2025年03月16日

失われし歌を求めて(85)

 たった一度のチャンスをつかむ人、逃す人、大逆転の人、まさに人生いろいろ。

 それが幸せだったか、と言うとそうでもなかったり、エンタメの世界は特に運がものを言うなぁ。

 今回は、何回かのチャンスに少なくとも手を伸ばし、何回かは手が触れたり、しっかり握ったこともあったかも知れない。けれど運命は微笑んではくれなかった。そんな女性のお話だ。


 薬指のジェラシー  南英子 

 南英子を初めて知ったのは、英知出版のグラビア雑誌「すっぴん」の特集だった。
 「すっぴん」は先に創刊されていた「Beppin」の姉妹版であり、グラビアモデルの年齢も低めだったと思う。

 巻頭タイトルで「南英子16才」とある彼女のグラビアを見て、これは可愛い子が出てきたなぁ、スタイルもなかなかだし。滋賀県出身かー。
 これが1991年の頃で、きっとアイドル界を揺るがすかも、とチェックしておく事にした。

 ところが彼女はそこから、なかなか新たな展開を見せてくれなかった。
 これも当時のアイドル氷河期の影響があったかも知れないし、事務所の力も大きくは無く、よくあるパターンだったかも知れない。

 そして4年後の1995年、僕は仕事の昼休み、自転車に乗って今は無いアーケード街を走らせて、1度も入ってない店で焼きそばを食べていた。

 観た事がない山田邦子司会の番組がTVで流れていた。

 (後で調べたらTBS系の「邦ちゃんのしあわせにしてよ」この頃のTBS系お昼帯は試行錯誤の連続だったもんね)

 オーディションからソロデビューまでのダイジェスト。

 そこには記憶のある女性。

 あ、南英子〜!

 と、びっくりした。

 あの日しか入らなかったお店に、あの時間に立ち寄ってなければ、

きっとデビュー情報を知るのは遅れたであろう。

 そんなデビュー曲
「薬指のジェラシー」

 作家陣も揃っていた。

 作詞・秋元康 作曲・鈴木キサブロー 編曲・岩本正樹 の組み合わせ。

 歌詞は街で見かけた元カレの薬指に、指輪があるかどうか探してしまう、と言う内容。
 当時から今に至るまで秋元康作品に多い、様々なアイテムや舞台から始まる切ない想い。
 (例・「ポケベルが鳴らなくて」国武万里


 作曲・鈴木キサブローは、「想い出がいっぱい」(H2O)など切ない系のメロディーも得意。
 編曲・岩本正樹も「ただ泣きたくなるの」(中山美穂)や、

 失われた歌を求めて(28)で紹介した
 「ふたり」(浜本沙良)の作曲・編曲をしている。

 楽曲的には本当に切なかった。

 僕はシングルCD(おおっ!)をすぐ買って、
 自己チャートでは1995年9月22日〜10月1日、10日間首位にしている。

 今聴いても良い歌だと思うし、緊張感があるミディアムテンポのイントロから静かに、そして次第に感情の波を感じさせる歌い方も良い。しかしMVも無いのだよね。
 まずは聴いてみて!
 



 しかしCDはヒットしなかったな。
 セカンドシングル「どーにか こーにか」の方が、
 
 アニメ「ナースエンジェルりりかSOS」の主題歌で少しは売れたのだけど、南英子としてのシングルはこの2枚だけで終った。

 それでも彼女はもう一度復活する。

 1998年にMISIA「つつみ込むように」を大ヒットさせた島野聡プロデュースで、
 
MINAMI名義で活動を再開し、1999年「素直になれる」で再デビュー。

 
3rd「千の雪」4th「One Voice」のシングルは2000年に、自分は独編No.1songsにしている。
 結果シングル5枚、アルバム2枚をリリースしたが、2003年以降の活動は無く自然活動停止になっているようである。



 本人が歌っている映像は「千の雪」、これくらいしかなかった。
 それでもチャンスはこの人の場合、何度かあったのだと思う。

 でも幸運に手を伸ばしたタイミングやスタッフとの出会いとか、様々な要因が彼女に微笑まなかった。多くの人の人生がそんなものなのだろう。

 2025年現在50才になられている筈だが、幸せであればそれで良い。
 心からそう思うのだ。

 と、思ったらMINAMIインスタ 発見。
 頑張ってるようで何よりっす〜

 

懐メロランキング
懐メロランキング

soraumi_meet at 00:00│Comments(0) 失われし歌を求めて 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
訪問者数