September 21, 2018

あの弾丸の行方と台湾先住民コレクション and the creativity of the indigenous people of Taiwan!

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台湾大学を訪れた。旧台北帝大(タイホクテイダイ)。現在、NTU又は台大と呼ばれる台湾における最高学府。

「これって・・・椰子の木を白樺に変えれば・・・」

と、思わず北大のキャンパスを思い出した。旧帝大というのがだいたいこういう明治風のレンガ造りの建物なのかもしれないが、キャンパスのレイアウトも含めて何かしらの既視感があった。北海道とのつながりを意識していたからかもしれない。

NTU内にある人類学博物館が訪問の目的だ。ひょっとすると金関・国分による採集物が展示されてはいないか、という一抹の期待と想定外の発見を求めて。

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画像:台湾大学人類学博物館にて

いまさら繰り返すまでもないかもしれないが展示を構成する先住民達のコレクションの主要な部分は日本人の研究者達の収集物による。そしていろいろな採集物を見ていくと1929年収蔵という文字が繰り返し現れる。係の人にその辺りを少し尋ねたところ、これはいったん1895-6年あたりに採集されたものが東京に持ち出され、その後台北帝大の文政学部のトップとなる移川子之蔵ら一部の日本人研究者が台湾に属するものだとして、台北帝大へと持ち帰り所蔵された年代だと言う。

展示品は保存状態もよく、どれも手がこんでいて、民芸品として見て欲しくなってしまう。どこかしらコロニアルにも思えるそんな気持ちに複雑な気分になりながら、個人的には幾つかの口琴に目が留まった。

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画像:台湾大学人類学博物館にて


民族楽器を見ていくと、口琴にはだいたい竹などの植物製のもの鉄を使った金属製のものと2別される場合がほとんどだが、このTrukuの口琴の様に素材が混じりまた複数弁のものは見たことがなかったので驚いた。(3,5,7音出せるものを見たことがあるが現在複数弁を使いこなせる人は知らないと後にTrukuの人にあった際に聞いた)

朝に訪れた中央研究院の人類学博物館を訪れた際には、散弾銃の薬莢のようなものを使ったSasyiatの腰飾りやPaiwanの古い日本の貨幣を使用したベルトや衣装などが個人的には示唆に富んでいて興味深かった。また隣の歴史博物館では折しも台湾の考古学史に触れた展示も行われているとのことで、そちらの展示では日本人研究者の名前が散見された。

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画像: 中央研究院民族研究所博物館にて

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画像: 中央研究院民族研究所博物館にて

1945年に卑南遺跡発掘を行った金関・国府の両名も台湾先住民文化に精通していて、先史時代を想像する手がかりとして、発掘されたもののみならず先住民の生活・文化・日用品などからも手がかりとする民族考古学系の研究者だった。

例えば彼らが発掘によって確認した住居跡の発掘現場に「(屋根瓦に用いられた様な)スレート(粘板岩)が見当たらない」ことから屋根は「茅葺きであったろう」という想像が展開される。この推測にはPaiwanの人達が当時使っていたスレートの瓦やAmisなどの家屋における茅葺きを想定しての記述だが、よくよく読むと非常に面白い。ある意味で私がイメージしていた考古学とは違っていたが、その本質を表しているようにも思える。

つまり土の中から「出てきたもの」だけではなく、「出てこなかったもの」からの両面で過去世界を想像する、ということだ。あり得たかもしれない、という想像。

鉄製品がないことから想像するそれ以前の世界。
頭蓋だけがみつからない墓から想像する首刈りという慣習。

卑南遺跡では楽器がみつかっていない、と聞いた。だとすれば楽器は植物で作っていたかもしれない、という推測がはじまるのかもしれない。あのTrukuの口琴のように多弁の口琴をあやつっていただろうか?草笛や葦、竹の筒を利用した素朴な笛などを有したかもしれない。Paiwanの人達が現在も大事にしている鼻笛という非常に繊細な楽器があるが、それに似た音色が卑南にも響いていたのかもしれない。

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