炭素生命の夜明け

Twitter関係をメインに、気まぐれにつらつらと。 あと過去の創作物なんかも置いていこうかと。 更新頻度はかなり低いと思います多分。
Twitterはこちら→ http://twitter.com/sorppor

ガッテンは役に立たない。

このたびこうけつあつ(と動脈硬化)による脳内出血で深夜に倒れ、救急車で運ばれた私。

危機は脱して、麻痺した右半身と言語のリハビリに励むかたわら、高血圧の治療法を調べてたんです。

結局のところ、決定的な治療法はなくて、
①原因となった塩分を減らし、血中コレステロールを減らして高血圧の元の一つとなるプラークを減らし、血液をサラサラにする食餌療法
②降圧剤により心臓の働きを弱めると共に血管を拡張して、高血圧による事故、障害を予防する対症療法的な投薬療法
③定期的で適切な運動により血行を促進、循環器系全般の正常化を図る運動療法
のみっつに大別出来そう。

しかしどれも面倒臭い。

ずっと薬飲み続けるとか。
運動し続けるとか。
気を使った食事し続けるとか。

やってらんないっしょ。

で、楽なもん探した。

あった。

ガッテン式タオルグリップ法。

丸めたタオルを、握手程度の力で握る。
右手で2分。
休み1分。
左手で2分。
休み1分。
も1セット、
右手で2分。
休み1分。
左手で2分。
おしまい。計11分。こりゃあ楽だ!
しかもなんと、週に三回でいい!楽!
原理は、力を入れた筋肉が緩むと、血管内にNO(一酸化窒素)が放出されるとのこと。
この、NOとゆうのが、血管壁に柔軟性を与えてくれるというのだ。
番組の、そのコーナーがまるっとユーチューブに上がってるので、適当にとばしとばし見て頂きたい。
この後、高血圧気味でお悩みのおじさんおばさんが登場、この方法を試してもらい、色んな先生方が検査する。
驚きの数字出る。
わーすごいなー!てなる。
これは画期的ですねーとかなる、


それはええねん。
画期的なのはわかった。
非常に効くらしい事も分かりました、ええはい、判りました。

で、その時間数、回数の根拠は?
何故2分やって、1分休んで、反対の手で2分やって、1分休む。握力は30%。何故?

俺が知りたいのはそこなんだよー!
例えば右2分やる。続けて左2分やれば右は2分休める。これでなぜいけない?緊張してた筋肉が弛緩することでNOが出るならそれでまるで問題ない。30%以下でやるのは?40%では?50%では効果なし?週に三回でいいというのは?毎日やったら効果は上がる?下がる?変わらない?

わからないんだよおおお!!!!

番組が提示した、
・力の入れ具合で
・一日に決められた時間数だけ、
・週に決められた日数だけ
やらなければ、効果は保証されないのだ。

それ以下では確かに効果は保証されないのだろう。
しかし、それ以上にやっても、効果がアップするとも、減少するとも、変わらないとも書いてない。
わからないのだ。

番組の特性として、
・最低ラインを示す(なんとたったこれだけ!)
・詳細な根拠、検証データ、反証実験、対照実験等を示さない(見る人は普通気にしないし分からない)
なんだよね。

いくつかの検証ブログがあった。
「やったーその日に効果でました!」
「表皮からもNOは出てるから、皮膚を刺激する按摩や鍼灸でも同様の効果があると言っていい。」
「ようは手指も心臓のポンプと同じだということです。握りこぶしが大体心臓の大きさって言いますよね。赤ちゃんがおててにぎにぎしてるのも、心臓を動かそうと懸命なのかも知れませんよ」
だめだこいつら……。
地道な研究を淡々と進めてる方はきっといる。はず。でもまだ発表の段階にないんだ。


実は、別の方向から検索すると、色々ヒットする情報はある。NOは体内の至るところで産出されてるようだ。NOの体質(血管)改善効果についても論文がたくさん出てくる。

どうやら、
①運動(主に筋肉負荷トレーニング)をすると、細胞壁からNOが産出され、血中を流れる。
②血中NOには、血管壁に柔軟性を与え、動脈硬化を緩和する。
③それにより、高血圧を改善する効果がある。

のは、一定の説得力がありそうだ。

と、いうことは、筋トレにも同様の効果があるとみていいはず。

もう少し、論を重ねて検討したいとこだかまぁいい。

私はこの線で、いってみようと思う。
結局、減塩食に、カロリーコントロールによる減量、適切な運動と、「タオルグリップだけで済ましたい面倒」を入院によって全部やってはいる訳ですが。

