September 24, 2018

あの弾丸の行方い肇廛罐淆 and their amazing bricolage!

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image: interview
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20180906

9:00 in the morning, I drove down to a 檳榔(betel nuts) shop before meeting the elders.
People suggested it when I asked what to bring.
I had wanted to meet them to ask about "January 1945" after reading the archaeological report by 2 Japanese archaeologists 金関 and 國分. They had come to Peinan and excavated under the air raid.

I introduced myself briefly in Japanese after the museum staff had introduced her and our visit in Mandarine.

Then one of the elder said to me that he wants to do a little ritual to tell the ancestor about my visit and he started to sprinkle and pour some rice wine on the ground while murmuring completely foreign words yet sounding familiar somehow.

We started talking in Japanese.

I have encountered many old people living here who can speak Japanese well and remember well but I was still impressed how the elders spoke. It was a living language and yet dated to certain era.

I was asking mainly about what they remember around the end of the war. I told them the stories of the archaeologists but they didn’t recall about them. They were 6, 7, 14 years old that time.

One of the elder explain about the Grumman (F6F/Hellcat) air fighters machine-gunning towards the shrine in the hill side, back of today’s Park Site, and the Taitung city center during the War. I asked if the kids in the village had picked up the bullets cases after the air fighters left.

"Oh! yes."

The question seemed to bring back a vivid memory to them and they started talking in their own language.

Then they told me that they gathered bullet cases and selling them to buyers for money. They also said that they melted the lead left in the bullet or bullet cases and dug a shape on the ground to pour the melted lead. It was an accessory for them to carry it around their waist.

I remembered a waist accessory that I saw in the museum in Taipei. Most of the tribes has distinctive fashion style and their clothes and ornaments are highly stylish, so I can easily imagine that this bricolage truly comes out of their tradition and spirit.

Don’t you still have them? I asked.

It’s been a long time. they said.

No one has it? I cannot give up.

Seems like! They laughed.

Yes, it has been 70 some years. I laughed, too.

We chatted for more while and they sang me several songs.
There was this one parody song which kind of making fun of Japanese soldiers a little.



When one of the elder started to sing a song of sending out a young soldier to the battle field, the other 2 joined helping him to sing through. This song has distinctive Puyuma melody pattern and scale with Japanese Lyrics.



兄さんのタバコの煙どこまでも ダンダン(合いの手)
消えない消えない
あのはてまでも 
あー明日の夜 いーよ
待ちましょ待ちましょう ダンダン(合いの手)

My brother, your Tobacco's smoke goes so far
lasting lasting
lasting till the end and afar don-don(rhythmic response)
Ah it is Tomorrow night
I will wait. I will wait. don-don(rhythmic response)

(*trascribed and translated by the author from the recording)

20180911

I bought some betel nuts and tea before visiting the elder again.

The eldest one welcomed me with his smile. He said he enjoyed talking with me in Japanese. I was happy to hear that because I respect him so much after hearing their stories last time and just his 3 names in Puyuma, Japanese, Chinese tells me how much he had to survive through all the turmoils.

I asked him again about the bullet cases in more detail.
How they melted lead. How long it took to do. What kind of shape and how big.
It seemed that one who had more complicated or beautiful shape got reputations. He said he was proud of his own objects and hang around his waist. It sounded more than just a kid’s story. It sounded more than that. He melted the force and poured it on the ground and turned it into his own. There are some examples in contemporary art which transforms fire arms into something else; however, if it is something like shovels that has another practical function, it is different from Puyuma kids who turned fire arms that are the practical thing into accessory that proud not to be practical.

If I look at the history of Puyumas and other aboriginal people, it looks as if they have lost the game being ruled by different foreign forces one after another. But such bricolage and their toughness makes me think that they might have not lost entirely and the most importantly they are surviving.

Just a thought.
………..
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image: one of the elder's drawing from his memory and teaching me some Puyuma words

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20180906

朝9時、プユマ族の長老たちと会う前に檳榔ショップへと向かう。
手土産に何が良いかをスタッフに尋ねたところ、そりゃ檳榔だろう、ということで。
会いに行く目的は、先だって興味をつのらせている卑南遺跡における金関・国分の日本人考古学者による1945年の発掘に関連した何か又は当時の様子を教えて貰うため。

中国語でスタッフが訪問の概要を伝えたあとに、短く日本語で自己紹介した。

御年87歳の最長老が「あなたが来たのをねちょっと報告するから」と言っておもむろにお酒をとりだし地面に降り注ぎながら、本人に聞こえる程度の声で、お清めのようなことだろうか、不思議なしかし何かしら親密な雰囲気の言葉で先祖の霊に語りかけはじめた。

そして私達は日本語で話しはじめた。

もちろん台湾では日本語を流暢に話す高齢の方々と出会うことはあるし時々昔の事を熱心にお話になる方に出会うこともある。しかし何度経験しても生きた旧い日本語の響きは私に特別な感情を引き起こす。

戦争の頃の卑南の様子をあれこれと教えて頂きながら、私が調べている日本人考古学者のことを話した。終戦の時、彼らは6,7,14歳だったそうだ。

一人の長老が、米艦載機のグラマン(通称ヘルキャット)戦闘機の機銃掃射に関して、村はあまり対象にならず丘の方の、現在私が滞在制作中の遺跡公園の裏山、神社だとか街なかがおもに攻撃対象だったとおっしゃっていた。私は自分なりに想像したとおり、機銃掃射のあとに薬莢を拾ったりしませんでしたか?と尋ねてみた。

「あーそうね!」

この質問が引き金となって何かを思い出したのか、長老たちはプユマの言葉で話しだした。

彼らが言うには、子どもたちは確かに薬莢や不発弾を集めては回収業者に売ってお金にしていた。しかしそれ以外にも集めた薬莢などに燃え残っていた鉛を集めて溶かし、さらに地面を掘り「型」を作っておき、溶かした鉛を流し込んで飾りを作って、腰にぶらさげたりした、と。

部族は違うが台北で見た薬莢を使った腰飾りも私の脳裏をよぎる。台湾先住民に共通して言えるのはそれぞれに特徴的な衣服があり、それらは飾りを含めて本当に洗練されていて手が込んでいる事だ。だからこのブリコラージュも真に彼らの精神が生み出したものだと思え、彼らの伝統に直にふれる様な思いがした。

それはもう持ってないですか?と、尋ねた

もうずいぶん前だからね、と返された。

私が諦めきれず、誰かもってないかなぁ・・・と言うと

持って無いだろうなぁ、と彼らは笑った

そうですよね70年ですものね、と私も笑った。

この話が聞けただけで私は本当に台東に来たかいがあったと思う。きっとこういう例は世界各地にあるのだろう、とも想像が広がる。他の部族にもあったかもしれない。

名残惜しさもありしばし長老たちとの歓談を楽しんでいると、軍歌の替え歌などを披露してくれた。楽しげに歌う彼らの歌詞からはユーモアの中に征服者への風刺が込められていた。



そして戦地へと旅立つプユマの若者のために、集まった家族親類が皆で歌ったという歌は心を打った。その歌はプユマの節に日本語載せた歌で、一人の長老が「兵隊を送り出す歌もあります」と歌い出し、途中少し詰まったところから他の二人も助け舟を出すかのように合わせて歌いだした。彼らの声にはハリがあり、節はシンプルなので聞きやすいのだが、なれていないと歌うのは実は難しい。美しく、特徴的ないわゆるアジア的な音階が作る響きには否応なしに郷愁を誘うものがある。



*以下の歌詞は音で聞いたままを書き留めているので本当は違うかもしれない。

兄さんのタバコの煙どこまでも ダンダン(合いの手)
消えない消えない
あのはてまでも 
あー明日の夜 いーよ
待ちましょ待ちましょう ダンダン(合いの手)


20180911

再び檳榔の実をいくらか買って長老を訪ねる。

最長老が私を笑顔で出迎えてくれた。

「あなたが来るとね、日本語で話せるから嬉しいんだ」

と、おっしゃってくださり、私もお話できて嬉しいと伝えた。
これは説明しようがないのだが、言葉が通じるからという以上に本当に嬉しい気持ちがする。先日聞いた話しもそうだが、尊敬の念を私は抱いているからかもしれない。伺ったプユマ語、日本語、中国語の3つの名前を聞くだけで、台湾先住民としての彼の人生がいかに大変であったか想像できる。
私は先日教えてもらった薬莢や鉛で作った飾りの話しをもう少し詳しく聞きたかったので、どのようにして実際溶かしたのか、どのくらいの時間をかけて溶かしたのか、どういう型を作ったのか、など細かく質問させてもらった。

面白かったのは、子供達の間では出来上がりが精巧なほどどうやら注目を集めたようで、長老もうまく出来たものを腰にぶらさげて、他の子供達に見せびらかしたりした、という話し。

「どうだ、っていう顔で歩いて『おい君それ作ったのか?教えてくれよ』なんて言われて」

私にはそれがただの子供の遊び話しではなく、戦争という状況や圧倒的な力の象徴を溶かし、彼ら自身の手で彼らの土地に流しこんで、自分の望む形に変える、という非常に力強く美しいものに思えた。
現代アートにも武器を何かに変える、という作品が見られるがスコップなどの実用性のあるものへの転換などでコンセプトもメッセージは明快だが、プユマの子どもたちの例に見られる武器という実用しかないモノを飾りという非実用性を誇るモノに変えるというような軽妙な行為とはやや異なる。

私が多少見知ったた程度でこんなことを言うのは僭越だと思いながらも考えた事を書いておきたい。プユマ族だけでなく台湾の先住民族全体の状況を知っていくと、ある意味で彼らは度重なる外来勢力によって何度も土地を追われたくさんのものを失ってきたことは明白だ。しかしあのブリコラージュに見て取れる彼らのしなやかさと強さは失われることはなかった。そういった種類の「力」こそが彼ら自身が現在にいたるまでもサバイバルしてこれた力の源だったのではないだろうか。

おぼろげに作品のイメージが掴めたように思う。

付記:これは本当に誤解のないように願いつつ書くと、高砂族とも呼ばれた彼らの一部は首刈り族として16世紀来の入植者オランダ人やスペイン人、日本人に恐れられた。日本統治時代の記録で私の印象に残っているものは、すでに顔なじみになり友好的な態度をとっていたと思われていた者でさえ時として首刈り行為に及ぶとか、生き血をすするとか、日本人警察官(実質は村々の統治者)などが狙われやすいといったような記述だ。ある台湾人から聞いた話だと一部の部族では尊敬を集めた人が亡くなったあとに死肉を食べる習慣もあった、とか。これらの逸話に関しては残酷さだけがクローズアップされる場合が多いが、私は外来品を縫い込んだ衣装や、鹿などの獣の頭部分をそのままヘルメットにしたようなヘッドピースのような装飾品なども、一点において通じているように思う。纏うことや食することをひとつの契機に対象としている相手の力を自らのものにする、あるいはしたいという願望の現れではないかと思う。そう思うと、死肉を食する事は死者を自らに宿す命がけのパフォーマンスだと言える。また、首刈りは、その対象者が外来者であったり力ある者であったり顔なじみであったことを考えれば、自らが認めた「何らかの力の持ち主」を取り込み変身・成長するための戦闘的な儀式である、とも。あのプユマの子どもたちの腰飾りの話しを聞いて以来、私はそんな想像をするようになった。

soundartist77 at 14:31|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

September 21, 2018

あの弾丸の行方と台湾先住民コレクション and the creativity of the indigenous people of Taiwan!

