2018年02月06日

2月4日 フットルース戦

昨日のフットルース戦は、気温5℃で晴れてはいたが風が体感温度を引き下げる、立春ではあったが真冬の一戦。
「老獪なサッカー」を掲げた中本監督が、ピッチを升目に12分割し、3−3−3−1の布陣。
出席は、北野、橋谷、藤川、大下、出口、中本、竹内、河合、植山、鶴谷、佐藤信、岡田、坂本、上川。
前半は、中本監督が自らGKに入り、後方からの新布陣の機能を確認しながら、手探りで試合にのぞむ。
中盤のキープはSOSが優勢、数度のカウンターから、ピンチをしのぐと、SOSの分厚い攻撃が相手ゴールに迫り、鶴谷先制、橋谷のゴッツアンゴールで追加、鶴谷2点目と前半で3対0。
後半、風下に回るも優勢な攻防は続くが、カウンターから1点を返され、結果は3−1の勝利。

試合後は寒くて、ミーティングは省いたが、それでもみんなの口は滑らか。やはり勝利というのは大きな力がある。
こういうときこそ、シーンの振り返りで、ワンツーパスのタイミングの息、カウンターを仕掛けられたときのDFの間合い、イメージの反省が求められる。

今、怪我での戦線離脱が多い中、留守を預かる選手に賛辞と、離脱者の十分な回復復帰を祈念。

                  出口


2017年02月21日

2/19 KSC戦

2/19、KSC戦は、29年度新リーグ戦で行う。
心配した寒さをまったく感じさせない晴天で、気持ちのよい日和の深北緑地だったが・・・。
出席は、北野、高野(肋骨骨折のため見学)、梶山、橋谷、出口、竹内、佐藤博、河合、植山、松山、佐藤宏の11人に、高見澤、坪井、天野、島村、篠原の助っ人で試合。
前半は助っ人を含めた布陣が機能するまもなくスルスルと5点を奪われる。
後半はなじめてきた布陣が活気付くもスコアレスで、結果0対5の敗戦。
松山の絶好のゴールチャンスは残念。
試合の中で、佐藤宏、梶山が負傷退場。
多目の助っ人手配も、試合をしてみればさほどの余裕もない人数だったか。

               出口

2017年02月06日

2/5 男組との交流戦

Jグリーンであった男組みとの交流戦は、北野、津下、高野、橋谷、出口、北村、中本、竹内、佐藤博、宮田、佐藤信、佐藤宏の12人の参加。
朝は降りしきる雨で、開催も危ぶまれましたが、試合開始時には雨は上り、ピッチも少し湿る程度で、寒い風が少し吹く程度のコンディションは良。

でも残念ながら、大敗しました。
想像していていなかった、相手に足の速い40歳代がいて、翻弄されました。
しかし、SOSも中盤のパスが良い形になる場面もあり、決定機の精度を上げれば、また失点にいたる状況を改善できればと、今後の良い課題をもらった試合でした。

一年以上ボールを触っていないという北村は、そんなブランクを感じさせない動きで、これからの試合合流を期待させます。

試合後の懇親会は、クラブハウスで行われ、北野、津下、高野、橋谷、出口、北村が参加。
いろんな情報を交換した、楽しい会でした。

最高齢75歳選手の活躍は、北野さんにとって「もう5年、目標年齢が上った」と言わしめるほどで、最年長から我々若輩は、逆に元気をもらいました。
そのことだけでも価値のある交流戦でした。

               出口

2017年02月01日

1月29日 尚和戦

北野、津下、高野、石原、梶山、中本、佐藤博、宮田、河合、佐藤信、松山、佐藤宏の12人。

結果は1−5でしたが、失点はいずれも全体の攻め上がりから裏を取られてのもので、全体としては互角の攻防。

得点は、後半に佐藤博の右からの折り返しを、高野が相手DFをタイミングよくかわしてのGK1対1でゴール。
リーグ最終戦で今期初ゴールを決める。
プレーイングマネージャーとして、有終に華を添える。
次戦の新リーグからは選手専念での期待。