まあ、結果をごろうじろ、だ。

書きかけの東雲研究所SS


 洗濯物を干している途中で、なのの手がふいに止まった。
「あー」
 手にしていた小さな白い布を広げ、空にかざして透かすように見上げる。
 穴が、空いていた。
 パーの形に開いた両手をそれぞれ通している大きな二つの穴は、本来の用途のためにもともとあるもので、すなわち足を通す穴である。問題にしている穴は、その二つの間、布が二重になっている部分近くの縫い目沿いにあった。着たり、洗濯したりによる自然な傷みなのだろう、穴のまわりは布地自体もだいぶ薄くなり、縫い合わせたぐらいではどうにもなりそうにはない。第一、場所が場所だった。よほど上手に縫わないと、穿いた時に違和感を覚えることは間違いない。
 ぱんつ、であった。
 白い生成りコットンの、シンプルなものである。
「おきにいりがー……」
 とほー、と擬音の聴こえてきそうな顔をする。
 なののぱんつは十枚に満たない。毎日洗濯をしているので、それで充分に間に合ったのだが、さすがにローテーションがヘヴィに過ぎたようだった。
 なのがおおよそ高校生ほどの年齢を想定して作製されていることを考えると、その枚数はいささか少ないと言えたが、事実上東雲家の家事一切を取り仕切る主婦である彼女の思考は、高校生にしては相当に所帯じみていて、つまりは「しみったれて」いた。 
 ふう、とため息をつく。
「どうした、娘」
 ぱんつを手に煩悶するなのに、縁側から坂本が声をかけた。
「あ、坂本さん」
「ぱんつに穴でも見つけたみたいな顔だな」
「……いつからいました?」
「『あー』のところからだ」
「坂本さん!」
 手にしたぱんつを投げつけようとして、すんでのところで気づいてやめた。坂本の姿はもうなかった。
 ふう、ともう一回、ため息をつく。
 なの愛用の下着は、駅前のイトーヨーカドーのセール品である。
 普段の食事などの買い物は、研究所にほど近い地元密着型のローカルなスーパーマーケットでほとんど済ませるのだが、毎月の八日、十八日、二十八日には、駅前まで足を伸ばすのが習慣であった。「8が付く日はハッピーデー」。ヨーカドーのポイント会員は、カードの提示で商品価格が五パーセントオフになったり、ポイントの倍増などといったサービスがある。しかし、生憎となのはポイント会員ではない。
 なのには戸籍がない。
 身分を証明するものを持っていない。
 そのため、クレジットカードはもちろん、その手のポイントカードさえも作れないことが多い。
 はかせの発明をもってすればどうにでもなったのかも知れなかったが、とりあえず今までのところ、やりくりの上でポイントサービスのたぐいが少し残念だったものの、大きな不便を感じたことはなかった。
 だがそのハッピーデーには、カードの有無に関係のないいくつかのセールも催され、なのも恩恵を受けることが出来た。
 中でも好んで見に行くのが、三階「婦人服・肌着」のフロアで行われる「婦人綿ショーツどれでも3枚¥1050」のワゴンセールであった。
 安物ではある。
 しかし下着というのは消耗品でもある。コットン百パーセントの生地は肌ざわりも良く、汗を吸い、丈夫で長持ちがした。下着を「見せる」意図や要請がない限りにおいては、コストパフォーマンスに富んだコットンの下着は実用性・汎用性が高い。
 そしてそもそも彼女は、ファッションやおしゃれといったたぐいのことに、ひどく疎かった。
 部屋着も外出着も、基本的にローカルスーパーやヨーカドー、地元激安衣料品店などの、ノーブランドのセール品である。ユニクロや無印良品は、なのにとって高級ブランドであり、それより上は、お金持ちの人が身につけるよくわからないもの、であった。
 まして、下着でおしゃれをする、おしゃれな下着を見せる、という発想が皆無のなのにとって、ワゴンセールのコットンぱんつは必要十分な品物だった。
 それはさておき、ワゴンセールのコットンぱんつは、安い。すなわち、お小遣いの少ない学生、家計のやりくりに腐心する主婦などが食いつくということだ。
 そのためであろう、柄はパステルカラーのストライプや細かいハート柄、ドットプリント、派手なキャラクター柄を全体に散りばめたビビッドカラー等といった、おそらく中高生ぐらいをターゲットにしたものと、ベージュやチャコール、ライトブラウン、グレー等の単色無地の、おそらく主婦層をターゲットにしたものとに大別出来た。
 おしゃれに疎いとはいっても好みはある。なのが好むのは、これらのちょうど中間である。
 地元激安衣料品店の謎なセンスのショートパンツを、娘のお古の体操着を部屋着にするお母さんのように着こなすなのであっても、ベージュやライトブラウンのぱんつはちょっと「おばさんくさい」という認識はあった。また、あまりにビビッドな色遣いやガーリーキュートなものも、身につけるのには可愛すぎていささか抵抗がある。彼女は己の外見的な可愛さや少女性というものに徹底的に無自覚であり、また主婦性が、機械の身体のコンデンサひとつ、トランジスタのひとつにまで染み込んでいる。
 少女向けの中ではおとなしめのカラーで単色かストライプ、あるいはチェック。大人向けではグレーあたりの単色。その辺が許容できるラインである。
 一番好きなのは、飾り気のない白に、せいぜいワンポイントが入った程度のものであったのだが、白のものは大抵はサイズや形が明らかに女児向けのものであり、動物やアニメのキャラクターが大きくプリントされていた。
 意外に、シンプルな白というのは手に入りづらい。
 穴が空いてしまったのは、まさにその白にワンポイントの入ったコットンのものであった。
 とりあえず、次の「ハッピーデー」までは一枚減でやりくりしよう、と思った。

2001年のKanonプレイ日記。

偉そうな上目、フォントいじりに改行過多、顔文字とウザさ満点ですが、時代性などご考慮頂き生暖かく見ていただきたく。

あと、順番的には一番下の枠からになります。めんどくさい配置で申し訳次第もございません。



その他、文章、誤字、脱字など含め全てほぼほぼ当時のママでございます。

多少なりともお楽しみ頂ければ幸甚にて。












Fri 31 Aug, 2001



友人「すっかりおたく日記になってるな」

わたし「いや、今ごろKanonやってるようじゃ真のおたくとは言えんであろう」

友人「エロゲーやってる時点で君は立派におたくだ」

返す言葉無し!



 というわけで脱おたく日記でGO!





 と思った矢先に、PCがおなくなりあそばしました。



 買いたてほやほや、まだ10日もたってません。



 ほんの数日前までの快適な動作が嘘のように、完全に沈黙してます。













 ディスプレイは真っ暗です。



 わたしの気分も真っ暗です。















 ディスプレイは静かに佇み、もう何も浮かび上がらせることがありません。



 わたしの脳裏にはこのPCの、楽しかった思い出が走馬灯のように浮かび上がってます。









































 Kanonで泣いた思い出が。










 結局Kanonネタを脱してないという……
















Wed 29 Aug, 2001



 ふと気が付くと頭の中にKanonのBGMが流れてて、心だけ冬のあの街、あの駅前のベンチに飛んで、ちょっと涙腺がキてることに気が付くという病んだ日々を送っているぽっぽいぬですこんばんは。

 8/29日午前の部です。



 夏休みももうすぐ終りですが、学生のみなさんしくだいは終りましたか?

 昨日今日あたり、新聞に夏休み期間中の天気が全部ズバーッと載ってることが多いので、日記をちゃんと書いてない人は要チェックですよ。



 それはさておき、ここ続けてKanon日記でしたので、いい加減飽きてる/ヒいてる人も少なくないことでしょう。



 まだKanonです。



 前回の日記を誤解されないといいんですが、わたしKanonは感動したし、気に入りました。好きですよ。

 まず大前提として、二次元のかわいい女の子アリな人種ですから。



 そりゃあもう、筋金入りです。

 ちづる、恵子の時代からリリーナ様まで。




※南原ちづる、神北恵子:それぞれコンバトラーV、ザンボット3のヒロイン。共に安彦良和デザイン。

※リリーナ・ピースクラフト:ガンダムWのヒロイン。




 ゲームでも問題なしです。



 DQ3でムーンブルグの王女が仲間に入ってBGMが変わるところでうるっと来たくらいですから。



 あるいはDQ5でビアンカとフローラを選ぶ時に夜中に一人で風にあたってるビアンカに会ってうるっと来て迷わずビアンカを選んだくらいですから。



 ゲームでの感情移入もばっちりです。

 貧困な例がちょっと情けないですが。







 えっと……何が言いたかったんだっけか。



 そうそう、Kanon好きって話。



 目の巨大さとかほっぺたの形とかデッサンの狂った独特の絵柄に難色を示す人もいるようですが、わたしは大丈夫でした。十二分にかわいかったです。



 というわけで、好きなんです。

 好きなんですが……



 好き嫌いと出来不出来は別モノなわけで。



 その意味で、冷静に判断するならば、ああいったある種コキおろしてるような、あるいは一歩ひいて苦笑しているような評価をせざるを得ない。

 少なくとも、「まともな」「お話し」をたくさん読んでる友人に、「これいいよ」と言って薦められる出来ではないわけです。



 その一方で、わたし自身はそういう欠点、不出来を冷静に理解した上で、それでも気に入ってるわけです。

 そりゃあもう、イメクラでも行って名雪プレイをしたいほど。

 それはアヤナミプレイがしたかったのと同じくらいに。



 というわけで、前回の誉めてるんだか貶してるんだかハマってるんだかヒいてるんだかわからんような文になったという。









 で。



 面白いことに、のうの回路が一時的に、感動モードになってるようです。わたし。





 とりあえず前回の日記も、書きながら思い出してじわ~……(T△T)と来てました(^^;;