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20180925

台湾大学を訪れた。旧台北帝大(タイホクテイダイ)。現在、NTU又は台大と呼ばれる台湾における最高学府。

「これって・・・椰子の木を白樺に変えれば・・・」

と、思わず北大のキャンパスを思い出した。旧帝大というのがだいたいこういう明治風のレンガ造りの建物なのかもしれないが、キャンパスのレイアウトも含めて何かしらの既視感があった。北海道とのつながりを意識していたからかもしれない。

NTU内にある人類学博物館が訪問の目的だ。ひょっとすると金関・国分による採集物が展示されてはいないか、という一抹の期待と想定外の発見を求めて。

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画像:台湾大学人類学博物館にて

いまさら繰り返すまでもないかもしれないが展示を構成する先住民達のコレクションの主要な部分は日本人の研究者達の収集物による。そしていろいろな採集物を見ていくと1929年収蔵という文字が繰り返し現れる。係の人にその辺りを少し尋ねたところ、これはいったん1895-6年あたりに採集されたものが東京に持ち出され、その後台北帝大の文政学部のトップとなる移川子之蔵ら一部の日本人研究者が台湾に属するものだとして、台北帝大へと持ち帰り所蔵された年代だと言う。

展示品は保存状態もよく、どれも手がこんでいて、民芸品として見て欲しくなってしまう。どこかしらコロニアルにも思えるそんな気持ちに複雑な気分になりながら、個人的には幾つかの口琴に目が留まった。

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画像:台湾大学人類学博物館にて


民族楽器を見ていくと、口琴にはだいたい竹などの植物製のもの鉄を使った金属製のものと2別される場合がほとんどだが、このTrukuの口琴の様に素材が混じりまた複数弁のものは見たことがなかったので驚いた。(3,5,7音出せるものを見たことがあるが現在複数弁を使いこなせる人は知らないと後にTrukuの人にあった際に聞いた)

朝に訪れた中央研究院の人類学博物館を訪れた際には、散弾銃の薬莢のようなものを使ったSasyiatの腰飾りやPaiwanの古い日本の貨幣を使用したベルトや衣装などが個人的には示唆に富んでいて興味深かった。また隣の歴史博物館では折しも台湾の考古学史に触れた展示も行われているとのことで、そちらの展示では日本人研究者の名前が散見された。

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画像: 中央研究院民族研究所博物館にて

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画像: 中央研究院民族研究所博物館にて

1945年に卑南遺跡発掘を行った金関・国府の両名も台湾先住民文化に精通していて、先史時代を想像する手がかりとして、発掘されたもののみならず先住民の生活・文化・日用品などからも手がかりとする民族考古学系の研究者だった。

例えば彼らが発掘によって確認した住居跡の発掘現場に「(屋根瓦に用いられた様な)スレート(粘板岩)が見当たらない」ことから屋根は「茅葺きであったろう」という想像が展開される。この推測にはPaiwanの人達が当時使っていたスレートの瓦やAmisなどの家屋における茅葺きを想定しての記述だが、よくよく読むと非常に面白い。ある意味で私がイメージしていた考古学とは違っていたが、その本質を表しているようにも思える。

つまり土の中から「出てきたもの」だけではなく、「出てこなかったもの」からの両面で過去世界を想像する、ということだ。あり得たかもしれない、という想像。

鉄製品がないことから想像するそれ以前の世界。
頭蓋だけがみつからない墓から想像する首刈りという慣習。

卑南遺跡では楽器がみつかっていない、と聞いた。だとすれば楽器は植物で作っていたかもしれない、という推測がはじまるのかもしれない。あのTrukuの口琴のように多弁の口琴をあやつっていただろうか?草笛や葦、竹の筒を利用した素朴な笛などを有したかもしれない。Paiwanの人達が現在も大事にしている鼻笛という非常に繊細な楽器があるが、それに似た音色が卑南にも響いていたのかもしれない。

soundartist77 at 17:37|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

あの弾丸の行方△泌鋪埒景 and decaying images and texts

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20180924

One of the tasks I had for my Taipei trip was to check the wartime newspaper 臺灣新報(Taiwan-Shinpo). Based on one of the memoir I found from an interview clip, there should be a newspaper article, possibly with a photo, about the 1945 Peinan excavation by 2 Japanese archaeologists. I wanted to check if the Taiwan-Shinpo have it.

I came to the Taipei National Central Library. It only took me a few min to register after giving my inquiry.
I find libraryan in many countries very helpful and has benifitted from them but this one was fast!

I went upstairs to the Japanese Korean section.

There were only republished anthologies of the old newspaper or to be precise scanned or photocopied old newspapers. I found the volume that contains all of the 1945 and went through the possible dates one after another. The result... you can guess from the image above.

No words to express.

No way to check it further?

Well there must be an original if there is a print of the scan of a copy it...

Maybe I can find the original paper in the Taiwan National Librarry? or possibly in Japan.

Though there are images and letters that I could recognise, it just made me think that it was actually almost impossible for this newspaper to post an article of archaeological excavation... everything else are all about propagated-battle-reports and agitation for the suicidal attack of Kamikaze.

The time is up. They are closing.

Maybe next time.

I have more places to go...

soundartist77 at 17:34|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

September 20, 2018

あの弾丸の行方,版酳館 and visiting Taiwan's oldest museum!

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台東ー台北間は通常4時間ほどの機車の旅、のはずだったが夏休み期間でほぼ満席。前日に急遽問い合わせた私は早朝6時発の便、ただし6時間かかる各停的な・・・、で台北へ向かう。なかなか年季が入った車両、そして機車・・・指定された座席はディーゼルの真上?かと思われるノイズと振動、満席のため完全にスタック。

前述の金関・国府(fn004)という二人の考古学者の考古学報告書に興味を持って以来、彼らの系譜をたどりつつ、私は1980年代に行われた卑南遺跡の発掘にも携わった研究者を探していたのだが、運良く父親が国府と直系の研究者で、かつ本人は現在、台湾博物館のキュレーターという李子寧教授と会って話を聞けることになり、台北へと向かった。彼は私がかねてより興味を持っていた常設展示(fn001にてとりあげた)の企画者である。私はあの展示の企図、そして彼が1945年の卑南発掘時にグラマンの機銃掃射によってばらまかれた薬莢を遺跡で見たかどうかにも関心があった。

酔いとノイズに揉まれながらの6時間で体はむくみクタクタになってしまったが、到着した台北駅から待ち合わせの国立台湾博物館までは徒歩圏内だ。駅からまっすぐに伸びるひときわ幅の大きな道路の先にいかにもコロニアルな雰囲気を全体から醸しつつ建っている。おそらく台北駅から降りてすぐに目に入る様なプランだったのだろうと思う。台湾では日治時代とも書かれる植民地時代に設立された最も古い博物館で100年の歴史を持つ。

李教授は非常にオープンな方で、率直に様々な質問に答えてくださった。金関・国分が発掘時に機銃掃射を受けた、という話しを知っているかどうか聞いてみたところ、聞いた記憶はない、と。さらに薬莢に関しては面白い想像だがそれらしきものは見ていない、と。残念ながら早々に、私のファンタジーめいた想像は立ち消えてしまったが、発掘中の印象深いエピソードなどがあるかどうか訪ねたところ卑南遺跡の発掘に携わったのは89年でちょうど対岸の中国で後に天安門事件と呼ばれることになる学生デモとそれにたいする弾圧の報道がされ、同じ学生として気が気でならなかったとおっしゃて、当時の日記を見せてくださった。

「ほら、この日からだ」

そう言って開いた5月20日のページにはびっしりと字が書き込まれており「軍事鎮圧」の字が私の目に留まった。彼は個人的な意見だとしつつも「発掘というのははほとんどの時間が退屈な穴掘りなんだ」と何度も言っていた。そのつかみどころのない時間に彼の脳裏を占拠していたのは対岸の「1989」だった、と思うとなぜか彼が居た発掘現場と自分が少し近づいたような感覚がした。まだ小学生だった私もあのニュースをリアルタイムで視た記憶があるからだろうか。

1980年代から開始された卑南遺跡の発掘というのは、遺跡が存在するエリアに新しく台東駅が建設されることになったからで、発掘した直後にすぐに遺跡を埋めることを宿命付けられた期限付きの発掘だった。何十時間という膨大な(それでも全体のわずか一部)発掘時の記録映像を見たが、本当に発掘直後または同時に土をダンプする映像と音が印象的だった。また発掘に参加した数名の研究者から聞いた内容をまとめると、発掘経験があまりないメンバーが多く、時間のない中で、試行錯誤を続けざろう得なかった。そう、ある種の切羽詰まった状況だった。そういう意味では1945年と通じていると言えなくもない。

国分はインタビューの中で、戦時の発掘に関して当時の台湾の教え子たちとのやりとりを振り返りつつ印象的な発言をしている。

『この時期に、先生、意味があるだろうか』と僕に言うんですね。僕は『消えるかもしれんよ!』とこの集落が。
『僕らは今この長い歴史をもって、ここに長い生活を営んだ人達の事を、一行でも書き残しておくということは、巨大な、大きな世界史のペーパー中の一隅にちょっとでも書き残しをすることができるってことに意味があるじゃないか。そう考えるより他に慰めないじゃないか、いずれ消えるかもしれない。我々も消えるかもしれない。ちょっとでも書き残しをするんだというつもりになりましょう。『了解した』『了解した』と言ってやってくれた
(*日本民俗映像学会、映像保存プロジェクトが収録した1990年1月のインタビューより、筆者の書き起こし)

戦後も台湾に残り戦災にあった考古学資料の整理にコミットした国分らの影響を直接受けた台湾の考古学者達にこの思いは引き継がれただろう。土の下も無事ではいられないのが私達の世界の現状なのだ。だから到底完璧な発掘が望めないとしても、自分たちが「いま」「出来る限り」記録し採集する。でなければ、全てが破壊されるか掘り返すことが事実上不可能になる。

私が現在滞在中の卑南遺跡公園は、遺跡の広がるエリアを国立史跡指定をすることで逆にこれ以上の工事・開発を未然に防ぎ、将来の発掘への道をつなぐ、という発想から生まれたと聞いた。まさに同じ危機感と使命感が作ったのだと思える。

私は李教授に、常設展で視た旧い日本語で書かれた紙札・標本ラベルが特に印象的だった、という感想を伝え、彼にとって植民地時代初期に訪れた日本人科学者達はどういう存在か、と聞いた。彼は博物館のコレクションを介して初期の日本人科学者達と対話していると話してくれた。

また"It is our lineage." という表現を使い "We are a family" ともおっしゃった。

これらの言葉には感動したし、博物館刊行の100年記念展のカタログやDVD、またDVDにも登場する日本人科学者達の家族を招待しての祝賀イベントの記録などを見ればいかにその事を大事に受け止めているかがよくわかる。それ自体は本当に素晴らしいことだと思う。
しかし、思えば思うほど、この科学者達の情熱の背後に帝国主義的な政治的な歴史が紛れもなく存在していたことが否応なしに意識される。そういう世界だったし、いまもさして変わらない世界に生きていることはやはり無視出来ないし、いまだにそれをどう捉えてよいのか私にはわからない。それだからこそ執拗に知ろうとしている。