私は参加しておらず、かいつまんだ報告を聞いての試合模様ですが、喜びの光景が目に浮かびます。

                 出口敏昭

2016年12月03日

2016全国シニアサッカー大会in仙台-その2


このブログを、60歳の絶倫。梶山曜司に捧ぐ


平成28年11月27日。日曜日。
早朝ホテルで見た天気予報では、全国的に傘マーク。
しかし、全国シニアサッカー大会が行われる宮城県だけが、仙台だけが雲マーク。
今日、日本で雨が降れへんのは、ここだけか。
この時点で、奇跡が起こる下地があったのかもしれない。


大会最終日は、2002年日韓ワールドカップの会場の1つにもなった、メインスタジアムでの2試合。
5万人収容の観客席に、真緑の天然芝のすばらしいピッチ。
奇跡が起こる時には、全ての舞台が整うものなのか。


運命の第一試合。キックオフは、午前10時。
対戦相手は、因縁の兵庫マスターズ。
お互いの実力差は変わらないのに、なぜか全国大会では分が悪い。知らぬ間に2点を取られ、前半終了。
後半のSOSもなかなか想う様なサッカーが出来ない。


だが、奇跡の瞬間は突然訪れた。
後半10分。
相手ペナルティエリア後方、右斜め45度の地点から、SOSクラブ不動のサイドバック梶山曜司が放った渾身の一撃は、
相手ゴールマウスのバーを叩き、ネットを揺らした。


大阪市立都島工業高校時代には帰宅部だった男が、
社会人になってサッカーと出会い、徐々にその魅力に引き込まれいき、今では生活の一部となっている。
出会いから今日までの、苦節40年の長い道のり。
一度として、得点の機会に恵まれることは無かった。
そんな男が、杜の都仙台で奇跡を起こした。


FIFAの、いや言い過ぎた。
日本サッカー協会の、これも違う。
地元、緑橋の玄人衆が選ぶ、
『2016シュート・オブ・ザ・イヤー』に選出されるであろう
SOSの歴史に残る強烈なロングシュートを決めた瞬間、
60歳の絶倫。梶山曜司の脳裏に浮かんだものは。

絶倫に産んでくれたことに感謝している、ご両親の顔か。

長年、音信不通となっている、長男の顔か。

完全に冷え切ってしまって、別居状態の、嫁の顔か。

その嫁と娘だけが住むマンションの、ローンの残額か。

数十年不倫関係が続く、一回り以上年下の彼女の、巨乳か。


そんなこと、堅気の我々には、知る由もない。


試合は1−3での敗戦にもかかわらず、
優勝したような雰囲気がチーム全体を包んでいたのは、
梶やんの人徳やと思います。


神奈川シニアとの今大会の最終戦。
前の試合での梶山のロングシュートが頭の中の大部分を占めてしまって、この試合の記憶がほとんどありません。ただ、助っ人ゴールキーパー佃のPK阻止を含む数回のファインセーブだけは覚えています。
試合終了のホイッスルを聞いた時には、0−2のスコア。


2日間で4試合を行う、50過ぎのおっさんにとっては、
ハードな闘いではあるが、なんとも言えない、
充実感と爽快感が残る、全国シニアサッカー大会。
やっぱりええわ。サッカーは。


最後に主将からメッセージを。

山下。
お前には、これから10年、20年と続く、
長いサッカー人生があることを忘れるな。
あせらず、完璧に治してから戻ってこいよ。

梶やん。
いつまでも、調子に乗ってたら、あかんで。
大阪での次の試合で、ヘタこいとったら、しばくぞ。

セレソンの佐藤ちゃん、賢吾、永井ちゃん、島ちゃん。
お前らの素敵な素敵なユニフォームの『色』が、
『ももいろ』じゃなく、『すけべぇ色』に見えるのは、俺だけか。




杜の都 仙台での、全ての日程が終了した瞬間。
アリーナから聞こえた、ゆずの 『 栄光の架け橋 』 は、
幻聴だったはずがない。


         SOSクラブ主将  河合隆哉



2016年12月01日

2016全国シニアサッカー大会in仙台−その1




年末のくそ忙しい時に、先生も走るという師走に、ブログを書
いてる暇なんかないのに、どうしても書き残す必要のある、
後世に伝えなければならない、SOSクラブの歴史の1ページに刻まなければならない出来事が、杜の都仙台で起こってしまったので、睡眠時間を削ってパソコンの前に座っています。


