ソウルカメラのblog

新世界へのスピリチュアルな旅をサポートするチャネリング・メッセージ翻訳サイト

ソウルカメラへのご連絡は、sourukamera@yahoo.co.jp まで。


こんばんは、読者の皆さん、ソウルカメラです。

新シリーズを設けることにしましたが、新シリーズのタイトルは「Not Thinking, Nothing King (無思考・無の王)」。このシリーズのコンセプトは、そのタイトル通りです。つまりコンセプトはないです(笑)。あえていえば、「ソウルカメラの栞」が名前を変えただけといえます。

さて今回は、「是非皆さんとシェアしたい」と強く思った、他のブログからの記事の紹介です。
私がよく読むブログ「Planet from Nebula」さんからの転載で、バシャールの言葉です。今回これを何故ご紹介するかといいますと、少し前に、読者のkekoさんとのコメント欄でのやりとりで、「最近は『どちらでもいい』の意識になっている」という話がありましたが、まさにそのことを、バシャールが説明してくれているからなのです。
以下、「Planet from Nebula」
バシャール:望みに対する姿勢 より引用


貴方の望みをスピーディーに叶えるには、『望みが叶わなくても構わない』という意識でいる事がコツとなる事を知ってくださいとバシャールは話しています。つまりどちらに転んでも自分はハッピーです、という意識でいる事で、両方の波動バランスを上手にとる事ができます。すなわち、貴方自身が望みに対してニュートラルでいるので、宇宙からやってくる波動を抵抗なく受け取る事ができるようになる事を意味しています。

 

また『望みが叶わなくても構わない』という意識は、新しくやってくる波動に敏感になる事ができます。貴方の意識はリラックスして新しい波動を受け止める準備が整っています。真っ直ぐ見つめる貴方の視野は、大きく広がりを持って全体をまんべんなく見渡せるようになるので、微妙なエネルギーも決して見逃す事はありません。どちらにワクワクがあるのか、どこに行けばインスピレーションが貰えるのか、どのタイミングでどう動くのか、『直感』を通して貴方の心に訴えてくれます。

 

『望みが叶わなくても構わない』という意識は、望みに対して”どうでもいい”という意味ではありません。『望みが叶わなくても構わない』という意識は、”宇宙を信じてお任せします”、つまり執着心を取り払って抵抗波動を無くして受け止める、という意味を持っているのです。



タイムリーなメッセージです
今回は以上です。

愛を込めて、ソウルカメラ

こんにちは、読者の皆さん、ソウルカメラです。


連載中の「ソウル・インタヴュー」も、前回7月23日の第七回をもって、一応の一区切りのようです。


ところで、私はあまりメモやノートを取らない人なのです。若い頃に参加したスピリチュアルなセミナーや講義においても、ノートやメモはあまり取らないタイプでした。これは単に、私が無精だからというのもあります(笑)

そんな私でも、全くメモやノートを取らないというのではありません。先日、部屋をお掃除した折に、何も書かないうちに表紙が取れてボロボロのメモ帳に、汚い走り書きで書いたメモを見つけました。三か月ほど前に、このブログを再開するにあたって、記事のテーマを、閃きのままにメモッたもののようです。

時として、長い文章よりも、言葉の断片のようなもののほうが、ダイレクトに読者の潜在意識に共鳴する場合もあります。そう思いましたので、今回はそれをそのまま公開します。




●「ソウルカメラのブログ」コンセプト
●対話形式シリーズ
●インタヴュー・シリーズ
●アヌンナキ
●ポジティブ・シンキング(ノー・シンキング)
●スピリチュアル
●宗教
●幻想/イリュージョン(二元性)
●生命
●ソウルカメラのこと

☆起こることを受け入れる
☆全ては完璧(近視眼的には分からないこともある)
☆新しいパラダイム、生命としての
☆エゴ

●変化・流れ
●ワクワク
●自立
●自己肯定
●シバイ(我が道を行く)
●楽な道が自分の道
●ソウルカメラの個人的なお話

●あらゆる情報の違い。整合性。矛盾。
●「A」も「B」も
●何故、二つの相反する情報が?
●「中心」が「自分」だから。

●ならず者
●ノン・カテゴリー人間
●今までにないもの
●ニューマン
●全く新しいもの
●どこにも前例がない

●「外」に出て、「中」が見える。わかる。
●「この世」の落伍者(アウトサイダー)
●幻想ゲームのプレイヤー=インサイダー
●アウトサイダー(ならず者)

