鈴木紀之追悼―― 地道で精緻な学者

 

 正確な年月日は記録にないのですが、おそらく1976年か1977年。後に本務校となる大学はまだ文系が出来ていなかったので、それまで別な大学へ数年置いていただいていた時期でした。

 

 エドマンド・スペンサーの書誌学研究を留学時代からもう3年ほど行っていた時点で、これを日本で続けるには原本を入手して手元に置かねばなりません。そこで、ひんぱんにロンドンの書店やサザビーズのオークションに出かけていましたが、ある日の夕方散歩中テムズ川を越えたところのパブに入ると、入り口の席に関西学院大学の中条和夫先生がいるではないですか。びっくりして久しぶりにご挨拶すると、隣に日本人のお二人がおられました。中条先生に御紹介されたこのお二人こそ私の研究歴に決定的な存在となる、ウオーリック大学留学中の鈴木さんと奥様でした。

 中条先生から私が書誌学をやっている人間だと紹介されると、鈴木さん、外の日本人からはまずありえないご反応、「自分は書誌学をやっている方を尊敬しています」 とおっしゃるではないですか。普通の日本人は、たいてい、「ええ、日本人なのになんであんな面倒なことをするの、外国人の日本人がやる仕事では

ない。」 と反応します。しかしその時は、中条先生を交えて、シェイクスピアやスペンサーの本の話になりました。

 帰国後、鈴木さんも留学を終えて金城へお帰りになっていた頃、ご挨拶方々思いきってスペンサーをいっしょにやりませんか、とお誘いしました。快諾を得ました。

 鈴木さんにとっても私にとってもライフワークとなったエドマンド・スペンサー『妖精の女王』の編纂・校訂という未踏峰への挑戦です。これがどれほど大規模で困難な仕事であるか。56年かければ取れるPHD(博士号)を何個も取るくらいの覚悟が要ります。10年以上、20年単位の仕事です。

 

 どれほど大変かというと、英国の研究者にでも、読むだけでも難しい1590年の原本を、例えば、人間を解剖するように、活字の一字一字を比べます。当時は活版印刷の初期ですから活字の数が限られています。当時の本の多くは、全紙を2回折って表裏8ページの折帖にして、これを重ねて一冊にしました。四つ折り本です。(『妖精の女王』の場合は本が厚いですから、全紙216ページの折帖にします。)

 

 活字に限りがありますから、折帖のページを追っていくと、ちょっと壊れたような特徴のある同じ活字が繰り返し出てきます。こうした印刷特性を発見したり、当時の英語はスペリングを一定程度変えられますから、例えば、行末調整で一字余裕があれば、justify  justifie とします。こういう印刷特性を重ねると、植字工は大抵複数ですが、その印刷物のどのページをXがやりYがやり、あるいはZがやったか推定できるようになります。印刷工によって原稿の活字化に癖があり、原稿を活字化する精度も変わってきます。

 こういう分析、つまり「内的証拠」の積み重ねによって、古い印刷物にはほぼ残っていない原稿の元の姿をある程度再現できるようになります。

 古典の本文校訂でも印刷本の場合、20世紀初めに、グレッグという天才がケンブリッジに現れて、それまでは写本にしかこういう学問がなくて、ドイツ文献学が世界的でしたが、シェイクスピアやスペンサーで残っているのは全て活字本ですから、シェイクスピア書誌学が世界的に力を持つようになりました。

 図書館の目録を見ると、本の造りがシンプルな折帖式というもので示されているが、これは今や世界的に、図書館学がアメリカでできて、その際にグレッグの記述書誌学のごく初めの部分を利用しているのです。

 

 私としても、まだ若かったですが、人間は生身、いつ何があるかわからない、自分に何かあっても仕事を引き継いでくれる人をつくっておく必要を感じていましたが、なにぶんやっている仕事が仕事。高レベルな英語力と柔軟で根気強い人を見つけるのは大変でした。鈴木さんに出会えたのはまさに神様のおかげでした。

 名古屋とつくばですから、電話やまだ今ほどは便利でないメールが主で、年に数回、コンピューターのプログラムをつくってくれていた日大の佐藤さんの所にあつまるのが精一杯でした。

 『妖精の女王』の長さは、シェイクスピアの戯曲の10個くらいです。これをいちいち手動で入力して、当時まだなかった電子テキストをつくるのですが、当時の活字の組版は独特で現在でも、自動読み取りは上手くいきません。

 