 同様にして、マンガとか読んでても、ささいな「いいセリフ」とかに結構いちいちじんゎ~(T△T)。

 ジャンプ読んでじんゎ~(T△T)

 ヤンマガ読んでじんゎ~(T△T)

 京極夏彦読んでじんゎ~(T△T)



 例えばこんな一節がありました。

 今週の週刊少年ジャンプ「BLACK CAT」(矢吹健太朗)。



 主人公トレインの相棒スヴェンは、以前の事件で助け出して以来自分にすっかり懐いているナノマシン生体兵器少女イヴを、一緒にいることで危険な目に合わせたくなくて、懇意にしている飲み屋に預け、主人公と二人で賞金稼ぎの旅に出ている。

 追っていた賞金首の爆弾魔は、起爆スイッチを片手に通りすがりの子供を人質にとる。

 トレインとスヴェンは手詰まりである。

 と、そこになぜか現れたイヴのおかげで無事その賞金首を捕まえることが出来る。



 カタがついたところで、イヴに詰め寄るスヴェン。

 飲み屋の姐さんがイヴを庇い、スヴェンに言う。

「あんたはこのコのためを思ってやったことなんだろう。確かにあんたたちについていったら、危険なこともあるんだろう。けど……」

 スヴェンの脳裏に、無理に説き伏せて飲み屋に残してきたときのイヴの顔がオーバーラップ。

 眉を寄せ、下唇を噛み、ボロボロと涙を流す泣き顔。



 「あんな泣き顔の向こうに、ほんとうに幸せなんてあるわけがないんだよ」



































(TOT)



(なんかこればっか)















 まあ不覚にもこの程度でうるっとキてしまったのです。



 でね、つまりね、世の中、いいセリフとか溢れてるなぁ~と。



 で、そういうのがドラマとかマンガとかで、週単位で消費されてっちゃう。

 いいセリフ、というのはまた「思想」と言い換えることも出来ると思う。

 思想が大袈裟なら、「考え方」ね。思考の方向性、発想、まあそんなようなもの。





 もったいないね、という話。





 この辺もまた言いたいこと山積みなんだけど、それもまた別の機会。



 とりあえず、大量生産されて消費されて、コピー・再生産されてまた消費される。その繰り返しということを考えてみるのも一興です。













 ところで、パソコンを買い換えたわけですが。



 こいつが死ぬほど調子が悪い。はっきり言って買い換える前より死にまくる。

 というよりWindowsが起動しない。

 しても、なんの操作もしないうちにブルースクリーンになる。

 再起動してブート中にブルースクリーンになる。

 Safeモードで起動する。

 ScanDiskが走る。

 IE一枚でメモリ不足になる。

 エクスプローラーが死亡する。

 音が出なくなる。

 OEがメールチェック中に逝く。

 ダイアルアップがお亡くなりあそばす。

 Officeバーがご臨終。

 タスクバーが崩御される。

 アクティブデスクトップが身罷る。

 ノートンアンチウィルスが儚くなる。





 まだ買って半月なんですが。





 どうもメモリを差替えてからの現象の模様。



 誰か助けて。
















Mon 27 Aug, 2001



 栞シナリオ完了。

























(T◇T)








 一番泣けました。





 あっ!!大事なこと忘れてました。

 このネタ自体「いまさら」だし、あまり気にしてなかったんですが、



 ※※※※以下ネタバレです。※※※※

 ※※※※Kanon未プレイのかた、ご注意下さい※※※※





 ほんとはゲームレビューとして独立させた方がいいのかも知れない……。

 書評・漫評・映評も。





 閑話休題。





 栞シナリオ。



 ベタな「難病」モノ。

 不思議な女の子と出会い、何度も会ううちに惹かれていく。

 けれど、彼女は……。



 (T◇T)。



 でも一番泣けたのは彼女自身ではなく、クラスメートで彼女の姉の香里が泣くところ。



 いっつもクールだった香里。

 栞の事を尋ねたときに、「わたしに妹なんていないわ」と無表情に答えた香里。

 でもそれは彼女の精一杯の強がりだった。

 悲しみに耐えられない彼女の自己防衛。

 短い時間でも、ほんの一瞬であっても栞を愛そう、すぐに訪れる悲しい別れも含めて彼女を受入れよう、そう決心した主人公とは、正反対の選択をした香里。

 その香里が、無表情な仮面をはずして、心情を主人公に吐露し、号泣した。

 大好きな、大切な妹。

 けれどもう助からない。死んでしまうことがわかっている。失ってしまう。だから……。



 忘れてしまおう。



 妹なんて、はじめからいなかった。

 愛して。

 心をうつして。

 それで辛く悲しい想いをするならいっそ、はじめから。

 はじめから、妹なんていなかった。

 そう思おう。わたしには妹なんていなかった……。



 でも。

 そんなのは無理。忘れることなんて出来るわけない。



 ねえ、あの子は一体なんのために生まれてきたの?

 あの子の一生は、一体なんだったの?







 「本当に、もうだめなのか!?どうしようもないのか?」



 「そうですね……奇跡でも起きれば。でも……」



































 「起こらないから、奇跡っていうんですよ」























(T◇T)。




 ※思い出し泣き。





 栞のけなげさ、悲しみ、絶望、憧憬、諦観、その奥に抑え込まれた生への希望。



 受けとめきれずにいた、香里の悲しみ、もどかしさ、絶望、諦観、逃避。



 いやいや、ベタなんだよ。

 すごくベタなんだけど、泣けるんだよ。泣いちゃうんだよ。

 泣かされちゃうんですよ。ええ。



 で、ひとつわかったこと。

















 もしかしてようするに、









 トシで涙もろくなってるだけ?







