「Be」と「Do」その3~芋虫は自分が蝶になることを知っているか?
知らない、と思うんですよね。
(今回は文体がいつもと違うぞw)
つまり何が言いたいかと申しますと、「自分」が、「相手」が、「何者である」、あるいは「何者になる」かも分からない(未知数である)のに、「変えよう」(相手を、自分を)とすることは、ナンセンスである、ということなのです。
「変える」のではなく、「変わる」のです。
自分に対しても、相手(他人)に対しても、謙虚であるべきなんですね。
そのためには、先ず「自分を丸ごと受け入れる」ことなんです。
丸ごと自分を受け入れるというのは、時として「傲慢になる」自分すらも、許して受け入れる、ということです。「自分のすべて」を許して受け入れる、ということです。
それから、「相手」や「他人」を許して受け入れることができます。
とても相手を受け入れることなどできない、という自分をも受け入れること。
つまりこれは、「幻想」を受け入れる、ということになります。
私たち全員で同意して作った「幻想」。
自分が作ったものなのですから、裁かずに受け入れること。
「幻想」は、受け入れることによって、消えてゆきます。
さて、今回もまた、Mさんとのメールのやり取りで、ブログで発信すべきメッセージが出てきてしまいましたので、転載します。
Mさんからの、
「最近、思考もどんどん変わるというか、すぐ過去になって、まとまらないよね
」
という話を受けて、以下私が返信したものをそのまま載せます。
というわけで、記事ネタにしました(笑)
今回も記事のインスピレーションをくださったMさんに、感謝です。
(今回は文体がいつもと違うぞw)
つまり何が言いたいかと申しますと、「自分」が、「相手」が、「何者である」、あるいは「何者になる」かも分からない(未知数である)のに、「変えよう」(相手を、自分を)とすることは、ナンセンスである、ということなのです。
「変える」のではなく、「変わる」のです。
自分に対しても、相手(他人)に対しても、謙虚であるべきなんですね。
そのためには、先ず「自分を丸ごと受け入れる」ことなんです。
丸ごと自分を受け入れるというのは、時として「傲慢になる」自分すらも、許して受け入れる、ということです。「自分のすべて」を許して受け入れる、ということです。
それから、「相手」や「他人」を許して受け入れることができます。
とても相手を受け入れることなどできない、という自分をも受け入れること。
つまりこれは、「幻想」を受け入れる、ということになります。
私たち全員で同意して作った「幻想」。
自分が作ったものなのですから、裁かずに受け入れること。
「幻想」は、受け入れることによって、消えてゆきます。
さて、今回もまた、Mさんとのメールのやり取りで、ブログで発信すべきメッセージが出てきてしまいましたので、転載します。
Mさんからの、
「最近、思考もどんどん変わるというか、すぐ過去になって、まとまらないよね

という話を受けて、以下私が返信したものをそのまま載せます。
そう、思考も毎秒かわりますよね
それで良いんです
三次元はコントラストの世界ですから、「これだ」と思うと、その逆もしかりな情報が目について、つまりコインの裏表で「一つ」ですから、片面にフォーカスしたらもう片面にもフォーカスすることになるという、一見「矛盾」した両方をどう「統合」するか、がカギなんですけど、これ、私は長い間これに取り組んだ結果出した結論が、「統合しようとしなくてよい」
そしてこれも矛盾してるようですが、「統合しようとしない」ことが「統合」なんです(笑)
「あるようにあらせる」
Let It Be
ですね。
「犬と猫、どっちが猫なんだろう」ではなく、犬は犬であり、猫は猫であるという。
バシャール曰く、「最大の矛盾が目の前に現れた時、真理に最も近づいた時です」と。
「自分」がAでもありBでもある「全体」なので、外にはAとBが現れるというわけです。そのどちらも「自分」なんです。
またバシャール曰く
「『AかBか』ではなく、『AもBも』なのです」と。
具体的に言うと、現在執筆中の「BEとDO」でBEの重要性をテーマに書き出した途端、本当にその途端、DOの重要性を言うメッセージを目にする、という具合(笑)Mさんはこれを理解してくださると思いますが(笑)
ですから、私は、「矛盾したことを言う」人しか、信用しないのです。あるときはAあるときはBと。AとBで「一つ」なんですが、この第三次元は時間と空間がある次元なので、「一つ」の両面を表現するのに、時間差があることになるわけです。
私が記事を書くことに詰まってお休みしていたのは、それが理由の一つでもありました。自分のなかでAとBが同時に出てきたら、「書く」ことは出来ない(笑)相殺されて、「0」になっちゃうので
わあ、これもまた記事ネタみたいな(笑)
というわけで、記事ネタにしました(笑)
今回も記事のインスピレーションをくださったMさんに、感謝です。
「BE」と「DO」その2
読者のMさんとのメールのやり取りで、またしても「記事執筆ゾーン」に入ってしまいましたので、Mさんからご承諾いただいた上で、個人間メールのプライヴェートな部分を削除編集して、転載させていただきました。
「BE」と「DO」をテーマに現在連載中の記事ですが、私自身が常に変化しているので、前回の記事から表面上繋がりがない今回の内容にワープしてますが、深いところで繋がっています。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
Mさんからのメール
----- Original Message -----
From:
To: sourukamera@yahoo.co.jp
Date: 2018/8/26, Sun 12:17
Subject: M
こんにちは
毎度、覚え書きのようなメールですので
さら~っと
8月もあっという間ですが、今年の夏は色々な出会いもあり、ソウルカメラさんや、彼との話のお陰で、
葛藤として学ぶことがどんどんなくなり、過ぎ去って行きます、感謝
18日以降、私の自分との一体感状態が増え、
郷愁の念と入り混ざった幸福感のようなものが込み上げます?包まれます?