 あっというまに1990年代になり、我々の仕事もある程度まとまってきたので、19901993年に、科学研究費をもらって大きな本を出版し、1909年のスミス版が長い間『妖精の女王』の定本になっていたので、これをひっくり返す編纂・校訂理論を展開しました。これが世界的に大きな支持を得て、2001年に出版された新しいロングマン版に使われることになりました。

 

 日本人はおろか、英語圏のネイティブ研究者以外が、シェイクスピアに次ぐ大詩人の作品を「ロングマン英詩人叢書」という大事な書物で校訂したのはこれが最初でおそらく最後になるでしょう。

 

 この大仕事は、Yamashita-Suzuki Text と呼ばれて、今や世界的に知られています。しかし、2001年以降の改訂版等では鈴木さんの方が、漱石の仕事で四苦八苦していた私に代わって主にやってくれました。私はエイトばかり大きな声を出すのですが、そのあと細部をしっかりとまとめてくれたのは鈴木さんでした。

 

 そもそもは私が始めた研究ですが、鈴木さんという繊細で精緻な人がいて今日の出版はあります。2001年にロングマンから、新しい定本となる本文が出たことにショックを受けたオックスフォード大学出版局は、それに気づいていた1990年代半ばから、アメリカのトップ学者4人とケンブリッジの1人へ膨大な研究費を出して、新たなスペンサー全集の出版をはかってきました。彼ら教授たちも、我々より5歳くらい若いだけで、その教え子がすでに教授になって仕事を手伝っているようですが、我々の仕事を超えないと出版の意味がないわけですから、なかなか出せていません。

 

 こんなことを書いても、いまだに日本人の多くは実感しないようです。それもわかります。ある程度国民性です。

 日本人とは、「重箱の隅を突く」、とか、「木を見て森を見ず」という言い方が好きです。しかし英国なら、「神は細部に宿る」と言います。私たちの仕事は、この「神は細部に宿る」を実践しているものです。「もとをただす」大切さを知ることです。

 

 この本は、バッキンガム宮殿の許可を得てエリザベス女王へ捧げられている、文学系では数少ない本の一冊です。

 

To

Elizabeth the Second

By the Grace of God of the United Kingdom

Canada and Her Realms and Territories

Queen

Head of the Commonwealth

Defender of the Faith

 

https://www.hiroshiyamashita.com

間違っている、というよりも、日本の近代文学に関わる国語教科書編集のいい加減さ、大まかさ、それは、岩波を代表とする文学全集の編纂のたちおくれ、に関係することであるが、以下に2点、2作品の実態をあげておく。

森鴎外『舞姫』はその処女作として、明治23年、雑誌「国民之友」に発表された。これは常識である。ところが、教科書には、その初出の本文は載らず、鴎外がその後の版で4、5回、実に26年間にわたって、大幅に手を加え続けて変更した、大正4年の『塵泥』(ちりひじ)収録の本文を載せている。理由は簡単、岩波の編集者が、機械的に、「作者生前、あるいは手を入れた最後の版」を全集の「底本」にしてしまっているからである。

明治23年の初出は、やや読みにくいが、詩情あふれる、はるかな名文である。『舞姫』は、鴎外が手を加えるほど不味くなって行く。

という以上に、鴎外の長期にわたる改変目的は、社会的に枢要になりつつある自分の立場をおもんばかって、書きすぎてしまった事実を薄めて行く過程と言える。文学にはほど遠い不純な動機である。

芥川龍之介の処女作『羅生門』にも似たことが言える。

『羅生門』が初めて発表されたのは、大正4年、雑誌「帝國文学」においてであった。文学史の年表でもそうなっており、岩波の全集では、1巻の冒頭に置かれている。教科書は、岩波版をそのまま転載している。

ところが、芥川は、いったん発表したものには決して手を加えない、文学研究のプロであり恩師である漱石には習わず、素人の鴎外の悪癖に習って、いったん発表したものをいじり続けた。教科書に掲載されている本文は、初出発表から3年後、漱石の激賞を得た『鼻』を冠して出版した、第二短編集「鼻」に収録の際に改定されたものであった。

短編最後の印象的な

下人の行方は、誰も知らない。

は、この第二短編集において初めて読者の目に触れたのである。

以上の2作品の詳細は私のホームページに掲載の拙著:『本文の生態学ーー漱石、鴎外、芥川』PDF版をご覧ください。コンテンツ3 To Internet Disk の中にあります。