●「私」=「人類}
●「私(個体)」の成長のプロセス=「人類」の成長のプロセス(意識 拡大)



以上、項目が●であったり☆であったりするのは、たいした意味はありません。あくまで「メモ」ですので、自分にしかわからない言葉の断片ではありますが、何か「ヒント・示唆」を伝えることができると思い、公開するものです。

愛を込めて。
ソウルカメラ

このブログの親愛なる読者の皆さん、こんにちは。いつもご愛読くださって、ありがとうございます。ここであらためて、皆さんに感謝いたします。ところで、今日7月23日は、私が50歳の誕生日を迎えてちょうど7日目。私は「7」という数字に縁があるようです。生年月日の1967年7月16日というのも、数秘術でみますと

1967年=1+9+6=16(ここで、1+6)=7 +7=14(7の倍数)
   7月=7
  16日=1+6=7      「7」が頻出します。

ソウルカメラの本名は、漢字で3文字、ひらがなで「7文字」の名前です。

そして、今年2017年というのは

2017=2+0+1+7=10=(二桁の数字は足して一桁にします)1+0=1

数字の1は、「始まり」の数字でもあります。今年2017年は何かの「始まり」の年。「宇宙元年」という情報もあります。そして、上の私の生年月日の数秘術は、正確には

1967年→1+9+6+7=23=2+3=5
 7月16日→7+16=23=2+3=5 

5+5=10=1+0=1

という計算になり、私の誕生数は「1」ということになります。西暦の2017年が数秘術で換算すると「1」で、私の誕生数と合致する年。というのは、実は今このブログを書きながら気づいたことです(笑)。「で、それが?」という話ではありますが、今日はここに、「23」という数字が出てきます。今日は「23」日。「23」という数字は、ちょっとオカルトな話になりますが、「特殊かつ特別な重要性を持つ数字」といわれ、この思想を「23エニグマ」といいます。検索すると、「23の不思議」の例が出てくると思います。例えば、歴史上の災害や事故に「23」という数字が頻出する。その日が23日だったり、発生時間が23時だったり、犠牲者が23人、という具合です。私は数年前、一時この「23エニグマ」に嵌って、いろいろ調べたことがありました。中には無理なこじつけも多いといわれています。が、その理由は解明されていませんが、どうも「23エニグマ(23の謎)」というのは、確かに存在するようなのです。そういうのに嵌りすぎると際限がないので、今はもう私は「23エニグマ」の研究をやめていますが、嵌っていた当時、ふと自分の生年月日が「23+23」(1967=23 7+16=23)なのに気づいて、唖然とした憶えがあります(笑)。

「23」は、「脱皮・断線・断絶」を意味する数字であるといいます。災害に関係するばかりでなく、ポジティブな意味で捉えることもできる数字なのです。「古い世界との断絶」、「新しい自分への脱皮」、など。

そして今日は「7」月の「23」日。
この日に「7」回目の「ソウル・インタヴュー」になることに、偶然以上のものを感じています。
実は、いつも休日に執筆するこの「ソウル・インタヴュー」、今回はお休みするつもりなのでしたが、今日、お目覚め前に、不思議な夢を見たことから、急きょ執筆の運びとなりました。それでは、どうぞ!




インタヴューア「ソウルカメラさんは、『夢』というものに非常に興味をお持ちであると伺いましたが」

ソウルカメラ「はい、夜見るあの『夢』ですね。私の若いころからのライフワークであるといっても良いくらい、『夢』は私のスピリチュアルな関心対象なんです」

イ「『夢』とは一体なんであるのか、と」

ソ「ええ、そうですね。これについては、また回をあらためて論じたいと思います。ところで、今日目覚める直前に、久しぶりに明快で不思議な夢を見まして」

イ「ほう!」

ソ「夢をあまり見ないという人もいますが、私は頻繁に、それこそ毎晩のように夢を見る方でして。多くは、目覚めてから現実の言語にして伝えるのは不可能なほど、不可思議で荒唐無稽なものです。が、めったにありませんが、目覚めてからも言語にして伝えることができるほどに明快な夢を見る時があります。そういう夢は、なにがしかの重要なメッセージを伝えている夢である場合があるといいます。今朝見た夢が、そうでした」

