我路

2014年08月28日

さよなら、煉瓦の郵便局

赤い煉瓦の壁が印象的な郵便局。
小さなまちの簡易郵便局にしては、大きくて立派な建物です。
お分かりですよね?
ここは美唄市我路町。三菱美唄炭鉱があった時代はとても賑わっていたまちです。
この郵便局が今月29日を最後に閉鎖される、と新聞で読みました。
時期は未定のようですが、解体される見通しです。

行って来ました。何度も行ってるけど、最後に改めて、
舐めるように写真を撮って来ました。
ハガキを買って「我路」の文字の入った消印と
局名の印を押して頂きました。
内部の写真も撮らせて頂きました、お断りした上で。

炭鉱の繁栄を物語るものが、またひとつ消えようとしています。
その記録を遺すべく、写真を載せておきます。

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向かいに住んでる猫も寂しそうな・・・。

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 【我路簡易郵便局 (旧 我路郵便局)】
1956(昭和31)年に建てられた鉄筋コンクリート造り・一部煉瓦造りの2階建て、
延べ床面積547平方メートル。
73年、当時の郵便局から市が建物を取得、東美唄支所(のちの出張所)を置き、
郵便事業の一部を委託する簡易郵便局となる。
我路生活館としても利用されていたが今年3月末で終了。
6月には市議会で東美唄出張所の廃止が可決された。
我路を含む東美唄地区には最盛期の50年代、3万人が住んでいたという。
現在、我路町には12世帯22人が住む。
(北海道新聞2014816日朝刊空知版より要約)



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2012年08月24日

我路をてくてく 後編

「てくてく美唄炭鉱 我路編」の一行はさらに我路のまちを歩きます。
我路は炭鉱の発展により開けたまち。
炭鉱が栄えていた時代は岩見沢や美唄市街よりも賑やかな商店街があり、
住宅もたくさんありました。
今では数えるほどですが・・・。
 

よく見えませんけど、我路映劇の映写室です。
当ブログ2011221の記事に、もう少しよく見える写真があります。)
炭鉱のまちには、閉山して建物の多くが無くなっても
映写室が残っている、という例がいくつかあって、我路もそのひとつ。
昭和30年代の頃まで映画のフィルムは自然発火しやすい危険なものでした。
だからコンクリートで頑丈に造られているのです。

114我路映写室

 

我路駅ホーム跡。
昭和47年まで三菱鉱業美唄鉄道が通っていました。
118我路駅ホーム跡


今も現役の我路郵便局。
昭和6年に庁舎が全焼し、その後に建てられたものでしょう。
美唄市我路生活館としても住民に親しまれています。 

125我路郵便局

 
 

ネコも見て・・・。

 137我路ねこt

 

なんと、我路にお住まいの方が152美唄トマト
このイベントのために休憩所を設けてくださり、
畑で採れたミニトマトをご馳走してくださいました。
おいしかった~(´∀`*)

 


 

 

 

こちらは美唄電報電話局我路分室の跡。
昭和29年に建てられたものです。

我路電報電話局p

 

次は、山の上にある我路神社へ。
神社に向かうには2つの路があります。
1つは神社の前の急な階段。88段あるので足に自信がある人向き。
もう1つは神社の裏の比較的ゆるやかな山道を上ります。
Pは階段、Jは山道でヾ(=^▽^=)ノ
「我路」だから、「我が路を行く」。
実際に「我路」という地名は「我が路を行く」から付けられています。
参加者のうち約8割の方々がきつい階段を選びました(゚o゚)オオー!
(下の写真は階段の方に向かう勇者たち) 

 169てくてく美唄

神社に到着したのは、ほぼ同時。

 180

この神社も現役で、地域の方にきちんと守られています。
いつもは開けてませんが、このイベントのために開けてくださいました。
外観は古くてこぢんまりした社殿ですが、
内部には神輿や太鼓が置かれ、荘厳な感じでした。


 183我路神社

そして、ここの狛犬には言い伝えがあるそう。
言葉の遅い子供がこの狛犬に触ると、すぐに言葉を話せるようになる、と。
昔は小さな子供を連れたお母さんがよく参拝に来てた、ということです。

 

神社から降りる時は、約8割の方々がゆるやかな山道を選びました(^^

 

再び三菱美唄記念館。三菱美唄炭鉱の資料が展示されています。
068三菱美唄記念館

休憩しながら館内を見ているとアルテの方の声。077美唄ガロ
「やきとりガロさんの焼き鳥があります!
ひとり1本! 焼き立てでーす!」
わーい! 美唄焼き鳥! ラッキ~!
コショウが効いておいしかったです!