 もしかして、いかにもな泣かせの難病モノドラマでも泣いちゃうのかも知れない。



 でも24Hテレビのなっちのドラマは全然泣けなかったけどな。








 あゆシナリオ完了。





















(T▽T)








 ※※※※以下ネタバレです。※※※※

 ※※※※Kanon未プレイのかた、ご注意下さい※※※※









 このゲームの根幹です。

 あゆシナリオをやらないと、このゲームをやったとは言えません。



 逆に言ってこのシナリオでないと、本当の意味で主人公は幸せになれない(解放されない)とも言えます。



 全シナリオにまたがって、なぞめいた登場をするあゆ。



 他のシナリオでも、繰り返し主人公の夢、失われた7年前の記憶に登場する少女。



 思い出せない、7年前のあの冬の「あの日」。

 不可解な数々のあゆの言動。

 同い年なのに、奇妙に幼い行動や言葉づかい。

 知識や記憶の欠落。



 たい焼き。

 カチューシャ。

 羽。



 「探し物」。



 それは、幸福な出会いと哀しい別れの間を埋めて、奇跡を起こすための「魔法の人形」。





 ふたりだけの秘密の学校。























 願い。

























 約束。



































 「みっつめの、最後のお願いです。」





 「ボクのこと……」

















































 「忘れてください」











































(T冖T)






※思い出し泣き。







 丹念に伏線張ってるし、他のキャラに比べてさすがによく出来たシナリオ。一番最後の仕掛けも、巧いひっくり返し方で「ハッピー」にもってってる。まあちょっとおいおい、そりゃねぇだろと思いましたが。いやちょっとどころかかなり。

 とは言え、全シナリオに必ず出てきて、序盤に主人公の夢に出まくって、中盤で必ず意味深な言葉残してストーリーから去っていくんで、結構飽きてしまうのが残念と言えば残念。

 あゆシナリオに突入するまでは、もう散々繰り返した会話をまたしなきゃならないんだから。





 しかし、このシナリオをやって初めて、このゲーム世界の中で名雪は「美人でスラっとしてる」設定だと知った(^^;;







 で、とりあえず全員やってみての総評。





 まずわたし的順位。

 いや、一概に順位は決められないんで、部門賞かな。



 一番よく出来てたシナリオ:あゆ

   前述の通り。

   伏線をしっかり張ってあって、それを巧く使ってて、まとまりも落しかたもいい。

   話として面白かった。

   ただ、やはり序~中盤を繰り返し見てるせいで飽きてきて感情移入しづらかったのと、キャラがあまりわたしのツボにハマらなかったので、他に比べて好き嫌いで言うと一歩劣る。

   いや嫌いなわけではないですよ。



 一番泣けたシナリオ:栞

   超ベタな話でしたが、一番泣けました。

   エンドが決まってる別れですから。もう、時間をかけてじわじわと泣かされました。

   キャラもかわいくて結構好き。健気萌え!敬語萌え!妹萌え!病弱萌え!的な。

   って、ほんと、キャラまでベタなのな……。



 一番好きなシナリオ:舞

   魔物云々、超能力云々てのはもうちっと整理してちゃんと消化して欲しかった。

   剣をふるって魔物狩りをするけどその他は社会不適合な不愛想・無口・無表情な少女、っつう、ベタなネタをやりたかっただけ、という感じ。

   その理由として超能力とか、過去に主人公と出会ってたとかってギミックを無理に組み込んだという印象。

   三人の友情とか、失われた子供時代・素直な感情を取り戻すとかってのも、その過程で「感動系」にするためにでっち上げて仕上げたのでしょう。

   出来自体は、多分一番悪いシナリオ。

   じゃあどこが好きなのか、というと……

   その、でっち上げの部分なんだなぁ。

   三人の関係、三人の友情、虐げられた記憶とわずかな幸せな時間。それを守る為、自作自演であることに自分でも気付かずに、子供らしい時間を犠牲にしてきた日々。

   それを取り戻すための、三人の生活。

   その三人てのがまたいいのよね。いや、変な意味でなく。☆Pとかそういうんじゃなくて。いや、マジマジ。

   や、実際佐祐里さんがそういう雰囲気を感じさせない人なんで、妙な三角関係にならずに成立するわけなんですが。

   三人揃って親友、という。

   まず恋愛の絡まない友情関係があって、その上で主人公と舞が恋愛関係になっても心から祝福してくれるし、友情に全く影響なし、という特異なキャラなので。

   三人組ってのは他のシナリオにないしね。

   あ~もう言いたいことありすぎて書ききれん感じ。

   というほど、好きなシナリオ。わたしの心の琴線に触れた模様。

   ……ベタだけどね。



 一番好きなキャラ:名雪

   どのシナリオでも常に一番身近にいるキャラだから、感情移入しちゃってるのかも。

   でも一番好き。

   トロいんだけど真面目で、素で、一生懸命で、多分主人公の事を一番わかってくれてる。

   一緒になって、一番幸せになれるキャラだと思う。

   いわゆる「気が付けばいつもそばにいてくれた」ひと。

   あのノリといい、「トホホ」な顔といい、子供の時といい、やっぱし一番好き。

   他のコのシナリオでも、名雪がいるから安心してそのコに向っていけるような気がする。

   いや、名雪が保険、という意味じゃなくて。

   よく理解してくれて、その上で背中を押してくれるというか。

   いや……やっぱ保険なのかな?(--;;

   なんとなく、そのコ(それぞれのシナリオのコ)と喧嘩とかしたらすぐに名雪に相談したりしそう。

   で、結局いずれは相手のコに「あなたはやっぱり、名雪さんが好きなんだね」なんて言われたり。

   もうちっと大学生とか社会人とかになってから、とれんぢぃドラマ風にそういう展開で。



 で、真琴がなんにもないんだけど……これは真琴と彼女のシナリオがつまらなかったり好きじゃなかったりするわけじゃないんで、審査員特別賞:真琴

   や、実際僅差なのよ。色んな要素を合わせた総合得点で言ったら、どれもあんまり差はなくて。

   けど、真琴シナリオには特別に秀でてるとこが思い付かなくて。

   しかしそれにしても、いきなり真琴の正体は子狐だとかこの町の伝説にある妖狐だとか言われてもなぁ(^^;;

   それは結構ヒきましたよ。あまりにも唐突な荒唐無稽設定で。

   もっと丹念な伏線が必要。

   でも彼女の奔放さ、わがままさ、子供っぽさ(っつうか子供そのもの)、まんがに肉まんに夢中になったり、執拗に子供じみたいたずら繰り返すとことか、かわいくて好き。

   で、質の悪いいたずらを仕掛けつつも、ホントは主人公にすごく懐いてる感じも○。

   その事に自分で気が付いて、素直に一緒にいて欲しいと思うようになる感じはすごい好き。

   みんなでプリクラ撮るとこで(TT)、「ごほんよんで」ってとこで(TT)、天野美汐のおかげで「まこと」と言えたとこで(TT)、とまあ泣くポイントたくさん。

   でもあのラストはちょっとなぁ。





 とまあ、わたしの各キャラ、各シナリオの好き嫌いとかはこんな感じ。



 で、全体の話。

 まず、とにかく全体にベタ感が……(^^;;

 よく出来てるけど、マンガなんかにはありそうなお話し。

 新人マンガ賞なんかに出したら、

 「次回はもっとストーリーにオリジナリティを」

 とか言われちゃいそうな。



 でも演出や文章でそれを補っているし、やはり音楽や映像があるとだいぶ違います。



 真琴の時に確か書いたけど、マンガ・映画・小説等の、「シナリオ界」全体で言えば凡庸なシナリオですよ。

 あいていに言えば、中の下くらい。

 新しさ、オリジナリティを求める人には薦められません。



 ベタなストーリーで泣きたい人向け。

 ハーレクインとかみたいなもんか?(^^;;

 まあストーリーは斬新だったりオリジナリティ溢れてはいないけど、絵と音楽と演出でばっちり泣かせてくれます。





 そそ、音楽の質も結構いい。

 これも、結構ベタな音楽なんだけど、キレイに仕上がってるし、本編中での使い方も○。





 しかしどうやら「ハッピーエンド」であることに相当に拘ってるようで。

 哀しいけれどいいお話し、てのもアリだと思うんだけど、なぜ?
















