設されたそうです。
いつか、ほかの所に保管されている大夕張資料と共に、
公開されるといいですね。

013資料

 



sorairocm at 22:54|PermalinkComments(0)

2015年11月03日

札幌でも写真展が始まりました

以前もお知らせしました
「ギャラリー粋ふよう」での「第三回 ふれあい写真展」は
今日から開催です。私共も「秋色 夕張支線」と題して出展しています。
そして今回は、急きょ、Jが撮った空の写真も横っちょに展示させて頂きました。
Jがこっそり持ってるもうひとつのブログ「空色の空」に載せたものや、載せてないものを。

KIMG0747

≪第三回 ふれあい写真展≫
日時:2015113日(火・祝)から1114日(土)
    8日(日)はお休み
    1030から1800まで(最終日は1600まで)
入場・観覧料:無料
場所・主催:ギャラリー粋ふよう
                (札幌市東区北25条東1丁目419
        地下鉄南北線北
24条駅下車徒歩13分、北26条通り沿い)


KIMG0749

ほかの皆さんの写真も素敵です。
ぜひお越しください。