こんにちは、ドラマ『曹操』案内役の哲舟です。
なんだか、この挨拶もご無沙汰となってしまいましたが。さて・・・参りましょう。

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曹操が呂布軍の下邳(かひ)城を攻めているとき、袁紹もまた、
公孫瓚(さん)が籠もる易京城という巨大な城を攻めていました。
しかし、袁紹は愛妾との情事にかまけ、その都度攻撃の手を休めていたため、
なかなか、捗っていない様子です。

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曹操は、郭嘉が提案した「水攻め」の計を実行に移します。
呂布との戦は1年あまりにも及んでいましたから、これ以上長引かせては
曹操軍の損害もなかなかの規模になります。兵糧も無限にあるわけではありません。
水攻めで下邳城を水没させ、敵兵の士気を挫いて内部崩壊させようという戦略です。

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一方の袁紹も、重い腰を上げて張郃(ちょうこう)、高覧に命じ、地下道から
易京城へ潜入させて火攻めをしかけるように命じました。
曹操は水攻め、袁紹は火攻め。両雄の戦の模様が交互に映し出されるドラマティックな展開。

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また一方、下邳城に籠もる呂布は、城を水没させられ、いよいよ孤立無援の
状況となっていくなか、現実から逃れるように情欲に溺れていました。

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その相手は、愛妻の貂蝉(ちょうせん)です。第23話以来の登場の貂蝉、
河北を脱出してから5年、彼女は変わらず呂布の妻として生きていたのです。
転々としている印象のある呂布が、彼女だけは手放さないあたり、よほど
厳重に護衛させているであろうことが伺えます。

しかし、貂蝉は城に引きこもり、ただ酒色に溺れる主人を不甲斐なく思っており、
情事を重ねようとする呂布の頬をはたきます。
もはや、昔の輝きをうしなった主人に失望しているのでしょう。
それは呂布自身が何よりも痛感しているのでしょう、何も言い返せず唇を噛むのみ・・・。

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呂布は鏡に映った、老いた自分の姿を見て、腹いせのように「禁酒令」を出しましたが
それを破った将たちを見て、処刑を命じます。結局、
配下たちのとりなしで、彼らの一命は預けることにしたのですが・・・。
それが自身の命取りになりました。

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多少の温情を見せた呂布ですが、この一件で完全に将兵たちの信望を失いました。
眠り込んだところを縛られ、捕縛されてしまいました。
呂布を裏切った部将たちは、すぐさま曹操への降伏を申し入れたのです。

さすがの強力・呂布でも、こうまで四肢を固く縛られては自由になりません。
一度は両腕を振りほどきますが、足が自由にならず、そのまま倒れました。

忠義の士、高順と張遼、そして陳宮も自身の兵たちに捕らわれてしまいました。
兵卒の忠誠心など、所詮はそんなもの・・・。
命が助かればよし、腹いっぱい飯を食わせてくれる主君になびくものです。

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曹操の前に引き立てられる呂布、陳宮たち。
曹操は、真っ先に陳宮を助けたいと思い、言葉をかけます。

むかし、命を救ったり、救われたりした日々のことを思いかえし、
曹操はなんとか助けようとしますが、陳宮はにべもなく、死を望みます。
妻子のことだけを曹操の手に託すと、もはや何も言わせず、
処刑場へと自ら歩んでいきました。潔い最期です。

一方、呂布は曹操に対して命乞いをしますが、郭嘉は首を振ります。
曹操とて、呂布の武勇は惜しいながら、彼の性格上、
人の下につくような男ではないため難しいと考えたようです。そこで一応、
劉備に意見を聞くと、「丁原を裏切り、董卓を殺した男です」と突き放します。

その声と同時に、兵たちが呂布をそのままの格好で刑場へ運んで行きました。
曹操は何も合図していなかったはずですが、この手回しの良さ。
一代の英傑、呂布は劉備への罵りの声をあげながら消えていきました。

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張遼は呂布に殉じようとしましたが、傍らにいた関羽がそれを引きとめ、
助命を嘆願します。関羽は若いころから張遼と親交があったうえ、
彼が漢の忠臣・聶壹(じょういつ)の子孫であることを明かし、
それを聞いた曹操は助命を決します。
縄をほどかせ、陣営に加えて呂布軍の兵を率いるよう命じました。

関羽と張遼は、確かに現在の山西省あたりの出身。
それほどの近所ではないですが、まあ若いころに会っていたとしても一応、不思議ではありません。

それにしても、一度は命を救われた恩義がありながら、
呂布を進んで死へと追いやる発言をした劉備に対し、
郭嘉は冷ややかに「これがあなたの仁徳なのですね」と言い放ちました。
郭嘉はよほどに劉備が大嫌いなようです(笑)。

それにしても、残った高順や貂蝉がどうなったのか描かれなかったのは残念です。
高順は処刑されたのだと思いますが、それまで非常に良い役どころとして、
丁寧に描かれていたのに、最期の様子がなかったのは何とも惜しい限り・・・。

32-11
許昌へ凱旋した曹操軍。献帝に拝謁した中に、劉備の姿もありました。
劉備が皇族であり、自分の叔父であることを知って、献帝は慶びをあらわにしますが、
それを見た曹操をはじめ、諸将は警戒心を強めるのでした。

32-12
曹操が凱旋してくるや、再び国舅(こっきゅう。帝の義理の父)の
董承(とうじょう)を中心とした勢力が活発に動き始めます。
彼らは献帝の昔からの忠臣であり、曹操主従とは、もとより対立していたのです。

身内を要職につけ、朝廷内をさらに牛耳ろうとする曹操に対し、献帝は自分の
帯の中に「曹操討伐の詔(みことのり)」を偲ばせ、董承に届けさせた・・・。
ということになっていますが、この詔は本当に献帝が書いたのでしょうか。
董承が自作したものではないのか? そんな含みを持たせ、第5部は終わります。

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今回で、第5部「呂布滅亡」が終了しますので、ここで人物相関図を載せておきましょう。
第5部までの主要人物がここにありますので、ご参考までに。