Sat 25 Aug, 2001



舞シナリオ完了。















(TOT)








 いやいや、毎度毎度、各キャラ毎にやられてます。

 ああいう、社会不適合で無反応ゆえのちぐはぐな反応とかたまに見せるかわいさとか、そういうキャラにも弱いです、わたし。

 まああれですが。綾波系なわけですが。

 シナリオのアラは真琴、名雪以上ですが。でも一番ラストのシーケンス。ああいうのも弱くてねぇ……。



 繰り返される季節と日々。

 本当に大好きな人たちとの、本当に他愛もない、本当に幸せな日常。

 失われた時をゆっくりとひとつひとつ取り戻していくような、たどたどしく、拙く、幼い、けれど純粋な、かみ締めるような幸せ。





………。











(TOT)




※思い出し泣き。





 出だしの唐突さ、設定の荒唐無稽さからして、実は一番期待してなかったシナリオだったんですが、やれやれ。





 各キャラをプレイするたびに、「そのキャラ・シナリオが一番好き」と言いだす可能性2000%と推測。
















Fri 24 Aug, 2001




 名雪シナリオ、完了。













(TーT)









 幾つかのレビューを見た限りでは、名雪が一番つまらなそうだったんですが、いやいや、いいですよ、これ。

 わたし、このコが一番好きかも。キャラ的に。

 他のコはちょっと作られすぎてる感じがするし、シナリオもファンタジーすぎる。いや、それもまあいいんだけど。

 しかし初めてでいきなりわんわんスタイルかよ!と思わず三村ツッコミを入れたくなりました。それもまたエロゲの宿命か。



 というより、シナリオ重視の泣きゲーとエロゲの狭間で揺れ動いた結果かも知れない。

 普通の、ここまでシナリオ重視系じゃないやつならば、むしろプレイの目的が、エロが最優先、とはっきりしてるだけに、そこに至る過程は丁寧というか、多くの手順を踏んでるんではないだろうか。

 シナリオ、というかストーリーの方を優先してるために、エロに至る過程を充分に描けていないというか。



 まあ想像ですが。



 ともあれ面白かったです。すごくふつうの、まああだち充とかの系統のラブコメな話ですな。

 普通に面白くて普通に泣けました。もうちょっと時間が欲しいとこです。

 一応プロローグが彼女だし、あの制服も私服もかわいいし。

 でもこの辺の「普通のラブコメシナリオ萌え!」とか「エロが不自然」という感想って、ようするに、ひとえにわたしがエロゲバージン(というよりエロゲチェリー?)だったからという気も900ヘクトパスカルくらいしますが。

 ただ、名雪のCGが一枚足りません(TT)。真琴は全部集まったのに。どうやら辿ってないルートがある模様。

 でもまあめんどくさいし、気持ちがノってるので、そういう虱潰し作戦的コンプ的発想は後回しにして、まずは全員一通り。

 で、栞攻略編に突入しました。

 と思ったが、何故か栞の話に全然なら~んっ!(TT)ん~、一体どういうことだろう?どうすればフラグが立つのか。

 そうこうするうちに、全く何も起きずに終了。誰とも仲良くならずじまいでスタッフロールのない、(普)エンド。というかようするにハズレ。バッドエンド。

 で、もっかいチャレンジ。そしたらいつのまにか舞のシナリオに迷い込んでしまった模様。

 というわけで、栞はとばして舞でGO!!(^^;;












Wed 22 Aug, 2001



 真琴シナリオ、完遂。







(T_T)。







 いや、こりゃ泣けるねぇ。

 すげぇわKanon。面白いっす。

 エロ不要論がよく理解出来る。っつうかいらないじゃん。というより明らかに蛇足。つまりは邪魔。

 いや、シャワーシーンとかみたいなサービスショットは別にいいのよ。アリだと思う。でも、まぐわう必要はなかろ? 明らかに不自然な展開だったと思うが(^^;

 とは言え、エロはこのコンテンツのアイデンティティ。エロゲじゃなかったらこんなには売れなかったでしょう。

 いや、Kanonが「エロだから売れた」「エロいから売れた」という意味じゃなくて。

 エロがなかったとしてもこの作品の良さは変わらない。変わらない、んだけど……。

 非エロの単なる美少女恋愛ビジュアルノベル(って言うの?)なんて、そんな買う気にはならんだろう?っつう。

 まずエロゲユーザが食いつく。で、その中で評判が広がって、ライトなユーザにも広がって、全年齢向け版が出る、と。コアユーザの存在があるから、エロゲってだけでまずは確実にある程度の数字が見込めるわけで。でも最初から非エロで出されたら、その「エロゲなら予め見込めるであろうある程度の数字」もとれない。

 本当にいいモノなら必ず売れる、口コミで広がっていくはず、という人もいるかも知れんけど、それは理想論。いいモノで売れなかったものなんて無数にある。それにコレがそれほどまでにいいモノかどうかは、わたしには判断しかねるしな(^^;;

 そもそも口コミが威力発揮するにも、最初にある程度の普及がないとだめなわけですよ。

 単純計算で、購入した人の80%が満足するほどの完成度だったとして、5000本売れれば4000人の人が満足して知り合いにも宣伝してくれるけど、100本しか売れなかったら80人しか宣伝してくれないわけで。



 まあ実際にはスタッフの実績、知名度があったわけだから、もしKanonが最初から非エロで出てたとしても、単純に無名で「ウリ」のない作品とは違って、当然その筋では注目度・期待度も高く、それなりに売れたかも知れません。



 でも逆に、確かにKanonのシナリオはエロゲと侮ってると不覚を取る出来栄えだが、一般論としてそこまで素晴らしいか?秀でてるか?ユニークか?というと、全くそうでもなくて、小説・マンガ・映画を含めた「物語」「シナリオ」界(?)全体の中では凡庸で。

 だからKanan(を含むその系統の、シナリオ重視の泣きゲー・感動ゲー)がウケたのは、わたしは他のエロゲをほとんど知らないから一概には判断できないんだけど、ひとえにそれまでのエロゲのシナリオがろくなもんじゃなかったからなんではないかと推測。わたしのわずかなエロゲ経験とも一致します。

 つまり近年の、純ファンタジー路線からはずれて、ビジュアル重視のお使いゲーになったFFがウケてるのや、ドラゴン系ライトノベルを読んで原典を知らずにファンタジーを知った気になってあまつさえ書いてしまったりするのと、クラスやステージは違っても相似した構図に思えてなりません。



 いや……なんの話をしてたんだろう?

