環濠都市・堺に生きる

江戸時代の町割り。細々と今に伝わる町家の風情。今のところ何とか残った阪堺線・・・。 この町から、なぜか草原の風のように、時にさわやかに、時に苛烈に、日々思うところを綴ります。

「新しい公共ガバナンス推進会議」と「みんなの審査会」

今日、堺市のHPの新着情報を見ていて、「あれっ、書いてる。」と思いました。それは、「2016年8月17日 みんなの審査会を終了します」という見出しが目に入ったからです。

先日(8/11)、「新しい公共ガバナンス推進会議」という、なんか訳の分からなそうな会議を傍聴しました。午前の部の「都市公園の利活用のあり方」というテーマが気になったからです。しかし、名前も訳が分からないけれど、内容はもっとひどかったと言うしかありません。

まず、開会直後に部屋に入ったので、受付で資料を受け取って急いで傍聴席に行くと、先に来ていた人が、「委員の座席表があるからもらってきたらいい。」と教えてくれました。受付に戻ると見当たらないので、受付の人に聞くと、机の下から出してきて渡してくれました。「どうして、机の上に置いておかないのか?」と聞くと、「任意だから。」と答えました。

私は、「任意といっても、見えなければ選択できないではないか。」と抗議しましたが、会議が始まっていることでもあり、それ以上は言わないで、傍聴席に戻りました。しかし、これって、全く以前の状況と変わっていません。というか却って退化しています。市長のいう市民目線も迫力がなくなってきているように感じる今日この頃ですが、行革推進課の会議がこれでは、どうしようもありません。

なお、会議の内容ですが、それを象徴するかのような発言がある委員からでました。曰く「市民は、USJへ行くのと、大仙公園に行くのを同じように感じている。」というもので、私はそんなふうに感じたことは一度もないので、本当に驚きました。あとで複数の知人に聞いて見ましたが、みんなあきれていました。そのうちの一人は「USJは商業施設、公園と違う。」と言っていましたが、その通りだと思います。会議の内容については、また稿を改めたいと思いますが、この会議は、公園を商業施設と同じだと考える人たちが動かしているのだろうなと感じました。

会議が終わった後、担当課に「この会議はみんなの審査会の代わりなのか?」と質問しました。すると、「ちがう。みんなの審査会は終わった。」という答えだったので、また驚きました。その時点で市民に何の説明もしていませんでした。あれだけ鳴り物入りで始まって何年も続いたものが、市民の知らないうちに、総括もせず終わっていたなんて、あり得ません。もちろん、最近は「みんなの審査会」を「みんなの審査会」にかけないといけないと言われていたくらいですから、終わることについては別に反対はしませんが、問題はその終わり方です。今日のような簡単な総括でいいのでしょうか?

また、この時もう一つの会議のことを聞きました。毎年夏に開催されている外郭団体についての会議です。最初は外郭団体評価委員会といわれ、その後、外郭団体に関する懇話会と名前が変わりましたが、5年間続いて来ました。いつも公表が遅いのですが、今年はあまりに遅いので、「今年はしないのか?」と聞いたのです。すると「今年はしないが、来年は委員を交替させてする。」ということでした。
 
この外郭団体の会議については、最初はほとんどの団体を傍聴していましたが、最近は関心のある数団体に絞って傍聴していました。委員によって差はありますが、大変勉強になりました。いつもブログに書こうと思っていたのですが、暑くてバテてしまうこともあって結局あまりかけませんでした。市長や議員さんが聞いて勉強してもらったらいいのにと思いましたが、来年はどんな委員になるのでしょう。
今回会議の担当課の座席表の隠蔽から類推しても、あまり期待はできないのでしょうね。

最初、面白かった会議もだんだんおもしろくなくなり、やがて消えていったり、内容が変わっていったりして、新しい会議は最初から訳がわからなくて、そして行政の旧態依然はつづいていく・・・のでしょうか?

