私にとってコーチングはもちろんですが、介護や認知症もキーワードです。
父の発病以来、いろいろな事を学び・気づき、エネルギーチャージをしてきました。
父の発病以前に、入院する母の付き添いが、看護や介護に触れる最初の機会でした。
今思えば、その時から私の将来へのヒントになっていたんですね。
医療や介護の現場はと3Kと呼ばれ、とても厳しい状況です。
その中で、患者さんやお年寄りのために、一生懸命お世話をして下さる方々に、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
医学部に通いながらも、医者になる事に躊躇している学生のインタビューをTVで観た時は、愕然として、大切な事が欠けてるんじゃないかと思いました。
それは、『医者の仕事は朝から晩まで大変で遊べないし、簡単に儲からないから』という答えでした。
どう思いますか?
家族が患者だったら、そんな事は言わないでしょう。
家族を介護していると、思い通りにいかなかったり、疲れなどから『もういやだ!』と思う時があります。
認知症は特にコミュニケーションがうまくとれない事もあり、『どうして?』と思ってしまったり、『それが症状だから』と納得したり。
家族ゆえのジレンマに陥ってしまいます。
先日のTVの中で、『介護をしていると思うのではなく、共に生きると思って接する』と言う言葉がありました。
思い上がりがあったようです。
親の面倒をみるのは当り前と思いつつ、感謝の気持ちを忘れていました。
だから、○○してあげてるのにと言う思いから、苛立ちが出てきたんだと反省です。
『共に生きる、寄り添う介護』
そのために何が出来るだろうと考えると、苛立ちは消えてエネルギーが満タンになりました。
なかなか、できないですよね。
私は幼い子供の世話をしながら、フラワーデザイナーになり
ショップを開く夢をもっています。
忙しい時に聞く子供の喧嘩の声は、感にさわり、いらいらし
てしまいます。
仲裁に入って、生意気な口をきかれると、つい、こんなに
あなた達のために、お母さんはがんばっているのに・・・
とか、こんなにしてあげているのに、文句ばかり言うか?
と、苛立ちがつのります。
でも、共に生きる・・・と思えば、彼らの人格を認めて
受け入れられるのかも。他人じゃなく、家族だから、
つい、簡単なことも難しくなりますよね。
ちょっと、子供に対して、一人の人格を持った人間として、
接してみようかな。と思いました。