あれこれ反芻しつつ、台北でのリサーチを続ける・・・

soundartist77 at 19:27|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

September 16, 2018

ある発掘報告書の残響 and I am listening to January 1945

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滞在開始から最初の数週間はほぼ卑南遺跡の発掘史に関連する書籍やアーカイヴを博物館のライブラリーやオンラインで検索しひたすら目を通す作業と周囲の散策に費やしたが、徐々に関心の中心に「台湾東海岸卑南遺跡発掘報告」と題された1つの発掘報告が浮かび上がってきた。人類学・考古学者の金関丈夫と国分直一の両名によって発表されたこの報告書は1945年の1月という特異なタイミング下の卑南遺跡発掘に関する報告書で、台湾においても1944年の10月以降は空襲が本格化しており、空襲の危険性は十分に予見されたと思われる。つまり、命の危険を冒してまで発掘する意志を秘めていたと想像される。そこまでの切迫した想いに興味を持ち、金関丈夫と国分直一という研究者について、また当時の卑南の状況について調べだした。

実際、彼らの報告書に記載された簡単な発掘経過には空襲や爆撃に関する記述が数回登場する。そして結論にも再び、空襲のために十分な調査はできず発掘を中止したと記している。私は考古学の論文に精通しているわけではないが、学術的な報告に紛れ込む明らかに個人的な感情を私は強く感じた。90年台に撮影された国分のインタビューによると、彼らは発掘中に米軍機の機銃掃射の対象になり、あわてて発掘現場に身を隠し、戦闘機が通り過ぎた後に薬莢を手にとり登りゆく煙を眺めた、と。私は臺灣総督府による「臺灣空襲状況集計」という当時の極秘資料や米国海軍のアーカイヴなどをもとに、グラマン米艦載機による台湾東海岸における空襲の記録を参照し発掘中の襲撃に関する想像の解像度をあげようと努力した。

グラマンに搭載されていた(だろう)ブローニングM2という重機関銃から放たれた(だろう).50BMG, 12.7mm x 99mm弾は幸いにして二人の考古学者を傷つけることはなかった。だが、見境なく行われた(と思われる)機銃掃射の矛先は卑南遺跡に眠っていた数千年前の世界との接続を幾らかは断絶したのではないだろうか?いずれにせよ発掘現場周辺にバラバラと降り注いだ(だろう)無数の薬莢、国分や金関が拾って煙を眺めたあとに捨てられた(だろうか?)後、どこに消えたのか。

後々の出版物でも国分は卑南遺跡での発掘に触れているが、グラマンの文字が見えることはあっても、弾丸が描いた軌跡は時の闇に消えている。ひょっとすると叢に落ちた一部の薬莢が後の発掘で見つかった例などはないだろうか?薬莢に使われた(だろう)黄銅という素材がどの程度経年劣化に耐えうるのか詳しい知識を持ち合わせていないが、卑南遺跡周辺を眺め見る時にその表土層にその残骸が残っていても不思議ではないようにも思えた。戦後に農耕地として耕されて以来現在の様な状況らしいのだが、不発弾や薬莢が発見された例は記録されていないだろうか?1980年台になってはじめて本格に行われた発掘時に薬莢や残骸が発見された、ということはないだろうか?日本の軍部はあらゆる物資の供出を図っていたことを考えると台湾でもそういうものも回収されていたのかもしれない。いや、戦時の子どもたちが回収される前にそういう物を拾って隠し遊ぶ、という事も十分にあり得たのではないか?

想像は疑問を生み、さらなる想像とその選択肢を拡げていく・・・

いまでも卑南遺跡の近くには軍事施設と台東空港という小さな地方空港があるため割と頻繁に小型、中型の飛行機が空を行き交っている。私は「1945年1月」の卑南の音風景を想像しながら、当時を知る人達に会いに行くことを希望し、博物館のスタッフにプユマの長老達に会いたい旨を伝え、台北へと向かった。訪れたい場所と会いたい人が台北にもいる。

soundartist77 at 18:18|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

September 09, 2018

卑南河口の音風景 and I hear the thunder roaring from the North!

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22nd Aug

Not so hot, I thought and I waited Dr. 楊小青 who is a geo-archeologist. Outside of the cafe next to the exhibition hall in the Peinan Site Park.

Many cicada was already singing their noisy choir but because it was cloudy from the morning, the air wasn’t so hot.

We sat outside, table that is next to a big tree, because the music in the cafe was not what I wanted on my recording. There were some breeze going by where we sat. It was ok though the air was getting a little hotter as the sun goes up.

I started asking questions I had...

According to her, the landscape around Peinan hasn’t change so much from 5000 BP including the delta of 3 rivers, which now locates Taitung city center.

During the conversation, which off course meanders around the subjects, I was very inspired to hear about the tectonic activities detected in this region. In fact, we can see two plates confronting each other in Peinan. The 悪地(badland) on the north side of Peinan river is where the border between Philippines plate and Eurasian plate meet. The land goes up 1cm every year.

The hill or terrace of the hill where we sat, Peinan culture site, is found without any trace of confronting the water directly, she said. They were always meters higher than the water surface. It was kept safer than the deltas, which might have experienced some over flooding of the river.

It made me think that the safety and the energy/active level of the land might have attracted people to settle here, for possibly more than 1000 years.

What made them like to live here?

....
The following sentences is transcribed at the mouth of the Peinan river, looking towards the river on its south bank, listening to its soundscape on the 5th Aug from 16:13 about 10minutes
....

Offshore wind not very strong
I heard the thunder roaring from the mountain afar
from the West and the North

Birds are chirping here and there

I hear no waves, it doesn't reach me
but cars on the bridge instead

A guy singing out loud on his motor pass by

Thunder roaring again
from the North and the West
lower and longer than the ones before

Two men taking a walk chatting in Taiwanese or Mandarine
I can’t tell

A thunder again from the North

A fly passing by

Another thunder from the North

In a distance, fire crackers
and a helicopter hovering behind me

A sound on the water
a small fish jumped up from the river a few times
....


soundartist77 at 14:03|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

巨石文化の残響 and I am listening to the prehistory!!

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8月11日のメモより

....
台湾東海岸に点在する巨石文化の遺跡などを先史博物館の研究者と見て回る。大方は観光地化されていて正直なところ感じるものはそこまで無い。面白いものとしては、民家の裏庭に忽然と現れたかのように存在する巨大な岩石を利用した石棺。ただこれも周囲に見物用の構造物が組まれており保護されている。

最後に訪れたのは、つい最近まで発掘が行われていたという遺跡で、とある集落の奥から山手に向かって伸びる林道を進み、車をおりて5分ほどあぜ道を行く。
あぜ道と言っても細いわけではなく、2本の轍がくっきりあるところをみるとまずまずの頻度で車も出入りしていたことが想像できる。道端にはプラスチックシートで覆われた何かしらが積み上げられていたり、檳榔の実が入っていたと思われる小さめのジップロックの袋があちこちに落ちていて、運搬作業員だろうか、男達の存在を感じさせる。

少し開けたところに出ると、右手に美しく切り立った山々の連なりと重なりが見える。前方にはやや場違いな雰囲気を放つコンクリート製の貯水タンクがあり目を引くが、人気はまったくない。その奥、一段あがったところには今にも転げ落ちそうに見える大きな岩石があり貯水タンクとは違う意味で風景から突出している。柵に囲まれることもなく、立て看板の説明もない。数千年前の時間と現在とが接続している風景がそこにはあった。

近づいて登ってみると岩の頂上部には疑いもなく人手によるとわかる形の石棺状のくり抜きがあり、その角度や面の精度から金属器によるものと想像される、とのこと。

方位を確認すると石棺の縦軸はやはり南西ー北東のラインに沿っている。

実際にそれが石棺なのか何かの貯蔵施設なのか儀式のための祭壇なのかはっきりしたことはわからないが、ちょうど岩の下のあたりからはドーナツ状に円形のくり抜きがほどこされた例の岩の断片も見つかっており巨石文化の存在が確認される、とのこと。

私は岩を降り、もと来た道を戻ろうとして今一度岩を振り返ってみた。

岩の下に生える一本の木の脇に置かれたように見える檳榔の袋と300mlほどの酒瓶に気づいた。ちょうど誰かがそこに座るのにちょうどよいと思えるような大きさの平たい石もあって、なんとなく海の方を眺めながらここで休憩したか先祖に参ったのか、いずれにせよ先程の散在していたジップロックから感じるのとは違うリアルを感じた。
.........

メモ:9月8日記す

現在、台湾の東海岸側には先住民系の方々が多く住んでいる。一口に先住民、原住民という言葉では言い表せないほどたくさんのグループがいる。もちろん、もともとは島のあちこちに住んでいたのだが、16世紀以降の外来勢力の入植とともに、多くの先住民グループは東側に追いやられていった。

檳榔は日本語ではビンロウと書かれる事が多いが中文の発音ではビンランになる。台湾のあちこちでこの文字を掲げた看板を見かけるが、特に東側は多い気がする。先住民文化にはゆかりの深いものだからではないかと思う。彼らの神話にも「檳榔を3つ贈り物に・・・」とか「檳榔を捧げた」とかそういう記述がしょっちゅうでてくる。先日、プユマの長老を訪ねた時に土産にもっていった檳榔を自分で噛むはめになったが、体温があがり、少しふわふわと酔ったような感じがした。唾も出てくるのだが、それを飲み込むと気持ち悪くなるかもしれないから吐き出すように言われた。しばらく噛んでいた檳榔を吐き捨てると、ものの数分程度で体の状態は普通になった。なるほど、こんな感じなのか。私の周りにはビンランを噛む人はいないし、話をきいてみても皆たいがい、うまいもんじゃないよ、という感じで勧めない。試した結果、味に関しては正直なところ・・・植物の味としか言いようが無い気がする。平たくいってまずい。だけど長老いわく、これのおかげで冬も寒くないし健康なんだ、と。

ここ卑南を植民地時代初期に訪れた日本人考古学者達の多くは人類学、民族学に通じた研究者が多く、彼らは先史時代の生活を想像する手がかりの多くを様々な先住民グループに残る生活様式や神話などに求め島全域を可能な限り踏破し調査をすすめた。彼らも檳榔を土産に長老達を訪ねて、一緒に噛んだりしただろうか。

soundartist77 at 13:54|この記事のURLComments(0)2017- Taiwan | field notes

September 03, 2018

ある土器に付された旧い日本語の響き and I am listening to Taiwan and Hokkaido!!

paiwan_pot


PN20180901-fn001

滞在開始から一ヶ月。

2018.8.1 - 9.31の2ヶ月間、台湾の台東にある國立臺灣史前文化博物館という先史時代や先住民文化などを専門に扱う博物館にて藝術駐館(artist in resident)の公募があると知り応募したところ、しばらくして連絡があり招聘が決まった。

國立臺灣史前文化博物館
中文:https://www.nmp.gov.tw/
日本語:http://jp.nmp.gov.tw/about01-1.html
English: http://en.nmp.gov.tw/

この一年間ですでに3度めの台湾。合計4ヶ月ほど滞在していることになる。来れば来るほどこの島の複雑さに気付かされ、関心を強めると同時に途方に暮れそうになることもある。