前回は2012年。前々回は2008年。そして今回の2016年。
4年に一度のオリンピックイヤーには仙台で、
全国シニアサッカー大会が開催される。
たぶん次回は、2020年東京五輪の年。


それにしても、どないかならんか。
東北の震災復興が終わっていないにもかかわらず、
福島の原発処理の目処が、いまだに立たない状況なのに、
熊本もしかりのなか、2兆円の血税が東京に垂れ流される。
『責任者出てこい』と叫びたなるのは、俺だけか。
韓国のように、日本人も『怒り』をもっと表に出さなあかん。


話を本題に戻そう。
今年のSOSクラブ参加メンバーは、北野、石原、高野、梶山
出口、橋谷、植山、河合の大会参加常連の顔ぶれに加え、全国大会だけは福岡からでも参加するナイスガイ北口、初参加の大下、41歳になってようやく参加資格ができたエース
山下に助っ人参加の津田、丸谷、佃、長谷川、深澤を含む、総勢16名。


会場となったのは、146haの広大な敷地にメインスタジアム、屋内プール、テニスコート、フットサルコート等の運動施設に加え、7千人規模のコンサート会場にもなるスーパーアリーナまである、宮城県総合運動公園。
この夜には、アリーナで矢沢永吉のライブが行われた。


大会初日は、サブグランドでの2試合。
サブといっても、天然芝の立派なピッチ。
アップの際には、目前のアリーナから永ちゃんのライブの
リハーサル音が漏れ聞こえてくる。


第一試合の対戦相手は、同じ大阪の帝陵シニア。
試合開始早々、SOSに悪夢が訪れる。
エース山下が古傷の右膝を開始5分でやってしまった。
この大会参加を、チームで一番楽しみにしていた、チームが一番期待していた山下の悔しさ、情けなさを思うと、
言葉がありません。
試合のほうは、1点を先制されるも、助っ人丸谷の同点ゴールで追いつき、そのまま1−1の引き分け。
山下が退場した瞬間、アリーナから聞こえた
『時間よ止まれ』は幻聴だったのか。


第二試合は、東京シニアとの対戦。
エース山下を欠くSOSではあるが、チーム全員の闘志あふれるプレーで、東京の猛攻を最少失点で抑え続けた試合終了間際、助っ人津田が抜け出し、相手ゴールキーパーと一対一の絶好の同点のチャンス。
惜しくもファインセーブに阻まれ、0−1で試合終了。
津田がヒーローになり損ねた瞬間。
SOSが勝利の女神に見放された瞬間。
アリーナから聞こえた『バイバイ・サンキューガール』もまた、
幻聴やったんやろか。



    奇跡が起きた大会最終日の模様は次回につづく

2016年10月25日

10/23 スマイル戦

北野、梶山、橋谷、出口、中本、竹内、宮田、植山、佐藤信、佐藤宏、山下に、助っ人坂本さん、岡田さんの13人。
出席予定だった大下は、朝に突然の体調不良でキャンセル連絡。
持病、怪我を持つ選手もいて、人数はあまり余裕はない。
試合はピンチ、チャンスの繰り返し攻防。
前半のうちに一点を取られる。
後半は山下が久々にシニアのフィールドで出場、植山がこれも久々にGK。
早々に二点目を取られるが、SOSは徐々に攻め展開が多くなり、圧巻は、相手GKがボールをキャッチしようとする直前で、山下がすばやくボールをカット、GKをかわしての得点。
その後に梶山のクロスからの展開で、岡田のループシュートで同点に追いつく。
しかし終了まで5分をきったところで、相手CKから勝ち越し点を取られ、そのあと中本のミドルシュートはゴールバーに嫌われ、そのまま終了。
中本代行は、試合布陣をプリントアウトし、勝利プランを練ってきたが、惜しくも結果の実は結べなかった。
梶山のオーバーラップは幾度となく繰り返されたが、ボール展開が偏って、生かせなかったことの反省は大。
しかし善戦したことは事実で、もう少しもう半歩のトラップやパスの精度が上れば、次の試合は期待できる。