世界遺産と文化財行政(5・完)世界遺産登録に向けて

公園と文化財の関係については、以前「緑の政策審議会」を傍聴していた時にも、南丘陵の歴史的環境について委員から問われると、事務局は全く対応できず、結局、新たにコンサルタントに依頼して調べてもらっていたように記憶していますが、その時にも、博物館や文化財課に問い合わせれば、わざわざお金を出してコンサルタントに頼む必要もないのではないかと思いました。同じ市政の課題なのに庁内バラバラですね。

また、堺市の公園行政に絶大な影響力を有しておられると推察される学識経験者が、ある協議会で、百舌鳥古墳群の整備について「文化財の整備だけを考えていたら、公園の価値を損なう。」と言われたことを以前のブログ記事でも指摘しましたが、現在でも同じように考えておられるのでしょうか?それにつけても思い出されるのが、このシリーズの第1回目で取り上げた、泉北すえむら資料館の廃止です。第1級の文化財資料とそれを収蔵する資料館を、その歴史的環境から排除して、いったい、どんな公園をつくるというのでしょうか?

これも以前、百舌鳥古墳群保存整備委員会を傍聴していた時にも感じたのですが(こちらは当然文化財課の担当ですが)、最初は公園の担当者は出席していなかったように思いました。なぜ、いないんだろうと思った記憶があります。どちらにしても、市民から見ていると、力関係としては文化財より公園のほうが圧倒的に強いと感じます。「歴史・文化」と声高にアピールし、世界遺産登録をめざそうという堺市ですから、少なくとも、文化財行政は他の開発行政と対等に連携してもらわないと格好がつきません。

また、仁徳天皇陵古墳=大山(だいせん)古墳の側にある旧大阪女子大跡地に計画されている「百舌鳥古墳群ガイダンス施設」ですが、どうなっているのかよくわかりません。観光文化拠点と同じく、さんざん反対したので、もう、できるだけ関わりたくない気持ちですが、こちらは、世界文化遺産推進室が担当ということで、本当に心配になります。
 
本当にここが担当でいいのでしょうか?巷では、将来的には現博物館がこちらの余剰スペースに移転してくるというウワサもありますが、これも本当でしょうか?市民は何も知らされていませんが、世界遺産をめざすのであれば、市民に啓発・アピールするという前に、庁内連携し、個別ではなく、全体の整備構想を市民に見える形で示すべきでしょう。もしも・・、このままの堺市のレベルで世界遺産になってしまったら、本当に心配です。

 ところで、2回目で取り上げたハニワ課長で思い出したのが、堺市博物館の公式キャラクターのサカイタケル君です。サカイタケル君は、百舌鳥古墳群のいたすけ古墳出土の衝角付冑(しょうかくつき かぶと)形埴輪を連想させるカブトをかぶり、同じく5世紀を代表するヨロイである短甲(たんこう)を身に着けています。このキャラクターを制作したのは、堺出身の彫刻家で堺名誉大使でもある籔内佐斗司さんです。改めて、さすがだなぁ〜、と思いました。堺にも、まともなキャラクターがあって、少しホッとしました。

ちなみに、いたすけ古墳出土の衝角付冑形埴輪は、堺市の文化財保護のシンボルマークです。つまるところ、世界遺産であろうが、普通の文化財であろうが、基本は同じということをしっかり認識してもらわないと、どうしようもないということです。

世界遺産と文化財行政(4)堺市の歴史認識

御陵山公園に触れたブログなどでは、ほとんどの人が、古墳の側の公園だから、古墳時代の埴輪があるのは当然だという受け止め方のようです。また、公園内には、他にも、訳の分からない馬形埴輪のオブジェとか、家形埴輪やイヌかブタか判別しがたいような石製のオブジェとかが、アトランダムに置かれていますが、それも含めて、中には、「古墳時代のムード漂う公園の作り」で、「古代日本の雰囲気を色濃く残した歴史感が溢れる景観となっており、古墳時代を充分に満喫できる作り」と極めて肯定的に捉える向きもあります。

