ソウルカメラの栞〜自己否定 その3〜アドルフ・ヒットラー



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こんにちは、読者の皆さん、ソウルカメラです。

「自己否定」をテーマにシリーズでお届けしていますが、前回のイエス・キリストに続いて、今日はヒットラー に関する考察を皆さんと共有したいと思います。

実は、こうした考察をまとめようとすると、私は常に物事の「多面的」な側面が同時に意識に入って来るので、筆をすすめるのに難儀します。例えばイエス・キリストの存在の由来についても、前回の私の考察は人類史や地球史における彼の存在理由の具体的な解説を意図したものではなく、「カルマ・バランス」において彼が果たしたエネルギー的な働きについての言及でした。例えば、「人類は神によって創造された」というのは真実ですが、現在の私達が第三次元密度においてその魂を収めている「乗り物」すなわち「肉体」は、「神が、同じく自身の創造物である他の宇宙存在を通して、科学的に創造した」というのも、真実です。後者が「具体的」ですが、どちらも「神が創造した」ということになります。これが私が言う物事の「多面的」な側面です。イエスが地球にやってきた由来をより具体的に説明している、JUNさんによる「宇宙人ティアランさんからの励ましのメッセージ」は、非常に面白いものです。これは、こうしたこと全般に対する私自身の長年の研究ともおおまか一致するもので、これをここまで簡単に説明しているのはある意味驚異的です。「サイエンス・エンターティナー」の飛鳥昭雄氏が同じようなネタをそれぞれ小分けで小出しにしつつしている間に、たった一つのメッセージでまとめちゃってます。

ですが、いずれにせよこうした史実は、あくまで「時間軸」の中で創造がどのように展開されたかという、創造の一側面を解説するものです。例えていえば、こうした史実は事実であるかも知れなくとも(私自身は大いに一考に値する説であると思います)、いわばカレーライスを料理したのは誰であるとか、その作り方のプロセスを解説しています。これはこれで、知るべき非常に大切な事実です。ですが、その材料となる野菜や、もっというと、「カレーライスという概念」が先にあります。いうまでもなく、全ての「概念(イデア)」は、「神・創造主」に由来するものです。「時間軸」がある「幻想」内の物理学で考えるから、「ビッグバンはいつ起こったのか」とか、同じく「空間」概念があるから、「ビッグバンはどこで起こったのか、その前には何があったのか」とかいう、絶対に答えの出ない疑問があるのです。次回の栞は、このことについて書く予定です。

さて、ヒットラーは簡単に言うと、イエスに対して人類が負うカルマ(罰ではありません)という、エネルギー・バランスの偏りを是正しにきたソウルであることに、言及しました。よって、イエスとヒットラーは「同一の存在の二側面」とは言わないまでも、「兄弟関係」にあるくらいの可能性はあるのです。あとは、もうそれほどの説明はいらないでしょう。両者に「ユダヤ民族」が大きく関わっている事でも、そのことは明白であると思います。「陰謀論的」な視点からの細かいことは、この場合関係ありません。現在は、2000年の苦しいカルマ返済(ヒットラーによって加速された)によって「イスラエル」を建国したユダヤ民族が、「パレスティナ民族」との間に新たなカルマを創造して、またしてもカルマの堂々巡りに入ってしまうか否かの瀬戸際にあります。

どんな民族間の対立でも、個人的な対立でも、「カルマの解消」は、「過去」を笑い飛ばして、今すぐ対立する者同士お互いが許し合い、そしてお互いが協力し合って新しい世界を共同創造していくことでしか、解決はあり得ません。それが「現実的」で「生産的」な道であり、それが「人類」が生き残る唯一の道なので、人類はそうすることでしょう。またこの動きには、「日本」が大いに関係するのですが、ここではそのことについては詳述しません。

ヒトラーとイエスに関してあと二三言及します。

イエスのような存在は、その内にヒットラーを擁しており、ヒットラーのような存在もまた、その内にイエスを擁しています。前々回、「この二つのエネルギーは同じである」と書いたのがそのことです。
このことについても、このブログの読者の方々には、説明は不要だと思います。

「自分の中に内なるヒットラーを持つ人、その人をこそ、私はマスターと呼ぶ」
オショー・ラジニーシ

「創造」するエネルギーを持つものには、「破壊」するエネルギーがあります。

「大量殺戮」するだけのエネルギーを持つあなたは、「大量救済」のベクトルにそのエネルギーを向けてください。

さて、「自己否定」のテーマにそろそろ収束しましょう。

イエスが十字架にかかった姿は、実は人類の姿だったのです。
人類が自己を否定している、「本当の自分」を殺して磔にしている、その「人類の己の姿」を、鏡になって映し出したのが、イエスの磔のスピリチュアルな意味です。

イエスの復活、再来とは、「あなた」の「本当の自分」の復活のことです。

「救世主」は「あなた自身」です。

イエスを十字架から降ろして上げましょう。

いつまでも「彼」を十字架に磔にしたまま、一向下ろしてあげる気配のない「教会」の正体は、これで明白かと思います。

「キリスト信者よ改心なされよ、イエスを十字架に磔にしたのはそなたらであるぞ」
「日月神示」より

「オリオンの高等評議会」が言うように、実は「広々とした光景にヒントと答があります」ということの、これも一例です。

しかし、ヴァチカンに限らず、他の闇の宗教組織も陰謀組織も、正体が分かったからといって、それを攻撃して潰そうとする必要はありません。それをやったら、また新たなカルマが造られてしまいます。
「悪抱き参らせる」「悪を許す」ということを、ともすれば「悪を容認する」と捉えて、「とんでもない」と勘違いしている人がいますが、「悪を抱き参らせる」ことが、「悪が消える」最も現実的な戦略であることに気付いていないのです。「愛」や「許し」は、「闇」にとって一番弱いデッドリー・ウェポン(最終兵器)なのです。だからこそ、「闇」は、意識的に「憎しみ」を喚起して、それを栄養として吸収しているのです。「闇」を潰そうとして、まんまと彼らの企みに嵌って、いつまでも彼らに「栄養」を与え続けることになっているのです。「光」と「闇」、善と悪といいますが、「一つ」のことがこの「二元性」の三次元世界で「二つ」に表現されるだけであり、「昼」と「夜」、男と女、プラスとマイナス、と同じことなのです。この両者で一日があり、子供が生まれ、電気が灯ります。

闇は悪は「自然となくなる」のです。もしくは、それが「光」に転換するのです。「本当のあなた」の復活とともに。

愛を込めて
ソウルカメラ