満足した一行はバスでアルテピアッツァに戻り、
そこで解散しました。


焼鳥のほかに、塩飴もくれたし(^O^)
ペットボトルの飲み物は、参加料に含まれてたけど
暑い中を歩くにはとても有り難かったです。
って、食べ物・飲み物だけじゃなく(#^.^#)
地元の方々の温かいおもてなしも嬉しかったし
なにより貴重なお話をたくさん聞く事ができて、
とても良い一日でした。


暑い中ガイドをしてくださったNPO法人アルテピアッツァびばいの皆さん、
地元の皆さん、ありがとうございました。
美唄の炭鉱跡を辿るイベントを、また企画して頂きたいと願います。
「来年の春にあるかも」だそうですけど、是非!






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2012年08月23日

我路をてくてく 前編

昨日も暑かったですよね~。女満別では猛暑日になりました。
今日は涼しかったけど、これからも残暑は続くそうです。
体調管理に気を付けましょうねー!
 
さて、この日も暑かったんですよ~。
去る819日、NPO法人アルテピアッツァびばいが主催する
「てくてく美唄炭鉱 我路(がろ)編」に参加しました。

アルテピアッツァのスタッフの方々、
国鉄で働いていた方、炭鉱マンの息子さん等による案内で
かつての炭鉱まち・我路を巡るイベントです。
参加者は約50人。有料にも関わらず多数の参加があり、
主催者の皆さんは“嬉しい悲鳴”を上げていました。


060美唄メモリアル公園

午後1時、アルテピアッツァ美唄からバスに乗り、
まずは三菱美唄炭鉱の跡地・炭鉱メモリアル森林公園へ。
立坑の役割などの説明を聞きました。

次にバスは我路ファミリー公園へ。

072炭山之碑三菱美唄記念館でWCタイムの後、
「炭山(やま)の碑」を見に行きます。


沼東(しょうとう)中学校のグラウンドだった所にそびえる
「炭山(やま)の碑」。
美唄出身で世界的な彫刻家・安田 侃さんの作品です。
高さは7メートル。
「地中に残された炭鉱マンの皆さんが呼吸できるように、
そしてその魂が地上に上がれるように」という思いが形になっています。


炭鉱事故で犠牲になった人々の中には、
韓国から連れて来られた人が
多数いました。
安田さんの作品は、韓国の釜山にも置かれているそうです。
美唄から放たれた魂を受け留めるために―。



「炭山の碑」を後にして歩き、着いたのは重厚な石造り倉庫。
大正時代の質屋の倉庫だそう。今年の冬の豪雪で破損が進んでしまいました。

 082美唄質屋倉庫

 

その奥にある木造家屋も大正時代のもので、戦後の政治家・岡田春夫氏の生家です。
良い状態で残されています。

 091岡田春夫生家

 


この続きは、明日。








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2012年08月15日

美唄イベント情報

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アルテピアッツァ美唄では今
「思い出の炭鉱写真展」が開催されています。
8月20日(月)まで。

また、19日(日)は我路地区の炭鉱跡をバスと徒歩で巡る催し
「てくてく美唄炭鉱 我路編」があります。
午後1:00アルテピアッツァ美唄アートスペース(旧体育館)前に集合し、
4:30まで(歩くのは約2時間)。
ひとり700円。事前の申し込み不要だそうです。


sorairocm at 22:28|PermalinkComments(0)

2011年02月21日

産炭守猫会・美唄我路支部

092

あらためまして、こんにちは。

産炭守猫会・美唄我路支部です。


今年は雪が多いにゃ~!

でも我路支部は安泰かにゃ!

後ろの建物は僕たちの事務所。

誰かが空き家を「猫の家」にしてくれたんだよ。

お陰で雨でも雪でも日照りでも快適さ!

 

 

さて、ここ我路(がろ)には1973(昭和48)年まで北菱我路炭鉱があったんだよにゃ。

美唄市内で最後に閉山した坑内掘り炭鉱にゃのだ。

三菱鉱業美唄鉄道の我路駅もあったにゃー。

その頃は賑やかな町だったけど、

今では住む人も少にゃくにゃってしまった。

 IMG_我路の映写室跡

往時を偲ぶ事が出来るものは・・・

 

バス停のすぐそばに映画館の映写室が残ってるよ。


映写室は丈夫に作られてるから、

ほかの炭鉱町でも、わりと残ってる所が多いんだよにゃ。

雄別とか、羽幌とかね。

 

 

IMG_我路映写室跡
それと、レンガ造りの郵便局。

ここは現役です。

重厚感のあるいい建物だよにゃ~。


末永く現役であってほしいものだにゃー。 



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