たぶん、この公園を計画した人も、時代や地方色というものは全く考えることなく、単に、古墳時代というイメージで、何でもいいから自分で典型的と思われるものを組み合わせたのでしょう。しかし、中には「公園内には、馬の埴輪をかたどったベンチと古墳前方部中央付近に設置されたニサンザイ古墳の説明盤、古墳の大きさを記したモニュメントなど、古墳にまつわる物がたくさんあり、それらを見て回るのも楽しそうです。」とか、「埴輪が見つかったニサンザイ古墳。御陵山公園の車止めも埴輪」という、これら一連のオブジェが、あたかもニサンザイ古墳と関係しているように受け取っているのではないかと思われる感想もあります。

もちろん、ニサンザイ古墳からは、6世紀の関東の武人埴輪等が出土している訳がありませんし、武人どころか人物埴輪も出土していません。出土しているのは円筒埴輪や、蓋(きぬがさ)形埴輪など器材埴輪といわれるもので、同じ古墳時代といっても大分違います。世界遺産登録をめざす古墳群の中で、このような、遺跡の本質に対する無知と無関心が存在することは、世界に向かって、堺市の知的レベルを発信しているようなものです。堺市が百舌鳥古墳群の歴史的価値を正しく認識できているかどうかも疑われるのではないかと心配します。今後、世界遺産登録に向けて加速されていくであろう、大仙公園を始めとする古墳群周辺の整備について、大きな危惧を感じずにはいられません。

このブログ記事のテーマに「世界遺産と文化財行政」と書きましたが、堺市で世界遺産登録の中心となっているのが、世界文化遺産推進室です。ここと文化財課や博物館との連携も人事交流はあるようですが、詳しくは理解できません。推進室についても、記事2回目で指摘した「ハニワ課長」の件だけでなく、以前、世界遺産登録の市民向け説明会で危機遺産の写真を使う等、疑問が多いです。しかも、「ここで、危機遺産の写真を使うのは不適当ではないか?」と指摘すると、「危機遺産も世界遺産だ」と答えました。(ところが、その後の説明会では、その危機遺産の写真を外していたそうです。行った人から聞きました。)

そして、公園関連、つまり、公園緑地整備課ですが(先日、大仙公園事業関連の入札を実施したばかりですね)、公園も以前から、歴史や文化には弱いと認識していますが、ここも、文化財課や博物館とはどんな連携をとっているのでしょうか?少なくとも以前は全く連携していなかったということはニサンザイ古墳の「ハニワ」たちでもわかりますが・・。
(つづく)

世界遺産と文化財行政(3)ニサンザイ古墳横の埴輪様造形物

他にも、百舌鳥古墳群のニサンザイ古墳の濠の外側に、東京国立博物館に収蔵されている国宝だか重文だかの関東出土の6世紀のハニワを模した像が複数立て並べられてる(車止めか?)という指摘がありました。ニサンザイ古墳といえば、一部発掘調査が行われて、規模が全国で7番目の大きさであることがわかったとか、濠に架けられた木造の橋があったとか、かなり話題になりました。2012年、この古墳の調査報告の見学会に行った時のことをブログにも書きました。

ただ、その時はそんなものは見ないように思いましたし、最近、そんなものを復元したとも聞かないし、どこにあるのだろう・・と思って、急遽、現地調査に行ってきました。クソ暑い中、また自転車で行きましたが、古墳の濠が近くなると風が涼しく感じられて、古墳の深い緑にも癒されました。特に、府大の裏のところから集落を抜けて、前方後円墳であるニサンザイ古墳の前方部に回ると、濠に沿って地道の遊歩道があり、水を湛えた濠と古墳の緑を見ながら散策することができます。そこから下のアスファルト道路までの傾斜地を利用して、前方部に平行する形で公園になっています。「御陵山公園」とありました。

実は、後で確認したのですが、見学会の時にすでに例の「ハニワ」はありましたし、この公園で調査の説明を受けています。また出土品の展示もされていて、それも見に行っているのですが、その時は見学者も多かったせいか、指摘された「ハニワ」には全く気がつきませんでした。今回は、人もほとんどいないし、見通せるので、下の方を見ていると、ハニワらしきものが目に入りました。ちょうど、前方部の西側に沿った公園の北の入り口でした。