今回の滞在制作を希望したきっかけの1つは台湾と北海道という2つの島の歴史の相似関係を知ったことがある。

1月に台北の228公園にある國立台湾博物館を訪れた際、「發現臺灣」(Discovering Taiwan / 台湾の発見)と題された常設展示において台湾の博物学諸分野における日本人の研究者が紹介されていた。台湾における「近代的な科学史」のはじめには外国人というか日本人の名前がずらりと並ぶ。明治元年から約30年後に日本の領土となった台湾において日本式の「近代化」を実験しようとしていたわけだから当然といえば当然なのだが、日本式の「近代」のはじまりにアメリカ人を始めとする多くの外国人があるという家系的な歴史の相似を想った。以前、北海道で自分なりに時間をかけB.S.ライマンという地質学者の石炭などに関する調査行を調べたことがあったこともあり、私にとっては知的に理解したというよりは腑に落ちるリアルな時代理解を得る機会となった。

ライマンは1870年代に現在の北海道大学の前身である札幌農学校の設立初期に教鞭をとり実地訓練とも言えるような調査を経て多くの日本人炭鉱技術者や行政官を育てた。同じ様な図式が各分野で見られ、彼らの一部またその次世代のエリート達がおそらく台湾にも来たことは想像に難しくない。殖産興業の理念のもとに西洋列強から学び北海道を調べ、開発し手にしたのはその土地のみならず人材と経験で、ここ台湾にてそれらを様々な形で「投資」した。國立台湾博物館の初代館長川上瀧濔も札幌農学校予科の出身者だ。

北海道が日本国の植民地である、という表現はもしかすると用語的な定義からすると不正確かもしれないしやや極端な表現かもしれない。蝦夷地への本格的な入植は江戸時代後期にすでにはじまっていたことも含めると台湾との比較はあらゆる面で無理があるかもしれない。しかしながら私が愕然としたのは、現在、台湾は日本の領土ではないしそのことは当然だと思う、一方で北海道は今や何の疑いもなく日本の一部だとされている、ということ。この現状に文句があるとかそういうことではなくて、そうではない状況も十分あり得たかもしれないという想像の欠如、現在までのいろいろな経緯は声を潜めまたは無視され国家の提供してきた言説に概ね一本化されていること。もちろんこれは歴史上の一筋を言った言葉でしかなく、近代国家や国際条約云々を単位とした歴史の1面だ。しかしこの2つの島のつながりを直感した事は、明治政府のとった国策と2つの大きな島の命運を再想像するに十分だった。そしてそれは当然他の島々へと想像を促す。ライマンのリサーチをしていた当時、様々な歴史研究者や、先住民であるアイヌの方々にもいろいろと話しを聞く機会があったが、私にはそこまでのリアルな認識はなかった。無知を恥じると同時に何かしらを知ったつもりであったため更に衝撃的なことだった。

動揺しつつも展示をさらに見て進むと、國立台湾博物館が1908年に「台湾総督府民生部殖産局博物館」として設立されて以降に収蔵された台湾先住民の日常品が含まれていた。大きくシンプルな土器には5x3cmくらいの色あせた紙札が紐で結わえられており「壺 パイワン 一ケ」と書かれていた。同じ様な紙札を北海道の各地で訪ねた資料館や博物館でも見たからだろうか、墨と筆で書かれた旧いカナ混じりの日本語をみた瞬間、私は再び日本の旧植民地である台湾から逆さにあの大きな島も日本という国家によって植民地とされたということを想った。

私はまたこの土器を手にした収集家・研究者の思いをも想像した。彼(ら)はシンプルで美しく生きた生活の形としての土器に魅せられ手にしたはずだ。北海道の時もそうだったが、私はこういった個々人の様々な興味・関心・探求、知りたいというモチベーションが暴力を伴う国策という大きなフレームとモチベーションの中に又は絡み合いながら動いていることに関心をもってきた。それをどう考えればいいのか?それは自分自身に関わることでもあるからだ。

ここ台東には台湾ならびに環太平洋地域で最大規模の先史時代(新石器時代中後期)の遺跡である卑南遺跡をはじめとする巨石文化の痕跡が点在している。古くから知られていたこれらの遺跡を調査する目的もあって1896年以降この地を幾人もの日本人研究者達が訪れてきた。ただし考古学的な研究よりも人類学的な研究、つまり先住民の研究が主要なミッションだったと思われる。そして彼らの研究は直接的に台湾における先住民に対する植民地政策の決定に影響しただろう。その事に彼らが無頓着であったとは思えない。十分知っていたと思う。もしかするとその事を誇りに思っていた研究者も少なからずいたのかもしれない。しかし私は想像する。当時の蝦夷地/北海道で起こった、起こっていた、起こりつつあった状況を見て、知って、台湾においても同じような強硬な国策が展開されるのだろうと見て、自らの信条と矛盾があろうとも方便として国の先鋒に立ちつつ、あわよくば眼前の台湾の何かしらを破壊され失われる前に記述し、守れる何かもあるかもしれないと考えた研究者もいたのではないだろうか、と。

私は想像する。国家に石炭を与え(それはおそらく鉄になり武器になり戦力に変わった)、同時に弟子たちに個人的には戦争に反対する手紙を日本語で書き送ったライマンと彼が抱えていたかもしれない矛盾とその葛藤を。そしてここ台東を訪れた日本人の考古学者や人類学者達を。彼らがどの様な思いをもって先史のかなたを想像していたのかを。

mamoru

付記:

台湾東海岸の美しい風景に接しているうちに、16世紀にこの島に辿り着いたポルトガル人が「Ilha Formosa(美しい島)」と名付けた時間といまも地続きにあることを感じる。そこからうんと遡って先史時代となるとさすがに感覚的に追いつかない気もするが、先史時代の専門家の方々に話を聞いたり、普段は見れないような考古学の施設を訪れたりしているうちに自分の想像のレンジを広げられれば、と思う。

soundartist77 at 18:16|この記事のURLComments(0)field notes | 2017- Taiwan

December 23, 2017

ある(超難しい)響きについて & I started taking Suona lesson!

(日本語記事は英語のあとに。下へスクロールして下さい)
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image: 碗(it means cup) for Suona

Now I am in Taipei. So cloudy and unexpectedly cold(not as much as Japan off course). To be precise, I am participating in an exchange research residency between ARCUS(Moriya, Japan) and Kuandu Museum(Taipei, Taiwan). Kuandu Museum is located in the north of Taipei near Tamsui. In the northern part of Taipei, there were several Spanish colonies which were then taken by Dutch and later by Chinese, English, Japanese and partly English again... such complex colonial histories are a part of my 17th century research.

The Museum is a part of Taipei National University of Arts. It's up on a hill, 10-15min away from 3 stations but somehow many easy-hikers on weekends. Winds are strong and you have a great view towards the city of Taipei. It means... I am far away from downtown Taipei. Well just an hour or so to be fair.

There are fine art, music, dance, theatre, and new media department. I am staying in the guest house of the university which is in the campus, so I often eat at the student canteen. It makes me feel like I am back in school again. Very proper for research residency environment? but being in school had an advantage in cases like finding a teacher for learning instrument.

I wrote a letter explaining my desire and reasons for learning the instrument to find some people who would be willing to help my search into to the sound of Suona. Soon after my letter was handed to the staff of museum, they passed it to traditional music department in the campus. Luckily one of the graduate student, Chi-yi, found it interesting and contacted the office.

I met to-be-my teacher in the museum office for the first time. There were already several Suona on the table. The instrument has a tiny wooden body called 管 (pipe) and a metal cup 碗 and the reed is rather small for making that massive sound. Seeing it for the first time, it looked well made and yet primitive at the same time.

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The curators and staff at the museum were gathered around the table chatting with Chi-yi. It was nice to see them getting interested in the instrument. Although in Tainan and also elsewhere, I feel that the temple and people lives are connected strongly even among young people, the enthusiastic conversation kind of revealed the distance between the "traditional instrument" and people who are not engaged with it.

Musicians of traditional music(include Western traditional music "classical" music) often becomes elite group and at the same time, sometimes, segregated given some "special" tasks to carry out rituals etc. So it is not just the fast pace modern or contemporary urban life and rational(for production) society that separated these music from people but l personally feel the gap or closeness between this type of music and people hints something about the condition of our society. Not quite sure what it reveals but maybe how much extra(but necessary to breath) space it has?

I feel that we all need a space and time that cannot be named. Music may have provided it. Some time-space that refuses any claim and remain unknown. Maybe... and why am I writing this?

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image: Chi-yi instructing me how to read and play

Anyway, I started taking Suona lesson. It requires certain amount of breath to produce the sound and to control the pitch. It is so difficult and loud that my ear started ringing after several notes I played.

Suona_score
image: notation for "上管風入松

hope to upload my recording soon! or not...TBA.

・・・・・・・・・・・・

日本語(英語と内容重複するところもありますが・・・基本的に別の文章です。)

11時頃だったろうか・・・

少し気分的に滅入っていたこともあり、ベッドの中でグダグダとiPhoneのKindleをパラパラとめくり読んでいたはずだが、、知らぬ間に意識は薄く遠くなっていた。

部屋の電話が遠くで鳴り始めた・・・

まだ聞き馴染みのない呼び鈴をうっすらと認識し、寝かかっていたことに思い当たる、と同時に受話器に手をのばす。

-hello
-hello is this mamoru?
-yes
-ok. TA at the traditional music department contacted us that they found a musician interested in your project and she is in the library now. Are you still sleeping?!
-no no. wow that’s great.
-can you come now?
-sure. in 10min.

すぐにベッドから出て、かばんにカメラやラップトップを詰め込む。頭が重い・・・少しコーヒーを飲んでからにしようか、数日前に買った珈琲豆を挽き、ウォーターサーバーから熱湯を持ってきて、珈琲を淹れた。現在、あるリサーチレジデンスプログラムに招待され台北国立藝術大学に滞在中で、とある楽器について調べはじめたところだったので幸先がいい知らせだ。

-I will be coming to the office in 5 min. Is she already there?
-yes but it’s ok. take your time~

小雨が降る中、美術館へと向かうとオフィスにつながる廊下には話し声が響いていて、オフィスのテーブルには楽器が置かれ、スタッフと談笑する感じの良い若者が目に入る・・・

-hi nice to meet you. my name is mamoru
-oh hi, my name is Chi-yi

カメラとレコーダーをセットし、スタッフと彼女の会話(の雰囲気)に耳をすます。この楽器に関して私が興味を持ってあれこれ質問していたおかげか、スタッフもすでに関心をいだいてる様子で、とても嬉しい。しかし同時にその様子は、この「伝統楽器」と人々の間にある距離についても感じさせる。楽器というのは技能を必要とする場合が多く、演奏できる出来ないという線引が明確なため、特権的な集団を生み得る。そのため音楽技能集団はエリートにもなり得るし、忌避・阻害の対象にもなり得る(またはもともと忌避の対象である人達が技能集団となるのか)。様々な文化圏で見られるのはその両者の混合した状態だが、そういった線引と伝統楽器と人々の距離感は別のものだろう。

そして楽器とその響きには様々な歴史のもつれとそのほつれが既に見え隠れしているように私には思えてならない。台湾で聞くSuonaの場合、漢族由来の音色が前面に感じられると同時にシルクロード的な広がりもあるという魅力を私はその響きに聞き取ることが出来る。と同時に、人とモノ・カネと力が移動する植民地主義とか帝国主義の単数形・権力的な歴史とその背後に追いやられる複数形・無数・無声の歴史。台湾と中国、もしかすると台湾と日本、そして台湾とは何か、についてこの楽器は、そしてこの楽器の存在が、パフォーマティブに物語っているのではないかという想像を抱かせる。

楽器とか音楽は人々の生活と密接なところで生きながらえるだけのものではない。国家や政策などによっても往々にして推進され衰退させられる。明治以降?戦後?の日本の音楽教育に関して何も知らないが、私が三味線ではなくピアノに親近感を覚える現実が嗜好の変化とか、個人の環境だけではありえないことを考えるだけで納得がいく様に私には思える。台湾でもこの楽器がどう扱われているのかを知りたいと思っているがなかなか当たり前になっていることを当事者達の口から聞き・探り出すのは難しい。

そんなことを考えつつも、この楽器の響きに魅せられてレッスンを開始した。

息を強く吹かなくては、と思うと力がついつい入ってしまって気がつくと手が痛い。
間違ったやりかたでは音は響かない。リラックスして体の中の空気をリードへ伝えれば良い、ある程度のハリみたいなものを作りつつ。。。(だろうか?)

