まだまだ続くMIT無料コースはどんどん難しくなってきます。
その途中で気になる映像があったので、記録しておきました。

写真の手前に映っているこの人は教壇ではなく生徒のほうを向いていますね。静画ではわかりにくいですが、この人は手話で講義を耳の不自由な人に伝えているようです。おそらく学校が用意してくれているのでしょう。
僕自身がアメリカ留学時代にも両足が不自由でほとんど歩けない生徒がいました。その生徒は通常の学費を払い、学校が車を所有している生徒にバイト代を払って、この障害者の移動を助けていました。 流石はアメリカ。全ての人に平等の機会を!という思想では世界有数でしょう。
しかし現実は平等からは程遠く、ハーバードなどの有名私立大学の学費は天文学的。その機会を得られるのは、ズバ抜けてできる人が奨学金を得て通うか、学費を払える金持ちか、に限られるのがほとんどようです。まあ、かなりできる人でなければ授業についていけないという事実もあるでしょうが。
最近話題のこの有名大学が提供する無料コースは、発表されたときは話題に上がるようですが、その後あまり話を聞きませんね…日本人にとってどう映ったのでしょうか? 興味のある人、内容を必要な人は限られているのは確かでしょう。しかし無料で提供する背景には、批判の強い不平等な教育の機会を少しは緩和したいという思惑も透けて見えてきます。
高すぎるとも言われる日本の大学進学率を考えてみると、教育の機会と言われてもピンっとこないかもしれません。しかし、世界的に見るとこの無料コースはとてつもないインパクトがあると思います。それは
新興国や発展途上国の、本来ならば経済的に教育の機会に恵まれない人達が、ある日を境に突然高等教育を受けられるようになった。
ということです。ディスカッションフォーラムでは、英語が苦手にも関わらず、一生懸命質問に参加している人達がかなりいます。その質問ぶりから相当力を入れて取り組んでいることがわかります。その人達の素性はわかりませんが、質問に答える側も下手な英語など気にせず、しっかりと答えを返しています。本当にやる気のある人は少しくらい不自由でも、チャンスがあればそれにしがみつくハングリー精神を持っているものです。
惰性のように行われる日本の教育ととても対照的で興味深い傾向ですね。しかも広がっていくオンライン講座の可能性は、英語力なくしては味わえない。日本の場合はまず「英語教育」という大きなハンディキャップを背負ってしまっていて、世界の中では致命的な差になってしまう気がしてなりません。
その途中で気になる映像があったので、記録しておきました。

写真の手前に映っているこの人は教壇ではなく生徒のほうを向いていますね。静画ではわかりにくいですが、この人は手話で講義を耳の不自由な人に伝えているようです。おそらく学校が用意してくれているのでしょう。
僕自身がアメリカ留学時代にも両足が不自由でほとんど歩けない生徒がいました。その生徒は通常の学費を払い、学校が車を所有している生徒にバイト代を払って、この障害者の移動を助けていました。 流石はアメリカ。全ての人に平等の機会を!という思想では世界有数でしょう。
しかし現実は平等からは程遠く、ハーバードなどの有名私立大学の学費は天文学的。その機会を得られるのは、ズバ抜けてできる人が奨学金を得て通うか、学費を払える金持ちか、に限られるのがほとんどようです。まあ、かなりできる人でなければ授業についていけないという事実もあるでしょうが。
最近話題のこの有名大学が提供する無料コースは、発表されたときは話題に上がるようですが、その後あまり話を聞きませんね…日本人にとってどう映ったのでしょうか? 興味のある人、内容を必要な人は限られているのは確かでしょう。しかし無料で提供する背景には、批判の強い不平等な教育の機会を少しは緩和したいという思惑も透けて見えてきます。
高すぎるとも言われる日本の大学進学率を考えてみると、教育の機会と言われてもピンっとこないかもしれません。しかし、世界的に見るとこの無料コースはとてつもないインパクトがあると思います。それは
新興国や発展途上国の、本来ならば経済的に教育の機会に恵まれない人達が、ある日を境に突然高等教育を受けられるようになった。
ということです。ディスカッションフォーラムでは、英語が苦手にも関わらず、一生懸命質問に参加している人達がかなりいます。その質問ぶりから相当力を入れて取り組んでいることがわかります。その人達の素性はわかりませんが、質問に答える側も下手な英語など気にせず、しっかりと答えを返しています。本当にやる気のある人は少しくらい不自由でも、チャンスがあればそれにしがみつくハングリー精神を持っているものです。
惰性のように行われる日本の教育ととても対照的で興味深い傾向ですね。しかも広がっていくオンライン講座の可能性は、英語力なくしては味わえない。日本の場合はまず「英語教育」という大きなハンディキャップを背負ってしまっていて、世界の中では致命的な差になってしまう気がしてなりません。