Bibliographical and Textual Studies of Edmund Spenser and Natsume Soseki

#鴎外 #芥川龍之介  #漱石 #舞姫 #羅生門 #sousekitokomiya #変えよう

以下、『舞姫』の自筆原稿と明治23年初出冒頭の写真

このレビュー:
石井美樹子『真訳 シェイクスピア四大悲劇』(河出書房新社)
は、元々アマゾンに載せたものです。アマゾンでは、河合氏の実名はあげていません。単に「おそらくK氏」とのみしていました。
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「従来のシェイクスピア翻訳に踏襲されてきた難解な語句の誤訳を、OEDオンライン版をフル活用して是正に努めた労作」:
 


 フェステという方から(おそらく東大教授、河合祥一郎氏)新しい『誤解があります』という見出しのレビュー(星3) がありました。「黙っていたら認めたことになるから」という少々言い訳がましい内容なので、大事な観点を追加記述しておきます。

 角川文庫の『新訳ハムレット』は氏がまだお若い20年も前のお仕事ですので、古典の「翻訳・翻訳者とは何か」という基本をまだしっかりとは理解しておられなかったのでしょう。今の私はシェイクスピアにはとんとご無沙汰していますが、若い時には『ハムレット』1604と1623の精巧なパラレルテキストをつくるほどこの戯曲の本文を細かく調べた人間ですので、僭越ながらフェステ氏へものの考え方、学問とは何か、を少々ご教示します。ついでに、この資料は、ある時期に石井美樹子氏へ差し上げましたので、ご興味があれば、氏からお借りください。

 さて、レビュー中に、「本書を読むと、...... これは既訳を侮辱するものに感じられます」とありますが、これはそっくりフェステ氏へお返しした方がいいようです。「訳者あとがき」をみると、その特徴として、「2)日本で初めてフォリオ版(ヒンマンのファクシミリ)を底本とした『ハムレット』の翻訳である」、とあります。しかしこれは実際問題不可、少なくともミスリーディングで失礼ながら氏の「不勉強」を物語ります。フォリオの原文には、Q2との大きな違い以外に無数と言つてもいい誤植や不備が存在します。ですからこれを直接「翻訳底本」には出來ないのです。そもそも、フォリオの本文は、現代の我々が読者として直接読む本文 reading text ではありません。それをつくるための「資料」の一つなのです。reading text すなわち「校訂本」はまさにシェイクスピアの編纂史が物語るように、世代単位で作り直されます。氏は、「実際、オックスフォード版のG. R. ヒバードは、Fに基づいた『ハムレット』を編纂している」と書かれています。

 それならフェステ氏は、なぜ氏の「校訂本」(未公刊でも可)をまずは定めなかったのか。日本では、大山俊一氏のように、旺文社文庫の『ハムレット』翻訳に際して、自らの校訂注解本を出版している。斎藤勇氏の『リア王』も似た例である。

 フェステ氏のレビューは、いまだに氏がシェイクスピア学の奥深さを理解していないことをさらしてしまった、という意味で、ご自身の弁護にはならないどころか、逆効果です。第3代アーデン版で、Ann Thompson が、Q2に基づく校訂本を出すのにどれほど気をつかい、それを正当化するために、”Appendix 2” (pp. 474-532) においてなぜこれほどに長い説明をしたのか、フェステ氏は、Thompson 氏に深く学ぶ必要があります。といっても氏の力量では大変です。並みの日本人翻訳者なら、謙虚に英米学者による既成の校訂本の中から、自分の好みに合う校訂本を選んで、翻訳底本にするのがまともな姿勢でしょう。

 最後に私のことを少々申し上げておきます。私は、英文学の代表作、具体的には E. スペンサーのFQ ロングマン版本文を2001年に作り上げました。この本文は、それまで長く定本であったスミス版に取って代わる、抜本的に新しい書誌学研究に拠るものです。20年以上を要しましたが、英語圏以外の学者がこの規模の仕事をするのは例外的です。

 石井美樹子氏の翻訳と指摘は、大枠正しく、シェイクスピア学会はこれをしっかりと受け止めるべきでしょう。

……………………….