1時間も練習すればヘトヘトになるのだが、力が抜けていて、十分に息が正しい角度で入ると、"Suona"本来の力強い音色が鳴る。そういう音と一体になる感覚は他では得難いものがある。

(レッスンの様子などは上の画像から想像下さい)

December 10, 2017

ある響きについて & wondering what I heard in that moment

mamoru_tainan_firework
image: sky above a street in Tainan, 2017

A sentence may tell you the beginning of my recent search...

- I was in Tainan.

Not sure what triggers you by the sentence but with the image above and if you have ever been there, I am sure you can recall/imagine/hear some sound other than the fireworks and the passers by.

There was this sound. It was festive, loud, and uplifting.
I heard the sound everyday somewhere.

It's so identical that I would not miss it. It gave me this timeless feeling somehow, probably deriving from its primitive acoustic energy produced by the intense breath of the player and for sure by something more.

mamoru_17th_charumera
image: excerpt of The Trading Post at Dejima (Japan, c.1840, brush and ink on silk), Rijksmuseum

It's called 唢呐(Suona) in Taiwan. The names and the descriptions of the instrument and its history/origin varies. It can be found in various cultures along the silk road then all over the world, including Japan. Just like many other instruments. So what's so unique about it then?

It is interesting to note that in 16th century, the instrument was introduced to Japanese as "唐人笛"(flute of Tang) but later Portuguese came and called the instrument as "charmela", then more people seems to adopt the European name gradually. But it wasn't so much about this kind of information I can find easily on Wiki or my personal nostalgia that I remembered the sound of the street vendor selling noodles playing this instrument maybe 30 years ago or so. In the chorus of this instrument, I heard something more. Probably another history that I don't know yet.

One thing related to what I am hearing may be found in the following image I have been looking into for several years.

mamoru_17thJpmusicians
image: *engraved image from Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan, Arnoldus Montanus, 1669

I have been inspired by the images created in the Netherlands about Japan(or East) by Europeans who gathered information and imagined it; its culture, history, and geography. It first looked odd, then made me judging that it's wrong and later caused me to wonder on what bases I was judging. I had to question myself what and by what means I assumed that I knew about the 17th Century Japan. Movies? Text book provided by schools? Can I say that I know something about it then?

Could it be true that I am less informed than those Dutch people who made that geography book?

It could. The distance between me and 17th century Japan is so far away in time and cannot compare with the geographical distance those Dutch people had back in 17th century. However, if they wish, they could go on a ship and spend 8 months to reach it(apparently with a lot of luck) while I would have no chance to travel there.

I became curious about their process, so I started gathering many materials about 17th-21st century Japan(or East) from the Netherlands, Indonesia, and now Taiwan to imagine possible histories of Japan or the world. I came to Taiwan (and will be here for a while) hoping to reflect and deepen my understanding of histories especially from 16/17th century onwards. I want to somehow pluralize the world(or my world view maybe) into worlds. Not a Japan but Japan-s. Simply to give space to breathe for myself and for other people who might also be suffocating by the standardisation or more like a singularization of nationalistic identity promoted/propagated by the authority over personal.

What did I hear in the chorus of 唢呐(Suona)?

It was festive, loud, and uplifting. It went on and on and faded out. I was walking away and they were marching on to the next temple. Though the sound faded out, it made my ears more indulged into the details of what I had experienced. And I am in this search of the name for it.

I want to know it.

August 12, 2017

東京で久々の個展です and my latest music-work will be exibited!

solo exhibition/個展 "散華 上段-Upper Sange 2017"
2017.Sep.02 - Oct.07 @Yuka Tsuruno Gallery
mamoru_五体投地

image: excerpt from a video "becomings / 投げ出された身体"(HD, silent, 2017)

ご無沙汰してます。昨年オランダより帰国してから制作していた新作をYuka Tsuruno Galleryにて発表します。
I will be showing my new work @ Yuka Tsuruno Gallery in Tokyo.
(Please scroll down for the rest of English greetings!)

かれこれ4年ほどかけてリサーチしつつ作ってきた長編シリーズ「あり得た(る)かもしれないその歴史を聴き取ろうとし続けるある種の長い旅路、特に日本人やオランダ人、その他もろもろに関して」の第五章となります。新チャプターの主役は・・・遡ることもう15年以上前にオーストリアのとある音楽フェスにて共演した河合真人さん(浄土宗瑞林院住職)の素晴らしい声明をフィーチャーした音作品です。これほど正面からサウンド(というより今回は音楽かな)メインの作品はもしかすると十年ぶりとか!?かもしれません!
シリーズ全体を通じて重要なインスピレーションとなっている「モンタヌス日本誌」(1669年にアムステルダムで出版された日本紹介本)に含まれる挿絵の幾つかには「寺院」もあって何故か燃え盛る炎とその周囲でトランス状態で踊る人々が描かれていたり、他の挿絵にはジャワ・ガムランで用いられるもの酷似した楽器が描かれています。そのあたりに着想を得て京都とジョグジャカルタで録音・制作しました。
制作にあたって相談に乗ってくださったたくさんの方々に感謝します。そして快く取材に協力し、持てる知見を惜しみなく披露してくれ、レコーディングも快諾してくれた河合 真人上人、そして忙しいスケジュールの合間を縫って素晴らしい作品解釈と演奏をしてくれたガムラン奏者Welly Hendratmoko、パーカッション奏者Alfin Satrianiの2人に心から感謝します。またインドネシアでの録音に関してコーディネートとアシスタントをやってくれた Rangga Purnama Ajiにも改めてありがとう!最後にビジュアル・リミックス担当 Hyuntae Leeにも感謝!(まだ現在進行系ですが・・・w)
また展示の音響はこれまで私の作品をいつもサポートしてくれている小松音響研究所が担当してくれるので最高の音になること間違いありません。ぜひ体感しに来てください。イベントも企画してるのでまたアナウンスします!
AM_三間堂_up_05

image: excerpt of the illustration from "Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan"(1669, Amsterdam)

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I will be showing my newest work "散華 上段 - Upper Sange 2017" at my mother gallery in Tokyo, Yuka Tsuruno Gallery. Please come take a look or actually to listen to since it is a piece of "music" that I made with fabulous musicians from Yogyakarta and a monk from Kyoto.

The work features sutra chanting of Rev. Mahito Kawai(head of Zuirin temple of Jyodo sect) whom I met and collaborated with at a music festival in Austria more than 15 years ago! Anyway, it is the 5th chapter of my series called "a long listening journey of a Possible thiStory especially of Japanese & Dutch & something more". The recording was inspired by several illustrations in the Dutch geography book published in 1669, Amsterdam, which has been one of the most important inspiration for the entire series. Some of them shows "temples" of their-imaginary-Japan where people dance around the fire in trance and others contains instruments that are truly similar to Java gamelan instruments. I had tried to graft these inspirations with the world of 2017.

Big Thanks to all who helped me and gave advised and making this piece possible. Especially 河合 真人 (Mahito Kawai) for putting his expertise and willingness to create the piece, and Welly Hendratmoko & Alfin Satriani for understanding the concept and expressing it into great performance!! Also Rangga Purnama Aji for giving me so much time and energy coordinating and be willing to assist me during recording sessions in Yogyakarta. Last but not least, Hyuntae Lee for remixing all the images for the projection.(still in progress at this very momoment!) and not to forget Komatsu Sound Lab, who would make the sound system in the exhibition space, be sure to experience the sound if you are around Tokyo! I guarantee you will not regret to experience their sound system even if you don't like my music! ;)

December 04, 2016

レクチャー@国立民族学博物館 & I will talk about my latest project at National Museum of Ethnology!

mamoru_pf
image: lecture performance @ National Museum of Art, Osaka(2016)

大阪の千里中央、万博記念公園にある国立民族学博物館にてAnthro Film Lab*主催のセミナー「Anthro-film Laboratory 21」にて現在進行中のプロジェクト「あり得た(る)かもしれないその歴史を聴き取ろうとし続けるある種の長い旅路、特に日本人やオランダ人、その他もろもろについて」の事など、実作のプロジェクションを交えつつ話します。

I will talk about my latest project "a long listening journey of a Possible thiStory especially of Japanese & Dutch & something more" at National Museum of Ethnology, a seminar organized by Anthro Film Lab*.

.....

「Anthro-film Laboratory 21」
日時:2016年12月18日(日)14:00-
会場:国立民族学博物館2階第7セミナー室(大阪)

Date: Dec. 18, 2016, 14:00-
Venue: National Museum of Ethnology, 2F, Seminor Room 7, Osaka

詳細:
http://www.itsushikawase.com/anthro-film_lab/news.html

*Anthro-film Laboratory

Anthro-film Laboratoryは、人類学、映画、コンテンポラリーアートが交叉する実践のなかで、言語に依拠するだけでは伝達されえない知や経験の領域を探求し、人文学における新たな知の創造と語りの新地平を切り開くことを目指します。

Anthro-film Laboratory aims to explore the knowledge and human experience that can be transmitted through non-textual form; expanding the practice of knowledge creation and storytelling in the humanities in conjunction with film, contemporary art and anthropology


October 07, 2016

あり得た(る)かもしれない歴史にまつわる作品発表! & I will show works I have made in The Netherlands!

mamoru_作品関連画像1-2
left: video still, detail, Further(2016), dancer: Madoka Kariya, right: research material, engraved illustration, detail, Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan(Arnoldus Montanus, 1669, Amsterdam)

(Please scroll down for English)

a long listening journey of a Possible thiStory especially of Japanese & Dutch & something more / あり得た(る)かもしれないその歴史を聴き取ろうとし続けるある種の長い旅路、特に日本人やオランダ人その他もろもろに関して

viewing space vol.002: mamoru
会期: 2016年10月29日(土) - 12月3日(土)
Yuka Tsuruno Gallery
140-0002 東京都品川区東品川1-33-10 TERRADA Art Complex 3F
tel. 03-5781-2525
営業時間: 11:00-18:00(火・水・木・土)/11:00-20:00(金)/日・月・祝休廊
協力:小松音響研究所