追記。
10/13の大阪FC戦は、0−4の完敗。
個々の技量、ボールの展開力に差があるの試合だった。
この試合、SOSの佐藤(博信、信吾、宏延)がそろい踏み、トリプル佐藤となる。
「佐藤を三枚を並べて、相手を撹乱する作戦は?」
「相手はもともと名前を知らないから、混乱するのはSOSの方やろ」
自滅する作戦は退けられた。

2016年07月19日

7/17 パリワール戦

2対1の勝利でした。

北野、高野、梶山、橋谷、大下、出口、西田、中本、竹内、宮田、河合、植山、佐藤信吾、野村、松山、佐藤宏、山下の出席。

得点は前半、梶山のクリアーバウンドに相手ディフェンスと競り合った佐藤宏が、上手いタイミングでキーパーも交わし、ゴールにボールを滑り込ませました。

後半に1点を帰され、その後にPKを取られたのですが、山下は右手一本のセーブではじき、CKに逃れ、逆転は許しませんでした。

終了間際、オフサイドぎりぎりで飛び出したSOS3人。
GKと3対1の曲面で、佐藤宏が冷静にゴールし本日2得点目。

試合全体はほぼ押されっぱなしの展開を、牛若丸山下が好セーブ連発。
SOS勝利の瞬間に、メンバーとその歓喜を味わえたことに、感激と感謝でいっぱいです。

ピッチの中では熱い攻防が繰り広げられていたが、傍らのベンチでも一喜一憂、葛藤が同時進行していた。
1点リードで、残り2分になって、

本来ならそういう試合状況の場合はマイボールキープ。
出来るだけ相手陣内深くに入り込み、相手の焦りを誘いながら、ボールをアウトさせることもなく、自チームでキープし時間を稼ぐ。

いかんせんSOSは、良くも悪くもそういうことには不慣れ。
SOSでは野村がその技に長けているように思うが、一番いけないのは、安易な攻め上がりを仕掛けて、ボールカットをされ、逆襲を許すこと。

高野監督はテクニカルエリアに出ての、指示の言葉に悩んでした。

試合中の指示は、簡潔明瞭で、チームに共通の意識をすぐさま浸透させること。
しかし、経験値の薄いボールキープは、簡潔で的確な言葉の選択に悩む。
ただでさえ、高野監督は、普段のエリア指示では野球のポジションチェンジの場内アナウンスのように、敵味方関係なく聞こえる声での指示言葉。

そうこうしているうちに、待機の梶山、橋谷両選手が、先日のユーロ決勝のロナウドのように、テクニカルの監督を差し置いて、チームに檄を飛ばす。
注釈(ルール上、テクニカルエリアへは一人しか入ってはいけない。
もし、ホリッジのように通訳を要する場合でも、通訳がエリアから指示をピッチ選手に伝えるときは、
ホリッジはエリアからは下がらねばならない。)

ベンチ自身が興奮と迷いの中で、「気持ち切らすなー!」の声となった。   出口


2016年04月03日

2016年 新規リーグ初戦・シーガルズ戦

試合メンバー:北野、津下、高野、梶山、橋谷、出口、大下、中本、竹内、佐藤博、宮田、河合、佐藤宏、山下GKと中島さんの15人でした。

M45、三連覇中のシーガルズに対し、凌ぎに凌ぎぬいた一戦。
前半の山下の手も届かないループオーバーシュートの失点を、後半20分に中本が執念、千金のシュートで
追いつき、その後のシーガルズ猛攻をしりぞけた、価値ある勝点1の試合でした。

メンバーみんなはがんばりました。

よく声が出て、ポジション指示を後ろからし、ボールの出所のプレス、マークチェックの徹底が、相手ボールを自由にさせない。
インターセプトからの速攻の繰り返しが、中本の追撃弾を生みました。
中本はヒーローで、勝点はチーム全員への勲章です。