イ「お聞かせ願えますか?」

ソ「その夢は、こうです。私は現在の団地の自分の部屋か、三年前に引っ越す前に住んでいたマンションの部屋にいます。その二つが合わさったような部屋なのです。顔は見えませんが、部屋には私の背後にパートナーもいるようです。私は大掃除か整理をするつもりなのでしょう、押し入れの引き戸を開けます。すると二段式の押し入れの二階部分に、積み上げた書籍やCDに埋もれて、黒い犬が四つん這いに寝そべっています。戸を開けた瞬間にその犬が手前にいるので、私は驚きます」

イ「その犬は三年前に他界した、ソウルカメラさんの愛犬のラッキーではない?」

ソ「ええ、ラッキーは黒犬ではありませんから、ラッキーではありません。それは見慣れない黒犬なのです。黒犬といってもドーベルマンのような犬ではなく、もっとコロッとしてふさふさした毛の、形は秋田犬とか紀州犬のような、黒犬です。その犬は、10年間、その押し入れにじっとしていたのです。食事も散歩も排便もせずに、ひたすら十年間、そこにじっとうずくまっていたのです」

イ「そのことがソウルカメラさんにわかったということですか?」

ソ「そうです。何故か瞬時に、具体的に『十年間』とか、わかったのです。同時に私は、そのことに驚愕しながらも、変に感心したり、納得したりします。現実には、十年間も食事も排便もせずに押し入れに閉じこもったまま生きている犬など、あり得ません。しかし、これが『夢』の不可思議で面白いところなのですが、私は驚きながらも、その犬に対して、『十年間そこにじっとしてたのか!食事も排便もせずに、吠えもせずに、じっとうずくまって!凄いな!』と、それを『あり得ること』と納得しているのです。そして、十年間もその黒犬に気づかずに押し入れに放置していたことに、罪悪感を感じたのは一瞬だけで、それよりなにより、一刻も早くその犬を『救出』しなくては、という意識が先でした。その犬は、当たり前ですが、弱っていたからです」

イ「当然でしょうね。『現実』であれば、とっくに死んでいるでしょうが。というより、あり得ませんが。とにかくその黒犬は、弱ってはいるが、生きていた、と」

ソ「ええ。私はあわてて、秋田犬のような随分大きな体躯をしたその黒犬を抱き上げ、押し入れから出してあげます。そして、床に置きます。先ずは『介抱』せねばなりません。私はそうするのがいかにも自然であるかのように、黒犬の背中を押します」

イ「とりあえずそうするのが『介抱』であると」

ソ「そういったところが『夢』の奇妙奇天烈で可笑しいところなんですが、私は何ら迷うことなく、弱っている黒犬の背中をぐいぐいと押すのです。何故かそうすることがこの犬を救う必要な『介抱』だと、知ってるんですね。すると」

イ「すると?」

ソ「すると、黒犬は大量の排便をします。つまり私は、黒犬の『十年間溜まっていた糞便』を、出してあげるのです」

イ「なるほど」

ソ「私は犬の背中を押す作業をしつづけながら、傍らにいるパートナーに説明しています。『ほら、十年分のウンこがどんどん出るよ。この犬はこのウンコでこんなに大きくなってたんだよ』と。見るといつの間にか、あれほどの巨体だった犬が、小さな子犬になっています。子犬は再生したように元気そうです」

イ「つまり、黒犬は、十年分のウンコで巨大化していたと。それを排出したので、体が小さくなったと。正体は『子犬』であったと」

ソ「黒犬はもともと子犬であったというより、排便により、全く『新しい犬』に再生した、という感じです」

イ「なるほど」

ソ「この『救命措置』により、大量のウンコが排出されたわけですが、床の上には、『十年分』にしては少ないながらも、犬を巨大化させていた分の相当量のウンコがあります。大根のような大きさと形のウンコが、4~5本と、ナスビ大のが数本です。ウンコと、佇んでいる子犬を交互に見て、『ふう、助かったな』と私は安堵し、そして目覚めました」

