自分の時も含めてセンター試験の日は毎年のような気がするけれど、それは今年も例外ではなく、朝からしんしんと雪が降っていた。
受験生泣かせの雪。別にセンター試験は1月の何日って決まっているわけではないのに、どうしてこうもまた毎年狙ったように降るんだろう。
そんなことを思いながら、最近見た映画「男たちの大和/YAMATO」を思い出した。
1941年12月16日、今から60年以上前。
恐らく気温も今よりだいぶ低いであろう冬の日に「戦艦大和」は生まれた。
当時は“世界最大最強の不沈戦艦”が完成したとして、「こんなものが造れるんだから、日本はアメリカなんかに負ける筈がない」という風潮だったらしい。
しかしそんな思いとは裏腹に戦況は悪化していき、沖縄本土決戦を目の前にした1945年4月5日、遂に大和に“水上特攻作戦”(歴史的には“菊水一号作戦”として記録されている)が命ぜられてしまう。
戦闘機などの何の援護も無しに、大和一艦でただ敵陣に突っ込んでいく決死の作戦。
この映画では、その特攻作戦に臨む総勢3333人の大和乗組員たちの想いが力強く語られていた。
この映画の中で最も印象に残ったシーン。
それはこの作戦が特攻作戦であることを知らされ、水兵たちが上官である臼淵大尉に詰め寄るシーンだ。
「これじゃただの犬死じゃないですか!自分たちが死ぬ意味はあるのですか!?」
興奮して答えを求める水兵たちに向かって、これまで「武士道」や「死ニ方用意」について教えてきた臼淵大尉は、
「敗れなければ分からないことがある。もはや日本は、敗れて目覚めるしかない。我々はその先陣として死に行くのだ。」
と言った。
敗れて目覚めるしかない。
彼らは日本を敗れて目覚めさせ、生まれ変わらせるために死地へと赴いた。
確かに“失敗して初めて分かること”は世の中にたくさんあるかも知れないけれど、なんて大きな犠牲を払った“理解”だろう。
今まで「特攻作戦」とは軍の精神主義教育による半ば洗脳的なもので、一個人の意思や考えなど全くないものだと思っていた。
でも、実際にはひとりひとりの、この大和だけでも3000以上の“日本を生まれ変わらせる”という強い意志が込められている。
今の平和な世の中は、そんな彼らの想いの上に成り立っているんだと再認識した。
「戦争はしてはいけないもの」と小さい頃から漠然と教えられ、常識的なこととして考えてきたけど、今回初めて人物の細かい描写にまでこだわったエピソードを見た。
具体的なレベルで心からそう感じたのも、初めてのことかも知れない。
もうひとつ思うのは、これがたった60年前の出来事ということ。
60年前にはこういったことがごく当たり前に行われていたということだ。
平和な社会の中で今こうやって映画を見たり、その感想をインターネット上で書くことができるのも、彼らの命を賭した”日本を生まれ変わらせる”という想いの上に存在しているもの。
これから日本を支えていくであろう自分たちにとって、これは心の隅に常に置いておかなければいけないことだと思う。
今から20年前の夏、北緯30度43分・東経128度04分(公式大和沈没地点)、345mの深海底から大和の一部が初めて引き上げられた。
当時は大きく取り上げられたニュースだったらしいけど、その時6歳くらいだった自分にもちろん記憶はない。
その後も引き上げ作業はずっと続いているようで、何年か前に「また一部が引き上げられた」というニュースを見た記憶があるけれども、その時も別に気に留めることはなかった。
でももし今後、再び大和の残骸が引き上げられることがあったら、その時は10秒でも手を合わせて黙祷し、先人たちに祈ろうと思う。
広島の呉市には、撮影で用いられた実物大の戦艦大和が展示されているとのこと。
同市にあるという「大和ミュージアム」と合わせて、近いうちに足を運んでみたい。