試合後のコメントも終わったところで、「あれ、今日は引き分けたのですか?」との佐藤博の言葉は、ビックリポンでしたが、これもご愛嬌。

この試合に先立ち、ヤングが2対1でガナンシアに勝利しました。
リーグ加盟の初戦での勝利です。

次回4/17もヤングとのダブルゲーム。この調子でいきましょう。

出口

2015年12月16日

2015年 全国シニア大会in千葉



 『最近読んだ、ある小説の一部をプロローグにかえて』


サッカーはコミュニケーションの戦いだ。
味方を気持ち良くさせてやり、敵をゾッとさせる。
そういうゲームだ。
だから、ボールが止まった時はもちろん、動いている最中も
絶えずコミュニケーションをとっている。
自分とチームが出来ること、出来ないこと。
相手チームが出来るであろうこと、出来ないであろうこと。
そういうのを前提に、幾通りもある選択肢の中から最善の策を瞬間的に選ぶんだ。

これは、サッカーというスポーツだけに限ったことじゃない。
普段、誰でもやってることだ。

自分を知る。相手を知る。言葉や態度で気持ちを伝える。
その気持ちが、ボールになっただけだ。
時には大胆に自己主張したり、
時には献身的にプレーしたりさ。

たとえ味方がミスしたって、何度でも赦してやる。
何度でも信じてやる。
チームは家族も同然、離れられない存在だからな。
誰だってやってることだろ。

何度でも赦してやる。
何度でも信じてやる。
誰だってやっていることだろ。


 
今、なんでか知らんが、忙しすぎる。本編はいつになるやら。



2015年05月12日

試合前のアスリート

4月の試合で、試合前アップで河合さんが黙々と走っていました。
用件があって呼んだのですが、聞こえなく走り続けていました。

繰り返し大声をかけたのですが変わらすマイペース。
ベンチに戻ってきた河合さんはにわかにイヤホンをはずしました。アスリートが本番前、集中力を高める為によくやっている光景です。
では、何の音楽(音楽とは限りませんが)を聞いていたか。その場ではあえて聞かず、想像の楽しみとさせてもらいました。

何だろうと考えるうち、河合さんと音楽の関係では、昔、千葉遠征前のチームに対する檄文で、「王将」の一節を引用していたことを思い出しました。
いやいや試合前の気合を入れるのに、「ロッキーのテーマ」かもしれません。
その答えを、今度の試合で聞こうか、それとももう少し想像を楽しもうか迷っています。

出口

2014年11月24日

第18回全国シニアサッカー大会 in 大阪 

  『サッカー』とは


平成26年11月15・16日。
天候にも恵まれた、今年の全国シニアサッカー大会。
SOSクラブ 参加メンバーは。

66歳とは思えない運動量とスピード、大先輩の津下さん。
毎年この大会にだけは参加する、おなじく66歳の西村さん。
不屈のファイター、石原。
永遠のエースストライカー、高野。
緑橋からどこへでも自転車でやって来る58歳の絶倫、梶山。
今年初参加の白井。
頼れる?チーム監督、橋谷。
頭の中は常にSOSのことだけ。チームの代表取締役、出口。
前線のスピードスター、中本。
中盤のダイナモ、竹内。
堅い守備は職業柄か、宮田。
いわずと知れた大阪サッカー協議会、会長の植山。
この大会ではSOSの一員となる、元気印、中嶋。
サッカーも女の扱いもうまい、鶴谷。
SOSの次世代を担う、北口・野村・松山の46歳トリオ。
天才か、たんなるアホか、最年少の樋口。
そして、主将を務める、河合。
総勢19名のサムライ達。


大会戦績
  東京シニア    4−0 ●
  神奈川シニア   2−1 ●
  兵庫シニア    1−0 ●
  和歌山シニア   2−0 ●  

結果だけを文字にすれば、4戦全敗。
しかし、全試合、魂のこもったナイスゲーム。
全員の熱い想いは、最後まで冷めることは無かった。
試合に勝つことだけが、勝利ではない。
最高の仲間たちと、ピッチに立ち続けることが『誇り』です。
SOSメンバー全員に感謝します。
今年も、最高に楽しかった。


サッカーとは、見るものでも、語るものでもない。
サッカーとは、サッカーするもの。
だから、直立2足歩行を始めたんや。
遥か太古の昔、
我々の祖先は、『サッカー』をやろうと思ったんや。


              SOSクラブ主将 河合 隆哉






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