そして、先日、私が太鼓の音が好きで~の話から、彼はギターとドラムの仕事もしていた為、二人でテーブルを指で叩きながら教えてくれたのが、、
自分が体の中心に居ないと駄目だからね、体の中心からじゃないと音はズレるんだ、
最初はごまかせても、ズレていっちゃうからね、、と
私はその話とても印象に残り
私はいつもここで微笑んでいよう
約束だから
銀河の中心を教えてくれた○○に
とチャネル?状態になりました。
以下、私からMさんへの返信です
いやあ、この夏は異常酷暑、Mさんとの交流と、例年には明らかになかった変化と前進の楽しい夏で、思いで深い記念碑的な夏となることでしょう^^
太鼓の音、私も大好きなんです!私は幼少のころから、教室や自宅で常に手と指でリズムをとっている子供で、本当はドラマーになるのが夢だったんです。
和太鼓でもドラムセットでもボンゴでも、なんでも打楽器の響きに魂が本能的に揺さぶられます。アフリカンリズムな音楽が大好き!
ですから彼氏さんのお話、すごくよくわかります!
そして、「自分が体の中心にいないとだめ」
彼氏さんは、スピマスターですか?(笑)スピの極意でしょこれ。
そして、「自分が体の中心にいる」ということは、「『自分』(というマインド、エゴ)は空っぽである」と同義なんです!
この状態の場所から自分が「なす(DO)」ことは、全て「BE(ただある)」ことと、矛盾がない状態なのです。何故なら、「行為」が「存在」と一体化していますから、そこには分裂や分離がないからです。
ですから、「BE」であることと「DO」であることの違いとは、単純に「何もしないこと」と「何かを行為すること」の違いというわけでは、ありません。
多くの「スピな人」の初心者が間違えやすいのは、「BE」であることすら「DO」の領域から「行って」しまうことです(笑)
マスター(達人)とは、その人が「何を行っても」それが「BE」である状態の人のことです。
「存在(BE)」が全き統一で「一つ」となっている者(自分が体の中心にある人、自分が空っぽの人)の言動は、何であれ、たとえそれが表面上、人間的尺度の悪にみえるとしても、「全(禅、善、然)」であるのです。
「存在」が分裂している者(自分が体の中心にない人、自分の中が複数の「自我」で混乱している人)の言動は、何であれ、たとえそれが表面上、人間的尺度の善にみえるとしても、その思考、行為は「灰汁(あく)」を残して(悪を残して)しまう、というわけです。
世界の混乱、厳しい表現で言いますと人類自滅の危機は、「BE」を疎かにしたまま「DO」の爆撃合戦を仕掛け合う「内部が複数の自我で分裂した状態の人間たち」がもたらしてきたものであり、たった今、方向転換、意識転換が「深刻な」急務となりつつあることなのです。
「DO」と「DO」の応酬は、常に「DODO巡り」にいたるだけなのです。これは、国家間の関係から、一対一の個人の関係性まで、全く一緒ですね^^
「幻想」の世界の中で、自分が「負ける」「消える」「死ぬ」と恐れを抱いている人たちが、なんとか「自分は生き残ろう」と画策して、懸命の「DO」を先制攻撃で仕掛け合ってきた結果、「自分も自滅してしまう」危機に自分自身をもたらした、というのが、現状の地球世界です。犬猫やゴリラなど他の人間以外の動物たちは、この人類の姿を見て、「バカ」だと思っています(笑)
書いているうち、「記事」になってしまいましたので(笑)、このメールのやり取りを編集、部分削除したうえでの転載許可を、お願いします
Mさん、今回も感謝です!