イ「『悪夢』でしたか? ネガティブな印象?」

ソ「ネガティブな印象は全然ありませんでした。『悪夢』ではありません。しかし、夢の内容は荒唐無稽ではありますが、ちゃんと『筋』があって、しかも舞台が現実の自室である(完全に同じではありませんが)というのは、気になります。私は起床してすぐ、ネットで『夢占い』を調べました」

イ「『犬の夢』にはどんな意味があるか、ですね」

ソ「そうです。先ず、夢に出てくる犬は、『身近な存在』が犬に姿を変えて出てくる場合があると。そして多くは、その存在との『関係性』に関する警告、あるいはメッセージであると」

イ「う~む、なるほど」

ソ「さらに、『白犬』か『黒犬』かで、意味が異なると。『白犬』の場合、主にそれは『ポジティブ』なお知らせである。例えば恋人の出現であったりとか。反対に『黒犬』である場合は、あまり良い意味ではなさそうなのです。身内とか、あるいは本人の、『健康上の警告』である場合があると」

イ「おだやかでありませんね」

ソ「ええ、『黒犬』でしたからね。そこで私は、先ず私の身内の誰か、あるいは私自身の、健康上の警告である可能性を考えました。例えばそれは、パートナーのことなのか。遠方にいる父親のことなのか。あるいは私自身が、『十年間押し入れに気づかずに放っておいた』ような病気が発病するという警告なのか。ちょっと不安になった私は、それから、さらなるこの夢の解釈のカギを得たいと思い、色々な『夢占い』のサイトを一通りまわって、手がかりを集めました。すると、さらに多くのことが、わかってきました」

イ「ほう」

ソ「先ず、夢というのは、出現するメタファーがなんであれ、その夢が『ネガティブ』な印象か『ポジティブ』な印象かで、全く意味が違ってくるのだとわかりました。私のは、どちらかといえば『不吉』を暗示する『黒犬』ではありましたが、全然『ネガティブ』な印象の夢ではなかった。そしてその他のキーは、『動物を助ける夢』『糞便の夢』、ということになります」

イ「なるほど」

ソ「その動物がなんであれ、夢の中で自分が動物を助ける場合、それが何を意味するのか、サイトによって全く異なる解釈がありました。犬か猫かでも違ってくるようです。弱っている、あるいはケガをしている犬を自分が助ける夢というのは、『自分に自信がない。自分を過小評価しすぎている』場合に見るそうです」

イ「ん~む」

ソ「これは、ある程度『そうかもしれない』と、心当たりはあります」

イ「なるほど」

ソ「また別の解釈もあります。弱っている犬を助ける夢というのは、『それだけ周囲に気配りをしている』、あるいはそうするだけの余力を、自分が持っている、ということだと」

イ「ン~ん、なるほど。で、どちらの解釈を?」

ソ「夢というのは、複合的な意味を、単純なメタファーにしてメッセージしてくれるものなのです。ですから、どちらの解釈も、適用されます」

イ「『ウンコ』の方は、どうですか?」

ソ「『糞便』の夢は、吉兆だそうなのです」

イ「ほう!」

ソ「夢に出て来るウンコつまり糞便は、『お金』のメタファーであるらしいのです。しかしこれも、その印象がネガかポジで、異なるといいます。私の夢に今回出てきたのは、大根並みの大きさの複数の巨大なウンコではありましたが、それは不潔なネガティブな印象は全くなく、むしろ爽快感を伴うポジティブな印象でした」

イ「瀕死の犬が排便により生き返った、という夢ですからね」

ソ「ですから、たとえ『黒犬』が『身内あるいは本人の健康上の重大な警告』のメタファーであるにしても、それが適切な措置により助かった、と解釈します」

イ「でしょうね」

ソ「私は最初まず、私のパートナーの健康に気をつけなさい、という夢である可能性を疑いましたが、夢に出てくる犬は、『男性性』のメタファーであるといいます。ですから私は思い直しました。『黒犬』は、私自身であると」

イ「なるほど。だから、押し入れにいた黒犬に『驚愕』はしても、何故か『納得』する部分もあり、介抱の仕方もすぐわかったと。何故なら、黒犬はソウルカメラさん自身ですから」