 つまりKanonは面白いけど、そのエロゲという出自を否定しても無意味だし、あれをバイブルにしちゃうのも如何なものか?だし、かといってエロゲだからと言って拒絶しちゃうのももったいないよ、というような事が多分いいたいのであろう。



 っつうかまあ、こういった議論ももうやりつくしたんでしょうけれどね。











 さて、ここで問題。





















 今回、「エロ」という単語は何回出たでしょう。









 本気で数えないように。






※5000人×80%という単純な計算を間違えたのはわたしです(恥)。ひっそりと修正しました。
















Tue 21 Aug, 2001







 いまさらなにやってんのもう語り尽くされてるよ遅いぜ、とお思いの方も多くいらっしゃるでしょうが。あるいは、おいおいマジかついにそっち方面に走っちゃったのかよさよ~なら~、とひいた方も多くいらっしゃるでしょうが。



 Kanon、やってます。

 だって面白いんだも~ん。



 エロゲは初めてじゃない。結構メジャーなタイトルの学園恋愛モノ2本と、これまたメジャーな鬼畜調教系1本。でもどれも激つまらなくて、30分もやらんでやめた。

 エロゲには手ぇ出すまいと思ってました。



 んでもKanonは違いました。



 なにが違うって、何も違わんのだけど。類型的な少女達、ヲタ臭のする妙な口調・妙なギャグセンスなのになぜか女の子が寄ってくる主人公。

 でも全体のバランスがいいのかな。

 女の子がギリギリで、ひかない線に入ってます(一人称が「ボク」だとか、語尾が「にょ」だとか「ですぅ~」とか、口癖が「あぅ~~」「はぅ~~」「うぐぅ」「うきゅー」なんつう女の子キャラ、ヲタ以外はふつうひくでしょ)。

 で、なにがいいって演出。オープニングと、各章というか、一日のオープニングがまた良い。内容知らなくてもあの絵とテキストと音楽だけでなんかじゎぁ~っとくる。俺だけ?

 しかしなんで夏の盛りに冬のゲームをやってるんだろう。でもプレイ中はわたしの心は冬にとんでます。

 それにしても、誘惑を断ち切って途中で切り上げるのが大変です。

 気がついたら朝までやってた、なんつう人も多いことであろう。というより最初から「今日は朝までやろう、いや不眠不休で土日丸々やろう」とか思って買ってくる人のが多いか?







 今日の格言:Kanonは一日一時間まで。










Mon 20 Aug, 2001



 なんというか……世の中に、なんと麻薬の多いことか。

 わたしは……わたしはもしかして人として、踏込んではいけない世界に足を踏み入れてしまったのかもしれません。

 わたしの試したそれには極めて高い依存性・習慣性があり、また強い多幸感と激しい感情の振幅が見られるのが特徴と言えます。

 その効果は、人によってかなり異なります。全く効果のない人もいますし、バッドトリップして二度と試さない人もいるでしょう。

 流通初期には粗悪なものや刺激が強いだけのものが多かったと言いますが、昨今は高品質のものが安定して供給され、ある種の市民権も得られているとも言えます。しかしそれを常習することは、ある種の社会的な死を意味すると言います。



 しかし。

 社会的死よりなにより、あれは……





 あれは、人間をダメにします。















 Kanonは。







feeeeel!!...and then,think!! 後編。

まぁそんなわけで、"emotional content"=自己/自我/自分自身/己、ということが分かった。
 と、仮定しておく。氏の全作のセリフ、全インタビュー、全著にあたったわけでなし、徹頭徹尾私の妄想で想像だ。
 これを正解と置いても良いじゃないか。

 弟子の少年に対してリーは言う。

 "What was that? an exhibision? we need emotional content."

 キレイであっても、模範的であっても、"己"が込められてない蹴りはexhibisionだと、見世物であると言ってるわけだ。

 直前のシーンで、リーは長老や同門拳士らの見守る中、まさにその「エキジビジョンマッチ」を行っている。
 この対比はちょっと面白い。
 ここはもう少し深堀りしたい部分だけれど、残念ながらまだ納得の行く解釈は見いだせていない。
 たとえば、少年の蹴りを「お手本のつもりか?」と言いたいのかも知れない。
 あるいは、功が成っていればエキジビジョンの試合でも"己"を込められるのだ、という含意かも知れない。
 あるいは、自分のやったエキジビジョン自体を、あれは見世物だ、修行でも戦いでもないと言いたいのかも知れない。
 何か良い解釈があれば、ご教示願いたい。



 さて、このセリフ、"we need emotional content."だが、今までに見た訳や解釈・解説では、割と暗黙というか自明のこととして
「"we"="you & I"=リーと弟子」と見做されているけれど、どうだろう。
 "emotional content"が必要なのは弟子の方だけだ。
 リーには"emotional content"をもって蹴りを放つことが既にして身に備わっている。
 それでも、この指導の「場」においては、リーと弟子の二人が共に「弟子の」"emotional content"を必要としている、とは言えるかも知れない。この「場」、この「指導」「修行」が「成る」には、「弟子の」"emotional content"が必要だ。そう考えると「"we"=リーと弟子」でも筋は通る。
 しかしよめはこれを「武道家、武芸者、武の求道者、武の道を志す者すべて」と捉えた。
 これはいい解釈だ。よく筋が通っていて、腑に落ちる。
 リーは、全ての先達、後進の武術家を背中に負って、言うのだ。
「武道者に必要なのは"己自身"だ」と。
 リーが我々という時、その場にはリーと少年しかいなくても、もっと大きなものをして「我々」と言っていると考える方がふさわしく思える。
 
 けれど、私はあえてさらにもう少し違う解釈をしたい。
 "we"とは、先達、後進の武道者を含み、さらに大きな、武門、武林、過去から現在までの武術界の全て、武の道そのものではないかと思うのだ。
 新たに一人の少年が武の道を志すことは、武門、武林に資することである。
 少年の武が功成れば、それは武門、武林にとって大いなる益だ。武門、武林の栄えの礎になる。
 武門は、武林は、新たな入門者、新たな修行者、求道者を歓迎している。
 そして、新たな者に求めるのは、正しい修行、正しい修練だ。
 正しい修行、修練に必要なものこそは、まさに"emotional content"だ。
 武門は、武林は、修行・修練において"emotional content"を必要としている。
 