17世紀にオランダで出版され、西洋社会に「日本」とそこにすむ人達、文化、歴史を初めて体系的に紹介したある地理本*。100枚以上の緻密な銅版画、456ページのテキストに描かれたのは、実際に日本に来たことのない編集者、著者、版画職人達が宣教師の手紙、報告書、旅行者、船乗り達から聞いた話など様々な情報を集め、想像した「日本」の人々の暮らし、文化、歴史。そこで紹介された「日本」は想像に富んだ、というか飛んだ!ものでした。この本に興味を持ち、オランダに渡り、どういう経緯でこの本が生まれ、その影響はどう現代とつながっているのか、はたまたつながり得るのか・・・いろいろ調べていった結果&あちらこちらへと派生した関心事と想像もあわせつつこの1年ほど制作をすすめてきて2年が経ちました。(と言ってもこの仕事にとりかかったのは主には最近の1年くらいです。)作品は、タイトルに示唆しているように、荒唐無稽な想像に思えた17世紀オランダ産の「日本」でしたがリサーチを進めていくうちにそれを「あり得た(る)かもしれない」と考えることで生まれる妙な現代との接続やさらなる想像を何かしら形にしてみたものです。

今回、この新シリーズの現時点を披露できることになりました。場所は、私の所属ギャラリーであるYuka Tsuruno Galleryの新拠点となった天王洲のアートコンプレックス内の共有ビューイングスペースです。

シリーズの第一章〜四章までをレクチャーパフォーマンスのドキュメンテーション映像と映像2作品を合わせ、スクリーニングという形で公開します。分数にすると全部で30分以上にはなりますが、極端なまでに腰を曲げて描かれたお辞儀から連想してみたフィクショナルな歴史は意外な人物達へと帰着し、エキゾチックに描かれた不思議な人体を理解するためにコリオグラフィー的なことにも取り組んだりとこれまでにないアプローチも試しています。会期が5週間と長いので、どうぞお時間ある際にお越しいただき、じっくりご覧いただければ幸いです!最終日にはアーティスト・トークもする予定です。

*1669年にアムステルダムで出版(アルノルドス・モンタヌス著)原題は「Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan」。日本語では「日本誌」とか「東インド会社遣日使」等と呼ばれる。

(スクリーニングタイトルは英語文の最後に記載)
.............

I will be showing my works I have made in the Netherlands in the past year, screening a documentation video of my lecture performance(20.5min) and 2 video works(10 + 3.5min). All together about 35-40min.

The project is inspired by a geography book published in Amsterdam in 1669, titled "Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan." This book, 456 pages of text with 71 engraved illustrations and 23 double-paged engravings folded in, comprehensively showcased Japanese people, culture and history and introduced to Western society. I have been making a series of works that, in some way or another, graft today, the world of 2016, to the Possible history that these Dutch book makers had once generated.

The screening will take place in the viewing space of the new art complex, TERADA Art Complex, in which my gallery has moved in. It will run for 5 weeks and the videos would all together be about 30min long so please plan to visit when you have time! I have the privilege of having Komatsu Sound Lab. to assist my sound set ups. It is sounding. (By the way, I am already making a new chapter of this series, and it will be shown in 2017.)

Screening will include the following/スクリーニングの内容:

The 1st chapter: 
this voice・a place・all that is resonating/この声・ある場所・残響するすべて (2016)
a lecture performance, 9:30, language English
viewing link: https://youtu.be/8DyEZ7TMYOI
Documentation of a lecture performance/レクチャー・パフォーマンスのドキュメンテーション映像

The 2nd chapter: 
The Art of Japanese Bowing/(ジ)ヤパニーズのお辞儀 (2016)
a lecture performance, 10:41, language English
viewing link: https://youtu.be/VuQmsxKO-zE
Documentation of a lecture performance/レクチャー・パフォーマンスのドキュメンテーション映像

The 3rd chapter: Further/遠くへ(2016)
HD 16:9, stereo sound, 10'10", dancer: Madoka Kariya, camera: Sol Archer
viewing link: https://youtu.be/91QRUELHkQE

The 4th chapter: outstretched/伸ばした手(2016)
HD 9:16, silent, 3'20", camera: Sol Archer
viewing link: https://youtu.be/Hp8_mPrEYYU

image: a excerpt from "Gedenkwaerdige Gezantschappen der Oost-Indische Maatschappy in ’t Vereenigde Nederland, aan de Kaisaren van Japan." (Arnoldus Montanus, Jacob van Meurs, Amsterdam, 1669)、画像:モンタヌス日本誌、アルノルドス・モンタヌス、1669

September 16, 2016

オランダからの左折。青山、表参道、再訪。

懐かしい、という言葉がしっくりくるほど馴染んだ街並みでもないのだけど、運良く1年ほどこのあたりにアーティストインレジデンスしていた。その頃に知り合った友人の好意で、またもや運良くこのあたりにロングステイできることになった。早速、何軒かよく知っているお店を訪ねてみた。と言っても、小さな自転車を乗り回し通っていたのはもちろん、ハイエンドにクールでおしゃれでステレオタイプではない、こんなところにこんなお店が、という地に足付いた店。それは好みというよりも生活する実感を得る必要に迫られて。

いつ行っても「あら、mamoruさん!」と言って迎えてくれて、個人的には特に日曜の遅い時間に珈琲もウィスキーも飲めて、相当に音も良くて、その気になれば考え仕事ももちろんできて、海外から帰ったときは「おかえりなさい!」と声をかけくれるとっても素敵なカフェのドアに貼り紙がしてあってつい最近閉店したことを知った。(お疲れ様でした。)

ドアは空いていて中を覗くとテーブルに置かれた「Closed」の看板がまず目に入るという相変わらずの入りにくさをかいくぐり「いるー?」と言うと少し歳をとったけど少年の様な好奇心が溢れかえっているマスターが出てきて「ひさしぶりだね〜」と迎えてくれ「あのもう一人のお兄ちゃんはどうした?」からはじまってノンストップで話し続けることもあってか食べ物持ち込みOKという意味不明で絶対に打ち合わせの際には言ってはならない喫茶店(と言っても結局、珈琲も飲まず1時間くらい話しをほぼ聞いていたただけで帰ったのだが・・・)は1971年から続いていて、観葉植物のプランターがぶらさがりまくった素敵なベランダとともに今も健在だ。

当時、青山でおそらく最安であったはずの中華料理店ではなぜか窯焼きピザがメニューに加わり、気に入っていた大きめの豚まんと酸辣湯みたいなセットメニューはどこかへ消え、餃子が窯で焼かれ不味くなり(個人的な意見です)、飲む人は2時間まででお願いしますというどうやって線引するのかわからないルールがなくなっていて、時間帯のせいもあったかもしれないが客が前ほどあまり忙しく出入りしていなかった。

あの居酒屋にはまだいっていないが、相変わらずビールは薄く感じ(個人的な意見です)、もしかしたらパンクな店員さんたちが減ってたりはするのかもしれないが人の話し声がうるさすぎて結局隣に座った人としか話せない音環境はきっと何も変わっていないだろう。曲がった角のビル2階だかには同じ名前のカラオケ屋があってそちらも異常な安さを醸し出している。店や人と結びついた記憶というのはこうして再訪のたびにアップデートを余儀なくされ、その幅によって懐かしさみたいなものを感じるのだろうか。

あの坂を下ってみる。あの道を曲がってみる。体がロケーションとそこに結びついた自分の行動パターンを結びつけて記憶しているように感じ、時間が経ったにも関わらず身体は感覚で土地を認識できる?そのことの方がむしろ懐かしさなのだろうか、などと考えながら別の友人から借りた自転車であの頃よく行ったスーパーへ買い物に向かっていくがまったくたどり着かない。

「そうそう、このあたりは決まった道以外はできるだけ通らないようにしていたんだった。」

あの頃乗っていた自転車よりは大きめの自転車で車道の脇を走っていた私は左折しようとした瞬間に左腕をのばし、いるのかどうかもわからない後続の車にサインを送った。思わず笑ってしまった。日本でもそういう交通ルールはあったような気もするが、私としてはこれは完全にオランダの習慣。そうか、確かに何かを身に着けて帰ってきたのか。

行為によってあるロケーションに別の土地の記憶を持ち込む・・・

少しだけいま考えている作品と通じるところもあって気になる感覚に思える。よし、特に迷惑でもないだろうからこの習慣は続けてみることにするか。

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June 01, 2016

作品収蔵のご報告&Time of Others exhibition travelling to Australia, Brisbane!

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photo: (C) mamoru, Museum of Contemporary Art Tokyo, Courtesy of YUKA TSURUNO GALLERY

Exhibition@Queensland Art Gallery|Gallery of Modern Art, Brisbane
https://www.qagoma.qld.gov.au/whats-on/exhibitions/time-of-others

It’s June! How are you doing? I am about to finish my master in a month meanwhile… my work "THE WAY I HEAR, B.S.LYMAN 5th Movement Polyphony for Collective Imagination" will be exhibited again. "Time of Others", a travelling exhibition which opened in April 2015 and went around, is now going to be re-opened for the last time in Australia, Queensland Art Gallery|Gallery of Modern Art, Brisbane, from June 11 and ends in September 18, 2016. Thanks to all the artists, curators, staff, and visitors that I got(will get) in contact through this exhibition. The work has been acquired by Museum of Contemporary Art Tokyo and now a part of their collection, so I hope that they would show it sometime in the future. Special thanks to all the people I collaborated during the research and MOT and my gallery YUKA TSURUNO GALLERY.

Here is 1min Trailer/Prelude, using the very first part of the whole work(15min). Please have a look!
https://vimeo.com/168648575

More about the work(pdf 1.3MB): http://www.afewnotes.com/TWIH_LYMAN_1-4.pdf

….

クイーンズランド州立美術館・現代美術館での展示に参加します!
https://www.qagoma.qld.gov.au/whats-on/exhibitions/time-of-others

大変ご無沙汰しています、久々に展示の案内をさせて下さい。昨年発表した「THE WAY I HEAR, B.S.LYMAN 第5章 協想のためのポリフォニー」ですが再度、オーストラリア・ブリスベンのクイーンズランド州立美術館|現代美術館にて6月11日から9月18日の期間展示されます。2015年4月より巡回していた「他人の時間」展もこれでいよいよファイナルです。もしも夏休みなどでブリスベンに行かれる際は是非ご覧ください。参加アーティスト、キュレーターチーム、スタッフの皆さんいろいろとお世話になりました、そしてご来場下さった (る)皆様、ありがとうございます。おかげさまで作品の方は昨年度、東京都現代美術館に収蔵されました。また近い将来また展示される事を願ってます。何よりもこの物語の舞台であり、リサーチの際に色々な方に協力いただいた北海道と米国マサチューセッツでなんとか展示したいと願っています。

作品冒頭の1分ほどを使ったトレーラー・前想曲を作ったのでご覧ください。(全編は15分、2スクリーンの映像作品です。)
https://vimeo.com/168648575

作品詳細(英, pdf):http://www.afewnotes.com/TWIH_LYMAN_1-4.pdf

May 31, 2016

風を知るータンデム飛行2&Documenting my WIND STUDY!