近づくと、大きさは70〜80センチ位で、実物(130センチ位)よりは小さいですが、確かにそっくりです。実物のハニワは鉄や皮の小さな板である小札(こざね)を綴じ合わせた挂甲(けいこう)という甲冑を身につけていて、ハニワですから、もちろん、土製です。ところで、ウィキペディアの「挂甲」の項をみると、当該の実物のハニワの写真が掲載されていました。有名なんですね。やはり、国宝でした。

ニセモノのほうは、小札や留金具の表現は全く消されていて、全体的にツルツルです。ただ、その他の所はほとんど同じで、一見して模倣したことがわかります。材質は、見た目は青銅色なので、鋳物のようにも見えますが、少し色のはげ落ちている所もありました。あんまり暑いので、後で聞いたらわかると思って考えるのをやめました。

最初見たものは、公園の入り口にある車止めのポールとして使われていたものでした。北入り口の2体と南入り口の5体には、裏に南京錠がついていたので、これを外したら車が侵入できるということでしょう。他に、公園の周りの柵の一部として使用されていたものなど、ざっと数えて64体ありました。柵の一部となったものは、肩の所に取り付けられたステンレスの単管で、他の部材と横繋がりに連結されています。

この公園がいつ整備されたのかは、現時点では正確にはわかりませんが、「ハニワ」の車止めは、この公園を訪れた方々のブログ等にはほとんど載っているので、だいたいの時期はわかります。この中で一番古いのは2007(H19)年、百舌鳥・古市古墳群が世界遺産の暫定リストに掲載された年でした。つまり、既に10年ほど、このような状態で放置されていたということです。
(つづく)

世界遺産と文化財行政(2)ハニワ課長

ところで、府外在住の方から、「あの世界遺産登録をPRしているハニワ課長の被り物は、6世紀の関東出土のハニワと同じだけど、6世紀の関東のハニワが5世紀の百舌鳥古墳群のPRをしていいの?」と言われてしまいました。その時、反射的に思い出したのが、以前読んだ新聞記事でした。あの被り物を最初に作ったのは、確か、東京芸大の学生さんだったとかいうことでした。なるほど、東京の学生なら、身近なものに影響されて作るのは当然でしょう。

しかし、それを何も考えず、近畿の5世紀の百舌鳥古墳群等のPRに使うというのは、当事者としては、あまりに不注意というべきでしょう。私もハニワ課長は時々目にして、若干違和感は感じていたものの、そこまで深く考えませんでした。よその人に指摘されるまで気づかなかった私も、堺市民として、大いに恥ずかしく思いました。

前回とりあげた泉北すえむら資料館には、大阪府の南部丘陵に分布した陶邑(すえむら)窯跡群という遺跡から出土した大量の須恵器が収蔵・展示されていますが、それらの遺物は須恵器編年の基準となる貴重なものです。そこからは、初期須恵器の段階の須恵器も大量に出土していて、その年代は5世紀に遡ります。つまり、百舌鳥古墳群の時代です。ウィキペディアの「陶邑窯」の項には
 
「当古窯跡群の北方数キロには5世紀に造営された大仙陵古墳を始めとする百舌鳥古墳群が展開しており、陶邑窯の創設当初、巨大古墳群の造営主体である初期畿内政権(ヤマト王権)中枢と直接の関わりがあったことが想定されている。」
という記述もあります。

それはともかく、5世紀の須恵器は百舌鳥古墳群等と同時代です。堺市の文化財課のHPにも5世紀の須恵器の写真は載っています。富士山が登録されたときの三保の松原と同じようには無理としても、関連遺跡として何らかのアピールができなかったのでしょうか?つまり、世界遺産をめざす古墳群と同時期・同地域の貴重な資料を連携させて、世界遺産登録を盛り上げるというのならわかりますが、世界遺産登録熱が高まっている(はずですね)この時期に、よりによって、これら貴重なホンモノの資料を収蔵する資料館を廃止して、市民や来訪者の目から遠ざけようというのですから、訳がわかりません。

それにしても、6世紀の遠くはなれた地方のハニワのニセモノが、5世紀の百舌鳥古墳群のPRをしているのを、古墳群に眠る人々がどこかから見ることができるとしたら、どのように思うでしょう。いちど聞いてみたいものです。
(つづく)

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