 これもまた、前段のエキジビジョンマッチからつながっているように思う。
 武門の者が集まる中で、リーは見事な模範試合をやってみせ、対戦者と同門者、同門の長老らに敬意を払ってみせた。
 孤高の武術家ではなく、武門の一人、武門の中にあって、武、功成らんとする者であることを明確に示しているシーンだ。
 リーが弟子を指導する時、リーが誰かと戦う時、その背中には武門を負っているのではないだろうか。
 だから、私はこう訳してみようと思う。
 
「武の道は、お前の"己自身"を必要としている」



 次のセンテンスはあまり考える余地はないだろう。
 "I said emotional content,not anger."
「私は"己自身"と言ったのだ。"怒り"ではない。」


 "Now try again,with me."
 ここも少し面白い。
 あえて"whith me"と付け加えている。先ほど(あくまで私の想像だが)「武の道、武術界」をして"we"と言ったリーが、ここで"you & I"に戻ってきている。
「さあもう一度だ、私と一緒に」
 ここにリーの指導者、師匠としての顔が垣間見える。
 依然として武術界、全ての武道家をリーは背に負っている。少年の前に対峙しているのは、広大な武術界、武術の歴史、偉大な先達たちだ。だが、恐れることはない、「私が」一緒にやってやる。「私と」共に来い。「私が」この広大な世界の正しい道案内をしてやる、導いてやる。そう言っているように聞こえる。
 
 "now"と言っているのは、今でなければならないからだ。己を込めろと言われ、怒りを乗せてしまった少年は、「惜しかった」のだ。リーの教えに正しく導かれている。その蹴りはまだ「正しくない」が、正しい教えの流れに乗っている。だから、すぐにもう一度やらなければならない。
 これを宿題にしてはいけない。
 なぜならば「考えて」しまうからだ。まだ正解を体験しないままに考えを巡らせてしまう。

 そう、ここで本稿の結論を言ってしまうけれど、リーは「考えること」を否定しているのではなくて、「まず」「感じろ」と言っているのだ(と、私は思う)。
「正しい」「感じ」を得た時に、まずはその「感じ」を反芻すること。「感じ」をよく覚えること。「考える」のは、その後でなければならないと。
 正しい「感じ」を知らないままに正しいものを想像し考えることは、無駄であり、遠回りであり、妨げなのだ。
 それはまさにこの後でリーが言う「月を見ずに、月をさす指を見、指について考える」に等しい。
 そして「正しい『感じ』」を得るには、「感じる我」即ち"emotional content"、「己自身」が必要なのだ。

 話が前後した。元に戻そう。
 
 ただ、この辺りはもう無駄な説明はいらないだろう。
 "That's it! How did it feel to you?"
「それだ! お前はどう感じた?」
 これ、マイケル・ジャクソンの「This is it」と同じですね。
 慣用表現としての「まさにそれ!」。

 (Let me think...)
 直訳すると「考えさせて」だが慣用表現で「えっと……」ぐらいの意味ですね。
 中学英語レベルの話なんでごちゃごちゃ解説いらんですね。
 
 そして、
 "Don't think!feeeel!"
「考えるな、感じるんだ!」
 です。なんなら、もういいよね。上でがっつり言いたいこと言ったから。
 「考える」というのは「言語に置き換える」と言い換えてもいいと思う。
 だからちょっと意地悪な問いだよね。「どう感じた?」って聞かれたら、その「感じ」をどうしても言語化しようとするしかない。その「感じ」を、知っている範囲の語彙に落とし込まないといけない。そこに「考える」働きが生じてる。
 けれど、だからこそそのタイミングでリーは問うたのだと思う。
 あえて「考える」ように仕向けて、「それではいけない」としっかり刻み込むために。
 次に問われた時、少年は考え込まずに、出てくるままの言葉で答えることだろう。
 
 "It is like a finger pointing away to the moon."
「それは月に向かってさす指のようなものだ」

 ご存知、禅の「指月」の教え。
 人は、月を指さしてみせると、その指をつい見てしまう(現実的には自然と指さす方を見ると思うけどね)。
 指にとらわれてしまうと、その先の心理・真実を見失う。
 禅において、「指」は経典、「月」は仏陀の教えをさしている。
 指はあくまでガイド、行きたいのはそのガイドが示す方向の遥か先。
 
 "Do not consentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory."
「指に集中してはいけない、でなければ天上の栄光を失う。」

 ここでちょっと引っかかるのは"heavenly glory”(天上の栄光)。
 いきなり「天上」「天国」なんて出てくるのはどうにも違和感が拭えない。
 それに武の道に入り求めるのは果たして「栄光」なんだろうか、という疑念もある。
 "heavenly"を「素晴らしい」「美しい」「喜びに満ちた」みたいに訳してもいいけれど、やっぱり武術の行き着く先にはそぐわないように思える。
 栄誉栄達を求めて修行する武道家もいるだろうけれど、戦乱の時代でもあるまいし、現代(40年前だけど)で武術を極めても、武林を一歩出れば現実的な栄誉栄華からは縁遠いように思う。
 

 ところで、中国武術は、仙道と関係が深い。
 先が見える話だろうとは思うが、ちょっと付き合って欲しい。
 
 そもそも仙道の修行において武術は必修であるし、仙人から伝えられた/仙人が開祖だと言われる武術流派は数多い(太極拳にもその伝説がある)。
 武術の修行では呼吸法が重要だが、その呼吸法は仙道で教えるものと同じだ。
 小周天、大周天と呼ばれるものがそれで、ごく簡単に言って、腹式呼吸で取り入れた気を臍下丹田に集めてから、尾てい骨、脊柱、頭頂から身体前面を下って臍下丹田まで戻す。またその逆を回す。また、脚から大地の気を、頭頂から天の気を取り込み、同じように回す。
 気の実在の是非はおいて、少なくとも「そのように」強くイメージし呼吸を行う。これは実際に多くの中国武術流派で行われている修練だ。
 
 さて、仙道が目指すのは、不老不死であり、道(タオ)の体現・同一化である。仙道を極め仙人となった者は、仙人や神々の住む天界に昇ることが出来る。
 仙道の行き着く先は、天上界なのだ。
 仙道で仙人になることは、天に昇り神々に列せられることであり、まさしく「天上の栄光」そのものだ。
 武術と仙道が分かちがたいものであるのならば、武術の世界において功成り、極まった境地を仙道になぞらえて「天上の栄光」と表現するのが慣習的にあってもおかしくはない(ように思う)。
 ここでリーが言う"heavenly glory"とは、武術を極めた達人の境地を慣習的に表す「天上の栄光」を、強いて英語で表現したものではないのか。実際問題として、武術を極めても「天上の栄光」(天上界に昇り神々に列せられる)は得られないだろう。しかし武道者にとって「天上の栄光」に比肩しうる「境地」が得られるのではないだろうか。
 