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photo: Miyake Kotaro

<2015年8月4日の事>

風を知るータンデム2

昨日に引き続き霊石山からのフライト。風はある。むしろ強すぎるくらいで、今日は風が乱れている。前回は全力で駆け下りた崖もほんの2メートルほど歩いたかどうかという程度で、キャノピーが風を受け、崖側に落ちるどころか、むしろ斜面から引き剥がされる感じでいとも簡単に浮かび上がった。

眼下の樹々も田んぼも風で揺れている。斜面を駆け上がる気流を観察し、サーマルの位置を市川さんは正確に捉えるとそちらに寄せてゆく。サーマル(上昇気流)のコアに入った時の上昇圧は、まるで強い海流に下からつき押されるような感触。ハーネスに深くはまる位置に動くと、空中で座っている様な感覚になる。そのハーネスの底面から伝わってくるエネルギー、耳元を轟音で吹き抜ける風から大気はかたまりで流動していることを知る。

サーマルにも大きなものと小さなものがあり感触は違う。眼下の樹々の葉の揺れ具合ー広葉樹の葉などは裏返って白くなる、稲が揺れて上空からは黒い影かモアレのように見えるーなどからあらかたの予測を立て、サーマルをつかむ。

高度は上がり、気がつくとテイクオフした頂上を見下ろす形になり、手を振るスタッフの姿が見えた。彼女の顔が笑顔なのがわかるくらいには近いが、地表からの高度はすでに350m。近くにはハンググライダーが二機、そしてトンビが一羽。音もなく、滑るようにして滞空し、近づいてきては遠ざかる。

パラグライダーを何度か大きくスウィングさせ、高度をさげ、想像以上にソフトタッチで川沿いの草地に降り立つ。飛び立つ前に遠くに見えていたこの場所に降り立ち、あそこから飛んだのか、と山を振り返る。「飛ぶ」という言葉には思っていた以上に振れ幅が大きいと感じた。そのことを話し、どうやって大気の流れと一体になるのかと質問すると、風を知る人は一言「一体?ではないですねぇ。ただ遠くにいきたい、と思って状況に対応してるだけですよ」と言った。

本日の滞空時間約20分。

お礼を言ってインストラクターの方と別れ、私はスタッフの三宅君と2人と帰り路に着く。ひとしきり空中で得た感覚を興奮気味に語り終えると、彼が「パラグライダーの起源の話し聞きました?」と尋ねてきた。彼が言うにはアルピニストの一部で、山を降りる際にパラシュートで降りるというやり方があって、そこからいろいろと改良されて、今のパラグライダーの形になってきたそうだ。まだ30年程度の歴史だとか。そういえば命知らずのフリークライマーが断崖絶壁をロープなしで素手で登り、登頂後に、背中に背負った小さなパラシュートで降りる映像を見た事があるが、あんな感じだろうか。
「だから楽したい、っていうのが起源にあるんですよ、って笑いながら仰ってました。」と彼は言い添えた。

体力的な問題もあるかもしれないが、登って来た山道と全く違うルートで帰りたい、完全に違う体験をしたい、ということもあるんじゃないかと思う。確かに歩いて降りるよりは圧倒的に楽だし、楽しいのは間違いないと思うけれど。
私の場合は空の上にいるだけで妙に笑いがこみあげてくるような、内側から活き活きと湧いて来る喜びを感じた。目に自然と良い力がきて、毛穴がひらき・・・普段私の体を地面にしっかりと結びつけている重力から、束の間だが、自由になったように感じ、何か勝ち誇った様な気分になった。そしてそれを心から楽しいと感じ笑いが止まらなかった。
遠くへいきたい、空を飛びたい、そういう意思と気象条件というコントロールの対象外にあるパラメーター、その2つが接する時に、サーマルのあの圧力が私の体を押し上げるのだ。あの感触と、あの風の音をきっとこの先何度も思いだすだろう。

風を知るータンデム飛行1&Documenting my WIND STUDY!

Tottori_Top

photo: mamoru

いまになって昨年の夏の事を記録するというのもやや妙なのだが、オランダでの大学院研究生活が残り3ヶ月となったこともあって、たまりにたまったこの2年間のまとめマインドに入ったのだと思う。

ともかく、鳥取で2015年8月に鳥取藝住祭の関連企画として、Hospitaleプロジェクトの赤井さんを呼びかけ人として、アーティストの山本高之さんと共同ディレクションした「SCHOOL IN PROGRESS」という企画を行った。その際に、私が長年地味に進めている「風を知る」というリサーチプロジェクトに絡めさせてもらうことにした。以下は、前にHospitaleで鳥取に呼んで貰った時から協力していただいているパラグライダー・インストラクターの市川正さんとの飛行記録を主にFBへの投稿を元にかきおこす。

「風を知るータンデム1」

2015年8月3日
朝から特急に乗り鳥取へ。

ー向かってます。空へ!(it's true. You'll see later!)

ーまだ向かってます!空へ!On the way!

ーまじですよ。serious business

などとFBに投稿しつつ、久々の鳥取、久々のパラグライダー。駅まで迎えに来てくれた風友三宅くんとともに国内でも有数のフライトスポットである霊石山へ向かう。

山頂に着くと良い風が。上昇気流をとらえたとんびが目の前をいともたやすく駆け上がってゆく。ただ遠くには嫌な雲が見え、吹き流しが時折強くはためいて、風が強まる気配がする。インストラクターの市川さんと電話で連絡を取ると、ともかくやってみましょう、とのこと。風がめまぐるしく変化する日暮れ前の時間帯、ちょうどフライトの準備が整った頃には風が無くなった。市川さんは積乱雲がこれ以上発達するか、日が暮れるともうアウトだと言う。かなり粘ってはみたがやや気持ちは折れそうになる。

ーどうします?明日もありますし今日はあきらめますか?

ー出来ればいろんな気象条件を経験したいので、なんとか飛びたいです。

迷惑だろうな、とは思ったがこのために来たんだから、と正直な気持ちを誠心誠意伝えた。しばらくすると市川さんはスタッフの方に「よし飛ぼうか」と声をかけた。

ーまず僕らでが飛んでみますね。マモルさんは滑走路の脇あたりで風を見て、こちらにタイミングくださいますか?

ータイミングくださいって、僕の判断で良いんですか?

スタッフの方の反応が心なしか「本当に飛ぶの?」という風に見えたせいもあって。滅多に緊張することはないが、さすがに自分のタイミングで誰かが飛ぶ(落ちるかもしれない)となるとプレッシャーがかかる。

風がわずかに強まる、または強まりそうだというタイミングを告げるには、眼下の崖沿いに生える草や下木の葉のわずかな揺れを観察するよりない。風が山肌を上がってくるのを見なくてはいけない。その風が自分に届いてからでは遅いからだ。

ーいきますねー!

と言う声がして、振り返ると、市川さんはパラグライダーのキャノピーを背負って、走りだした。

ーダメダメダメ!

足場用の単管とベニア板で延長された滑走路を急ブレーキで止まる。仕切り直し。
再度風を待つ。今度は風の強弱を見ながら市川さん達の方にも注意を向ける。

ーいきます!

今度は止まる気配がない。私はその邪魔になるまいと滑走路脇で崖を覗き込んでいた位置からさらに必要以上に飛びのけた。間髪入れずに全力で駆け抜けた市川さん達は・・・飛んだ、というよりも落ちたように私には見えた。樹々に触れるか触れないかというポイントすれすれでパラグライダーは浮かび上がる。そして、右にゆっくりと旋回していき私の視界からは消えてゆく。着陸ポイントは飛び出し方向とは真逆の河原なのだ。猛ダッシュで山頂逆側に向かう。現れてくるはずの方向から市川さん達はなかなか現れない・・・まさか落下したなんて事はないだろうがどうしても想像してしまって、ゆっくりと視界に市川さん達が見えた瞬間は何かを大発見したかのような興奮すら覚えた。三宅君が市川さん達を河原まで車でピックアップしに行ってる間に私は果たしてどうやって飛ぶのかと想像を繰り返す。思った以上に時間が経過している。おそらく時間からしてもそうチャンスはないだろうが、果たしてこの滑走路を走り抜けた先に私は空に浮かぶことができるのだろうか。

市川さん達が戻ってくると、いよいよ風はなくなっていった。

無風。そして無言。

ー逆側の斜面に行きましょう。

滑走スペースも広く、見晴らしも良くテイクオフが容易な斜面に着く。吹き流しは完全にうなだれて風が無いことだけを伝えている。

ー風無いですね。

ーもうダメでしょうか?

ーいや、逆にね風が全く無い場合こっち側の斜面だとひとつだけ飛ぶ方法があるんですけどわかりますか?

ー・・・

ー向こうと決定的に違う点があるんですが。

ー滑走路が斜面になってる?

ーそう、この斜面を迷いなく全力で崖まで走り切ると・・・

ー風を・・・生む。

ーやってみますか?

正直、これがコントなら落ちるのは見え見えだな、と思ってしまって思わず笑ってしまった。

ーやります!

後には引けない。着々と飛ぶ・落ちる準備をする。

ー走って、と言ったら走ってください。ダメだと思ったら私が「止まれ!」って言いますから、言わない限りは迷わずに走りきってくださいね。

ハーネスの各部を確認し、気持ちを整える。

ー走って!

前傾姿勢で斜面に足を取られないようにダッシュする、キャノピーが空気抵抗を受けて立ち上がったのか少しスピードが緩む、が崖はすでに数メートル先にせまっている。1回は練習がてら止まるのかと思っていたがその気配は無い、と察し邪念を振り払っう。どうにでもなれ、と斜面が崖っぷちに変わるその瞬間まで思い切り力をこめて走り切る。

ーまだまだ!

重力で体全体が下方に引きつけられ、ハーネスが食い込む。次の瞬間、私と市川さんの体は宙に浮かんだ。
上昇気流がほぼ無いため飛び出した高さよりも上に行くことはできないが、すでに十分な空気抵抗を得た私たちは、無風の静けさの中、斜面からゆっくりと離れていくと、眼下には樹々と田畑、川、人家、街並みをも遠くに見ることができる。遮るものが何もないため、上空では鳥の声がより澄み渡って聞こえる。
前年に砂丘で経験したパラグライーダー飛行と比べるとかなり長い時間のフライトだ。その感触に浸りつつ、無風でも、走って風を作り、飛べるという事実、その体験の面白さがこみ上げてくる。考えともつかぬ、興奮だけでもない、喜び。

ー風があるともっと自由に飛べますよ。明日は楽しみにしててください。

July 31, 2015

想像のための幾つかのスコア and upcoming lecture-performance!

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image: performance view: "THE WAY I HEAR/Several Scores for Imagination" 2015.Jan.27th, Tokyo

(Please scroll down for English)

現在、大阪の国立国際美術館にて開催中のグループ展「他人の時間」の関連イヴェンととして、私が各地で取材進行中の幾つかのリサーチプロジェクトを「想像のための幾つかのスコア」として紹介しつつ、来場者との「協想」、現代音楽フルート奏者の木埜下大祐氏とのことばと音の重なりによる”ポリフォニック”なセッションを織り交ぜたレクチャー・パフォーマンスを行います。
国立国際美術館で同時開催中の「ウォルフガング・ティルマンス」展や同エリア(徒歩圏内!)で開催中の堂島ビエンナーレにお越しの方はどうぞこちらも合わせてご覧下さい!

