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食料を届けるという名目で、洛陽へ近づく曹操軍の武将たち。
まずは楽進が囮(おとり)になり、偽の食料を運搬し韓暹(かんせん)の目をあざむきます。

だまされた韓暹が、楽進と戦っているうちに、別の道を通った曹洪が、あっさり洛陽へ入城。郭嘉の策略が見事に的中しました。その手引きをしたのが、董昭(とうじょう)でした。洛陽内でも勢力争いが繰り広げられていて、郭嘉はそれをうまく利用したのでした。

韓暹・張楊 vs 董昭・楊奉(徐晃)
こんな構図でした。

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このとき、初登場を果たすのが楊奉の配下にいる徐晃(じょこう)という猛将。
曹洪と力を合わせ、韓暹を退却に追い込み、見事に楽進を救援しました。

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翌朝、洛陽に復興された粗末な宮殿では、董昭が献帝(けんてい)に謁見。
幼い帝は、日々の食事にも事を欠き、お腹を空かせていました。曹操軍が運んできた兵糧も、まだ楊奉の手にあって洛陽の奥深くには届く気配もなく、心配は募ります。董昭は曹操の書簡を読み上げます。
曹操の狙いは献帝を洛陽から出し、自領である許(きょ)へ、移らせることでした。その手段として、食料や酒をちらつかせて、献帝の移動を誘います。献帝はこれに乗り、許へ移ることを考え始めるのです。

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皇帝も人間。空腹には代えられません。曹操の申し入れを喜んで受けることにしました。

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そのころ、戦で荒れ果て、焼け野原となった長安では、
楊奉らに献帝を連れ去られた李傕(りかく)、郭汜(かくし)が佇んでいました。「師(すい)のない軍、君のない国は成り立たぬ」、彼らはようやく、そう悟るのでした。しかし、献帝を奪おうとする意欲は失わず、なおも洛陽をめざして戦いを続けるようです。董卓なき後、彼らは行き場を失い、あてもなく戦に明け暮れるのみでした。

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数年ぶりに洛陽へ戻ってきた曹操。焼けて廃墟となった宮殿を見て、思いにふけります。

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曹操は献帝のもとへ急行。李傕、郭汜の軍勢を打ち破ったとの戦勝報告をして
大将首を差し出して献帝を驚かせました。
この報告を聞いて、曹操に否定的な態度を示していた董承(とうしょう)も、曹操軍の功績を認めざるを得ませんでした。ちなみに董昭と董承はどちらも読みは「とうしょう」ですが、別人です。ややこしいですが。

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董昭=曹操の味方をして曹洪たちを洛陽へ招きいれた人物。

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董承=献帝の義父(娘が献帝の妻)で当初は曹操に反抗し、献帝に曹操を迎え入れないように進言しながら、今それを覆した人物です。

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曹操は、自らの思い描く国のあり方を、若き皇帝に説きます。時に西暦196年。
献帝16歳、曹操42歳。献帝は曹操の野心を半ば見抜きながらも、自分を守護してくれる存在として曹操を認めざるを得なくなっていきます。

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その頃、郊外では蔡文姫が、亡き父・蔡邕(さいよう)の弔いをしていましたが
そこへ異民族・匈奴(きょうど)の兵が、女たちをさらおうとやってきます。蔡文姫は逆らったために兵に斬られそうになりますが、その隊長をつとめていた左賢王こと劉豹(りゅうひょう)がそれをやめさせます。

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左賢王は蔡文姫が蔡邕の娘だと知り、美貌に惹かれたこともあり、丁重に扱って匈奴へと連行していきました。連れ去られた蔡文姫は、否応なしに左賢王の妻となるのです。戦乱の世は常に女性受難の時代。自らを奪った者の子を産むのが、乱世の慣わしで、それを拒めば、死あるのみでした。こんな例は枚挙に暇がありません。
女性は弱い存在ですが、このような境遇に身をさらして生き続けたという点では、強い存在なのかもしれません。現代社会において「女性は強い」などといわれますが、昔から強さを持った女性はたくさん居ました。世の中を切り開き、武器を持って戦うのは男ですが、その男を生み出すのは女。その強さの性質はまるで違うものなのだと、こういう時代劇を見ていると感じます。