 
 
 
 ちょっと、いやだいぶ疲れた。
 中盤以降、だいぶ推論やら牽強付会がひどいかも知れないけど、あまり整理する意欲が沸かない。
 
 とりあえずまとめよう。
 あのシーンの私的意訳はこのようなものになる。
「蹴ってみろ。蹴るんだ」
「なんだそれは。模範演技のつもりか? 武の道が必要としてるのは『自己』だ。もう一度やってみろ。」
「私は『自己』と言ったのだ。『怒り』ではない。さあ、もう一度やるんだ。私と共に。」
「そう、それだ! お前はどう感じた?」
(えっと……)
「考えるな! 感じるんだ!」
「それは月に向かってさす指のようなものだ。」
「指にとらわれるな、でなければ武の真奥を得損なう」
 以下略。


 異論は認めるが、中国武術にもブルース・リーにも仙道にも東洋哲学にも詳しいわけではないので、あまり重箱の隅は突かないで頂けると助かる。
 明らかな誤謬は指摘頂けたら訂正するに吝かではないけれど、あえて言うが、武術・武道も、伝説の人ブルース・リーも、仙道も東洋哲学も、持論を強く持ってる人や、盲信者の多い世界だと思ってる。
 あなたの界隈で常識とされていることを真実として私の蒙を啓くべく意気揚々と乗り込んでこずに、ものを知らない馬鹿がいるなーと流して頂きたい。

feeeel! ...and then,think!

 以前からどこか引っかかってはいたのだが、ここ2,3ヶ月特に、

"don't think,feeeel!"

のことをよく考えている。
 言わずもがな、ブルース・リーの最も有名な言葉であり、映画「燃えよ!ドラゴン」の劇中のセリフである。

「考えるな、感じるんだ!」

 いい言葉だ。
 実に分かりやすくキャッチーで、魅力的なフレーズである。

「理屈じゃない、感覚を信じろ!」
「頭でごちゃごちゃ考えるんじゃない、身体が感じたことが大事だ」
「机上で分かった気になるな、実際に体験してみろ!」
「言葉でいくら言ったってきっと分かんないよ、自分でやってみないと」

 色んな意訳が出来る、使い勝手のいい、応用範囲の広い魔法の言葉だ。

 完全に、成句として独り歩きしている。

 私は、それが、引っかかる。
 この2分ほどのシーンで、ブルース・リーが言いたかったことは、それなのだろうか。そこが精髄なのだろうか。エッセンスなのだろうか。
 私はそうは思わない。
 しっかり文脈を見て、もっと正しく解釈する必要がある。
 よく知られているが、リーは大学で哲学を専攻し、自らが創始した截拳道(ジークンドー)には思想、特に東洋思想を大きく取り入れている。
 その思想背景を含めてしっかり解体する必要があるのではないか。

 で、まぁうろ覚えだった一連のセリフをevernoteにメモって何度も読み返したりしてた。本当に、何度も読んでいるだけだったんだけれど。
 分からないことはいっぱいあったんだが、その中で一つ、

"we need emotional content."

 というのがあって、辞書的な意味としては

「我々には感情的な中身が必要だ」

 ということになるんだが、これが色んなバージョンの字幕や吹き替えによって様々だ。ざっと挙げると、
・気合を入れろ
・感情を込めろ
・五感を研ぎ澄ませ
 などがある。

 これを、よめに聞いてみた(よめは私の何十倍も英語が堪能で、英語で分からないことがあると辞書で引くより先によめに聞いている)。
「あのさ、emotional contentってどういう意味?」
「えっ。うーん、そのまま訳すなら『感情的な、中身』って感じだけど。どういう文章?」
「"we need emotional content."」
「『我々には感情的な中身が必要だ』か。うーん前後の文章は? それ、なんの文章?」
「えーっとね……」
 ブルース・リーのあのセリフの前後のセリフだということと、最近ほとんど覚えてしまった前後の文章を伝えた。
 私と少しの質疑をして、自問自答しながらよめが出した答えが、

「自分(自我/自己/自身/己)」

だった。

「emotionalな中身」とは、つまり感情、情動、情緒、感動、それらを発露するその向こう側のもの。
 感情、情動、情緒、感動を発露する主体。
 即ち、自己・自我。自分。私。我。
「我思う故に我在り」の例に倣うなら、「感情を発する我」。「物を感じる我」。

 これが実に、腑に落ちた。
 リーは、インタビューで自分にとっての武術を「自己表現の芸術である」と答えたことがある。
 典拠を示せないうろ覚えなのでなんとも言えないのだが、「芸術」はもしかしたら「マーシャルアーツ」の「art」であったのかも知れない。つまり「武術(ウーシュウ)」の「術」だ。
 いずれにしても、武術は「『自己』の表現である」のだと本人が明言している。

 このよめの見解が実に弾みをつけてくれて、色々と考えることが出来たのだが、どんどん長くなりそうなので、続きはまたいずれ。

おまけ。

 件のシーンをyoutubeで。
 それと、セリフを原語、直訳、字幕・吹替訳(代表的なものをつぎはぎ)、それぞれ以下に記しておく。



●原語
Kick me.
Kick me.
What was that? An exhibition? We need emotional content.Try again.
I said emotional content,not anger! Now try again, with me.
That's it! How did it feel to you?
(Let me think...)
Don't think! Feeeel!!!!
It is like a finger pointing away to the moon.
Do not concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory.
Do you understand?
Never take your eyes off your opponent... even when you bow.

●直訳
私を蹴れ。私を蹴れ。
なんだそれは。見世物か?我々には、感情的な中身が必要だ。もう一度やってみろ。
私は「感情的な中身」と言ったのだ。「怒り」ではない。
今、もう一度やってみろ。私と共に。
それだ! お前はどう感じた?
(えっと……)
考えるな、感じるんだ!
それは月に向かって指す指のようなものだ。
指に集中するな、でなければ天上の栄光を失う。
分かったか?
決して相手から目を離すな……たとえお辞儀をする時でもだ。
やんだでもか?やんだでもだ。

●字幕・吹替ミックス
蹴ってみろ。
なんだそれは。蹴る真似か? 気合を入れろ(感情を込めろ/五感を研ぎ澄ませ)。もう一度だ。来い。
「気合を入れろ(感情を込めろ/五感を研ぎ澄ませ)」と言ったのだ。怒れとは言っていない。
さあ、もう一度だ。
そうだ! どう感じた?
(えっと……)
考えるな! 感じるんだ。
月を指さして月を眺めるようなものだ(月を指さすのと似たようなものだ)。
指先に精神を集中するな。さもなくば栄光を得られん。
分かったか?
相手から目をそらすな!たとえお辞儀をする時でもだ。
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