.....
レクチャー・パフォーマンス
「THE WAY I HEAR/想像のための幾つかのスコア」

出演:mamoru(テキスト、トーク)、木埜下大祐(フルート、トーク)
会場:国立国際美術館、地下1階講堂
〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-2-55 TEL:06-6447-4680(代))
日時:2015年8月8日(土)14:00 - 16:00(休憩あり)
入場:無料、先着130名 ※10:00から整理券を配布

音響:小松音響研究所
撮影:NOET PHOTO VISUALS
主催:国立国際美術館
協力:YUKA TSURUNO GALLERY、アジア同時代音楽協会(ADOK)

ー幾つかのスコアー

「アルノルデゥス・モンターヌスとアンドレアス・ベークマン」
現在オランダに長期で滞在しつつ展開中の17世紀アムステルダムにて出版された西洋初の体系的な日本書誌を著したオランダ人、また同時代にオランダ東インド会社に従軍した画家にまつわるリサーチより。

「B.S.ライマン」(>関連リサーチ記事)
明治初期、日本政府に招聘され北海道にて地質調査を行い日本初の近代的な地質図を作ったアメリカ人地質学者・鉱山技師ベンジャミン・スミス・ライマンにまつわるリサーチより。大阪でのパフォーマンスに先立ち、東京都現代美術館における「他人の時間」展にて発表した、字幕、ナレーション、音源による新作映像の紹介など。

「風を知るために」(>関連リサーチ記事
古今、東西、人文、科学を越えて人類のイマジネーションをかき立ててきた風。実際にパラグライダーやヨットを体験取材したり、いろいろなロケーションでの風見パフォーマンス、大気について考察した科学者達や、歴史に残る風を調べるなどしている長期継続中のフィールドワークより。特に今回は「風を知る人」として現代音楽フルート奏者の木埜下氏をパフォーマーとして迎える。

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Lecture Performance

"THE WAY I HEAR / Scores for Collective Imaginations"

performer: mamoru(text, talk), Daisuke Kino-shita(flute, talk)
date: 8th, August 2015, 14:00 - 16:00 (with intermission)
venue: The National Museum of Art, Osaka
admission: free, register at the reception from 10:00 -

sound: Komatsu Sound Lab.
photo: NOET PHOTO VISUALS
organised: The National Museum of Art, Osaka
special thanks: YUKA TSURUNO GALLERY, Asian Contemporary Music Society (ADOK)

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Dear readers!
Here is an INVITATION to my upcoming lecture-performance! As a part of "TIME OF OTHERS" exhibition now taking place at The National Museum, Osaka, the lecture-performance will include several projects that I have been working on as I briefly introduce below. I am very much excited to work with DAISUKE-Kinoshita, an excellent Japanese flute player and composer, who will be performing "polyphonic-talk" with me. He will also introduce special techniques of wind-instruments in relation to my WIND STUDY.

-about the "Scores for Collective Imagination"-

"Arnoldus Montanus and Andries Beeckman"
17C Dutch writer, Arnoldus Montanus was the author of "Atlas Japannensis being remarkable addresses by way of Embassy from the East India Company of the United Provinces, to the Emperor of Japan", so-called first Western book of Japanese Historical account and a painter who was his contemporary and went around East Indies as a soldier of Dutch East Indies(VOC).

"B.S.Lyman" (>related posts)
It is based on the research I have been doing over the past 3 years about an American geologist/mine engineer who were hired by the Japanese government in late 19C and conducted an important geological survey and made the first modernised geological map in Japanese history. I will introduce the work I presenting at the Museum of Contemporary Art Tokyo, titled "THE WAY I HEAR, B.S.LYMAN, The 5th Movements Polyphony for Collective Imagination". It is 2ch bilingual text-projection with bilingual narration and some field recording.

"WIND STUDY"(>related posts)
It is a fascinating borderless-timeless subject of curiosity and I have indulged into the subject for years; trying out sailing and paragliding, learning science of it, visiting windy locations, researching stories/myths and wind that changed the history. I am so pleased to have an opportunity to invite Daisuke Kino-shita again after the performance we did in earlier this year as a "wind player". He will tell/play us about his thoughts around wind instruments!

April 30, 2015

協想のためのポリフォニー and about TIME OF OTHERS exhibition

(for English scroll down please!)
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現在、東京都現代美術館にて開催中の「他人の時間」展に「THE WAY I HEAR, B.S.ライマン 第五章 協想のためのポリフォニー」という新作の「サウンドインスタレーション」を出品してます。
この作品は、明治初期に日本政府に招聘され来日し日本全国の地下資源を調査したアメリカ人地質学者・鉱山技師であるB.S.ライマンが夕張川流域で行った調査に関するリサーチを題材にしたもので、昨年、第四章として発表した「独想のためのスコア」からの展開となるサウンドインスタレーションです。
作品を構成する「音源」は、日本語と英語のナレーション、幾つかのフィールドレコーディングなどを編集した音、2つのスクリーン上に展開する日本語と英語による字幕。耳から聴く音、ナレーションや字幕から想像する「音」による「ポリフォニー/多声音楽」です。

ちなみに「協想」という発想はもともと第四章の際に提示した「独想」というアイデアに通じるものですが、今回は印刷されたテキスト譜ではなく、インスタレーション全体を「想像のためのスコア」として捉え、同じ空間に同じスコアからそれぞれの想像を働かせる複数の人達がいるという前提で書きました。そういう時間・空間でどういう意識のレイヤーが生まれるのか、協想はあり得るのか、という点に関心を持ちつつ作りました。もしかすると特に干渉しないのかもしれませんが、その場合でも「併想」の様な状態があり得るのかもしれません。

「想像の音」で言うと、作中の要素はいろいろな資料に基づいているので「B.S.ライマンが聴いたかもしれない音風景」と言えるものになっていると思うのですが、ある場面を編集している時に「ライマンが想像しただろう音」というのが「きこえた」瞬間があり、これまで追ってきた想像するサウンドスケープというレイヤーから、誰かの想像を想像するという、もうひとつ聴覚的に深化した感覚を得ました。その「音」も作品に含まれています。

展示の詳細は以下の通り、まだまだ会期はありますのでお時間ある際に是非ご覧下さい!

「他人の時間 - Time Of Others」展@東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/timeofothers.html
展示期間:4月11日ー6月28日

尚、「他人の時間」展は大阪の国立国際美術館、シンガポール美術館、クイーンズランド近代美術館に巡回しますが、展示中の作品は今のところ都現美とクイーンズランドのみで展示予定です。
関連イベントとして、8月8日に国立国際美術館でレクチャー・パフォーマンス「想像のための幾つかのスコア」を行う予定です。また詳細決まり次第掲載します。

......

group exhibition "Time Of Others"

I went back to Japan for a little while to install my recent work for the exhibition at MOT, The Museum of Contemporary Art Tokyo. I am presenting a work titled "THE WAY I HEAR, B.S.LYMAN, The 5th Movements Polyphony for Collective Imagination". It is based on the research I have been doing over the past 3 years about an American geologist/mine engineer who were hired by the Japanese government in late 19C and conducted an important geological survey. A continuous chapter from the one I exhibited in 2014; Score for solo imaginative listener. The new chapter consists of several narrations that you hear from wireless headphones, series of short Bilingual(EN/JP) texts on two screen, and edited field recordings and a few other sound. It is 2ch text-projection with stereo sound.

I named the piece as polyphony for "collective imagination" thinking that the installation would become sort of a "score" to inspire collective people in the exhibition space, inviting them into their own imaginary soundscape. I am curious how/whether their imaginations would resonate each other in the space or may be they would not? then becomes parallel imagination?

Speaking of imaginary hearing, I had a very interesting moment when I was editing one part of the text-film. I "heard" one sound that B.S.Lyman might have imagined. Based on different types of research, I am now able to imagine what was like to be there and what you might hear if you were there, but "imagining the imagination of other" was a new layer for me. I have tried to included this sound in the work.

The exhibition runs until the end of June, so if you are ever in Tokyo please visit and see/listen to the work!

"Time Of Others" @ The Museum of Contemporary Art Tokyo
http://www.mot-art-museum.jp/eng/exhibition/timeofothers.html
exhibition period: April 11th - June 28th
more about the exhibition > e-flux/announcement

* Although the exhibition will travel to 3 other museums, my installation is planned to be shown only in Tokyo and Brisbane. However, a lecture performance related to the work is going to take place in National Museum of Art Osaka on the 8th Aug!

-National Museum of Art, Osaka
25 July - 23 September 2015
*8th Aug - lecture performance "THE WAY I HEAR"

-Singapore Art Museum
November 19, 2015–February 28, 2016

-Queensland Art Gallery|Gallery of Modern Art, Brisbane
June 11–September 18, 2016

January 16, 2015

一時帰国中のイベントリスト!and this is the list of lecture+performances in Tokyo Jan-Feb 2015

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image: front cover of the flyer for the Tokyo performance

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1 -Jan 25th/Tokyo/Talk

下記の展示に関連したトークイベントにて、昨年にリニューアルオープンした庭園美術館に関する物語執筆まつわる話などを書籍の写真を担当された写真家の高橋マナミさんとします。

1月25日(日)17:00-18:30
『庭園美術館へようこそ 〜旧朝香宮邸をめぐる6つの物語』
出版記念 高橋マナミ写真展(2015.1/22 Thu. - 2/1Sun.)
場所:ユトレヒト
Web: http://utrecht.jp/?p=14132

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2 - Jan 27th / Tokyo/Lecture Performance

「THE WAY I HEAR / 想像のための幾つかのスコア」
オランダにて進めているリサーチプロジェクト紹介や「風を知る人」(フルート奏者:木埜下大祐)との共演など

場所
東京文化発信プロジェクトROOM302
東京都千代田区外神田6-11-14(3331 Arts Chiyoda 3F)
日程
2015年1月27日(火)19:00〜21:00(開場18:30)
無料(要予約)info-ap@bh-project.jp
件名を「レクチャー・パフォーマンス申し込み」とし、「お名前」「ご所属(ご職業)」「メールアドレス」「当日連絡先(携帯電話など)」をご記載のうえ、info-ap@bh-project.jpまでお申し込みください。席に余裕のある場合は当日も受け付けます。
詳細: http://www.bh-project.jp/search/tabid/62/pdid/756/Default.aspx

Venue: 3331 Arts Chiyoda 3F, ROO302,
Date: Jan 27th 2015, 19:00-21:00
Admission: Free but RSVP; email to "info-ap@bh-project.jp" write mamoru/lecture performance, your name, email, phone. Thank you! and looking forward to see you.>
No translation but part of the performance will be done and presented in Engilsh. There will be polyphonic performance with the wind player(flutist Daisuke Kinoshita).

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3 - Jan 31st / Tottori/Lecture Performance

「THE WAY I HEAR / 想像のための幾つかのスコア」
オランダですすめているリサーチ・プロジェクトの紹介、庭園美術館リニューアル記念書籍に書き下ろしたサウンドスケープ・テキストのことなど

場所
旧横田医院・Hospitale Project
日程
2015年1月31日(土)18:30-20:00
詳細:https://www.facebook.com/events/1396086280685450/?pnref=story

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4 - Feb 1st / Osaka/mini party + mini lecture

「想像のための持ち寄られる食べ物と飲み物とスコア」
ift流のミニパーティー(皆と食べたいもの飲みたいもの一品ずつ持ち寄ってシェアします)+近況報告などとレクチャーパフォーマンスの一部。

日時: 2月1日(日) 19:00 - 22:00
場所:project room ift(大阪市北区中津3-21-15)https://www.facebook.com/iftproject/timeline
会費:500円(会場の長屋運営のためのご寄付をお願いします)

soundartist77 at 19:15|この記事のURLComments(0)news | live performance