新訳でなく真訳とするところに、シェイクスピア飜訳に挑んだ石井美樹子氏の覚悟がみてとれる。本書は真の学問が妥協を許さない真剣勝負であることを改めて教える。その一端を、以下、『ハムレット』を例に紹介してみたい。

 『ハムレット』は、本文確定の面からも最も複雑で難解。大きく3種の原典があって、上演時の台詞の剽窃とされてきたQ1(1603)、それに対抗しシェイクスピアの清書前自筆原稿から印刷されたQ2(1604-5)、さらに全集F1(1623)の本文。ドーバー・ウィルソン(1934)以降、ほとんどの版が、F1でなくQ2を底本に、F1とQ1も参照する折衷本文になってきたが、今回の飜訳底本である3代目アーデン版(2006)は、思いきって、Q2オンリーをベースにした校訂本となり、読点の少なさを含むシェイクスピアの自筆原稿の特徴を垣間見られる本文になっている。

 石井訳はこの版の初邦訳であるが、飜訳底本の本文に忠実に、歴代無数の『ハムレット』訳が誤訳し逃げてきた難解な箇所を、シンプルで明快な日本語に訳すことに成功している。
 本書の見開き左ページには、語句の注解がぎっしりとならび、その多くは、OEDを丹念に辿った成果であるが、原文までを引用しての丁寧さである。ちなみに本書では、OEDに引用された語彙、『ハムレット』では1604語、『リア王』1050語、『オセロ』983語、『マクベス』1027語のすべてがオンライン版で検証されている。従つて本書は、そのアカデミックな注解を通して、一般読者の気軽な読書からシェイクスピア専攻で英語原文を読む大学院生や研究者に至るまでに、幅広く迎えられていい。一例を挙げる。

 本書、50頁下末、「ハムレット:風が北北西に向かって吹くときに、気が狂うのだ」。原文:I am but mad north-north-west (II.ii.315)でアーデン版の注も曖昧なところ、石井は、注20で明快にOEDの釈義「north-north-west = in a north-north-west direction 」を提示して、従来の邦訳の「北北西の風が吹く」、「北北西から風が吹く」等のすべてが逆さまの誤訳であると指摘。さらに、石井は、シェイクスピアの所属する「地球座」から見て、セント・ポール大聖堂は北北西にあたり、そこに向つて風が吹くと、気が狂う、という意味だ、当時、セント・ポール大聖堂付き少年劇団が人気を博していた(そこにシェイクスピアが大嫌いな劇作家が台本を提供していた)、と解説する。

 石井は、本書の冒頭「はじめに 飜訳の罪深さ」において、「誤訳・誤読は踏襲され、反復され、累積されている。難解な箇所は曖昧な表現に逃げ込むきらいがあり、エリザベス朝の社会が生んだ笑いを、ことさら日本語の駄洒落や言葉遊びに転化する傾向が常套化されるのは嘆かわしいかぎりだ」と述べる。石井以外の訳者の誰にそう言える資格があるか。

シェイクスピアの英語原文が読める読者は、従来の訳書(できれば)数点、石井訳、それに英語版(できれば石井使用のアーデン版)を揃えて、この3者をできるだけ多くのページ、1行、1語、単位で比較していってほしい。石井訳の見開き左には、詳細な註解があるので、これを参考に、従来訳と石井訳を比べてほしい。翻訳とは、当然ながら、先ずは単語1語1語の意味を知り、それによって構成された1文1文を訳していく作業である。

従来の翻訳で、この基礎作業がちゃんとできているか。少しでも曖昧な語が出てくれば、OEDにあたって原義までの確認ができているか。先行他訳に安易に頼っている訳書はないか。それによって、誤訳の連鎖は起きていないか。

こうすることによって、従来の翻訳の実態が明るみになるはずである。

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『マクベス』の翻訳に関して。
最も有名な箇所の一つです。引用はRiverside V v 17 - 27:

She should have died hereafter;

There would have been a time for such a word.

To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

私が気にかかるのは、この引用1行目の訳です。She should have died hereafter. 前に石井美樹子訳『真訳 シェイクスピア 四大悲劇』を紹介して、OEDに完璧に当たる大切さを述べたが、ここはOEDとは関係ない。訳者のセンスの問題です。

敵に攻められて城内が大混乱の中、マクベスは召使いから夫人の死を知らされての第一声です。そのあと、有名なTo-morrow へつなぐ大事なセリフです。夫人が医者にかかっていることは知ってはいたマクベスですが、彼が思わず発する台詞には、「ええ、なんでこんなときに」が強く込められるに決まっています。

ここの訳、新しい訳本は石井版だけで角川版も松岡版も持っていないので、古い筑摩の訳を見ると、「そうか。いつかは死ぬはずであった。」さらにたまたま古書店にあった新潮文庫訳をちらっと見ると、「あれもいつかは死ななければならなかったのだ」となっていてびっくり。これなら受験の英文和訳レベルでしょう。

そこで石井訳を見ると、さすがに、「こんなときに、死ななくとも。」となっていた。これなら、She should have died hereafter の訳として通ると思います。

ここのマクベスの独白の翻訳、石井訳と従来訳とをじっくり比べてみるといい。

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