ソ「そういうことです。では、この夢の解釈にいきましょう。解釈は複数の意味が可能でも、最終的にインスピレーションとして降りてきた解釈は、こうです。先ず、『その黒犬は誰にも気づかれずに十年間押し入れに閉じ込められていた』ということです。夢の中で具体的な『数字』が出てくることは、私の場合珍しい。ですからこの『十年間』というのは、必ず現実における意味がある筈です。それから、その犬は吠えて救出を訴えるでもなく、息絶えるでもなく、ひたすらじっと黙ったまま、私が押し入れを開けて気づいてくれるのを待っていた。『犬』は、『忠誠心』の象徴であるともいいます。私自身にも、そういった、ある意味『クソ真面目』な部分があります。次に、押し入れを開けた瞬間そこにいた犬を見て、すぐに『どういった状況なのか』がわかった。黒犬が私自身であるからにほかなりません。そして、十年間も気づかずに押し入れに犬を放置していたという、ある意味動物虐待も甚だしい自分の不手際を自覚するも、罪悪感はほんの一瞬だけで、むしろ『驚き』が優先していた。これは、その状況が私の『故意』による不手際ではないこと、むしろ、自分でも気づかずにそのような状況になっていたことを表します。そして、それほどの目にあいながらも、犬は黙って、弱りながらも生きながらえていた。この『黒犬』は、私の『本性』のメタファーです。『本当の私自身』を、私はこの約十年間、どうも『押し入れに閉じ込めて』いた。自分でも気が付かぬままに。しかし、『捨てた』あるいは『殺した』のではなく、『押し入れに入れていた』、つまり『一時的にしまっていた』というところがミソです。何かこの約十年間の現実を生きる上で、便宜上『本当の自分』を意図的に、しかし自分でも気づかずに(矛盾するようですが)、『押し入れに閉じ込めていた』、ということです」

イ「それが、ソウルカメラさん曰く『変化と変容の年』であるこの2017年に、『発見』され、『介抱』され、『救出』された、というわけですね」

ソ「そう、その通りです。しかも、この夢を見たのは、今日7月23日。私が50歳の誕生日を迎えて『七日目』のことであり、『23』、つまり『脱皮』を意味する数字の日であったわけです」

イ「興味深い符号ですね」

ソ「そして、この夢のもう一つの重要なメタファーである、『ウンコ』です。『脱皮』ならぬ『脱糞』ではありますが、それはさておき、前述したように、夢に出てくるウンコは、『お金』を意味します。つまりこれは、『吉兆』です。『黒犬』は『凶』を表すも、それは当然といえます。『本当の私』が、瀕死の状態であったことを表すのですから。しかしそれは生きながらえていた。そしてそれは『救出』された。その結果、黒犬は『ウンコ』を大量に排せつした。さあ、この夢の最終解釈、あるいはメッセージは、こうです。私は、『本当の私自身』を生きることにより、経済的にも潤っていくことになる、しかもそれは、ビックリするほどの『巨大なウンコ』のような、豊かさであると」

イ「これは、『宣言』つまり、『アファメーション』でもありますね」

ソ「その通りです。『でもこれって、都合の良い解釈では』という、ありがちな『躊躇』こそ、封印されるべきものです。『本当の私』は、救出されたのです。これからは、豊かになるのです。いえ、現在、豊かであるのです。『お金』はあまりなくとも」

イ「『豊かさ』は、先ず『内面の豊かさ』が先にありきで、『お金』はそれに付随してくるものである、といいますからね」

ソ「その通りです。私は豊かです。私は幸せです」

イ「瀕死の巨大な黒犬を介抱したら、大量の『ウンコ』(お金)を生み出した(脱糞した)。そして、ピンピンの元気な子犬に変身した(脱皮した)。素晴らしい『吉夢』ですね」

ソ「ええ、これは、『吉夢』です。そして、読者の皆様へのメッセージでもあります。『本当の豊かさとは、本当の自分を取り戻したときに、自然と付随してくる、私たち自身誰もが例外なく持つ、生得の権利であるのです』」

イ「ありがとうございました」


ソ「ありがとうございました」










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